研究誌 「アジア新時代と日本」

第88号 2010/10/5



■ ■ 目 次 ■ ■

編集部より

主張 尖閣諸島事件、何が国益なのか?

研究 経済的停滞からの脱却 その鍵を探る(1)

インタビュー 「救援連絡センター」山中幸男氏に聞く 闘いの遺産をどう受け継いでいくのか

時評 「韓国併合」100年の年に




 

編集部より

小川淳


 日本経済が苦境に喘いでいる。国税庁の調査によると、年収200万円以下は4人に一人、1100万人に迫る勢いだという。平均給与も昨年は406万円、97年をピークに給与は下がり続け、前年比23万円減と、下落幅は過去最大となった。
 一方、日本の経済の「国際競争力」も下がり続けている。昨年のランキングは前年の17位から27位へと大幅に転落した。08年までの経済成長率は名目ゼロ%。潜在成長率も0、6%に落ちた。電気や自動車など日本の基幹産業が支えてきた輸出依存の成長モデルはもはや通用しなくなった。日本のお家芸といわれた液晶パネル、太陽光電池、DVDプレイヤーは90年代以降、日本企業がほぼ100%のシェアーを誇っていたが、いまや20%台を割り込む。追い上げたのはサムスンなどの韓国勢企業だ。
 なぜ日本経済はここまで落ち込んだのか。1990年代にはおおむね2〜5位だった日本人一人当たりのGDPは、小泉政権誕生の2000年の3位から、小泉政権が終わった翌年の07年には19位へ、08年には23位にまでまさに坂を転がるように転落している。日本が没落した一つの大きな要因が小泉構造改革にあったことは間違いなさそうだ。
 これからの日本をめぐっては、大きな二つの対立軸があるのではなかろうか。一つはアメリカからの自立か従属かという外交の軸をめぐる対決点である。その焦点が普天間移転問題だ。もう一つは、新自由主義の継続なのか、そこからの離脱なのかという経済をめぐる対立軸である。
 対米従属外交からの転換は容易ではない。しかし、日本経済は技術力も人材も世界のトップレベルにある。なぜ日本経済は負け続けているのか。その要因を新自由主義に求めるとき、一つ言えるのは、国家による経済への介入を否定し、国家と経済を切り離してしまったことにあるのではないだろうか。国際的な技術開発競争では、国家戦略抜きの「市場」任せではとても通用しない。体系的な国家戦略と具体的な産業政策が必要だ。また科学技術の人材を育成する教育事業も重要だ。教育予算を削るような愚は止めたほうがよい。菅政権の「新成長戦略」は、こうした日本経済が求める切実な要求に応えているとは思えない。新しい時代を迎えながら、経済における新自由主義を根本的に克服する全く新しい経済発展の国家戦略が問われているのではないだろうか。



主張

尖閣諸島事件、何が国益なのか?

編集部


■菅政権の事件への対処
 9月7日に起きた尖閣諸島での紛争事件が大きな問題になっている。
 元来、尖閣諸島の問題は、78年の日中平和条約締結時に当時の中国側実力者であるケ小平氏の「我々の世代の人間は知恵が足りない。次の世代はもっと知恵があろう。後代に任せよう」という発言に基づき、これを棚上げにした経緯がある。その後、日中両国は、この線に沿ってやってきた。04年に起きた中国人活動家7人の上陸事件でも、書類送検をやらず強制退去させることですませている。
 ところが、今回は船長を逮捕したのである。これに対する中国政府の再三の抗議と船長釈放要求に対して政府は、ことさら「領土問題はない。国内法に基づき粛々と処理する」と繰り返し、「聞く耳もたず」という態度に終始した。
 中国がこれに対し閣僚級人士の交流停止、航空協定交渉の中断、上海万博への青年代表団の受け入れ延期、レアアースの実質輸出禁止などなどの対抗措置を次々と打ち出すや、経済界や国民の間にも善処を求める声があがった。
 こうした中、フジタの社員4人が軍事管理区域に無断侵入したとして逮捕されるに至った。この逮捕は、その後、船長釈放後3名の釈放があった経緯を見れば、一種のシグナルだったのではないだろうか。すなわち、船長とフジタ社員の交換で事を収めようとしたということだ。しかし、政府は、そうした中国側の外交的配慮を思い計ることもなく、船長の拘留期限が終わらない24日に、まるで中国の圧力に屈したかのようにして船長を釈放した。これでは、中国も立つ瀬がないであろうし、外国メディアが「日本屈服」と報じたように、日本の「弱腰」を際立たせることになってしまった。しかも、この責を免れようと、釈放を那覇地検の判断によるものとしたのは、姑息の感を否めないものだった。

■もっとも国益に反することとは?
 この問題をめぐっては国益論争が起きている。とりわけ24日に船長を釈放したことをもって、自民党を始めとする諸野党が「中国の圧力に屈した」、「国益を損なった」として政府を追及している。
 釈放自体は正しいとしても、中国の圧力に屈したかのようなやり方は問題だ。あれでは日本が弱腰な国になってしまう。だが、そもそも問題は、船長を逮捕したこと自体にあったのではないか。当日(7日)、この海域には中国漁船が百隻あまり操業しており、その一部が領海に接近したとして海上保安庁が退去警告を出し追い出しをはかり、そうした中で衝突事故が起きたものである(船長は「領海」には入っていないと言っている)。それが午前の出来事であり、その報を受けて政府内で協議して、逮捕は8日の未明に行われている。この「入念な」協議で判断の基準は一体何だったのだろう。国民がそれを望んでいるのかどうかが基準になっていたのだろうか。とてもそうは思えない。基準は別なところにあったのではないだろうか。
 逮捕自体が間違っているから、中国に屈したかのような釈放をせざるを得ず、国益を損なったと指弾されるようなことになるのだ。しかし、それにも増してはるかに重大な問題がある。国連会議に出席した前原外相が23日に、クリントン米国務長官と会談した際に、わざわざこの問題を持ち出し、クリントンが「尖閣諸島は日米安保の対象」と応じたことだ。
 これは、日本が自国と中国との間の問題を米国に頼って解決しようとしたということであり、最近唱えられている「日米安保抑止力論」を実証しようとしたことである。「日米安保抑止力論」は、普天間基地問題で「安保見直し論議」が起きる中、危機感をもった米国や日本の親米派が、朝鮮や中国の脅威を口実にして持ち出してきた論理であることは記憶に新しい。そういう意味では、日本がこの問題をもって、米国に頼み込むかのような行動をしたのは、米国にとっては願ってもないことであったろう。
 この問題を巡ってのNHKの報道番組で、親米で知られる外交評論家の岡本行夫氏は、ASEAN諸国も中国との間に南沙諸島をめぐる領海問題を抱えているが、今回の事件で中国の「覇権野望」をアジア諸国は再認識しただろうと述べ、「日米安保はアジアの共同財産」だとまで言っている。
 南沙諸島の問題では、今年7月に行われたASEAN地域フォーラムで、この問題が取り上げられ、会議に参加した米国のゲーツ国防長官は「いずれかの味方をするものではないが、航行の自由を妨害する武力行使や行動に反対する」として中国を牽制した発言をしている。
 こうした米国の動きを国際ニュース解説者の田中宇氏は、「米国の新分断外交」としている。、自らの一極支配が崩壊する中で、世界やアジアでの存在感を急速に低下させている米国が、アジアでのプレゼンスを保持しアジアに関与していく口実として、目をつけたのが中国とアジア諸国との領土問題だということだ。すなわち、中国と日本、韓国、ベトナムなどとの対立を陰で煽っておいて、米国が仲介に入りながら、関与していこうという米国の新しい外交戦略ではないかということだ。
 尖閣諸島の問題は今後とも尾を引く可能性がある。今年12月、米軍と自衛隊は、この海域で「台湾有事」を想定した軍事演習を行うことを計画している。この事件をあいまいに終わらせることなく、このような問題にどのように対するのが真に日本の国益になるのかを論議し考え抜くことは、極めて重大な問題となっている。

■脱覇権時代の問題の解決は?
 米国の覇権の傘の下で生きてきた日本であるが、米一極支配が崩壊した脱覇権の時代にあって、これまでの思考方式を見直すときに来ている。
 前原・クリントン会談の後に行われた菅首相とオバマ米大統領との会談では、「日米安保の深化」が合意された。そこで、オバマ大統領は「地域を超える課題に、日本は欠くことができない。核不拡散、テロ、気候変動(の問題)に米国として協力していきたいし、うまくいくと思う」と言っている。これでは、日本は、あくまでも「日米安保基軸」で生きて行き、米国がアジアに関与できるように、あらゆる面で協力していくということになり、安保もそうした方向で深化させるということになる。それで本当に日本の国益が守れるのだろうか。
 米国による覇権が通用する世界は既に過去のものとなった。それでも何とか覇権を回復しようというのが、オバマの「国際協調主義」であり「関与戦略」だった。しかし、それすら米国の思うようになっていない。世界の各地域では脱覇権の地域共同体建設が進み活力を増している。それにもかかわらず、日本が米国の「覇権」を盲信し、あるいは、その回復に期待を寄せて、手先を買って出るようなことをしては、世界の冷笑を浴びるだけであり、そのような尊厳なき、権威なき姿勢こそが国益を損なうことになる。
 脱覇権の時代にあって、国益は主権国家が、その主権を行使して自主的に守るものだという、ある意味では当然のことが世界の共通認識になりつつある。そして、そのことによって各国は尊厳と権威をもち、互いにそれを尊重し協力していく中で、それぞれの国益を守り増進させていっている。ASEAN諸国がASEAN地域フォーラム(ARF)に米国を引き入れたのも米国の覇権の傘に入ろうとしたのではなく、中国と米国のバランスを取りながら、自らの主権、自主権を保持するためのものだ。
 この新しい時代にあっては、主権国家が対等の関係で相手を尊重し、話し合いで諸問題を解決することこそ正しい方法である。領土問題でも相手を尊重し、相手の言い分に耳を傾けて話し合いで解決すべきである。一方的に「領土問題はない」というような態度では事態の解決にはならない。その上で、それぞれの主張を互いに尊重しつつ、もっと前向きに、ここでもウィンウィンの関係を築き共に利益をあげる方策を模索していくべきではないだろうか。東シナ海では、白樺ガス田は共同開発が協議され条約化される運びになっていた。今回の事件で交渉も中断してしまったが、こうしたことを多方面に発展させていくべきである。
 今回の事件で汲み取るべきことは、この脱覇権の時代にあって、日本の国益は自主的な尊厳ある国として生き、そのことによって各国の尊敬と信頼を受け、戦略的互恵をはかる生き方の中に求められなければならないということだろう。



研究

経済的停滞からの脱却 その鍵を探る(1)

小西隆裕


 リーマン・ショック以来2年余り、いまだに経済の停滞が続いている。それどころか、さらなる二番底、三番底が言われ、「今は景気後退の単なる踊り場に過ぎない。本物の経済危機はこれからだ」と言う人さえいる。事実、4―6月期、これまでやや上向きかけていた日本のGDP伸び率も年率換算0・4%増と大幅に減退した。円高による景気のさらなる後退はそれに追討ちをかけるものだ。
 この泥沼の経済停滞から抜け出るためにはどうしたらよいのか。菅政権が打ち出した「新成長戦略」は意味があるのか。経済停滞で問われる問題の本質とその要因から出発し、停滞脱却の鍵について、2回に分けて考えてみたい。

■問題は自律的回復力の喪失にある
 今日、世界的な泥沼の経済停滞の中で問題にされているのは、欧米や日本など先進国の経済が自律的回復力を失っていることだ。
 この2年間、危機脱出のための各国における財政出動は膨大な額に上っている。恐慌でダメージを受けた金融機関に対する公的資金の投入、エコカー、エコポイントなど景気刺激策への補助金、等々。しかし、それが景気回復を軌道に乗せたという報せはない。個人消費と設備投資の停滞、そして雇用状況の悪化はその端的な現れだ。
 資本主義経済に恐慌と不況は付き物だ。しかし、いかなる不況のもとでも需要はあり、その需要に応える新しい技術革新と設備投資は生まれる。それが新たな雇用とそれにともなう消費の拡大を生んで景気は回復してきた。今日、この経済の自律的な回復力がなくなってしまったのだ。エコカー、エコポイントで自動車産業などの収支が若干改善されても、それが個人消費と設備投資、雇用の拡大につながらない。
 これでは、「成長か財政か」の政策論議も空しい。財政悪化を犠牲にしての「成長戦略」も大して期待できず、財政出動を抑え、成長を犠牲にしての「財政健全化」も税収の減退によりこれまた不可能になっている。その奥に問題の本質、自律的回復力の喪失があるということだ。

■経済循環を滞らせる不均衡
 先進国でなぜ経済の自律的回復力が失われてしまったのか。この問題を考える上で重要なのは、経済は生き物だという考え方だと思う。
 これと関連して面白いのは、福岡伸一さんが生命とは何か、その定義について話しながら、「動的平衡にある流れ」と言っていることだ。すなわち、絶間ない分解と合成が状況に順応して動的に平衡を保ちながら流れを成していること、それが生命現象だということだ。
 これは、経済が生き物だというのにも通じていると思う。すなわち、動的平衡にある流れ、経済的循環の状態にあることこそ、経済が生きている証だということだ。
 だとするなら、自律的回復力の喪失とは何か。それは、金融恐慌など状況の変化に順応して、ヒトやモノ、カネなどの流れ、循環を保つため、動的な平衡が本来持っている適応力や復元力が失われたことだと言えるのではないだろうか。
 この動的平衡が持つ適応力、復元力を備える上で重要なのは、経済諸分野、諸領域がそれぞれ均衡のとれた状態にあることだと思う。なぜなら、所得や地方・地域、大中小企業、産業構造など経済を構成する諸分野の均衡が一定程度とれていてこそ、経済という生き物の動的平衡も、それを支える「やわらかな適応力」「なめらかな復元力」も保障されるからだ。事実、今日、これら経済諸分野に現れている極度の不均衡が経済の流れや循環を滞らせ、復元できなくしている。
 何よりもまず、所得の不均衡、二極化だ。かつて日本社会の多数を占めた中間層が、極少数の富裕層と圧倒的多数の貧困層に引裂かれ、富が二極化した。それが消費の停滞とそれにともなう生産の減退、そして富者に一極集中しながら行き場を失った144兆円とも200兆円とも言われる膨大な「カネ余り現象」とそれにともなう投機市場の膨張をもたらしているのは周知の事実だ。
 地方・地域や大中小企業、産業構造の不均衡の場合も同様だ。富の大都市、大企業、そして自動車、電機など輸出産業への集中は、地方・地域の疲弊と地域循環経済の破壊、中小零細企業の経営難と開業と廃業の動的平衡にある流れの崩壊(廃業率が開業率を上回り続け、企業数は80年代をピークに20%減少)、そして内需型産業の縮小と産業の海外移転、空洞化現象、等々をまねく一方、大都市、大企業、輸出産業における「カネ余り現象」と経営の投機化をもたらしており、それが日銀による数十兆円に上る追加金融緩和策を大して効果の上らないものにしている。
 この経済全般に見られる極度の不均衡、二極化こそが、経済の循環を止め、膨大な財政出動にもかかわらず、経済停滞からの脱却を妨げている基本要因なのではないだろうか。

■鍵は国民経済の新しい均衡的発展にある
 現実は停滞脱却の鍵が不均衡の克服にあることを教えてくれている。しかし、これでは問題解決も半ばである。重要なのは、この不均衡がどこから生じたのか、その原因をつきとめることであり、原因を克服するための方策を立てることである。
 経済の格差や不均衡の原因について、少なからぬ人々がそれを新自由主義、グローバリズムに求めている。市場を絶対化し、すべてをボーダレスな弱肉強食の競争にゆだねたこと、この新自由主義、グローバリズムに原因があるということだ。
 この見解は間違いではない。実際、競争第一で国による保護や規制を否定する新自由主義化によって所得や地方・地域、大中小企業などの格差や不均衡が極度に拡大してきたのは事実だからだ。しかしここでは、経済が生き物だという視点から、経済不均衡の原因についてもう少し深く入って行こうと思う。
 経済が生き物だと言うとき、普通一般念頭に置かれるのは「市場」ではないだろうか。すなわち、市場にはヒト、モノ、カネの流れや経済の循環を円滑に保障する力があるということだ。アダム・スミスの「神の見えざる手」もこうした見解に基いている。市場の働きにまかせておけば、需要と供給、所得のバランスなど、経済の均衡はひとりでにとれていくということだ。
 だが、現実はこの見解が誤っていることを証明した。すなわち、新自由主義により放任された市場自身が、それ自体としては自律的回復力を持たないという自らの姿を露呈したのだ。
 ここで現実に流れ循環している経済を見てみよう。それは、市場の働きだけではなく国や社会の働きとも関っている。一言でいって、「国民経済」とも呼べるものだ。もちろんそのような現実の経済には、地域経済もあれば世界経済もある。新自由主義やグローバリズムなどは、経済は世界経済を単位に循環すると強弁しながら、国民経済を否定した。だが、それに無理があるのは、リーマン・ショック以来の現実の推移が証明している。危機からの脱却が求められている今日、国家の役割が強調され、財政出動による各国経済の建て直しが要求されている。すなわち、世界経済も国民経済あってのものだということだ。
 実際、経済は人々の社会生活単位であり、運命開拓の基本単位である国を単位に動いており、市場の働きばかりではなく、国と社会の共同体的働きを通しても動いている。所得や地方・地域、大中小企業、産業構造などの均衡も、格差や貧困に反対し、人々の平等や地方・地域、産業などの均衡的発展を求める国家や国民、地域住民たちの共同体的働きによって保たれてきた。また一方、国民経済を支える企業の活動に競争を原理とする市場の働きとともに、協力と連係の共同体的働きが作用しているのも忘れてはならないだろう。市場の働きとともに、国と社会のこうした共同体的な働きによって営まれ発展してきた経済、それが国民経済であり、この経済こそが自律的回復力を持つ生き物だと言えるのではないだろうか。
 しかし、今日、その国民経済が死に瀕している。税財政が持つ所得再分配や資源配合機能の否定など、経済全般の均衡を図る国と自治体の役割が顧られず、国や地方・地域の共同体的働きが著しく弱まった。それは、競争一点張りの成果主義の企業の内部でも見られる現象だ。競争を原理とする市場の働きだけでは経済は死んでしまう。生き物としての国民経済が精気に満ちた自律的回復力を持つためには、協力と連係を重視する国と社会の共同体的働きが不可欠だ。
 次号では、「均衡」をもっとも重要な指標の一つとする国民経済の新しい発展に停滞脱却の鍵を探ってみたい。それが日本型集団主義の古い経済への回帰ではないことを確認しながら。


 
インタビュー 「救援連絡センター」山中幸男氏に聞く

闘いの遺産をどう受け継いでいくのか

聞き手 小川淳


 ベトナム反戦、全共闘運動が激化した1969年に救援連絡センターは発足した。原子物理学者で反原発活動家の水戸巌が初代事務局長に、庄司宏氏が代表弁護士に就任。公権力の弾圧に対し、さまざまな活動を行なっている。弁護士の派遣依頼があれば、思想・信条や政治的見解にかかわらず救援活動を行ない、市民団体や一般の刑事犯からの依頼にも応じる。また、保安処分、共謀罪などの弾圧立法への反対運動や、受刑者の人権・獄中処遇の改善、さらには死刑廃止運動、在日外国人の逮捕事件なども視野に入れて活動している。2006年12月には第18回多田瑤子反権力人権賞を、2007年1月には第21回東京弁護士会人権賞を受賞している。

※      ※      ※

―救援センターには少なからぬ世話になった一人ですが、今回、インタビューに取り上げたのも、今年4月の第六回総会に参加し、発足41年のセンターの歴史の重み、存在感を改めて感じたからでした。山中さんはセンターの創設から関わったメンバーの一人と聞いていますが、どのような経緯があったのでしょうか。
 私は、1968年4月に東京都立大学(当時、現在は首都大学東京)に入学、全共闘運動の渦中に学生時代を過しました。都立大でも69年6月にA棟をバリケード封鎖、その後、目黒キャンパス全体に封鎖は拡大した。10月29日には機動隊が導入されて封鎖は解除された。徹底抗戦に残った、学生・院生の救援対策、裁判闘争が本格的な私の救援稼業の始まりでした。この時、担当してくれた弁護士が庄司宏弁護士でした。1970?71年は、街頭闘争と、三里塚闘争に明け暮れた、今、思えば不思議な年でした。赤軍派は、69年4・28沖縄闘争の総括からブンド系分派として派生し、9・5全国全共闘連合結成大会に登場し、11月大菩薩峠「福ちゃん荘」で大量逮捕された。70年3月31日には日航機「よど号」ハイジャック闘争が発生し、12月には都内板橋区上赤塚交番が革命左派によって襲撃され、柴野春彦氏が虐殺された。71年2月には、栃木県真岡市の銃砲店から猟銃が奪取された。今年は、「よど号」事件から40年ですが、来年は、三里塚闘争、沖縄返還協定調印、批准阻止闘争からも40年ということで、総括検証の良い機会だと思います。赤軍派と革命左派の合流は、72年の連合赤軍、「あさま山荘」銃撃戦と粛清の発覚へと突き進む。救援連絡センターにおいても、代表弁護士の斉藤浩二弁護士が辞任し、庄司宏弁護士が引き継いだ。私は71年秋頃、目黒救援センター経由で全都救援連絡会議議長団に参加、その後、救援連略センター事務局員を兼任となった。
 1973年1月、東京拘置所に於いて、森恒夫が自死し、センターは、この時期、全国救援活動者会議(全救活)を召集し、旧世話人会から、新運営委員会(代表春日庄次郎)の体制に再編した。この新体制は、全救活の場において「了承」された。小川さんが出席して頂いた「総会」の体制が整うまでには、さらに30年の月日を要しているのです。代表も春日庄次郎、水戸巌、庄司宏、浅田光輝、佐藤芳夫(現在は不在)と引継ぎ、代表弁護士も庄司宏、保持清、葉山岳夫と引き継いだ。事務局長も水戸喜世子、須永貴夫、水戸巌、山中幸男(私)と引き継いでいるのです。41年の歴史を持ちながら、総会はまだ6回目という事情もあるのです。私自身も、センターの活動に関りながら、「土田・日石・ピース缶」爆弾フレームアップ事件統一救援会、「滝田事件」救援会、「かりの会」帰国支援センター、等、等、にも関り続けて来ました。

―センター総会の全体情勢分析の中で、民主党に対しても旧自民党と本質において変わりないと厳しい評価をされています。一方で、鳩山や小沢などへの攻撃に見られるように民主党自身が警察・司法権力から弾圧を受けている側面がある。山中さんは民主党をどのように評価されていますか。
 民主党政権を一律に評価するという立場には僕は立てない。センターの活動の中で70年代当時、救対弁護士として活躍してくれた民主党国会議員もいるし、千葉景子さんもそのうちの一人でしたが、だからといって死刑廃止論者の千葉景子が死刑を執行することはとうてい許す事が出来ない。国家公安委員長になっている岡崎トミ子さんだって戦後補償問題では協力して下さった方ですし、その点で評価するについてはやぶさかではないけれども、やはり今後については、個別政策の可否を議論する立場は留保している。そもそも僕は二大政党制については懐疑的だし、あれは大相撲の東西みたいなもので問題はどの部屋に属しているかです。だから政権交代で喜んだり悲しんだりする必要はない。やはり各議員がどういう立場なのかという部分が大切で、例えば民主党議員の中にもネオコン右翼的な議員は何人もいるし、民主党政権に交代したからといって何も良いことはないと思っています。

―国家権力による弾圧に対しては、被疑者の思想・信条、政治的見解の如何を問わず、これを救援するというセンターの原則がありますが、例えば右翼や元公安関係者の救援活動も行なうのか、どんな政治信条の人でも救援するのかという批判的立場の人もいますね。
 あえて挑発的に答えるならば、誰でも救援しよう、どんな人でも一緒に闘える救援運動をつくろうという立場の人間ですから、これはどうなろうが僕は立場を変えないし、それが正しいと思っています。ただ、救援連絡センターというのは発足時の時点で言えば公安事件の対象となっているような人たちの弾圧に対する反弾圧救援運動を共有してきていると思うので、私もそれを共有するということについてはやぶさかではないけれども、今ほとんど公安事件の逮捕者、起訴者というのはかつての次期から比べたら皆無とは言わないけれども凄く少数になっています。70年代の公安事件で死刑が確定している獄中者が5名、無期懲役が確定している獄中者が8人ですが、一般事件まで広げると死刑事件で確定している人が100人を超えている。無期懲役の人は1800人の規模でいるわけです。そういう問題も含めて普通の刑事事件で逮捕起訴された人や家族、友人、関係者を含めて、法テラスの国選弁護およびそういう体制だけで良いのかということは思っています。しかも例えば反社会勢力としてひとくくりにされているマル暴(暴力団)の事件だとか、刑事事件の被疑者にされている人はかなりの規模を占めているわけで、その中で何も問題がないのかというと必ず問題はあるし、闘いとして共有できる部分を見つけようという努力はしなくてはいけない。センターとしてできること、できない事はあるかもしれないけれども、できることは定着させていきたい。留置所拘置所、刑務所だけではなくて、例えば精神病院とか外国人の収容所だとか、あるわけですね。もうちょっと力があるのなら、そういうことも取り組んでいきたい。

※      ※      ※

 公安事件が減っているのは確かだ。しかし、裁判員制度を頂点とする司法改悪との闘いや死刑廃止・執行阻止の闘い、受刑者の処遇改善など救援センターの役割は今後ますます高まっている。センター41年の闘いの遺産をどう受け継いでいくのか。それはセンターによって支えられてきた私たちの課題でもある。



時評

「韓国併合」100年の年に

金子恵美子


 今年は「韓国併合」100年の大きな節目の年でした。日本各地では市民による様々な催しがおこなわれ、在日韓国、朝鮮人の多いここ大阪でも、9月17日には「日朝ピョンヤン宣言」8周年を記念して、「朝鮮半島の平和と日朝国交正常化を考える大阪の集い」がもたれ、参加してきました。

■安重根の「東洋平和」論
 「大阪の集い」のメインであった、「韓国問題研究所」所長の康宗憲(カン・ジョンホン)氏の講演は大変興味深いものでした。康さんは奈良で生まれた在日韓国人ですが、留学したソウル大学在学中の1975年に「反共法・国家保安法違反」の容疑で拘束され死刑判決を受けます。13年間収監された後、無期に減刑、88年に仮釈放、翌89年帰国して「韓国問題研究所」を立ち上げ、資料誌「韓国の声」を刊行するかたわら、現在は早稲田大学アジア研究機構客員教授、同志社大学での憲法九条を中心とした平和学の担当などをされており、講演依頼も多いとのことでした。
 この日のいでたちは、グレーの開襟の上下という少し地味な服装だったのですが、会場で会った友人から「なんで囚人服を着てきたの、と言われた、胸に番号を付けたら本当に囚人服ですねえ、ちょっとチョイスを間違えました」と会場の笑いを誘い、併合と同じく今年で処刑100年になる安重根(アン・ジュングン)の話から本題にはいっていかれました。
 安重根は言うまでもなく、初代朝鮮総督であった伊藤博文を銃殺した朝鮮の青年です。日本ではテロリストとして扱われますが、朝鮮の人たちにとっては英雄であり義士として受け止められている。これくらいの知識は私にもあったのですが、安が単なる個人の義憤で植民地主義の先頭に立った伊藤を射殺した「義士」ではなく、彼が求めたのは、日本・朝鮮・中国の東アジアの平和であり、どうすればアジアに平和地域をつくることができるかであったということ。安が取り調べや裁判で主張した、その「東洋平和」の内容は「西欧列強の侵略の前に脅かされている日本・中国・朝鮮が対等な関係で、自主独立の状態で手をつなぎあうこと、いわば国家の連合をつくること。日本は旅順を中国に返還し、3国が共同で管理する平和地域の根拠としよう。必要ならば共同で軍隊を派遣して拠点を作ろう。共同の通貨を作り、青年たちは二つの言語を学び、相手の国・文化を理解し友好関係を築く」という、現在の「東アジア共同体」論とも言うべきものであった。この「東洋平和論」は執筆中に彼が処刑されたため未完だが、彼に関わった刑務所の看守や関係者で、安の志や人格に打たれた良心的な日本人が記録を守ったため部分的にではあるが確認できるということです。

■日本にとっての日朝国交正常化の意味
 康さんのお話の中で、特に印象に残った言葉があります。「日朝国交正常化」には、日本の戦後政治を根本から変えるダイナミズムがある、ということです。
 戦後日本政治の根本的転換というとき、アメリカとの対等な関係への転換、その象徴としての沖縄からの米軍基地撤去であると言えるでしょう。鳩山政権がこれを追求しながらも挫折した「米軍の抑止力の必要性」の根拠にされたのが天安哨戒鑑事件での「北の脅威」でした。日朝関係の改善なしに、米軍の沖縄からの撤去、日米安保の見直し、そして対等な日米関係という日本国民が政権交代に託した国のあり方の根本的転換は望めないということです。勿論、日米関係の転換を招来する要因は他にもあるでしょう。しかし歴史的に見ても、この間の推移をみても、日朝関係をどう築くかがその要諦であるには違いないのではないでしょうか。
 そう考えるとき、「韓国併合」100年という節目の歳に出された管総理の「内閣総理大臣談話」は、朝鮮の北半部を全く無視した、朝鮮半島には南半部=韓国しかないかのようなシロモノで、落胆を禁じえないのですが、「東洋平和」「東アジア共同体」の道を目指して、康さんが最後に締めくくった「飽くなき姿勢で疲れずに道を開いていきましょう」を胸にかみしめた一日でした。


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