激変する東アジア情勢 自力更生の経済再生と17年ぶりの朝中同盟の再構築
城南信用金庫の脱原発宣言が話題を呼んでいる。「原発に頼らない安心できる社会」の実現を訴えているからだ。住民としては当然の訴えだが、金融機関としては珍しい。
「私は、企業は人間と一緒だと思うんです。お金を稼ぐだけじゃなくて、理想もあるはずだし、魂もある。企業だって、正しいと思ったことは発言すべきです。そこで働く人たちの誇りに関わることなのです」(理事長の吉原毅さん)。
大銀行や大企業が追求している利益・海外重視のグローバリズムではない、この脱原発型の地域発展をめざすローカリズムに、新しい時代の息吹を感じるのは私たちだけだろうか。
脱原発が急速に進む欧州では、ドイツ、スイスに続いて最近イタリアが脱原発へと舵を切った。地震大国日本こそ、世界の先陣を切って脱原発を宣言すべきなのだが、求心力を失った民主党政権はその理念も力もなく、日本の脱原発は容易ではないだろう。しかし、決して不可能な話ではない。 実は、日本の企業の自家発電能力は合計で6000万kWもあり、日本の原発54基の総出力を上回っているという。しかも大震災と計画停電を体験した後では自家発電を導入しようとする企業が急増している。産業用大口需要の電力の3割、とりわけ電力消費の多い石油・石炭業で8割、紙パルプ業で7割が自家発電で賄われているという。自家発電であれば夏の需要ピークに備えての節電など関係がなく、原発などなくても十分に乗り切れる。家庭用太陽光発電設置も急増中で、国や自治体の補助金にも不足が心配されるほどだ。
集権型の電力独占体制から企業の自家発電や地域共同コジェネ(電熱併給システム)、それにエネファームなど家庭用も含めて、分散型のエネルギー源が一気に増大して、それが自然エネルギーによる電力などを水素の形で貯蔵する仕組みとも結合して行けば、最終的には、原発はもちろん、送電線も電柱も要らない、エネルギーを地産地消・自給自足する新しい水素ベースのエネルギー社会の実現が見えてくるという見方もある。
米国の覇権下で生きてきた戦後体制、その柱の一つが原発だった。その意味で脱原発はエネルギー政策の転換だけに止まらない。この脱原発のうねりを「新しい日本」への突破口にしたいと思う。
主張
大震災直後の「日本は一つ」という国を挙げての思いが復興の闘いに結集されていたら、状況はだいぶ違ったものになっていただろう。だが、現実はかなり厳しい。混沌とした震災復興の現状をどうとらえ、何をなすべきか、考えてみたい。
■首相のリーダーシップ
今、多くの人がリーダーシップについて語っている。遅々として進まない被災地、被災民の救済、経済の傷をさらに深める経済政策の停滞、そして、あきれた政局の混迷、これらすべてがリーダーシップの欠如と結びつけて考えられている。
その場合問題にされているのは、もちろん首相のリーダーシップだ。国家の首長として、震災復興の理念と目標、路線を提示し、その実現のため、国家と国民を総結集、総動員する役割、統率力こそが求められている。だが、今の日本には、復興のための統一した理念も路線もなく、それを推進する主体も条件も整っていない。党も官僚機構も動いておらず、非常時の要求に合う法秩序の見直しもなされていない。
こうした一連の深刻な事態は、今、もっぱら菅首相の個人的な資質の問題に帰されている。「自分一人で問題を解決しようとする」、「己の面目を先立て、国家、国民のため、身を捨てて服務するということがない」、等々、百出だ。
菅首相の個人的資質が首相という地位と役割に不適合なのは事実かもしれない。しかし、首相のリーダーシップの欠如をそこに帰着させてしまうのはどうだろうか。
国民の利益、要求を第一とし、それを国民自身の力で実現するよう導くところにこそ、首相のリーダーシップの基本があると思う。
そこから見たとき、戦後一貫して米国第一だった日本において、首相のリーダーシップは時代を通した問題だったのではないか。特に近年、個人優先の米国発新自由主義が全面的に導入されるに及び、それは一層深刻な問題になったと思う。震災と原発事故という未曾有の国難に直面し露呈した首相のリーダーシップ問題は、米国のための古い日本、新自由主義日本のもっとも深刻な産物として最大の禍根の一つになっていると思う。
■「復興と未来のための日米パートナーシップ」
「消費税増税」や「原発再稼働」などが菅首相の口から発せられる度に、ソーシャルネットの世界では「これも米政府から言われたのですか」といった皮肉が行き交っている。首相のリーダーシップの欠如は、即ち、米国言いなりだと誰もが分かっているのだ。事実、今、菅政権の下、震災復興への米国の関与と介入が進んでいる。
もともと米国は「日本改造計画」の立て直しを急いでいた。08年9月、あのリーマンショックで新自由主義の矛盾が露呈して以来、米国による日本への新自由主義改革要求、「年次改革要望書」は途絶えていた。それが今年2月、「日米経済調和対話」として復活された。関岡英之さんによれば、これとTPP、そして「規制・制度改革」の三位一体で「日本改造」だということだった。
そこに起きたのが3・11大震災だ。突然の状況変化に対し米国の対応は早かった。被災1ヶ月後の4月11日、「復興と未来のための日米パートナーシップ」(震災復興に関する特別調査委員会)の立ち上げが米国のシンクタンク戦略国際問題研究所から発表された。アーミテージやキャンベルなど官民関係者が超党派でそこに網羅された。それからわずか6日後、ヒラリー・クリントンが休暇中だった全米商工会議所会頭を呼び寄せ東京に乗り込んできた。菅首相、米倉経団連会長との4者会談をもつためだった。さらにこの「パートナーシップ」、米国側代表団の来日と11月、APEC首脳会談までに提出予定の日米両政府への「提言書」の作成が決まっている。
救済援助「トモダチ作戦」への米兵2万の動員など、米国が第二の敗戦と言われる今回の大震災の復興に並々ならぬ関心を寄せているのは明らかだ。それは、66年前、米国主導で行われた戦後復興の再現であり、これまで推し進めてきた新自由主義改革の新しい段階、その結束だ。01年、小泉・ブッシュ会談の合意により立ち上げられた「成長のための日米パートナーシップ」が年次改革要望書の根拠にされたことから見ても、「復興と未来のための日米パートナーシップ」がその焼き直しだということは明らかだ。
■復興をめぐる日本国民と米国の対立
震災の復興は、新しい日本の創造でなければならない。それは、それこそが国民の要求だからだ。
国民は、今回の大震災がなぜこれほど甚大なものになったのか、その主な要因を「古い日本」に求めているのではないか。原発事故はもちろん、大地震、大津波による災害全般が天災と言うより多分に人災であり、安全性でなく経済性重視など、これまでの日本のあり方によっていたからだ。これまでの日本、古い日本は、一言でいって、国民のための日本ではなかった。国民の利益、要求を第一に考えていたなら、あんなに危険な原発を地震大国日本にこんなに多くつくらなかっただろうし、このように災害に弱い国と社会、地方・地域に日本をしてしまわなかっただろう。
だから、大震災からの復興は、国民をないがしろにした古い日本から国民のための新しい日本への転換でなければならない。この日本国民の復興に対する切実な要求を考えたとき、それが復興への関与を求めている米国の要求と合わないのは明確だ。なぜなら、これまで国民をないがしろにしてきた古い日本が、即ち、米国の言いなりになってきたこれまでの日本だったからに他ならない。
事実、この日本国民と米国の利害と要求の対立は、復興のための具体的政策をめぐり表面化してきている。何よりも、原発をめぐっての対立だ。原発の安全性を高めてそれを保持しようという米国に対し、原発に安全性などそもそもないというのが国民だ。脱原発の国民的気運の高まりは、国のエネルギー政策全般のあり方まで含め、その対立を一層鮮明にしていくだろう。
また、消費税増税をめぐる対立も大きい。復興の財源として菅首相は、この時とばかりにまたも消費税増税を持ち出してきている。IMFが財政再建のため消費税15%引き上げを日本に提起してきているのも、米格付け会社が復興債発行に反対し日本国債格下げの脅しをかけてきているのも、すべて米国による菅首相への後押しだ。これに対し財政再建のため増税もやむなしと考えていた国民も、それが日本経済をさらに縮小し復興を遅らすとあっては話は別だ。
一方、今、誰のための復興かが問題にされている。復興構想会議で一次提言された「復興特区構想」で農業、漁業、医療福祉への株式会社の参入が唱えられていることだ。米国企業の復興特需参入への道を開くこの「構想」が、漁業協同組合など当事者、現場企業、現場産業優先の立場から、激しい反対に遭っているのはもっともなことだ。
■新しい日本の創造をめぐって
復興をめぐる日本国民と米国の対立は、新しい日本の創造をめぐってのものになる。それは、米国による震災復興計画が新しい日本創造のための改革改造計画に他ならないからだ。
この闘いで何よりもまず問われるべきは、どちらが真に新しい日本創造のためなのかだ。日本国民の要求か、米国の要求か。答えは言うまでもないだろう。国民の要求にこそ新しいものがある。歴史は国民の要求を実現することを通して発展してきたからだ。事実、原発問題一つとっても、脱原発が新しいのは明らかだ。
復興を新しい日本の創造として推し進めていくための主戦場は、地方・地域にあり、脱原発の闘いなど復興政策をめぐる大衆的な闘いにある。
今日、残念ながら、民主党政権および中央政界に国民のための新しい日本を託すことはできない。彼らには米国の要求に抗し国民の要求を貫く意思も力もない。今、復興の最前線に立っているのは、地域コミュニティであり、それを支える地方・地域の自治体や地域政党、中小企業、大学、メディアなどだ。この地域主体の力で復興計画をつくり、米国や大企業の要求を反映した「復興特区構想」など諸政策に抗して、復興を推し進めていくこと、そこからこそ新しい日本が生まれてくるだろう。
もう一つは、脱原発、消費税増税反対など、全国民的な大衆闘争、そしてそれを背景とするエネルギー政策の転換や「東北ニューディール」など復興内需拡大を目的とする建設国債の大量発行と大企業など金のある者がそれを引き受ける国民運動を引き起こしていくことだろう。
こうした復興運動が日本の新しい政治の創出につながっていく。
研究(1)
今、日本で焦眉の課題は、言うまでもなく復興だ。被災地、被災民のため、新しい日本の創造のため、原発事故をはじめ震災からの復興が切実に求められている。
その真っ只中で、声高に言われているのが「消費税増税」だ。復興のため経済を活性化しなければならないのに、今なぜ、経済を縮小させる消費税増税なのか。
その理由として挙げられているのが復興財源だ。30兆円とも40兆円とも言われる膨大な復興経費を賄うための消費税増税だということだ。
だが、復興財源としてなら、復興基金や復興国債など、より積極的な方法があるではないか。震災復興という全国民的な課題がある今なら、復興基金も集まるだろうし、大幅な復興国債の発行も許されるだろう。
それに対して、消費税増税派の人たちが持ち出してくるのが財政再建だ。今、日本の財政の累積赤字は800兆円を超えている。GDPの1・5倍以上、世界最悪だ。こんな時に、いくら復興のためとはいえ、大量国債発行などとんでもない。それこそ今なら、国民も増税を受け入れてくれる。
こうした消費税増税論に対して言わねばならないのは、今問われているのは財政再建なのか復興なのかということだ。もちろん、財政再建は重要だろう。しかし、今求められているのは復興だ。財政再建が復興の妨げになるのなら、当面、それを犠牲にしてでも復興に力を注ぎ復興を軌道に乗せ、財政再建はその後にすべきだ。
復興が求められているとき、財政は積極策が採られねばならない。30兆から40兆の大量国債の発行で財源をつくり、震災に強い新しい都市建設や海岸、河川、道路、鉄道、港湾、空港、情報通信網などインフラの整備、強化、拡大、等々、大々的な新しい日本づくりを推し進め、その復興特需で被災民の就職問題を解決し、地産地消の地域循環経済を回転させ、日本経済全体を活性化するということだ。この新しい日本経済の発展は税収の大幅な増加と財政収支の改善をもたらすだろう。逆に、増税による経済縮小は、税収減を招き、財政収支の悪化さえもたらしかねない。
消費税増税への反論はこれだけではない。たとえ増税するにしても、なぜ消費税なのか。所得税、法人税でないのはなぜか。理由はこうだ。所得税増税の場合、10%で約1兆円だ。法人税は、10%で数千億。ところが消費税は、1%で2・5兆円だ。それに法人税を増税すれば、企業が海外へ逃げてしまう。低所得者は逃げようにも逃げられない。だから、低所得層からも「平等」に取る消費税だということだ。ひどいものだ。
この消費税増税に菅政権はこだわっている。政権誕生の最初からこれを持ち出し参院選惨敗の要因になったし、今回の震災では「好機到来」とばかりにまたぞろこれを持ち出してきた。
なぜそうするのか。よく言われるのは「財務省言いなり」だ。が、事実はそうでないのではないか。背後には何よりも米国がいる。米国主導のIMFが財政再建を理由に15%の消費税増税を日本に提言してきたこと、米国の格付け会社が震災での大幅国債発行に反対し、発行したら、日本国債のランクを下げると脅してきたこと、等々はその証左だと思う。
問題は、ではなぜ米国が消費税増税を日本に押し付けてくるのかだ。この小論の本題もまさにここにある。それは、一言でいって、日本経済をさらに一層金融化し、米国による世界金融支配の再構築により深く組み込み、それを支えさせるところにあるのではなかろうか。
消費税増税は、単に日本経済を縮小するだけではない。低所得層の負担が相対的に重くなる「逆進性」により、膨大な貧困層の形成と購買力の低下、富裕層への金の集中とカネ余り現象、それにともなう経済の金融化、投機化がさらに一層促進される。それが米国経済のさらなる金融化と一体になりそれに組み込まれて、米国による世界金融支配の再構築を支えるようになる。そこにこそ米国の本当の狙いがあり、それはリーマン・ショックをもはるかに超す金融恐慌、大恐慌につながっていく。 消費税増税は、経済を縮小して復興を遅らせるだけでない。日本を米国言いなりの米国のための古い日本に縛り付け、新しい日本の創造を破綻させるものになると言えるだろう。
研究(2)
地域主体、今これが重要な震災復興の基本理念になっている。復興の主体は、地域コミュニティーだ。
大震災後、復旧・復興はおおむね地域コミュニティーを通してやられてきた。避難所での生活の組織、米や薬など物資の調達、仕事の分担、仮設住宅建設の督促、等々、コミュニティーは被災民のかけがえのない拠り所だったし、今もそうなっている。
岩手県陸前高田市の小漁村、長洞(ながほら)地区では、約60戸のうち28戸が津波で流された。無事だった各家に分散し、避難生活が続けられた。
市では少ない公有地を探しての仮設住宅建設が進んだ。だが、長洞からは近い所で数キロもある。入居者は抽選で決まり、まとまって入れる保証はない。問題は、地域の絆が壊されることだ。
そこで地区が地主にかけあい、畑や空き地だった約4千平方メートルの無償貸与を取り付けた。市は最初渋ったが、26戸の仮設建設が決まった。集落内の民有地を仮設に提供するこうした動きは、他自治体でも出てきている。
長洞では公民館も流された。仮設1戸分を集会室にできないか。地区総会を開く広場やウッドデッキもほしい。そんな話が盛り上がる。
仮設住宅での生活は長引くだろう。生業の再建までいくつもの山がある。踏ん張るか、離れるか、コミュニティーはそういうことを話し合う場でもある。
皆が顔を合わせやすい場所に、自宅や市外で暮らす人も立ち寄れる「仮設のコミュニティー」。介護拠点も置き、店や工場を流された人が仮店舗や作業場を開くこともできる。
阪神大震災では、これができなかった。避難所から仮設、復興住宅へ、あるいは県外へと移るたびにコミュニティーは分解され傷ついた。近代都市神戸は復興したが、人々の絆、つながりは壊された。続出した老人の孤独死はその痛ましい象徴だったと言える。
被災地の復興とは何か。住まいやインフラ、仕事の再建にもまして、人々の絆やつながりの強化がなくてはならない。
地域主体の理念の実現は容易でない。阪神大震災の時にも地域主体は言われた。だが、かけ声だけだった。
なぜそうなったのか。決定的なのは、国と地方自治体が地域コミュニティーを復興の主体に押し立てなかったことだ。言い換えれば、地域コミュニティーに主体としての裁量権が与えられなかったと言うことだ。
地域コミュニティーが復興の主体としての役割を果たすためには、被災者自身が主体となって自分たちの町や村の将来の姿を議論し決定することができなければならず、決めた復興計画を実行するため、国と自治体の予算を使えなければならない。
福島県飯舘村村長の菅野典雄氏は、この裁量権について言いながら、「国は、メディアや学者などから怒られるかもしれない。それでも、地元が言っているのだから、とりあえず1年、2年はやらしてみるか、という懐の広さ、深さを持ってほしいと思っています」と言っている。
地域コミュニティーが復興の主体としての裁量権を持つことは、今日、復興をめぐり日本国民と米国の闘いが熾烈に展開されている中で特に重要だ。復興に対する日本国民の切実な要求は、何よりも、震災復興の現場で実現されねばならず、そこでの生きた経験と教訓に基づいて、国民による国民のための新しい日本創造の路線と政策が打ち立てられていかねばならない。米国による米国のための日本改革改造路線が策定されてきている今日、日本国民と米国の復興路線をめぐる闘いで、地域コミュニティー主体の闘いが持つ意味は計り知れなく大きい。
地域コミュニティーが復興の主体としての役割を果たすためには、裁量権とともに復興の構想力を持たねばならない。そのために、地方の自治体、大学、企業、研究所、メディアなどが共同で東北地方の復興プロジェクト、等々を構想したり、地域コミュニティー相互間のネットワークをつくり協働で復興計画を研究するなどの活動が重要になるだろう。地域主体の復興から国民のための新しい日本の創造へ!
激変する東アジア情勢
前回まで、最近の朝鮮経済について論述してきたが、ソ連崩壊後の20年間を振り返る中で、朝鮮の政治と経済の面から再検証してみる必要がある。92年ソ連東欧崩壊後、それまでバーター貿易で確保されていた原油や天然ガスなどのエネルギーが、シベリア鉄道がストップしたことにより大変な苦境に陥り、また機械類のメンテナンスにも支障をきたし経済は大きく落ち込んでいったのである。
そして、この時期、中国も89年天安門事件の後遺症で海外からの投資も滞っていた。そうした中で、92年ケ小平氏が南巡講話を発表し、再度の大胆な改革開放を唱えたのである。そして中国は、いままでの「血の友誼」といわれた朝鮮との同盟関係を見直し、中韓国交正常化に踏み切ったのである。これに朝鮮労働党は激しく反発し、その後2000年まで8年間朝鮮と中国の首脳会談が開かれないほど両国の関係は悪化したのであった。
そうした中で、アメリカは、ソ連崩壊の後、唯一の超大国として湾岸戦争を仕掛け、イラクに侵攻したのである。日本も150億ドル以上の拠出をさせられ、軍費に協力したのである。結果は、アメリカもイラクを攻めきれず、停戦協定の締結に終わったのである。そしてその後就任したばかりのクリントン大統領は、朝鮮戦争以来の宿敵である朝鮮が、経済的に苦境に陥っているのを見て、圧力を加えようとした。これが93年の核危機であった。まさに、全面戦争の直前まで事態は深刻化したが、93年5月末朝鮮側が2発の長距離弾道ミサイル実験を敢行し、その弾頭はハワイ沖、グァム沖の米軍基地周辺に到達したと、数年後のマスコミで報道された。
こうした一連の朝鮮側の対米圧力で、アメリカは急におとなしくなり、94年カーター元大統領の訪朝、金日成主席との会談で双方が 最終的なジュネーブ「核合意」に至ったのである。しかし、カーター会談直後、金日成主席が逝去し、また95、96年連続して大水害に見舞われたことで、アメリカは再度朝鮮を瓦解させようと、96年以降、再度の圧力行使に出たのであった。そして、緊張が極度に達したのが98年のいわゆるテポドン(第一回人工衛星発射実験)であった。その後、懲りないアメリカは再度、朝鮮側の核とミサイルの威しに屈し、3億ドルを支払って金倉里(クムチャンリ)地下施設を「査察」したのである。結果、アメリカが望むものは何も発見されなかったのである。アメリカは94年「核合意」で明文化した毎年50万トンの原油供給と、2基の原子力発電所を2003年までに完成させ、朝鮮側に引き渡すという合意を一方的に反故にし、約束不履行にしたのである。この経緯をしっかり確認しておかなければ、今日の朝鮮とアメリカの交渉や6ヵ国協議の行方を見誤ることになる。
こうした中で、94年金日成主席逝去の後、金正日総書記は3年間喪に服し、97年より公の場面に出て、先軍政治の断行を宣布したのである。旧ソ連も崩壊し、中国は一方的に「血の友誼」を踏みにじり、両国には全く頼れない中で、国の防衛を第一義におき、そしてエネルギー分野と農業分野にその再生の重点を置き、各所に中小水力発電所所を建設し、経済再生の口火を切ったのである。2000年までに初期的な再生を果たし、そしてこの時期から南北問題、対中関係の改善にも乗り出してゆくのであった。
この年から10年かけて全土の光ファイバー網も完成させ、科学技術や人材育成にも積極的に取り組みはじめたのである。そして2002年から経済調整の措置をとり、日用品や食料品の需要増に応えるため、平壌はじめ全国に数十ヵ所の大型スーパーともいえる市場を開設し、農民も自分の自留置で作った作物もこの市場で販売できるようになったのである。
こうした改革措置の実行をみて、西側経済学者は朝鮮でも中国流の改革開放の動きと分析したのである。(しかし、実際は数年間の一時的措置であった。)
私自身も2004年訪朝の際、この市場をみる機会があり、日本人として初めて写真ばかりではく、映像を撮ることを許可された。その時の市場は「統一通り市場」という名称で1mから2mの間口でそれこそ夜店の屋台、あるいは大阪などにある公設市場のようであり、魚や野菜などの生鮮食品から酒、ビールなどの飲料、そして洋服などの繊維製品、テレビやビデオ、自転車などのあらゆる商品が並んでいた。特に日用品の8割ぐらいは中国製品であった。先述した李幸浩経済研究所長の話によると、「まだ、日用品や加工食品など自国では自力生産できないものは当面中国に頼るが、いずれ我が国で生産できる体制をつくる。」「現在は、経済の先行部門である電力、石炭、金属生産、輸送部門の正常化に全力をあげている。」とのことであった。この「統一通り市場」には1日少ないときで5万人、土日などには10万人の客が買い物に来ていたのである。こうした経済措置のかたわら、南北関係の改善によって2006年から本格的に開城工業団地の生産がはじまり、初年度朝鮮側の労働者は6000人であったが、南北関係悪化の中でも、今年春には46000人の労働者、韓国企業120社が生産活動を行っている。
そして2006年の核実験とミサイル実験の成功により、国の防衛に目途をつけ、朝鮮労働党と政府は2007年より経済の正常化を最優先にし、また人民生活向上を第一に掲げ、それまでの国防第一の予算人員配置を大胆に転換し、大規模な工場再開やチェチェ鉄のような新しい発明による新技術方面へ大胆に投資しているのである。これについては、前回に既にふれているので、ここでは省略する。
また、ここ直近の朝鮮中国の政治的経済的つながりが一層強くなってきていることに触れると、羅先経済貿易地帯と、黄金坪経済地帯の開発プロジェクトがそれである。先月6月8、9日の両日、朝中両国によって開所式が行われたが、羅先は、中国、ロシア、モンゴルにとっても東の海を玄関にして、貿易を一層拡大できるし、各国にとって大きなメリットのあることであり、中国だけでもこの羅先へ35億ドルの投資を計画し、ロシア、モンゴルなどの自国の資源輸送に欠かせない地域として投資を計画している。またEUやスイスもここに注目しているのだ。
また黄金坪も中国丹東と地続きの地域であるが、ここへの投資の損失保証を中国政府が80%までやるという仕組みがつくられ、香港の新恒基集団などはアジアEUなどを巻き込んで100億ドル規模の投資を計画していると報道されている。朝鮮側としてもIT系の新産業、ソフト産業の拠点をここに築こうとしているのである。こうして見てくると、アメリカが朝鮮の核実験以来「戦略的忍耐」と称して、新たな方針を見出し得ず、従来型の制裁だけを維持してきたが、こうした方針はすでに全く破綻したといってよいだろう。最近のオバマ政権の動きを見ると、朝鮮経済代表団を3月に受け入れ、先月にはテコンドー代表団に米国民との交流を許可し、朝鮮中央通信社のアメリカへの代表団を受け入れ、AP通信との包括的連携を許可してきている。
そして、EUが最近朝鮮への食糧支援1000万ユーロ(11、5億円)を決め、ブラジルも食糧支援する。そしてそれに続いてアメリカが約2億ドル(160億円)の食糧支援を早ければ、8月からでも実行しようとしている。
また、ロシアも5月のフラトコフ元首相の訪朝に続いて7月初旬ガスプロムの副社長を団長とする訪朝団を送り込み、今後の石油天然ガスの朝鮮、韓国そして最終日本への供給を見据え、交渉に入っているようである。
特に数年前の6ヵ国協議は、いわゆる北の核を制限するための会議であったが、実際には機能せず、破綻したのも同然である。そして現在、我々の目前で展開しているのは、1950年以来の朝鮮戦争の終結と新たな東アジアの平和体制構築に向けた動きである。もちろんメインプレーヤーは朝鮮民主主義人民共和国であるが、それにアメリカ、中国が当事者となり、(この三ヵ国が朝鮮戦争停戦協定の当事者である)そうした話し合いと駆け引きを続けている。
いずれにしても朝鮮は来年金日成主席生誕百周ず年を迎え、この2012年を強盛大国への大門を開く年と位置付けている。アメリカ、中国、そしてロシア、韓国の指導者が交替したり、選挙を控えている。この一年間の東アジア情勢は今後の数十年を占うような大きな枠組変化があるとみて間違いないだろう。
さて、最後に、この論考をまとめると、朝鮮経済については、90年代の「苦難の行軍」の時期を乗り越え、2000年代には様々な経済調整を経ながら2012年強盛大国への大門を開くところまでこぎ着けたのである。そして、若い人材の教育と科学技術の応用にも道筋をつけた。また、外国との関係改善にも成功し、自国の膨大な地下資源もこれから自らの武器として朝鮮経済は大きく発展する土台をつくったといえる。
2020年までには外国の投資は約1000億ドルを想定し、自国の生活水準を先進国を上回るところまでもっていく計画を立案している。国際経済が不安定な中、一直線にそれが実現できるとは考えづらいところもあるが、他国依存型ではなく、自国の人材と資源に頼る限り、大きく発展が保証されることは間違いないと推察されるのである。
ここまで、東アジア情勢と朝鮮経済というテーマで、論を進めてきたが、振り返って日本の現状にも触れておきたい。
日本も90年バブル崩壊以来、1992年のGDP470兆円、そして2010年のGDPが475兆円である。また今年は大震災の影響で450兆円台に減りそうである。この20年間、日本は1000兆円にものぼる国債を発行し、借金し、経済の悪化を防ごうとしてきたが、毎年平均50兆円の借金投資にも拘わらず、20年間ゼロ成長であり、いまだ1992年の水準を超えていないのである。日本も1985年までのジャパン・アズ・ナンバーワンの黄金時代から、苦しみの20年間を味わってきたのである。アメリカへの従属の中で、金融的にも、軍事的にも搾り取られ、国民は毎年貧乏になってきている。勤労者所得も10年前の300兆円が、現在は250兆円に減少している。今年はもっと減るであろう。
2009年民主党による政権交代は実現したが、そのとき、約束されたマニフェストはほとんど破棄され、自民党時代となんら変わらない官僚独裁であり一政治家は単なるお飾りとしての役割しか果たせていない。 特に、日朝問題を考えるとき、この2年間全く動かず、東アジアが毎日のように動いているとき、殻にこもり自民党時代の対北制裁をそのまま維持しているだけである。朝鮮高校の無償化でさえ、宙ぶらりんになり実現していない。特に大震災と原発事故以来、菅政権は機能不全に陥っている。こういう情勢に対応した新しい政治再編が望まれるが、機能不全に陥った日本政治を再生させることは並大抵ではないであろう。しかし、こうした努力をやり遂げなければ、日本の東アジアにおける存在感がなくなるであろう。いつまでも、外交も軍事も経済も他国まかせの国のあり方を自主、自立の方向に変えていかなければ、日本の未来は無いことを悟らなければならない。今一度 明治維新以来の日本の「脱亜入欧」(福沢諭吉)の歴史を再度総括し、「脱米入亜」の道への転換を真剣に考えるときではないだろうか。
■南米諸国連合の集団的防衛力構築の動き
南米諸国連合の地域防衛一体化が進んでいる。5月中旬にペルーのリマで行われた第三回南米防衛理事会が地域内部の信頼促進を呼びかけた直後、「防衛戦略研究センター」の設立が宣布された。センターは、常設本部と事務機構をもった実効的なものであり、その理事会成員は12カ国の国防相、副相で構成されている。防衛一体化は地域一体化の大きな突破口になるだろう。
07年に創立された連合の実効的な前進は緩慢で09年になってようやく初代総書記が選出された程度だった。最近では、南米の地域安全への挑戦が日々大きくなっており、コロンビアが米国との軍事協力を強化しエクアドルに侵入し反政府武装力を攻撃して両国が外交関係を断絶するなどの事件も起きていた。
ブラジルの国防相はセンター設立会議後の記者会見で、地域の防衛政策の核心的目標は地域の主権を守り外部勢力が地域の利益を侵害することを抑制することだと述べ、相互主権尊重に基づく積極的な相互防衛協力を行えば外部勢力の挑戦を効果的に抑制できるだろうと語った。
(UPI)
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