研究誌 「アジア新時代と日本」

第79号 2010/1/5



■ ■ 目 次 ■ ■

編集部より

主張 新たな時代的転換を展望す

インタビュー 大森昌也さんに聞く 「限界集落」よ、「縄文百姓」で蘇れ

世界短信




 

編集部より

小川淳


 明けましておめでとうございます。
 ブッシュ政権に代わるオバマ政権の誕生、国内では自民党に代わる民主党政権の誕生と、激動した09年は「一つの時代」の終わりを象徴するかのような一年でした。覇権国家であった米国を支えに生きてきた自民党が、覇権国家としての坂道を転げ始めた本家と軌を一にして自壊したことは、けっして偶然ではなかったでしょう。
 自民党に代わる新たな政治理念を掲げて登場した鳩山政権でしたが、発足してわずか3ヶ月経たない間に支持率が急落しています。政治資金の不明瞭な処理や普天間移設をめぐる党内の軋みなど、鳩山首相自身の曖昧さや不手際が重なったこともあるでしょうが、とりわけ普天間基地問題が浮上して以降、鳩山首相に対する国内メディアのバッシングが、支持率低下に大きく影響しているのは間違いないようです。
 「普天間移設を急げ」「岐路に立つ日米同盟」「オバマ政権の鳩山不信」といった見出しを見ていると、どのメディアも濃淡の差はあれ、米国の声を代弁し、日米間の「危機」を煽る報道一色であり、多くの国民に鳩山政権の外交政策に不安を持たせる、そんな紙面つくりになっています。
  普天間の海兵隊基地を移設する問題は当然にも利害関係のある沖縄県民の声が最も重要だと思うのですが、米国の声に耳を傾けても、沖縄の悲痛な声に耳を傾けた主要メディアは一つもない、なんとも気味が悪いほどです。
 90年代以降、米国を中心とした覇権勢力とそれに反対する勢力の攻防が世界的範囲で繰り広げられてきました。今まさにこの攻防が、普天間基地を焦点にしながら、民主党改革派と官僚、メディアを含む安保保守勢力と間で国内でも熾烈に展開されてきている――、政治資金をめぐる鳩山首相や小沢幹事長への執拗なバッシングは、その攻防の一環ではないでしょうか。
 そうであるならば、鳩山首相が依拠すべき相手は誰なのか。なぜ沖縄から基地を撤去しなければならないのか、日本に海兵隊基地が本当に必要なのか。沖縄からの撤去を望んでいる国民の心に訴えていく。広範な国民の支持に依拠して安保保守派と闘っていくしかない。安保改定から50周年という節目の2010年、日本が「新しい時代」を切り開けるのかどうか。微力ではありますが、私たちもこの攻防の一翼を担いたいと思います。



主張

新たな時代的転換を展望する

編集部


 2009年は、「CHANGE」で幕を開けた。米オバマ政権の発進は、転換を求める米国民、ひいては世界人民の願いの反映だったと言える。
 それから8ヶ月後、鳩山新政権が新しい政治を求める日本国民の圧倒的な支持により誕生した。
 このような気運は40年前にもあった。ベトナム戦争が泥沼化し、民族解放の雄叫びが全世界に高まる中、米国、欧州、そして日本で学生たちの反乱が戦後世界の変革を求めて燎原の火のごとく興った。今、転換の時、当時を語る本や歌が次々と出されているのもそのためだろう。
 だが、40年前世界中に燃え広がったこの転換への炎は、不完全燃焼に終わった。日本における学生運動の挫折と終息は、その一方の現れだった。
 では、今盛り上がる転換への気運はどうなるか。それを09年度情勢総括を踏まえ、新年度情勢展望として見ていきたい。

1 幕を開けた転換の時代

 08年、リーマン・ショックに端を発する米国発金融恐慌と世界的な大恐慌は、イラク・アフガン戦争の泥沼化と相俟って、米一極支配の崩壊を決定付けた。09年は、それにともなう転換の時代の幕開けだったと言える。

■「CHANGE」とオバマ政権
 オバマ政権の誕生は、「CHANGE」を要求する米国民の勝利だった。それは、オバマ氏の「CHANGE」の呼びかけに応える全米の歓呼の波、氏を大統領候補に押し立てた、イラクからの撤退を求める国民世論、そして、金融恐慌、大恐慌の惨状の中、「救世主」オバマに期待する米国民の圧倒的な支持に端的に示されていた。
 この米国初の黒人大統領、オバマ大統領は、米一極支配の崩壊とそれにともなう転換の時代の象徴として世界に迎えられた。
 その結果はどうだったか。それは、オバマ政権に対する支持率のうち続く低落がよく物語っている。「CHANGE」を説いたオバマ氏の雄弁への熱狂は急速にしらけたものになってきている。
 一向に回復しない景気と増大する失業率、解決の目処が立たないアフガンへのさらなる派兵、「CHANGE」はどこに行ってしまったのか。

■全面化した覇権か反覇権かの闘い
 核、平和と安全、環境、経済、オバマ氏は、提起される諸問題での転換を世界に呼びかけた。プラハ演説での「核兵器なき世界」の提唱、世界経済立て直しのためのG20召集、そして環境問題解決に向けたCOP15への参加、等々、ブッシュ政権の時には見られなかった変化だった。
 だが、そこで生まれたのは、核を持てる国と持たざる国、先進国と途上国の不協和音と衝突だった。核軍縮を唱えながら、「核を最後になくすのは米国だ」と臆面もなく語るオバマ氏に「核大国から、まず核をなくせ」の声が飛んだ。温室効果ガス削減を途上国にも要求する先進国に対しは「(これまでの)地球温暖化の責任をとれ」と途上国が迫った。そして、各国の景気回復とそのための出血財政出動を求める米国に対し、まず米国の景気回復努力を要求する各国、アフガンへの派兵を求める米国とそれを嫌う各国、対立と抗争はあらゆる分野にわたり全面化した。
 この対立と抗争には、覇権か反覇権かの闘いが貫かれている。核軍縮を看板に核拡散を禁圧し、核脅威による覇権維持を図る米国、地球温暖化の責任を新興国にも押しつけ、温暖化防止の財政負担の足枷で新興国の経済発展を抑えようとする先進国、各国の財政破綻を犠牲に自国の経済覇権再生を図る米国、自らの軍事覇権のため各国にアフガン派兵の犠牲を強いる米国、あくまで覇権にしがみつこうとする米国など覇権大国の策動が覇権か反覇権かの世界的闘いを一層激化させ全面化させている。
 この覇権か反覇権かの闘いを通して見えてくるのは、オバマ政権による「転換」が米一極支配から米主導の覇権多極化への転換にすぎないということだ。いくつかの核大国、経済大国、軍事大国の協調による世界支配、その主導権を米国が握る覇権多極化だ。
 だが、09年の情勢発展は、現時代の基本趨勢がこの覇権多極化ならぬ反覇権多極化にあることを教えてくれる。
 今日、世界の多極化を言うとき、それは、地域共同体の形成を離れては有り得ない。東アジア共同体、EU、南米諸国連合、アフリカ共同体など、いくつかの地域共同体が、それぞれ極を成し、互いに連係しながら、多極世界を形成し、米一極支配を突き崩した。それが今日の世界の姿なのではないだろうか。
 重要なことは、これら地域共同体が中国やブラジルなど地域大国の覇権のためではなく、超大国の覇権に抗し、各国の主権を守るためにつくられてきたという事実だ。それは、主権尊重のバンドン精神に基づいて形成されてきた東アジア共同体で、08年恐慌に続く経済危機の中、各国の通貨を大暴落から守るため、各国通貨の相互持ち合いであるチェンマイ・イニシアティブが効力を発揮し、大幅増強されたこと、リスボン条約が批准されたEUで「大統領」、「外相」の選出が行われる一方、各国の主権の尊重が確認されたことなどに示されている。
 米一極支配が崩壊した今日、覇権か反覇権かの闘いは、米主導の覇権多極化か主権尊重の反覇権多極化かの闘いになってきている。EUで米国抜きのヨーロッパ安保をNATOよりも重視する動きが強まり、南米諸国連合でも反米の安全保障体制構築が進められていること、ドル価値の低落が止まらない中、ドル体制を最終的に崩壊させる各地域共同体での共通通貨形成への動きに拍車がかかっていることなどは、そのもっとも核心的な現れだと言えるだろう。
 この覇権多極化か反覇権多極化かの闘いで主導権を握っているのは、明らかに後者だ。安保問題や基軸通貨問題ばかりでない。核拡散をめぐる問題、展望無き増派を決めたアフガン戦争への対応、ビジョンと路線を持たない経済政策、途上国の反発と攻撃に防戦一方の環境問題など、「関与」と「指導」を旨とするオバマ政権の「リーダーシップ」はどこにも見られない。

■岐路に立つ鳩山新政権
 09年の流行語大賞は「政権交代」だった。この言葉を合い言葉に、国民は政権を交代させた。日本の憲政史上初めてと言ってよい国民による主権の行使、それが鳩山新政権を誕生させた。
 政権交代から4カ月、鳩山新政権の政治は、確かに古い自民党政権の政治とはひと味違った政治になっている。官僚主導から政治主導などいろいろあるが、分かりやすく言えば、その違いは、国民主権、国民主体を掲げた、国民の意思を尊重する政治であるところにあると思う。国民との公約であるマニュフェスト重視の予算編成、普天間基地移設問題に見る沖縄県民の意思尊重、等々は、米国や財界の顔ばかり見ていた自民党政治には絶えて見られなかったものである。
 だが、これは容易ではない。事実、米国の要求と沖縄県民、日本国民の要求の板挟みになった普天間基地移設問題はその代表的現れだ。
 問題はそれだけではないだろう。この基地問題との関連で言えば、日本の平和と安全のあり方自体が問題になってくるし、今日の経済危機の惨状は、経済のあり方そのものの転換を求めている。そしてこれらはすべて、日米関係の見直しと米国との軋轢なしには済まされない。
 古い自民党政治は、米一極支配のもと、それに誰よりも忠実に従い、国民にグローバリズム、新自由主義の構造改革、そして新保守主義・反テロ戦争の米軍再編、自衛隊再編を押しつけてきた。その結果が国民による政権交代の選択だった。
 そして今、米一極支配の崩壊とともに、転換の時代が幕を開けている。日本国民の主権意識の高まりと覇権か反覇権かの世界史的攻防の激化の中、鳩山新政権は、あくまで国民主権、国民主体の政治を堅持し、反覇権多極化の趨勢に合流するのか、それとも、米国の圧力に屈服し、米主導の覇権多極化の道に入るのか、その岐路に立たされていると言えるだろう。

2 新たな時代的転換にどう対するか

 今、政治が面白いと言われる。長らく国民にそっぽを向かれていた政治が再び人々の関心の中に戻ってきた。事業仕分けや予算編成が話題になり、普天間基地移設問題をめぐって巷で論議が戦わされる。事業仕分けの現場には多くの若者が詰めかけたという。
 再び訪れた政治の季節、想起されるのは40年前のあの高揚だ。

■歴史はくり返されるのか?
 「1968年」、当時、米国の没落は顕著だった。泥沼化するベトナム戦争、永遠の繁栄を謳歌していた経済の停滞、第二次大戦で廃墟となった世界にさっそうと登場した「解放軍」「救世主」米国の輝きは急速に色あせてきていた。
 一方で、ソ連による東欧諸国への侵攻と干渉。誰の目にも明らかになってきた「パクス・ルッソ・アメリカーナ(ソ連とアメリカによる平和)」、米国式民主主義、ソ連社会主義の欺瞞性は、戦後民主主義と平和への懐疑と一体になった。
 朝鮮特需、ベトナム特需、高度成長によるそこそこの豊かさの中、なま暖かい閉塞状況を打ち破る主体性が問われた。新左翼運動、全共闘運動は、その現れだった。
 立ち上がったのは、学生だけではなかった。中央政界でも、田中角栄政権の対米自立の資源外交があった。だが、闘いは挫折と敗北に終わった。学生運動は終息し、田中政権はロッキード事件で崩壊した。
 もちろん、ベトナム戦争の勝利とそれに続くアジア、アフリカ、中南米での民族解放闘争の連続的勝利はあった。米国の経済危機はその後も、ドル危機から石油危機、そしてスタグフレーションと続いた。しかし、米国は、すべてを市場に委ね、経済への国の介入に反対し、国家とその主権を否定し、国と社会、地域と職場、家庭まで、あらゆる集団を「自立した競争する個人」に解体する新自由主義とグローバリズムで息を吹き返した。言い換えれば、全世界をバラバラの個人に解体し、それを米国の軍事的、経済的覇権で支配する新保守主義により復活したということだ。日本のバブルの崩壊と社会主義の倒壊はそれを助けた。
 あれから40年、歴史はくり返されるのか。鳩山首相への政治資金嫌疑はどうなるか。だが、いずれにしても、この新しい政治の盛り上がりがつぶれるようには思われない。その根拠は、当時と今の主客観的情勢の違いにある。
 まず、米国の没落の質が違う。今回は米一極支配自体の崩壊だ。同じ経済危機でも、米国の経済による世界支配自体が崩壊する危機だ。米国を最終消費地とする世界経済循環自体が崩壊し、各地域共同体の共通通貨形成が全面化する中、ドル体制自体が存続できなくなる危機だ。アフガン戦争は、第二のベトナム戦争と呼ばれる。だが、その敗北は、NATOからヨーロッパ安保への転換など、米国の軍事支配体制自体の崩壊と直結している。そして何よりも米国の指導理念が破産したことだ。グローバリズムと新自由主義は、あの金融恐慌、大恐慌とともにその存在価値を失った。40年前、米国には、破産したケインズ主義に代わる新自由主義、グローバリズムが控えていた。しかし、今はそれがない。
 次に、日本の状況が違う。当時は、高度成長、帝国主義の復活期にあった。米国に追いつけ、追い越せのかけ声の中、転換への要求もせっぱ詰まった生活の要求にはなっていなかった。だが、今は違う。新自由主義、グローバリズムによる生活の破壊、地方の崩壊は、転換への要求を切実な血の叫びに変えている。この客観情勢の違いが歴史発展に及ぼす影響は大きい。
 その上で、やはり決定的なのは主体の違いだ。40年前、日本における主体の中心は学生だった。そして重要なのは、その意識が「個」だったことだ。われわれが「主体性」を重視し、主体的に情況を切り開こうとするとき、その「主体」は何よりも自分個人だった。「連帯を求めて、孤立を恐れず」と言いながら、その強調点は後者にあった。スローガンが、「世界革命」など、大衆の生活に根づいていなかったこと、闘争の大衆からの遊離が広がったことなど、闘いの限界性は必然的だったと言える。今、雇用を求め、貧困に反対する運動など新しい闘いを見ていると、つながりや絆の重視が顕著である。そこに大きな力が入れられている。そして今回の政権交代だ。その主体は国民自身であり、その意識は主権者として自分たち自身で国の政治を変えるところにあった。
 主体の違いは日本だけではない。世界の主体も大きく変わった。今日、各国の主権意識、民族意識、アジア、中南米、アフリカなど地域共同体意識は当時とは比較にならないほど高い。COP15などで見られた百数十ヶ国、途上国代表たちの先進国に一歩も譲らない頑強な闘いは、現れた氷山の一角にすぎない。
 当時と今、日本と世界の主客観情勢の大きな違いは、歴史発展の著しい変化を生み出さずにはおかない。それが主権者である国民の要求にそったものになるか否か、そこで果たすべき鳩山新政権の役割は大きい。

■鳩山新政権に問われていること
 鳩山首相は、普天間基地移設問題の結論を新年5月まで先送りした。それをどう処理するか、新政権の命運はそこに大きくかかってくるだろう。
 鳩山新政権があくまで国民主権に忠実に、国民のための政治をやって行こうとすれば、この転換の時代、もっとも重要なことは、これまでの覇権の立場をきっぱりと捨て、新しく反覇権の立場に確固と立つことではないだろうか。もちろんそれは、米国と敵対せよとか、日米関係を解消せよとかいうことではない。問われているのは、転換の時代における日米関係の見直しであり、従来の覇権のための従属的な同盟関係の改編である。
 新政権に問われているのは、次に、経済や安全保障などのあり方とその実現の道を明らかにすること、路線を確立することではないだろうか。
 今日、鳩山政権は、「コンクリートから人へ」「子どもは社会全体で育てる」などの理念を掲げ、子ども手当や高校無償化など、国民生活と経済のための政策を実施に移している。これが画期的なことであるのは言うまでもない。しかし、一方で、経済や財政のあり方をどうするのか、その路線やビジョンがないと言われているのも事実である。
 もちろん、今ここで、路線問題について全面的に述べる紙面はない。ただ、経済路線について言えば、前提とされるべきことがやられていないのではないかと思う。すなわち、これまで自民党政権が行ってきた経済のグローバル化、新自由主義化路線の破綻が総括されず、その経験と教訓に基づく新しい路線の探求がなされているようには見えないということだ。これは深刻だ。事実、この路線の転換がなされていない米国では、経済の回復が一向にはかどっていない。それどころか、再び新たな金融バブルの発生が問題にされるまでになっている。
 経済のグローバル化、新自由主義化の経験と教訓で決定的なのは、第一に、経済は、人々の社会生活単位である国を基本単位として築かれねばならず、第二に、市場まかせにするのではなく、国民主権のもと、市場を利用するようにしなければならないということではないか。経済のグローバル化、新自由主義化は、経済の単位を世界に置き、市場にすべてをゆだねた。そのため、各国の経済には、産業構造や需要と供給、中央と地方、大企業と中小企業など、甚だしい格差と不均衡が生じ、それが金融恐慌、大恐慌、ひいては自律的回復力のない経済停滞、大不況の根因になった。
 もちろん、経済危機には財政出動による応急処置も必要だ。だが、それにもまして求められているのは、経済路線の根本的な転換による新しい経済の建設だ。反覇権自主、主権尊重の新しい経済発展の道は何か。東アジア経済共同体との連係まで含め、鳩山政権にはこの路線の確立こそが求められていると思う。
 もう一つ重要なのは、反覇権の安全保障路線の確立だ。核と反テロ戦争を基本とする米国の平和と安全保障路線は完全に破綻している。それは、反覇権の新しい時代にはまったく合わない。古い覇権時代の遺物になっているのは明らかだ。この米軍事路線に基礎した日米安保が見直されるべきなのは、歴史の必然ではないだろうか。
 ここで一つ指摘しておきたいのは、9条自衛こそが究極の反覇権だということだ。これとASEAN不戦共同体に基づくアジア安保を結び付けるところにこそ、米国に自国の安全を頼ったり、アジアの国々に危険視されたりしない反覇権、主権尊重の時代の日本の安全保障路線があるのではないだろうか。
 もちろん、以上は一つの試案にすぎない。しかし、鳩山新政権は、こうした国のあり方、経済や安全保障、教育や福祉などあらゆる分野のあり方やその実現の道などについて、主権者である国民の間に広く問い、この路線問題についての国民的大論議を起こして行くべきだと思う。それこそが、高まった主権者としての国民の意識をさらに高めながら、正しい路線を創出するための大きな力となり、ひいては米国の圧力をも跳ね返し、路線を貫徹していくためのもっとも強力な保証になるのではないだろうか。
 40年後に訪れた新しい転換の時代、転換への主体は大きく成長し、その客観的条件は広く深く成熟している。鳩山新政権の「平成維新」が「脱亜入欧」、覇権の道に進んだ明治以来の日本の大転換になるか否かが問われている。



インタビュー 大森昌也さんに聞く

「限界集落」よ、「縄文百姓」で蘇れ

聞き手 小川淳


 兵庫県朝来市和田山町は、但馬地方の南端、豊岡市に接する山里だった。城崎で日本海に注ぐ円山川の上流の美しい山里を抜け、急峻な山道を越えた谷あいに「あーす農場」はひっそりとたたずむ。冬には積雪が1メートルを超えることもある。
 大森一家が隣の養父町からここ和田山朝日地区に移ったのは87年。大森さんはここで自給自足の生活をしながら6人の子供を育ててきた。長男ケンタさん、次男げんさん、三男ユキトさんも同じ地区で農を営み、消滅寸前の「限界集落」を守り続けている。

※      ※      ※

 大森さんの学生時代は70年安保闘争と重なる。一年のうち100日は運動、100日はバイト、100日は山へというような毎日だったという。
 関西ブンドに所属し、労働者学園の一期生だった。卒業後は国労の専従や、大阪難波で部落解放同盟の仕事もやった。大森さんがRG(エル・ゲー)部隊出身であることは有名だ。若い頃はそうとう過激なこともやった。逮捕歴もある。
 マルクス主義を信じ、社会変革をめざすが、闘いは不完全燃焼に終わった。ブントでは、多くの青年が自分の職場を止めて闘争に参加した。当時、労働者の解放といいながら労働者が「労働」を放棄してやる革命とは一体なんだろう、という疑問が湧いたという。部落解放同盟のころ、新左翼と思って信頼していた弁護士が露骨な結婚差別を行った。大衆的に糾弾したが、大森さんの中で徐々に「新左翼」に対する不信がふくらんでいった。
 大森さんが逮捕された70年頃は、光化学スモッグ、公害問題や地域闘争とか焦点になった時代だった。当時の全共闘世代はそれほど環境問題には注目していなかったが、大森さんは「出所してからは環境問題をやらなあかん」と思ったという。トラックで有機農産物を配達する仕事をやりながら、水俣や北海道のアイヌのコタンを訪ねて歩いた。そして84年、この但馬の山村に移った。ここでの稲刈りは昨秋で25回目を数える。

―移住した頃、村の様子はどうでしたか。
 「移住した頃は、13軒が米つくりをしていた。ほとんど60歳以上だった。そしていま、ほとんどの人が亡くなり、米つくりしているのは一軒のみ。子供たちの成長とともに譲り受けたり、小作したりして、今34枚の水田と27枚の畑、合わせて61枚、一町歩余りを三家族、ユキトでやっている」(註;三家族とは、大森さんの「あーす農場」と、げんさんの「あさって農場」、ケンタさんの「くまたろ農場」だ)。

―自給自足とはいえ、現金も必要だったはずです。現金収入はどうされたのですか。
 「最初の頃は月に2,3万円の生活やった。秋になったら村の人たちから食糧の不足分は貰った。食べるもんは自給やし、あまったら販売して何とかなる。自家製のパンとか山菜、蜂蜜、卵、野菜、米とか直販で販売している。最低の現金はなんとかなるものさ。5万円あれば、車のガソリン代や電気代は賄えた」

―機械もできるだけ使わない農法を実践されている。
 「機械を入れてやる気はない。メンテナンスも石油もいるし、トラクターを入れてやれば機械が主人公になってしまうからね。昔ながらのやり方で不耕起だ。いまや近代的農業はすべて機械任せのスリッパ農法で、何町歩も耕すやり方やけど、でも耕したらあかん。畝をつくったらそのままで、僕は耕さない。手でやって大変なときは機械でやることもあるけど生態系をつぶすから。肥料もあまり入れない。バイオガスで生まれた液肥を使うくらいけど、生産量は落ちないね」
 鎌と鍬を使い、猪や鹿を狩り、蜂蜜や山菜、きのこを採集し、潅木を刈って薪を作り、炭を焼く。煮炊きはもちろんかまど。暖房も薪ストーブだ。家の周りには豚や羊、鶏がいてその糞で作ったバイオガスが台所の燃料になり、液肥にもなる。谷の水を引いて水力発電機を回し、これで電灯は賄う。まさに究極の自給自足、循環農業だ。大森さんは「縄文百姓」と自称している。

―「あーす農場」には、若い人が「百姓体験居候」として沢山来ていますね。彼らはここで何を学んでいくのでしょうか。
 「テレビを見たとか、新聞を見たとか、そういう感じで来る人が多い。きれいな場面ばかり見てくるから、現実は相当違っている。電話かかってきて、僕と哲学を討論したいとかそういう変な若者もいる。7月だけでも韓国大学生9人、日本学生2人、非正規労働者19人がきたよ」
 只で飯を食ってまったく体を動かそうとしない「宇宙人」や、一週間の予定で来て三日目に逃げて帰ったカメラマンなど、「居候」も様々だ。食事をつくり何かと世話する娘たちは大変だが、ここで学んで岡山の山村に移住し、荒れた田畑を起こし、薪で自給自足の生活している青年などがひょっこり現れると大森さんは嬉しい。昨年だけで「宿泊居候」172名、見学者494名を数えた。
 今、ここを訪れる若者たちは、幼い頃からの学校教育によって、都市、労働礼讃を洗脳され、家庭・学校・職場でいじめられ、心身ともに傷つき病んでいる。対症療法では治るものではないと大森さんは言う。
 山の空気と無心の労働、質素だが心のこもった食事とゆったりと流れる時間、ここで傷ついた心身を癒されて多くの青年や労働者がまた都市へと帰っていく。外国からの客人も多い。この小さな山村で築かれた人との「繋がり」が世界へと広がっていく。双子のれいさんは、一昨年から中米のエルサルバドルの山村で暮らし、長女あいさんは、キューバやネパール、東チモールなどの友人を訪ねて歩いた。この「繋がり」が大森一家の財産だ。
 但馬には縄文期から人は住んできた。その遺跡から大量の魚介類の遺物が出る。縄文時代から数十年前まで、数千年にわたってこれら山村に農を営み、木を切り、炭を焼きながら人が住み、集落が存続してきた。その集落がいまや消滅の危機にある。
 山の至る所に崩落のあとが残る。手入れのできなくなった人工林は弱い。本来、山には自然の復元力がある。しかし人工林の山は餌が少なく、増えたシカやイノシシが広葉樹の若葉を食い、森は再生しないのだ。若木さえ育たない荒地は痛ましい限りだ。
 その山間に墓標のように朽ちた廃屋がたたずむ。昔の段々畑にはススキや潅木が茂り、残された石垣がかろうじて畑の跡を残す。人がいなくなった里の荒廃は早い。
 山間での農業は獣との戦いでもある。網やとたんでどんなに囲ってもイノシシやシカは突き破って侵入する。大きな柿ノ木の幹には熊の爪あとが残る。餌を求めて動物も生きるために必死なのだ。

―大森さんのめざす縄文百姓と、被差別部落問題と、大森さんの中ではどのように結びついているのでしょうか。
 「ぼくは縄文遺跡の村で、山村のブラク(被差別部落)のお年寄りから縄文百姓を学んだからね。ブラクの民は、農業だけで食べていける土地もなく、農民にも労働者にも分類されず、『雑の者』とされた。被差別部落はみんな『雑の者』だった。田を耕し、山菜を採り、山でシカやイノシシを狩り、冬には炭を焼く。昔から自給自足でできることは何でもやった。百の職、百の技を持つ百姓、だから『雑農』だ。生きるために人間と自然が一体となった『雑農』、僕の農業のルーツはそこにあると思う」
 支配側から見たら低い身分だった「雑の者」、逆に大森さんはそこが素晴らしいという。発想の転換だ。被差別部落という問題意識と、自ら日夜実践する縄文百姓と、大森さんの中で強く結びついているようだ。

※      ※      ※

 午前中、居候のO君とたまねぎを植え、牛蒡の収穫に汗を流した。土を触るのは何年ぶりだろうか。長い牛蒡を引っこ抜くのに小一時間、肌着は汗でびっしょりだ。体の筋肉が悲鳴を上げ、畑から引き上げる時、鍬の重さが肩に食い込む。
 疲弊した山村を復活させるために、自給自足の自立した自給圏(ムラ)をつくり、それが鎖のように繋がったクニを大森さんは理想として描いている。それが可能かどうか、現実は厳しいだろう。
 とはいえ、「現代文明に対する縄文」、「都市に対する山村」という大森さんの唱える対決軸は、私たち都会で大量生産、大量消費になれきった者には、ずしりとした重みがあるし、なんとも夢があっていい。
 山の空気に触れ、労働で汗を流し、自然と一体となる。そして自らの生き方や、ムラやクニを考える。「あーす農場」は、そんな場所だ。



 

世界短信

 


■単一通貨導入のための湾地域アラブ諸国の動き
 12月15日、6カ国湾協力理事会の第30回首脳者会議において、湾岸地域に単一通貨を導入するため、先行的に通貨同盟を創設することが承認された。この措置はユーロ形式の共通通貨発行に責任をもつ湾協力理事会が中央銀行を創設する道を切り開くものだ。
 単一通貨の導入は湾地域の経済、特に共同市場に対する概念を広げ金融危機を緩和し湾協力理事国内で貿易、観光、投資を奨励する上で肯定的影響を与えるだろう。
 1981年に創設された湾協力理事会には、バーレーン、クウェート、オマーン、カタール、サウジアラビア、アラブ首長国連邦が属している。
 理事会は、2001年に経済的安全を強化し金融危機防止のため10年以内の単一通貨導入を決定した。その後、2003年には関税同盟を発足させるなど、通貨同盟創設のために効果的な措置をとってきた。一方、アラブ首長国連邦が中央銀行がサウジに創設される動きを見て、一時、湾理事会から脱退するなどの動きがあった。しかし、湾地域諸国の単一通貨創設の意欲は高く、彼らは記者会見で「この過程が我々の期待より時間がかかったとしても単一通貨体系を創設する方向は変わらないだろう」と述べている。

(新華社)

■キューバ外相がオバマを帝国の傲慢なウソつきと批難
 12月21日、キューバ外相ブルーノ・ロドリゲスは記者会見でCOP15コペンハーゲン会議でのオバマの行動について、「この会議には、誰の言葉にも耳を傾けず発展途上国に自分の立場を押し付け恐喝する帝国の傲慢なオバマが参加した」と述べた。
 彼は首脳者会議が欺瞞劇にすぎないと述べながら、ワシントンが秘密交流と強圧的な戦術を通して世界に一つの「合意」を押し付けたと主張した。彼は温室効果ガスの主要放出国に、より多くの削減を要求すべきなのに、それをしなかったのは「非民主的で自滅的なもの」と烙印した。
 彼は、キューバと他の貧しい国がこの合意を認めることを拒否したと言いながら、それは、これらの国々が合意形成過程に参与することを許されなかったからだと述べた。そして、オバマが会議後「合意はされなかったが会議終了前に合意されたものと確信する」と述べたことについて、「オバマはウソをついており、世論を欺瞞している。いかなる合意もなされなかったことは公開された秘密であった」と述べた。

(新華社)

■イラク戦争にたいする真相調査に着手した英国
 英国でイラク戦争に対する真相調査が始まった。5名で構成されるイラク戦争真相調査委員会は5、6ヶ月でイラク戦争に関する政府や軍部の機密文書を点検し聴聞会を開き真相を解明する予定だ。
 ここでは、イラク戦争参加を決定した政府官吏と軍指導者、外交官吏を証人として喚問する予定であり、聴聞会は全てテレビ放映されることになっている。証人には、当時のブレア前首相や財政相だったブラウン現首相も含まれる。また、委員会は、聴聞会以外にもイラク戦争に関連した政府軍部の秘密文書も検討する。AP通信は今回の調査がイラク戦争参加諸国で実施されている最も包括的な調査になるだろうと指摘している。
 真相調査が始まったのは、当時、英国民の参戦意欲は低かったのに、英国政府はサダム・フセインが大量殺戮兵器を所有していると、その危険性に関する情報を誇大歪曲して参戦に誘導したという批難が起きているからだ。
 それは事実だ。暴露された秘密文書には、英国政府はイラク参戦が決定される以前から軍事作戦を準備していたという内容が含まれている。これが事実だとすれば、当時のブレア首相は英国国会の承認が下りる以前に戦争参加を決定していたことになる。
 調査結果は、6月にある総選挙の後に発表されるだろうと見られている。

(VOA)


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