インタビュー 釜日労 三浦俊一さん 「釜ヶ崎」の明日を切り拓く
国債発行か、それとも増税か。震災復興の財源を巡って大きな議論となっている。
今回、政府は円売りドル買いという為替介入に踏み切ったが、為替介入を目的とし外為特別会計で積み上げた外貨準備はドル建てで約110兆円あるという。40兆円とも50兆円とも言われる復興財源を賄うには充分な金額だ。その大半は米国債の購入に当てられている。増税もやむなしと当然視される中で、なぜ復興財源としてこの資金を活用しないのか。
米国にしてみれば日本が為替介入で得たドルで米国債を買ってくれるため高金利をつけなくても米国債は売れ、そのため長期金利も安定し、設備投資や消費を高める。 日本も急激な円高を緩和することによって輸出産業の収益悪化を防ぎ、景気回復のカンフル剤になる。いわば互恵の関係にあると思われてきた。ところが今回の日銀の為替介入が急激な円高の解消に寄与しなかった事を見ても明らかなように、為替市場への政府介入はほとんど効果がないのだ。
日本からの購入で支えられているアメリカ国債は約40パーセント。それがアメリカの財政赤字を埋め、イラクやアフガンでの「無差別大量殺りく」のために使われ続けている。日本はドル暴落を防ぐと共に、アメリカ経済を支え、これまでアメリカが行ってきたすべての戦争を支え続けてきたのである。政府日銀が米国債を買う原資は日本国民の税金だ。私たちが米国債を買ったつもりはないと言っても間接的に買っている。そして、その損失は日銀や民間金融機関の不良債権として日々増殖している。そしてその損失の穴埋めは結局、増税という形で我々が払うことになる。
一方、日本の財政は膨大な赤字を抱えている。2011年現在、国の債務残高は676兆円、地方財政赤字を含めると877兆円にのぼる。さらに政府短期証券などを含めた日本全体の債務残高は1141兆円、GDP比170%に及ぶ。主要先進国のこの比率は60〜70%であり、世界の中でも類を見ない借金大国である。
膨大な借金のために復興債よりも消費税を上げるという。その一方で米国債を買うための資金は聖域とし毎年50兆円近い国費を米国の財政赤字の埋めあわせに使い続けている。
対米従属からの脱却なくして日本の財政再建も東北の復興もない。そのことを改めて痛感した。
主張
先日、埼玉知事選が行われ、その投票率は24・89%と知事選史上最低だった。また、世論調査での支持政党なしは67%と3分の2を超えた。
この深刻な政治不信、政党不信はどこから来ているのか。それは、わずか2年前、あの政権交代の熱気とそれ以後の民主党新政権の腰砕け、裏切り、それにともなう日本政治の泥沼の混迷を見れば、明らかではないだろうか。
古い日本から新しい日本へ、根本的な転換を求める国民の切実な要求に、なぜ日本の政治、政党は応えることができないでいるのか。
■加速する米国の時代、覇権時代の終焉
古い日本から新しい日本への転換、それは米国の時代の終焉と密接に結びついている。?
戦後66年、その間、日本は米国の覇権のもとにあった。米国主導の戦後復興、米国が引き起こした朝鮮戦争特需。ベトナム戦争の進行とともに謳歌された経済高度成長。そして、米国に促されての自由化、グローバル化。その果てのバブルとその崩壊。以後今も続く長期停滞。その結果は何だったか。拡大する一方の所得格差と社会の二極分解、東京一極集中と地方地域の崩壊、企業格差、産業不均衡の拡大、そしてそれに起因する泥沼の景気停滞、失業率の高止まり・・・。
この戦後日本史の推移は、米国による覇権の盛衰と深く連関している。朝鮮戦争、ベトナム戦争の敗北とスタグフレーション、ドル危機。新自由主義、グローバリズムによる巻き返しとソ連崩壊、それにともなう米一極世界支配の実現。そして、イラク、アフガン戦争の行き詰まりとリーマン・ショックおよびその後の経済停滞。米一極支配はつかの間のあだ花だった。それには日本の「失われた20年」が対応している。
そして2011年。その上半期は米国による覇権の終焉を一層深く印象づけるものになった。それは、アフガン撤退宣言と反テロ戦争の放棄、9%を超える失業率の高止まりなど絶望的な景気停滞によるだけではない。より本質的には、地域共同体の軍事、経済にわたる一段の強化があった。
今日、南米諸国連合、アフリカ同盟(AU)、上海協力機構、ASEANなど地域共同体は、南米防衛理事会の創設、アフリカの諸紛争への帝国主義による干渉の排撃とAUの共同責任、新しい国際安全構造確立の確認、等々、防衛分野での相互協力と地域安全保障を自らの明確な活動目的として高々と掲げるようになった。
一方、ドル価値大暴落の危険がかつてなく高まる中、ドルに代わる地域共通通貨導入と市場運営のための共同行動がとられており、域内経済交易の活発化がアフリカと南米諸国を網羅する統合機構設置への動きなど南南協調の進展とともに図られている。
この地域共同体の軍事的、経済的強化は、核とドル、軍事と経済による米国の覇権を最終的に崩壊させずにはおかない。そして、この米国の時代の終焉は、覇権時代そのものの終焉を意味している。それは、台頭する地域共同体がそもそも米国の覇権に反対し、域内諸国の主権を擁護するための共同体であるからに他ならない。
■覇権にしがみつく米国
2011年上半期、世界の耳目を集めたのは、エジプト、ジャスミン革命、ソーシャルメディア革命だ。チュニジアに続くこの革命は、当初、親米政権の倒壊、米国の中東覇権の崩壊ととらえられた。だが、長期政権退陣後、主導権を握ったのが親米派軍部であること、これらの「革命」が、その後、リビア、シリア、イェメンなど米国と距離を置く国々での広範な反政府デモにつながり、ひいては、イラン、中国、ボリビアなどへと広がりを見せたこと、また、エジプト大衆デモの中核となった4月6日運動と米国の深い結びつき、等々から、これがブッシュの反テロ戦争からオバマのジャスミン革命へという世界民主化運動の方式転換であるのはほぼ間違いない。穀物価格の高騰と失業の増大に対する広範な大衆の怒りとソーシャルメディアの発達が利用されたのだ。
覇権にしがみつく米国の反動攻勢は、ジャスミン革命だけではない。南沙群島や尖閣諸島をめぐる領土紛争を煽っての中国と他のアジア諸国との対立助長、そしてそこへの米国の関与、関税撤廃を原則とするTPPへの環太平洋諸国の取り込みとそれによる東アジア共同体や南米諸国連合内の分裂醸成・促進、それへの米国の介入、また、「財政健全化」を掲げてのギリシャやポルトガルなどヨーロッパ諸国の財政危機の喧伝とその救済をめぐるEU内利害対立の激化、等々、その攻勢は、地域共同体の破壊を狙いそこに集中されている。
■未来は脱米脱覇権にある
米国による反動攻勢は、所詮滅び行く者の最後のあがきに過ぎない。ジャスミン革命は、かつてウクライナやグルジアで敢行された「カラー革命」の焼き直しだ。国民に見捨てられて久しいこれらの「革命」は、ジャスミン革命の末路を暗示している。何の新しい理念も路線もないままに、自国の「改革」でさえ泥沼の停滞を生み出すだけの米国の民主化運動が世界の歴史を新しく切り開けるわけがない。
地域共同体の分裂、対立を図る策動もその成功はおぼつかない。南沙群島をめぐる領土紛争は、中国とASEAN諸国が互いの主権を尊重しての話し合いの方向に進んでおり、EUの財政危機をめぐる確執も、EU自体を従来のグローバル共同体からより主権尊重擁護の共同体に発展させ、各国の経済、財政政策の独自性を尊重したより緩い共通通貨体制を採ることによって克服することができるのではないだろうか。
今日、歴史の新時代にあって、米国は明らかに古い時代の古い勢力だ。時代を切り開く新しい勢力は、その米国の覇権に反対し、古い米国の時代、覇権時代の終焉を最終的に決定づける勢力、台頭する主権尊重の地域共同体ではないだろうか。
問われているのは、「脱米脱覇権して、主権尊重の地域共同体とともに」だ。そこにこそ、もっとも確かな明るい未来があるのではないだろうか。
■震災復興は脱米脱覇権の闘いだ
今、日本は震災復興、原発事故を離れてはあり得ない。この闘いを通して新しい日本を創造すること、それが日本の政治、政党に問われている。
だが、今の政治、政党には、それが見えてこない。場当たり的な人気取り政策で政権にしがみつく菅首相、それに対する断固たる措置も、展望的で現実的な復興計画も打ち出せず、右往左往する反対勢力、これでは国民の政治、政党不信が行き着くところまで行くのも当然なことだ。
あまりにもひどい日本政治の現実。なぜこんなことになっているのか。そこで思うのは「復興と未来のための日米パートナーシップ」だ。米国のシンクタンク戦略国際問題研究所が今年4月にその設立を発表した震災復興に関するこの特別調査委員会の米国側代表団が今来日している。11月にハワイであるAPEC首脳会議を目指して震災復興のための「提言書」をまとめているという。
すべては、この米国のスケジュールに合わされているのではないか。もしそうだとしたら、これほどひどいことはない。米国主導の戦後復興から始まった歴史のくり返しだ。いや、一度目は悲劇でも、二度目は喜劇にしかならない。
米国が主導する震災復興が新しい日本の創造になるなど絶対にあり得ないことだ。それは、リーマン・ショックで中断していた日本の自由化、グローバル化を徹底させ、日本に米国による反動攻勢を支えさせるものになる以外にない。
問題は、この古い日本の徹底が圧倒的多数国民大衆の要求に合わないことだ。米国主導の戦後復興は、様々な紆余曲折を経ながらも、古い軍国主義に対する新しい米国式民主主義という側面は持ち得た。しかし、今日、震災復興が米国主導でやられるとするなら、そこには国民の支持を得られる新しいものはほとんどないだろう。
今日、脱原発の国民運動は、大きな広がりを持って日本のあり方そのものを問うてきている。復興財源や消費税増税の問題も、国や政治のあり方を問う問題だ。
また、特区の問題もそうだ。そこでは農業や漁業など産業経済のあり方が問われている。一方、地域主体の復興をめぐり、地方・地域の新しいあり方が模索されているのも重要だ。
震災復興の闘いが日本国民と米国との闘いとして展開される機は熟しているのではないだろうか。それは、地域共同体と米国との闘いともつながっている。米国の時代、覇権時代が終焉を迎えた今日、日本の政治、政党に問われているのは、国民とともに、地域共同体とともに進む、脱米脱覇権の立場と観点ではないだろうか。
研究
米朝関係で新たな動きが始まった。
今年に入ってからでも、朝鮮の科学者代表団、テコンド代表団の訪米などがあったが、7月28日に朝鮮の金桂寛第一外務次官が訪米し米朝の高位級会談が行われたことで米朝関係は新たな局面に入った。
南北関係も動き始めた。米国は朝鮮情勢の打開に向けて「南北対話を先行させる」として韓国を動かしたが、韓国が天安艦事件、延坪島砲撃事件の謝罪要求を持ち出すことで暗礁に乗り上げていた。しかし、7月22日に行われたASEAN地域フォーラム(ARF)・バリ島会議では、何ごともなかったかのように、南北代表の会談が実現し、今後の南北対話の道が敷かれた。
こうした状況を背景に日本も動き始めたようだ。7月21日に中井洽前拉致問題担当相が朝鮮の宋日昊日朝国交正常化交渉担当大使と長春市内のホテルで会談した事実が判明し、菅首相の訪朝までが取りざたされる状況になっている。
■誰が接近したのか
この事態を日本のマスコミなどは、核放棄を求める米国と食糧や経済支援、あるいは体制保障を求める朝鮮が双方の利害を求めて接近したかのように解説している。
しかし、そういう見方は当たっているのだろうか。米国の「核放棄」要求に対し、朝鮮は一方的に核を手放す「北朝鮮の非核化」ではなく「朝鮮半島の非核化」を打ち出しきた。そのため6者会談が決裂し、米国が原子力空母ジョージ・ワシントンまで繰り出した最大規模の米韓合同演習を行って、あわや戦争かと思われるほどの圧力を加えても朝鮮はその立場を変えなかった。
ARF会議での南北会談でも、韓国は、天安艦事件や延坪島事件を持ち出すこともなく謝罪は問題にされなかった。事実は、米国が韓国の「謝罪要求」を取り下げさせることで、南北会談を進めさせ、米朝会談実現の雰囲気を作ったということであろう。
日本との関係でも、朝鮮の立場は変わっていない。
変わったのは米国であり、韓国であり、日本である。そうであれば、「米朝接近」とは、朝鮮の歩み寄りではなく、米国の対朝鮮接近だと見るのが妥当ではないだろうか。
では米国はどうして朝鮮に接近してきたのか?
一言でいえば米国のこれまでの対朝鮮政策が失敗に終わったということだ。
米国の朝鮮政策は一貫して封鎖制裁による圧殺政策であった。しかし、朝鮮はこの間、自衛力強化に力を入れ、核とミサイルを持つようになり、米国も簡単には手をだせなくなった。また封鎖と制裁で経済を疲弊させ崩壊させるというシナリオも朝鮮の経済発展で意味をなさなくなった。
そのことは、これまで本誌に連載してきた京都総合研究所・佐々木道博氏の論文に詳しいが、注目すべきは、各大学・企業所などの電子図書館を拠点にして光ファイバーによるネット網が全国に張り巡らされ、多くの知恵を集大成する独特の情報産業化が進んでいるということだ。こうして、コークス炭を使わないチュチェ鉄、無尽蔵にある石炭をガス化して原料にしたチュチェ繊維、チュチェ肥料など自国資源を使っての新産業が興こり、8軸、9軸という世界最先端のCNC工作機械が自力開発され、工場のCNC化が進められている。その上で、中国、ロシア、アジア諸国との経済協力の発展など、まさに「強盛大国」の門が開かれる状況になっている。それを見越してEU諸国も関係強化に動いている。
米国は、このままでは朝鮮封鎖どころか自身が除け者にされかねない状況に陥っているということだ。そうなれば、米国があくまでも「リーダーシップ」(覇権)を維持するために、国際社会に「関与・介入」するというオバマ路線も世界の面前で綻びを見せてしまうだろう。米国にとっては、それは何としても避けたい。そこで、対決から融和路線に転換し、経済的文化的な浸透を図って、ジャスミン革命のような方式を狙った方が得策だというのが米国の思惑ではないだろうか。
■見るべきは朝鮮の反覇権自主の意思
ここで考えるべきは、朝鮮が米国の封鎖制裁の圧殺策動に耐えて今日の状況を作り出した要因は一体何だったのだろうかということだ。それを理解することは日本にとっても必要なことだと思う。
世界の一般的な常識は、どのような国でも米国の武力には抗しようもないし、結局は屈服し従うしかないというものではないだろうか。少なくとも今まではそうだった。それ故、こうした常識に捉われている人たちは、朝鮮の対応を一か八かの「瀬戸際外交」としてしか理解できなかった。
朝鮮が核やミサイルをもった今では「瀬戸際」という言葉は当たらなくなったが、それを持っていなかった段階でも朝鮮は米国の戦争恫喝に態度を変えようとしなかった。当時、朝鮮では「死を覚悟した者に勝てるものはない」ということが言われ、「白頭山に入ってもう一度パルチザンをやってでも米国と戦う」ということも言われた。そうであれば、ここで見るべきは、そこまでして自主的に生きようとする、その意志ではないだろうか。
日本の植民地支配を受けた朝鮮は、民族の生命は自主性にあり、それを損なえば全てを失うということを血の教訓としてきた。そこから、解放後は米国だけではなく、ソ連、中国に対しても従属的な関係に入ることはなかった。朝鮮では、食えなくても経済が困難でも自らの生命である自主性は絶対的に守り通さなければならないものだと考えられており、それは全人民的な意思になっていると言うことができる。
この強い意志の下、米国による封鎖政策の中でも、防衛力を強化して米国の戦争挑発を防止しながら、苦しい中でも人材育成に力を注ぎ誰の助けを求めることなく自力で経済力を高めてきた。朝鮮は自主の信念と意志力で、その封鎖を突破したのだと言えるのではないだろうか。
朝鮮は、自分たちがやってきたことに自信をもち、これからもその道を進むだけだろう。その上で米国との関係が正常化すれば、それに越したことはないということだ。
今後、米国との関係が正常化し経済関係も深まるかもしれない。しかし、米国が朝鮮の変質溶解を狙って様々な策動をするなら、朝鮮は、延坪島砲撃で示されたような断固たる物理的措置を取ることまで含めた対応をするだろう。
そして、朝鮮のこうした生き方は、大国覇権によって様々な障害を受けている大多数の国々の賛同を受けるということであり、それが時代の大きな流れになっていくだろう。
■日本に問われているのは何か
日本は、米国の意思だけでなく、朝鮮の意思をこそ見るべきである。覇権国家、米国の意思しか見ようとしない偏向した見方では、覇権時代の終焉を迎えた今日、道を誤ると思うからだ。
朝鮮のような小さな国がどうして強大な米国を向こうに回して堂々とした政治的駆け引きをして米国が接近してこざるを得なくなるようなことができるのか。どうして米国の封鎖政策の中でも自力で経済を発展させていくことができたのか、などなど、そこに見るべきものは多いはずである。
日本の朝鮮に対する態度は、日本の生き方を決めると思う。
歴史的に見ても、明治以降日本は、朝鮮を悪友と見る脱亜入欧を唱え、その果てに破滅した。そして戦後も朝鮮を敵視し朝鮮戦争に加担する中で、日米安保条約が結ばれ戦後の対米従属路線が敷かれた。
今、朝鮮情勢が動き始めている中、日本には、朝鮮やアジア諸国を「悪友」と見、欧米を崇拝してその覇権の下で、アジアの覇者たろうとして破滅した歴史の教訓を踏まえ、朝鮮を偏見に捉われずありのまま見て理解することが、いつにも増して問われていると思う。
日本は今、震災復興も含めて、古い日本から新しい日本への転換が求められている。その方向は、主張で述べているように脱米、脱覇権ということだ。この方向転換を達成する上で朝鮮政策をどうするのかは、一つの大きなカギになるのではないだろうか。それは米国の意思に沿うような覇権的な対朝鮮政策をこれからも続けるのか、それともそれから脱した新しい独自の朝鮮政策を立てるのかという問題だからだ。そのためにも、日本に問われていることは、米国の意思ばかりでなく、朝鮮の意思もよく見て、それを理解し尊重することだと思う。
インタビュー 釜日労 三浦俊一さん
―一般に労組といえば、会社に所属する労働者が加入し、自らの権利を守って闘うというイメージですが、釜日労はそういう労組とは少し違います。釜日労とはどのような労組なのでしょうか。
釜ヶ崎にいる全ての日雇い労働者が組合員だということになりますね。組合員証を発行しているわけでもない。雇用関係がない日雇ですから。居住地域が同じで日雇いという境遇も同じ、組合員は何人ですかと聞かれると釜ヶ崎に住む全員が組合員ですと答えています。
―普通、組合は組合費で運営されますが、釜日労には組合費とかはないわけですよね。すると組合の活動費はどう捻出するわけですか。
カンパも要請していません。釜ヶ崎の労働者が組合を支援するという形でお金を出してくれる。事務所に1斗缶が置いてあって、知らない間にけっこう溜まるんですよ。5円、10円と。それが私たちの大切な資金です。
―日常的にどのような活動をなさっているのか。釜ヶ崎といえば、不当な賃金不払いとか、暴力飯場の糾弾とか、そういう激しい闘いのイメージがあるのですが。
私が来て4年になりますが押しかけていかなければならないような場面というのはほとんどない。委員長が一人で行って話しをつけて解決するという感じですね。昔のような暴力飯場とか、労災もみ消しとか、そういうものに対する闘いは非常に件数としては少なくなった。その理由は、70年代のようなことをしなければいけないような業者自身がもうすでに淘汰されてしまったからです。手配師がスマートなったということよりも手配師自身もピンはねしようがないくらい賃金が下がっている。一番高い頃は型枠大工で日給2万6千円あったけれどもう半分以下です。労賃の減少傾向とともに日雇の仕事も少なくなってきている。もうこれ以上賃金を下げようがない。これ以上下げたらもはや働く意味もない。昔のようにピンはねしたり給料を払わなかったりすればただでさえ集まりにくいのに集まらなくなる。日常的な活動というのは情宣とか、大阪市、大阪府に対する交渉です。民間需要がもはやない中で社会的就労と呼んでいますが、社会的就労事業を作れと要求している。釜には輪番特別清掃制度いう55歳以上への就労支援がある。延べ人数で年間6万7千人くらいの受け皿になっている。そして基金事業(厚労省の「緊急雇用創出基金事業」)が3年前から始まってから7万7千人くらい働いています。
―大阪市や大阪府に対する交渉というのは「釜ヶ崎支援機構」がやっている事業とは別の社会的就労ということですか。
「支援機構」は事業体ですから大阪市の委託を受けて基金事業で仕事を作っていく。私たちは特掃だったらもっと拡大しろと。来年3月で基金事業が打切りになる。基金事業によって釜で約一万人の仕事が生まれている。大阪全部で生活支援給付金つきの職業訓練なども含めて62万人です。大阪府には基金事業の打ち切りをやめるよう要請をしている。3年前の雇用状況と変っていない。そこで基金事業を終わらせてしまったら、大阪は失業率全国ナンバーワン、高齢失業者の問題、若年失業者の問題、この二つの難問を大阪は抱えていて、その上に生活保護受給という難問をさらに抱えているわけですから。具体的要求としては基金事業を継続、拡大し、雇用を増やし、特掃は55歳以上の人が対象ですから55歳以下の人たちにも就労ができるような仕事をもっとつくれと言っている。
―釜日労の活動も70年代の頃と今の時代の活動とは大きく違ってきているのですか。
70年代は需要と供給が一致していた時代でした。73年のオイルショックで膨大ないわゆる過剰供給になって「あぶれ」が増える。労働者の不満が鬱積する。その後、労働者の雇用の中身も変り始める。それまでは一般土工という形での雇用だけではなかったわけです。水産加工から繊維、部品工場まで業種ごとに車を止める場所がちゃんと決っていた。これらの仕事がほとんどなくなって土木工事だけになっていく。求人領域が狭まるわけですよね。80年代以降、右上がりの高度成長が終わって仕事がない、労働者が減っていく。その中で最大の変化は「高齢化」です。
通常の組合では高齢生活保護者は問題にならない。ところが釜の場合は賃労働の人たちだけを対象にしているだけではもういけないと。実質的に半数以上は生活保護者になっている。いまや3人に一人、約9千人が受給者です。釜日労の運動もそういう意味では現役労働者の生活と権利を守る運動とともに、釜に住む高齢者の生きがい事業を作ろうという課題が出てきている。正直言って何していいか分からない。孤独死している人間の数、自殺している人間の数、一年にどれくらいの数か分からない。ドヤで死んでしまう人もいる。公園で死ぬ人もいる。そういう問題はこれといった特効薬は基本的になくて、未知な運動、多種多様な団体が地面を覆っていくような運動でしかフォローできない。
―釜日労として震災地への支援という取り組みもされていると聞いています。
釜日労として仙台の野宿者ネットワークを拠点に3月の終わりからボランティアに参加している。瓦礫の処理など仕事はいっぱいある。そのような仕事に釜の労働者を送り込むことはできないのか、釜の労働者の力を震災復興事業に使えと私たちは要求している。おそらく具体化すると思います。第二次補正予算が通っても、被災地からの情報では、どこの被災地の復興の担当者も今年の冬から復興が本格化すると言っています。4月末の時点で仙台の労働基準監督署が復興震災現場に査察に入っている。労災事故が多すぎるんです。いままで現場仕事に入った事のないような失業者がハローワーク経由で入っている。いきなり現場仕事をやらされたら怪我もしますよ。それまで派遣で部品を作ってきたような人たちが瓦礫の撤去なんか無理です。そういう意味ではプロである釜の労働者の力が役にたつはずです。それで釜の労働者の力を震災復興事業に使えという要求は的を得たものだと思っています。
―「釜ヶ崎支援機構」というのは釜日労が母体となって作ったNPOですが、現在、釜日労とはどういう関係にあるのですか。一部には、支援機構に対して権力に迎合している、というような批判もあると聞いています。
事業体としてみた場合に釜にNPOの必要性が確固としてあるというのが私たちの立場ですから、そのあり方について意見は言うけれども運動体同士の対立するような意見を言う必要はないと思います。釜日労があり支援機構があって釜を動かしていく両輪のようなものですから。たしかにNPOに事業委託をした「あいりん対策」の施策を見ると、大阪市はこれで経費が削減できるとはっきり言っています。見方を変えると支援機構は行政の仕事を肩代わりしているわけですから。
―支援機構の発足はこれまでの左翼の発想、つまり階級闘争論とはちがった新しいものを感じました。「仕事をよこせ」でなく、行政とタイアップして「仕事を創り出していく」。この発想はそれまでの新左翼にはなかった発想です。
支援機構というのは釜の労働者にとって必要なもので不可欠な存在になっているわけですから。それを批判する人たちはどういう視点で批判しているのかが問題です。行政の下請けだからという視点は何の意味もない。釜日労が闘争することで獲得したものを支援機構がその受け皿になって実行していく。私たちが要求し支援機構が事業として運営していく。私が釜に来たときイメージしたのは、パレスチナのハマスのような組織を作る事でした。医療や教育から一切合財を闘争組織の中に持っている組織が釜にも必要じゃないかと。その中に支援機構も位置づけたら良いのかと今は思っています。そのためにもまずは釜日労の力をつけないといけないなと。
―関西のいろんな集会に顔をだすと釜日労の労働者の隊列が必ずいる。あの釜の労働者の存在感というか、迫力に圧倒されています。参加者はそれを見て励まされているはずです。
釜ヶ崎の独自の問題はある。しかし全国の失業や貧困問題と共通する普遍的な部分も当然あるわけですから、そういう場所に釜から出て行って連帯していく。そういう方針へ変えたわけですよね。釜ヶ崎が持っている「特殊性」を暗に受容してきた時代はもう終わった。
―単身の日雇い労働者が集まった街、それが釜だったわけですが、派遣法以降は日本全国が釜ヶ崎と同じような状況に変ったといえるのではないか。労働者の三割が派遣労働になっていますから。
その通りです。釜だけが悲惨な境遇にあるのではない。釜の労働者が全国に分散されている。そこを考え方の出発点にしないといけない。他の貧困問題を闘っているグループと問題は共通している。昔は釜といえば特殊な問題だった。それがいまや全国化している。
釜にいると変化が見えないけれども、雇用分析すると釜ってなにも特別じゃないと。朝から酒飲んでひっくり返っている、そういう特殊な部分はあるけれども。
―三浦さんは4年前に釜に来られたと聞いています。なぜ釜ヶ崎だったのですか。
その前は20年間、商売をやっていました。欧州と往復しながら、ネクタイとスカーフの貿易です。60歳になる手前でこんままだと仕事に追われ放しで終わるなと思って任意整理に入るんですよ。事業をやろうとしたら資金調達をしなければいけない。そういう事情もありました。遣り残したものがあったわけです。
―このままで終わりたくない、というのは昔の闘争時代の思いなのでしょうか。
新左翼の総括というか、運動の組織上の総括で言えば、自分の責任という二文字がない運動体だったと思っているんです。自分でアジテーションして、自分で組織を作って、もちろん仲間とともにですが、人を勝手に動かして、刑務所に行かした。その責任だと思うんです。そういうことを言った奴のその責任の取り方はその人それぞれのやり方であると思うんです。私は自分なりの責任の取り方は釜ヶ崎に来る事だった。責任といってもあくまでも私の個人的な考えですが、釜ヶ崎に来て良かったと思っています。釜から見る世界は面白い。だって毎日闘争できるんですから。
反原発で流れているメールを見ると、明治、日大、芝工大、全共闘と私らの年代の人たちが反原発のネットワークとまではいかないけれども、集会には全共闘の旗を持って参加しているんです。もう人生も残り少ないと思っているから最後のご奉公ということでしょうね。
―関西の集会に行ってもあの世代が一番多いしなぜか一番元気がある。いつも不思議に思っています。
若い人は若い人の時代を自分たちで作ればいい。能書きをいうから爺さんたちはみんなから嫌われる。今は明るい生活保護者をやっています。振り返ってみると、社長から釜ヶ崎に落ちてきて、日雇いで働いて今や生活保護です。転落の見本みたいなものですよ。
―気持ちの上では今が一番充実しているのではないですか。
そりゃ面白いですね。役所にならんで生保を申請しました。ケースワーカーが来て部屋に何にもない。資料と本だけしかないので吃驚していました。だから私は釜日労ですと言った。それからは何にも就労指導してくれません(笑)。
■公平な法的整備を要求する反サイバー闘争
ロシアは、サイバー攻撃に対処して、総合的な国連綱領作成を要求している。現在ではテロがインターネットに出現した。9・11テロが起きて以降の10年間でテロ分子の手法は根本的に変化した。多くの国々がロシアの提案に賛同するが、米国が応じようとしない。米国が「全ての軍事手段を動員してサイバー攻撃に対処する」と表明して以降、この問題は切迫しているし、公平な綱領作成が必要だ。
インターネットという国が生まれ人口は数十億にもなるのに法がない。それで米国が先ず法を作ろうとした。勿論彼らの利益に合うようにだ。NATOやEUがこれに合流した。しかし、条約の基礎になる合理的な理論はまだない。そうした理論を作り、公平な条約として国連綱領を作成すべきだ。
ロシアの声
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