研究誌 「アジア新時代と日本」

第71号 2009/5/5



■ ■ 目 次 ■ ■

編集部より

主張 「核兵器なき世界」、その実現の道は?

研究―「田母神論文」から考えること― 9条日本こそ、誇りある日本の生き方

インタビュー 「ビッグイシュー日本」の挑戦

世界の動きから
@ オバマ米国糾弾の場 − 米州国家機構首脳会議
A 核問題をめぐる論調



 
 

編集部より

小川淳


 どこのハローワークも、最近は職を失った人たちでごった返しているという。つい最近失職した友人の話だ。今年6月までに職を失う非正規雇用の労働者は207381人。景気が悪くなれば首を切られる非正規雇用では安定した生活は望めない。格差と貧困が顕在化したこの一年、非正規雇用の問題点が取り上げられることが多くなった。
 正規と非正規を分けるのは何か。雇用が有期か常用か、就業時間がパートタイマーかフルタイムかなどの違いがある。しかし最大の違いはこのような「就業形態」にあるのではなく、同じ職場で同じ仕事をしながら大きな「賃金格差」が存在すること、「同一労働同一賃金」でないところにある。
 世界的な雇用差別撤廃の変遷を辿ると、50年代には米国の公民権運動に象徴されるように「人種による労働差別」の撤廃が目標とされ、70年から80年代にかけては「男女雇用差別」撤廃がテーマとなり、日本においても男女機会均等法が施行された。90年代以降は、「正規・非正規雇用の差別」撤廃、言い換えるなら「同一労働、同一賃金」の実現が目標とされてきている。
 オランダでの取り組みはひとつの参考になる。1996年に「労働時間差差別」を禁止し、「同一労働同一賃金」が実現されて以降、実質的に正規・非正規の格差が解消されてパートタイマーや共稼ぎが増え、失業率が減少、所得も増えて90年代末期には経済力が回復したという。
 とりわけ女性には好評で、子育て中はパートで働き、子育て終了後はフルタイムに戻るというように、子育てをしながらもキャリアを維持することが可能となったからだ。90年代後半以降、このオランダの取り組みは欧州各国に波及し、今やEUは域内での「同一労働、同一賃金」実現に向けて動き始めている。
 このような世界の動きに逆行してきたのがほかならぬ日本だった。99年に派遣労働が原則自由化され、04年には製造業への派遣も解禁され、こうして正規と非正規の賃金格差を固定化する「格差社会日本」の仕組みが整った。
 派遣労働はいずれなくさなくてはならない。「同一労働同一賃金」は、「格差社会日本」から抜け出す、その第一歩となるはずだ。


 
主張

「核兵器なき世界」、その実現の道は?

編集部


■提唱された「核兵器なき世界」
 新しい米大統領オバマは、先のプラハ演説で、世界の面前に「核兵器なき世界」を高らかに提唱した。包括的核実験禁止条約(CTBT)の批准を頑なに拒み続けた前任者ブッシュからの驚くほどの「チェンジ」だ。
 1月の大統領就任以来、オバマ氏は選挙期間中公約した「チェンジ」を次々と実行に移していっている。医療改革問題、環境改善問題など、その一つ一つが解決困難な難問に、それも一挙に着手するのを見て、失敗したらと、政権の存立を危ぶむ声さえ生まれているほどだ。「核兵器なき世界」の提唱はそうした公約実現の一環に他ならない。
 政治には、人々の心を揺り動かす夢がなければならない。だが、夢は美しい言葉や公約だけからは生まれない。重要なのは実行だ。オバマ氏の「核兵器なき世界」の提唱は、そうした政治のあり方について、古くて新しい何かを感じさせてくれる。

■つくり出される核軍縮の流れ
 「核兵器なき世界」の実現、今、そのための核軍縮の流れがつくり出されていっている。
 今度、オバマとメドベージェフ、米ロ両大統領の間に見られた、新たな核軍縮条約の年内締結に関する合意は、そのための大きな第一歩だと言える。世界の核兵器の95%を独占する両国の核軍縮における共同歩調が持つ意味は小さくない。
 これまで両国間にあった第一次戦略兵器削減条約(START1)は、戦略核弾頭をそれぞれ6000個以下に減らすことなどを定めながら、ほとんど実行に移されることがないままに、今年12月に失効する。また、2002年に締結された戦略攻撃兵器削減条約(モスクワ条約)は、戦略核弾頭をそれぞれ1700〜2200個に減らすことなどを決めたが、検証措置がないなど、START1のような厳格性がなく、意味を成すに至っていない。
 新しい核軍縮条約は、これまでの条約が持つ不備を克服する方向で考えられている。戦略核弾頭の保有上限をそれぞれ1000〜1500個程度にすること、保管中の核弾頭や運搬手段も廃棄すること、そして検証措置を盛り込むことなど、厳格な条約作りが合意されている。
 今年、活発に展開されることになる米ロ両核超大国の新しい核軍縮条約、その年内締結に向けた交渉の開始が、中国など他の核保有国も含めた多国間核軍縮交渉など、世界の核軍縮への流れをつくり出していくようになるのは、すでに折り込み済みの事実になっている。

■結局、覇権のためか?
 オバマ氏による「核兵器なき世界」の提唱で注目すべきは、そのために打ち出された核兵器廃絶を目指す包括構想だ。構想は、ロシアとの軍縮交渉による核兵器の大幅削減の外に、核拡散防止条約(NPT)体制の強化、そして核関連物質の安全確保など核拡散防止の3本柱で構成されている。言い換えれば、オバマ氏の核兵器廃絶へ向けた包括構想は、核軍縮と核拡散防止の並行路線だと言うことができる。
 このオバマ氏の構想を見て、誰もが思い浮かべることがある。それは、構想の本当の目的がどこにあるかだ。事実、新聞報道などでも、結局、核拡散防止のための「提唱」ではないかとの疑念が滲まされていた。
 もちろん、オバマ氏が「核兵器なき世界」を望んでいないと言うのではない。「核軍縮」も嘘ではないだろう。しかし、オバマ氏自身、「核兵器なき世界」の実現を自分の存命中には無理だと言っている。また、米ロ間の核軍縮も、逆に言えば、1000〜1500の戦略核弾頭は持つということだ。
 ここで戦略核兵器というものについて考えてみたい。周知のように、核は、歴史上、広島、長崎以外使われたことはない。広島、長崎の場合も、日本の戦争遂行能力、戦闘力を破壊するためでなく、日本の降伏を早め、戦争を早く終結させるための脅しの意味が強かった。原爆投下地が東京でなく広島、長崎だったという事実がそれを雄弁に物語っている。東京に落としたのでは、その後の対日占領に支障を来し、元も子もなくなってしまうということだ。
 これを見ても分かるように、戦略核兵器には他の兵器とは異なる特徴がある。すなわち、この兵器には、多数持って敵の戦闘力をより多く破壊するのではなく、少数でも自分だけが持って相手を脅すところにその有効性があるということだ。戦略核兵器が持つ桁外れの破壊力と有害性は、そのことを教えてくれる。米一極支配が核とドルによる支配だというように、核が覇権のための道具だという所以はまさにここにあるのではないかと思う。
 こうしたところから見たとき、オバマ氏の「核兵器なき世界」提唱の真意が透けて見えてくる。誰もが疑うその本当の狙いは何か。それは、米国の核による覇権にあり、そのための核拡散の防止にこそあるのではないだろうか。
 事実、朝鮮やイランなど反米国家への核の拡散は、米国の核による覇権を根本から揺るがすものである。核の独占とそれによる脅しの有効性は大幅に低下し、高まるのは核による全人類絶滅の危険性のみである。
 これから大々的にくりひろげられる核軍縮とその宣伝、それを口実とする核拡散防止への圧力の強化、ここにオバマ核廃絶提唱の真意が隠されているのではないだろうか。

■問われる核軍縮の徹底先行と覇権の廃絶
 米一極支配が崩壊し、多極化・自主化時代が進展する今日、覇権か反覇権かの攻防は、いよいよその激しさを増している。そうした中、オバマ大統領の核軍縮と核拡散防止を並行させての核兵器廃絶構想は、核大国による核兵器少数独占とそれによる覇権を図る一つの巧妙な術策だと言えないだろうか。今回、オバマ氏の提唱が中国やインド、フランスなどから冷ややかに迎えられ、朝鮮やイランなどから完全に無視されている理由も分かろうというものだ。
 自らの覇権のために、人類の願いである「核兵器の廃絶」を弄ぶのは許されない。「核兵器なき世界」の実現は、他の目的のために利用されてはならず、ただ、そのために追求されなければならない。では、その方法は何か。
 それは、核軍縮と核拡散防止の並行ではなく、核軍縮の徹底した先行、それによる覇権そのものの弱化、消滅以外にないのではないか。まず、米ロ核超大国が中国やフランスなど核大国のレベルに核軍縮すること、次に、核大国がインドや朝鮮など核保有国とともに核全廃を断行することだ。それが核をその道具にする覇権の弱化、消滅を促していく。このことなしに「核兵器なき世界」の実現は有り得ないだろう。
 核超大国が自らの覇権のために核を大量保有している条件で、核大国、核保有国が自らの核を廃棄するはずがなく、核拡散を防止できるはずがない。それは、核大国とその他の核保有国、そして未だ核を持たない国々との関係においても同様だ。脅しのための核、覇権のための核を持っている国が一つでもある限り、「核兵器なき世界」の実現は有り得ない。
 こんな単純な理知をオバマ氏が分からないはずがない。とすれば、今回の「核兵器なき世界」の提唱と米ロ核軍縮交渉は何か。それは、いくつかの核大国による「覇権多極化」とその他の核保有国の核廃棄、そしてこれ以上の核拡散の防止を目的とするものなのではないだろうか。もちろん、この「覇権多極化」で主導権を握るのは米国だ。
 単独行動主義と新自由主義による世界支配に失敗し、米一極支配の崩壊を招いたブッシュ前政権の後を受けたオバマ新政権。その「覇権多極化」を前提とした国際協調による覇権構想と「核兵器なき世界」提唱の見事なまでの一致はどうだろうか。そこには、「核兵器廃絶」に向けての人類の願いなど一顧だにされていない。
 世界のリーダーシップにしがみつき、あくまで覇権を求めるオバマ政権に「核兵器なき世界」の実現を期待することはできない。
 覇権のための道具である核をなくすためには、覇権自体をなくす以外にない。だが、そんなことが可能だろうか。覇権国家が自ら覇権を放棄することなど有り得ない。覇権消滅の可能性は、現実の覇権か反覇権かの闘いの中にのみ見い出されていくであろう。東アジア共同体や南米諸国連合など、反覇権の地域共同体と一体になった主権尊重の国の自主化のための闘い、この反覇権・自主化の闘いの世界史的な勝利の道にのみ、「核兵器なき世界」実現の未来が大きく開けてくるのではないだろうか。


 
研究―「田母神論文」から考えること―

9条日本こそ、誇りある日本の生き方

魚本公博


■何が支持されているのか
 昨年10月、アパグループが募集した懸賞論文に航空自衛隊の制服組トップの田母神空幕長が「日本は侵略国家だったのか」という論文を応募し最優秀賞を受けた。それが明らかになり、政治問題化した。そこで問題にされたのは、その内容ではなく、空幕長という高級公務員が「政府見解」と異なるものを出したのは、政府の責任ではないか、自衛隊制服組に対するシビリアン・コントロール(文民統制)ができていないのではないかというものでしかなかった。
 肝心の内容については、田母神氏は国会喚問でも、「間違っているとは思わない」と「確信犯」ぶりを発揮し、その後も各地を講演して回り、一定の支持を得ているという。
 田母神氏の論文は、あまりにハチャメチャで、彼を擁護する人も、論文自体には、「あまりに粗雑で奇矯な論だ」と批判的だ。例えば、朝鮮、中国への侵略について、「相手国の了承を得ないで一方的に軍を進めたことはない」と言い、満州や中国本土への侵略の契機になった、張作霖爆殺事件や盧溝橋事件、対米戦争も相手側(とくにコミンテルン)の陰謀によって日本が嵌められたのだと言っている部分だ。
 こうした部分への「根拠なき暴論だ」「科学的でない」という批判に対して、田母神氏は、「私は『歴史認識』を問題にしているのではない。国のあり方を問うているのだ」とうそぶいている。
 田母神氏の論文は、「新しい教科書を作る会」などの主張に重なる。彼らは日本が過去アジア諸国を侵略したことを反省するのを「自虐史観」だと指弾しながら、日本の「誇り」を云々する。
 田母神氏が一定の支持を得るのも、その主張に「誇りを取り戻せ」というメッセージを感じるからだろう。しかし、日本が過去、他国を侵略したことを反省もしないという「誇り」とは何だろうか。彼がそういう「誇り」に基づき、「国のあり方」を訴えているだけに、これを深く探ってみることが重要だと思う。

■どういう「誇り」か?
 田母神論文の結論部分は、「わが国が侵略国家だったなどというのは濡れ衣である。まさに、私たちは輝かしい日本の歴史を取り戻さなくてはならない」というものである。
 彼は、「(歴史上の)個別事象に目を向ければ悪行と言われるものもあるだろう」と言いながら、侵略を悪行と捉えている。
 では、この「悪行」を反省せずに、「誇り」を主張する論理構造はどうなっているのか。それは、「もし、日本が侵略国家であったというならば、当時の列強といわれる国で侵略国家でなかった国はどこかと問いたい。よその国がやったから日本もやっていいということにはならないが、日本だけが侵略国家だと言われる筋合いもない」というところによく表れている。すなわち、当時の列強はどの国も侵略をしていたのであり、それが当時の常識であり、仕方なかったことであり、日本だけが指弾されるのはおかしいということだ。
 そうであれば、彼の誇りとはどういうものになるのか。世界には力の強い国とそうでない国があり、力の強い国は、他国を侵略し支配するようになるのは仕方のないことであり、そのことを反省するのは、「誇り」のない「自虐」だことだということになる。逆に言えば、田母神氏らの言う「誇り」とは、世界に伍し、覇を競う国としての「誇り」だということになるのではないか。
 もし、そうなら事は重大だ。それは、米一極支配が崩壊し多極化が進む現状の中で、日本がどう生きていくかと、そのあり方に直結してくるからだ。田母神氏のように「覇を競う強い国」であることを「誇り」と考えるのであれば、今日の時代状況にあって、「力の強い国が覇権を求めるのは当然だ」となるだろう。それは日本のあり方を誤る。

■覇権の時代は過ぎ去った
 今日、米一極支配が崩壊する中で、世界は多極化の方向に進んでいるというのは、誰もが一致する見方である。
 問題は、この多極化をどう見るかだ。その一つは、この多極化を戦前のブロック化の時代、覇権抗争の時代の再来と見る見方である。その代表例は中西輝政氏だ。氏は、「日本自立元年」(諸君09年2月号)などで、…パクス・アメリカーナの時代は終わり、80年前の多極化世界に戻ったのであり、それは弱肉強食の血みどろの戦いの時代だ。すなわち多極化世界とは、ドライな力と国益の時代であり、日本は戦後60年にして、自立した生き方が問われるようになっている…と言っている。
 自立した生き方が問われているというのはよい。しかし、戦前の弱肉強食の覇権抗争の時代に戻ったのだから、日本は「自立せよ」というのは、日本は「覇権を競う強い国になれ」ということに他ならない。果たして、それが正しいのだろうか。今日の多極化は決してブロック化や覇権多極化ではない。
 それは世界の各地域で起きている現実を見れば明らかだ。南米などでも決して地域の大国が地域覇権を目ざして動いているわけではない。アジアでも、ASEAN諸国主導の東アジア共同体構想において、自主権尊重のTAC(東南アジア友好平和条約)の締結を参加条件にしている。
 人類は、侵略と戦争の時代を経て、その総括の新しい世界秩序を求めている。そして、それは今、米一極支配の崩壊の中で、各地域の自主と協力の共同体建設として進んでいるということだ。
 しかし、この流れはスムーズに進んでいるわけではない。覇権と反覇権の熾烈な戦いを通して進んでいる。
 まさに、こうした時に、田母神氏のような、「覇を競う強い国」であることを「誇り」とする論が出ているのだ。しかし、それは時代の流れ、人々の願いに逆行するものであり、そのような生き方は決して、日本の生き方として「誇り」にはならない。

■9条日本こそ「誇り」
 では、日本の「誇り」はどこにあるのか。
 覇権を求め敗北した日本は、その反省にもとづいて、平和憲法を国の最高指針とした。それは、自衛の名でも軍隊を外に出さないという徹底した反覇権思想に基づいている。「パリ不戦条約」以来、侵略戦争は「悪」とされた。それ以来、侵略も「自衛」の名で行われるようになった。日本の満州、中国本土への侵略も「自存自衛」のためであるとされた。ブッシュの反テロ戦争さえ「自衛」のためと言っている。
 憲法9条は、このような「自衛」のための戦争まで含め、すべての戦争を否定し、そのための戦力を持てなくした。もちろん、憲法は国家の自衛権まで否定してはいない。国家が存在する以上、憲法でどう規定しようと自衛権は「自然権」として犯すことのできない権利として存在するというのが、世界的な解釈であり、日本でもそのように法解釈されている。したがって、日本への侵略に対して反侵略の戦いは容認されており、そのための武力(戦力ではない)も容認されている。
 重要なことは、自衛の名で一般的に認められている敵基地への攻撃など、日本の領土から出て行って戦争することは厳禁していることである。それ故、憲法9条による自衛は、徹頭徹尾自国の領土領域に侵入してくる敵に対して、これを撃退する戦闘(撃退戦)、そのための武力(撃退武力)のみが許されていることになる。
 この9条以上の反覇権がどこにあるだろうか。「自衛戦争」まで否定した憲法9条こそが、反覇権の時代精神を先取りした最も先進的な時代の模範である。
 日本人が、戦前の侵略の時代を教訓にして、反覇権の憲法を国の最高規範として持ったこと、それを度重なる改憲策動にもかかわらず堅持していることこそ誇りあることではないだろうか。
 今の日本の防衛政策は、自国防衛とはあまりにかけ離れている。アジアを対象とする米第一軍団の司令部を座間に置き、そこに自衛隊の中央即応集団を同居させ共同司令部をつくるなど、まるで自衛隊が米軍の傭兵になったかのような日米軍事の融合化・従属化が進んでいる。
 そして、その矢はアジアに向けられているのだ。それは、アジア諸国が望み進めている自主的な共同体構想、反覇権多極化の動きに真っ向から対決するものになるであろうことは論をまたない。
 それは時代の反動であり、日本を再び破滅の道に陥れるものである。そこに何の「誇り」があるというのか。徹底した反覇権の9条日本こそ、時代の模範であり、誇りであることをしっかり認識すべき時ではないだろうか。


 
インタビュー

「ビッグイシュー日本」の挑戦

小川淳


 「ビッグイシュー日本」という雑誌をご存知だろうか。雑誌といっても書店では手に入らない。定期購読もできない。販売員はホームレスの人たちで、彼らを通じてしか手に入らないストリート・ペーパーだ。
 そんな雑誌があることを知って初めて手にしたのが昨年のことだった。ホームレスの人が売る雑誌というだけでもかなり社会的なインパクトがある。しかも、一冊300円で、160円が販売者の収入になるという仕組みもユニークで、そんな雑誌がビジネスとして成立することが私にとっては驚きだった。
 以降、路上で売っている販売員と会えば買うようにしているが、どこでも売っているという訳ではなくて、大阪で言えば、梅田とか難波とか大きなターミナルでないと手に入らない。私が知り合った販売員さん(天王寺駅西口)は、40代のホームレスで、釜ヶ崎を生活の拠点にしている。もともと建設関係の仕事をしていたがバブル崩壊後の不景気で仕事にあぶれ、一年前くらいからこの販売員を初めたという。販売部数は一日に20部から25部くらいで、発行日には45部くらい出るときもある。最低20部売れば約3000円の収入があり、ドヤ代1000円を引いた残りで食費と翌日の販売用の仕入れ代をまかなうことができる。服装もこざっぱりとしていて、話をしていても、暗さが微塵もなく、こちらが元気をもらったほどだ。
 日本での創刊の経緯はホームページに詳しい。「創刊の背景」によれば、ビッグイシューの始まりは、国際的な化粧品会社の創設者ゴートンがニューヨークでホームレスの売るストリート新聞を見かけたことだった。かれは古い友人で後にビッグイシューの創始者となるジョン・バードに市場調査を依頼し、バードは実際に路上生活者と話す中でこれがビジネスとして成立するという確信を持ち、91年にロンドンでビッグイシューを創刊、見事に成功させた。
 この雑誌が英国で成功した秘訣は、ホームレス自身の表現活動を支える雑誌ではなく、誰もが買いたくなる魅力的な雑誌を作り、ホームレスの人たちはその雑誌の販売に協力することで彼ら自身が自立していく、というそのビジネス・コンセプトの斬新さと言えそうだ。日本では現編集長の水越洋子さんらがバード氏らの協力を得て、02年に発行準備会、03年5月には有限会社「ビッグイシュー日本」を設立し、2003年9月11日に、集まった販売者19名とロンドンから駆けつけたバード氏、国内の支援者らで「ビッグイシュー日本」版はスタートを切った。

*   *   *

 大阪堂島のビジネス街の真ん中にある本部事務所をたずねて話を聞いた。  事務所のあるビルの入り口ではすでに数名のホームレスの人たちが出入りしていて、堂島のビジネス街とそこを出入りするホームレスのコントラストがなんとなく面白い。
 対応してくれたのは、「ビッグイシュー基金」の女性スタッフの方だった。
 「ビッグイッシュ日本」の発行部数は約3万部、669人が販売者に登録、58人が再就職するなどして自立している。大阪だけでホームレスの販売員が50人から60人はいるという。

◆どのように販売員を獲得するのですか。
「ボランテイアの方々と一緒にホームレス支援の夜回りなどで、販売員にならないかと声をかけてみて、希望者がいれば紹介しています」。  事務局では、ホームレスの方が自立するためには次の三つのステップが必要だとしている。まず簡易宿泊所に泊まり路上生活から脱出すること。第二に、自力でアパートを借り、住所を持つ。第三に、住所をベースに新たな就職活動を行うというものだ。

◆第一のステップのためには最低どれくらい売れないとだめですか。
「20部から25部は必要ですね。これ以下だと次の仕入れ代金が捻出できません。売り上げの中から食費とその日の宿泊費、それに次の仕入れ代金が必要なんです。中には50部から60部売るベテランもいますね。」

◆第一のステップを越えるだけでも楽じゃない。
「楽ではないけれども皆さん頑張ってなんとかやってらっしゃるというのが現実ですね。その中から50円、百円と貯金して一年くらいで部屋を借りて自立する方もいます。いま販売者の多くは第二ステップに挑戦されています。部屋を持っていない方は、事務所で貯金を預かっているんです」。

◆発刊当時、日本でこのような雑誌が成功するとは誰も予想しなかったようですね。
「ええ、多くの人が反対したそうです。実際、発刊から4年は赤字続きでしたが、昨年からやっと黒字に転換できました」。

◆表紙を見ると外国人が多くて、印象として海外発の記事が多いようにも感じます。まだまだ知名度も低い。
「先月には朝日新聞の天声人語にも取り上げられました。今後は知名度も上がっていくと思います」。

◆主にどういう方が買っているのですか。
「口コミで知ったという人が多くて、一度買った方がリピーターになることが多いようですね。販売員からしか手に入らないので、顔見知りとなって買ってくれる固定客も多いと聞いています」

◆やはりホームレスの方を助けるというこの雑誌の趣旨に賛同して買う方が多い?
「もちろん、そういう方も多いでしょうが、それだけではビジネスとして成功しません。雑誌そのものの面白さから買う、そんな雑誌をめざしています」。

 雑誌のバックナンバーを見るだけでもそれはわかる。例えば、「派遣を生きる30代シングル女性」(72号)とか、「出口なき若者たち、フリーターの今と未来は」(67号)、「日本、若者を包括できる社会へ」(102号)、「戦争は克服できる」(100号)、「森、未来を作る人々、日本の林業はいま」(110号)などなど、今の日本社会の抱える問題に正面から切り込んだテーマが並んでいて、一度読んでみたくなる特集が多い。これも「ビッグイシュー日本」が成功した大きな理由のひとつだろう。
面白いのは、読者層の中で一番多いのが20代、30代の女性という意外な事実だ。読者の62%が女性、年齢層では20代、30代が半分を占めている。ホームレスとはあまり接点のない女性や若い世代が買っているというのが面白い。
「ビッグイシュー日本」版の佐野章二代表は「雑誌を売り始めて1週間続けると顔つきが変わる。1カ月で服装が変わる。半年で販売員になる。1年も続くと他の仕事にも変わっていける。お客さんとのやりとりで、社会とのつながりを回復する効果は大きい」と事業の果たす役割を話す。
 大阪・キタの阪神百貨店前で販売する濱田進さん(56)は言う。「いったん売り場に立った以上、われわれは販売店主なんです。最初の1冊が売れるまでいつも不安ですが、常連さんもつくようになって、世間は捨てたもんじゃないって思えるようになりました」。

*   *   *

 厚労省によると日本のホームレス人口は18564人、平均年齢は57歳、5年以上野宿で生活している人は59%と、高齢化、長期化が指摘されている。厚労省のいうホームレスとは、「都市公園、河川、道路など公共の施設を起居の場所として生活を営んでいる者」定義されていて、「固定した住居を持たない人、または失う恐れのある人」という国際的定義とは異なる。国際的定義に従えば、ネットカフェに寝泊りする人ややワーキンギプアなども当然含まれ、実数はこの何倍にもなるだろう。
 都道府県の中で最もホームレスの多いのが大阪だ。「ビッグイシュー基金」が作成した「路上脱出ガイド」を見ると、大阪市では毎日どこかで炊き出しが行われ、ビッグイシューと協力関係にあるNPO法人「釜ヶ崎支援機構」が運営する二つのシェルターでは、1040人の宿泊が可能だ。
 このようにホームレス支援はビッグイシューなど民間団体に支えられているのが現状で、本来責任を負うべき行政は何も行っていないという寒々とした日本社会の現実が浮き彫りになる。
 自立とは、「自らの力で生活を立てているという『自覚』と『誇り』」。そんな信念に基づくビッグイシューの挑戦は、政治不在の社会の中に、そして一人ひとりのホームレスの心の中に「セーフティーネット」を構築するという取り組みといえるかもしれない。一人でも多くの人が自立の道を歩み始めて欲しいと思う。


 
世界の動きから

オバマ米国糾弾の場 − 米州国家機構首脳会議

 


■中国・新華社
 米大統領オバマは、4月13日、(キューバ系)米国公民のキューバへの親戚訪問、親戚への送金制限措置を解除した。留意すべきことは、この決定が米州国家機構首脳会議が召集される前になされたことだ。世論は、米国がキューバに善意のサインを送ったのは、今回の首脳会議でオバマが中南米諸国指導者の好感を買うためと見ている。
 キューバは、米州国家機構のメンバーであったが、キューバに対する米国の孤立化政策によって、1962年以降、この機構に参加できなかった。
 開幕演説でオバマ大統領は、「私はキューバ国民に自由と機会を与えられなかったこれまでの対キューバ政策を修正した。・・・これは米国にいる多くの人が母国(キューバ)の家族に金を送り、彼らの日常のニーズを助けるやり方だ」と述べた。

■VOA(アメリカの声放送)
「過去47年間、対キューバ措置のなかで交易中断こそ最も残忍な措置であった。オバマ大統領の制裁緩和措置もこの問題を扱うべきだ」(キューバ前国家理事会委員長フィデル・カストロ)

■朝鮮・労働新聞
 今首脳会議は初日から米国の対キューバ封鎖を糾弾し覇権主義に反対する場となった。
 開幕演説でアルゼンチン大統領は「米国のキューバへの経済、貿易、金融制裁は、時代錯誤的なものであり、即時撤回されるべきである。キューバを米州国家機構から追放したこと自体が理知に合わない行動だ」とし、ニカラグア大統領は「キューバの参加なしには米州国家機構首脳会議と言えない。したがって会議のいかなる決定も認められない」と述べた。その他「冷戦が終わり中南米の全ての国がキューバと正常な関係を結んでいる中で行われている米国の反キューバ封鎖は非正常なもので即時撤回されるべきだ」とブラジル大統領の発言があり、「米国のキューバ孤立化政策は失敗しており、キューバを米州機構から排除するいかなる妥当性もない」とベネズエラ、ウルグアイなどの首脳の発言があった。
 アルバ(アメリカ大陸のためのボリバール対案)成員諸国は、首脳会議の最終文献に反キューバ封鎖解除について言及がないことを不満として署名を拒んだ。
 元来、米州機構の会議は、米主導の「米州自由貿易地帯」創設のためにもうけられたものだが、今会議では基本討議案件として取り上げられず、討議の中心は米国の反キューバ政策非難に移った。経済問題でも、エクアドル大統領が米国を除いた新しい金融構造樹立、主権平等、相互尊重、協力を要求、他の国々も米ドルに代わる新しい国際通貨をつくることを主張するなど米国に失望を与える会議となった。


核問題をめぐる論調


■エル・バラダイが北朝鮮を核保有国と認定
 国際原子力機構(IAEA)のエル・バラダイ総局長は、北朝鮮を含む9カ国を核保有国にあげた。この発言は、米国の見解を越えて北朝鮮を核保有国と事実上認めたものだ。

(韓国・KBS)

■新総局長を選出できなかったIAEA
 IAEAが、任期の切れるエル・バラダイ総局長の後任を決める選挙が3月27日に行われたが次期総局長を選出できなかった。
 IAEAの日本代表、天野と南アフリカ代表のアブドル・サマド・ミンチ、2名の候補の間で争われたが、いずれも三分の二の得票基準に満たなかった。主な問題点は両候補の立場の違いにある。
 イランの核問題を扱う上で天野は、常に米国など西欧諸国に追従する態度を見せた。彼はIAEAの権能を制限することを主張、IAEAが外交的な仲裁に関与するより技術的問題を扱う役割のみを行うべきだと述べている。
 他方、ミンチは大国の核軍縮を要求する一方、核技術利用の権利は全ての国にあると主張、とくにある大国の統制を受ける人物が総局長になってはならないと述べている。

(中国・新華社)


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