研究誌 「アジア新時代と日本」

第81号 2010/3/5



■ ■ 目 次 ■ ■

編集部より

主張 国民経済構築の観点を!

研究 トヨタ・リコール問題 「見直し」−求められる新しい企業像

ルポ 日本社会の最底辺不況下の「釜ヶ崎」を歩く

世界短信

―お知らせ―




 

編集部より

小川淳


 「民主党が高校無償化から朝鮮学校のみ除外を検討中」、という報道には驚いた。
 教育の無償化は国連人権規約にも掲げられていて、この規約によってほとんどの国では高校の無償化、返済義務のない奨学金制度(大学)の導入を行っている。ちなみにこの条約を批准した160カ国の中で、留保しているのはわずか三カ国、(ルワンダ、マダガスカル、日本)だけである。民主党政権の目玉政策の一つ、この高校無償化には大いに賛成したい。
 高校無償化から朝鮮学校のみを除外する理由が何であれ、それが政治的な思惑からであることは明らかである。日本に住む子供たちがみな同じ社会の一員であり、マイノリティだからこそ彼らの民族性や文化は行政が手厚く保護すべきだ。
 政府が率先して、政治的理由で民族差別を教育現場に持ち込むことは、とりわけ「在特会」などの民族排外主義が跋扈する中で、それを容認するものとなるのではないか。
「制裁から対話」への転換を果たすという鳩山首相の公約から見てもおかしい。
 このようなブレが起きるのは、民主党が自公政権下の「制裁外交」を引きずったままだからだ。自らの歴史をきちんと認識し、清算することと拉致問題はきちんと分けて考えたほうがよい。朝鮮は日本が戦後処理を終えていない唯一の国であり、日朝関係正常化は誰のためでもなく、日本のためである。そのことと拉致とは本来、関係がない。
 鳩山首相が提唱する「東アジア共同体」においても朝鮮への戦後処理、日朝関係正常化は不可欠だ。ともに悲惨な戦争を体験した東アジアの国々にとって、歴史認識の共有化こそがその出発点となり、東アジアが結束する要となるからだ。東アジアの中で唯一の加害国日本のきちんとした歴史認識なしに「東アジア共同体」の結束はありえない。もし日本が朝鮮との関係正常化を果たし、仮想敵国でなくなるなら「北朝鮮の脅威」はなくなり、海兵隊が沖縄に駐留すべき理由もなくなる。
 高校無償化問題において、人権感覚と外交感覚、何よりも政治家としての資質が問われていることを、鳩山首相は肝に銘じるべきである。



主張

国民経済構築の観点を!

編集部


 今日、転換の時代にあって、あらゆるものの見直しが求められている。中でも、経済見直しへの要求は切実だ。米国主導の経済のグローバル化、新自由主義化、この覇権主義経済路線からの大転換こそが、鳩山政権には求められているのではないだろうか。

■問われる経済路線の根本的見直し
 「百年に一度」と言われた金融恐慌、大恐慌、それに続く泥沼の大不況は、米主導で強行されてきた経済のグローバル化、新自由主義化路線の破綻を余すところなく示している。
 それは、当然、路線の見直しと新しい路線の確立を要求する。だが、米国でも欧州でも、そして日本でも、新しい経済路線は打ち出されていない。言われている教訓はグローバル化、新自由主義化の「行き過ぎ」であり、やられている政策は財政出動などケインズ主義のつぎ足しだ。
 古い覇権の時代から新しい反覇権自主の時代へ、時代を切り開く経済の大転換は、グローバル化、新自由主義化の「行き過ぎ」の制御やサプライサイドの新自由主義と有効需要創出のケインズ主義の折衷などでは実現されない。米欧日など先進国での「実感なき景気回復」やデフレ状況の深まり、その中で再び発生している金融バブルは、そのことを物語っているのではないだろうか。
 民主党政権は、こうした状況に全く無策を決め込んでいるわけではない。鳩山首相は、所信表明演説や施政方針演説などで、「市場にすべてを任せ、強い者だけが生き残ればよいという発想」や「国民の暮らしを犠牲にしても、経済合理性を追求するという発想」がもはや時代遅れだとしながら、新しい経済のあり方として「人間のための経済」への転換を提唱し、その実現のため、「コンクリートから人へ」を基本方針とする公共事業依存型の産業構造の転換、グリーン・ライフ・イノベーションの推進、そして、成長のフロンティアとしてのアジアや地域の重視、中小企業を日本経済の活力源とし、農林水産業の「6次産業化」を図る方針、等々を掲げている。
 鳩山首相の経済政策に転換の時代の要求が反映されているのは事実だろう。「人間のための経済」や「コンクリートから人へ」に反対する人はいないだろう。だが、それが時代的要求の本質かと言えば、少し違うのではないかと思う。

■経済破綻の教訓は何か
 今日求められている経済の大転換は、何よりもまず、古い時代の極度に覇権的な経済路線、米国主導の経済のグローバル化、新自由主義化が破綻した教訓に基づかれなければならないだろう。
 国民主権、国家主権に基づく、経済に対する国のリーダーシップを否定し、弱肉強食の市場にすべてを委ねて、ボーダレスな大競争を奨励した覇権主義経済の極致であるグローバリズム経済、新自由主義経済はなぜ破綻したのか。その根底には、経済のグローバル化、新自由主義化が必然的にもたらす国民経済の恐るべき不均衡があった。需要と供給、産業構造、地域、大中小企業など経済のあらゆる領域に生まれたこの甚だしい不均衡が過剰金融、過剰流動性など金融恐慌の根因を生み出し、対米輸出に依存する世界経済の不均衡と相まって、世界的な大恐慌とそれに続く自律的回復力のない泥沼の大不況を引き起こしていったのは多くの識者が指摘するところである。
 実際、あらゆる規制をなくし、公的企業の民営化を図り、資源配合や所得再分配など税財政の機能を否定し、国家による保護や援助を否定して、すべてを「自己責任」に押しつけ、大企業優遇の自由競争に任せたところから、所得格差、地域格差、企業格差など、あらゆる格差の拡大と貧困や地域崩壊、中小企業倒産などの深刻な広がりが生まれ、それにともなう経済のあらゆる領域での不均衡が生まれた。この不均衡が消費や設備投資の停滞など、カネやモノの全社会的な循環を滞らせ、膨大なカネ余り現象を引き起こし、それが経済の金融化、投機化に直結していったのは、容易に理解できることではないだろうか。一方、ドル体制のもと、米国を最終消費地とし、対米輸出に依存する世界経済の循環が、各国・国民経済の著しい外需依存体質化と不均衡、そして米国によるドルの垂れ流しと過剰流動性の発生、それにともなう経済の金融化、投機化を招き、それが、米国発金融恐慌とともに、米国経済の破綻による世界各国経済の破綻とその後の自律的回復の遅れを結果したのは当然の帰結だと言える。
 歴史的現実は、経済に対する国のリーダーシップを否定し、弱肉強食の市場原理にすべてを委ねれば、国民経済のあらゆる領域に甚だしい格差と不均衡が生まれ、それがカネとモノの循環を滞らせ、膨大なカネ余り現象とそれにともなう経済の金融化、投機化を招いて、経済の大破綻、大崩壊を引き起こすことを教えてくれている。
 これまで、米一極支配のもと、経済のグローバル化、新自由主義化路線に沿って、経済の基本単位は世界経済に置かれ、国民経済は副次的なものとしてそれに服従させられてきた。消費や設備投資など内需の停滞と外需主導の経済成長、自動車や電機など輸出産業偏重の産業構造、大企業の海外進出と産業の空洞化、地域経済の崩壊、中小企業、農業の衰退などが問題にされながらも、その警告の声が米国を中心とする世界経済の発展を第一義とする経済グローバル化、新自由主義化の大合唱にかき消されてきたのはその現れと言えるだろう。
 しかし、グローバリズム経済、新自由主義経済が破綻し、米一極支配が崩壊した今日、問題となるのは破綻の基本要因となった国民経済の不均衡と崩壊であり、求められるのは国民経済を基本単位とする経済の再構築、均衡的発展ではないだろうか。事実、世界経済の建て直しを呼びかける米国までが、そのための基本方途に「内需の拡大」を挙げ、有効需要創出のため、各国政府に財政出動を要請しているのは決して偶然ではないだろう。国民経済あっての世界経済であり、その逆では決してない。今回の経済破綻は、図らずも、この重要な真理を教えてくれていると思う。

■生命力ある国民経済の構築のために
 経済の基本単位は、世界経済ではなく、国民経済にある。そもそも、人間がつくり発展させるものである経済は、人々の社会生活単位であり、運命開拓の基本単位である国を離れては有り得ず、国民経済を基本単位に発展するようになる。
 だから、国民経済を生命力のある生命体として築くのが決定的だ。その均衡が崩れ、カネやモノの流れが止まったら、世界経済の発展も有り得ず、企業がそれに頼って生きていくこともできない。
 この国民経済の均衡をとる上で、市場が大きな役割を果たすのは事実だ。だが、決定的なのは国のリーダーシップではないだろうか。国民主権、国家主権を否定し、国の経済に対するリーダーシップを否定して、弱肉強食のボーダレスな市場にすべてを委ねるようにした覇権主義経済、米国主導の経済のグローバル化、新自由主義化が国民経済の崩壊によって破綻したのは貴重な教訓だったと言うことができる。
 今日、覇権から反覇権への転換の時代にあって、この時代的要求に応える経済の見直し、新しい経済路線の確立は、国民経済の新しい構築にこそあるのではないだろうか。
 そのために、何よりもまず重要なのは、国民経済構築の観点を全国民的な総意にすることではないかと思う。国民経済をあらゆる領域にわたり均衡的に発展させ、全国的、全社会的な経済循環を何の滞りもないものに発展させてこそ、経済をもっとも生命力のある経済として築いて行けるという観点、そのために、国民と企業、地域、国家が渾然一体となり、互いに助け合って、税負担、資金負担、活動負担をしていく観点だ。
 国民経済構築の観点の確立に基づいて、次に重要なのは、政府の経済に対するリーダーシップの強化だと思う。資源配合や所得再分配などに関する税財政の思想と路線を国民経済構築の観点との関連で新しく打ち立てること、鳩山首相が打ち出した新産業創造や地域経済活性化、アジア経済との交流拡大などの経済政策を国民経済構築の観点から統一的に推し進めること、等々、政府のリーダーシップはきわめて重要だと思う。
 国民経済を構築していくというとき、重要なのは、それを一つの運動として展開していくことではないだろうか。労働者や企業家、農民、地域住民など、全国民的な運動として国民経済の構築が推進されるようになるとき、それは、アジアや世界、すべての国々で展開される国民経済構築の運動と相まって、大企業の海外脱出を抑制する効果も持ってくるのではないだろうか。



研究 トヨタ・リコール問題

「見直し」−求められる新しい企業像

魚本公博


■トヨタ車リコール問題の経緯
 トヨタ車リコール問題が大きな問題になっている。これが大きく取りあげられるようになったのは、昨年9月に米国で4人が死亡するレクサスの暴走事故が起きたことである。
 しかし、トヨタは、当初(9月下旬)「フロアマットに引っかかる不具合があるがブレーキそのものの問題ではない」と発表、これに米メディアが噛み付き、問題は大きくなった。とりわけ、11月2日にトヨタが広報で「米運輸当局が車両の欠陥を否定する見解をまとめた」と発表したことに対して、この問題を担当する米運輸省高速道路交通安全局(NHTSA)が、そのようには言ってないと不快感を示し、NYタイムズ電子版が「暴走問題はまだ解決してない」と批判を強め、ABCテレビも特集を組んだ。
 その後、米国では、レクサス以外にもカローラやプリウスなどでもブレーキ関係の不具合が表面化していった(その他、タンドラは車台の一部不具合でリコール)。とくにプリウスは、販売不振の中でも売り上げを伸ばしてきたトヨタの「救世主」的存在であったが、これが問題化するやトヨタは、この原因は、ABS(電子制御のブレーキシステム)の特性上生じる問題であり、フィーリング(感覚)の問題だとした。このことが、また批判を浴びリコールに踏み切ったのは、2月9日であった。
 こうした中、米下院はこの問題に対する公聴会を開き、豊田章男社長が出席せざるをえない事態にまで至ったのである。

■米国の思惑
 トヨタ車・リコール問題の経緯を見れば、これが米国主導で行なわれたと言える。それもかなり演出的であったのも事実である。2月6日に行なわれた記者会見で米ABC放送の記者は豊田社長に「英語で答えてほしい」と要求し、彼が慣れない英語で答えたのをニューヨーク・タイムズは、「(豊田社長は)不完全な英語でトヨタが安全だということを信じてほしいと述べた」と皮肉った。
そして、「謝罪で頭を下げたが、こうした記者会見にふさわしい深くて長い礼ではなかった」と謝罪の際の上体の角度まで非難した。
 この騒動は米国のある思惑によるものではという憶測が流れている。事実、この騒動を契機に、米国ではトヨタ車への不信感が強まり、米国製自動車への買い替えが進んでいるという。とりわけ、破産申請をして米国国家管理の下で再生をめざすGMなどには追い風であったことは明らかであり、彼らは、好機とばかりにGM車に乗り換える際、キャッシュバック(払い戻し)するキャンペーンを始めた。
 日本でも、この問題に関して電子掲示板などに「これは自動車の問題ではなく、明らかに米国の日本叩きだと思います。民主党の立場がアメリカから距離を置こうとしたことに対する牽制もあるかも。とにかく米国というのは実にえげつない国だと思う」などの声が寄せられている。海外でも、カナダの「フィナンシャル・ポスト」は、「トヨタは犠牲者だ」としており、他国でも、この問題は米国によるトヨタ叩き(日本叩き)の面があると見てその成り行きを注目している。

■問題にすべきは何か
 トヨタ車リコール問題では、ブレーキやABSについての技術的な問題、トヨタの安全思想の後れ(ドイツ車はアクセルよりもブレーキ優先に設計されていることなどをもって)、リコールへの考え方の遅れ(隠すのではなく公表してこそ信頼が得られる)などが論じられている。しかし問題は、そのようなところにあるのではなく、トヨタが品質管理、その経営で世界の最先端を行き、世界第一の自動車製造会社になった、その基礎がここにきて急速に崩壊してきた原因を探ることではないだろうか。
 トヨタは元々、技術の先端性で売るというより、一定の技術を使い込み、なじませて良い製品を作るということに長けた会社だった。そこでは「カイゼン」に見られるように従業員の参加意識を高め、その熱意を喚起することが重視された。
 トヨタの強さは、「生産の同期化と平準化」にあると言われる。ベルトコンベアーに乗せて大量生産する「フォード」方式ではなく、必要に応じて生産する方式が、その代表例。この方式は、ベルトコンベアーを適時に止め金型を取り替えるのを短時間で行わねばならず、90年代初めで、米国で6時間かかるものを9分で行ない、今では3分以下という。これを可能にしたのは、従業員自身の創意と工夫、多能工化によっている。
 また、部品を供給する下請け企業との関係でもトヨタの場合、「育成」という面が強く、製品の質を高めるために共に協力しあうという姿勢が強かったと言われる。その他、部門間の協力、関連企業との協力も重視され、開発から生産、量産までの開発リードタイムが3年、4年と短いという強さも、そこから生まれたと言われる。
 勿論ここで「トヨタ殺人工場」と言われる従業員の酷使、下請け企業への強収奪があったことを忘れてはならないが、それでも、人間重視、協力重視でやってきたことがトヨタの強さと製品の良さにつながっていたことも事実であろう。トヨタは2000年代に入って、「企業市民、クリーンで安全、個人の創造力とチームワーク」などを盛り込んだ「知恵と改善、人間尊重の『トヨタウェイ2001』」を発表している。
 しかし、この間のリコールの多発は、この「良さ」が崩れたことを示している。その原因はどこにあるのだろうか。それはやはり、掲げる理念とは裏腹に、人間重視、協力重視などが崩れてきた結果だろう。トヨタ自身、05年に就任した渡辺前社長の下で、海外の生産能力を高めてグローバル化を一気に進めるなど、「あまりに拡大路線に走りすぎた」と言っているが、まさしく経営のグローバル化、新自由主義化こそが、その原因だと言えるだろう。
 その典型は、従業員の非正規化である。非正規には、期間、派遣、請負の三種があるが、請負では工場側が指揮・命令できず、期間、派遣は長期に雇用できず、「カイゼン」に参加させることも、能力を高めそのノウハウを蓄積することもできない。とりわけ、外国での生産の場合は、どうしても、従業員の「責任性」は低下せざるを得ないだろう。
 かつて、下町で部品を作っていた叩き上げの職人が海外から調達された部品を見て「こんな程度の作りの部品を使って、将来、何も起きなければ良いが...」と言っていたそうだが、部品調達のグローバル化が部品の質低下につながっているのも確かである。

■何を見直しどうすべきなのか
 08年に販売台数世界一に上り詰めたトヨタが米国金融危機の発生で一挙に売り上げを落とし、大幅な経常赤字を記録した頃、日経新聞が、それについて論評しながら「日本の企業は米国の庇護の下、経済成長に集中するのが『国家繁栄の方程式』だった。米国覇権の揺らぎはその方程式が成り立たなくなることを示す」と指摘していた。
 実際、この見方は正しいと思う。この2月、日航JALが会社更生法を申請したが、その経営不振の原因として、米国の繁栄を前提にして余りに拡大路線をとったこと、燃料食いのジャンボ機を37機も所有していたことなどが上げられている。一事が万事、日本の企業にそのような考え方が色濃くあったことは否めないだろう。トヨタも、その急激な業績悪化は、米国の繁栄を前提に米国市場第一主義でやってきたことの結果である。そして、この米国第一主義によって、経営のグローバル化・新自由主義化を進めたことがトヨタの良さを潰し、今日のリコール多発につながっている。
 だとすれば、何よりもまず見直すべきは、米国第一主義とそれに基づく経営のグローバル化、新自由主義化であろう。そのためには、「トヨタウェイ2001」にもあるように、企業市民として、日本の国民経済の一端を担っているということをしっかり自覚し、かつての良さをとりもどすだけでなく、さらに経営方式も発展させていくべきだと思う。こうして、雇用でも正規社員を増やし、文字通り、「人間尊重、チームワーク」の企業に再生してもらいたいものである。
 また米国一辺倒ではなく、アジアとの連携を強め、それも儲けのためではなくアジアの諸国が国民経済を発展させることに寄与するような連携であるべきであり、こうして「ウィン、ウィン」の関係を構築すれば、共に永続的な発展を果たしていくことができると思う。そして、このような考え方は、他の企業にも求められており、そこに日本企業の進むべき道があると思う。


 
ルポ

日本社会の最底辺不況下の「釜ヶ崎」を歩く

小川淳


 リーマンショック以降の「不景気の波」が日本全国を覆っている。大卒や高卒の就職率は最悪だ。物が売れずいくつかのデパートが店を閉じた。5%に近い失業率でも改善の兆しは見えない。高度成長以降、何度も不況はあったが、これほどの景気の悪化は初めてではないか。小泉構造改革以降の「格差と貧困」の拡大に、この大不況、デフレ・スパイラルが追い討ちをかけた形となった。そのしわ寄せは日本社会の弱者層へ、最底辺へと向かう。
 08年暮れ、日比谷に突如現れた「派遣村」の光景は、日本社会の「格差と貧困」の現状を広く世間に知らしめるものとなった。だが、ここ釜ヶ崎では、仕事も家もない労働者の光景はいつの時代でも「日常」のものだった。「格差と貧困」の象徴の地、釜ヶ崎。この日本社会の「最低辺」は今、どうなっているのか、歩いてみた。

※      ※      ※

 JR環状線新今宮駅を降りたあたりを大阪では通称、釜ヶ崎(あいりん地区)と呼ぶ。日本最大の日雇い労働者の街だ。わずか0,6平方キロに約2万の労働者が住む。江戸の中期あたりに当時の町奉行が、無宿人の住む木賃宿を紀州街道沿いに集め、仕事を与えたことがその始まりという。明治以降は、現在の新世界で国内勧業博覧会が開かれ、木賃宿街は今のあいりん地区に移った。戦後の復興期には、沖仲仕や土方の労働者が集まりスラムが形成された。
 70年ごろから、万博をはじめとする関西一円のニュータウン建設の労働者(約二万人)が大阪に集められた。一方で、家庭を持つ労働者は南港などの市営住宅に追い出され、釜ヶ崎は使い捨ての単身の男ばかりの街に生まれ変わっていく。高度成長時期とともに釜ヶ崎は、労働力の調整弁として安価な労働力の供給基地として行政によって再編・整備されていった。単身の男だけがいびつな形で集積される現代版「人足寄せ場」、それが釜ヶ崎だ。

■釜ヶ崎の現状
 いま釜ヶ崎には、日雇い求人の減少と労働者の高齢化の波が押し寄せている。  日雇い求人の減少で、全国から仕事を求めて釜ヶ崎への新規労働者は減り、労働者の高齢化が進んだ。高齢化によって、日雇い求人はさらに減り、その悪循環で、日雇い労働者がホームレス化し、生活保護受給者はさらに増加している。
 大阪市の資料によれば、日雇い求人数は平成2年と比較して、平成21年度では約5分の1に減少している。「日雇い労働費保険手帳の交付」も約7分の1に減少している。一方、生活保護世帯数は平成21年2月(リーマン・ショック直後)から急増していて、大阪市全体ではほぼ20人に1人の割合(全国一)だが、西成区ではほぼ5人に1人、釜ヶ崎ではほぼ3人に1人の割合となっている。
 宿泊形態も様々だ。簡易宿所(ドヤ)の利用者が約5000人、域内のホームレスが600人から700人、施設入居者が2000人、生活保護世帯が9000人、飯場が2000人、域内労働者数は19000人となっている。
 街にもかつての賑わいはない。萩之茶屋商店街や動物園前商店街を歩いたが、ほぼ2軒に一軒の割合でシャッターが下りていた。人影もまばらだ。一見してさびれた印象を受けた。かつてこの辺りは、釜の単身者住人を当て込んだ一杯飲み屋やホルモン焼き、一膳飯屋が軒を連ね、猥雑でなんともいえない雰囲気があったが、昔日の面影(私が訪れたのは70年代後半頃)はなかった。

■ホームレスの日常
 この厳しい不況の中で「釜」の労働者はどのように生き、ホームレス(野宿者)の人たちはどう日々を凌いでいるのだろうか。彼らの日常を紹介したい。
 その生活パターンは大きく分けると三つあるようだ。一つは、「現役労働型」だ。現金仕事に行く人たちには寝る場所が一定していない人が多い。彼らは、仕事に行けないときに一夜をしのぐ方法として野宿をしているので、自分の決まった場所がない人が多い。彼らは仕事のない時期には野宿をし、仕事に行った日はドヤに泊まる。このような生活スタイルは釜ヶ崎では珍しくない。彼らは釜ヶ崎に近い天王寺などで野宿をする。仕事を見つけようとすれば、朝5時までに西成労働福祉センターにたどり着かなければならないからだ。センターに行っても仕事に就けるかどうかは全くわからない。
 第二は「炊き出し型」だ。炊き出しには、毎日行われているものでは、四角公園のおかゆの炊き出しと救霊会のパンとおかゆがある。火曜日の夜は関谷町公園(難波)でうどんの炊き出し、水曜日の昼には三角公園でドンブリの炊き出しなど、曜日によって場所が異なる。ベテランほどいろいろな炊き出しに並び、なるべく多くの種類を食べるようにしている。そういう情報に敏感でなければ食べられないし、時間通りに列に並ばないと食べ損ねてしまう。すべてに並んでいると一日が過ぎる。
 第三は「廃品回収型」だ。一日中廃品回収をしている者もいるが、夜廃品回収をして、昼間は公園で寝ているという人も多い。夜に廃品回収をしている人は、リヤカーを引いてダンボールを集めている人に多いが、これは、昼間の大阪市内は交通量が多く、リヤカーを引くのが大変であることと、店がシャッターを閉めるまぎわにダンボールを出すためであると思われる。廃品回収といっても、ダンボールを集める人もいれば、アルミ缶を集める人もいるし、大型ゴミの中からまだ使える物を拾って売りに行く人たちもいる。集める物によって、仕事をする時間が変わるようだ。夜中に廃品回収をする人の中には、疲れたら随時その場で仮眠をとるので、寝る場所は一定していないという人もいた。
 廃品回収をしている人のうち、約80%の人がリヤカーを所持していた。リヤカーがあればそれを寝床にできるし、身の回りのいろいろな物も持ち運びができる。ほとんどの人はリヤカーを業者から借りている。  以下は何人かの野宿者の収入例だ。
 Aさん、「特掃」(後述)月に3回。本の売り上げ1,500〜2,000円(月〜金)。月収約52,000円。炊き出しは月に2~3回利用。
 Bさん、移動手段は自転車。「特掃」月に3回。アルミ缶などと合わせて月収62000円。糖尿病で医療センターから薬をもらっている。釜ヶ崎に来て30年。
 Cさん、移動手段は自転車。北海道出身。    「特掃」月に3回。アルミ缶12日(2000〜2500円)、合わせて月収3万円。東大阪環境事業局7665円が月3回。東大阪小坂−月2回で4000〜5000円。合計月収76000円。3年前、大和中央病院で腸閉塞のため手術。東京が長く、30年。新聞配達。大阪に来て平野の飯場で2年。釜ヶ崎は9年。
(「釜ヶ崎支援機構」アンケートより)

■生活保護より「仕事」を
 五十を過ぎた日雇い労働者や野宿者が畳の生活を取り戻すには生活保護を受けるしか方法はない。しかし、住居や生活費が与えられても、個々の事例に合った、具体的な支援がないと再び野宿に追いやられるケースも少なくないという。生活保護で医療費が無料になっても、山本病院事件に見られるように、必要もない高額な検診を強要される被害を受けている。不正に医療費を稼ぐ悪徳病院も「釜」周辺では珍しくないようだ。
 生活を立て直すには福祉だけでは限界がある。今、「釜」の労働者の生活の支えになっているのが「高齢者特別清掃事業」(特掃)である。NPO法人「釜ヶ崎支援機構」(野宿者の処遇改善や自立支援に取り組むNPOとして1999年に設立され、食と寝場所、就労機会を提供している)が大阪市や府から事業委託を受け、西成労働福祉センターに登録した55歳以上の労働者を雇用し、施設や道路などの除草、清掃や保育所の遊具のペンキ塗りなど1日237人に仕事を紹介している。
 就労枠が少なく一人当たり月に3回程度しか仕事に就けないが、1日5700円の収入になり、野宿者の大きな収入源となっている。
 「働きながら生活できる仕組み」をどう築いていくのか。
 「医療や福祉、行政、NPOが協同した地域一体で支える仕組みつくりが課題だ」(「釜」で支援にかかわるケース・ワーカー)という。
 家族がなく孤立した高齢者が多い「釜」の実態に合った福祉のあり方とともに、「特掃」のような就労支援の枠をどう広げていくかが課題である。今後も注目していきたい。



 

世界短信

 


■ASEAN事務局長、中国−ASEAN貿易協定が大きな利益生むと言明
 スリン・ASEAN(東南アジア諸国連合)事務局長は中国−ASEAN自由貿易地帯創設に関する協定実施について以下のように言明。
 中国はすべての国が進出を希望する巨大なマーケットだ。私はASEAN諸国が中国経済の成長に注意を払い、中国と共に成長を遂げようとしていると考えている。
 現在,ASEANに対する中国の投資はASEAN全体の投資から見ればわずか2%にすぎない。しかし自由貿易地帯創設の協定実施後には、双方の投資が激増するだろう。

(新華社通信)

■人民元に対するオバマの強硬姿勢に屈してはならない
 米大統領オバマが外国為替及び貿易問題において中国に対し「いっそう強硬姿勢」をとると言明したのと時を同じくして、北京の経済専門家の間では「中国が、米自身の国内問題に起因する米国の圧力に屈してはならない」という論議が激化している。
 オバマの主張は、「米国商品価格の人為的な高騰を抑えるためには、人民元高に誘導するよう中国に持続的な圧力を加える」ということだ。
 北京大学の一専門家は、「オバマの言葉は、国内の利権グループの歓心を買うことに目的がある」として以下のように述べている。
 これは中国の高まる国際的影響力、他方で米国の失業激増、これを中国の為替政策を元高に誘導し、中国の輸出産業を衰弱させることで自分の苦境を救おうとするオバマのいちばん安易な手法だ。
 またオバマへの支持率が急激に落ちている状況で、今年末の中間選挙を前に支持率回復を狙うオバマの策略だ。
 中国国家発展・改革委員会、対外貿易研究所所長は、危機時に自分の苦境を脱するために主要貿易相手国の貨幣に為替高を要求する米国のやり方は古い手法だと非難している。

(新華社通信)

■自信をなくしつつある米国民
 米世論調査機関、ヒュー研究センターの最新調査資料によれば、米国が果たす役割について将来を不安視する米国民数が増大している。他方、中国の影響力が急激に高まっているという認識が広がっている。  米国民の41%が、10年前と比べ国際舞台での米国の役割が低下していると回答(04年には20%)。
 米国が現在の世界経済を牽引しているとの回答は27%、他方、中国が牽引との回答は44%にも昇った。

(米ニューズウィーク誌)

■米国民52%が、オバマを「2012年大統領選で再選する価値がない」
 米CNN・TVと世論調査会社オピニオン・リサーチの合同世論調査結果によれば、12年大統領選でオバマを「再選する価値がない」という回答が52%に達し、「再選の価値あり」の44%を上回った。調査によると、回答者の45%がオバマを「上流階級に属する人物」と回答するなど、大統領が一般国民から遊離した存在と見られている事実も明らかになった。失業率が10%以上という上昇を見せ国民の不満が高まっている中で、「金持ち階級」という印象が定着すれば、オバマにとって大きな打撃となるのは明白だ。

(読売)



 

―お知らせ―

 


■「よど号40周年シンポジウム』を開催します。
 このシンポジウムは、「今、世界と日本が変わろうとしている時にあって、あの時代の意味を今一度振り返り、古い時代の見直しという今日的視点に立って、『よど号問題』を共に考えよう」(「呼びかけ文」)という趣旨のものです。
 4月3日(土曜日)、13時〜17時、京大会館(京都市左京区)
(参加希望者はこちらのメールまでご連絡ください。)

■民族差別・外国人排斥に反対し、真の多民族共生社会を作りだそう!朝鮮人学校への攻撃を許さない!3・28集会。
 京都市円山公園野外音楽堂、午後2時開始、集会終了後デモ行進。


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