研究誌 「アジア新時代と日本」

第93号 2011/3/5



■ ■ 目 次 ■ ■

編集部より

主張 古い時代の古い通商協定、TPP

論評 地域政党の台頭を考える 「自分たちのことは自分たちで決める」新しい政治の台頭

研究「安保の見直し」は不可能なのか

世界短信




 

編集部より

小川淳


 3月6日、京都大谷会館にて浜井龍谷大法科大学院教授の講演会「受刑者も市民」を聞いた。主催者は、関西で政治犯や受刑者の処遇改善運動を担う有志のメンバーで、ここ数年、この時期に京都に集まるのが恒例となった。
 日本では02年をピークに事件の認知件数そのものが減少に転じているという。しかし1995年以降、それまで減少傾向にあった受刑者人口は増加に転じ、2000年以降は定員を超えた過剰収容が続いている。世論調査によれば、国民の80%以上の人が治安は悪化していると感じているという。
 マスコミ報道を鵜呑みにして、凶悪犯罪が増加していると思い込み、ほとんど存在しないモンスターのような犯罪者を恐れて、善良な市民を彼らから守ろうとして厳罰化してみたら、刑務所が高齢者などの社会的弱者で一杯になってしまった・・・。浜井教授がさまざまな統計やグラフを駆使して明らかにしたのは、このような現在の日本の姿だ。
 世界的に刑事行政には二つの流れがあるという。米国のような「厳罰化」か、北欧ノルウエーのような「寛容な社会」かの二つだ。日本は明らかに「厳罰化」の方向に向かっている。
 しかし、犯罪者や受刑者の多くは家族も仕事も帰る場所もない社会的弱者だ。そのような認識に立てば、「人が立ち直るために」必要なものは、支えてくれる家族や仕事なのであって、警察や刑務所ではないことがわかる。「厳罰化」では何の解決にもならないのだ。講演の題目「受刑者も市民」という言葉には、そのような意味が込められている。
 政治犯や受刑者の処遇改善は「特殊なテーマ」なのだろう。一般の関心は低いようだ。しかし、受刑者や刑務所という「特殊な場所」だからこそ見えてくるものがあり、その社会の性格は、受刑者のような社会の「異端者」に対してどのような態度をとるのかに現れるのではないか。
 政治犯や受刑者の処遇改善は、この国の形を変えていく一つの契機になるはずだ。まずは社会から隔離され、見えない部分を市民の手で可視化していくことだ。そこから全てが始まる。そのためにも、政治犯や受刑者の処遇改善をめざすこのネットワークがさらにもっと多くの人々の間に広がればと思う。



主張

古い時代の古い通商協定、TPP

編集部


■「グローバル時代に生きる覚悟」
 先日のNHK日曜討論は、かつて小泉・経済財政諮問会議を支えたあの大田弘子氏の「(TPPへの参加は)グローバル時代に生きる覚悟を持って」という言葉で締めくくられた。
 「例外なき関税撤廃」を原則とするTPP(環太平洋パートナーシップ協定)は、農業や地域など国際競争力の弱い部門、分野への打撃など、確かに痛みをともなう。しかし、今は「グローバル時代」、ボーダレスの厳しい競争を戦い抜く覚悟が必要ということだ。さすが小泉構造改革の一端を担った当のご本人、面目躍如である。
 今、情報通信、交通、運輸など、科学技術の発達で世界が一つにつながれ、政治、経済、文化などあらゆる面で国際的連係が密になり、地球が人類共同の生活環境に変わってきているのは事実だ。そういう意味で現代は確かに「グローバル時代」という名にふさわしいのかもしれない。
 だが、それがどうして、国と民族を否定し、国境をなくし、関税を撤廃して、ボーダレスな自由競争をすることになるのだろうか。そこには明らかに論理の飛躍があるように思われる。

■国の否定は古い覇権時代の産物
 国と民族を否定し、国境をなくすのは、なにも今に始まったことではない。帝国主義の時代、覇権時代であったこの百数十年、帝国主義は植民地にした国と民族を否定し、その支配圏内での国境をなくした。かつて日本の対朝鮮植民地支配が朝鮮語の使用を禁じ、姓名を日本式に変える「創氏改名」まで強要したのはその極致だ。
 だが今日、そのような現実はない。世界は百数十に及ぶ独立国家から成り、そこには厳然と国境がある。その背景に第二次大戦以降、20世紀末に至る連綿とした民族解放闘争があったのは周知の事実だ。国と民族、そして国境は、植民地人民の血の闘いによって取り戻されたのだ。
 そうした中、1970年代末から今日に至るグローバリズムの歴史は、国と民族、国境をもう一度なくそうとする帝国主義による反動の過程だったと見ることができる。かつては、それぞれの帝国主義が他国を植民地支配し、自らの勢力圏、支配圏をつくることによって、今は、米国を頂点とする帝国主義勢力が全世界的範囲で国と民族、国境そのものを否定することによって。
 国と民族を否定し、国境をなくしての自由競争、それは、強者による世界支配を意味する。金融、情報通信、交通、運輸、そして食糧などを握っての支配、会計や司法など米国のルールを国際統一ルールにしての支配、そして世界の軍事予算総額の40%を占める膨大な核軍事力をちらつかせての支配だ。「例外なき関税撤廃」を義務づけるTPPはそれを実現するための一つの道具にすぎない。このTPPがどうして新しい時代の新しい通商だと言えるだろうか。

■高まる国家の役割
 今日、「グローバル時代」、国家の地位と役割は低下しているか。していない。現実はその逆だ。
 08年、リーマン・ショック後の世界経済を支え、その復興を促したのは、各国の財政出動と国民経済の再構築だった。あの米国発金融大恐慌とそれに続く世界的範囲での経済破綻、市場縮小の負の連鎖を前に、G20などで呼びかけられたのは、有効需要を生み出す各国の財政出動とそれによる内需の拡大だった。「小さな政府」を主張し、経済に対する国家の役割を否定していた米国自身が自らの理論的破産を認めざるを得なかったのだ。
 今日、経済回復の兆しが見える中、その主因は中国やインド、ASEAN諸国など新興国の力強い経済復興にある。日本など先進国の経済回復は主として新興国への輸出の増大によっている。ここで問題は、同じ財政出動をしながら、なぜ新興国の経済復興が先進国のそれを上回っているのかだ。その原因を経済の若さに求めるのは間違いではないだろう。同じ財政出動でも、その効果が若い経済で大きくなるのは容易に推測できることだ。
 だが、原因がそれだけでないのも事実だ。今日の新興国には、これまで対米輸出に偏りすぎていた自国経済のあり方に対する反省とそこからの脱却への努力がある。輸出産業偏重のモノカルチャー的経済から内需産業重視の総合的な経済への転換だ。この国家主導の国民経済の再構築が新興国の経済復興に及ぼしている意味について重視する必要があるのではないだろうか。
 そこで重要なのは、対米輸出偏重で破壊された新興国経済の均衡の回復にあると思う。国家的な内需振興策(中国では、54兆円、省段階まで含め200兆円規模の予算が組まれた)によって、内需と外需、産業構造格差の是正が図られ、それにともなって、地方・地域経済の格差、大中小企業の格差、そして所得の格差の縮小が追求された。この国民経済の均衡的発展への動きにこそ、新興国経済復興の秘密が隠されているのではないだろうか。
 国民経済を単位とする経済にとって生命はその均衡だ。国民経済の均衡がとれていてこそ、経済は循環し発展する。対米輸出でもっていた極度に不均衡なモノカルチャー経済は、米国の経済破綻とともに一瞬にして崩壊し、経済の循環自体が滞ってしまった。これを均衡的に建て直すのに国家の役割が決定的だったのは言うまでもないだろう。
 逆に言えば、今日、所得や地域、産業構造など国民経済の不均衡が極限まで進んだ日本をはじめ先進国経済が遅々として回復しないのは、所得格差や地域格差の是正など、この国家の役割が果たされていないからだと言える。菅政権の無策、経済路線の欠如は、その典型ではないだろうか。
 国家の役割は、今日、IT時代、情報産業時代にあって、さらに一層決定的だ。
 ITの発展は、単に情報通信やコンピュータなど個別産業分野の発展を促したのではない。それは、何よりも、社会経済活動の全過程を情報化し、新しい経済時代、情報産業時代を出現させた。ITが経済発展で核心となるこの歴史の新時代にあって、その特徴は、科学と技術、科学技術と生産間の関係が一層深まりながら、それらが一体化するところにある。そのため、国の経済発展はITをはじめ高度な先端科学技術の開発を抜きにはあり得ず、そのために、政府と企業、大学、研究機関の共同研究や教育など国家の果たす指導的役割が決定的になる。
 国家の役割が高まっている今日、通商のあり方もそれに合わせて変わってくる。それが国を否定し、自由競争を掲げるTPPとはまったく異なるものであるのは言うまでもないだろう。

■新しい時代の新しい通商
 「グローバル時代」である今日、何がもっとも問われているかと言いながら、元国連難民高等弁務官、緒方貞子氏は、「相互依存」「共存共栄」を挙げていた。世界がつながって国際的連係が密になり、地球が人類共同の生活環境になる中、今は国が一人で生きていく時ではない、互いに依拠し協力して生きていく時だ、ということだ。
 この「相互依存」「共存共栄」で今日注目すべきなのは、東アジア共同体やEU、南米諸国連合など、地域共同体の発展だ。米国の覇権に反対し、主権を尊重するこれら地域共同体が域内諸国の主権国家としての地位を守り役割を高めている。先のリーマン・ショック時、域内交易やアジア基金などによりいち早く経済復興を果たした東アジア共同体諸国の助け合い、ウィン・ウィンの関係などはその好例だと言えるだろう。
 主権国家の役割が高まり、それを地域共同体の助け合いが支える、自主と協調の新時代にあって、新しい通商のあり方はどのようなものになるだろうか。それは何よりも、自国及び相手国の国民経済の均衡的発展を最優先にし、そのために立てられた双方の自主的経済路線を尊重して、相手国の実情に互いに配慮し助け合う通商、競争よりも協力の新しい型の通商にならなければならないだろう。もちろん、その通商の相手国は地域共同体域内に限られない。かつての帝国主義のブロックと異なり、各国の主権を尊重する地域共同体は世界に開かれている。
 この自主と協調の通商が国を否定した自由競争の通商、TPPと真っ向からぶつかるのは明らかだ。今日、米国が環太平洋21ヶ国をTPPに総結集し、それを足場に東アジア共同体と南米諸国連合に関与し、これら地域共同体を破壊しようとしているのは決して偶然ではない。主権尊重の協力の通商か、弱肉強食の覇権と競争の通商かの闘いは、古い覇権時代から自主と協調の新時代への転換点にあって、必然だと言えるだろう。日本の国の進路をどちらにとるか、今、政治に問われているのはこういう問題だと思う。



論評 地域政党の台頭を考える

「自分たちのことは自分たちで決める」新しい政治の台頭

魚本公博


■衝撃
 2月6日に行われた愛知・名古屋でのトリプル選挙は衝撃的であった。
 まず、その手法が衝撃的だった。減税や議員報酬の削減という問題提起も斬新だったが、それが議会で否決(2回)されるや、自ら市長を辞任し、2月6日に予定されていた愛知県知事選に合わせて名古屋市長選、市議会解散の住民投票を同時に仕掛ける手法も型やぶりだった。
 それにも増して衝撃的だったのは、その結果だった。民主、自民という2大政党を相手に、名古屋市の小さな地域政党が大勝した。「減税日本」を率いる河村たかし氏の市長選での得票率は実に8割であり、彼とタッグを組んだ大村秀章氏も知事選で7割の支持を得て圧勝。市議会解散の住民投票は72%が賛成だった。
 それは、既成の大政党をして茫然自失とさせるものだった。民主党の選対委員長・石井一氏は「理解できないような名古屋の台風だった」と慨嘆し、岡田幹事長は「この選挙はパンとサーカスだ」(古代ローマ帝国でパンの配布や剣闘士の見世物でローマ市民の歓心を買った故事から)と決めつけ、副代表の仙谷氏は「独裁的なやり方はヒトラーやナチスの手法だ」とまで述べていた。昨年の参院選以来、各地の首長選や補選で連勝してきた自民党も今回は敗北。「人気取り的だ」「地域政党は一過性」などと冷ややかだった。
 しかし、既成政党がいかに悪態をつき、冷ややかな態度を取ろうと、愛知・名古屋の勝利は日本を揺り動かしている。

■大きな流れになった地域政党
 その勝利後、新聞には、「トリプル投票大勝利が全国へ波及?『河村旋風』で勢いづく地域政党」「<名古屋トリプル投票>地域政党の勢い証明」などという言葉が踊った。
 この間、地域政党が「花盛り」のように各地に誕生している。新聞などでも、「地域政党ブーム」として、「大阪維新の会」「減税日本」と共に「地域政党いわて」「地域主権・静岡」「日本・愛知の会」「対話でつなごう滋賀の会」「京都党」「亀岡・キセキ」「吹田新撰会」などが紹介されている。
 勢いづく地域政党、その背景には、地方の衰退・崩壊と言われる状況がある。地域の人にとって、地域は生活の場であり、その衰退は自身の生活を直撃する。これを何とかしたい、地域政党の結成は、そういう問題意識から出発している。
 その多くは、河村氏と同じように「議員削減、議員報酬削減」を主張しているが、それはまず、政治から襟を正し無駄遣いをなくすことから始めようということだ。河村氏は「政治家は家業ではない。本来はボランティアだ」と言っているが、「議員削減、報酬削減」には、政治家がもつべき、住民奉仕の姿勢が示されている。
 彼らは、それにとどまらず、仲間と勉強会を開き、地域の生活全般の問題、地域の政治をどうするのかという問題に真剣に取り組んでいる。そこから、様々なアイデアが湧き出ている。
 例えば、「京都党」はインターネットで党員を募集し、多くの若者が参加しているという。また、「吹田市から広いビジョンを持って地方の問題に取り組みたい」(吹田新選会)などと互いに連携を深めている。
 4月の統一地方選挙では、こうした地域政党やそれに類似した主張を持つ候補者が躍進することは確実だ。そして、この流れは、国政にも影響を及ぼさざるをえない。
 大阪の橋下知事は「大阪維新の会、減税日本、大村さんの地域政党で国家戦略を打ち出す。日本を強くしていくんだと、我々から発信したい」と述べ、大村氏も、「愛知発の『庶民革命』を全国に広げたい」と述べている。すでに東京でも「東京維新の会」や「減税日本」が結成され、国会議員の中にも「日本維新連合」が結成された。
 地域政党の台頭は、硬直し混迷する国政を前に、地方から国政を変革しようという動きになっており、そういう意味では、愛知・名古屋の「圧勝」の最も重要な意義は、地方から中央を改革しようという戦いの烽火が上げられたということにあるのかもしれない。

■自分たちのことは自分たちが決める、新しい政治
 選挙直後に辛らつな批判をした民主党の岡田幹事長も、その後、「自民党がダメだと思って民主党政権にしたが民主党も代わり映えしないという思いの中、新しいスタイルに支持が集まった」と率直に述べている。
 それは多くの人が指摘することである。
 昨年の総選挙によって自民党政権が倒れ政権交代が実現した時、鳩山前首相は、「これは民主党の勝利ではない。国民の勝利だ」と言った。それは、国民が自民党型の旧い政治にノーを突きつけ「新しい政治」を求め、その期待を民主党に託したということだったろう。しかし、民主党はそれに応えることができなかった。
 天木直人氏が自身のブログで、橋下知事の人気の秘密を知ったとして、大阪で乗ったタクシーの運転手の話をしていたが、運転手の「政治家はどいつもこいつも口先ばかりや」という言葉から、「どうせお前らに俺たちの生活は救えない、俺たちに、俺たちが納めた税金を使わせてくれたらいいのだ、俺たちの気持ちを一番理解する政治家がそれをやってくれればいいのだ、そういう政治家を探せばいいのだ」という思いを感じ取ったという。
 まさに、これだと思う。「自分たちのことは自分たちが決める」。現政治への幻滅と怒りの中で、国民は自らが政治の主人であることを強烈に主張し始めたのだ。

■日本政治の新しい展望と政党、政治家のあり方
 河村氏は、「地域のことは地域住民が決める民主主義の時代を作るうねりだ。名古屋の皆さんが重い社会の扉を開け、民主主義に一歩進んだ」と述べている。それは、まさに「自分たちのことは自分たちが決める」ということであり、地域のことは地域住民が、国のことは国民が決めるという、そのような新しい民主主義政治を創り出していこうということであろう。
 その方向はどのようなものか。
 橋下氏や河村氏の場合、減税や議員削減の主張に新自由主義的な「小さな政府」路線を指摘する声もある。また、その手法を「劇場型」「ケンカ民主主義」として、そこに独善性、強権性を見る人もいれば、大阪都構想、中京都構想に対しても国の自主権を弱めるためのグローバリズムの手法ではないかとの声もあがっている。
 しかし、これをもって民意は新自由主義、グローバリズムにあるとするのは早計だと思う。減税や議員削減への要求は、決して福祉削減の「小さな政府」への要求ではないし、大阪都構想、中京都構想への支持も国の自主権をさらに弱め、一層「米国の言いなり」になることへの支持ではないだろう。
 今は、民意が政治を動かし決定する時代だ。
 国民力、民意の力が高まる中、ネット技術の発展は、多くの人が政治に参加できるようにしている。またネット技術の発展は、より正しい民意の形成を容易にする。距離が離れていても膨大な数の人々が各人の意思を瞬時に伝え合い協議することで、より正しい民意を形成することが可能になっているのだ。
 そこで問われる政治家の重要な資質は何よりも国民の忠僕だという自覚であり、そのための能力ではないだろうか。
 そのためには、政治家は国民の中に入り、国民と呼吸を共にしなければならない。これまでの旧い政治家のように米国や財界の方を向き、その声に従うようなことであってはならないだろう。
 その上で国民の声に耳を傾け、その要求をつかみ出す能力、そこから政策を考え、その政策を国民自身のものにして、国民自らが、その政策実現に熱意を発揮し執行していくようにする能力…などなど、そうしたものが問われてくる。
 今、地域政党が台頭する中で地方の議会でも議員たちが住民の中に入り、その要求を知り、それを政策化する動きが活発化している。これまでのように中央政党の方針をただ受け入れて安穏とすごすような議員は政治家として認められなくなっているのだ。
 地域政党の台頭は、すでに地方の政治家のあり方を変えてきている。それは、国政段階の変革にもつながってきている。
 民意第一主義に立って、国民に奉仕し服務する政党、政治家が求められているのであり、この辺に日本政治の新しい展望が開けてくる鍵があるのではないだろうか。


 
研究

「安保の見直し」は不可能なのか

編集部


■普天間問題とは何か
 鳩山政権がめざした普天間基地の移転とは、周知のごとく危険千万な基地の移転に留まる問題ではない。沖縄の関係で言えば、封建時代から戦後へと延々と続くヤマト(日本)による琉球沖縄への歴史的な支配構図があり、もう一つは、日米安保体制の下で、沖縄琉球の声に耳を傾けるのか、それともアメリカの要求に耳を傾けるのか―という対米従属の構図がある。
「普天間問題」とは言い換えるなら、封建時代から続く琉球・沖縄との関係をどう正常化していくのかであり、また戦後の従属的日米関係を従属的なものから正常なものへ、より対等なものへ変えていく―という日本という国のあり方の根本に関わる問題として提起されていると言えよう。
 鳩山政権がどこまで本気であったのかは別に、このような沖縄県民の要求に耳を傾け、戦後60年に渡る対米従属の日米関係をより対等なものに転換しようとした、そのこと自体は評価されて良い。沖縄からの基地の撤去という県民の総意を尊重し、普天間基地の県外移設を約束したことも、対等な日米関係の転換も、極めて正しい施策であった。にもかかわらず敗北した。問題はなぜ敗北したのか。そこからの教訓を生かすことである。

■鳩山敗北の教訓
 鳩山氏は政権発足当初から「対等な日米関係」を掲げるその一方で、日米同盟を重視すると繰り返してきた。ここにすでに論理の破綻がある。「対等な日米関係」を実現しようとするなら日米同盟の強化ではなく、「見直し」こそ必要だった。
 日米同盟とは、日本の防衛をアメリカに任せる、その代わり基地使用を認める―というものだ。しかし米国に防衛を委ねれば、アメリカとの軍事協力、対米協力が最優先の課題となってしまう。アメリカに守ってもらい、防衛をアメリカに依存したまま、「対等な日米関係」などありえない。加えて、アメリカは有事の場合、日本を守る義務があるが、日本はアメリカを守る必要はない。集団的自衛権の行使を日本は認めていないからだ。この「弱み」が日本がアメリカに従属する理由の一つとなっている。
 もし本気で「対等な日米関係」をめざすなら、日米安保の見直しに大胆に踏み込むしかない。すなわち日本の防衛はアメリカに任せるのではなく、自分の力で守ることへの転換だ。
 沖縄からの基地の撤去、対等な日米関係は「安保体制の見直し」と一体のものだ。日本の安全を米軍に委ねる以上、アメリカへの従属も、沖縄の基地負担も避けられない。米国からの自立、対米従属から離脱する以上、日本の安全は自分の力で守るという自立した安全保障政策がなければならない。
 なぜ敗北したのかを突き詰めていけば、この信念と覚悟がなかったことに尽きるのではないか。昨年、鳩山政権が迷走を繰り返し、とうとう米軍の「抑止力」に行き着いて辞任したことは、そのことを物語っている。
 60年安保闘争はなぜ敗北したのだろうか。よく言われるのは、60年安保闘争が国民の支持を得ることができなかったというものだ。60年安保闘争は、安保に反対した。しかし、安保に代わる有効な対案を提示できなかった。9条憲法の下での「非武装中立」―理想としては素晴らしい理念に違いない。しかし、安保に代わる現実的な対案にはなり得なかった。しかも時代は冷戦時代の真っ只中にあって、それは非現実的すぎ、だから国民大衆の支持を得ることができなかった。結局、鳩山政権も、60年安保もともに安保体制に代わる対案を提示できなかった。そこに敗北の一つの原因があったといえるのではないか。

■三位一体の安全保障政策
 沖縄からの基地撤去、安保見直しのためにはきちんとした安全保障論議が必要不可欠だ。
 普天間の辺野古移転は日米で合意されたが、実行できないことは明らかだ。基地撤去を求めて沖縄では県民ぐるみの闘いが始まっている。普天間移転にともなう安保体制見直しの論議は避けられない。
 日本の防衛をどうするのか。だれが日本の安全を守るのか。このままアメリカに守ってもらうのか。基地を維持し続けるのか。沖縄に基地の負担を押し付け続けるのか。今までのようにアメリカの言いなりになるのか。それは単なる現状維持に留まらない。
日米同盟の維持、強化は、当然にも米国の世界戦略に協力するという事だ。
 それが無理なら、戦後60年続いた安保体制からの転換を図ることの他に解決の方法はない。
 安保体制からの転換は特別なことではない。冷戦の産物である日米安保が冷戦崩壊後20年を経てもなお続くことがよほど異常なのだ。冷戦崩壊後世界は大きく変わった。変わっていないのは日本だけである。
 日米安保に代わる日本の安全保障政策はどのようなものか。
 9条憲法を核とした平和外交と撃退武力による専守防衛、アジア共同体の構築、この「三位一体の安全保障政策」が一つのイメージではないだろうか。
 軍事力行使を一切しない徹底した平和外交と、厳格な専守防衛路線を核としつつ、非核三原則、武器輸出三原則を堅持する。そして東アジア共同体の中で、中国や朝鮮との信頼と協力を築いていく。その中で「脅威」そのものを東アジアからなくしていく。憲法9条と武力行使を否定した厳格な専守防衛があってこそ、日本はアジアの中で信頼を得ることができ、東アジア共同体の核となれるのではなかろうか。

■日中朝を核に東アジア共同体の構築を
 日米安保条約が結ばれたのは50年前だ。そこには「日本と極東の安全を守るため」と明記されている。冷戦時代は、大国ソビエトに備え、「同盟」関係の強化に努めてきた。しかし1990年代に入ると世界は 大きな転機を迎える。冷戦が終結し日米共通の脅威だったソビエトは消え、同盟を見直す機運が生まれた。ところが 同じ頃東アジアの緊張が高まる。「北朝鮮」による「核開発疑惑」だ。日米同盟の新たな存在意義はこの頃から変わった。いつしか日米安保は朝鮮半島の危機に備えるものと変わっていった。
 2000年以降も東アジアの緊張は高まり続けている。軍事力を急速に増強させ南シナ海や東シナ海への海洋進出を進めている中国。そしてヨンピョン島での砲撃事件など南北朝鮮の緊張の高まり。「瀬戸際外交を展開する北朝鮮」というメディアのプロパガンダ。東アジアの急激な変化に人々の不安が高まる。NHKの世論調査では、日本の安全について「不安」と答えた人が39%。「どちらかといえば不安」が45%。不安を感じる人が合わせて8割を超えているという。
 一つの独立国家に敗戦後65年もたって 外国の軍隊が大規模に駐留し続けている理由は、東アジアにこの緊張があり、米軍にこの地域における「抑止力」として役割が期待されているからだ。鳩山氏もその「抑止力」を認め、辞任に追い込まれた。沖縄から米軍基地がなくならないのはそのためだ。
 日本から米軍基地をなくすためには、東アジアにおける米軍の存在意義、その必要性をいかにしてなくしていくのかである。そのための最も現実的な方法は東アジアにおける緊張を段階的に緩和していくことである。
 米国にその役割は期待できない。東アジアでの軍事的プレゼンスに利害を持つ米国は緊張緩和を望んではいない。いまなお米朝の平和条約や関係正常化に反対し続けるのもそのためだ。朝鮮に軍事的圧力をかけ挑発を繰り返すことで緊張を高め、朝鮮半島で緊張が高まれば沖縄や本土の米軍の存在意義はますます高まる。日米の安保マフィアにとっては朝鮮半島の緊張は願ったりかなったりであろう。
 日本から米軍の駐留をなくしていく。日米安保を根本から見直していく。その可能性が高いのは、EUのような「東アジア共同体」を築いていくことである。日本と中国、そして南北朝鮮がそこに加わり、日中、日朝がその枠組みの中で本当の信頼関係を築いていくことである。
 「日本は今後 国の安全を守るためにどのような国を目指していくべきだと思いますか」という問いに、「アジアの国々との関係重視」が「日米同盟重視」の3倍近くに上っているという(NHK世論調査)。日本のめざす安全保障は、2国間関係(安保条約)よりも「多国間の安全保障」への期待が圧倒している。日本の防衛は、中国、朝鮮を取り込んだアジア共同体のような多国間安保の仕組みなのか。それとも日米安保が軸なのか。答えははっきりしている。



 

世界短信

 


■南米でパレスチナを独立国家と認定する動き
 南米諸国がパレスチナを独立国家として認定する動きが加速している。昨年12月から、この地域の大国であるブラジル、アルゼンチンから始まり、チリ、ボリビア、ペルー、パラグアイ、エクアドル、ウルグアイが認定した。
 チリは親米的な中道政権であり、イスラエルのネタニヤフ首相がチリ大統領に直接電話をかけて止めてほしいと頼んだにも拘わらず認定した。アルゼンチンも南米のユダヤ人が集中して住んでいる国でイスラエルの立場を無視できない事情があるのにパレスチナと手を握った。
 アルゼンチン外相は、いわゆる「覇権的介入」に関係なく下した結論だと説明したが、これは米国の中東政策には拘束されないということだ。
 この背景には中東地域諸国と南米諸国の経済的関係が深まっていることがある。中東諸国は南米に大々的な投資をしようとしており、南米諸国から中東諸国への輸出は拡大している。
 4月にはペルーに南米諸国とアラブ圏諸国の首脳が集まる予定だ。パレスチナはこの会議でイスラエルのユダヤ人入植者定着地建設中止の声明を出すよう提起しようとしている。

(VOA)

■インドが初等教育を強化
 インド政府が初等教育に対する投資を強化している。特に暗記式教育から脱皮し創意性を重視する教育への改善を強調している。
 現在、初等教育改善の5カ年計画を実施している。この間、教育予算を大きく拡大し昨年だけでも830億$を支出した。これは2年前の2倍に当たる。また公立学校で昼食を無料で供給し、学生登録数を90%にまで引き上げた。
 試験段階にあるインド北部のニクラ初等学校で見れば、この学校は他の公立学校のように外観は貧しい。学生は冷たいコンクリートの床に座って授業を受け、昼食は外で薪を炊いて準備する。学生は教科書内容を暗記する代わりに個別の課題を行うことで試験を受ける。例えば、ある5学年生は、宗教組織の委員とのインタビューを報告書に作成して発表した。
 創意性教育を推進する目的は未来の経済大国としての潜在力を引き出すためだ。インドは、全人口の45%に達する5億人が19歳以下の若者だが、彼らに対する教育に国の将来がかかっていると見ている。インドではひどい経済格差のため貧困層は貧しい教育環境で自信を失い社会的落伍者になっているという現実がある。中国との競争が熾烈になっていることも、この計画の一つの理由だ。識字率64%に過ぎないインドとしては、識字率94%に達する中国に追いつくためにも教育に力を入れるということだ。

(AP)

■世界的な食糧危機の解決方途
 2月16日、ワシントンの「ワールド・ウォッチ」研究所長レスト・ブラウンは本記者との会見で食糧問題に言及した。
 彼は、次に起こる世界的な危機は食糧危機だろうとしながら、その解決方法としてロシアの食糧基金が模範的だと述べた。
 食糧基金は、穀物生産が多い時に備蓄し不足した時に放出する制度である。世界的に食糧価格が高騰している。その原因は天候不順、人口増加、急激な消費増大にあるが、その結果は飢餓だ。これに対処するためロシア式に学んで、世界的な食糧基金を作り、理事会は世界の主要穀物生産国の代表で構成するという案だ。
 食糧基金創設は今から着手すべきだ。それは時間がかかるからだ。すべては今年の作況にかかっている。万が一不作なら穀物価格の高騰で基金が穀物を備蓄できなくなる。今、世界は原油価格高騰に関心を向けているが、原油は消費量を減らすことが出来る。しかし人間は食べないでいることは出来ない。しかし、その影響を減らすことはできる。ロシアの経験がそれを示している。

(ロシアの声放送)


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