研究誌 「アジア新時代と日本」

第9号 2004/3/5



■ ■ 目 次 ■ ■

時代の眼

主張 「一国平和主義批判」の批判と「9条自衛」

研究 「ドル心中」に突き進む日本

文化 夢も、実力も

読書感想 昔も今も

朝鮮あれこれ ピョンヤンに「口笛」が走る

編集後記



 
 

時代の眼


 

 わが国の戦後60年近くの歴史は、政治を憲法精神に則ってやるのか、安保に基づいてやるのかの攻防の歴史だったと言っても決して過言ではないでしょう。この歴史において、憲法精神は安保政治によってないがしろにされ踏みにじられてきたと言うことができます。信じられないような「解釈改憲」によって、なし崩し的に自衛隊の海外派遣までが合憲化され、その戦闘地域での活動が憲法精神に則ったものだと強弁されるまでになってきました。
 しかし、この攻防の歴史にも、今、終止符が打たれようとしています。すなわち、この間、一貫して続けられてきた改憲策動が最終段階に入ったということです。「改憲」「創憲」「加憲」など、憲法を改めようという論調が大勢を占め、「護憲」の声は、かつてなく細くなっています。
 そうなった根拠として、日本の現実があまりにも憲法とかけ離れてしまったということが挙げられています。しかし、現実が憲法に合わない、だから改憲だというのはどうでしょうか。現実が憲法に合わないならば、憲法に合うように現実を改めるというようにはならないのでしょうか。これは優れて、基準をどこに置くかの問題ではないかと思います。
 憲法を改めるか否かの基準は、憲法がただ単にその国の現実に合っているか否かにあるのではなく、現実の肯定面、否定面、すべてを勘案したうえで、憲法がその国のためのものになっているか否かにあるのではないかと思います。しかし、この当たり前のことが当たり前でなくなっているのが今日の日本の現実ではないでしょうか。自国の利益から出発するのは、「一国主義」として排撃されており、国際社会の利益を優先させ、自国の利益はそれに従わせるべきだという考えが大手を振ってのし歩いています。
 だが、本当にそうでしょうか。問題は、日本の利益と国際社会の利益があたかも対立するかのようにして、日本の利益を基準にするのを「一国主義だ」と非難するところにあります。日本の利益と世界の利益は決して対立するものではありません。もし対立するとすれば、それはアメリカ帝国の利益とです。「一国主義」批判で言われている「国際社会」とはアメリカのことであり、この批判自体、アメリカの利益をはかるためのものです。だから、われわれは、どこまでも日本の利益を中心に置き、その実現を通して世界に貢献するという立場に立って、憲法問題も考えていくべきだと思います。
 われわれはかつて、この基準に即し、安保を柱にしたアメリカのための政治を正し、憲法を尊重し憲法を柱にした日本のための政治を実現すべきだと「尊憲」を提唱しました。今日、日米安保の再定義、新ガイドライン、周辺事態法、有事立法、そして自衛隊のイラク派遣と進む日本の現実は、今こそ「尊憲」がより切実に求められていることを示していると思います。


 
主張

「一国平和主義批判」の批判と「9条自衛」

編集部


■「一国平和主義」のレッテル貼り
 今、日本では、イラク派兵に反対する人々、平和を求める人々、そして平和憲法を守ろうとする人々に対して「一国平和主義」というレッテル張りが横行しています。
 小泉首相は、「今、日本には国論を二分する問題がある」としながら、幕末には、「日本一国で発展を考える鎖国勢力と、開国して新時代を築こうという勢力が分かれた」が、今は「一国平和主義か、国際社会と協力して日本の平和と繁栄を図るかの問題」だと言っています。自民党の保岡憲法調査会長は、改憲の狙いを「『一国平和主義』『一人幸せ主義』ではダメだということだ」と言っています。民主党も岡田幹事長が1月に連合のイラク派兵反対の集会に参加したおりに、「民主党は『一国平和主義』ではありません」と言っています。
 「一国平和主義」というのは、誰かが「我々は一国平和主義だ」と言っているわけではなく、一種のレッテル貼りです。その狙いは、これがあたかも「自分だけが平和であればいい」という利己主義、独善、であるかのように印象づけながら、これに「国際協調」を対置させイラク派兵のような軍事的対米協力を容認させようというところにあるのでしょう。小泉首相は、「いずれの国家も自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」という憲法前文の一部をやたら引用して、これを印象づけてますが、この文言は、「独善になって他国を侵略するようなことをしてはならない」ということです。それを「一国平和主義」批判であるかのように狡猾に解説して見せるところに、「一国平和主義」が為にする巧妙なレッテル貼りであるということが如実に示されてます。

■アメリカ帝国の属国・傭兵
 では、「一国平和主義」と対置させて言われる「国際協調」とはどういうものでしょうか。小泉首相は、「日本が危機に陥ったとき助けてくれるのは米国であって国連ではない」と言ってますが、彼らの言う「国際協調」とは対米協力だというのは、誰もが指摘していることです。
 その米国は、今や「アメリカ帝国」として、横暴に振る舞っています。それは、ブッシュ政権の単独主義、先制攻撃主義やこの政権を支えると言われるネオコンたちの言動を見て、多くの人が指摘することです。
 今年の大統領一般教書演説でブッシュは「米国は『自由の大義を主導する』という『特別の召命』を与えられた『偉大な共和国』」と言ったわけですが、こういうことを聞くにつけ、「パクスロマーナ」を思い出します。その強大な軍事力で各国各民族を属国、属州にし、その収奪によって「平和と繁栄」を誇った古代ローマ帝国。ローマ帝国は、そうした支配と収奪を「神の召命」として恥じるところがありませんでした。
 米国が「アメリカ帝国」だとすれば、日本は属国、属州でしょうか。そしてイラク派兵は、属国日本からかき集めた傭兵でしょうか。
 そのアメリカ帝国は、崩壊過程に入ったと言われています。確かに、膨大な双子の赤字を出しドル崩壊が囁かれる米国経済、イラク占領の泥沼化、そして、こうした米国の弱体化、あるいは、それゆえの凶暴化に対し離米多極化が進む現状を見ると、そう思います。そして、それを必死に支えているのが日本だと言えるでしょう。最近のドル安に際し日本が20数兆円もの莫大なカネを使ってドル買いを行っています。この詳細は「研究」欄で詳しく述べていますが、日本の場合、そのほとんどを米国債に回しているとか。アジア諸国もドル買いをしていますが、最近では、米国債を買うのをやめ、ユーロに換金するとか、国内投資に回すとかしています。それは、世界的にドル信用の崩壊が噂されているためです。
 本当に日本は属国です。そしてついにはイラク派兵という傭兵派遣。そういう国際協調があるのか、そういう対米協力でいいのかと思います。

■自主権の尊重と真の国際協調
 分かったようで分からない言葉というのがあります。「国際協調」もそういう言葉のようです。政府の対外向けHPでは英語で「国際調和」になっているとか、ある外交官は英訳すれば「国際結束」とすべきだろうと言っていたというのが日経新聞の「風見鶏」欄(2月22日付)にありました。そう言えば、80年代に使われた「国際化」というのも、外国人には理解されなかったとのこと。国際というのは国と国の関係という意味なのに、それに「化」をつけて何を言いたいのかと。日本では通じる感じですが、どうも国際化とか国際協調というのは、外国では理解しがたい言葉のようです。
 なぜ、そうなのか。それは、やはり世界では、まず自国があって、それとの関係で世界や国際社会(これも日本的言葉ですが)との関係を考えていくのが当然だからでしょう。
 国際社会は、それぞれの主権国家によって構成されています。各国は、自分の国益を考えて自主的に政策を立て執行していく。その上で、国際的に協力してやっていこうとする。それが国際社会で普通の、そして当然の考え方なのでしょう。
 実際、主権国家というものを基軸にして考えないと、世界の問題は正しく解決できないと思います。卑近な例で言えば、イラク事態がそれを示しています。イラクの人々の要求は、侵略者は出ていけ、自分たちのことは自分たちで決めるということでしょう。いくら圧倒的武力でフセイン政権を倒しても、イラクの国家主権を尊重してイラクの人々の自主的権利を保障しないかぎり問題は解決しないということです。
 アフリカ諸国がアフリカ連合を結成したのも、全米自由貿易構想に反対しメルコスル(南部市場)とアンデス同盟諸国が提携を深め、それらの国々で反米政権が連続的に誕生しているのも、アメリカ帝国の横暴に対して、各国が自主権を守ろうとし、その上にたって、地域と世界の「国際協力」を行おうとしているということだと思います。
 そして東アジア共同体構想が進むアジアでは、ASEAN諸国が日本に東南アジア友好協力条約の締結を要求しています。それは「独立、主権、領土保全の相互尊重」「外部から干渉されない権利」「「紛争の平和的解決」「力による威圧と使用の放棄」などを内容としており、自主権擁護と相互尊重を基本原則としたものです。
 この原則は、とりわけ第二次世界大戦後、世界共通の原則として承認されたものであり、国連憲章やさまざまな地域協定にも定められています。米国がアメリカ帝国として、あるいはその崩壊の危機から、なりふり構わずこれらを無視する態度をとるからといって、日本もそれに従うというのでは、本当の国際協調もできず、とりわけアジアとの関係はないと思います。

■「9条自衛」を掲げて
 日本は「ルビコン」を渡ってしまいました。
 「ショー ザ フラッグ」「ブーツ オン ザ グラウンド」と言われイラク派兵を行った日本政府は、この現実をテコに、「手先侵略国家」として新たな憲法を定めようと改憲策動を強めています。自民党の安倍幹事長が「制定から半世紀以上経過して、時代にそぐわない条文、その典型的なものが9条だ」と言っていますが、結局、彼ら改憲派の狙いは、「9条改憲」です。
 ところで、「改憲」支持は半数を超えたと言われても、「9条改憲」については2割の賛成しかありません。護憲派は少数でも「9条改憲」反対派は圧倒的多数です。この「9条改憲」反対が確固たる「9条護憲」となるために、「9条自衛」についての国民的合意が重要です。
 周知のように、憲法には自衛権は明記されていません。それは国家として当然保有する自然権だと解釈されています。9条は、国権の発動たる戦争と国際紛争を解決する手段としての武力による威嚇、武力の行使を禁じています。しかし自衛権はある。それは、敵が日本の領土(領域)に侵入してきた場合、それを撃退する「撃退自衛」として発せられ実行されるものだということです。
 9条2項に、「前項の目的を達するため」とわざわざ「国際紛争を解決する手段としての」を強調したのも、自衛権は前提として、その行使が侵略や国際紛争への介入にならない徹底した「自衛」、「撃退自衛」として行われるようにするためです。実際、昔も今も戦争は自衛の名で行われます。ブッシュの先制攻撃論さえも「米国防衛」のための予防戦争として位置づけられています。そして日本は、安保再定義によって自衛の名で米国の手先軍事をやるようになりました。そして今、「集団的自衛権行使の容認」が改憲の焦点になっています。
 自衛を前提にしながら、自衛の名で侵略や海外派兵をできないようにした「9条自衛」に対する国民的合意を実現することで、「ルビコン」を渡ってしまった自衛隊を引きもどし、真の「自衛隊」、徹底した撃退武力に転換させることが今切実に求められています。こうしてこそ、我々は、日本の自主権をしっかりと打ち立て、各国と互いの自主権を尊重する真の国際協調を実現していくことができるのではないでしょうか。


 
研究

「ドル心中」に突き進む日本

小川 淳


 米国の財政赤字が膨らみ続けている。04年度の財政赤字の見込み額は過去最大の5210億ドル。前年度より一挙に39%増え、対GDP比も4、5%にのぼる。財政赤字の原因は、財政的担保がないにもかかわらず高所得者を対象とした大幅な減税の一方で、年間4000億ドルもの軍事費支出を計上していることにある。
 米商務省が発表した03年度貿易収支赤字も4893億ドルと過去最高を記録している。ブッシュ政権は景気回復にともなう税収や国防費の抑制で赤字半減が可能と主張しているが、実は05年度予算教書で示された赤字見通しには、「どのくらいの経費が必要なのか予測できない」という理由で、イラク復興関連費は計上されていない。

◇帝国の軍事費を支える日本
 普通の国ならとっくに債務超過で破産(デフォルト)してもおかしくないほどの巨額な財政赤字、経常収支赤字を抱えながらも、高所得者への大幅減税を行い、世界の軍事費の40%、2位から14位までの軍事費を合わせた額より大きい軍事費を計上している。このような手品が通用するのはなぜか。
 普通、財政赤字を埋め合わせするのはその国の国民だ。日本も巨額の財政赤字で苦しんでいるが、日本の財政赤字を埋め合わせているのは国民からの借金である。ところがアメリカの財政赤字を埋め合わせているのが日本政府だという構図はあまり問題にされていない。
 昨年の日本の為替介入額(ドル買い支え)は史上最高の20兆円に達した。日本の貿易黒字額のほぼ2倍に当たる。今年は1月だけで6兆円を超える市場介入を行っている。日本政府の為替介入は米国債を買う形で行われており、国債は財政赤字を補う為のものである。言い換えれば、ブッシュ政権の財政赤字を補填しているのは日本政府であり、日本は20兆円もの巨額を注ぎ込んで、世界最大の「帝国」の軍事費を支えているのである。

◇国際社会で進むドル離れ
 日本の財務省は、今年の介入資金調達枠を従来の79兆円から100兆円に増枠、さらに4月以降分を140兆円に拡大した。「円高警戒」という「口実」を差し引いても、日本のなり振りかまわぬこのドル買い支えはどう見ても異常だ。
 確かにこれまで貿易赤字を上回る資金がアメリカに流入してきた。構造的需要不足に陥り、株価も金利も低迷している日本やEUには輸出して得た外貨の投資先は国内にない。その資金がアメリカに流れ、この資金によってアメリカの経済が活発化し、アメリカの消費が増大する。90年代のアメリカ経済の膨張は、海外からの資金によって支えられたもので、2000年で世界資本輸出の64%が米国に流入している。その資金が株式投資へ流れ、株価が上昇、それに刺激されて実態経済が拡大、ITブームを引き起こした。それが日本の輸出を促したのも事実だ。
 しかし、米国が世界の貯蓄を集めて有効需要を支えるという過去10年間の成長パターンは終わりつつある。ほとんどカジノ経済化したドルはもはやいつ暴落してもおかしくない危険水位を超えている。必死にドルを買い込んでもドル暴落で紙屑同然となるかも知れないのである。
 世界の余剰資本の大部分がアメリカに流入するのは、米ドルが世界の基軸通貨になっていることも理由の一つだろう。世界の主要貿易品の決済はドルであり、外貨準備の通貨別比率も米ドルが64%、ユーロ14、6%、日本円4、5%と他を圧倒しているが、国際社会でもドル離れが進行している。昨年10月にはロシアのプーチン大統領が、12月にはOPECのシルベ事務局長が原油取引をドルではなくユーロ建てにすることを検討すると発表している。対アジアではドル建て輸出が50%を割り、円建ての取引が増加している。「基軸通貨としてのドル時代が終わる前兆かも知れない」(エコノミスト誌)。そういう時代を迎えつつある。

◇日本はアジア通貨圏の構築を
 このままドル依存を続ければいずれ米経済と心中することになる。この警告はあちこちで発せられている。日本経済が生き延びるためには、「対米輸出とドルに依存した経済構造」という、経済政策における対米追随、従属から脱し、経済の軸足をアジアに据え、アジア諸国とともに独自の経済圏、通貨圏を構築することが求められていると思うのだが。


 
文化

夢も、実力も

田中協子


 近ごろ、新聞を読んでいて目を引くフレーズに出会いました。「心はアマチュア、腕はプロ」。映画監督、坂本順治さん率いる制作チームの心意気です。私なりに解釈すれば、常に初心者の初々しい心で取り組み、技術的にもプロとして恥じないものを作るという意なのでしょうか。実際、阪本監督の映画「この世の外へ〜 クラブ進駐軍」の制作過程は、当時を知らないスタッフが戦後の焼け跡や闇市風景もCGではなく大型セットで再現し、ジャズメンを演ずる俳優たちが手を血豆だらけにしながら猛練習しプロ並の演奏水準で撮影に臨んだといいます。
 「プロ」とはその道の専門家のことで、市場原理が基準となる社会では、市場で通用する実力をもった人となります。一方、「アマチュア」は市場原理とは関係なく自分の夢や理想を追求し、楽しむ人です。そこから、アマチュアは夢や理想はあるが実力は劣るとか、プロは市場で通用する実力はあるが夢や理想に欠ける、といったことになりがちです。
 阪本監督はもちろんプロの方ですが、あえて「心はアマチュア」と言う時、市場原理に毒されず夢や理想をもって映画を作るが、その腕は市場競争で勝てる水準でということなのでしょう。すなわち「夢も、実力も」と。
 昨年ヒットした「Dr.コトー」も、この「夢も、実力も」の典型だと思います。金や地位、権威に支配される医学界と隔絶した孤島で患者中心の医療を実践し医者としての生きがいを見いだす五島。ふつう、そんな僻地で「患者のために」などと純粋に夢を追いかける医師と言えば「ちょっと腕の方は落ちるのでは?」となるのですが、Dr.コトーの実力は東京の最先端医療現場の医師よりも優れているという設定です。
 今の日本ではまずいないと思われるこんな医者を登場させたドラマがヒットしたり、プロの映画監督があえてアマチュアの心で映画作りをすると言い、それに共鳴する俳優が多いということは、なんだか嬉しいことです。将来への不安に満ち、食うのに必死で夢を持つことがしんどい今の日本の状況や、たとえ夢があっても妥協や敗退を強いられる能力主義の競争社会に抗し、「夢をどこまでも追求したいし実力でも負けない」という人々の思いが伝わってくるからです。
 一方、うがった見方をすれば、最近ハリウッドが日本人を驚嘆させる精神性と職人技で日本武士を描いた映画を作りヒットさせたりしているのをみれば、市場原理が「夢も、実力も」の志向を取り込んできているようで、ちょっと複雑な気分にもなりますが・・・。
 ともあれ、阪本監督の映画「世界の外へ〜クラブ進駐軍」は、ある雑誌の映評で「今も変わることのない人間の愚かさをこそ、今の映画として、この戦争の時代に提示した、意欲作」と評されていました。いったいどんな映画なのか、いつか、見てみたいと思っています。


 
読書感想

昔も今も

魚本公博


 最近、評判の「信長と十字架」を読んだ。
 作者は主婦学者として有名な立花京子さん。信長が天下統一を進めるにあたって、「イエズス会」に代表されるスペイン、ポルトガルの南欧勢力がその背後にあったとしながら、信長が天下布武を言い始めたころから、その死に至るまでを、その推論を詳しく論証しています。
 日本史の謎の一つとされる明智光秀による「本能寺の変」もイエズス会が編纂した「日本史」に「(信長の成功が)それらすべてが造物主からの恩恵と賜物であることを謙虚に認めないでいよいよ傲慢にな(ったので)・・・われらの主なるデウスは、彼があの群衆と衆人の参拝を見て味わった歓喜が19日以上継続することを許し給うことがなかった」とあるのを引用し、光秀につながる、天皇勢力、堺商人、武将などのキリシタンス人脈の動きを分析し、それを検証しています。
 信長の暗殺には天皇勢力があったとする説が安倍龍太郎氏の小説などで明らかにされてきましたが、その背後に南欧勢力があってこれを操縦していたというのはあり得ることだと思います。
 さて、問題はイエズス会の目的ですが、立花さんは、それを南欧勢力が日本をして中国を侵略させるためであったと見ています。そして、それは信長の後継者、秀吉によって受け継がれ実行に移されたのだと。
 確かに、朝鮮の役で主力を率いた小西行長はキリシタン大名であり、そこには多くの宣教師が同行していたという資料もあります。うーむ、やはりという印象。そして、この南欧勢力の対日政策が近代以降の欧米の対日政策に引き継がれていたとしたら・・・。
 この本の書評で毎日新聞論説委員北村龍行氏が 「これまでの常識では荒唐無稽。しかしこれまでは秀吉以降の権力の歴史の押し付けに惑わされていただけかもしれない」と述べていましたが、日本の近・現代史には随分、欧米隠しが行われているように思います。


 
朝鮮あれこれ

ピョンヤンに「口笛」が走る

若林亮盛


「フィッパラム」自動車

 今年に入って、ピョンヤン市内で見慣れない車をよく見かけるようになった。後ろのボンネットに朝鮮語でフィッパラム(口笛)と書かれているので、よく目だつ。市内では、日本車、ベンツが多数を占める中、特異な存在感を示している。
 ピョンヤンっ子の目をひくこの小型車、フィッパラムは、日本の新聞でも報じられたように「北朝鮮で初めての広告塔」が掲げられた話題の車で、5人乗り、排気量1300ccの小型乗用車である。走行時のエンジン音が、口笛を吹くような軽快さ、というところからこの名前がつけられたという。5段変速だが、マニュアル変速というのが、この国のドライバーの嗜好を反映している。1km走行で46gという低燃費も魅力で、私たちも、日本の中古車がそろそろ買い替え時期ということもあって、次はフィッパラムにするかという気になっている。
 2002年4月に操業を開始した朝鮮リョンボン総会社と世界平和連合の合弁形式で運営される「平和自動車総合工場」で生産されている。黄海に臨む港湾都市、南浦(ナンポ)に工場はある。モデルは、韓国現代グループ傘下の起亜自動車がフィアットとの技術提携で造られた車で「FIAT」のロゴも入っている。輸出用にも生産されているという。
 現在、年産1万台規模だが、将来は、10万台規模に拡張される。またセダンタイプだけでなくワゴンタイプ、トラック、ミニバンなど各種タイプの「フィッパラム」生産が見込まれている。
 フィッパラムは、南北経済協力の一つの象徴ではあるが、金剛山観光に始まった経済交流は、南浦、開城(ケソン)工業団地建設へと発展。最近の南北閣僚会議では、開城工業団地着工が合意された。
 大韓商工会議所が昨年末、行った調査では、関心を示す124企業中、94.9%が中国など外国より開城を投資先に選ぶとの回答を寄せたという。より積極的なのは繊維、機械、自動車部品などの中小企業とのこと。今年度初めには、釜山の製靴業者デイアス社がピョンヤンに賃加工工場を設立、初年度204万足、3年後には1億足の靴を生産する計画となっている。
 2月下旬開催の6者協議で南(韓国)は北の核兵器開発凍結の見返りにエネルギー支援の用意を表明、中ロがこれに賛成、米日が反対というように、従来の米日韓対朝中ロという構図に変化も生じている。
 南北の民族共助のうねりは後戻りできないだろう。ピョンヤン市内に増え続ける「口笛」の軽快な走りは、南北統一気運を象徴している。


 
 

編集後記

魚本公博


 3月、いよいよアテネオリンピック出場をかけたアジア最終予選が始まりました。U23の若き獅子たちの元気はつらつとしたプレーをみるのはたのしいものです。
 その中東地域では、最近、日本人が「日本は米国と戦い、原爆も落とされたというのに、この頃は、随分仲がいいじゃないか」と皮肉られたりするとか。
 国益だと強弁して敢行したイラク派兵によって、日本は中東で人気を落としているのであって、これでは国益と言えないでしょう。権力者の耳には、そういう庶民の声など聞こえないのでしょうが、その姿勢が歴史を歪曲したり現状を直視できなくしているのだとしたら・・・。深刻な問題です。


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