研究誌 「アジア新時代と日本」

第70号 2009/4/5



■ ■ 目 次 ■ ■

編集部より

主張 今、なぜ「アジアと共に」なのか?

研究 日本の新しい国のあり方を考える

時評 雇用対策で感じること

集会 「文化・学術・市民交流を促進する日朝友好京都ネット」設立総会に参加して

世界の動きから



 
 

編集部より

小川淳


 4月5日、朝鮮はロケットを撃ち上げ、朝鮮中央通信は「三段式の運搬ロケットで人工衛星を軌道に乗せることに成功」と発表した。
 米北方軍司令部は「一段目は日本海に落下し、残りの部分は先端部分も含めて太平洋上に落下し、人工衛星打ち上げは失敗だった」との判断を明らかにしている。
 人工衛星だったのか、ミサイルだったのか。判断は後日に任せるとしても、発射情報が伝わった当初から、「弾道ミサイル」と決めつけ、05年の自衛隊法改正で盛り込まれたばかりの「ミサイル破壊命令措置」を発動し、自衛隊のミサイル迎撃部隊が初めて「実戦配備」されるなど、あたかも日本を標的に「弾道ミサイル」が飛んでくるかのような騒ぎとなった。
 「迎撃」という断固たる姿勢を示すことで支持率回復を図ろうという麻生首相の狙いとミサイル防衛システムを何とか認知させたい防衛庁の思惑の一致、そしてメデイアもまた朝鮮の飛行体が日本の頭上を飛ぶことへの国民の不安や恐怖を増幅させて視聴率を稼ごうという意図が透けて見えるが、冷静さを失い、感情的に対応する日本の姿は、アメリカや韓国のメデイアにも異様と映ったようだ。
 最初から「ミサイル」と断定したのは日本だけで、中ロは当初から人工衛星と見なし、アメリカでさえ、人工衛星だった可能性を否定していない。
 人工衛星とするなら、迎撃措置命令やMD部隊の発動、国連安保理への非難決議上程という日本政府の過剰な対応は「何だったのか」ということになるだろうし、もし「弾道ミサイル」だったというのなら、弾頭は日本ではなくアメリカに向けられているのは誰の眼にも明らかで、なぜ日本が「迎撃」というような勇ましい話になるのか。
 ミサイルや核といった朝鮮の軍事力強化の根源には言うまでもなく半世紀にわたる冷戦構造やブッシュ政権以降の強硬な対朝鮮政策がある。そしてこの路線を是認し、これを梃子(てこ)に軍事同盟を強化し、日米一体となって朝鮮との軍事的対決路線を推し進めてきたのが日本だった。「ミサイルはけしからん」と言うのであれば、日本自身がこれまで「米朝対決」にどう関わってきたのかが問われることになるだろう。
 ミサイルも核もない東アジアの安全と平和をどう築くのか。軍事対決ではなく米朝和解をどう実現するのか。日本の役割、「ミサイル問題」の核心もそこにある。


 
主張

今、なぜ「アジアと共に」なのか?

編集部


■これまでの「アジアの時代」
 「アジアの時代」とは、主にこの地域の経済発展を指したものである。70年代後半になって、東南アジアでの戦火が鎮火していくや、ASEAN(東南アジア諸国連合)諸国は地域的な経済協力を目指し連携を強めて行く。こうした中で80年代に入るや、まずシンガポール、韓国、香港、台湾の四つの国と地域(NIEs=新興工業地域)が先行する雁行型の経済発展が「アジアの時代」を演出し、その後、タイ、マーレーシア、インドネシアなどのASEAN諸国、中国がそれに続き、東アジアの経済力は大いに発展した。
 この雁行型モデルは97年のアジア通貨危機によって一旦、挫折する。しかし、この危機の中で、米国に依存しない、アジアのためのアジア「東アジア共同体構想」がASEAN諸国を中心に具体化されていく。
 アジア通貨危機以降、日本を含むアジアを支えたのは、対中輸出の急増であった。事実日本を含む東アジア全体の対中国輸出は、97年の500億ドルから07年には7倍の3500億ドルに急拡大している。一方、同じ時期に、中国は対米輸出を97年の約600億ドルから07年には、5倍の3000億ドルに急増させている。すなわち、これは東アジア諸国が中国で最終製品を組み立て、中国を経由して対米輸出を増やしたことを意味する。
 世界的に見ても、97年以降、日米欧の多国籍大企業は、隣接地域に国境を越えた部品接合生産の連続した工程によって製品をつくる付加価値連鎖工程の地域内分業(ネットワーク分業)を形成し、それによる企業内貿易が世界の貿易総量の3分の1を占めるようになる。東アジアの場合も、ASEAN諸国+3(日本、中国、韓国)の中で、こうしたネットワーク分業、地域内分業が行われ、最終的な完成品を中国で組み立て、米国に輸出するという経済構造が生まれた。ノートパソコンを例にとれば、IC(マレーシア)、HD設計(シンガポール)、HD製造(タイ)、液晶パネル(韓国)などの半製品を、日本製の精密機械や液晶シリコンを使って製造し、それを中国に集めて組み立て、米国向けに出荷するという構図であった。
 こうした、米国を最終消費地にする、帝国循環が、この間の「アジアの時代」の基本構造としてあったということは、見ておかねばなるまい。

■言われなくなった「アジアの時代」、だが…
 昨年来の米国発経済恐慌以降、「アジアの時代」ということを、あまり耳にしなくなった。それは、最終消費地米国が経済危機に陥ることで、帝国循環ができなくなり、その結果、「アジア沈没」と言われるような事態が起きているからだ。
 まず、昨年9月の米国でのリーマン・ショック以来、日米欧の金融や投機ファンドが資金を急速に引き上げた。そのため外資への依存度の高かった国々では、株価や不動産価格が急落し企業経営を圧迫するようになった。米調査会社EPFRグローバルによれば、08年に新興国市場から引き上げられた資金は483億ドルで、その過半はアジア新興国からと見られている。
 そこに昨年11月頃から、最終消費地である米国の景気が急速に悪化することで、アジア全体の輸出減速が重なった。とりわけ、東アジア諸国は輸出依存度は、中国37%、韓国39%、マレーシア98%、インドネシア30%、タイ62%などと軒並み高いため、輸出不振は一挙に国の屋台骨を揺るがす激震として襲った形になった。
 エコノミスト誌なども、「大幅減少した直接投資 加速する資金流出 米国依存のつけが一気に露呈 設備と雇用の過剰がアジアを苦しめる」などと、その深刻さを指摘している。
 しかし、この深刻さゆえに、米国などの大国に依存しない、地域の自立的な共同体を形成しようという動きは、いっそう切実なものになり、質的にも、自主と協力を高い段階で実現した動きとして現出しつつある。まさにピンチをチャンスにしてアジアは新しい「アジアの時代」を切り開こうとしている。

■今こそ始まる、より高い段階の新しい「アジアの時代」
 米一極支配の崩壊と経済危機の中で、地域共同体形成を極にした世界の多極化が新たな段階に進んでいる。
 東アジアでは、この2月末、タイのバンコクで、ASEAN+3会議の首脳会議が開かれた。そこでは、域内諸国が相互の通貨をスワップ(相互預け合い)して融通し合う「チェンマイ・イニシャチブ」の規模を現行の750億ドルから1200億ドルに増資することが決定された。また、この地域の金融状況を監督する独自の検査監視チームを設立することも合意された。これまで「チェンマイ・イニシャチブ」の運用は、IMF(国際通貨基金)の調査監督機関に依存していたが、独自の検査監視チームを持つことはIMFからの自立を強めるものとして非常に大きな意味をもつ。
 また、東アジアでは、これまでの外需依存を内需主導に転換する努力がなされている。中国は4兆元ものカネを財政出動させ内需拡大をはかろうとしているし、ASEAN諸国もメコン開発に力を入れて、地域の内需を喚起しようとしている。
 ラテン・アメリカ地域でも、この動きが顕著である。ラテン・アメリカ諸国は、「ワシントン・コンセサンス」による新自由主義の実験場にされ、幾度の通貨危機で、国民生活は破壊され、その塗炭の苦しみの中から、反米政権を誕生させ、地域的な協力を強め、昨年、5月には「南米諸国連合」発足を合意した。この2月には、ベネズエラの首都カラカスで「アメリカのためのボリバール対案」(略称・アルバ)成員国首脳者会議が開かれ、アルバ成員国の経済的自立を実現するため共同通貨「スクレ」による地域的金融通貨体系を樹立する問題も合意された。
 アフリカ同盟も「アフリカのインフラ開発」など、大陸の一体化を促進しインフラ開発を進め、同盟機構を強化する方向を強めている。
 今日の世界的な経済危機は、米国を頂点とする大国に依存して生きていっても、結局は失敗を免れないことを否応なく示した。こうした深刻な教訓に基づき、大国に依存することなく、地域で力を合わせて生きていこうとする、地域共同体の動きは、これまでとは質的に区別される、より高い段階のものへと発展しつつある。

■日本の進路、「アジアと共に」
 戦後一貫して、対米従属を国是として生きてきた日本。これまで機会あるごとに、その是非について論議されてきた日本。だが、その生き方を決定的に変えることはしなかった。しかし、米一極支配が崩壊局面に入り、米国経済が未曾有の危機に直面する中で、その是非は極めて深刻で切迫したものとして提起されている。
 例えば、日本の経済的落ち込みは、今年のGDPがマイナス6%にまで予想されるなど、今や先進国中、最悪になっている。サブプライムローン問題の影響が最も少ないと言われた日本が、なぜこのような事態に陥っているのか。それは日本経済の対米輸出依存度が高いからである。逆に、サブプライムローン問題の影響が懸念されたEUは域内貿易の比重が高いことが救いになっている。
 東アジア諸国は、こうした教訓から自国内での内需拡大をはかりながら、域内貿易の比重を増やし域内内需を拡大しようとしている。
 日本が、東アジア共同体に積極的に参加しそれを発展させることは、日本経済を対米輸出依存さらには対米従属体質から抜け出て、自主的で自立的な経済にしていく上で、決定的な意味をもつようになる。
 貿易構造だけでなく、通貨問題でも、アジアと共に進むことで、その自主性を強化することができる。東アジア諸国の中では、今回の米国発金融危機を教訓にして、地域通貨創設を睨みながら、「チェンマイ・スワップの拡大」「アジア債券市場の育成」「アジア投資銀行の設立」「アジア共通通貨バスケット制度」などが論議されている。日本はそれに積極的に関与していくべきであろう。
 内需拡大も日本国内だけでは不足である。環境や新エネルギーなどの新産業分野でもアジアを視野に入れた育成をはかるべきであり、農業などもそうした発展が可能だろう。東アジアは、30億もの人口をもっており、地域の内需潜在力は巨大である。
 自主と共同の理念をいっそう鮮明にして新たな段階に発展しようとしている「東アジア共同体」との連携を強化し、「アジアと共に」進む道こそ、日本経済の自立化を促し、日本そのものを自主的な国にする、もっとも正しく力強い道ではないだろうか。一つの節目に考えなければならないことは、このことだろう。


 
研究

日本の新しい国のあり方を考える

小西隆裕


 未曽有の経済危機が世界的範囲で深まる中、日本の新しい国のあり方が問われている。では、そのあり方は何か。前号の結論に基づき、今号ではこの問題について考えてみたい。

■求められる国の責任
 今日、日本政治の混迷は甚だしい。一年間に二度の政権放り出しがあり、新政権発足後半年も経たずに、今度は首相のすげ替えが公然と語られている。迷言、放言、無責任の首相のもとでは選挙を闘えないからだという。しかし、選挙が闘えないという理由で政権を替えるという発想自体も無責任の極みだと言えるのではないだろうか。
 国家危急の時、政治のこうした混迷の根底には、この「無責任」がある。政府も政党も政治家も、国の政治に責任を負っていない。
 この驚くほどの無責任には理由がある。米国から押しつけられた市場万能の新自由主義、「小さな政府」路線がそれだ。国民生活や経済に果たす国の役割が否定された。すべてを市場に委せろ、さすれば、すべてうまくいくというのだ。
 だが、今日、事態は一変した。昨年勃発した未曽有の経済恐慌は、新自由主義の誤りを満天下に露にした。それにともない、これまで新自由主義改革、構造改革を声高に叫んでいた人たちが、今度は国の責任を叫び始めている。「小さな政府か大きな政府かを問う時代は終わった。今は、責任ある政府の時代だ」と。
 厚顔無恥を絵に描いたような彼らの言辞を前に、問わねばならないのは、彼ら自身の「無責任」と同時に、「責任ある政府」のあり方の問題だ。

■責任ある国のあり方と日本の自主化
 「小さな政府」路線破綻の責任は何も負わないまま、彼らは、「責任ある政府」をつくる上でもっとも重要な問題についても何も言っていない。
 人間が責任をとる上でもっとも重要なことは、自分の頭で考え決心し、自分の力で行うことだ。他人の言いなりになり、他人任せの人間が「責任」について云々することはできない。これは国の場合も同様だ。戦後一貫して対米従属をやり、米国任せの政治をしてきた日本が国としての責任を果たすことができないのは当然だ。
 重要なのは、対米従属をやめて自分の頭で考えること、すなわち、日本を自主化することだ。国の路線と政策を自国の利益、自国の実情に即して自分で決め、自分で執行することができる国になってこそ、日本は責任ある国になることができる。
 国が責任を持つと言ったとき、それは何よりも、国民生活や国の経済、安全保障など、国民の利益に責任を持つということだ。この国民の利益のため、今焦眉の課題は経済危機からの脱却だ。誰もがそれを切実に求めている。
 一方、今日、日本でもっとも深刻な問題の一つになっているのは、人間にとって何よりも大切な尊厳と絆の崩壊が全社会的な範囲で進んでいることではないだろうか。
 替わりはいくらでもあると使い捨てられる派遣労働者の人間としての尊厳、市場原理の全面的な導入や自治体破綻法の制定など自治が奪われ制限される地方地域の尊厳、そして国の上の国である米国や市場への隷従を強いられる国家の尊厳など、あらゆる領域における尊厳の蹂躙が急速に進行している。また、集団否定、共同体否定の個人化と自己責任、地域経済・農業の破壊や市町村合併、市場原理の導入、そして成果主義・能力主義導入や雇用の非正規化、格差の拡大と社会の二極化、国と民族の否定と外国人労働者の導入、等々、家族や地域、職場、社会と国家など、全社会的な絆の破壊が広がっている。この尊厳と絆の崩壊が、人間と人間社会自体の崩壊をともないながら、そのあり方を根本から問う、どれほど深刻な問題になっているか計り知れない。
 山積する課題を国が責任を持って解決していく上で留意すべきことは、そもそもいかなる課題もその解決策は、その国独自のものになる以外にないということだ。実際、経済危機の克服一つとってみてもそうだ。
 今日、世界中が未曽有の経済危機からの脱却を模索している。米国では、市場重視とともに、国家重視による独占体中心の公的資金の投入や公共事業投資など、新自由主義とケインズ主義の折衷策がとられており、中国では、対米依存の外需主導から内需主導への経済の転換が図られている。アジア、中南米、ヨーロッパ、アフリカと、世界各国での危機克服への模索は、国の実情にそって様々であり、その正否は未だ不明である。
 そうした中、日本に合った危機克服の処方箋を誰かに期待するなどできるわけがない。オバマの米国にも、中国にも、ヨーロッパのどの国にも、絶対にできない。日本に合った日本のための処方箋は、唯一、自分で考え、自分で決めて実行する自主の道にあるだけだ。
 尊厳と絆の崩壊を克服する道はなおさらそうだ。何ものにも隷属しない自主独立にこそあらゆる尊厳の真髄があり、自分の所属する集団への深い愛にこそすべての絆の基礎がある。ここで決定的なのは国だ。日本が米国に従属することのない、われわれ日本国民皆の誇るべきわが愛する国となり、国民の利益にしっかりと責任を持てるようになったとき、失われた尊厳と絆が全社会的に回復され、実現される端緒が力強く切り開かれるようになるのではないだろうか。

■今日、日本が国際的責任を果たすために
 国の責任には、もう一つ、国際関係における責任がある。地球上に多くの国があり、相互に作用し依存し合う関係を成している中、国には国際的な要求に応える責任がある。
 実際、今日の世界にあって、日本の責任を問う声は高い。米国は、日本をアジアの「礎石」だと持ち上げ、日本が米アジア戦略で大きな役割、重い責任を果たしてくれることを要求している。
 これを受け、この期待に応えるところに日本の発展と繁栄を見るべきだと説く論者が圧倒的なように見える。米一極支配が終焉し、世界が多極化している今日、日本がその一方の極を担いながら、依然として第一人者の地位にある米国を支えていってこそ、将来、自主自立し、繁栄発展する力を蓄えることができるということらしい。
 国が国際的な要求に応え、自らの責任を果たす上で重要なことは、時代をどうとらえるかということだ。時代の要求に応え、その実現に貢献してこそ、国は国際的責任を果たすことができ、その中で自らの発展もはかっていくことができる。
 現時代をどうとらえるかと言ったとき、今日、大方の共通認識になっているのが、米一極支配の終焉だ。もちろん、この「終焉」が「終わりの始まり」であったり、文字通り「終わり」であったり、若干のニュアンスの違いはある。しかし、米国が国の上の国として世界に君臨し、自分の思うままに世界を左右した時代は終わったという点では誰もが一致しているのではないだろうか。
 問題は、「米一極時代」に代わる新しい時代をどうとらえるかだ。これについて、よく言われるのが世界の多極化、無極化と言われる認識だ。一頃言われた日米欧の「三極時代」という言葉は死語になった。今は、「G20」など多数の大国による世界支配の時代、「覇権多極化の時代」だという認識、あるいは、その多極も通り越して、世界の権力が無限に分散し、極があってなきがごとき時代、「無極時代」だなどという認識が幅を利かせてきているようだ。
 だが、こうした認識に決定的に欠落していることがある。それは、今日の多極化がアジアや中南米、ヨーロッパなど地域共同体を極として形成されていっているという認識だ。もちろん、覇権多極化論者たちの中にも地域共同体の存在を認めている人は少なくない。しかし、彼らに共通しているのは、その「共同体」が、アジアにおける日中、ヨーロッパにおける独仏英など、多かれ少なかれ、それぞれの「盟主」の地位をめぐる覇権抗争の場になっているという認識だ。
 ここで重要なことは、現実から出発することだ。現実の地域共同体はどうなっているのか。東アジア共同体形成の核になっているのは日本でも中国でもない。ASEAN(東南アジア諸国連合)だ。そこでは反覇権・主権尊重が掲げられている。中南米はどうか。カリブ海諸国まで加え2010年発足が合意されているこの地域の共同体の旗印は反米自主だ。主導しているのもベネズエラなど、むしろ小国だ。ヨーロッパでもEU形成の歴史は、米国による妨害との闘いの歴史だった。すなわち、米一極支配から抜け出る苦闘の中から生まれてきた共同体、それが今日、多極世界のそれぞれの極を成す地域共同体だと言うことだ。
 この多極化・自主化時代にあって、国際的要求は何か。それは、米一極支配などあらゆる覇権に反対する「反覇権」であり、それを各地域共同体が対立するのではなく協力して行う「共存」だと言えるのではないだろうか。
 問われているのは、この反覇権、共存の要求実現に責任を持てる国のあり方だ。それが自国の自主を守り、他国の自主を尊重する国の自主化であるのは明らかだ。古い覇権主義の考えから抜け出ることのないままに、米一極支配の世界にしがみつき、時代の趨勢に敵対する道を歩み続けるのか否か、今が正念場だと言えるだろう。


 
時評

雇用対策で感じること

秋山 康二朗


 足下の景気が一向に回復しない中、定額給付金で話題となった08年度補正2次予算が成立し、一部自治体によっては給付が始まったとの報道がなされ話題となった。景気回復を誘導するには規模が小さいからその実効性には疑問の声も多いが、貰えるものは有難く頂きたいというのも庶民の一部の声としてはあるようだ。この2次補正予算の中には高速道路料金の値下げや離職者への生活支援などの対策が含まれていたが特に生活支援の緊急性は誰でも納得できるものだと思う。緊急の景気対策ならば政局の道具とせず、昨年末に補正2次予算を通しておく方がよほど効果があるとの指摘は重く受け止めて頂きたいと思う。
 今回の政府の景気対策予算は約75兆円。09年度予算案には「雇用創出用給付金の1兆円の増額、雇用保険料の値下げ、住宅ローン減税」。09年度1次補正予算案では「公共事業の前倒し、医療・介護分野の人材育成、環境設備の普及」などが上げられている。また、3月19日には1、6兆円の追加経済対策「雇用調整助成金の拡充、労働者派遣制度の見直し、再就職支援能力開発、雇用創出、内定取り消し対策」等が出された。
 ここで注目したいのは、雇用確保に対する予算の重要性だ。この不況時をどうしのいで行くのかということでは、「ワークシェア」が注目されている。3月23日には政府、連合、日本経団連の会合が持たれて「日本型ワークシェア推進」で合意した。この日本型ワークシェアは「緊急避難型」といわれ、関連企業への出向、休業、職業教育訓練、助成金の活用などの内容で本格的な雇用形態の変革ではないが、予算化され企業の推進を後押しするという意味では一助となるに違いない。
 「ワークシェア」の有効性という意味では、以下のような試算が出されている。
 給与を1%カットした場合の消費支出への影響はマイナス0.2%。人員を1%カットした場合の消費支出への影響はマイナス0.6%。ここから見て取れるように、将来の雇用不安を要因とする消費の抑制マインドがマクロ経済に与える影響は大きいということだろう。政府が進める景気対策にとって意味ある数値ではないだろうか。
 また、現在進行している「ワークシェア」の結果が、完全失業率(季節調整値)にも表れている。
 09年1月の完全失業率は4.1%と先月を下回った。一方、休業者は前年比21万人増。短時間就業者は前年比31万人増となっている。この休業者及び短時間就労者が失業者になれば1%以上の完全失業率増となるという。
 中小企業では、家族経営的要素も一部あるとは思われるが過度な人員削減はせず雇用を優先してきた。小規模企業においては技術を持った従業員は「会社の宝」、「会社の財産」という意識が強い。景気が回復した時に必要な技術者をすぐ確保できる保証がどこにも無いのも一因だからだ。だからこそ皆で力を合わせ仕事をシェアして切り抜けようという意識が強い。一方、大企業では人員削減が当然のこととして実施されてきたが、企業防衛名目の過度な人員削減がもたらした副作用が日本社会に与えた影響が大きいという現実は重い。どちらが時代に合った対応かは誰の目にも明らかではないだろうか。
 ILOの発表によると日本の「失業給付金未受給者」は77%と先進国では最低だという。構造改革の下、製造業への労働者派遣の解禁など規制緩和と平行して実施されるべきセーフティネットのお粗末さがここに如実に表れている。
 3月23日、「日本型ワークシェア推進」政労使の会合終了後に日本経団連の御手洗会長の「政労使が経済危機の中で一丸となって雇用問題に取り組むメッセージで、国民の間に広がる雇用不安払拭につなげていきたい」という発言は正直なところ「あなたには言って欲しくないなあ」と思うのは私だけだろうか。
 内閣府が発表した「社会意識に関する世論調査」(複数回答)で日本が悪い方向に向かっていると思う分野で68.6%が「景気」、57,5%が「雇用・労働条件」を挙げている。また若い世代に対する別のアンケートでは、「終身雇用」を希望する割合が約4割近くにもなるという結果が出ている。将来象が描けない不安は未来に対する不安でもある。ここにどうして前向きな社会を築くエネルギーが出てこようか。そういう意味で今回の雇用政策は重要な意味を持ったものになるだろう。これから低成長が続く社会ならばなおさらのこと、この際「緊急避難型」の一時的な雇用対策にとどまらず、少子化対策等にも有効とされる「多様就業型」雇用への移行など本格的な雇用関係・社会関係の転換を視野に、百年に一度の経済危機をこの先百年有効な「希望ある日本社会」を創造する契 機として欲しいものだ。


 
集会

「文化・学術・市民交流を促進する日朝友好京都ネット」設立総会に参加して

E・A


 春にしては肌寒い3月25日、京都市下京区のキャンパスプラザ京都にて、「文化・学術・市民交流を促進する日朝友好京都ネット」設立の集いが150名の参加者をもって盛大に執り行われました。
 同ネットは、これまで京都の地で、個人や団体によって地道に担われてきた日朝友好親善のための民間交流、在日コリアンとの交流などの経験を踏まえ、戦後60数年間未だ国交も結べず敵対的な関係や感情に支配されている日朝間の壁を克服し、「文化・学術・市民」各分野での友好親善活動、在日コリアンとの交流促進を通じ、国交正常化の世論喚起をめざす幅広く緩やかなネットとして、昨年2月からその設立準備が進められてきたとのことです。
 18時半より始まった設立総会は、開会宣言に始まり、記念講演「東アジアの平和と朝鮮半島〜朝鮮民主主義人民共和国と日本市民との対話と交流促進をめざして〜」(仲尾宏・京都造形芸術大学客員教授)、設立経緯説明、設立趣旨文案・活動計画・規約案の発表、役員構成案の発表、役員挨拶、祝電紹介と続き、休憩を挟んで懇親会へ。懇親会では、朝鮮料理のバイキングも準備され、より賑わいを増した中、役員に選出された方々の挨拶、出席者の紹介などがあり、乾杯。途中、元官房長官であり京都の名士でもある野中広務氏も来られ多くの人たちからの挨拶を受けていました。京都朝鮮歌舞団による歌と踊りのショートプログラムがありましたが、皆公演そっちのけで談笑しており、芸術家の方々には気の毒な気がしました。朝鮮料理でお腹も脹らみ、まだまだ話が盛り上がっている中、21時の閉会時間もせまり閉会の挨拶、閉会宣言が行われ、大盛況のうちに設立総会は名残を残しながらの終了となりました。
 今後、広く会員を募りながら、当面、5月の大型訪朝団の派遣をはじめ各種の催しを行って行くとのことです。
 今回、設立総会に参加して感じたことは、第一に予想以上の人々の参加があったことです。やはり人々が時代を見ているのではないか?つまり、次の時代、日朝関係が冬から雪解けに向かう時代を感じ取っているのではないかと思いました。京都大学名誉教授の山本美彦氏も「何か大きな時代のうねり、新しい時代の到来」を確実に感じると挨拶の中で話されていましたが、私も会場にみなぎる熱気のようなものを肌に感じ、そうした思いを強くしました。
 確かに朝鮮の「人工衛星打ち上げ」をめぐり、日朝間の緊張は一層強まっているように見えますが、これも大きな流れから見たら一時的なもので、米朝は対話に進まざるを得ないし、日本もいずれは振り上げた拳をおろし国交正常化に向かわざるを得ないと思います。誰も戦争を望んでいないし、国交正常化の道があらゆる問題解決の唯一の道であるからです。そうした時代の息吹のようなものを、この設立総会は感じさせました。
 しかし、やはり朝鮮問題は、厳しいというのが第二に感じたことです。それは、会長に就任された水谷幸正氏(浄土宗教教資団理事長)が敢て強調されていたことですが、このネットは政治・経済関係なく、文化、学術、市民交流でやるということ。「民間交流は相互の誤解と偏見、先入観をときほぐす鍵」(仲尾宏氏)という積極的な意味もあると思いますが、政治や経済がからむと、嫌がらせや弾圧などの厳しい側面があるというのも現実です。時代の潮と厳しい現実、この二つの手綱をどう操り進んで行くのか。これからの「京都ネット」に大いに期待したいです。
 最後に、初めて野中広務氏の話を聞いたのですが、小柄なのに存在感があり、話も声を張りあがるでも難しい言葉を使うでもないのに、スケールが大きく明瞭で人をひきつけ、政治家の器というものを感じさせられました。戦後63年、戦争の傷跡を修復できない国がある、NPOを立ち上げ東アジアのみそぎ問題を解決する会を作ろうなど、自分が生きているうちになんとしても解決しなければという真情が滲みでている話、東アジアを「平和で安定した信頼できる地域」にするための大切な時期に発足した《京都ネット》はそれに道筋をつけるものだとその発足を意義づけ、朝鮮の「人工衛星打ち上げ」問題も、「脅威」という側面だけ強調されているが、9日から始まる最高人民会議を前に、国民に喜びと誇りを持たせるという意味合いもあるのだろうなどの話は、正直言って驚きました。こういう政治家もいるのだと。
 以上、一言で言って参加費5千円が決して高くない集いでした。


 
 

世界の動きから

 


■キューバとの関係強化の道を進むラテン・アメリカ諸国
 コスタリカとサルバドルがキューバとの関係を改善する中で、ラテン・アメリカとキューバの新しい関係が始まっている。ハバナとサンホセは、これまで、多くの点で政治的意見の違いを見せたが、最近、外交関係を再開することに合意した。コスタリカ大統領アリアスは3月18日、「今日の世界は、過去とは完全に違う」と述べて関係改善に意欲を示した。サンホセとハバナは1961年9月に関係を断絶したままだった。
 サルバドルで新しく大統領に就任したマウリシオ・プネスは、自国政府がキューバとの関係を回復することを望んでいると述べた。キューバ革命以後、半世紀を経て、多くのラテン・アメリカ諸国がワシントンから離れ、米国の反キューバ孤立策動に反対するようになった。
 2008年、ブラジルで行われたラテン・アメリカ及びカリブ海地域首脳者会議では、1962年から実施されている米国の対キューバ封鎖政策を終えることを要求する前例のない決定が発表された。これは、来る4月ニトリニダード・トバコで開かれる第5回アメリカ首脳者会議で討議される基本議題になる予定だ。ブラジルのルラ大統領は、多くのラテン・アメリカ諸国は米国の新大統領がキューバ制裁措置を解除もしくは緩和することを期待していると述べた。

(新華社)

■インドネシアと中国が戦略的同伴者関係強化を公約
 インドネシアの経済担当調整相スリムニャニが3月23日、世界的な景気後退と関連してインドネシアと中国が戦略的同盟者関係を強化することに合意したと語った。彼は、ジャカルタで行われた世界経済危機に対する東アジアの対応に関する討論会で基調報告をした後、記者会見で次のように語った。彼は最近中国を訪問し、多くの会談を行ったが、それは戦略的同伴者同盟関係を樹立するための解決すべき問題点を討議したものだと述べた。

(ロイター)

■イラン外務相 アフリカとの政治、経済関係拡大を呼びかけ
 3月24日、イラン外務相オタキがマリ外務相モクタル・オウガンとの会談で「イランは、アフリカ諸国と政治関係だけでなく経済関係でも関係を深める用意があると」発言。イランは、マリにダムと水力発電所を建設する経済支援を行うが、竣工式にはイラン大統領が参加する予定である。これは親善の情の表現だとしながら、モダキは、その他の科学技術分野での経験も伝えることを表明した。 彼はイスラム国家である二国は、農業、保健、投資分野でも互いに協力関係を発展させることができると述べ、マリ外相は、これを歓迎した。

(イタル・タス)


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