主張 菅首相の「国づくり理念」批判 民意による「国づくり理念」を求めて
国内農業は危機的状況にある。農業総産出額は8兆円あまりで、ピーク時より3割減少した。農業人口は20年間で半減し、平均年齢は66歳に達した。耕作放棄地も増大する一方だ。環太平洋経済連携協定(TPP)への参加問題をきっかけに、農政の抜本改革が菅内閣の大きな課題に浮上している。
TPPを巡っては国論が二分している。TPPをどう捉えるべきか。今回は秋田八郎潟で農業を営む坂本進一郎さんから投稿を戴いた。坂本さんが指摘するように、菅内閣が進めるTPPは農民のためのものではなく大企業、ひいては米国のための新自由主義的なものであり、農業破壊政策をより徹底的に敢行するものである。
とはいえ日本の農業が衰退の一途をたどりつつあるのは明らかで、今こそ生産性が高く国際競争力を持つ農業に生まれ変われるようTPP参加を、とする意見も少なくない。「農業保護が国益を損なっている」「TPPに参加しなければ二流国家に凋落する」というような「賛成派」の論説が強まる中、緊急出版された農文協の「TPP反対の大義」が一石を投じている。
小田切徳美氏(明大教授)は、「(第1次産業の)GDP1.5%を守るために98.5%を犠牲にして良いのか」という前原発言のトリックを批判。自動車を中心とした「輸送用機器」でもそのシェアは2.7%に過ぎず、第1次産業のシェア1.5%を言うならこうした全体の数字の中で論じるべきだという。
前原発言のおかしさは、農業の持つ「公益的機能」に関する認識がまったく示されていないことにも現れている。農水省農業研究所の試算によれば、農地の持つ公益的機能(農業の持つ治水や水源涵養、景観維持などの機能の総称)はおよそ6兆8千億円とおよそ農業生産額に匹敵する。生態系や景観、文化などは厳密にはカネに換算できるものではない。「農業か、工業か」という問題の立て方自体、まったく国益を無視した、稚拙極まる論議といえよう。
日本は農産物関税も11.7%と低く、農業所得に占める財政負担の割合も15.6%と先進国の中では最低水準で、「日本は最も過保護で遅れた農業保護国」という論説にも鋭い批判が向けられている。TPPを考える上で何が真の「国益」なのかを考えさせる一冊だ。是非参考にして欲しいと思う。
主張 菅首相の「国づくり理念」批判
菅首相は、本年度の施政方針演説で自らが掲げる「国づくりの理念」について述べた。「平成の開国」「最小不幸社会の実現」「不条理をただす政治」の三つだ。菅首相がこれについて言及するのは、年頭記者会見、民主党大会に続き、今年になって三度目になる。
これでもか、これでもかと繰り返される首相の「決意表明」。評判はどうか。もう一つだ。国民的な反応は、ほとんど聞こえてこない。首相がこの間何を力説しているか知っている人はほとんどいないのではないか。
一方、マスコミの反応はどうか。彼らが問題にしているのは、「有言実行」だ。言や良し、問題は指導力、実行力だということだ。また、菅政権に望む政策として、一にTPP(環太平洋パートナーシップ協定)への参加、二に法人税引き下げ、三に消費税増税を含む税制の抜本的改革を挙げている財界による評価は概ねマスコミに準ずるようだ。
今日、国民の菅政権に対する期待と信頼は地に落ちている。だから、菅首相の言った「理念」など語るに値しないと言えるのかもしれない。だが、首相の言った言葉は、国民に対し益にはならずとも害にはなりうる。事実、マスコミや財界はこれを実行しろと言っている。そこで年の初めに当たって、この問題について考えてみることにする。
■今、それが問われているのか
最初に問題にしたいのは、そもそも菅首相の言う「理念」が今問われているのかということだ。
「平成の開国」で首相が言いたいのはTPPへの参加だ。明治維新、戦後に続く「第三の開国」という説は20?30年前、自由化が叫ばれ出して以来のものだ。そこで今TPPが問われているということだ。環太平洋の無関税多国間通商協定、TPPへの参加を今年6月を目途に決めようと意気込む菅首相に言いたいのは、果たしてそれが国民の要求かということだ。実際、今、国民の間で「開国」が求められているという話は聞いたことがない。むしろ、この間、経済の自由化、「開国」をやってきた結果がこの惨状なのではないか。憲政史上初めての民意による政権交代の際、民主党が掲げた政策にも「開国」はなかった。逆に、自由化など古いやり方ではなく何か新しいやり方を国民が求めてのことだったのではないだろうか。
では、もう一つの「理念」、「最小不幸社会の実現」はどうか。ここで首相は、失業や病気、貧困、災害、犯罪など不幸の原因をできる限り小さくしようと言っている。このこと自体、不幸を前提とし、不幸の根因を絶つという気迫に欠けるが、国民の差し当たっての要求だと言えなくはない。さらに首相は、そのための方法を雇用対策や社会保障の充実に求めている。これが国民の切実な要求であるのは事実だ。その上で問題は、その財源として挙げられている消費税増税だ。なぜ財源を国民に負担を課す消費税引き上げに求めなければならないのか。昨年の参院選大敗の要因の一つとなり、「唐突だった」と首相自ら総括した消費税増税の持ち出しを今度は慎重にオブラートに包んでやってきたという感じだ。
最後は、「不条理をただす政治」だ。この政治の姿勢に関する理念として、首相は、「政治とカネの問題」を曖昧にすることなくけじめをつける姿勢、等々を挙げた。ここで首相の狙いは、もちろん、「小沢問題」だ。
「TPP」「消費税増税」「小沢問題」、菅首相の「理念」からいろいろな修飾語を取り除いた「本音」はこうなる。これが今国民に切実に求められていることなのだろうか。
■国民の要求を踏みにじる菅首相の「理念」
今、国民が切実に求めているのは、「経済の回復」であり、「地域の活性化」そして「生活の安定」だ。それは、各種世論調査を見るまでもなく明らかだ。と言えば、菅首相から「だからあの『理念』なのだ」と反論が返ってくるかもしれない。TPPも消費税増税も結局は経済のため、生活のためなのだと。関税撤廃こそが経済を活性化し、消費税増税による社会保障の充実こそが生活を安定させ、消費を上げ、経済を回復させるということだ。
菅政権に対する財界の第一の要求がTPPへの参加であるのを見ても分かるが、輸出関連だけでなく財界全体の利益にTPPがかなうと見られているのは確かだ。だが、よく言われる農業だけでなく、地域経済、中小企業など、国際競争力の弱い分野、部門にとって関税による保護がなくなるのが何を意味するかは明らかだ。これに対し、いつまでもぬるま湯につかっているな、厳しい生存競争に打ち勝っていける競争力を身につけろ、そうしてこそ経済が活性化し強くなるというのが財界やマスコミなどの言い分だ。
TPPと一体に菅政権の目玉政策にされている「農業改革」がこうした新自由主義的な考えに基づいているのは周知の事実だ。だが、農業や地域経済、中小企業などの競争力が弱いのは「ぬるま湯」につかっているためなのか。もしそうだとすれば、話は簡単だろう。国家的なあらゆる保護も規制もやめて、弱肉強食の市場競争、ジャングルの論理に任せればよいということだ。だが、それでは駄目だというのが、この間の金融大恐慌、それに続く経済の大停滞の教訓ではなかったのか。
国による規制と保護を否定した弱肉強食の自由競争が生み出すもの、それは、強者と弱者、勝ち組と負け組の格差の拡大だ。所得の格差、地方・地域の格差、大企業と中小企業の格差、外需産業と内需産業の格差、等々、経済のすべての分野、部門にわたる格差の拡大には際限がない。これが経済のあらゆる側面からの不均衡とそれにともなうカネの一極集中、経済循環の停滞、そして行き場を失ったカネの投機市場への流入、経済の投機化、金融化を生み出し、あの金融大恐慌に行き着いたのは記憶に新しいことではないか。なのになぜ、またぞろ自由化なのか。それに今回は、「例外なき」関税撤廃ときている。まったくの無防備になった農業や地域経済、中小企業などの打撃は壊滅的だ。それが生み出す経済の不均衡もこれ以上にないものになる。消費税増税も同じことだ。なぜ社会保障の充実といって、国民からカネを取るのか。これでは、貧富の差はむしろ拡大し、不均衡は一層甚だしくなる。
破綻証明済みの自由化のさらなる徹底をはかる菅首相の「国づくり理念」は、国民の要求に合わないだけではない。それを踏みにじるものだ。
■民意の中にこそ「国づくりの理念」もある
TPPや消費税増税など、財界の意思や要求の中には「国づくりの理念」はない。それは、経済を破綻させ、地域を崩壊させ、生活を破壊する。
「経済の回復」「地域の活性化」「生活の安定」など国民の要求に沿う国づくりのための「理念」、それは国民自身の意思の中以外にはあり得ない。
国民は格差の拡大を望んでいない。皆が豊かに幸せに暮らせるようになるのが国民の要求だ。地方・地域問題でもそうだ。自分の住む地方・地域の発展を求めながら、日本全国の繁栄・発展を願うのが国民だ。大企業と中小企業の問題でも、企業総数の99・7%を占める中小企業の経営が良くなってこそ日本経済の発展もある。大企業だけが儲かればそれでよいと思う人は誰もいない。産業問題についてもそうだ。自動車や電機など外需産業だけが不均衡に発展する現状を良いと言う人はいないだろう。農業をはじめ内需産業の発展と食糧などの自給力向上を求めるのが国民だ。
格差に反対し、皆の繁栄、幸福を願う国民の意思、民意からは経済の不均衡は生まれない。だから、国民の意思と要求、民意に従って国づくりをしてこそ、カネの一極集中も経済循環の停滞も、引いてはカネ余りも投機経済化も起こらず、経済の回復と新しい発展が可能となり、それを通して、地方・地域の活性化も国民生活の安定も実現されるようになる。格差を当然とし、自らの利益追求に血眼になる財界、その意思と要求によって経済再建がなされる日本や米国で、経済回復が一向に進まず、泥沼の停滞の中、カネ余り現象、金融バブル現象が再び深刻になってきているのは決して偶然ではない。
景気が良くなり、暮らしが良くなることを素朴に願う国民の意思、皆が仲睦まじく暮らす平和で豊かな日本を求める民意の中にこそ、もっとも正しい「国づくり理念」がある。そこには、競争よりも協力、覇権よりも協調など、様々な示唆に富んだ新しい原理原則が含まれているのではないだろうか。民意の地位と役割が高まり、民意によって政治が左右される今日、国民の中に入り、民意を知り、民意に応える「国づくり理念」こそが求められているのではないかと思う。
論評
1月16日、インドネシアのロンボク島でASEAN諸国の非公式外相会議が開かれ「南シナ海行動宣言」の規範化を促進することが確認された。「南シナ海行動宣言」の規範化とは、2002年に南シナ海の紛争防止のためにASEANと中国との間で合意された「行動宣言」を法的拘束力をもつものに発展させようというものである。
周知のように南シナ海には、南沙諸島を始め西沙、東沙、中沙などの各群島に700以上のサンゴ礁、岩礁が散らばっており、南沙では中国(台湾も)、ベトナム、マレーシア、フィリピン、ブルネイが、西沙では中国とベトナムが領有権を主張し、関係国相互にさまざまな紛争が起きている。
問題は、このような状況に米国が口出しを始めたことである。昨年7月、ASEAN地域フォーラム(ARF)に出席した米国のクリントン国務長官は南シナ海での武力使用反対や自由航行の保証を主張し暗に中国を批判した。米国がこの問題に口出しするのは、今や衰退の一途をたどる米国が中国と周辺諸国の紛争に介入することで、アジアへの関与を維持しようとしているからである。
そして日本の新聞は、この線に沿って、中国の横暴、強硬姿勢などと、ASEAN諸国と中国の間で不信対立が深まっているかのように言う。果たして、そうなのか。
南シナ海問題ではASEAN諸国と中国の問で「棚上げ・共同開発」が合意されている。それは86年以降、中国とASEAN諸国の間でたびたび確認されている原則になっている。「南シナ海行動宣言」も、この原則に基づいて合意されたものであり、今その規範化が進められているのだ。
これを主導しているのはASEAN諸国。ASEAN諸国としては、この海域で圧倒的力をもち経済的関係も深い中国と摩擦を起こすことは利益にならないという現実的な対応でもあるが決してそればかりではない。それは「南シナ海行動宣言」の中に東南アジア友好協力条約(TAC)の遵守という項目を入れていることでも分かる。
TACは、1956年のアジア・アフリカ会議(バンドン会議)で採択されたバンドン宣言を受け継いだものであり、主権尊重を基本にして、域外からの干渉排除、域内諸国間の内政不干渉、紛争の話し合い解決、経済協力の深化などを内容にしている。それは植民地からの解放を果たした発展途上諸国が帝国主義的な力の政策に反対し、主権の相互尊重による協力強化で平和と繁栄を果たしていこうという反覇権の考え方に基づいている。
バンドン会議では中国(周恩来)が主要な役割を果たしており、中国もその精神を国是としている。それ故、ASEANが主導する「平和的解決」方法に中国も応じざるを得ず、紆余曲折はありながらも大勢はその方向で進むということだ。
すでに南シナ海では、中国とベトナム、フィリピンの間で石油探査の共同事業が始まっており、漁業でも共同パトロールなどが行われている。「南シナ海行動宣言」の規範化も、ASEAN諸国は「合意から10年になる来年には実現したい」と積極的であり、中国もそれを歓迎している。米国やそれに追随する勢力の思惑とは裏腹に、「共同開発」は進むであろう。
しかし、日本は逆の方向に進んでいる。昨年、日本は、尖閣海域で、79年の日中平和条約締結時に合意した「棚上げ・共同開発」を無視し中国漁船の拿捕、船長の逮捕を敢えて行うという「約束違反」をやって「紛争」を意図的に作りだした。そして、「中国の脅威」を喧伝しながら「ASEANも危機感を強めている」として、「日米安保は東アジアの共有財産」などと言い始めた。それは、今だに覇権の考え方に捉われ、米国の力にすがろうとする時代遅れで危険な行動でしかない。
安全保障を言うなら、大国にすがる従属覇権的なものではなく、地域の平和と安定を地域諸国の協力によって構築していく脱覇権の安全保障を考える時にきている。日本はASEAN諸国の南シナ海問題の解決努力から学ぶべきである。覇権の考え方を脱し互いに協力し合って平和と繁栄を追求する方式を。尖閣はその試金石である。
投稿
突如現れ黒船とまで言われたTPP(環太平洋パートナーシップ協定)。なぜTPPは黒船とまで恐れられるのか。TPPが「例外なき関税撤廃」、つまりサービス分野を含めて全品目の関税をゼロにしようという乱暴なものだからだ。まさにブルトーザーで関税という邪魔なものを根こそぎ剥ぎ取ろうというのがTPPだ。このメンバーは9ヶ国、例えばニュージランド、オーストラリア、シンガポールなど新大陸型の農業国家で皆大きな面積を持っている。菅直人首相はこれら農業大国と日本農業を競争させようというのだから、まともな考えの持ち主とは思えない。はじめから優勝劣敗は目に見えているではないか。彼らと競争したら残るのは文化と言葉だけであろう。
しかし、この経済システムに参加したいと菅内閣の前原外相は、「GDPの1.5%の農業を守るため、残り98.5%の工業を犠牲にしてもいいのか」と言っている。松下政経塾出身の前原は農業からすっかり心が離れているか、眼中にないのだろう。あるいはGDPを押し上げるため農業を犠牲にしてもいいと考えているのだろう。
しかし、農業は農地、日本列島の水脈を守り、国土を守り、国の基幹産業なのである。いつか秋田県議会で問題になった「基幹的」産業ではないのである。私は半日かけて登呂遺跡を見たことがある。そのとき、登呂遺跡こそ日本の稲作とムラ(集落)の原型があるなと思ったものである。静岡の山手の方には縄文人もいたであろうから、海岸の御前崎の方から上陸して阿部川の微高地に住居を構え、それより低い所には田を拓いたのであろう。田は杭や板打ちをして一反歩、三反歩、一町歩等のまちまちの大きさが並んでいた。共通しているのは、協同によって水を引き田を拓いていたことであった。この様子をみて、登呂は日本の稲作文化を広めた当時のモデル農村だなと思った。ところが、登呂を離れ、町に出るとおびただしい数の車。登呂は日本に稲作文化を持ってきたが、
今、日本はすっかり車文化に囲い込まれている。こうして日本の稲作文化も次第に衰退してきたのだろうなとさびしい気持ちになってきたことを憶えている。TPPも車産業が儲けるためのシステムなのである。まさに今の「トヨタ栄えて農民滅ぶ」の経済構造をさらに推し進めて、いっそう「農民滅ぶ」をもたらすのがTPPなのだ。
私がTPPの言葉を聞いたのは十月一日の日だ。それは田んぼであった。稲刈りの最中だ。テレビの記者が「TPPをどう思うか」と言ってきたのである。しかし、はじめて聞く言葉に戸惑った。「TPPは何か」と聞くと、「十年間かけて関税を下げ、十年後にはサービス、金融部門も含めて関税をゼロにするのだという」。この話を聞いて、ヤクザ的、暴力主義的自由主義だなと思った。先述のように農業はひとたまりもなくやられると思った。だから「どう思うか」という問いには、即座に「反対だ」と答えた。なぜ十月一日かというと、この日、菅首相が国会でTPPについて所信表明したからだという。しかし、TPPの話は唐突の域を免れない。
なぜ今なのか。それにはアメリカが大きく関わっている。環太平洋のアジアを束ねて、その覇権を行使するためにオバマはTPPを考え出したのだ。アジアの覇権を狙っている大国には中国がいる。中国は従ってアメリカ主催のアジア共同体には入らず、独自の覇権樹立を狙っている。オバマは来年の秋のTPP妥結を狙っているといわれる。その成否の鍵を握るのは経済大国の日本である。そこで何でもアメリカの言うことを聞く菅政権に圧力をかけTPP受け入れを強制しようというのであろう。TPPを受け入れれば日本はアメリカの属国になり、その結果51番目の州になってしまうに違いない。情けない話である。
世界的な経済交渉機関はWTO(世界貿易機構)、FTA(自由貿易協定)、FPA(経済連携協定)などといったものがある。我々にとって、こんなに協定があっては憶えきれない。なぜ、こんなに協定が目白押しなのか。それは今の世界が「生活が先にありき」という御先祖からの生活の仕方を捨てて、「貿易が先にありき」という生活の渦に巻き込まれてしまったからであろう。その背景には世界には多国籍企業が数万社もいて、流通を牛耳っているからであろう。TPPも多国籍企業と米国などが中心になり、アジア太平洋の経済を自由化し、流通を牛耳ろうというものである。TPPはWTOやFTA、EPAに比べて腕力で自由化を押し付けようというものだから、持続可能な農業も粉砕される可能性がある。大店法で商店街がシャッター通りになったのも、この「自由」の名のもとにであった。アメリカやオーストラリアの農業が大店法とすれば、日本の農業はシャッター街になるに違いない。
そこで菅首相は言う。「日本は関税ゼロに、その収入減は補填すればいい」と。しかし、毎年、何兆円もの対策費を出せるだろうか。それに反してアメリカは自分で作ったWTOに反して輸出補助金や価格支持政策を行っている。こういうアメリカ自身がTPPで関税ゼロを実行するだろうか。日本はミニマムアクセス等に見られるようにバカ正直に関税ゼロをするに違いない。それこそアメリカの思うつぼだ。
このTPPにどこかで連日反対運動が行われている。コメ自由化反対運動に匹敵する位の運動かも知れない。TPPを考える時、メキシコのナフタや日本のミカン、そして木材産業を見る必要がある。メキシコはアメリカの農産物の洪水によって、輸入農産物45%、離農40%、日本のミカンはオレンジ自由化によって廃園が相次いだ。
木材に至ってはかつて90%の自給率だったのに今は1964年の自由化と共に安い北米材に負けて自給率は20%になった。外材輸入と共に取り返しのつかない事態になっている。製材所の機械は外材に合わせたものが使われたため以前の姿に戻すのは難しくなった。TPPで全部主権を放棄すれば似たようなことが起こるであろう。
ところが菅直人は昨年12月、農地法を大改革したばかりなのに唐突に農地改革を言い出した。今までは大企業は賃借権しか認められなかったので所有権取得も可能にしようというのである。これは明らかに大企業を農業に引き入れ、TPPに対抗しようという魂胆に違いない。これは亡国の道だ。戦略物資化しつつある食料はもはや消費者の問題だ。食料が途絶えたとき、消費者は如何するのか――。もはや消費者にとっても他山の石でなかろう。
(坂本氏から了承を戴き、雑誌『原点』から転載しました。)
書評
しばらく本とは無縁だった私が、読んでみたいと思い立ったのは、筆者が齋藤智裕ことタレントの水嶋ヒロだったからだ。2009年4月、シンガーソングライターの絢香さんと結婚、その後、執筆活動を理由に9月に芸能事務所を退社し、処女作でいきなり「第5回ポプラ社小説大賞」を受賞したという報道には「え! 凄い!」と思わず声をあげずにはいられなかった。ネットでは「出来レース過ぎる」「ポプラの宣伝」「稚拙な作品」など非難の声が上がっていたが、まずは虚心に読んでみることだ。
ストーリーはざっとこんな感じ。人生に絶望し「かげろう」のような人生を閉じようと、飛び降り自殺をはかるヤスオを助けるキョウヤ。彼は全日本ドナー・レシピエント協会という臓器ドナーと受け取り側の橋渡人。命に未練のないヤスオは命の対価を両親に遺すことを契約し、終末の場所=病院へと向かうが、そこで偶然出会ったのはまさにヤスオの心臓を待つ重度の患者アカネ。ヤスオは初めて愛の切なさを知る。… 最後、ヤスオのすべての臓器は全国各地の患者たちに移植され、彼らの体の中で生き続ける。
読後の感想は、「なかなか、やるねー」というものだ。発想も新鮮でストーリー展開も巧い。ラストでの余韻はさわやかな感動すら覚えた。
この「命」をテーマにした「KAGEROU」は、筆者の知人の言葉によれば、幼少期をスイスで過ごした彼が「生と死について小さいころから考えていた」上に、現在の日本で「自殺者の数を知ったのがきっかけで書いた。最後に悔いのない、良い人生だったかを決めるのは自分。そのために、何をしなければいけないかを考えてこの作品が生まれた」という。
その上で、あえて私が言いたいのは彼、水嶋ヒロの「愛の力」である。もし、バセドー病を患っている絢香さんとの出会いがなかったなら、そして今、彼女を命がけで「守ってあげたい」という強い思いがなかったならこの作品は生まれていなかっただろう。 今後とも、頑張ってほしい作家だ。
世相寸評
■ I
今年の年末年始は特別な爽快感とほのぼのとした気持ちで迎えることができた。それはタイガーマスク運動と大雪の中で繰り広げられた小さくも暖かい物語による。
歴史的な大雪に見舞われた元日の朝。日本海を望む鳥取県琴浦町。大晦日から降り積もった雪は腰の高さまで積もっていた。国道9号線で立ち往生した車一千台が25キロの列を作っていた。人口1万9千人の大浦町の人たちにとっていつもと違うお正月が始まった。
自宅にあった一俵半の米を全部炊き、おにぎりを近所の女性たちと作り配った人、バナナはいりませんか?と窓をたたいて回った人、「トイレ→」の看板を作り自宅のトイレを開放した看板屋さん、饅頭1200個を配った饅頭屋さん・・・。同じような事は、特急列車が25時間以上立ち往生した、JR今圧駅(福井県南越前町)でもくり広げられた。その後、琴浦町や南越前町へは感謝の手紙やメールが届けられているという。
そして、タイガーマスク運動。群馬の一人から始まった漫画の主人公の名を借りた児童相談所への贈り物。瞬く間にバライテイ豊かに全国に広がった。なぜこれほどまでに広がったのだろうか。まず、「共感」されたこと。そして「これなら自分にもできる」というものだからであろう。「共感」されたと言うことは、虐待や経済的理由から親と一緒に暮らせない子供たちの不幸を多くの人が他人事と考えていないということであり、実名を出さず、自分の一定の経済力でもできることであったからこそ、全国の老若男女に広まったのではないだろうか。
勿論、偽善とか善意の押し売りとか一過性に過ぎないとか、実名を出さない事への批判もある。しかし、このタイガーマスク運動により、どれだけの人が感動を与えられ、日本と日本人に対する希望を見出すことができたか。この運動により、埋もれていた児童相談所や擁護施設の実態が少しは理解されるようになったであろうし、何よりもこの運動を契機に「もっと、もっと、伊達直人」(せんだい・みやぎNPOせんたー)など、さまざまなプロジェクトが生まれていると言う。伊達直人が個人の枠を超え組織へと成長しているということだ。
日本はまだまだ底力がある。それは国民力だ。この国民力に依拠してこそ、「無縁社会」だの「元気のない自信のない尊厳のない日本」だのからの脱却が可能であり、競争や無縁ではなく共生と情で結ばれた社会、元気と自信と尊厳を持てる日本の再生も可能ではないかということを実感した。
(金子恵美子)
■ U
タイガーマスクとはどのような話なのか意外と知られていない。以下、参考までに紹介したい。
伊達直人は、ちびっこハウスという孤児院の出身だった。だが、『虎の穴』という秘密組織に買われ、悪役レスラー養成所で鍛えられ、タイガーマスクというリングネームでデビューする。当初は卑怯な反則技で勝ち、それで稼いだ大金で買った物品をちびっこハウスに持ち寄り、孤児たちや園長は喜ぶ。真っ赤なスポーツカーで颯爽と現れる彼を「キザ兄ちゃん」と呼ぶ孤児らは、その正体を知らない。そんなある時、テレビに写る、反則で相手を打ちのめすタイガーに孤児達が罵声を浴びせる様子を見る。
「そうか、この子たちは汚い反則技で勝つタイガー、汚い手段で生きる大人達が嫌いなんだ。よし、明日から反則は一切使わない!正義のタイガーをこの子らに見せるんだ。」そして、『強ければそれでいいんだ、力さえあればいいんだ』の考えは激変し、相手が反則しても、正当技だけで必死に戦うタイガーを子供達は見直して大声援を受けるが、『虎の穴』は激怒して対戦相手に刺客を送り込む。
それでも信念を貫き、『虎の穴』最後の刺客との対戦で追い込まれた彼は、遂にリングで素顔を見せてしまい、テレビの前の孤児達は驚いて言葉を失う。孤児達に正体がばれたやるせなさと、『虎の穴』への憎しみから、最強の刺客を、それを上回る反則技で倒し、彼はリングから姿を消す。やがて、ちびっこハウスに最後の贈り物が届いた。キザ兄ちゃんが品物と手紙だけを届け、姿は見せなかった。
そして、贈り主の名には「タイガーマスク 伊達直人」ときされていた…。
(編集部より)
■日毎に高まる反米感情
昨年12月トルコで行った新聞世論調査で、国民の43%が米国を最も大きな脅威に感じ、24%がイスラエルを次に脅威と感じていると回答。
これまで、トルコはアジアで唯一のNATO成員国として米国が重視する同盟国であった。しかし、2002年に正義発展党が執権党となり、トルコの政治状況が変わった。2003年のイラク戦争開始直前、トルコは米国が自国領空と軍事基地を使用するのを拒否した。
米国は、2008年にイスラエルがパレスチナのガザ地区を無差別に攻撃し、昨年5月、国際人道主義援助船団に所属するトルコ船舶を公海上で無法に攻撃した時もイスラエルを擁護した。
このような米国の支配主義的行動は、トルコ国民のなかでイスラエルはもちろん米国に対する敵対感情を高めた。
トルコは昨年6月、国連安保理事会で行われた対イラン制裁決議案採択時に反対し、NATO成員国で唯一、米国のミサイル防衛体系構築策動を非難している。多くのトルコ国民は政府が対外政策で独自性を維持していることを支持している。
(朝鮮・労働新聞)
■レアアース問題をめぐって深まる矛盾と摩擦
基本問題は、中国と米国と日本などレアアース生産国と消費国間の矛盾と対立である。
中国は世界レアアース生産の90%以上を占めている。逆に、米国をはじめ西側諸国は豊富なレアアース資源を持っているにもかかわらず、それが戦略資源であること、また生産過程に大量の放射性物質が生まれるということから開発や生産事業に非常に消極的である。
それにもかかわらず、西側諸国は中国のレアアース輸出制限措置を非難し、それを反中国活動に巧みに悪用している。
これに対して、中国商務部長は一部の国が利己的な目的の下にレアアース資源開発をおろそかにしていることに言及し、中国は環境保護事業を強化するために一部レアアース鉱山を閉鎖したり生産を中止させたこと。そのために国内のレアアース生産量と輸出量が一時減少した事実について明らかにした。続けて自国のレアアース輸出と関連した西側の正確でない報道を非難しながら、今年も中国のレアアース輸出量は一定の規模で維持するだろうと述べた。
米国と西側諸国は中国をあれこれと非難することはできない。それは、これらの国々が中国からレアアース資源を低価格で購入しているからである。米国と西側諸国は発展した鉱物採集技術を利用して、中国で略奪式のレアアース資源開発を推進してきた。その結果、世界的なレアアース量で中国の採取可能なレアアース埋蔵量がしめる比重は80%から52%に下がった。これと共に、米国と西側諸国は中国産レアアースを1sあたり18人民元という安い値段で購入してきた。当時、国際市場でのレアアース金属価格は1sあたり1000US$であった。
(朝鮮・労働新聞)
■朝鮮が経済10ヶ年計画、国家経済開発総局を新設
北朝鮮が国家経済開発10ヶ年計画を打ち立て、執行部署として国家経済開発総局を新設したことを、朝鮮中央通信が報じた。同通信によると、北朝鮮は10ヶ年計画の内閣決定を正式に採択。新たに設置された国家経済開発総局について、「国家経済の開発や戦略を実践することで生じるすべての問題を総括する機構」と定義している。計画の実践は外資融資窓口の朝鮮大豊国際投資グループ(国防委員会傘下)に委任した。10ヶ年計画に従って建設や農業、電力、鉱工業などあらゆる産業の目標が策定され、「2012年の強盛大国を経て2020年には先進国に肩を並べるだろう」と宣言した。
今回の10ヶ年計画に関連し、韓国・中小企業銀行経済研究所のチョ・ボンヒョン研究員は「2009年後半から準備してきたもので、具体的な開発事業は12分野。投資規模は1000億ドル(約8兆3000億円)に上る」と話している。
(韓国聯合ニュース)
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