研究誌 「アジア新時代と日本」

第72号 2009/6/5



■ ■ 目 次 ■ ■

編集部より

主張 ―覇権から反覇権へ― 時代の変化に即した日本経済の転換を!

研究 日朝の敵対から友好を考える

評論 海賊論議で考えること

インタービュー 「人民新聞」編集長に聞く 作る人が読み、読む人が作る「大衆政治新聞」

世界短信

コラム「街角から」 ケイタイ考



 
 

編集部より

小川淳


 内閣府が5月20日発表した1―3月期の国内総生産(GDP)速報値は、物価変動の影響を除いた実質で前期比4.0%減、年率換算で15.2%減となり、戦後最大の減少率となった。日本経済は悲観的材料ばかりで閉塞感が覆い、明るい兆しは見えてこない。
 アメリカのオバマ政権は、グリーン・ニューディール政策へと舵を大胆に切りつつある。風力、太陽光、バイオ燃料など再生可能なエネルギーの生産を3年で倍増、延べ4800キロの送電線を新設し、今後10年間に1500億ドルを投資し、新たに500万人のグリーン・ワーカーを創出するという。
 一方、麻生政権も景気回復の起爆剤として5兆円にのぼる「補正予算」をやっと成立させたが、雇用対策であれ、子育て支援であれ、高速道路の割引であれ、小手先のバラマキ政策でしかなく、赤字国債ばかりが増えていくのは眼に見えている。
 世界同時不況は「石油と自動車」という20世紀型産業時代の終わりという文明史的な見方もある。ひょっとすると、100年に一度という時代の転換点に私たちは立っているのかもしれない。そして、この逆境を逆手にとって福に転じることができるなら、この世界同時不況は日本にとってそう悪いことばかりではないのかもしれない。
 戦後植えられ、間伐もできずに放置されたままの杉やヒノキの人工林を、木材バイオマスによる発電に活用する、などはその一例だ。
 日本の山林には膨大な資源が眠ったままだ。間伐しないと森林として育たない。日本の山林に放置された間伐材は2千万立方メートル、石油400万トンに相当するという。木材バイオマス発電の活用は、発電コストの大幅な削減につながり、2万人の雇用を産み、何よりも戦後荒廃の一途を辿った日本の山村と森林を元気に蘇らせるきっかけとなる。これは未曾有の危機だからこそ、これまでできなかったことができるという一例だ。
 どうすれば禍を福に転じることができるのか。発想を変えるなら、この世界同時不況という現下の状況は、日本の政治も経済も根本から変えていく好機とならないか。私たちはいま、その絶好の機会にめぐり合っているのかもしれない。


 
主張 ―覇権から反覇権へ―

時代の変化に即した日本経済の転換を!

編集部


 トンネルの暗闇の先に光は未だ見えてこない。「29年恐慌以来」とも、「近代史始まって以来」とも言われるこの大恐慌、大不況にどう対処するのか。それが単純な財政出動で解決できないのは目に見えている。
 今回の大恐慌とともに決定的となった米一極支配の崩壊の中、問われているのは、時代の変化に即した日本経済の大転換ではないだろうか。

■29年恐慌との違いと時代の変化
 今回の大恐慌に匹敵する恐慌が29年恐慌であるのはよく言われることである。事実、この二つの大恐慌はよく似ている。経済に対する国家の規制や保護、介入を否定する自由主義、新自由主義のもとで起こったこと、弱肉強食の自由競争を野放しにすることにより富の偏在、格差が甚だしくなり、過剰資本、過剰金融が極度に膨張し、それが金融の自由化と相まって経済の金融化、投機化とその結果としての金融恐慌を生み出したこと、その米国発金融恐慌が実体経済まで巻き込む世界的な大恐慌へと負の連鎖で広がっていったこと、この辺の経済危機発生・発展の基本的構造は、規模の大小や「金融工学」の発展などの違いはあっても、酷似していると言えるだろう。
 だが、この二つの大恐慌の間には決定的な違いがある。それは、背景となる時代の変化によっている。29年恐慌は、帝国主義が世界を支配し、覇を競う覇権主義の時代だった。それ故、恐慌に続く世界大不況の中、帝国主義諸国は、自らの植民地・勢力圏とその経済の防衛のため、関税障壁を張り巡らし、為替引き下げ合戦を行うなど、保護主義に走りながら、世界をいくつかの勢力圏にブロック化し、その挙げ句、勢力圏拡張のための戦争、第2次大戦を敢行するに至った。
 だが、今は覇権主義が思いのままに通用しない反覇権の時代である。特に、今回の大恐慌により米一極支配の崩壊が決定的になる中、東アジア共同体、南米諸国連合など、反覇権地域共同体の結束は一段と強まり、域内経済の協力発展、域内共通通貨形成への動きなどが目立つようになっている。帝国主義ブロック化とは本質的に異なるこの動きの特徴は、それがブロック間で覇を競い合う閉じられた覇権主義によるものでなく、そこに結集するあらゆる国と民族が互いの主権、自主権を尊重し、共存共栄することをめざす開かれた反覇権主義によるものであるところにある。
 覇権から反覇権へ、この時代の転換を考慮することのない大不況からの脱出策は、それがいかなるものであろうが、失敗を免れえないだろう。

■先進国中「最悪」の危機
 今日、日本経済の危機は、先進国中「最悪」だと言われる。予想されるGDPの落ち込みが欧米のマイナス4%に対しマイナス6%という試算さえ出されている。米国発金融恐慌の発端となったサブプライムローン問題ともっとも関わりの薄かった日本経済がなぜこんなことになっているのか。
 ここで重要なのは、この「最悪」の状況が覇権時代の経済としての日本経済発展の必然的帰結として生み出されているということだ。
 そこでまず挙げられるのが日本経済の対米輸出依存体質だ。対米輸出を大動脈に世界経済が循環する帝国循環が形成される中、日本は、名目総需要(内需+輸出)に占める輸出の割合を00年の10%から07年の15%へと急増させた。この対米輸出依存体質が、米国の経済破綻と購買力激減によって日本経済破滅の原因になったということだ。事実、日本の輸出は、08年10〜12月、09年1〜3月と2期連続の大幅減少(前期比14・7%減、26・0%減)を記録している。
 だが、日本経済の危機的状況は、この外需の激減以上に内需の急減速によっている。内需減速による実質GDP押し下げ分は2・6%と、外需減速によるそれの1・4%を上回っている。
 その原因として挙げられるのが、消費と生産の不均衡、産業構造の不均衡など、覇権時代の経済の典型とも言うべき日本経済の極端な不均衡だ。
 米一極支配の経済である新自由主義経済、帝国循環経済は、それに全面的に従った日本経済を極度の不均衡に陥れた。労働市場の自由化、社会保障の削減など新自由主義的施策による、116万生活保護受給世帯と保護なしで基準以下の生活をしている推計400万世帯の出現や「年収300万円時代」という言葉に象徴される貧困の広がりは、好況期にありながら個人消費の停滞を招き、経常利益の増加で肥太る大企業の生産能力拡張と相まって、消費と生産の不均衡を著しいものにしてきた。一方、外需依存、対米輸出依存がもたらした産業構造の不均衡も甚だしい。米国市場を当てにした自動車産業が製造業の20%を占めているのなどは、その最たる例だろう。
 問題は、この米一極支配のもとでの経済の不均衡が、大不況の今、日本経済を「最悪」の状態へと落とし込んでいることだ。GDPの5割超を占める個人消費の減少(09年1〜3月期、1・1%減)は、景気回復を大きく阻害しており、米国市場の大収縮による自動車販売の激減は、日本の製造業全体に大打撃を与えている。そうした中、企業の設備投資は10・4%減(同上期、4期連続の減少)と戦後最大のマイナス幅を記録し、先進国中「最悪」の危機の大きな要因となっている。

問われる時代の変化に即した経済の転換
 覇権から反覇権へ、時代の変化を正しくとらえ、日本経済を先進国中「最悪」に落とし込んだ米一極支配の経済であり覇権時代の経済である新自由主義経済、帝国循環経済からの根本的転換を図ることなしに、経済の回復と発展は有り得ない。
 だが、この現実の要求に麻生政権が応えているようにはとても思えない。その経済政策は、時代の発展に逆行するがごとく、覇権時代の経済構造にしがみつき、単純な財政出動に終始しているように見える。
 覇権時代の経済の矛盾が爆発し、その構造自体の破壊と機能麻痺が進行している今日、今こそ、時代の変化に即した日本経済の根本的で構造的な転換を図るべき時なのではないだろうか。
 覇権から反覇権へ、経済の転換を図る上で、何よりもまず考慮すべきことは、経済に対する国家の責任と役割に関する問題だ。
 周知のように、新自由主義経済とは、経済に対する国家の介入、あらゆる国家的保護と規制を否定し、すべてを弱肉強食の自由競争にゆだねる経済だと言うことができる。これが米一極支配の経済となり覇権主義の経済となるのは、覇者である米国の経済的強さを考えれば容易に理解できるだろう。それは、経済危機に陥り、経済強者の地位から転落した米国が「バイ・アメリカン」などと、米国製品優先の保護主義に走っているのを見ても明らかだ。
 この新自由主義を排し、各国経済の回復と発展を実現するためには、国家の経済に対する責任と役割を高めなければならない。大恐慌以降、国家重視の傾向が強まっているのは必然だと言える。29年恐慌の時もそうだった。大不況で需要がない中、国家による有効需要の創出を説くケインズ主義が打ち出され、支配的になった。
 ではまた、今日、ケインズ主義をやるのか。そうではないだろう。ケインズ主義には、「大企業中心の公共事業投資」「上からの福祉」といった覇権主義的な問題点が同伴し、それが有効需要の創出を阻害し、不況から活況への経済の活性化ができなくなったばかりか、インフレまで生み出した。
 今問われているのは、経済に対する「国民中心」「国民主体」の新しい国家的保護と規制、介入による内需の拡大ではないだろうか。労働者派遣への規制など労働者を保護する雇用政策や基礎的自治体を単位とする住民参加の福祉、医療対人社会サービスなど、国民の生活と労働を保障することによる消費の上昇、地域内再投資力と地域産業連関の構築などによる地域循環型経済の発展、等々、「国民中心」「国民主体」の施策による内需の拡大と情報産業振興、海洋資源開発など大規模プロジェクトの推進などによる内需の創造とを結びつけて内需主導型の経済を形成していくということだ。
 国家の責任と役割を高める上で、もう一つ問われているのは、今日、反覇権の時代にあって、主権尊重の地域共同体、東アジア共同体との一体化を推し進め、「アジア主体」による「アジア内需」の拡大を促進することではないだろうか。東アジア産業大動脈の構築など「アジア・ニューディール」の推進が提唱されているが、それも含め、域内経済の協力発展を図るとともに、ドル体制の崩壊を見越し促進するアジア共通通貨の実現を図ることなど課題は山積している。
 歴史的な大不況の中、覇権から反覇権へ、日本経済の時代的転換は、ますます現実の問題として切実に提起されてきている。


 
研究

日朝の敵対から友好を考える

小西隆裕


 今日、日朝関係は最悪である。もっとも近い国がもっとも遠い国になってしまった。政府間の敵対的関係に留まらず、日本国民の対朝鮮悪感情もこれ以上にないものになっている。拉致問題、「ミサイル」問題、核問題と続く中で、日本国民にとり朝鮮は、「得体の知れない国」「何をしでかすか分からない非常識で無謀な国」「自由のない独裁国家」、等々と最悪のイメージでとらえられるようになっている。
 日本国民が朝鮮に対しこのような印象を持つようになっているのは、誤解と偏見のマスコミ報道を差し引いても、当然のことだと思う。自分の同胞を拉致されて怒りを抱くのは当たり前であり、唯一の被爆国国民として、核に拒絶反応するのも自然なことだ。また、「独裁」に反対するのも当然だ。
 だが一方、だからといって、日朝関係をこのままにしておいて良いはずがないのも事実ではないだろうか。国家関係は、人と人との関係がそうであるように、敵対よりも友好、対立よりも親善が良いに決まっている。とくに、相手が隣国である場合、なおさらそうだ。
 事実これまで、日朝関係は、日本にとってきわめて重要だった。朝鮮にどういう態度をとるかで日本の運命が左右されてきたと言っても決して過言ではない。明治維新以後、日本が朝鮮を植民地化することを通してアジア侵略の道に陥って行ったのは、その重要な一例だと言うことができる。
 では、今日、日朝関係を改善するためにはどうすればよいのか。一部の人が言っているように、朝鮮の政権を打倒することだろうか。彼らは、現政権がある限り、日朝の関係改善などは有り得ないと言っている。
 だが、その国のことを決定することができるのはその国の国民自身である。それを他国がやろうとすれば、失敗するだけだ。「民主化」の旗を掲げた米国によるイラク侵攻の失敗はそのことを余すところなく示している。
 相手国との関係を改善する上で、もっとも重要なことは、何よりもまず、相手の国を尊重し、理解することではないかと思う。相手に対する尊重と理解が相手との関係を築く上で最初の行程だ。相手を尊重し理解してこそ、相手の要求が分かり、その要求に合わせて関係を築いていくことができる。
 ここで、相手を尊重し理解するとは、相手の世界に入ることだ。自分の世界にいたまま、相手を理解することはできない。どんなに理解しようと努めても、それは自分の主観に過ぎず、見当違いなものにならざるを得ない。米国が「自由と民主主義」の価値観を振りかざし、そこから他国国民の気持ちを想像して、その「不幸」から救ってやろうとするのなどは、その典型と言えるだろう。
 だが、相手の世界に入るのは容易ではない。相手の立場に立ち、相手の気持ちになって、相手とともに考えるようにするためには自分を無にしなければならない。そこに少しでも自分の主観が混じれば、それはすでに相手の気持ちではない。
 しかし、自分を無にし白紙にした上でも、われわれ日本人が朝鮮の人々の世界に入るのは簡単ではないだろう。それは、住む世界の違いが特に大きいからだ。資本主義と社会主義、個人主義と集団主義、旧宗主国と植民地などの違いとともに、とりわけ大きいのが覇権国家と反覇権国家の違いなのではないかと思う。
 核やミサイルなどに対する朝鮮の人々の反応を見ていると特にそう思う。私自身、朝鮮の人で、核実験やミサイル発射の報に接して喜んでいない人を見たことがない。その喜びは、人工衛星打ち上げの報に接したときと全く同じだ。そして彼らは、米国や日本などの「反対」に、「自分たちは持っておいて」「発射しておいて」と怒りを込めて口をそろえる。すなわち彼らにとって、核やミサイルは、敵の核攻撃、ミサイル攻撃の脅しにさらされてきた自分たちがそれに対抗するため、自分たち自身の手でつくった自分たちの貴重な武器、戦争抑止力に他ならないのだ。
 こうした彼らの立場に立ち、彼らの気持ちになって、彼らとともに考えるとき、見えてくるのは、「敵対」の根本要因に「覇権」があるということだ。事実、朝鮮が核を持とうとするのは、米国による朝鮮支配、世界支配の覇権に反対するためであり、米国が朝鮮の核保有に反対するのも、核による世界支配、朝鮮支配を維持、実現しようとする覇権的要求のためである。
 核だけではない。政治、経済、軍事など、あらゆる領域で米国は、戦後一貫して、世界に覇を唱え、それに反対する国と勢力を敵視し、攻撃してきた。
 一方、第二次大戦を通して、米英と覇を競い破れた日本は、戦後、米国の覇権の下で、そのおこぼれにあずかる従属的覇権の道に入った。日朝の敵対は、この覇権を離れてはない。
 このことは何を物語っているか。それは、日朝の友好が覇権を離れ、憲法9条に反映される反覇権の立場に徹底的に立ってこそ実現されるということだ。それは、植民地支配の反省と清算を出発点とし、制裁の中止などを含むものになるだろう。
 この世に、覇権の下に入るのを喜ぶ国はない。どの国も主権、自主権を要求する。それは、朝鮮だけではない。事実、今、世界は、東アジア共同体や南米諸国連合など、主権尊重の地域共同体が台頭する反覇権多極化の時代に入っている。それを「覇権多極化」と読み違え、G20など複数の覇権国家との「国際協調」とそこでの主導権争いであくまで世界覇権にしがみつく米国の失敗は目に見えている。それは、核問題など、対朝鮮政策でふらつく米国の姿が何よりも鮮明に示しているのではないだろうか。
 他国、他民族を隷属させる覇権が支配的だった時代は完全に終わった。覇権に基づく日朝敵対から反覇権の友好へ、それは日本の全く新しい出発と一体となるだろう。


 
論評

海賊論議で考えること

魚本公博


 ソマリア沖の海賊対策で、3月15日に自衛艦2隻が派遣されたのに続いて、5月28日には対潜哨戒機P3C2機が、駐屯地ジブチに向けて出発した。
 この海外派兵について、朝日新聞(5月2日)の「耕論」欄で、東京外大教授の伊勢崎賢治氏が、「これまで自衛隊の海外派兵は、『世界益』を掲げたが、今回は、もろに『国益』だ。『国益』を掲げての派兵は、憲法9条の完全否定だ」と述べ、その理由として、「現行憲法の背景には第二次世界大戦の反省があります。強大な軍事力はもたない、軍隊を外に出さないと守れないような国益は求めないと誓ったはず、これは憲法9条の根幹」と指摘している。まったく、その通りだと思う。
 一方で、この問題は、自衛のための海外派兵の是非を問う問題でもある。海賊対策では、「自国の船舶と人員の生命を守る」という問題が提起されているからである。
 周知のように、憲法9条は、国際紛争解決のための戦争と武力による威嚇又は行使を永久に放棄し、そのために「戦力を保持せず」「国の交戦権を認めない」と明記している。これは自衛のための戦争もしないということである。しかし、このことは決して自衛自体を否定したものではない。国が存在する以上、自衛権は自然権として明文化しようとしまいと厳然としてある。では、どのように自衛するのか。それは、日本の領土が侵略にさらされた時、これを撃退するという自衛であり、決して外には出ない(派兵しない)自衛ということだ。
 9条は、「たとえ、自衛のためであっても派兵しない」ということだが、伊勢崎氏の言うように「派兵して守るような国益は求めない」ということでもある。今日、世界がグローバル化し、国益のあり方も複雑になってる中で、このような捉え方は非常に重要だと思う。
 「派兵して守るような国益は求めない」「たとえ自衛のためであっても派兵しない」という9条は、まさに、それ故、徹底した反覇権の条項なのである。
 米一極覇権が崩壊する中で、各国は、自主と協力の地域共同体を形成して進もうとしている。それは反覇権の新しい時代の到来を示している。まさに、9条自衛はそうした時代を先取りしたかのように光を放っている。


 
インタービュー 「人民新聞」編集長に聞く

作る人が読み、読む人が作る「大衆政治新聞」

小川淳


 「人民新聞」(People's News)は、1968年8月5日に「新左翼」としてスタートした。左翼の人なら誰でも知っている大阪を拠点とした新聞の一つだ。ベトナム反戦、沖縄「返還」問題など70年安保闘争の中で生まれ、時代の熱気に育てられた新聞だった。
 77年4月5日号より「人民新聞」と改称し、今年5月15日号で通巻1346号となった。発刊からすでに40年の歳月が流れている。商業誌であれ、ミニコミ誌であれ、40年も続いている刊行物は稀だ。いま編集部が積極的に取り組んでいるのが、非正規雇用や貧困と格差の問題で、紙面では活発な論議を展開している。「人民新聞」は、私たちにとって、なくてはならない情報源のひとつとなっている。
 大阪市の港区、大阪港のひとつ手前、緑深い八幡屋公園に隣接する下町の一角に事務所はある。編集長の山田さんに話を聞いた。
 渡辺雄三さんら発刊当時のメンバーを第一世代とするなら、その後を引き継いだ全共闘世代が第二世代、現編集長の山田さんらは第三世代だ。山田さんが編集長になったのは6年前からだという。

 ―発刊のころはやはり社会主義の理想を掲げておられたと思うが、社会主義体制が崩壊するなど社会が激動する中で、おそらく廃刊の危機もたびたびあったのではないですか。この40年、「新聞」として一番変化したことは何でしょうか?
 廃刊の危機といえば、つねに廃刊の危機ですね(笑い)。一番の変化は「新左翼」から「人民新聞」への名称が変わったことでしょうね。新左翼の運動を総括して再出発する、新左翼運動を総括しない限り自分たちも再出発できないという問題意識が、ひとつの大きな転機になったと思います。それ以前に社会主義が持っていた問題についてはあるていどは自覚していたし、ソ連が崩壊したから見えなくなったということではない。既存の社会主義が崩壊する中で、重要なことは新しい運動をどうつくるのかということですから。

 ―この間、日本を見ていて感じられる一番の変化とは何でしょうか。
 90年代に始まったグローバリズムで、社会は大きく変わったと思います。それまでは日本は相対的に所得格差とか少ない社会でした。ところが90年代以降、正規と非正規、都市と農村など格差が広がり、むき出しの資本主義があからさまになったことが一番の変化でしょうね。
(*)「人民新聞」は、全国・全世界各地での闘いや現状を、立場や党派を問わず様々な問題を、紙面を通じて多くの人々に紹介し、相互批判・議論の場を保障し創り出していく、それを「大衆政治新聞」と呼んでいる。その「大衆」とは誰なのか、「政治」とは何か、編集部として自問はつねに続いてきたという。この40年間、「作る人が読んで、読む人が作る」という編集コンセプトや、いろんな闘いや議論を提供していくというスタンスは一貫して変わっていない。それを一番感じたのが、北朝鮮問題やパレスチナ問題、日本赤軍など、党派や信条、立場を超えて「発言の場」を提供し続けていることだ。

 ―党派からのクレームとか、権力からの弾圧とか、ずいぶん苦労もあったでしょうね。
 対権力ということで言えば、もともと体制を批判していくという立場なので弾圧があるというのは想定内です。党派との関係は、もともといろんな考えの人が入っていたので、その中でどういうスタンスをとるかという軸はぶれないで来れました。外からはいろんなレッテルを貼られてきたけれども、そんなのは勝手にやってくれというのがわれわれの立場です。
(*)警察による家宅捜査や聞き込み、デマキャンペーンなどの弾圧は一度や二度ではなかったようだ。それに屈することなく、「人民新聞」は思想や表現の自由を守り抜いてきた。

 ―「北朝鮮問題」など、今回もミサイル発射に関して山田さんが書いた記事に読者からクレームが来ていますね。読者から編集部への「批判」は結構ある?
 批判はあってもいい。微妙な問題だからとして「タブー」にはしないほうが良い。編集部としては、右側の言論が圧倒的な状況の中で左側の部分はもっと積極的に発言すべきだ思いますね。

 ―毎月3回の発行は簡単でない。大変でしょうね。
 この40年の活動の中で全国には多くの仲間、人脈の蓄積がありますから、いろんな人から原稿は自然と集まってきます。編集も一ヵ月半くらい先のことを考え、突発的な事件には臨機応変に対応してやってきました。

 ―スタッフは何人いらっしゃるのですか。
 専従としては3人です。それ以外に何人かボランティアの方がいますね。

 ―購読料でやっていける?
 もちろん赤字ですが、バイトしながら自分の専従費は稼いでなんとか。購読料は印刷や発送費でほとんど消えてしまいますね。

 ―2002年10月、「もう一つの世界が見えてくる」をキャッチコピーに、新しい編集部体制がスタートしましたね。 それ以前とはどこが違うのですか。
 私が編集長になってからのことで、「もうひとつの世界」というフレーズは、「資本主義の世界」とは違うという意味です。主流のメディアが伝える現実とは違う世界を追求する、そういう意味を込めています。2002年に編集部が変わったけれども、編集スタイルは以前と変わりません。

 ―パレスチナ問題についてしばしば言及されていますね。
 もともと私自身が関わってきたということもあって、あれほどひどい戦場の実情は、マスメディアが伝える情報とはぜんぜん違うという思いがある。イスラエルサイドの情報は流れるけれど、パレスチナサイドの情報はほとんど流れない。そのような中でパレスチナサイドの情報は自分たちがやらねばと・・。パレスチナ問題は世界政治を左右する大きな要素のひとつですから。

 ―いま国内問題で力を入れている問題は何でしょうか。
 今は働き方、非正規の労働問題に力をいれてきました。ここ一年、非正規雇用の問題は社会的な広がり、ラディカルな広がりがあります。これからの日本を変えていく大きな要素になると確信しています。また、「もうひとつの世界」を構想するというような「現状批判」は今後も続けていくつもりです。「自分たちはどんな世界を求めるのか」というような学習会を始めています。テーマが大きいので、試行錯誤しながらですが・・・。
 最後に、このような小さな新聞社が40年間続いた理由は、という問いに、「新聞社単独ではおそらく存在しなかったのではないか」と、そして「『人のつながり』があったからこそ今まで続いてくることができた」と山田さんはきっぱりと答えてくれた。

 ―読者の支持があったから40年も続いた。なぜ読者は支持してきたのだと思いますか。
 主流メディアがどこ見ても同じような記事を書いていて、視点も似たり寄ったり。それとは違うものを追求し書いてきた『人民新聞』の独自性があったからでしょうね。日本のメディアの貧困化、右傾化はひどいですから。

*     *     *

 2000年11月の「編集部アピール」はそのひとつの回答かもしれない。
 「日本赤軍の声明やアピールを寄せられたものは全て紙面で紹介してきた。それは、立場や党派を問わず様々な問題を紙面を通じて多くの人に紹介し、相互批判・論議の場を保障し創り出していくという『大衆政治新聞』としての本紙の原則に基づくものである」。何度も警察の介入や弾圧を受けながらも、それに屈することなく、紙面を守り抜く。そこには微塵の揺らぎもない。
 今年4月5日号の紙面には、「安上がりで確実な安全保障、それはMDS(ミサイル防衛装備)中止し、同予算の3割を北朝鮮への賠償+経済協力に振り向けることだ」とある。日本で騒がれた「ミサイル発射」直後の紙面である。
 当然、一部の読者からクレームが来る。そのクレームも紙面に掲載しながら、次のように反論している。「まず戦後賠償を行うことが先決で、これは北朝鮮の体制如何に関わらず、侵略国である日本の国際的義務であり、独裁国家であるからといってその義務を否定するのは間違っている」と。
 この確固たるアジアへの視点もまた「人民新聞」の魅力のひとつではないだろうか。


 
 

世界短信

 


■「10年間、教え学んで」
 カストロが5月23日で10周年を迎える、ベネズエラのチャベス大統領が行っている、「やあ、大統領」という放送番組を賞賛して次のように述べた。
 …ボリバル革命でチャベスが考案した「やあ、大統領」という番組がなかったら、大衆的通信手段を掌握している帝国主義者らは、あらゆる非難とウソでベネズエラ革命を覆しただろう。
 チャベスが演説した時間を計算すると実に1536時間になる。これは彼が64日間も人民を教育したことになる。番組の中で彼は本を読んで聞かせ、自身も学び教えた。豊かな歴史について、ボリバルの闘争と予言のような夢について…。
 「やあ、大統領」は、ベネズエラで人々が知りたいこと、地球上で何が起きているかをしらせる番組になった。
 私もこの番組を見たが、鼓舞されるのは、ベネズエラの革命をする人たちが日を経つにつれチャベスを支持するようになっていることだ。革命隊伍に合流する勤労者や青年の数が増えている。チャベスが行っている思想闘争は勝利している。チャベスは非常に健康だという。毎日40分間、ランニングをして体重も減ったらしい。本当にうれしいことだ。彼は革命の困難な時期にまたとない親友だ。我々は難関に打ち勝ち今後も引き続き難関に打ち勝つだろう。今日、難関に打ち勝つ条件はいつもより多いのだから…

(キューバ・グランマ)

■米国の「裏庭」で影響力を強める中国
 中国は近い将来、西側と衝突することを予測して遠く離れた大陸にも同盟者、支持者を得ようとしている。ブラジルとの関係強化は両国に利益になるだろう。ブラジルと中国は1993年に戦略的同盟関係を結んだ。
 現在、中国はブラジル商品の最大の購買者だ。石油も毎日10万バーレルを供給する契約を結んだ。武器及び軍事技術機材試作品生産を共同で行うことも決めた。
 言及しておくべきことは、ブラジルと中国の貿易が物々交換の形式で行われていることだ。
 今後の予測は難しくない。中国は、米国の「裏庭」に入り込み軍事基地を創設するのにカネを惜しまないだろう。

(プラウダ)


 
コラム「街角から」

ケイタイ考

 


 ある日、友人と待ち合わせて喫茶店に入った。私と通路を挟んだ斜め向かいの席に20代と思しき今風のママと1歳半くらいの男の子が座っていた。男の子はクリームソーダーのストローを口にくわえている。ママと言えば誰と交信しているのかケイタイ電話でずーとメールをしている20分間くらいママは男の子に一言も話さない。ケイタイだけを見ている。男の子もじーとしている。ママのケイタイが終わった。ママは立ち上がり横に置いてあったベビーカーを組み立てると、「座って」と一言男の子に言う。男の子は黙ってバービーカーに乗る。ママは無表情のまま私の視界から消え去った。
 他人の子供ながら胸が痛んだ。友人と別れた帰り道でもこの光景がずっと私の頭から離れなかった。この子は家でもママからこんな扱いを受けているのだろうか? 大きくなったらどんな子に育つのだろうか? 幼稚園で友達に乱暴をしている男の子の姿が目に浮かぶ。どんなにか寂しい心を抱いていることだろうか。
 でも、こうした事は珍しいことではないらしい。「最近、授乳している時にも子供の顔を見ないでケイタイメールに没頭している母親が増えている」という話をある日のラジオが伝えていた。すぐにあの光景がよぎった。赤ちゃんの時から、ママに顔を見てもらえない子供たち。ラジオのタイトルは「ケイタイよりも、先ず私たちを見て!」だった。


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