インタビュー 激動する朝鮮情勢 在日コリアンはどう考えるか 在日朝鮮社会科学者協会東海支部長 金宗鎮さんに聞く
知り合いに失業中の40代の男性がいる。4月まで介護の職場で働いていたのだが、派遣契約が更新されず、職を失ってしまった。今はハローワークで仕事を探しているがなかなか見つからないという。
この6月、男性の下に役所から通知が届いた。ひとつは市民税で3万1千円払えという通知だ。もう一つは国民健康保険の通知で、解雇によって社会保険から国保に切り替わり、妻子が扶養だったこともあって、年間27万円という請求だった。国民年金の請求も来た。月額1万4千円である。そして子供の教育費(大学授業料だけで年間約50万円)が重くのしかかる。
妻の給料でなんとか生計は維持できているが、失業給付金が切れると家計が破綻するのは確実だ。この男性の家庭に今の日本社会の縮図を見る思いがした。
この国の社会保障費は他国と比較しても圧倒的に低い。社会保障費を対GNPで比較すると、スウェーデンが31,3%で日本は16,2%である。日本ほど教育費の高い国も他にはない。大学教育の私費負担割合はOECD平均が24,3%に比して、日本では58,8%と2倍以上だ。ドイツやフランスなど国立大学が無償な国と比べてなんという違いだろうか。教育の「機会均等」が完全に形骸化してしまっているのだ。
日本はいまでも高い技術力や生産力を持つ。しかし社会福祉の視点から見ると、OECDの中で「最低の国」となる。
日本社会には本当の意味での「公」というものがなかったのではないか。時々そう思うことがある。元来、「公」を担うべき政治や行政がきちんと機能していないからだ。
総選挙が近づいている。「官僚打破」も、「地方分権」も良いだろう。けれど今日本が早急に手を打たねばならないのは、まず「公」の土台を整えることだ。「公」という土台なしにいかなる政策論も「砂上の楼閣」でしかないのだから。
■基準にされる「国際社会」
この間、朝鮮が人工衛星を打ち上げ、核実験を行ったことについて、日本の政府やマスコミは、「国際社会の意思を無視」した「国際社会への挑戦」だと言っている。判で押したように、「国際社会」に対してどうかが判断の基準になっている。
一方、イランでは、大統領選挙が行われたが、ここでも「国際社会」との関係が大きな争点になった。すなわち、アフマディネジャド政権が反米、反イスラエルの姿勢を強め、核開発やミサイル開発を進めていることに対し、対立候補のムサビ氏などが、アフマディネジャド政権のこうした政策によって、イランが「国際社会から孤立」し、それによって、「国家の尊厳を損ない」、「国益を損なった」として批判したのである。日本のマスコミも、ムサビ氏などのこうした主張をもっともであるかのように取り上げ、ムサビ氏の勝利を期待するような報道をしていた。
また、同じ頃、ホンジュラスで開かれた米州機構(OAS)の会議では、キューバへの米国の制裁をめぐって批判が起きたが、それに答える形でオバマ米大統領が、キューバの機構からの追放解除に言及するや、日本のマスコミは、それをオバマ政権の「国際協調路線」のおかげであるかのように解説し、キューバも「国際社会」への復帰として、当然、それを喜んで受け入れるものと報道していた。
日本の報道ぶりは、何でも「国際社会」がどう見ているかを基準にしているように見える。しかし、問題は、はたして、朝鮮の行動が「国際社会への挑戦」であり、イランの政策は「国際社会から孤立」するものであり、キューバが米州機構からの追放解除を「国際社会」への復帰として喜んでいるのかということである。
■もう一つの「国際社会」があるのでは?
日本のマスコミなどの見方は当たったのだろうか?
朝鮮の場合、「順調」に「国際社会」は動かなかった。決議案の採択はすんなりいかず、18日後の6月12日にようやく発表された。その内容も日本の思惑通りにはならなかった。とくに問題になったのは船舶検査であった。日本や米国は、船舶検査を「決定する」とし、それを各国に義務付けようとした。船舶の場合、主権の及ぶ領域と解釈され、これを公海上で検査することは主権侵害である。それ故、戦争ではない平時において、これを行うのは、「海賊行為」「奴隷売買」を疑われる場合など特殊な場合に限ることを国際法は明記している。米国や日本の要求は国際法を踏みにじり、戦争状態でしか行えない不正で危険なものとして、各国の賛同を得られず、決議案は、「要請する」という表現に落ち着いた。
イランでも、日本の予想は外れた。日本のマスコミは、投票率が上がれば、浮動票がムサビ氏に流れ込み接戦になると予想していたが、結果は85%もの高い投票率でアフマディネジャド氏65%、ムサビ氏34%であった。これは、「国際社会から孤立させ」「国家の尊厳を損ない」「国益を損なった」という批判に対しイラン国民は明確にそう考えてはいないことを表明したものである。ムサビ陣営は選挙に不正があったとして、デモを展開したが、結局、敗北を認めデモも比較的短時日内に鎮静化した。
キューバの場合も日本の見方は当たらなかった。キューバは、米州機構への復帰をありがたがるどころか、この機構を「ゴミ箱に捨て去るべきもの」(フィデル・カストロ)「(OASは)消え去るべき略語」(ラウル・カストロ)と批判し、機構への復帰を蹴った。
朝鮮、イラン、キューバのこうした事例は決して特殊な国の特殊な反応ではない。これら諸国の動きの背景には、それを支える世界的範囲での大きな力が働いている。
ラテン・アメリカでは反米政権が続々と誕生し、これら諸国は、南米諸国連合を結成するなど反米自主の地域共同体の形成を進めており、これにカリブ海諸国も合流することが正式に合意されている。ベネズエラのチャベス大統領は、米州機構に代る新たな機構の形成をキューバと共に行う意向を示し、「米国のために服務する機構ではなく自国人民に服務する機構をつくる」と述べている。
アフマディネジャド大統領の反米、反イスラエル発言には、米国やイスラエルによって戦禍を受け同胞を殺されているイスラム世界の怒りが代弁されており、その対決姿勢は広くイスラム世界に支持されている。
東アジアでも東アジア共同体構想が進んでいる。その中心であるASEAN諸国の朝鮮支持の立場は強いものがある。それはASEAN諸国会議に出席した韓国の李明博大統領が、しぶるASEAN諸国を経済協力をちらつかせて説得し、ようやく北朝鮮非難声明を出すようにしたが、声明としては最低水準の報道声明の形だった事実を見ても分かる。
以上のことは、日本で言われる「国際社会」とは別の、もう一つの「国際社会」があることを示しているのではないだろうか。
■覇権「国際社会」を基準にする時代は終わった
日本で言われる「国際社会」とは別の、もう一つの「国際社会」、それはどのようなものか、両者の違いはどこにあるのか。
人類の歴史では長い間、国際社会は、弱肉強食の世界と捉えられ、力の強い国が弱い国を支配するのは当然であり、その中で最も力の強い国が世界の覇権を握り、その下で国際社会の秩序と安定は維持されるという考え方があった。
国際政治学では、それを「覇権安定」と概念化しており、この考え方にもとづいて、「パックス・ロマーナ」(古代ローマ帝国の「ローマの平和」)に倣って、「パックス・ブリタニカ」(英国の平和)、「パックス・ルッソ・アメリカーナ」(冷戦時代の「米ソの平和」)、「パックス・アメリカーナ」などが言われてもきた。
しかし、今日、こうした古い覇権の考え方に対し、これに反対する反覇権の考え方が出てきた。
それは、とりわけ第二次世界大戦後、それまで覇権国家によって植民地、従属国家にされていた国々が独立し、それらの国々が国際社会で多数を占めるようになって、明確な一つの流れになった。
この考え方は、何よりもまず、覇権に反対する。そして、国際社会において国に上下はなく、各国は平等であり、互いに相手の主権を尊重し助け合いながら、互いの平和と繁栄を追及していくべきだという考えである。
このように見れば、朝鮮やイラン、キューバなどを巡る動きと併せて、今、世界には、覇権「国際社会」と反覇権「国際社会」の二つがあると言えるのではないだろうか。
その違いは、前者が国には上下があり、弱小国は大国に従うべきだとするのに対し、後者は、国に上下はなく、どのような国も一個の尊厳ある独立国として自主的に生きる権利があるということであり、それぞれの国の自主権を尊重するのか、否定蹂躙しても構わないと見るのかの違いにある。
日本で言われる「国際社会」が米一極支配の覇権「国際社会」であることは、米国の要求に従った、PKO法や周辺事態法、反テロ特措法、イラク特措法、海賊対処法など一連の海外派兵策動が、国際社会の要望に応えて「国際協力」するためのものだとされてきたことをもっても明らかではないだろうか。
一方、それとは違う反覇権の「国際社会」が厳然と存在する。
それは、上で見たように、世界の各地域で起こっている反米自主の地域共同体形成の動きや、それらが互いに連携した、不平等で不当な覇権の「国際社会」に反対し、平等で公平な新しい「国際社会」を作ろうとする動きに顕著に現れている。
もはや、「国際社会」と言えば、覇権「国際社会」を意味した時代は終わった。そうした中、日本の進路が問われている。
これまでの惰性で、米国追随を続け、米国覇権の「国際社会」しか見ないようでは、道を誤る。朝鮮への対応で、思惑違いが起きたり、IAEA(国際原子力機構)の議長選挙で日本が発展途上国の支持を得られず、カネをちらつかせ、「唯一の被爆国」だからと哀願し、ようやく議長になれたことなどを冷徹に見るべきであろう。
米一極支配が崩壊した今日、覇権自体に反対する、反覇権の潮流は、今や、新しい歴史を創り出す基本勢力として、一つの強力な「国際社会」を形成するようになっている。覇権「国際社会」の利害を基準に物事の是非を判断する時代は、終わったと言えるだろう。
■加速する地域経済の崩壊
今日、日本の地方、地域を見たとき、最大の問題は、仕事がないことではないか。人口5万くらいの地方都市でも、役所か学校ぐらいしかないという。65歳以上が人口の過半を超え、社会的共同生活を営むのが困難になった「限界集落」の広がりなど、ますます深刻化する地方、地域の人口の減少や財政の窮迫などもここから来ているのは明らかだ。
事実、人口50万人以上の政令指定都市でさえ、東京や名古屋など一部の例外を除き、その大部分で、所得、総生産の落ち込みが顕著だ。01年〜06年、大阪の事業所・従業員数の減少は、それぞれ、3万(13・5%)、21万人(9%)に昇っている。
この地域経済の崩壊が今回の大不況で一気に加速されているのは言うまでもない。4月17日発表の日銀の地域経済報告は、自動車や電機などの主要な輸出産業が集積する東海や近畿など7地域(全国9地域中)が景況「大幅悪化」に陥ったとしながら、生産の減少は大手の輸出産業やその取引先が中心だが、経費削減など様々な間接的ルートを通じて地域経済にも及んできているとしている。そうした中、これまで堅調であった名古屋市でも、2010年度、地方税、地方法人税の大減収が予想されている。
■崩壊はなぜ起こったのか?
こうした地域経済崩壊の大きな要因としてあげられているのが構造改革だ。各種規制緩和・撤廃など経済の自由化、グローバル化にともなう企業の海外進出と国内産業の空洞化、そして地方・地域への公共事業投資の削減や地方分権の名による地方交付税、国から地方への補助金の削減など税財政改革、さらには中心部に財源が集中し、周辺部からは消えていく市町村合併など、新自由主義の各種構造改革が地域経済の崩壊を促進しているのは明らかだ。
だが、この「改革」の前に農業や中小企業を顧みず切り捨て、大企業誘致による地域経済の振興を図る政策の失敗があったのも忘れてはならない。すなわち、大企業誘致のための空港や港湾、道路、鉄道、電気、ガスなどインフラ整備に地方、地域への公共事業投資が集中された挙げ句の果ては、地域への金の循環ならぬ本社への持ち帰りと農業、中小企業の衰退、および地方・地域の公共事業依存の体質化だったという事実だ。一言でいって、大企業誘致は地域経済振興のために益よりも害になったということだ。それは、トヨタ自動車と豊田市の関係など、一見成功例のように見えるところでも起こっている。「企業城下町」の典型、豊田市は、広大な面積に貧弱なバスの運行など、どこまでも生産に有利な場であって、人間生活に良い場にはなっていない。この「モノカルチャー都市」としての「企業城下町」のもろさは、大不況の中、域内サービス業などの一気の壊滅として一層鮮明に現れている。
さて、自由化、グローバル化の構造改革は、こうした大企業誘致の上に強行された。それが、より有利な経済条件を求める企業の海外進出や農産物自由化、公共事業投資と行政サービスの削減などによって、地域経済の崩壊を相乗的に促進したという事実が重要だと思う。
そして今日、地域経済をさらなる崩壊の危機に追い込んでいるのが世界同時に進行する大不況だ。それが単純な景気の循環によって生じたのではなく、構造改革による日本経済全般の新自由主義化、対米輸出依存体質化の必然的帰結であるというのがまた重要ではないかと思う。
このように歴代自民党政権の地域経済政策の誤りは明かである。それは、今日の「崩壊」に端的に現れている。では、こうした誤りの連続に貫かれている本質は何だろうか。それは、一言でいって、「地域主体」の欠落だと言えるのではないだろうか。大企業誘致による地域経済振興策、米国の要請による自由化、グローバル化の構造改革、そこにすっぽりと抜け落ちているのは、地域のことは地域でという地域主体の思想である。
大企業の力に頼り、大企業を優遇して、その影響下で繁栄しようというものの考え方。米国の世界支配の下、自由化、グローバル化でその支配を支えて生きて行こうとする思考。これらすべてに共通するのは、弱肉強食の競争の中、強者による覇権を当然のこととしながら、覇権に従い、覇権に寄り添って生きようとする従属覇権的な思想だと言えないだろうか。
自由でボーダレスな大競争を標榜する新自由主義経済、ドル体制の下、対米輸出を大動脈に世界経済を回転させる帝国循環経済、この覇権経済が米国発金融恐慌とそれに続く世界的な大不況、地域経済の崩壊などとなって破綻した。
今こそ、新しい主体的な地域経済への転換を目指すときなのではないだろうか。
■地域主体の循環型経済の実現を!
今日、住民の「生存」、地域の「存続」自体が問われ、一方、大不況からの脱出のため、内需主導型経済への転換が叫ばれる中、地域経済の建て直しは一層切実な焦眉の課題となっている。地域経済の復興なしに、地域人口と住民所得の増加も地域財政の建て直しもなく、集落の維持・発展も国土荒廃や自然災害多発の防止もない。また、地域経済の復興は、個人消費や設備投資の増加と一体に、内需拡大の有力な要素の一つになっている。
問題は、この切迫した地域経済の建て直しをいかに行うかだ。そこでよく言われているのが、地域循環型経済の構築と、そのための地域内再投資力の形成だ。
大企業誘致による地域経済の振興が、原材料やサービス調達で持続性のない一時的で一過性のものだったのに対し、地域主体の経済の発展は、雇用も原材料もサービスも地域内で解決し、加工も販売も基本的に地域内で行う持続性のある循環型のものになるだろう。
そのために重要なのがその地域でくりかえし投資できる経済主体、すなわち地域内再投資力の形成だ。地域内再投資力の主体としては、民間企業や農家、商店などの自営業、協同組合、地方自治体や公社などが挙げられ、それらを結合するネットワークや地域内産業連関の強さ、そして地域内からの原材料をはじめとする生産手段、労働力の調達力、等々が地域内の所得循環の大きさ、強さを規定するものとして地域内再投資力に含まれることになる。
このように、地域のことは地域で地域主体に経済を発展させていくことについて考えた場合、今日、その条件は十分にあるように思われる。全国各地でくりひろげられる当地の特産物を活かしての町おこし、村おこしなど、地域おこしの運動、新潟県上越市のように市町村合併でできた大型合併市に「地域協議会」と「地域自治区」からなる「地域自治組織」を「公募公選制」でつくり、周辺部の要求が市政に反映されるようにする運動、そして「小さくても輝く自治体フォーラム」など自治体と住民が一体となって地域づくりを推し進める運動、等々、地域経済を自主的に運営・発展させる主体は全国に広く形成されてきている。
その上で重要なのが国や自治体の援助だ。地域主体の力だけでは地域経済を発展させていくことはとてもできない。地域循環型経済で原材料の重要な源泉となる農業、そして林業や漁業に対する振興策、地域の所得循環で大きな比重を占める高齢者をはじめ住民に対する年金や医療など福祉政策、地域経済に参入してくる大企業が原材料やサービスの現地調達など地域内循環に服従し寄与するようにする規制と統制、そして地域経済発展と深く結びつき、その核となる学校教育や研究の発展、等々、国や自治体の果たす決定的な役割は、国民主権、地域住民主権の確立が地域循環型経済実現の大前提にあることを教えてくれる。
こうして見たとき、新しい地域経済の輪郭がより明瞭になってくるのではないだろうか。新しい地域経済は、何よりもまず、外からやってきた大企業や外国企業ではなく、地域の経済主体が主人として担い発展させる地域主体の経済でなければならない。そのためには、地域の経済主体が結束し力を合わせて経済を持続的、循環的に発展させていくネットワークや地域産業の連関がなければならず、その基礎にはそれを支え保障する国民主権、地域住民主権がなければならない。
このような新しい地域経済は、弱肉強食の競争を原理とし、強者による支配を前提とする新自由主義経済、覇権経済とは全く異なるものになるだろう。それは、地域経済発展のための協同を原理とし、地域経済主体皆が主人となるのを大前提とする経済になるのではないだろうか。
インタビュー 激動する朝鮮情勢 在日コリアンはどう考えるか
金宗鎮(キム・ジョンジン)、1936年、在日二世として名古屋市に生まれる。愛知朝高卒業後は在日二世として初めて朝鮮学校の教壇に立つ。総連の一員として在日同胞の教育事業に携わり、愛知中、愛知高の校長、愛知県本部副委員長などを歴任。現在は在日朝鮮社会科学者協会東海支部の初代会長を務めている。今秋、在日コリアンとしてその足跡をまとめた本の出版が予定されていると聞いて、名古屋市内のホテルで話を伺った。
―今秋、出版予定のゲラを読ませていただきました。一在日(総連系)コリアンとしての記録としても大変貴重で面白いし、また金宗鎮という一人の在日コリアンを媒介にして日本という国が見事に浮き彫りになっており、私個人としてはそういう見方もできる本だなと思いました。金さんとしては何をモチーフに書かれたのですか。
ひとつは一世の方がどんどん亡くなっている中で、語る人が少なくなっている。だから二世のわれわれが伝え聞いたものを残したい、在日の60年の記録を残したい、これが内なるモチーフでしたね。もう一つは、在日コリアンがその生き様なり考え方をほとんど発信していないんです。日本社会の中に在日コリアンがいっぱいいることは日本人も知っているが、しかしその考えや生き様は知られていない。われわれが見る日本の姿、日朝関係史を在日の眼で伝えていきたい、これが動機ですね。
―家族の方や友人の反応はいかがでしたか。
大学生など若い人たちは面白いと言ってます。歴史を知らなかったから参考になると。一方で、活動家たちの中には「内部」の話を書くべきでないという方もいましたね。今もなお厳しい差別政策を受けている中で、なぜ日本向けにそんな内部のことを書くのかと。
―本を書く上で、一番苦労されたことは何でしたか。
総連の活動の中枢にいましたから、すべての物事には明るいところもあれば暗いところもある。そのラインの引き方をどうするか、そのリアリズムをどう貫くか。うわべばっかりだったら面白くないし、しかし内部の葛藤とか書けない部分がある。今読み返すと「ニンニクのない朝鮮料理」になってしまったかなという部分はあります。
―現在の日朝関係は、拉致とかの問題があって完全に行き詰まっています。もし解決できるとしたら、その糸口はどこにあると思われますか。
この本も、朝鮮人の生き様を日本人に知ってもらいたいという思いから出した本です。相互理解がない状況では何事も進まないだろうと思います。戦後すぐ日本がその罪を認めて謝罪し、正常化をやるべきでした。ところが戦後60年たってもやっていません。敵対関係があまりにも長く続いた中で拉致という悲劇も起きた。日本人だけが敵対、蔑視してきたのではなかったわけです。朝鮮側も強い民族的憤りを持っていました。それが正面でぶつかり合っています。だから拉致を中心にすえては解決の糸口はないでしょう。アジアの平和と繁栄のために日朝が腹を割って話し合い、何かを合意していく。そういう大きなところから国家間の関係を始めるべきです。そういう外交を補佐するために私たちのような民間の交流、意見の交換があってもいい。国内には在日もいるわけですから、まずテーブルについて隣人としての付き合いを始める。これが一番大切でしょう。政治が変われば国家関係も変わる。同じように民間レベルで変われば政治も変わると思っています。
―今年の「ミサイル」騒動や二度目の核実験があって、挑発的な国だという印象をもたれています。在日の方々はどう見られていますか。
安全保障理事会に人工衛星問題を持っていったこと自体がアメリカの対朝鮮外交がぶれている証拠だと思います。朝鮮半島の核問題はすでに6者協議の枠組みの中でやってきています。その場で解決できなければほかに持っていっても解決できないわけですね。その意味でアメリカが6者会議を破綻させたと思いますね。在日の多くは日本のマスコミの考えに近く、民団の人は特にそう思っているでしょう。私たちが苦労するところです。在日の間でも「朝鮮問題」のボタンの賭け違いがどこなのかがはっきりしていません。現れた結果だけで判断しています。朝鮮はアメリカに核を持たされてしまった。生きるために持ったということです。日本や韓国はアメリカの核の下で生きている。アメリカは冷戦後も社会主義国としての朝鮮の存在を許さず、軍事的に包囲してきました。核もミサイルもその結果に過ぎません。
―朝鮮は核保有国として今後も生きていくのでしょうか。
核保有国として生きていく、それはないでしょう。朝鮮が他国への威嚇として持つ必要はないし、核の使い道もない。軍事的対決の解消、平和的関係になれば、自国の安全が保障されれば核は必要ありませんから。核を持つことによって逆に朝鮮はアジアで孤立してしまうわけですから、利点はない。金日成主席の遺訓からもありえません。存在を否定されるから経済的に苦しくても持ったに過ぎない。自主的に国家として存在できるかどうかが重要だから核は持つ。しかしアメリカとの敵対関係が清算されれば持たない。論理的に明確です。核を持つ限り日本との良い関係もありえないですから。朝鮮だけがアメリカに核を向けています。アメリカはだから必ず解決しようとするでしょう。
―日朝間の対立と不信は、今に始まったものでない。明治時代の征韓論に遡ることができます。この近代150年の対立と不信を解消し、日朝がお互いに理解しあっていく上で、何が一番大事なことなのでしょうか。
何重も正常化を阻むものがあります。征韓論から始まった朝鮮蔑視には深いものがある。また近代化のあとの西洋の価値観、これとの違和感が強い。「先軍政治」など日本人にはほとんど理解できないでしょう。冷戦の処理を60年間せずに憎しみが憎しみを生んできてしまった。宗主国と植民地、成功体験を持った大国と民族分断の小国、そのギャップが大きい。まずお互いの立場に立って考えるところから出発する。日本は今後アジアの中でどう生きていくか、自分の頭でそれを主体的に考えていく。そうする中でしか朝鮮との関係改善はないと思います。
―米朝関係でも、今また対決へと逆行しつつあります。今後の展望ですが、このまま新たな対決へと行くのか。それとも、対話から和解、正常化への歴史的流れは変わらないのか。どのように展望されていますか。
アメリカは戦争できませんし、朝鮮との共存しか道はない。だから展望はあります。「テロ指定」は解除したがアメリカは何もしなかった。制裁はそのまま続いている。朝鮮にはその不信があります。アメリカに対してドアを強く敲いている。だから強行に出ているわけで、対決を望んでいるわけではない。抗争で朝鮮が得たものはなにもないですから。02年に7・1経済措置というものをやりました。市場経済への準備です。日米との正常化にむけて準備を始めてきた。強行一点張りというが、内部ではちゃんと準備しています。アメリカと対決するなら市場経済への準備は必要ないですから。
―この本を読んで感じるのは、民族愛と同胞愛はもちろんですが、深い家族愛がベースになっている印象を受けました。それがこの本を際立たせている。5人のお孫さんがいて日本の中学に通っている方もいらっしゃる。お孫さんたちにはどのように生きて欲しいと思われますか。
どこの学校を出ても在日コリアンとして生きて欲しい。そのためには民族性という心と日本社会に通用する力、能力を身につけて欲しい。しっかり勉強しながらも民族の心は忘れないで欲しいですね。孫の一人は民族舞踊をやっています。夢は踊りで民族の架け橋になりたいという。朝鮮人として何ができるのか。その中で自分の幸福を探していく。機会が在ったらしょっちゅう話をしたり本を読ませたり、どこかに連れて行ったりしています。おじいちゃんと孫の関係は親密ですよ。
金さんはいま朝鮮通信使の研究を続けている。江戸時代に朝鮮と日本がいかに濃密な関係にあったのか。その立体的な交流の実像を解明していきたいという。
「私たちはだれ?」。在日コリアンは問われ続けてきた。とりわけ総連系コリアンはそうだ。その苦闘は今なお続く。金宗鎮さんという強烈な個性なくしてはこの本は存在しなかった。日朝関係が逆流している今だからこそ、日本人に是非読んでもらいたい本だ。
■宗谷、津軽海峡などに公海を設定−「核持ち込み」問題化の回避か?
政府が核兵器を搭載した米軍艦船の「核持ち込み」という政治問題の発生を回避するために、宗谷、津軽など5カ所の重要海峡内に公海部分を意図的に残した(海峡での領海を3海里と定める)という報道と関連して、中曽根外相は、6月22日、閣僚会議後の記者会見で「軍事的観点からそのようにしたのではない」と否定した。
■イラン大統領選、意外のようだが偶然ではない
イラン大統領選について、選挙前夜には多くの政治分析家は現職のアフマディネジャドと野党のムサビの得票数が接近するとし、AP通信も第二次の決戦投票までもつれこむと予測していた。しかし結果は西側メディアの予想を覆し現職の圧勝となった。この最終結果については選挙前すでに多くの予兆が読み取れていた。
上海国際問題研究院の西アジア、アフリカセンター研究員は次のように指摘した。
「イランの選挙民はアフマディネジャドが国家の尊厳を守り国益のために核兵器を大々的に発展させていると認めるようになっている。
こうした選択気風は、イランの歴史と文化の特性によるものだ。イランはペルシャ帝国として輝かしい歴史も持っていたが、近代になってロシア帝国と英国の植民地に転落、そして現代に入っては親米シャー(皇帝)の強権政治の犠牲物となった恥辱の歴史を持っている。栄光と恥辱がイランの民族の悲痛の思いとなって、米国と闘うアフマディネジャドの気概は民衆の人気を呼んだのだ」
また現職大統領の支持者は下層の平民である反面、「改革派」といわれたムサビの支持者は主に大都市の中間層住民で少数派だ。今回の投票率は85%にも達し、アフマディネジャドの支持者の数的優勢が十分に誇示されるようになった。
■笑顔の南北、サッカーで一つに
南北のワールドカップ大会同時進出は、「われわれは一つの血筋」を改めて気づかせるものだ。北韓の喜びは南韓の喜びであり、彼らの宿願はわれわれの宿願だった。「人民ルーニー(英国の代表的FW)」とも言われる北韓のジョン・テセ(在日のJリーガー)が感激の涙を流した瞬間、TVを見ていたわれわれも胸がつまる思いだった。競技場を一周しながら歓呼する彼らの表情にわれわれの心も晴れやかだった。いま南北関係には冷気流が流れているが、南北間には暖かい血が流れていることをサッカーが再確認してくれた。
北韓の本大会進出に韓国が協力できたのもうれしい。韓国はイランとの最終戦で1:1で引き分けたことで北韓がサウジアラビアと引き分けでもOKという道を開くことになった。劇的な同点ゴールを決めたパク・チソン(英プロリーグ、マンチェスターUで活躍の主将)は「北韓が本大会進出を決めれば民族としてうれしい」と言っていたが、彼のゴールが結果的に北韓に決定的な助けになった。
■ピョンヤンにファーストフード開店
ハンバーガー、フライドポテト、フライドチキンをこれから朝鮮でも食べられる。ピョンヤン中心部、4・25文化会館前の十字路にファーストフードの店がシンガポールのワッフルタウン(Waffle Town)社との協力で開業。
食堂の入っているビルは、通りがかりには「外国産」食堂という感はない。二階になっている食堂の建物にはただ「清涼飲料」という看板がかかっているだけだ。
二階に上がってはじめてマクドナルドを知る人にはなじみの内部−明るい部屋、オレンジ色の椅子、写真付きの大きなメニューが目の前に広がる。注目すべきはメニューに「ハンバーガー」という外来語のないことだ。
先月に開店したが、このニュースは瞬時にピョンヤン駐在の外国人に広がった。顧客の多数は現地の市民である。
Copyright © 2003-2011 Research Association for Asia New Epoch. All rights reserved.
|