研究誌 「アジア新時代と日本」

第94号 2011/4/5



■ ■ 目 次 ■ ■

このたびの東日本大地震により、被災された皆さまに、心からのお見舞いを申し上げます。

主張 大国難、「120%復興」を願って

研究 「中東革命」を考える

(資料) 「想定外」ではなかった東日本大震災、無視された「警告」

世界短信




 

このたびの東日本大地震により、被災された皆さまに、心からのお見舞いを申し上げます。

金子恵美子


 あれから、3週間あまりの時が過ぎた。地震の残した爪あとは余りに大きい。被災民は数十万を数え、死者・行方不明者は現在分かっているだけで2万8千名を超える。一瞬にしての家族や家、故郷の町や村、生業など物質的・精神的な全ての喪失。追い討ちをかる原発事故。被災地の皆さんの心痛や悲しみ、苦しみ、明日への不安はいかばかりであろうか。
 しかし、このような中、熱い感動と一筋の希望がこの日本に生まれている。日本中の人たちがこの未曾有の大災厄を自らの事と受け止めて、「がんばれ、日本!」を合言葉に、自分にできることを探し行動に移している。義援金は阪神淡路大震災をはるかに超える速さで集まっているという。そしてネットを使いさまざまな呼びかけが行われ、金、物、人が瞬く間に集まる、一つの呼びかけがあっという間に広まり大きな力となっている。
 ネットだけではない。節電ポスターを作り町に貼ろうという大学生の呼びかけに1000枚がすぐに集まり、これを配る過程で連帯が生まれ、町が良い形で進化しているという報告。買いだめした主婦が子供と共に「反省して、必要なものを除いて支援物資にもってきた」とインタビューに素直に答え、床暖房やエアコンを切って節電しているという小さな子供は「上着を着れば全然平気」と答える。皆が、ことに親が変わることで子供たちが大切なことを学んでいる。
 有名人も普通の市民も政治家も今誰もが「チーム・ジャパン」の一人になっている。あの日を境に日本は変わった。眠っていた善意や失いかけていた日本人としての連帯感が再生し始めているかのようだ。
 タイガーマスク運動で明けた今年、測り知れない痛みと喪失の上に、人が人を思いやるという小さな花が、地域が地域を助け、皆でこの国難を乗り越えようという国民的な花として開こうとしている。
 長い復興の道のりとなるであろう。しかし、この道のりは日本を3・11以前よりもっと素晴らしい日本に創る闘いになるという希望が見える。そのために政治の果たす役割が極めて大きいと思う。



主張

大国難、「120%復興」を願って

編集部


 第二次大戦以来と言われる大国難の中、果てしない遺体の収容と数十万被災民の救済が急がれており、収束の目途さえつかないまま、被曝覚悟の決死的作業が続いている。
 家族を失い、生業を奪われ、慣れ親しんだ故郷まで追われて、見知らぬ地で飢えと寒さ、罹患の脅威にさらされている被災民の方々の悔しさと苦しみ、不安と悲しみはいかばかりであろうか。
 それに加えて、今、被災者の皆さんの心を暗くしているのは将来のことだと思う。「これからどうするのか」。地震、津波、原発の三重苦の中からどう立ち上がれというのか。
 この何からどう手を着けてよいかも分からない漆黒の暗闇の中、手探りで復興への手がかり、足がかりがないか探ってみた。

■「東北は必ず復興する。いや、させる」
 跡形もなくなった自分の家、その跡地に積み重なる瓦礫を前に61歳の男性が一人つぶやくでもなく言っていた。「復興する。必ず復興させる」。
 1万人を超える死者。行方不明は1万8千を数える。16?25兆円と言われる被害総額。あの阪神淡路大震災をもはるかに凌ぐこの未曾有の大惨劇を前に、「復興」と言っても、そこに何らかの目途があるわけではない。
 具体的な当てもなく絞り出される「復興」という言葉には、被災者の方々の「悔しさ」がにじみ出ている。先祖代々営々と築き上げてきた町や村、工場や企業所、それらが一瞬にして廃墟となった悔しさは、このまま終わってたまるかとの思いにつながっている。
 この被災者たちの気持ちは、東北の地をあとに東京などに出た青年たちにも通じている。ある青年はネット上に自らの痛切な思いをぶつけていた。
 「東北を離れた自分には何もできなくてもどかしいなって思っていました。すみません。今からやれることをすぐやります。私の力なんてすごく小さなものかもしれないけれど、悲しんでいるだけはもうやめます。・・・いま福島に、東北に生まれ育ったことを誇りに思います。東北は必ず復興します。いや、させます」。
 この被災地の人々、その息子、娘たちの思いにこそ、復興へのもっとも確かな保証が秘められているのではないだろうか。
 事実、被災後設けられた2000に及ぶ避難所の多くで自治組織、コミュニティが創られ、生きるための、そして復興を目指しての組織的な活動が始められた。もちろん、地方、地域の高齢化はここでも例外ではなかった。避難所によっては8割が老人のところもある。
 しかし、復興は歳ではなく、意志と要求でするものだ。老人たちに復興への意志がある限り、歳は決定的な妨げとはならない。しかもここには、Uターンの若者たちまで含め、百人力の若い力が加わる。大震災は、被災地の老人と若者たちの心を一つに結びつけてくれた。この結束した力にこそ、被災者主体の復興への確固たる根拠があるのではないかと思う。

■「今、日本は一つになっています」
 復興への保証は、今、日本全国に広がっている。
 「一人じゃないです。みながついています」
 「今、日本は一つになっています。・・・そして僕は、何ができるか分からないけれど、とにかく何かをしなければならない。待っててください。必ず形にします」
 ネットに表明される無数の声が、国を挙げての支援の輪の広がりを雄弁に物語っている。
 今、遺体の捜索、被災者の救済などで主役は、自衛隊、消防隊など国家的な救援の力であり、諸企業、諸団体などボランティアで汗を流す救援組織だ。この国家と国民、一体となっての国を挙げての支援とその献身的で誠実、有能な働きは、世界の驚嘆を引き起こしている。
 自治体相互間の相手を決めての支援もめざましい。関西広域連合の東北各県に対する分担支援、県相互、市相互の間の分担支援、コミュニティを単位とする集団移動をはじめ衣食住にわたるこうした分担支援の果たす役割は大きい。  そればかりでない。全国民的な節電、節約、募金の運動まで含め、「今、日本は一つになっている」という実感が輪になって全国に広がっている。
 この一体感、助け合いの心がどれだけ被災地の人たちを励まし勇気づけて、復興への力強い保証となっているかは改めて言う必要もないだろう。

■「120%復興」への予兆
 これまでも震災の復興は容易ではなかった。阪神淡路大震災などは、16年経った今も「七割復興」「八割復興」と言われている。被災民の住宅復興、個人補償などが滞っている。
 まして今回は未曾有の大震災だ。東北、関東の太平洋岸全域に広がる被害の全容はいまだつかめていない。原発事故にいたっては予断を許さない事態の重大さが日毎、世界的範囲で深刻の度を加えてきている。
 このかつてない大国難にあっても、展望が全くないわけではない。光はある。それは、復興の主体である被災者自身の意志であり、日本が一つになっての支援の思いだ。だが、光はそれだけではない。もう一つ、復興を後押しする時代の大きな流れがある。これまでの震災時にはなかったこの時代の流れが持つ力を忘れてはならない。
 大転換の時代、それは何よりも、民意が政治を動かす大きな力だ。今日、政治を動かす民意の力はかつてとは比較にならない。民意が政権交代を実現し、あの普天間問題など、民意第一を貫けず腰が砕けた民主党政権に対する審判も民意が下している。大震災からの復興を求める日本が一つになった民意が政治を動かすとき、それがどれだけ大きな力になるか改めて言うまでもないと思う。
 もう一つは地域主権への動きだ。それは、「地域のことは地域で」を掲げる地域政党の台頭によく現れている。この度の大震災の復興は、地方、地域の復興、コミュニティの復興を通しての国の復興だ。地域主権への気運の高まりが、地域政党が中央政界を動かすことなどを通じて、コミュニティ主体、地方、地域主体の復興運動を力強く促進するようになる。これが決定的に重要だ。
 一方、経済の内需主導への動きも見逃せない。米国一極支配の崩壊とともに、対米輸出に依存した外需主導の時代は終わった。内需主導で国民経済の構築を図るところに日本経済の新しい発展の道がある。この経済路線の実現と大震災からの経済復興とは完全に合致している。破壊された道路、鉄路、港湾、空港、電気、上下水道、ガス、情報通信、そして海岸河川の防災施設などインフラの大々的な復興建設と農林漁業や加工業、流通業など各コミュニティに基盤を置く地域循環経済の復興開発が内需主導の国民経済の均衡的発展に果たす役割は計り知れなく大きい。日本の実情に合った、経済のあり方まで変える新しい「ニューディール」を今こそやる時なのではないだろうか。
 社会経済の動きでさらに重要なのは、競争から協力への転換の動きだ。今日、弱肉強食の競争の時代、新自由主義の時代は終焉を迎えている。社会的につながりや絆を求め、協力、協調を重視する風潮が強まる中、経済活動や会社の経営まで競争よりも協力を大切にする傾向が生まれてきている。この時代の流れが、現在進行している全国民的な支援を後押ししているのは明らかだろう。
 もう一つ、原発事故を通しての安全重視の思想が効率ばかりを重視してきた経済のあり方からの転換を促し、それが安全な国づくりを目指す復興への力になるのも忘れてはならないだろう。
 今日、大きな転換の時代、その転換への動きが大震災からの復興を促し、復興が時代の転換を促進する。この未曾有の大国難からの復興と時代の大きな転換が互いに共鳴し増幅し合って、日本の政治や経済、そして社会のあり方を変え、国のあり方そのものを変えていく、その予兆はすでに随所に見られてきている。それは、復興の主体である被災者たちの願いやそれと心を一つにする全国民の思いと一体になり、「七割復興」ならぬ「120%復興」を実現する力になるに違いない。
 今、「ピンチをチャンスへ」とばかりに「単なる再建でなく再生」が説かれ、「理想都市」の実現などが言われている。それは、あの阪神淡路大震災で、「創造的復興」の名の下、埋め立て地の拡大などがやられ、その結果、被災地、被災民のための復興はいまだ7割という現実と重なって見える。
 息をのむような大国難を前にして、皆が復興に向けてもがき苦しんでいる時に、「120%復興」への予兆というのは、多分に個人的な思い、主観的な予見だろうと思うが、一日も早い復興を願いながら述べさせていただいた。



研究

「中東革命」を考える

小西隆裕


 今、「中東革命」は現在進行形だ。チュニジア、エジプトでの政権崩壊に続いて、リビアは内戦状態に陥り、バーレーン、イエメン、シリア、そしてサウディ・アラビアへと反政府行動は拡大している。この中東全域に広がる、政権崩壊、内戦、そしてその元になる広範な反政府大衆デモがどのような結末に至るのかいまだ予断を許さない。
 だが、今の時点でも、事態の本質を正しくとらえ、それを日本の政治に生かしていくことが求められているのではないだろうか。

■反政府デモの中東全域への急速な拡大
 去る1月14日、チュニジア大統領ベンアリの国外脱出が報じられた。昨年末から物価高騰や高い失業率に不満を訴えるデモが激化し、批判の矛先が23年に及ぶベンアリ長期政権に向けられる中、軍部もそれに同調するに至ったという。
 この「ジャスミン革命」から11日経った1月25日、エジプト、カイロで1万人規模の民衆蜂起が引き起こされた。以後18日間、ネットによる呼びかけで連日100万人規模のデモが繰り返された。そして、2月11日、全人口の4分の1に相当する2000万人の反政府デモが全国に呼びかけられるに至り、30年にわたるムバラク長期政権は倒壊した。そこには、チュニジアの時と同様、軍部のデモへの同調があった。
 リビア第2の都市、ベンガジでカダフィ政権反対のデモが起きたのは、それから4日後、2月15日のことだった。だが、事態の進展は前二者とは異なっていた。デモが首都ではなく地方から拡大していったこと、軍部のデモへの同調が部分的だったことだ。そのため、武装勢力がカダフィ支持派と反対派に分かれ、その勢力分布も二分される内戦状態に移行した。その要因としては、リビア国内の部族間対立の深さ、41年続いたカダフィ政権の傭兵まで含めた武力掌握の特殊性などがあるだろう。この内戦に、今、欧米の反カダフィ派への政治・軍事的な肩入れが加わっている。
 事態の進展はこれに止まらない。イエメンでは、サレハ大統領の即時辞任を要求するデモが首都で引き起こされ、軍幹部の相次ぐ離反、治安部隊の二分、サレハ氏の出身部族からの大統領辞任勧告というように事は進み、シリアでは、デモの激化による死者の増加が伝えられている。また、バーレーンやサウディでの反政府デモもいまだ収束の報はない。

■「中東革命」をどう見るか
 重要なのはこの「中東革命」をどう見るかだ。
 長期独裁政権に反対し、自由と民主主義を求めた「民主化」の闘いだと見る見方、ツイッターやフェイスブックなど「ソーシャルメディア」と総称されるネットサービスを媒介に引き起こされた「ネット革命」「ジャスミン革命」だととらえる見方、あるいは、一連の「革命」が対米従属政権、あるいはカダフィのように一度米国に屈服した政権に反対する闘いだというところから「反米革命」だと見る見方、また、一連の大衆デモを食糧価格の高騰や40%を超える18歳?35歳の失業率など生活難、一方一人肥え太る政権の腐敗に反対する「民衆革命」だとする見方、等々、様々な角度から各様の見方、とらえ方が出されている。
 これらが皆、今回の「中東革命」の要因を多かれ少なかれ反映しているのは確かだ。しかし、また、それぞれ一面的であるのも事実だと思う。
 そうした中、今回の事態の進展で注目すべきは、軍部が果たしている決定的役割だ。チュニジアやエジプトでベンアリとムバラクが政権を投げ出したのは、軍部の支えを失ったからであり、逆に、カダフィが簡単に政権を放棄せず、事を内戦に持ち込んでいるのは、軍部を全面的ではないにしろ掌握しているからに他ならない。
 徹底した対米従属政権であったチュニジアやエジプトで軍部がデモに同調し、ベンアリやムバラクを見離したとき、そこに米国の意思が働いていなかったとはとても考えられない。また、リビア内戦に対し、反カダフィ派への欧米の軍事援助が単純なリビア国民への人道主義的支援でないのは自明のことだ。
 さらに今回の「中東革命」で注目すべきは、「ソーシャルメディア」の果たしている役割の大きさだ。一連の事態発展につけられた「ソーシャルメディア革命」「ネット革命」「ジャスミン革命」などの名称はそこから来ている。事実、エジプトでは、フェイスブックなどこのソーシャルメディアを活用して民主化運動を拡大する若者主体のグループ「4月6日運動」が中心となり、フェイスブック上に「ハレド・サイード連帯」を立ち上げ、1月25日の民衆蜂起をこのグループの名で呼びかけた。
 ここで押さえるべきは、08年につくられたこの青年組織が、同年12月に米国務省、外交問題評議会(CFR)、グーグル、米メディア関係大企業などがソーシャルメディアを活用する若者らの市民運動体を世界各国から招待してつくった「国際青年運動連盟」に参加している事実だ。これは、「ソーシャルメディア革命」として進行する「中東革命」に米国の意思が働いていることを示唆しているのではないだろうか。それは、現在、軍の最高評議会の下に組織されたエジプト暫定政権にムスリム同胞団とともに「4月6日運動」が入れられている事実にも示されていると思う。
 オバマ政権の登場と時を同じくする米国の新しい動き、それは、青年たちによる「ソーシャルメディア革命」という新しい装いを凝らした「世界民主化運動」に他ならないのではないだろうか。

■米・民主化運動の限界
 米国による「世界民主化運動」は、この間、米国の言うことを聞かない政権をその国の市民運動を支援して転覆する「カラー革命」戦略で推し進められてきた。セルビア、グルジア、ウクライナなどの「革命」は皆これだった。それが今、情報産業時代の深まりとともに、「ソーシャルメディア革命」へと進展している。
 だが、この「中東革命」が米国の望む「民主化」をもって終結する保証はどこにもない。広範な国民大衆の要求は、反独裁、反専制の自由と民主主義にあると同時に、何よりも、食糧高騰、失業増など生活苦からの脱却にあり、また対米従属からの脱出にある。それは、かつて絶対的だったカダフィに対する全国民的敬愛がカダフィの米国に対する屈服と妥協を契機に揺らいだこと、今、欧米による軍事介入がなされたのを契機に、それまで中立だった青年たちが米国に対しては銃をとるようになっている事実が示しているのではないだろうか。
 ソーシャルメディアの発達によって広範に形成された高い民意は、民意による民意第一の政治を要求する。それは、米国による世界支配が軍事的にも経済的にも崩壊している今日、米国の言いなりになる米国第一の政治を徹底的に排撃する。対イスラエル問題やイラク、アフガン問題、対ドル問題など、軍事、経済、あらゆる米国第一の政治がますます民意に合わないものになるからだ。それは、「カラー革命」「オレンジ革命」によって実現したウクライナのユシチェンコ政権があえなく崩壊した事実からも分かることだ。
 民意を広範に形成し、民意の力で起こす民主化「革命」が高まる民意によって崩壊する、ここに米国による「世界民主化運動」、「ソーシャルメディア革命」の限界があるのではないだろうか。

■「中東革命」から何を学ぶか
 ソーシャルメディアが広範な民意の形成に絶大な力を発揮するのは事実だ。それは、「中東革命」の爆発が雄弁に物語っている。だから、フェイスブックやツイッター、ブログなどソーシャルメディアの活用ができるか否かが、民意を動かし、民意で日本の進路を切り開くことができるか否かを決定するとさえ言うことができる。
 だが、一般的な民意の形成だけでは問題は解決されない。議会制民主主義が機能している日本では、民意が、政権を担当しうる主体的政治勢力をつくり、議会で多数を占めて自らの政権を打ち立てるようにならなければならない。これは、ただ政権を追い詰めただけで、後は軍部に任せたエジプトなどの教訓が教えてくれているのではないだろうか。
 政権を担当しうる主体的政治勢力と言った場合、日本の進路を切り開く路線と政策を持ち、それを掲げて全国、全民を結束し闘いに奮い立たせることのできる組織的力を持った政党、およびそれに共鳴、協調する諸政党、諸団体の統一戦線を意味するだろう。エジプトやチュニジアにはこれがなかった。だが、それも民意の広範な形成を通してのみあり得る。なぜなら、民意の中にこそ正しい路線も政策もあり得るからだ。民意と主体の一体的形成、そこに日本の進路の力強い開拓もあり得るのではないか。


 
(資料)

「想定外」ではなかった東日本大震災、無視された「警告」

石橋克彦


 東京電力福島第一原発の深刻な事故原因となった大津波を伴う巨大地震について、09年の経済産業省の審議会で、約1100年前に起きた地震の解析から再来の危険性を指摘されていたという。東電は「十分な情報がない」と対策を先送りし、今回の事故も「想定外の津波」と釈明したままだ。
 多くの専門家は、東日本大震災を「貞観地震の再来」(869年に宮城県沖で発生したマグネチュード8以上の巨大地震)と見ている。産業技術総合研究所などが貞観地震の津波による堆積物を調査したところ、同原発の北約7キロの浪江町で現在の海岸線から1・5キロの浸水痕跡があったほか、過去450〜800年間隔で同規模の津波が起きた可能性が浮かんでいる。
 東電によると、現地で測定された地震動はほぼ想定内で、地震による被害は少なかった。一方、非常用電源の喪失などの津波被害で、原子炉が冷却できなくなった。東電の武藤副社長は「連動地震による津波は想定していなかった」「貞観地震に対する見解が定まっていなかった」というが、これは言い訳にしかならないだろう。
 それを示す資料の一つは、今回の原発事故を14年前に正確に予測した神戸大学の石橋克彦教授の論文。もう一つは、ウォール・ストリート・ジャーナル誌の記事を紹介した高野孟氏の文章。重要な資料なので引用したい。

■「原発震災」 破滅を避けるために
 地震列島日本で原子力発電所の原子炉が現在51基運転されている。
 通産省は、原発は建設から運転まで十分な地震対策が施されているとして以下の項目を挙げている。(1)活断層の上には作らない。(2)岩盤上に直接建設。(3)最大の地震を考慮した設計。(4)大型コンピューターを用いた解析評価。(5)自動停止装置機能。(6)大型振動台による実証。(7)津波に対する対策。しかし本当に耐震安全性は万全なのだろうか。
 上記のうち(1)と(2)は当然の事であり、(3)が適切かどうかが重要である。しかし、これらの作業の根底をなす地震の想定が根本的に間違っており、従ってそれに基づく地震動の評価と耐震設計はきわめて不十分と考えられる。
 通産省は活断層がなければ直下のマグネチュード7規模の地震は起こらないという考えにもとづき、原発は活断層の上に立地しないから大丈夫だという。このような考え方は、地震科学的に完全に間違っている。
 活断層がなくても直下の大地震は起こる。現に、1927年北丹後地震(M7・3、死者2925人)、1943年鳥取地震(M7・2、死者1083人)、1948年福井地震(M7・1、死者3769人)などは、いづれも地表地震断層をともなう直下地震だが、活断層が認識できないところで発生した。
 日本海側の原発はどこでも直下でM7級の大地震が起きても不思議ではない。たとえば13基の原子炉がひしめく若狭湾地域は、直下型地震の発生を警戒したほうが良いくらいである。
 発生が懸念されるM8級東海地震の想定震源断層の真上、静岡県御前崎の西に、中部電力浜岡原子力発電所がある。東海地震をまったく予想せずに着工された1,2号機を含めて、4基のBWR型原子炉の出力は360万キロワットである。
 津波に関して中部電力は、最大の水位上昇が起こっても敷地の地盤高(海抜6メートル)を超えることはないというが、1605年東海・南海巨大津波地震のような断層運動が併発すれば、それを越える大津波もありえる。
 原発にとって大地震が恐ろしいのは、強烈な地震動による個別的な損傷もさることながら、平常時の事故と違って、無数の故障の可能性のいくつもが同時多発することだろう。特に、ある事故とそのバックアップ機能の事故の同時発生、たとえば外部電源が止まり、ディーゼル発電機が動かず、バッテリーも機能しないというような事態が起こりかねない。従って想定外の対処を迫られるが、運転員も大地震で身体的・精神的影響を受けているだろうから、対処し切れなくて一挙に大事故に発展する恐れが強い。このことは、最悪の地震でなくもあてはまることである。
 建設技術者が強調する原子炉建屋の耐震性の高さはあまり意味がない。一番の問題は、配管・弁・ポンプ類や原子炉そのもの、制御棒とECCS(緊急炉心冷却装置)などだろう。耐震設計の違いによる原子炉建屋とタービン建屋の揺れ方の違いが配管に及ぼす影響、地盤の変形・破壊や津波が運ぶ砂によって海水の取水・放水ができなくなる恐れなども無視できない。
 原子炉が自動停止するというが、制御棒を下から押し込むBWRでは大地震に挿入できないかもしれず、もし水蒸気が上がって冷却水の気泡がつぶれたりすれば、核暴走が起こる。そこは切り抜けても、冷却水が失われる多くの可能性があり、炉心溶融が生ずる恐れは強い。そうなると、さらに水蒸気爆発や水素爆発が起こって格納容器や原子炉建屋が破壊される。
 東海地震による通常火災は、静岡県を中心に阪神大震災より一桁大きい巨大災害になると予想されるが、原発災害が併発すれば被災地の救援・復旧は不可能になる。一方震災時には、原発の事故処理や住民の放射能からの避難も、平時に比べて極度に困難だろう。つまり、大地震によって通常震災と原発災害が複合する「原発震災」が発生し、しかも地震動を感じなかった遠方にまで何世代にわたって深刻な被害を及ぼすのである。膨大な人々が二度と自宅に戻れず、国土の片隅でガンと遺伝子的障害におびえながら細々と暮らすという未来図もけっして大げさではない。



 

世界短信

 


■福島原発事故?GEモデルの弱点
Q:大事故で問題の福島原発は米GE(ゼネラル・エレクトリック)の設計をモデルに造られたものということだが?
A:そうだ。福島第一原子力発電所は1971年から1979年までに建設されたものだが、すべての原子炉が米屈指の原子炉設備製造企業、GE設計の機種だ。ところがすでに4基の原子炉が爆発し、残る5号基、6号基でも異常の兆候が発見された。こうした福島原発と同方式で稼働中の原発の数は日本で8カ所にのぼる。
Q:GEのこの旧型の原発は、その脆弱さが憂慮されていたのではないか?
A:そうだ。問題となったGE初期モデルの原子炉が既存の半球型大型格納構造に比べて爆発に弱いという指摘だ。原子炉の核燃料である「炉心」が溶ける現象、炉心熔解が発生した場合、構造上、放射性物質露出の危険性もさらに大きいという。1972年に米原子力委員会がこうした問題点を警告したことがある。また米原子力規制委員会もこの原発機種が小型で耐圧能力が弱く事故発生の確立が90%にもなることを明らかにしていた。
Q:当初の設計上、問題点があったということだが、その他にはどんな弱点があるのか?
A:原子炉というのは核反応によって高熱が発生する。この熱を冷ますのが重要な鍵になるが、GEの原発は、電力供給が中断された場合、冷却装置の稼働が中断され危険になる可能性が高いと指摘されている。今回の福島原発の事故も地震と津波で電力供給が中断されたことによる冷却装置停止から起きたものだ。GE原発には、そのような場合に備えて、非常用デイーゼル発電器とバッテリーがあるにはある。しかしデイーゼル発電は今回のような津波による海水浸水で使用不能となり、バッテリーは8時間しか持たないから根本的な解決策にはならない。

(米VOA放送)

■日本人の対応礼賛「伝統文化に基づいた新日本誕生も」との指摘も 米研究機関討論会
 米国の大手研究機関AEI(アメリカン・エンタープライズ・インスティテュート)は23日、東日本大震災が今後の日本社会や政治にどんな影響をもたらすかを論じる討論会「日本の悲劇=危機から分岐点へ?」を開いた。
 討論会ではAEI日本研究部長で日本政治の専門家のマイケル・オースリン氏が「日本国民がこの歴史的な災禍に冷静さを保って対応したことは、米国内ではイデオロギー面でまったく異なるリベラル派のニューヨーク・タイムズ紙から保守派のFOXテレビの評論家まで一様に感嘆させた」と述べ、「日本人がこうした状況下で米国でのように略奪や暴動を起こさず、相互に助け合うことは全世界でも少ない独特の国民性であり、社会の強固さだ」と強調した。
 オースリン部長は「この種の危機への対処には国家指導者が国民の団結をさらに強めることが好ましい」と指摘したうえで、「大震災直前には菅首相は違法献金問題で辞任寸前に追い込まれ、政治的麻痺の状態にあったのだから、リーダーシップを発揮できないのも自然かもしれない」と付け加えた。
 一方、日本の文化や社会を専門とするジョージタウン大学のケビン・ドーク教授は「日本国民が自制や自己犠牲の精神で震災に対応した様子は広い意味での日本の文化を痛感させた。日本の文化や伝統も米軍の占領政策などによりかなり変えられたのではないかと思いがちだったが、文化の核の部分は決して変わらないのだと今回、思わされた」と述べた。
 同教授はまた「近年の日本は若者の引きこもりなど、後ろ向きの傾向が表面に出ていたが、震災への対応で示された団結などは、本来の日本文化に基づいた新しい目的意識を持つ日本の登場さえ予測させる」とも論評した。

(CNN)


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