研究誌 「アジア新時代と日本」

第78号 2009/12/5



■ ■ 目 次 ■ ■

編集部より

主張 「日米関係の見直し」を考える

研究 東アジア共同体の形成と日本の国益

インタビュー 「ヒロシマ・ピョンヤン」の伊藤孝司監督に聞く

世界短信



 

編集部より

小川淳


■11月1日、神戸市で開かれた「ヒロシマ・ピョンヤン」(伊藤孝司監督)の上映会に参加しました。「唯一の被爆国」日本という表現はしばしば聞きます。確かに日本は「唯一の被爆国」ですが、その被爆者の中に多数のコリアンがいたことはあまり知られていません。私もこの映画を見るまでは知らなかったのですが、推定では広島で約5万人、長崎で2万人のコリアンが被爆したそうです。不十分ながら日本人被爆者への支援は行われるようになりました。在外被爆者に対しては、1978年になってやっと(被爆者健康手帳の交付を求めた韓国在住の孫振斗さんに対し)「すべての被爆者に対する日本政府の国家責任がある」ことを最高裁が認めました。しかしこれら補償の枠から外され続けている在外被爆者が存在します。在朝被爆者の方々です。「ヒロシマ・ピョンヤン」は、そのような朝鮮民主主義人民共和国で暮らすひとりの女性被爆者の日常を描いています。いろんなことを考えさせられました。機会が在れば是非、皆さんにも足を運んで欲しい映画です。(詳しくは、本誌のインタビューをご参照下さい)。

■11月14日、在日大韓キリスト教大阪教会において行われた「故金大中元韓国大統領を追悼する会」に参列しました。金大中氏といえば、1973年に起きた拉致事件が記憶に生々しく思い出されます。白昼、千代田区のホテルからKCIAによって拉致され、5日後、自宅近くで発見された事件でした。76年の「民主救国宣言」では3年間服役し、80年の光州事件では「死刑判決」を宣告。日本や欧米の救出運動で一命を取り留めました。民主化のために命がけで軍部独裁政権と闘い、幾度も幾度も死線を乗り越え、1998年に第15代韓国大統領に就任。韓国民主化の歴史を身をもって体現した闘士でした。また史上初めて韓国大統領としてピョンヤンを訪問し、金正日総書記と熱い抱擁を交わし、分断と対立から和解と統一へその歴史的な転換点となった「6・15南北共同宣言」に合意。統一運動にも巨大な足跡を残しました。民主化と統一、そしてアジアの共存、共栄のために闘った金大中元大統領の冥福を祈りたいと思います。

■11月の連休は兵庫県和田山町で「究極の自給自足」を実践する大森昌也さんの「あーす農場」へ。昼間はたまねぎ苗の植え付に汗を流し、夜は薪ストーブを焚きながら四方山話。久しぶりに山の冷気を吸って気分が一新しました。このときの話は一月号にインタビューとして掲載します。お楽しみに。


主張

「日米関係の見直し」を考える

編集部


■問題になっている「日米関係の見直し」
 鳩山新政権になって、「日米関係の見直し」をめぐる論議が盛んだ。6大新聞を見ても、見解は大きく分かれている。片や「新しい同盟」を称賛し、片や「同盟の危機」を憂えている。事ある毎に掲載される対照的な社説、論説は、海外メディアの注目を引くまでになっている。
 鳩山新政権は、日米関係を「緊密で対等な関係」へ転換することを打ち出した。自民党政権のもと長く続いた対米従属的な関係を変えようということだ。それは、現実の「普天間基地移設問題」や「インド洋での給油問題」などをめぐる日米協議の緊迫として現れている。
 この背景に、米一極支配の崩壊があるのは明らかだ。鳩山首相自身、総選挙を前に米メディアに発表した論文で「米国主導のグローバリズムの時代の終焉と世界の多極化」について述べている。すなわち、時代が変わった、だから日米関係も変わらねばということだ。

■「対等な関係」、その基準は?
 日米の「対等」について言ったのは、何も今度の政権が初めてではない。自民党政権時代から幾度となく言われてきた。しかし、それが言葉だけだったのは、現実の自民党政治が物語っている。新自由主義、新保守主義、グローバリズムの構造改革路線を米国に押しつけられるままに受け入れ、国民生活を破壊し、地方・地域を破壊したその政治が端的な証だと言えるだろう。
 日米の「対等」を言うとき、何をもって「対等」と言うのか、その基準が重要だ。自民党は、何を基準に「対等」と言っていたのだろうか。その一つに、日米安保の双務化がある。一方的に日本が米国に守られるのではなく、日本も米国のために自らの役割を果たすということだ。自衛隊のイラク派兵などは、その一環だったのだろう。
 もちろん、鳩山政権は、当然のこととして、このような「対等」を対等とは認めていない。では、新政権の対等の基準は何か。NHKの日曜討論で長島防衛政務官は、「それは、もちろん、軍事力で対等だと言うのではありません。世界の平和と安全のため、その行動の指針を日本側からも提言できる関係ということです」と言っていた。当然、これは民主党の政権政策マニフェストにそった発言だろう。
 そこでマニフェストを見ると、「日本外交の基盤として緊密で対等な日米同盟関係をつくるため、主体的な外交戦略を構築した上で、米国と役割を分担しながら日本の責任を積極的に果たす」とある。ここで、米国と分担する「役割」とは何に対してのものか。それは、長島氏の発言からすると、「世界の平和と安全」に対してということらしい。いや、「世界の経済」に対してというのもあるかも知れない。
 いずれにしても、これは大いに問題がある。その前提には、米国が世界を担っており、その一部を日本も分担して支えるという認識があるようだ。これまで米国一人が担ってきた世界の平和や安全、経済を、それが少し無理になってきたので、日本もその一部を分担するということだ。
 鳩山新政権は、それをもって「対等」な日米関係と言っているのだろうか。もしそうなら、彼らの言う「対等」とは、自民党政権の言っていた安保の「双務化」と五十歩百歩の「対等」になってしまうのではないだろうか。

■基準は、「国民益」に合うか否かにある
 国と国とが対等であるか否かは、国同士、互いに主権を尊重し合い、互いの国益に基礎してつき合えているか否かによって決まる。相手の国に対し、主権を行使できず、自国の利益に基づいて行動できないなら、それは対等な関係とは言えない。
 もちろん、世界の平和と安全のため、経済のため、自国独自の主張と見解を持ち、それを相手国に堂々と言えるというのも「対等」の一つの表現なのは明らかだ。だがそれも、国益に基づき、国益と深く連関している。何を「世界のため」と考えるかは、優れて自国の利益との関係でだ。自国の利益に反する世界の利益などあるはずがない。
 今日、米国は、反テロ戦争をすることが「世界の平和と安全」のためだと言っている。しかし、そう考えていない国は、今世界に五万とある。早い話、米国による戦争の対象にされているイラクやアフガニスタンはそうだろう。彼らが自らに仕掛けられてきた米国による反テロ戦争を「世界の平和と安全」のためだと受け入れることなどあるだろうか。
 ところで問題は、わが日本のことだ。日本にとって、米国の言う「世界の平和と安全」は本当に国益に合致しているのだろうか。日本の国益に合致していてこそ、「米国と役割を分担しながら日本の責任を積極的に果たす」ことが「対等」な日米関係の証となる。これは、マニフェストに記されている「主体的な外交戦略を構築した上で」という文言とも矛盾しないだろう。
 では、国益に合致しているか否かは、何によって誰が決めるのか。それについて言えば、「日本の平和と安全」「日本の経済的利益」「日本国民の幸せ」、等々にかなうか否かなど、いろいろなことが考えられる。
 そして何より、それがかなっているか否か誰が判断するかだ。政治家なのか、官僚なのか、はたまた、財界人、学者、言論人なのか。答は明かだろう。それは国民だ。国民が日本のためだと言えば、それが日本のためによいことであり、国民がだめだと言えば、不合格だ。これが民主主義の基本だろう。これを「衆愚政治」だなどと言う人には民主主義を語る資格はない。
 普天間基地の移設問題を語りながら、自民党の町村氏は「(沖縄)県民にゲタを預けてはならない。自分のところに基地を持ってくると言えば、誰だって反対する」と言っていた。だが、果たしてそうだろうか。沖縄県民は、ただ自分のところに米軍基地を持ってこられるのが嫌だから反対しているのだろうか。そうではないと思う。
 彼らは、米軍基地をなぜ彼らのところに置かねばならないのか、その意味が分からないから反対しているのではないのか。それが沖縄の利益のため、国益のため、世界の平和と安全のため、絶対必要不可欠だと分かれば、敢えてそれに反対せず、引き受ける、それが県民であり、国民だと思う。日本の歴史、世界の歴史は、そのような自己犠牲的な住民、国民の闘いで彩られているのではないだろうか。
 ここから言えることは何か。それは、国民がよしとする「国民益」に合うか合わないか、それを基準にしてこそ、日米関係を真に対等な関係にすることができるということだ。

■普天間基地移設問題を正しく解決するために
 今、民主党の外交問題に関するマニフェストを読み返してみると、その矛盾に気がつく。すなわち、「主体的な外交戦略を構築した上で」と「米国と役割を分担しながら日本の責任を積極的に果たす」との矛盾だ。主体的な外交戦略とは、何よりも、国益、国民益に基礎した外交戦略ということだ。
 ところが、「米国と役割を分担」することは、どう見ても、国益、国民益に基礎しているとは言えない。それは、普天間基地移設問題をめぐる沖縄県民の反対に示されている。この問題にもっとも切実な沖縄県民の意思は、日本国民の意思であり、国民益だ。
 今、鳩山政権内部で普天間基地移設問題をめぐり意見が分かれているのも、彼らのマニフェストのもつ矛盾に大きく関係していると思う。言い換えれば、「対等」のための基準が明確でなく曖昧になっていると言うことだ。
 もし民主党のマニフェストに、国益、国民益を基準にすることが明示されていれば、沖縄県民の意思を重視するという鳩山首相の見解は、より強い説得力と決定力を持ち得ていたのではないかと思う。
 その上で、普天間基地移設問題を正しく解決するのに重要なことは、国益、国民益を基準とする沖縄県民の中での論議、引いては広く日本国民全体の中での論議を大いに盛り上げ、その民意に基礎して米国との交渉を推し進めていくことではないだろうか。民意にまさる力がないことは、先の総選挙で民主党の人たち自身がもっとも強烈に体験したことではないかと思う。
 この普天間基地移設問題は、日米関係見直しの重要な一環だ。この論議の深まりは、当然、日米安保の見直しへと発展していく。今こそ、日米安保が日本の国益、国民益に合っているのか否か、この根本問題が問われる時が来ているのではないだろうか。


研究

東アジア共同体の形成と日本の国益

小西隆裕


 鳩山新政権は、アジア重視を日本外交の柱の一つとし、東アジア共同体構想を提唱した。それに対し蔵田計成さんは、本誌77号「インタビュー」で、東アジア共同体は実現不能、チルチル・ミチルの青い鳥だと語った。そこには、地域共同体と国益に関する考察がある。そこで今号では、この問題について考えてみたい。

■「青い鳥」論の論拠
 自民党政治に代わる新しい政治、そのモデルを民主党は英国などヨーロッパに求めている。だが、蔵田さんは、それは難しいと言う。その一つの例として、氏は、民主党が掲げる東アジア共同体の構築がEUのようにはいかないことを挙げた。  なぜ、そう言えるのか。その理由は、ヨーロッパと日本の歴史の違いにあるという。EU型共同体の構築には、ナポレオン戦争、第1次、第2次大戦と2世紀にわたる3度の戦争の経験と、ヨーロッパ全土に及び、諸国が加害者にもなり被害者にもなった、悲惨で愚かしいこの戦争の歴史的教訓がある。しかし、日本にはそれがない。日本は、例外を除いて「総加害者」だった。「個欲」に依拠し、「国欲」「民(族)欲」をもって、天皇を担ぎ、「国家総動員」で戦争をした。そして、なお悪いことに、この戦争への反省が未だにない。
 この差は決定的だと蔵田さんは言う。なぜなら、ヨーロッパは、その歴史的経験と教訓を通して、個人益、民族益、国益のカベを越える論理と思想を獲得した。だが、日本はそれができなかった。まさにここに、東アジア共同体がチルチル・ミチルの青い鳥だという蔵田さんの論拠がある。
 ここから出てくる答は明解だ。蔵田さんは言っている。「国益を超える思想を実践的に獲得してこそ、共同体の構築は可能だ」と。
 一方、この東アジア共同体の構築は、鳩山新政権による提唱をさかのぼること数十年、すでにASEAN(東南アジア諸国連合)を中心に開始されてきた。そしてそこでは、地域共同体は東アジア諸国の国益を守り、実現するためのものだった。

■東アジア共同体形成の歴史と国益
 東アジア共同体はどうつくられてきたか。その歴史を見ると、それは1967年のASEAN(東南アジア諸国連合)の結成に端を発している。その上で、ASEAN主導の東アジア共同体形成に向け、大きな契機となったのが、1976年、TAC(東南アジア友好協力条約)の採択だ。このTACで、東アジア共同体の安全保障メカニズムの原点が提示された。ベトナム戦争後の新しいアジアの原点として、国連憲章、独立と主権、平和と友好のアジアの確立をかかげた1955年のバンドン会議が明記されたのだ。
 これを東アジア共同体形成の第一段階だとすれば、第二段階は、「アジアの奇跡」と呼ばれた急速な経済成長を背景にASEAN共同体の主導性が高まった時期だ。このとき、米国の影響力を除いた「アジアによるアジア」がマレーシア首相、マハティールによって提唱され、1994年、ARF(ASEAN地域フォーラム)がアジア太平洋地域唯一の政府レベルでの安全保障対話の場として開催されるようになった。
 そして第三段階だ。1997年、アジア通貨危機に襲われたASEAN諸国は、危機からの教訓を、市場を自由化し、ヘッジファンドのような短期資本に依存することにより投機に翻弄されたこと、自国通貨の暴落に際し援助を受けたIMFから押しつけられた自由化で危機が一層深刻化したこと、通貨問題について討議していたAPEC(アジア太平洋経済協力会議)が危機に際して何の役にも立たなかったこと、通貨危機に対し共通の利害関係を持つ東アジア諸国が支えあってこそ、危機を克服できること、などに求めた。この教訓に基づく東アジア共同体形成への新しい出発は、APT(ASEAN+3〈日本、中国、韓国〉)首脳会談のマハティールの主唱による開催、チェンマイ・イニシアティブ(東アジア域内での通貨スワップ〈相互預け合い〉協定)のAPT財務相会議での実現、ABM(アジア債券市場)のタイ首相、タクシンの提案による創設などとして結実していった。
 そして今、第四段階、東アジア共同体の形成は大きく前進している。東アジア経済共同体の発展は、「第二の奇跡」と呼ばれ、東アジア貿易の世界貿易に占める割合は、14・1%(80)から26・6%(05)へ、域内貿易の貿易総額に占める割合は、10%(80)から55・9%(04)へ増えた。チェンマイ・イニシアティブは、07年4月現在、790億ドル体制になり、08年恐慌では、東アジア諸国が自国通貨の大暴落を食い止めるのに大きな役割を果たし、今やその規模はさらに倍増されている。経済だけではない。安全保障面でも、「東アジア安全保障共同体」構想が促進され、日本、中国、韓国が東アジア不戦共同体構想としてのTACに参画した。
 この東アジア共同体形成への歴史は、共同体が東アジア諸国の国益を反映し、そのためにつくられてきたことを示している。TACの基本精神である主権尊重は、各国に共通した根本利益であり、チェンマイ・イニシアティブに基づく各国通貨の買い支えやABMなどを通じてのアジア共通通貨実現への動きは、新自由主義、グローバリズムによる米国の世界経済支配から抜け出ようとする各国の切実な利益を反映している。

■東アジア共同体構築で日本に問われていること
 東アジア共同体の構築のため、蔵田さんは、国益を超える思想の必要性を説いた。しかし、現実の共同体形成の歴史は、国益を守り実現するところから出発している。
 この一見矛盾するような二つの説は、実は同じことを言っているのではないかと思う。それは、前者の「国益」が支配する側、「加害者」、覇権国家の「国益」であり、後者の言う国益が支配される側、「被害者」、反覇権国家の国益だからだ。
 国にとって、もっとも根本的で切実な利益は、主権を守り実現することだ。なぜなら、主権があってはじめて、国が国として存在できるようになるからだ。主権のない国は、もはや人々の運命開拓の基本単位、生の拠り所としての国本来の役割を果たせない。
 だが、このもっとも根本的で切実な国益は、支配される側の国、反覇権国家で問題となり、支配する側の国、覇権国家では、問題とされない。いやそれどころか、むしろ邪魔ものになる。両者の間で「国益」が異なったものとなるのはそのために他ならない。
 事実、オバマ大統領や鳩山首相の東アジア共同体に関する演説には、「主権尊重」という言葉は見当らない。あるのは、「関与」であり「指導」だ。
 先日、東京での外交演説でオバマ大統領は、「アジア太平洋国家として、米国は地域の未来を形作る議論に関与し、こうした機構が創設され発展していくに際して、ふさわしい機構に本格的に参加したい」と語り、「この太平洋国家(米国)は、世界で死活的に重要な同地域での指導力を強化し、維持することを約束する」と結んだ。
 鳩山新政権は、こうしたオバマ大統領の意思に応え、米国とアジアとを結ぶ役割を果たそうとしているかに見える。事実、鳩山首相は、日本が架け橋となって挑むべき五つの挑戦について述べた先の国連総会での演説でも、その一つとして、東アジア共同体が「開かれた地域主義」の原則に立ちながら、日本にとってはもちろん、「国際社会」にとっても大きな利益になるよう訴えていた。
 東アジア共同体の構築で、今、日本に問われているのは、「指導」をしたり、米国のアジアへの関与を助けたりすることではなく、東アジア諸国の主権、国益を尊重し、そのために日本が果たすべき役割を自覚し、その遂行への責任感を高めることではないだろうか。
 そのためには、蔵田さんが言うように「『国益』を超える思想」の獲得が切実だと思う。覇権国家の「国益」は、東アジア諸国の主権、国益とは矛盾しているからだ。
 だが、それは容易ではない。今、日本が「(覇権国家としての)『国益』を超える思想」を獲得しようとすれば、まず、自分自身の主権、国益が踏みにじられていることへの自覚を持たねばならず、その擁護と実現のため、闘わねばならないだろう。なぜなら、自らの主権、国益への蹂躙に無自覚な者は、自分が他者の主権、国益を蹂躙していることにも無自覚であるからだ。
 日本が、米国の支配と統制を抜け出す問題と東アジア諸国の主権、国益を尊重し、共同体をつくる問題とは、完全に統一されている。この統一的な問題解決のための闘いこそが日本の未来を開いていくのではないだろうか。


インタビュー

「ヒロシマ・ピョンヤン」の伊藤孝司監督に聞く

聞き手 小川淳


―フォトジャーナリストとして活躍されていますが、特別に写真の勉強はされたのですか。
 「カメラ雑誌を熱心に読み、独学で学びました。もともと写真が好きで、誰でも最初に買うような一眼レフで始めたんです。環境などへの問題意識があったものですから、名古屋にオリンピック誘致の話があって地元で誘致反対運動が始まったので、アマチュアとして写真を撮っていました。だんだん写真の魅力にのめりこむようになっていきました」

―プロになるきっかけは?
 「岐阜県に徳山ダムがありますが、住民が村を出るときの最後の運動会を写真に撮って、それを『アサヒグラフ』に発表したのが雑誌に掲載した最初でした。これがきっかけで、写真と文章を雑誌へ発表するようになっていきました。土門拳という写真家がいますが、彼の仕事に中でも被爆者の写真に大きな感銘を受けたんです。それで81年ころから広島と長崎へ行くようになりました。また、ユージン・スミスの撮った写真を見て、どうしてもその現場を見たいということで、水俣にも行きました。そのとき、偶然に出会った長崎の大学の先生が韓国・朝鮮人被爆者の本を出したという話を聞き、それを読んで衝撃を受けました。日本人以外にも、被爆した外国人がいると初めて知ったからです」

―在日被爆者への問題意識はそのころからですか。
 「日本で暮らす韓国・朝鮮人被爆者を広島と長崎に通って撮影している中で、これは韓国へ行かないといけないと思って韓国各地で撮影をし、それが『原爆棄民』という本になりました。私の初めての本です。この本の出版と同時に写真展もやった。それを契機にサラリーマンを止めて、思い切ってフリーになりました」

―勇気が要ったでしょうね。
 「会社勤めを続けていればやりたいことができないというジレンマの中で、次にどうしても取材したい事がありましたから。それは、日本によってサハリンに置き去りにされた朝鮮人問題でした。当時の渡航方法はウラジオストク経由の航空便しかなく、1回の取材で3週間くらい滞在していました。これはフリーでないとできない仕事でした」

―ジャーナリストとしてなぜ、在日コリアンをテーマにしようと思われたのですか。
 「誰もやったことがないテーマを取材したい、そういう発想でやってきました。韓国・朝鮮人被爆者やサハリンの朝鮮人問題もそうでした。そうした取材をしている中で、91年8月に、韓国の金学順(キム・ハクスン)さんが日本軍によって『慰安婦』にされたと告白されて、韓国では大きなニュースとなった。それまでは、自らが進んで話をする人はいなかったんです。金学順さんが名乗り出たことは、歴史的に大変な事件だと私は興奮しました。それで日本のメディアが大挙して取材するかと思ったら、まったくそうとはならなかった。それなら自分がやるしかないなと。
 結局、韓国だけでなく台湾、フィリピン、インドネシアで90人くらいの『「慰安婦』にされた被害者へのインタビューやりました。それだけ多くの被害者を取材したジャーナリストはいないと思います。『慰安婦』問題は、日本のアジアに対する加害の典型的なケースで、ジャーナリストはきちんと記録する責任があります。
 私はアジア太平洋の国々では120回も取材しているものの、他の地域にはほとんど行っていません。日本が侵略した地域だけです。朝鮮半島の南にはかなり通って取材している中で、北側の被害者にも取材したくなりました。91年に取材の打診をするが返事がない。交渉を繰り返してようやく98年に許可が下り、翌年からは毎年行くようになりました。そのときの取材は『週刊金曜日』に『平壌からの告発』として掲載し、2冊のブックレットとして出版しました。
 当時、韓国の元『慰安婦』の映画が話題になっていたものの、北の被害女性を取材したジャーナリストはいなかったこともあって、次は映画を作ろうと思いました。それで、郭金女(カク・クムニョ)さんという被害者が暮らす端川(タンチョン)というところまで行って撮影し、『アリラン峠を越えて』という映画を製作しました。
 強制連行された被害者の取材を続ける中で、興南(フンナム)の肥料工場に強制連行された男性との出会いがありました。朝鮮内の軍需工場に強制連行されて、硝酸を浴びて全身に大やけどし、いまなお顔にケロイドが残っていることに衝撃を受けたんです。これが『銀のスッカラ』という映画になりました」

―朝鮮のことをマスメディアに載せるのは簡単なことではないでしょうね。
 「影響力の大きい大手のメデイアでやることが重要だと思い、大手出版社やテレビのキー局で発表してきました。私が出したいものと、出版社・テレビ局側が出したいものとの『せめぎあい』ですよ。マスメディアに載せるためには、妥協が必要なこともあるマスメディアの中には、それを受け入れるだけの度量やバランス感覚のあるところもあります」

―写真と映画とはやはり違うのでしょうか。
 「写真ができればビデオは難しくないです。映画独自の技法はあるけど、対象をしっかり捉えるという基本があれば映画はできます。重要なのはやはり編集です。テレビ局へビデオテープを渡しただけではだめなんです。私は編集作業のすべて関わります。バックの音楽やナレーションの声まで含めて。それによって、おどろおどろしい感じにもなるからです。細かいところまで関わらないと、とんでもない特集になる。
 テレビ局は視聴率重視ですから、私が撮影した朝鮮の実情を淡々と伝える特集でも、視聴率さえ取れると判断すれば放送してくれます」

―今後の仕事の予定は?
 「朝鮮の人々の自然な姿を撮りたいです。日朝関係が完全に冷え込む中で、一般の人々の日常を撮るというのはますます難しくなっている。人々が日本人に撮影されることを拒否するのです。
 民主党政権になったものの、戦後補償問題の解決ではあまり大きな期待はできません。日本が過去を清算することは、日本がこらからのアジアとの関係をどうするのかという問題です。これからも日本による被害者たちへの取材と共に、日朝関係改善のためにも朝鮮の姿を正しく伝える仕事をやっていきたいと思っています」

―環境というのも伊藤さんのもう一つのテーマですね。
 「アジア各地での戦争被害者への取材の中で、日本が再び加害行為おこなっていることに気づきました。ODAという名目で、インドネシアではすべての住民が必要ないというとんでもないダムを造ってしまった。フィリピンでも日本企業が巨大ダムを造りました。日本のアジアへの加害が過去だけでなく今も続いているのです。この問題にも引き続き取り組んでいくつもりです」

―「ヒロシマ・ピョンヤン」はどのような映画ですか。
 「在朝被爆者は1911人が確認されており、そのうち生存されているのはわずか382人です。日本政府は、海外で暮らす広島・長崎の被爆者にもようやく援護措置を実施するようになったのですが、在朝被爆者にだけを放置しているのです。  映画はこの在朝被爆者問題を取り上げています。平壌で暮らす娘と広島の母親を通して、この問題を分かりやすく説明しているだけでなく、現在の経済制裁の非人道性についても誰にでも理解してもらえる内容になっています」

※      ※      ※

 「アリラン峠を越えて」から「銀のスッカラ」、そして「ヒロシマ・ピョンヤン」へと、伊藤さんはアジアに対する日本の戦争責任問題をテーマに追い続けてきた。
 伊藤さんの中では、それはけっして「過去の問題」としてではなく、日本の「現在」を鋭く照射する鏡としてあるからではなかろうか。
 「ヒロシマ・ピョンヤン」は在朝被爆者の日常生活とその思いを淡々と描きながらも、人道的な支援さえ放棄している日本政府の姿勢、現在の日朝関係が生み出している悲劇をくっきりと浮き彫りにしている。
 今までメディアが避けてきた「朝鮮の戦争被害者」という最も難しいテーマに正面から挑み、それを「形」にして、メディアに発信していく。そこにジャーナリストとしての魂、そして日本人としての良心を見た思いがした。


 

世界短信

 


■独自外交の道に進む日本
 最近の日米同盟の微妙な変化は、外交における「大胆な革新」の実現をはかる鳩山新政権の構想と政治、軍事大国に歩を進めようという日本の目的を示すものと言える。
1、普天間基地移設で大きな意見相違
 オバマの訪日直前まで日米間でこの問題で見解一致を見ることができなかった。鳩山は首相就任後、沖縄県外移設の意向を表明した。これに対して米国務省スポークスマン、ケリーは、双務協定違反であり、日米同盟を破壊するものだと警告。しかし鳩山はずるずると回答を引き延ばす方法で態度表明をしていない。
2、隔たり生じる日米関係の確定作業
 オバマの眼前には、アフガニスタン情勢、イラク駐屯部隊の撤収問題、イラン、北朝鮮核問題など外向的難問が山積している。そのうえにいま、アジアでもっとも親密な同盟者であった日本までも「新しい難問」となってきた。
 これまで米国は日本をアジア太平洋地域で自己のもっとも安定した同盟者としてきた。オバマ政権にとっていま切実に必要なものも、日米同盟の安定を維持し米国がアジア太平洋地域で引き続き関与しリーダーシップをとることだ。
 しかし日本の角度から見るとき、過去、実施してきた「親米」的なやり方は、日本が大きな代価を支払う結果となった。日本への周辺国の不信は簡単に解消されないものになっており、日米同盟は日本とアジア諸国の地域的同質性を破壊することによって、アジアの一体的発展を阻害するものになっている。
 民主党政権誕生後、鳩山は、「米国から抜け出てアジアに融合」する構想を打ち出しながら、米国の憂慮を呼ぶ発言を繰り返しており、施政演説でも日米関係でより多くの「平等性」が保障されるべきだと強調したこれは疑いもなく数十年間続いてきた日米関係の「不平等」を暗示するものだ。
3、核密約調査問題での矛盾
 過去50年間、自民党政府は、核兵器への矛盾する対応、すなわち口では「核を憎む」としながら米国の核保護を追求してきた。9月25日、新政権の岡田外相は、15名からなるグループを派遣、日米間の核密約締結事件への調査を開始することによって、米国を驚かせた。
 この調査は、米軍の核持ち込みを秘密裏に認めた自民党政権の非核3原則違反を暴露するものだが、むしろ米国を難関に追い込むものだ。
4、米国を遠ざける「反テロ盟友」
 イラク問題でも鳩山は11月4日、「イラク戦争は誤った戦争であり、日本が自衛隊を派遣したことも誤りだ」と衆議院予算委員会で発言。イラク戦争でもっとも堅固な盟友であった日本からまでもこのような発言が出るに至って米国はさらに不安をかきたてられている。
5、選挙民に呼吸を合わせる新政権
 日米関係見直しに関する鳩山の気勢の高い発言は、およそ半世紀にわたる自民党政権を倒すためのものではあったが、結局それは「親米」的な自民党政権に対する日本の選挙民の反感に呼応したものとなっている。新政権の外交姿勢は、比較的強い世論的支持基盤を持ち、政権の支持率を上げる上で有利に働いている。

※      ※      ※

 以上に見たような日米同盟が危険に直面という事態は、「米国に追従する過去の外交」への反省が日本で始まったことを意味するものだ。

(中国・広州日報)

■サッカー朝鮮代表のフランス遠征合宿
 スイスで秘密裏に集中訓練をしていた朝鮮のサッカー国家チームは、フランスでプロリーグ二部のFCナント、及びアフリカのコンゴ代表チームとの試合を含めた合宿を行った。川崎フロンターレのジョン・テセやロシアで活躍するホン・ヨンジョなど主力選手は参加せず、強化試合はいずれも0対0、スコアレス・ドローで終わった。

(中国・新浪漫)


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