映画「ハート・ロッカー("HURT LOCKER")」に見る米国の現住所
インタビュー 関西生コン支部 高英男副執行委員長 労働運動の新たな地平をめざす関西生コン支部
主張
普天間基地移設問題が鳩山政権の命運を左右する問題になってきている。鳩山首相の公約通り5月末までの決着がならない場合、その責任は取られなければならず、それがささやかれ始めた「解散、衆参同時選挙」というかたちをとる可能性も大きくなってきている。
この難局に直面して鳩山政権に問われているのは何か、この焦眉の問題について考えてみたい。
■「稚拙な政治」か?
周知のように、普天間基地移設問題の解決が容易でないのは、この問題をめぐっての米国と沖縄県民、双方の利益が合わないところにある。名護市辺野古沿岸部への移設を定めた現行案を最善とする米国と県外、国外への移設を求める沖縄県民や徳之島島民などの利害が鋭く対立している。
鳩山政権は、この利害の対立をなんとか乗り越えて、双方に納得のいく解決策を見つけようと必死の努力を続けてきた。しかし、期限切れまであと1ヶ月の今、解決の目処はいまだついていない。基地負担の分散とそれによる利害対立の緩和を図る鳩山政権の動きは、沖縄県民や移設先に挙げられた徳之島島民などの猛反発を生む一方、米国の不快感の表示を招いている。
事態のこうした発展を見て、鳩山政権への批判の声が急速に高まっている。自民党政権の元官房長官町村氏などは「米国と沖縄県民、両方の声を聞いて、どちらも満足させることなどできるわけがない。そんな稚拙な政治がどこにあるか」とまで言っていた。米国の声だけを聞き、沖縄県民、日本国民の声を無視し続けてきた自民党政治家らしい発言だが、「一理」ある批判だ。
しかし、だからと言って、鳩山政権の普天間基地移設問題への取り組みを「稚拙な政治」とこき下ろすのはどうだろうか。正当な批判だとは言えないと思う。それどころか、この問題の解決から日本の新しい政治が開かれてくると言っても決して過言ではないのではないだろうか。
■普天間問題の本質を問う
普天間問題は、単純な基地移設問題ではない。米国の声を聞くのか、沖縄県民、日本国民の声を聞くのかが問題となること自体、米国の声を聞くのが当たり前だった従来の日本政治のあり方の転換を意味している。
前述の町村氏の発言を見るまでもなく、これまでの自民党政権は、歴代、米国の声第一の政治を行ってきた。小泉構造改革が米国からの「改革要望書」に従って、国民に痛みを強いてきたなどは記憶に新しいところである。
この対米追随の政治を「緊密で対等な日米関係」に基づく政治へ転換しようというのが鳩山政権の真骨頂なのではないだろうか。普天間基地移設は、その見せ所とも言うべき問題だ。
在日米軍基地の設置に関する問題を米国の意思を基本に決めるのか、それとも日本の地域住民、国民の意思を基本にするのかは、日米安保の根幹に関わる問題だ。この不平等な体制にあって、従来それは、米国の意思と要求に沿いそれを基本に決められてきた。日本の安全と防衛を米国の傘のもと、米国に依存して実現するという米国頼み、米国任せの安全保障路線において、それは当然のことだった。
普天間基地移設問題は、まさにこの安保路線と直接つながっている。すなわち、米国の声ではなく日本国民の声を基本に在日米軍基地の移設問題を決めるようにするのならば、当然、米国の傘のもと、米国の力に頼って日本の安全を保障してもらうこれまでの安保路線自体、見直されなければならないということだ。決定権は日本に、安保は米国頼み、米国任せなどという安全保障路線は、当然のことながら、有り得ないだろう。
このように見たとき、自民党政権時代に決めた基地移設の現行案を見直そうという普天間基地移設問題の本質が見えてくる。それは何よりも、日本の安全保障問題を規定する日米安保の見直し問題だと言えるのではないだろうか。
まさにこの問題を解決するところに、国民の圧倒的後押しを受けて登場した鳩山政権の真骨頂があり、腕の見せ所があるのではないかと思う。
■正念場に立たされた鳩山政権
今、鳩山政権に問われているのは、沖縄県民、日本国民の声を基本に、基地の県外、国外移設を米国に要求して闘うことだ。それが日米安保の見直し、日本の安保路線、防衛路線の見直しと一体なのは先に見た通りである。
米国の声も聞き、沖縄県民の声も聞き、双方に良い顔をすることはできないことだ。それは、双方の利害の対立を何とか乗り越え、双方が納得する移設先を求めて骨を折り続けてきた鳩山政権自身が、ここに来て、自らの行動で示しているのではないだろうか。
5月末の期限切れまであと一か月を切った今、鳩山政権は、基地の県外、国外移設を求め、県民大会や島民集会など、あれほど明確で圧倒的な意思表示をした沖縄県民、徳之島島民への説得工作に傾いている。5月4日と言われる首相の沖縄入りは、そのためのものではないだろうか。一方、キャンベル氏をはじめ米国の関係高官たちの発言や満足げな笑顔には、何らかの「OK」サインが送られているのではないかと思えるほどだ。
もちろん、これらはあくまで憶測にすぎず、現実の政治は、これからまた、二転、三転もあり得ないことではない。だが、少なくとも、この問題でどちらかの声を基本とせざるを得なくなるのだけは見えてきているのではないだろうか。
問題は、結局、どちらの声を基本にするかだ。昨年8月の総選挙、あの雪崩のような大勝利の中、鳩山民主党代表はそれを「国民の勝利」と言った。これを単なる言葉に終わらせてしまうのか否か、鳩山政権はその正念場に立たされている。
■日本の安保路線見直しの突破口へ
普天間基地移設問題を国民の立場に立って解決するために問われてくるのは、日本の安全を米国に依存することなく自分の力で保障する覚悟ではないだろうか。日米安保を見直すのか否か、日本の安全保障問題を日本独自の力で解決するようにするのか否か、この問題の本質への見通しと覚悟なしに、鳩山政権による普天間問題の正しい解決は有り得ないだろう。
もちろん、覚悟一つで問題が解決されるわけではない。事実、米国がどこまでも現行案に固執してくれば、問題の5月末までの解決は不可能となる。その時、鳩山政権としては、約束を果たせなかった責任を取らなければならない。問題は、その責任の取り方だ。それは、ただ一つ、国民に信を問うことだと思う。すなわち、解散、衆参同時選挙で国民に審判を仰ぐことだ。これが国民によって選ばれた政権の唯一の身の処し方ではないだろうか。
その結果がどうなるかは分からない。ただはっきりしているのは、国民は国民の立場に立ち、国民のために服務する政権を選択するということだ。沖縄県民、徳之島島民の声を基本にし、米国をどこまでも説得し抜こうとする政権に国民はどのような審判を下すだろうか。
もちろん、沖縄県民、徳之島島民の声は、すなわち、国民の声ではない。そこには地域住民の特殊な利害も含まれている。しかし、先日挙行された沖縄県民大会で女高生が訴えていた「沖縄には基地は必要ないのです」という言葉は、日本国民皆に共通する声なのではないだろうか。また一方、政権の沖縄県民に対する態度が日本国民皆に対する態度に通じているのも事実である。
今、時代は、全世界に展開された米軍基地の正当性を誰の目にも疑わしいものにしてきている。そして、米国の反テロ戦争戦略に追随する自国政府に「NO」の審判を下すのが時代的趨勢になっている。
こうした大きな転換の時代にあって、鳩山政権は大胆な決断を下すべきではないだろうか。どこまでも国民を信じ、政権の命運を国民に委ねることだ。それは、国民を信じ、国民に依拠して、国の安全を日本独自の力で保障する覚悟と一体だ。
各国の主権意識が高まり、国民の主権者としての自覚がかつてなく高まっている今日、国民を信じ、国民自身の力で国の安全を守るのは世界的な趨勢になっている。日米安保の見直しと米国に頼らず、自分の力で国の安全を保障する路線の確立は、鳩山政権の前に提起された焦眉の時代的要請だと言えるだろう。
普天間基地移設問題は、そのための大きな突破口である。「国民の新たな勝利」がかち取られたとき、日本のあり方そのものを見直す道がこじ開けられてくるのではないだろうか。
論評 「草食系愛国」を考える
米一極支配が崩壊し、日本の新しい生き方が求められている中、「愛国」と関連する様々な傾向が出ている。
右派論客の一人である中西輝政氏は、米一極支配が崩壊して多極化時代が始まったとしながら、日本が一方の極になるような生き方を説いている。そのようになるのは氏が「多極化の時代とは、ドライな力と国益の時代」であると言うように、世界政治は弱肉強食であり覇権競争であると考えているからである。
最近、インターネットを通じて集まり、外国人排斥を公然と唱える「市民保守」の動きが注目されているが、彼らは、韓国大使館や民団本部の入るビルの前で、「日本から出て行け」「ゴキブリ」「キムチ」「軍事力を含めた手段で竹島を奪還せよ」などと悪罵を浴びせ、豪大使館前で「日本を侮辱する白人と開戦するぞ」と気勢を上げたりしている。こうした言動を見ると彼らも覇権競争的な考え方をもっていると言えるだろう。
一方、これまで左の立場から「愛国」や「ナショナリズム」を論じてきた姜尚中氏が「ナンバー3としての幸福論」(中央公論3月号)を説いている。
そこには「世界に君臨するトップでも、その後塵を拝するナンバー2でもありません。収縮や停滞の結果ではなく、金や銀とは違う色のメダルを与えられる資格をもって、そこにしっかり立っている。それが銅メダルです」とある。金銀を取らなくても銅の生き方があるのであり、これまでの覇権競争する生き方を捨てて、日本の良さを発揮する生き方を模索すべきだということだ。
氏は、日本のこれからを考える上で参考にすべき人物として夏目漱石を上げ、「『脱亜入欧』が言われた時代に彼は『自己本位(自国本位の意;筆者注)に基づいて応分の愛国心を持つべきだ』と述べました。『夜郎自大の愛国心は大嫌いだ』というわけです」と指摘している。
以上を見ると、愛国には二つあると言えるだろう。一つは覇権愛国であり、他国と覇を競いナンバーワンになることを求める愛国。もう一つは反覇権の愛国で、覇を競うことなく自身の良さを生かしながら他国と助け合って生きる愛国だと言える。
ところで、最近の若者の傾向として、「草食系」が言われている。08年7月に『草食系男子の恋愛学』を出した森岡正博氏は、「草食系」とは、「新世代の優しい男性のことで、異性をがつがつと求める肉食系ではない。異性と肩を並べて優しく草を食べることを願う草食系の男性のこと」と言っている。パートナーエージェントの調査によると、「自分は草食男子」と思う男性は、「どちらかといえば」(61%)を含め74%にも上っている。
こうした志向は異性関係だけではない。最近の若者は、この不況の中で、かつてもてはやされた新自由主義の弱肉競争を嫌悪し 互いに相手を尊重し協調し助け合う生き方を求め実践していっていることが、色々な分野でも見られるようになっている。
この草食系若者たちの心情は、反覇権の愛国につながっているのではないだろうか。
愛国とは元々、自分の同胞、仲間、集団を愛するということであり、「草食系」の若者の他者尊重と助け合い志向そのものだ。それは、日本を愛する同胞、仲間たちへの共感、愛と信頼へ通じていく。それに引き換え、覇権愛国は、夜郎自大的で、自分だけが愛国だというような独りよがりになりがちだ。これが若者の心をとらえるとは思えない。
時代は変わり、もはや覇権が通用する時代ではない。それは米一極支配が崩壊し、諸国が地域ごとに共同体を作り互いに尊重し協力して「ウィンウィン」の関係を築くという反覇権多極化が大きな時代の流れになっていることを見ても明らかだろう。
過去に失敗し古めかしく時代の流れに合わない覇権愛国ではなく、反覇権の時代的流れに合った、反覇権の愛国。そうした愛国が、多くの若者が志向する草食系と結びついた「草食系愛国」として形成される時が来ているのではないだろうか。
これほどガッカリした映画も珍しい。
「『アバター』よりも鋭い反戦メッセージ」というコピーに釣られて、3月、映画館に足を運んだ。第82回アカデミー賞で作品賞以下6部門を受賞したキャスリン・ビグロー監督の映画「ハート・ロッカー」のことだ。(タイトルは軍隊用語で爆死した死者を入れるロッカー、棺桶という意)
映画の舞台は2004年、バグダッド。イラク駐留米軍の爆弾処理班ブラボー中隊は、前任者の爆死により新たな班長ジェームズを迎え、日々、死と隣り合わせの過酷な任務を英雄的にこなしていく・・・。
確かに危険な爆弾処理活動や爆発シーンなどは臨場感がある。見ていて恐怖心や緊張感も走る。だが、残念なことに、監督自身のメッセージが伝わってこない。「結局、何が言いたいのだ。この映画?」というのが率直な感想だ。
キャスリン・ビグロー監督は「アメリカ人として戦争というものに心を痛めているわ。すごく複雑で奥深いものだから、良い悪い、白か黒か、みたいな簡単な結論を出せないわね。でも、『戦争によって信じられないほど人間の命が犠牲になっている』という部分は皆がきちんと直視するべきだと思うの。その部分は映画のなかで手抜きをしないではっきり描かなくてはならないと思っていたわ」と言っているように、彼女は政治的な背景を全く解説せず、あえて現場だけをリアルに描いている。ゆえに、地雷爆発の悲惨さ、米兵の焦燥や苦悩は分かる。だが、何かが決定的に足りない。戦場であるイラクという国の、そこに住む人々の顔も、心も、生活も全く見えない。ただ無機質な人影が、イラクの地で米兵を「テロとの戦い」に駆り立てている。
がっかりしたのは、ラストシーンだ。班長ジェームズが、自己犠牲的に爆弾処理の任務を遂行し帰国したが、再び、戦場に赴く。これを、「米国の戦争中毒」として批判的に解釈できないこともないが、少し無理があるように思う。むしろ、米国はこれからも犠牲を賭してでも世界の憲兵として、国境を超え、海外派兵(侵略)していくのだという「意地」のようにも思えた。
戦争を侵略される側から見た「アバター」が落ち、侵略する側から見た「ハート・ロッカー」がアカデミーに輝いた今年。まさにここに、オバマ大統領率いるアメリカの現住所があるのだろう。
ペシャワール会の活動から
ペシャワール会事務局長の福元満治氏の講演があった。「誰もが押し寄せる所なら誰かが行く。誰も行かない所でこそ、我々は必要とされる」、中村哲代表のこの言葉がペシャワール会の活動のすべてを語っている。
中村医師は、1984年、パキスタンのペシャワール・ミッション病院ハンセン病棟に赴任し、診療活動を続ける傍ら、86年よりパキスタン領内のアフガン難民への診療やアフガニスタン国内の拠点としてダライ・ヌールに診療所を開設、山岳無医村での医療活動も開始した。2000年の大干ばつ(1200万人が被害を受けた)では、井戸の発掘を始め、すでに1700本の井戸を掘削。2003年からは灌漑水路建設に着手、09年には24、3キロ水路が完成した。この水路によって灌漑される農地は2500ヘクタール、およそ15万人の人々が恩恵を受け、取水口の改修によって合計1400ヘクタールの農地が蘇った。現在は、これらの活動に加えて、地域共同体の要である「モスク・マドラサ」(寺子屋式教育機関)の建設を始めている。
医療と水、そして水路と農地再建、教育へ。ペシャワール会の活動はアフガンに根を下ろし、アフガンの人々と運命をともにしてきたからこそ、そこまでできたと言えるだろう。
アフガン向け日本のODAは2000億円。そのODAは巨額だが評判は芳しくない。一方、アフガニスタンに6兆円の戦費を注ぐ米国。ペシャワール会は16億円だ。6兆円と16億円。アフガンのためになっているのはどちらか。16億円の金でもあれだけのことができるのだ。6兆円と10万人の軍人が井戸や水路を掘り、緑の農地を広げ、病院や学校を建てればあの国はどうなるのだろうか。ペシャワール会の活動はそれが夢でないことを実証している。
インタビュー 関西生コン支部 高英男副執行委員長
ナショナルセンターに属さない独立労組、一人でも加入できる産業別労組として関西生コン支部(関生)は1965年に結成され、その戦闘性でよく知られている。40数年の闘いの中で、労働者が中小企業と連携し、大企業独占と闘う独特の仕組みを築くなど、日本労働運動の主流である企業別組合とは一線を画する労働運動の新しい地平を築き上げてきた。その過程で武委員長に対する権力のすさまじい弾圧も繰り返されてきた。最近は「中小企業組合総合研究所」を立ち上げ、「変革のアソシエ」に参画し、社会に対する発信を強めている。5月1日のメーデーの日、これまでの関生の闘いやこれからの展望について、高英男副委員長にお話を伺った。
※ ※ ※
高英男さんは、京都の生コン会社で日々雇用を経て、90年代に日雇い分会の代表として執行委員を2期、2000年から副執行委員長を10期務めている。日々雇用で京都の生コン会社にいた頃、運転手ほとんどを組織したが、会社にばれていきなり会社閉鎖、全員解雇にあった。激しい闘争で知られた関西生コンは、それほど会社から警戒され、恐れられた存在だった。その日のうちに5,60人ほど仲間が集まってきて、当日からストライキになり、二日ほどで会社が解雇を撤回して職場に復帰、それから17年が経つ。高さんはこのとき関西生コンの「すごさ」を見たという。
―関西生コンの名前は有名なのですが、実際にどのような闘いをしてきたのか知らない人が多い。まずは生コン産業とはどういう場所なのか、そこらから伺えればと思います。
生コンは砂と砂利とセメントから作られますが、建設産業の総費用の約半分が生コンです。ですからゼネコンにとって生コンは重要な位置を占めていて、できるだけ安い生コンを欲しがります。そのセメント需要の70%は生コン産業が占めている。セメントメーカーにとっても、ゼネコンにとっても生コン産業の動向は自社の売り上げを左右するほど重要な意味を持っている。
高度成長の頃からメーカー直系の工場では間に合わなくなり、専業といわれる生コン業者が生まれました。今は97%が専業メーカーで、セメントメーカー直系の生コン業者は数%です。ですから我々の闘いというは純粋に専業の経営者を相手に要求を立てるとこから始まるわけです。労働は過酷で、60年代は残業が月に100から200時間、会社に仮眠室があってほとんど家に帰れない、それが当たり前だった。その中で65年に関西生コンが結成されるわけです。
正式名称は、「運輸一般関西生コン支部」といい、上部団体はありませんが全日建という共産党系と分かれた後、東京の「運輸一般東京生コン支部」と一緒に「全日本建設運輸連帯労働組合」を結成したのが82年です。会社単位に分会が200弱あり、組合員は1300名くらい。それ以外にトラックやセメント支部があります。職場単位では一人分会もあって、偏屈もんも多い。一人だから戦闘的に闘える部分もあります。
―関西生コン支部のこの45年の壮絶な闘いの中で生コン労働者が獲得したものとは具体的に何だったのでしょうか。
一言で言えば、産業別統一労働条件です。日本の中で一つの産業に属する労働者が、会社の枠を超えて横断的に「統一的な労働条件」を実現したというのは歴史上にないことです。この産業別労働条件がここで働くものをものすごく革新的にしている。年功給500円ですから、20年前に入った人と今入った人と賃金格差は年一万円しかない。80年当時ですが、どの企業に行っても労働条件は同じでした。これが80年からの弾圧で撤廃された。
―この生コン支部の闘いを「資本主義の根幹に触れる」として当時の経団連会長の大槻文平は恐れたという話がありますが、なぜ経団連はそれほどまでに関生の闘いを恐れたのでしょうか。
80年当時の生コンの9割が中小零細企業で、企業側である大阪工業組合執行部が統一窓口を作って労働組合側と協議し、生コン産業全体の労働条件を決めた。これは組合がない企業も含めて全部適用されます。資本主義の根幹にふれるというのは、生コン産業によっている中小企業が一つの工業組合に組織されて労組と協同で労働条件を決めていく、この関生による労働組合主導の生コン産業の再編、社会主義に近い協同組合運動が作られていくことを経営側として恐れたのだと思います。それが日本型資本主義の根幹に触れるという意味でつかった。歴史的な総括で言うと、経営側は労働側の運動だけを見て恐れたわけではない。我々の運動が核になって自分たちが支配している中小企業経営側の分野まで関生が手を伸ばしてきたことを恐れたのだと思います。しかし、当時はそのようには分析できてなかった。
―関生には、他の組合と違うすごい戦闘力があるますね。これまで何度も徹底した弾圧を受けながらそれを跳ね返し、素晴らしい団結力を誇示している。このような闘いを展開してこられたその秘訣とは何なのか。
武委員長自身が徳之島出身で琉球差別の歴史の中で迫害や差別を受けてきている。末端の現場レベルでどういう人が働いているかというと、僕も在日ですが、被差別部落の人たちとか貧困層の行くところがなくて流れついたという人が多い。幼いときの生活環境が差別や迫害を覚えていますから、労働運動の中でこうしたら闘えるみたいな部分にわくわくするんですね。ここを選んで来たわけではないけれども、ここしか居場所がないメンバーが多くいますから、ここで闘わないと後がないわけですよ、僕らは。僕らから見て新左翼の人たちの足腰が弱いのは、生コン以外の別の職場に行くことができる。ここのメンバーはここでしか働けないし、生きていけない。だからそこで根付いて徹底的に闘う。これは理屈じゃないと思う。我々のリーダーである武委員長はそこをよく知っているから我々もその気概を表に出していく。他の労組ともよく一緒に闘いますけど我々と雰囲気が違うんです。僕たちは柄が悪い。背中に刺青を背負っている者がマルクスを語るわけですから、すごいもんですよ。戦闘力はそんなひとりひとりが持っているものなんです。
―関西生コン支部では、賃金などの経済闘争だけでなく、政治闘争と思想闘争にも力を入れていると聞いています。これは関生支部が他の労組と違う一つの大きな特徴と思うのですが、これも戦闘力の源泉の一つなのでしょうか。
労働組合とは職場の要求で団結しています。闘えば闘うほど自分の職場だけでは限界があることが見えるわけです。一定のところまでは行くけれども、景気に左右されたり政治に左右されたりする。自分たちの労働が政治と連動していることを闘いの中で否応なく学ぶ。パイの拡大とか縮小は政治によって左右されるということが闘えば見えてくるわけですよ。それまで政治に関心がなかったメンバーも労働条件を変えようと思うと政治に無関心でいられない。組合の戦闘力は経済闘争だけからは生まれない。一定の要求は実現すればそれで満足してしまいますから。
組合の足腰を強くしたいなら経済闘争だけでなくて横にいる仲間の人権や権利がどうなっているのか、人権意識がないと闘えない。それを知ろうとすると日本社会の構造に行き当たる。社会構造の矛盾を否応なく意識する。日雇いだけを組織している分会があると、同じ職場の中に差別意識みたいなものがある。そういうことを組合でオープンに議論が出るようになればなるほど、団結が強まり、戦闘性が強まってくる。
―これまできつい政治弾圧を受けてきました。武委員長は7回殺されそうになり、5回も起訴されています。05年には14ヶ月拘留されて、保釈半年後再度2ヶ月拘留されていますね。なぜこれほどまでに権力は関生を集中的に弾圧してくるのでしょうか。
こういう組織が広がるというのは資本にとって由々しき問題だからです。82年のときは、大阪から関西一円に広がって東京生コン支部ができた一年後でした。関生など組合側と工業組合との間で32項目の協定を結んでいる。この協定の中には関西における生コン産業のあり方を方向付ける32項目の協定があった。その直後に弾圧が激しくなった。
武委員長が逮捕された05年のときは、京都、岡山、和歌山などの周辺地域に中小企業を協同組合に組織して業界のあり方を変えていく運動が広がり始めたときでした。共通しているのは我々の運動が広がり始めたときに権力にやられている。その繰り返しです。敵がそれだけ我々のことを恐れているということであるし、逆に我々のやっていることは正しいということを弾圧は証明してくれているわけです。(注;武委員長は05に逮捕、06年に保釈後再逮捕され07年に実刑判決を受けたが、控訴審で執行猶予5年で確定。高裁で実刑だったら長期拘留が続き、今の生コン支部はなかったと高さんは言う)。
―高さんから見て、武委員長はどのような人でしょうか。
すごい人ですよ。60歳を回ってさらにパワーアップしている。僕も同じ中卒で若いときの話を聞くと僕と変わらないですが、委員長になって40代後半からは現場での実践を積み、勉強されている。そして辛抱強い。いろんな裏切りみたいなことを山ほど経験してますが、だからといって相手を批判せずに相手を見抜けなかった私が悪かったと、そういう返し方をする。そして相手が謝ればもう一度共同戦線を張る。新左翼の人とどこが違うのかというと、新左翼の人たちは相手に一つでもおかしなことがあると全否定してしまう。武委員長は相手の9割があかんでも1つ認められれば共闘できると言う。共闘していれば相手を変えられるし自分も変われる。あかん部分が減って共闘する部分が増えていく。1から10まで一致できる人はいないし、相手とどこで一致できるかを中心に考えて、そういう形で共闘を広げていく。そこがすごい。僕もいろんな活動家を見てきたけれどそれは誰も持っていない。
―低迷する労働運動の中で、戦闘的な労働運動の再生と展望はありえるのでしょうか。
その可能性はあると思っています。抵抗のやり方がわからないだけで、希望をなくして組織率も低いですけど、みんな何かやりたいし抵抗はしたい。連合系なら執行部が闘わないから諦めていますが、たとえ関生のように少数であっても自分らの闘いを続けていけば爆発的に闘う労働運動がぐっと広がる機運はある。特に物流産業、トラック支部は業種別運動をやろうという組織相談が今すごく多い。まともに働けない。まとも働いてもまともな生活が出来ない多くの労働者が我々の組合に相談に来ています。我々のところに来るということは他でも相当あるはずで、しっかり受け止めてやればまず物流産業で広がっていく可能性はあると思いますね。一つの産業で広がれば他の産業にも波及していくチャンスはあると思っています。
※ ※ ※
「変革のアソシエ」や「中小企業組合総合研究所」など、社会に積極的に発信を強めている最新の関生の動きにも注目が集まっている。権力に弾圧されても、やくざに追われても怯まず電撃的に反撃するその労働者魂。大企業中心の経済産業の仕組みを、中小企業と労働者に良いものに変える「産業民主化」の闘いなど、「関生型労働運動」の地平は、連合に代表される企業別労組の「限界」を打ち破る可能性を秘めているのではないか―このインタビューを通じて感じた率直な感想だった。今後の関生の闘いに注目したいと思う。
■イラン、国連へ米国の新核戦略を正式に告訴
イランは米国の新しい核戦略が「核恐喝」で国際法違反だと国連に告訴。
国連駐在イラン大使は、4月13日付書簡で「核不拡散条約に加入した非核国家に対する核恐喝のような刺激的な声明は、米国が国際法に従う自己の義務と責任に大きく違反するもの」「米国の核兵器先制使用政策は、国際平和と安全への実際の脅威であり核拡散防止条約への信頼を落とすものである」と主張。
「国連は21世紀にこのような核恐喝を許してはならず、核兵器の脅威や使用を防ぐ唯一の確固たる担保として、すべての核兵器を完全に撤廃する決定的な措置をとるべきである」と書簡は付け加えた。書簡は、国連安保理事会議長と国連総会議長に提出された。
また、同大使は国連総会、国際テロ除去措置委員会で「イランを含む他国に核使用を許容する米国の新しい政策は、その真意からすれば国家テロ戦略と変わりがない」と反論。
(新華社)
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