研究 鳩山首相の「東アジア共同体構想」を考える 日本が果たすべき「架け橋」とは?
インタビュー 「9条改憲阻止の会」 蔵田計成さんに聞 60年安保世代は現情勢をどのように見ているのか
県内か県外か、辺野古か、嘉手納への統合か。普天間基地移設をめぐって、鳩山政権が揺れている。市街地中心部にある普天間基地早期移設の必要性は、沖縄県民はもちろん誰もが認めていることで、だからこそ橋本政権下に07年までの全面返還が合意された。しかし移転先とされた名護市の反対もあってキャンプシュワブ沖の埋め立ては、合意から10年を経ても宙に浮いたままだ。
沖縄の負担軽減、普天間基地移転の見直しを盛り込んだマニフェストを掲げ、沖縄でも圧勝した民主党にとって、計画通り辺野古移設を認めるなら、「公約違反」の批判は免れない。一方、マニフェスト通り「辺野古見直し」を進めるなら、辺野古移転の早期実現を要求する米国との衝突は避けられず、鳩山政権はいまこの大きなジレンマに立たされている。
マニフェストの公約を守れるかどうか、言い換えるなら沖縄県民の総意である「基地軽減」をできるかどうかは、政治的リスクを賭けて米国との熾烈な交渉をやれるかどうかだ。
ゲーツ国防長官訪日直後の「社説」は、次のような鳩山政権に対する批判的論説を掲げた。「日米安保の危機を先送りせず歩み寄る決断を」(読売)、「米国防招く安保摩擦を憂う」(日経)、「鳩山首相は判断を先送りせず歩み寄る決断を」(読売)、「米国防省長官は現計画の実行を求めている。早期に基本方針を」(朝日)と。
不思議にも日本の三大紙は、沖縄県民の基地撤去の願いよりも、米国の要求を上位におく。「日米安保体制こそが日本の安全の根幹」だとする思考方式から抜け出すことはそう容易ではない。
この混乱の一つの原因は民主党にもある。「なぜ沖縄に海兵隊が駐留しないといけないのか」というもっとも肝心の問題が不問にされたまま、「米国が要求している」というだけで、県外か、県内か、国外かが、沖縄県民の頭越しに議論されているからだ。基準は米軍(米国)の要求ではなく、日本にとって必要かどうかだ。その国民の合意の上で、基地をどこに置くのかという議論となる。
三大紙が「結論を急げ」という同日の「沖縄タイムズ」社説は違っている。「結論を出すのは早すぎる」と。それが沖縄の総意だ。
■見えない景気回復の展望
昨秋、米国発金融恐慌に始まった世界的な経済危機の嵐は、治まるどころか、年末に向けさらなる景気の落ち込みが懸念されてきている。
景気回復については、いろいろ言われてきた。1929年大恐慌との対比で、協調的財政出動と保護主義の相互抑制、新興諸国のいち早い経済の建て直しなど、当時との違いが挙げられ、早期の景気回復説の根拠とされてきた。
事実、関税や為替の引き上げ・引き下げ合戦など、保護主義による帝国主義間の対立と世界経済のブロック化が大恐慌後の世界を長期にわたる泥沼的大不況に引きずり込んだ1930年代とは異なり、今回の危機では、G20など新興国まで含む国際協調により、早くも4〜6月期以降、各国の成長率が順次、前期比プラスに転ずるなど、景気の底入れ現象が見られるまでになってきた。
だが、にも関わらず、楽観論を戒める声は根強い。大不況にともなう雇用と設備、二つの過剰が、公共事業投資や「エコカー特需」など、需要創出のための財政出動によっても解消されず、雇用状況の悪化と設備投資の凍結に歯止めがかかっていないこと、財政出動効果の消滅とともに、景気の「二番底」、「三番底」が懸念されるようになっていること、等々、その根拠には事欠かない。
もう一つ、景気回復に暗雲を投げかけているのは、大不況下でのバブルの発生だ。ウォール街の株価はリーマン・ショック以後の安値から5割上げ、原油など資源価格も高騰の兆しを示し、危機の元凶とされた複雑な金融商品の販売も再開され、金融機関の巨額報酬も復活した。中小企業などへの貸し渋りが広がる中、金は再び投機に集中されてきている。それが景気の回復を大きく阻害し、第二、第三の恐慌さえ懸念させるものになってきている。
■危機にどう対処するのか
この重大な局面にあって、鳩山新政権の経済政策はどうなっているのか。それは、これまで「成長」を優先させ、「暮らし」は後回しにしてきた自民党の政策を転換させ、まず「暮らし」を先行させ、それにより「成長」を促すものとなっている。
「子ども手当」や「高校の実質無償化」など家計への「直接支援」で消費を増やし、それにより企業の活性化を促すというこの政策は、特に今日、深刻な危機の中、企業が容易に雇用や賃上げに踏み切れず、家計への「間接支援」が事実上、考えられないものになっている条件で、一定の意義を持った政策だと言える。
新政権の経済政策でもう一つ大きいのは、アジア重視の政策だ。鳩山首相は、米主導のグローバリズムの時代は終わったとしながら、東アジア共同体の構築に積極姿勢を示している。その視野には、9億人に急膨張した東アジアの中間層が巨大な購買力の源泉として入っており、また、陸海空路や情報通信など、インドから東南アジア、中国へと、東アジア全体を一つの巨大な経済圏に結ぶ広域インフラ開発など、いわゆる「アジア・ニューディール」が展望されているようだ。
■新政権の経済政策を問う
鳩山新政権の経済政策に対する財界、経済界の懸念は小さくない。国民への「直接支援」は手厚いが、企業への支援がお座なりではないか、公共事業が削られ、地方の衰退が加速されるのではないか、アジア重視はよいが、日米関係はどうなるのだ、等々だ。彼らの言い分は、経済危機脱却の鍵はあくまで民間活力の発揚にあり、そのための規制緩和・民営化、税制改革など構造改革は続行されねばならず、地方への公共事業投資も拡大されねばならない、そうしてこそ、景気の回復も、国民生活の復旧も有り得るということだ。また、米国との関係を離れて日本経済の存在など考えられないというのも、正直なところだろう。
こうした財界、経済界の主張に対する新政権の対応はどうか。そこには、いくつかの問題点があると思う。それは、一言でいって、構造改革や米国に対する見解が曖昧なところからくる問題だと言える。新政権は、構造改革に対して、その行き過ぎを正すと言うだけで、改革自体の全面的な分析と評価は避けており、米一極支配が崩壊したと言いながら、多極化した世界における米国の地位と役割に関する見解は明確にしていない。
今日、景気の回復と新たな経済の発展を図る上で重要なのは、経済危機の要因を明確にし、それを克服するところにある。危機の要因を曖昧にしたまま、場当たり的な対応に終始していては、経済の新たな発展はおろか、景気の回復を図ることもできない。今回の危機はそれほど根本的なものだと言うことができる。
今回の経済危機の要因は、その根本において、米一極支配の下での経済の新自由主義化、グローバル化にある。事の発端となった米国発金融恐慌は、格差拡大とそれにともなう金余り現象を生み出し、その余った膨大な過剰金融を投機に振り向ける無制限の自由を許した経済の新自由主義化にその根因を持っている。また、金融恐慌の世界への波及とそれに続く実体経済の世界的範囲での破綻は、各国経済を外需依存化、対米輸出依存化し、金融化、投機化したドル体制の下での経済のグローバル化、新自由主義化の所産に他ならない。
今、景気回復、経済の新しい発展のために切実に問われているのは、この米一極支配の下、構造改革によってつくり出された負の遺産を根本からなくしていくことではないだろうか。それは、経済の根本的転換のないままに、米国において再び頭をもたげてきた金融バブルや輸出先を米国からアジアへ換えるだけの外需依存の繰り返し、地域経済のさらなる崩壊、等々を見るまでもなく明らかではないかと思う。
■鍵は、国民経済構築の観点を持つことだ
一口にグローバル化、新自由主義化を克服すると言っても、それは容易ではない。この難問を解くための鍵は、国民経済を国民皆でつくっていくという観点を持つことではないかと思う。
グローバリズム、新自由主義は、米国を頂点とし、ボーダレスの競争を原理とする国際経済秩序のもとに各国経済を合流させ、各国における国民経済の形成を否定した。その結果、国民生活の向上、地域経済の発展などによる内需の拡大がおろそかにされ、経済の外需依存化、対米輸出依存化が進むにまかされ、それにより産業構造や地域経済、国民所得に大きな不均衡がもたらされた。また、先述したように経済の金融化、投機化が促された。これは、国民経済の破壊に他ならない。この経済のグローバル化、新自由主義化による各国における国民経済の破壊、ここにこそ、今回の経済危機が巨額の協調的財政出動によっても、世界的範囲でその泥沼化から立ち直れずにいる最大の問題点があるのではないだろうか。
今日の大不況を克服し、新たな経済の発展を図っていくためには、外需依存から内需主導への転換を含む、全体的な国民経済の建て直しを図らなければならない。国民主体、国民主権の政治を掲げる鳩山新政権は、何よりも、この大事業に企業や地域など、全国民の理解を求め、そのための政治を行っていかねばならないと思う。
第一に重要なのは、国民所得の不均衡の是正だ。格差と貧困の広がりは、消費の低迷による国民経済の停滞、そして金余りによる経済の投機化など、国民経済破壊の元凶だ。新政権による子ども手当、農業の個別所得補償など「直接支援」は、こうした格差、国民所得の不均衡を正し、国民経済を建て直していく政策としても有効だろう。
第二に、地域経済の再生が重要だ。そのためには、国民経済づくりは地域経済づくりからという観点で、これまでの大企業誘致を基本とする方法から、地域自身の主体的力を育て地域循環型経済をつくる方法への転換を図る必要があるだろう。
第三は、国民経済と企業の利益の統一を図っていくことだ。そうしてこそ、企業の力を国民経済の建て直しに活かしていくことができる。今回の経済危機は、企業の発展も、結局、国民経済あってのものだとの教訓を残した。世界的範囲で各国の国民経済が崩壊すれば、企業には行き場がなくなる。この大前提に立って、新政権は国民経済の必要分野に企業の力を引き出す環境づくりをし、企業はそれに応え国民経済再建のために献身する、そのような関係を創り出していくことが問われている。
また、企業のアジアなど海外進出も、日本および世界各国の国民経済づくりに貢献する見地から行われねばならないだろう。
以上を、経済の投機化を防ぐ措置とともに講じ、国民経済を国民皆で創っていくようにすることこそ、新政権には求められているのではないだろうか。
研究 鳩山首相の「東アジア共同体構想」を考える
■鳩山首相が提唱?
10月23日からタイで開かれたASEAN首脳者会議、東アジアサミットへの参加は、鳩山政権が唱える「アジア重視」政策がどのようなものであるのかということで注目された。
ところで、ここで奇異に感じたのは、「鳩山首相が『東アジア共同体構想』を提唱し、ASEAN諸国はそれに賛同した」と報道されたことである。なぜなら、東アジア共同体は、ASEAN諸国が主体になって提唱してきたものであり、そこにプラス3と言われる日本、中国、韓国も参加を表明し、こうした国々によって、2007年の11月には、第一回「東アジアサミット」が開かれ、日本の新聞なども、この年を「東アジア共同体元年」と報道したものである。すなわち、東アジア共同体構想は、ASEAN諸国が中心になって現在進行中のものであるのに、鳩山首相が新たに提唱したというのはどういう意味なのだろうか。
これに関連した記者の質問と答えがある。
記者の質問は、一連の会合で東アジア共同体構想に言及するとき、必ず「日米同盟基軸」を言うのは、米国への配慮のためか?というものであり、その質問に鳩山首相は、次ぎのように答えている。
「それは今、申し上げたとおり、沢山のレベルというか、分野の話をしましたけれども、ASEANだってASEANだけでやりたい話もあるし、ASEANプラス1とか3とか、EAS(東アジアサミット)とかあるわけですよね。あるいはASEANもASEANプラスアメリカってのを考えている。いま、構想の段階で、なにをいれる、どれをいれないという発想を持っているわけではありません。そこは、重層的な柔軟な発想で望んでいく。そのなかでもアメリカを排除するつもりもないですよ」と。
すなわち、鳩山首相の認識では、東アジア共同体は、まだ構想段階であり、どのような国々で共同体を構成するのかという問題が未解決のまま存在しているということ。そこでは、とりわけ米国を排除するのか、排除しないのかが問題となっているが、鳩山首相は「排除するつもりはない」と考えている、ということのようだ。
鳩山首相が「東アジア共同体構想」を新たに提唱したというのは、「米国を排除しない」共同体だからということのようだ。事実、首相就任の記者会見で民主党がマニフェストで掲げる東アジア共同体構想は米国を除外するものかという質問を受けた鳩山首相は、「アメリカを除外するつもりはない、その先に『アジア太平洋共同体』を構想するべきだ」と述べている。
■これまでの東アジア共同体構想
元々、東アジア共同体構想は、ASEAN諸国が提唱しその結成の主体となって進んできたものである。ASEANは67年に結成された当初は反共色の強いものだったが、ベトナム戦争終焉後の76年に初めて首脳会談を開き、軍事同盟ではなく地域共同体として結びつきを強めるようになる。そして97年のアジア通貨危機を契機に共同体結成を提唱するようになった。これはアジア通貨危機が米系ファンドによる投機によって引き起こされたという認識の下に、そうした外部の介入に左右されない共同体を作ろうというものであった。こうして、03年には「安全保障共同体」「経済共同体」「社会・文化共同体」の三つの分野における共同体を2020年までに結成することを合意した。
彼らは、この枠を東北アジアまで拡大し、プラス3と言われる日本、中国、韓国にも参加を呼びかけ、この共同体構想は「東アジア共同体」構想として進んできたのである。
ASEAN主体の共同体構想で重要なことは、ASEAN諸国がこれへの参加を表明した国々にTAC(東南アジア友好協力条約)の締結を義務付け、それを参加資格にしたことである。
TACは、76年の最初のASEAN諸国首脳会談時に締結したものであり、「主権尊重」「紛争の平和的解決」「武力行使の放棄」などを内容としている。それは、1955年、東西冷戦の深まりの中で、アジアアフリカの新興独立諸国がインドネシアのバンドンに会合して、主権尊重、領土保全、域外干渉の排除、内政不干渉、紛争の話し合い解決などを合意した「バンドン宣言」に基づいている。
この基本精神は、「主権尊重」にある。すなわち、世界に国の上下はなく、どの国も対等・平等であり、その主権は相互に尊重擁護されなければならないということである。この考え方は、EUなどが、主権制限論の立場に立って、EU議会を創設して、EU地域の政策を決め参加各国がそれに従うという考え方ではなく、あくまでも地域の諸国が自主的な立場で互いに協力していこうというものである。とりわけ、EUが地域外の脅威を想定して武力を用いて集団的に対処するというものとは決定的に違う。TACには、すでに北朝鮮まで含め、東アジア25カ国が参加しており、東アジア共同体構想の基本理念になっている。
■覇権と反覇権の試金石
今日、米一極支配が崩壊する中で世界は多極化を強めている。しかし、それには、二つの動きがある。その一つは、ASEAN諸国が提唱するように、地域の諸国が大国の支配干渉を排し、相互に自主権を尊重して結束しながら、地域の平和と繁栄を追求していこうとする反覇権多極化の動きであり、他の一つは、地域を地域の大国を中心にして統合し、その大国を通じて米国の覇権を維持しようとする米国主導の覇権多極化の動きである。
果たして、鳩山首相の「東アジア共同体構想」がそのどちらであるか、まだ判断するには早いだろう。衰えたとはいえ、未だに大きな力を持つ米国を前にして、米国は除外するなどと簡単には言えないだろうし、ASEAN諸国の中にも、日本や中国など地域の大国の動きを懸念して、米国の関与を望む声があるのも事実だからである。
しかし、ここで重要なことは、この「東アジア共同体構想」が米国主導の覇権多極化にならないために何を押さえておかなければならないかを確認することである。それは、ASEAN諸国が試金石としてTACの締結を要求しているように、「主権尊重」の基本精神を受け入れ、これを確固と守ることである。
ASEAN諸国が推進する「東アジア共同体構想」への参加の条件として、TACの締結を要求されたとき、日本の外務省内部では「TACって何だ?」とか「そんなものを締結すれば日米同盟の障害になる」「米国ににらまれる」という声が上がったという(翌04年に締結)。
民主党政権が、戦後自民党政治の「大掃除」を掲げる時、外交において、この自主権尊重ということを重視することが決定的になる。その立場に確固と立つかどうかが、「東アジア共同体構想」を覇権のためではなく反覇権の共同体として正しく進める試金石になるということだ。
■日本は真の「架け橋」たれ
所信表明演説で、鳩山首相は、対外関係において、「架け橋」ということを強調し、東洋、先進国と途上国、多様な文明の間の「架け橋」になると述べた。この「架け橋」は、9月の国連総会に出席したオバマ大統領が「新しい世界への関与」を掲げ、東西、南北、白黒など様々な違いを乗り越えて国際的な課題解決に米国が積極的に関与すると述べたことと関連するもののようだ。
オバマ大統領の「関与」政策は、あくまでも米国が指導力を発揮して、国際問題に関与し、あれこれと口も出し手も出すというように聞こえる。すなわち、米国が覇権国家として、他国の主権を侵害し干渉を続けるという風に。もし、そうであれば、東アジア諸国は、米国を除外するしかないだろう。逆に米国が他国の主権を尊重するという立場をとるのであれば、一緒にやっていくこともできるということだ。
鳩山首相が言う「架け橋」とは果たしてどういうものなのか。米国が東アジアの問題にあれこれ口を出し手を出すことができるような「架け橋」になるというのであれば、日本自身が東アジア諸国に除外されてしまうだろう。日本は、決してそのような役割を果たしてはならず、米国に本当にアジア諸国と共に生きて行くには、覇権的な考え方を一切棄てて、各国の主権を尊重し、対等、平等の立場で協力し共に平和と繁栄を追求する、そのような生き方をしなければならないことを説き、そのための「架け橋」にならなければならないのではないだろうか。そのためにも「各国主権の相互尊重」という基本精神を日本自身が確固と持つことが重要である。そうしてこそ、日本は真に「架け橋」の役割を果たせるだろうし、その中で日本も真に「新しい日本」に生まれ変わることができるのではないだろうか。
インタビュー 「9条改憲阻止の会」 蔵田計成さんに聞く
蔵田計成氏、1934年生まれ。74歳。現在も活動を続けている60年安保世代の一人で、「9条改憲阻止の会」の中核を担ってこられたことは、周知の方も多いと思う。70代を超えた今も政治活動のエネルギーは衰えることを知らない。彼らが生涯を賭けて闘ってきた55年体制、その牙城であった自民党政権が崩壊し、民主党政権が生まれている。安保闘争から50年経ったいま、この政治状況の変化を彼らはどのように見ているのだろうか。「阻止の会」結成の中心人物の一人である蔵田さんに話しを聞いた。
※ ※ ※
蔵田さんは、朝鮮戦争が休戦の話し合いに入った翌年53年、山口県柳井高校を卒業。実家(由宇町)は農業、祖父、父が町会議員だったこともあり、子供のころから町の政治の話は聞かされてきたという。
―蔵田さんはどのような青年だったのですか。
「早稲田を受験したんですが落ちた。その翌年の浪人中に、青年が教養を高めて農村変革を、とばかり『青年教養講座』を創設、やがて町政と対立、1年後には町を出た。柳井市で友人数人と人形劇団『赤い風船座』を結成し、自作自演の人形劇を製作してどさ回り。そのほか2ページのタブロイド版新聞(週刊)を発行したり、プロレスで興行をやって金を稼いで、歳末助け合い運動もやりしましたね。こういう活動をやっているうちに、『自己満足的に活動している自分への反省』が生じたんです。そんなあるとき市議会の傍聴記を書いた。4大新聞の誌面の書き方と比べて、見劣りするわけですよ。それがくやしくて」
心機一転、57年、高校卒後4年目に早大第2政経学部へ入学。始めの一年間は、日本橋にあった区民新聞(中央タイムズ)記者をやり、勉強もまじめにやったという。ところが、翌二年生の時、自治会選挙があり、核実験反対・平和擁護運動・勤評反対闘争を見ていた蔵田さんは、自治会執行部を厳しく批判した。
「君たちの運動はなっとらん。人民的共感が得られるような運動をしなきゃあかんよ、と批判したわけです。それならお前がやれと言われて、自治委員に」
その年の春から、勤評闘争に参加。秋には警職法反対全学ストライキを闘い、全学中央闘争委員会調査部長として、無期停学処分を受けた。活動はじめて半年後だが「前進あるのみ」であった。当時は共産党が全学連を指導しており、蔵田さんははやばやと入党、58年末、結成されたブントに合流する。日本は「政治の時代」を迎える。翌59年春、東京都学連副委員長・学連書記局員として、60年安保闘争の全過程を直接体験することになる。一年有余にわたる運動の全過程を、闘争中枢部で先頭に立って闘った蔵田さんにとって、60年安保闘争の当事者総括は貴重なライフワークとなった。
―60年安保闘争は戦後日本の民主化闘争の総決算でもあったわけですが、その「敗北」が、長期自民党一党支配体制を作り出したと言えなくもない。その自民党支配体制がこの夏に自壊しました。この民主党政権の誕生を蔵田さんはどのように見ておられますか。
「来年は横浜開港・井伊直弼暗殺から150年、日韓併合から100年、安保闘争から50年という区切りの年です。民主党がどうという前に、左翼の理論そのものが枯渇し、そのアンチテーゼとして『友愛政治』が登場したと捉えていくべきでしょう。『友愛』は55年体制で自民党初代総裁鳩山一郎が言い始めた政治理念です。ただし、銘記すべきことがあります。鳩山自民党は結党宣言で3大目標『憲法改正、再軍備、原子力推進』を掲げた。総裁一郎はその張本人です。その後、石橋、岸へとつながり、60年安保闘争のなかで保守ウルトラ路線はつぶされた。だが、日米安保改訂阻止を回避することができた自民党内閣池田は、『軽武装、高度成長路線』へと転換。迂回路戦で保守再生をめざしたわけです。いま、自民党初代総裁のお孫さんは、リベラルに軸足を置きつつも、旧保守、旧社民系もとりこんでいます。暗中模索状態で政権の性格を論じるには、まだ中身が在るわけではありません。過去の清算がどこまでできるのか。その内実が政権の性格を規定します。
未来へつながる政治の内実が問われています。思想の中身というのは政策を通じて作り上げるものです。民主党が過去の55年体制の総括をどこまで掘り下げ、現情をどのように分析し、どのような政策展開ができるのか。まだ、『埋蔵金』の掘り出しは始まったばかりです。膨大な『負の遺産』が残されたままの無血入城です。片肺飛行ですから離陸するには大変です。きしみ、痛み、切開施術はこれからです。
今回の民主野党連立政変は、民衆の反乱であるとはいえ、議会主義という枠組みの中で起きた政変であり、政体変革ではないという視点を見落としてはいけません。この政変の根底には、極限的に肥大化し、露呈したさまざまな腐敗があります。その実態を示すひとつの数字があります。公益法人の数が4700、天下った官僚が2万5000人、年間補助金12兆円。それほどまでに『官僚による』『官僚のための』『官僚の政治』が好き放題おこなわれていたわけです。官僚という言葉を、政治家、企業、圧力団体に置き換えるとき、自らの利益を求めてほしいままに政治をやってきた『55年体制』の実態、爛熟、崩壊過程が、白日の下に露呈します。自分が、その渦中のどこに位置していたのか、いまも問われています。いずれにせよ、それに対する国民の憤りがこの政変を生んだのだと思います」
―政体変革ではないとは、この政変で日本が根本から変わるとは見ていない、ということでしょうか。
「官僚政治の腐敗は、ひとつの帰結点です。八ツ場ダム建設は官僚と地方のボスや土建集団が結びついた象徴、建設中の橋脚はいましめのモニュメントとして後世に残しておくべきでしょう。公益に反する矛盾が怒りをかった。その怒りをうけて民主党がみずからに仮託された政治を行うことができるのかどうか。どこまで自己の政治哲学、思想を実践的に作り出していくことができるのか。実践的な政策を行う過程で、その仮説を実現していくのが政治ですから。100年に一度といわれる人為的危機に対して、『友愛』という仮説をどう内実化していくのか。
主体的に捉え返せば、別ないい方になります。『平成の政変』を、根本的な『政体変革』の序曲にできるか否か、わたしたちの『今日の行動』にかかっています。『明日』では変革の速度に制動がかかり、不利を強いられてしまいます。そのためにこそ、過去の党派政治にみるような左翼政治の概念を克服するべきではないでしょうか」
―日本政治の新しいモデルはないのでしょうか。
「金融工学が生まれるはるか以前に、丸山真男が予見したことがあるそうです。卒業するゼミ生に向けて、就職するなら、金融ではなくて物を造る仕事を選びなさいと。でも、新自由主義経済理論を根本的に批判しきった学説は、陽の目を見ることはなかった。結果論的批判でしかなかった。マル経、宇野経、構改、労農派経済学は影さえみえない。
今、民主党は新しい政治のモデルや解決の理論をヨーロッパに求めているが、そこにはないだろうと思います。イギリスの労働党をモデルに探しているけど難しいと思う。EU共同体もしかり。理由は明快です。かつて、ギリシャ・ローマ型、米欧型デモクラシーも、奴隷、植民地、貧困下層の存在を大前提にしてはじめて存立が可能でした。いまでも、地球規模の極貧国を犠牲にして、ブルジョアデモクラシーは存立可能です。現在、世界の人口を10人と換算すると、1人が約8割の冨を独占。10人中半数以上が、わずか1%の冨を分かち合い、貧困にあえいでいます。そのような貧困・格差の現実を直視しないかぎり、真の普遍哲学は実現できないからです」
―新しい政治のモデルがないとすると、試行錯誤しながら日本は自ら作り出すしかないわけですね。そのための課題はなんでしょうか。
「例えば、民主党は、東アジア共同体の構築を述べています。東アジア共同体は青い鳥に過ぎない。山の向こう側にあるというチルチルミチルのはなし。多分、この理想論にアプローチする筋道があるかというと、おそらく個人益、民族益、国益のカベを越える論理、思想を実践的に獲得する過程を通過しないと無理でしょう。そのためにはその思想、論理、路線の筋道、実現過程が必要です。ヨーロッパは体験的に作り出してきた。いまEU型共同体まで手が届いた。何故届くことができたか。ヨーロッパの歴史的、地政学的条件が、幸か不幸か、それを可能にした。ナポレオン戦争、第1次、第2次大戦を2世紀にわたって3度も経験した。しかも、その戦禍は全土に及んだ。加害者が同時に被害者にもなった。その愚かしさを身をもって体験した。歴史を教訓にして過去を清算したわけです。
これに対する日本は、例外を除いて『総加害者』でした。アイヌ、琉球、朝鮮、満州、中国へと、『個欲』に依拠して『国欲』『民欲』をもって、列島一色に染め上げ、天皇=王朝を担ぎ出して『国家総動員』。これは『韓流映画』が描く古代王朝ドラマそっくりの近代版。否、この手法は人類史の全史を貫いています。それは、日本のような後発帝国主義ばかりか、弱小発展途上国が独自・特殊な国家建設過程において余儀なくされる宿命的歴史選択です。いまなお連綿と継起しています。
国益(島国意識)を超える思想を獲得しないと無理です。過去の歴史をちゃんと総括すること。元兵士達は戦争の悲惨を語るべきであったし、自己の加害事実を反省するべきでした。にもかかわらず、元加害兵士達は口を閉ざし、決して多くを語り継ぐことはしませんでした。元特攻隊員も、家族にさえ自己を語ろうとしなかったし、語ることが許されなかった、という戦後史は象徴的です。それが戦後史の『負の遺産』です。
NHKテレビ『戦争と平和の150年』(09年8月)を見終わって、戦争することの無意味さを改めて痛感しました。多くの国が、民族の伝統なり言語文化を持ちながら、どう共存していくのか。国境も制度もある。イデオロギーの排他性を乗り越え、共存できる新しいイデオロギーを創り出さない限り、戦争はなくならない。希望は9条です。9条の思想をどれだけ普遍的なものとして共有できるのか。『戦争と平和の150年』の歴史の中にどう位置づけるのか。そこに一つの鍵があるのではないかと思います」
―06年の6・15集会、07年の6・15集会は、参加者が3ケタを超えました。多くの新左翼諸派が個人参加した、という政治集会が実現可能であった要因は、何ですか。
「徹底した大同路線でした。安倍政権のウルトラが、逆に追い風になったという見方もありますが、それなりの準備過程も不可欠でした」
―蔵田さんにとって、「9条改憲阻止の会」とは、どのような意味をもっているのでしょうか。
「このままでは終われないという思いは、みんな持っている。のぞいた井戸の深さを、忘れることができないのかも知れません。60年安保は『壮大なゼロ』に過ぎなかったのではないか。あれだけ大きな闘争をやりながら、首相が代わり、『保守結党3原則』は粉砕できた。でも、条約改定は阻止できなかった。戦後デモクラシーの虚妄性を自ら演じたのではないのか。このような青春時代の挫折感、敗北感とともに、あの歴史の瞬間に立ち会ったという自負心が重なり、行動の原点に息づいていたようです。真情を吐露すれば、老人一揆という気負いも、心の片隅にありました。
とはいえ、加齢とは関係なく、風雪に耐えた思想が、いまの閉塞した時代状況、差別や貧困社会に対する責任感を甦らせたようです。明日へ向けた人類史的遺産としての価値をもつ『9条改憲を許さないぞ!』という非戦意識が、自分をかきたてているような気もします。
あと自分が果たすべき役割・責任にいていえば、かつて55年体制へと保革が雪崩を打って移行したことに対して、唯一、抗って登場した『新左翼創成と60年安保闘争』の歴史的意味を、当事者自身の『正史』として歴史のなかに書き残しておきたいと思っています。9条改憲阻止の運動を媒介にして、きちんと総括しておきたいという気持ちもありました」
※ ※ ※
70年代以降、新左翼運動は衰退の一途を辿った。その原因を蔵田さんは、自らが関わった60年安保闘争の敗北、その総括の不十分さ、革命論に求めている。なぜブントは敗北したのか。なぜ連合赤軍粛清や内ゲバは生まれたのか。そのような根本問題を『新左翼創成と安保闘争史』として総括した本を蔵田さんは書きたいという。筆半ばとか。70歳を過ぎてなお、蔵田さんの胸の中には50年前のあの闘争の炎がふつふつと燃え続けている。
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