研究誌 「アジア新時代と日本」

第68号 2009/2/5



■ ■ 目 次 ■ ■

編集部より

主張 オバマ大統領就任に考える

研究 「オバマ現象」にみる時代の要求

企業は誰のものか

アフガニスタンで求められているもの

世界の動きから



 
 

編集部より

小川 淳


 日本の人口は06年の1億2千万をピークに減少期に入り、44年後の2053年には1億人を割るという。年平均64万人、毎年鳥取県ほどの人口が消えていくことになる。
 少子化と高齢化、人口減少が急速に進むのはどの先進国にも共通する課題なのだが、とりわけ日本が抱える問題が特殊なのは、都市と農村人口の偏在が著しいことである。
 国土省の調査によると、全国で高齢者65歳以上が半数を占める「限界集落」が7873集落もあるという。戦後の日本は一貫して都市へ集中と農村からの人口流出、疲弊の歴史を歩んできたが、このまま放置すれば、多くの集落が消滅することになる。地域、農村の再生は、これから日本が直面する大きな課題の一つだ。
 明るい話題がないわけではない。厚労省の人口移動調査によると、就職や進学で故郷を離れた人が再び地元に戻るUターン率が06年は過去最高だったという。中でも男性の40代後半〜50代後半がUターンの4割強を占め、中高年のふるさと回帰が目立つ。人間らしい生活を求めて農村へ向かう人々が確実に増えている。
 もう一つは、今年3月から始まる「集落支援員」制度だ。過疎に悩む全国の集落に専門の相談員を置き、集落の課題や要望を聞き取る。その上で対策案を作り、市町村と連携して実現を図る。その人件費や活動費は国からの交付税で賄われる仕組みだ。昭和45年の「過疎法」制定以来、道路や施設建設などに総額75兆円もの血税を注ぎながら国は過疎化を食い止めることができなかったことが、その背景にある。
 これまでの公共事業中心、つまり「モノによる支援」から「人による支援」への転換である。都会には自分の出番がなくて困っている若者が少なくない。そういう若者が生きがいを見出し、村人たちは活力をもらう。まさに一石二鳥だ。「人」が村を蘇らせ、「村」が国を蘇らせる、そういう先駆者へと、期待したい。


 
主張

オバマ大統領就任に考える

編集部


■期待は高いが
 オバマ新大統領が米国の44代大統領に就任した。就任式には200万人もの人が集まり期待の大きさをうかがわせた。その就任演説は、米国が未曾有の危機に直面していることを率直に認めながら、これまで幾多の試練のたびに、先人たちが建国の理念を高く掲げ、これに立ち向かったことを想起させながら、国民に共にこの危機を乗り越えていこうと訴えるもので、その真摯な語り口は好感のもてるものだった。
 破局的な経済危機の真っ只中で、「チェンジ」を掲げ、「Yes We Can」と、国民に呼びかけ支持を得たオバマ氏であるが、この就任演説では、そうした言葉が一つもなかった。それは、一朝一夕で解決できるようなものではない、この危機に立ち向かう大統領として、かえって信頼感を増すものだった。
 実際、今回の経済危機は、その規模と深度において、かつてなかったものだ。とりわけ、今回の危機では、それを乗り切る処方箋がない。1929年の「世界恐慌」ではケインズ主義的な「国家による有効需要の創出」がそれなりの効果を発揮した。しかし、天文学的な財政赤字を抱える今日の米国にあって大規模な財政出動は慎重を要す。ドルのたれ流しは、ドルの大暴落、ドル体制の崩壊という、より決定的な破滅をもたらしかねない。
 就任演説では、「政府が大きすぎるか小さすぎるかではなく、それが上手く働いているかどうかだ」「市場の力が善であるか悪であるかではない。(しかし)…注意深く監視していなければ、市場はコントロールを失ってしまう」として、新自由主義一辺倒からの転換を述べた。そして、「グリーン・ニューディール」と言われる政策によって新エネルギー分野での科学技術の発展や新産業育成と雇用の拡大を提示した。さらには貧困層に重くのしかかる医療、教育などの改善をあげた。しかし、これがどこまで可能なのかということについては専門家も疑問を呈している。

■ここが、一番の問題点だ
 国内の経済政策では、新自由主義一辺倒からの転換を示したオバマ氏も、こと対外関係、軍事関係においては、反省もなく転換もない。
 就任演説では、軍事外交政策について「公共の防衛に関しては、我々は安全か理想かという二者択一は間違いであると拒否する。我々の創立者は、法の支配と人の権利を保証するために憲章を起草し、その憲章は幾世代もの流血によって拡大されてきた。それらの理想はまだ世界を照らしている」と述べ、「アメリカは平和と尊厳のある未来を求める全ての国、男女、子供の友であり、もう一度リーダーシップを取る準備ができたことを知ってほしい」と結ぶ。
 すなわち、米国の建国理念は、世界の国々と人々が求めているものであり、米国は、それを世界に広げるために「再び指導力を発揮する」というのである。これでは、まるで「世界民主化再宣言」である。
 米国は、「世界の民主化」を掲げ、米国の建国理念こそ人類普遍の理想であるとしながら、各国の自主権を無視し自分たちの価値観を押し付け、新自由主義的な構造改革を強要し、米国の一極支配を追求してきた。そして、それを受け入れない国に対しては、「悪の枢軸」「テロ支援国家」と決め付け、圧力を加え、反テロ戦争を仕掛けてきた。ブッシュによる反テロ戦争でも、それが「法治と人権」をかざしての「民主化」のためとされたことは記憶に新しい。
 オバマ氏は、米国の理念を世界に広げ、「再び指導力を発揮する」ための、具体策として、「我々は、責任をもってイラクをイラク人の手に任せ、アフガニスタンでは苦労して手に入れた平和を創り出す。我々は飽くことなく核の脅威を減少させるために働き続け、地球温暖化の恐怖を押し返す」とする。これでは、反テロ戦争を続け、核を口実にしたイランや朝鮮との対決も続けるということになるのではないか。
 そして、ここでは、「我々は我々の生き方については謝罪しない」とまで言い切っている。それに続けて「お前達が我々より生きながらえることはない。我々がお前達を打ち滅ぼす」というくだりでは同席していたブッシュ前大統領が喜色満面で立ちあがり拍手する光景がみられたそうだ。
 オバマ新政権は、ブッシュ前政権の単独行動主義を国際協調にかえ、軍事力一辺倒をソフト・パワーも加えた「スマート・パワー外交」に変えると言っているが、それは手法を変えるというだけであって、決して、その一極支配を諦めたのではないということだ。事実、「スマート・パワー」という言葉を創案提唱したジョセフ・ナイ氏は、その目的を「米国の覇権を維持するためである」と明言している。
 たとえ自国の理念が正しいとしても、それを他国に押し付け、聞かないからと武力で押し付けようとすることなどあってはならないし、不可能だということは反テロ戦争の結果が如実に示している。その反省もなく、その失敗にもめげないかのように、「再び立ち上がって、リーダーシップを取る」などという、ここにオバマ政権の根本的な問題点がある。
 今日の事態は、武力による「民主化」も失敗し、経済覇権も崩壊し、米国覇権の時代は終わったことを示している。世界の国々は、この中で、自主の姿勢を強めながら、地域ごとに助け合う道に活路を見出し、多極化・自主化の方向に歩みを強めている。この動きに逆らって、あくまでも米一極支配を追求することにしがみつくのであれば、オバマ新政権の未来は暗いと言わざるをえない。

■警戒すべき対日政策
 米一極支配を追求するために「リーダーシップ」を取るという外交姿勢は、対日政策にも色濃く出ている。
 オバマ政権は、新しい駐日大使にジョセフ・ナイ氏を起用した。ナイ氏と言えば、クリントン政権で国防次官補を勤め、「安保再定義」を担当した人物である。「安保再定義」、それは、自衛隊が自国防衛から離れて米軍の傭兵として海外でも活動できるようにしたものである。そして、上でみたように彼は「スマート・パワー外交」の提唱者でもある。
 ナイ氏は、08年6月に「日米同盟はアジア太平洋地域での米国外交の礎石」というオバマ陣営の対日政策論文を朝日新聞に寄稿している。クリントン新国務長官も「アジア外交で基軸は日米同盟である」と言明している。すなわち、対朝鮮、対中国を含めた対アジア戦略において、軍事力も含めた日本の力を最大限利用するということである。
 このジョセフ・ナイ氏が昨年12月19日に来日し、民主党の幹部に会っている。これは、次の政権は民主党単独政権でというお墨付きを与えるものとなったようである。この会合を契機に、それまで民主党内「保守派」(前原、枝野、野田など)による自民党の一部を取り込む形での「政界再編」の動きと、それに呼応するかのような中川秀直元自民党幹事長の動きもぴたっと止んだという。
 ここで注意すべきなのが、民主党の小沢代表の持論である、「国連の下で動く部隊として国連待機軍のような形で部隊を組織すれば、憲法に抵触せず、外国での軍事行動もできる」という例の主張である。彼はこの持論から、アフガン戦争は、国連の承認もあるのだから、ISAF(アフガニスタン国際治安維持活動)にも参加すべきであると言って来た。
 「国際協調主義」「国連中心主義」「スマート・パワー外交」の名の下で、米一極支配のために、日本を戦場に本格的に引き出す動きが今後強まるだろう。
 すでに「安保再定義」と「在日米軍再編」によって、日米軍事は「一体化」した。作戦立案、指揮、通信や兵器操作上のコンピューター処理も米軍に従い言葉も米語という、まったく米軍の傭兵かのような「一体化」。残っているのは、戦場で実戦を共にすることだけである。すでに、ソマリア沖海賊対策のための自衛隊派遣では武器使用の制限はすべきでないという論議が起きている。
 「9条日本・平和日本」は重大な岐路に立たされている。何の理念も政策もなく、ただ米国に従うだけの日本として、米国のために傭兵を出し、カネも出し、環境技術も利用され、米国の利益のために服務して、最後まで米国と運命を共にするのか、それとも米一極支配の崩壊を前に、多極化・自主化を強めて自分たちで生きていこうとするアジアや世界の新しい流れの中に自らの新しい生き方を模索していくのか。オバマ新政権の登場という一つの節目に考えなければならないことは、このことだろう。


 
研究

「オバマ現象」にみる時代の要求

小西隆裕


■「オバマ現象」
 テレビの画像に映し出された米大統領就任式の模様は壮観だった。全米、そして世界各地から詰めかけた200万の大群衆が見守る中、一昔前には想像することさえできなかった黒人の大統領オバマの就任演説が坦々と進められていった。そこには、選挙期間中くり返された「CHANGE」も「Yes We Can」もなかった。かつてない未曽有の危機を訴え、責任と団結を呼びかけるオバマ大統領の静かで力強い声が、聞き入る人々の目を潤ませ、頬を濡らしていた。
 2年間にわたる米大統領選挙期間中、集会毎にオバマ氏の前に集まる数千、数万の大衆の熱狂、10ドル、20ドルとなけなしの財布をはたいて投じられた草の根献金十億ドルの山、そしてインターネットに記されたおびただしいアクセスの累積、等々、その一つ一つが、かつて類例を見ない一つの「現象」を形づくっていった。
 リンカーン、ルーズベルト、ケネディと、オバマ氏を指すとき、常に例えられるかつての名大統領は、皆、多かれ少なかれ、危機の時代の「救世主」だった。「救世主」。そうだ、オバマ大統領の登場とともにその姿を顕にしてきた一つの「現象」、それは、オバマ氏にかつてない危機からの脱出とまったく新しい時代の到来を託し、「救世主」のイメージを重ね合わせる「オバマ現象」とも呼べるものなのではないだろうか。

■「オバマ現象」は、なぜ起こったのか?
 かつて類例を見ない政治的現象、「オバマ現象」は、なぜ起こったのか。その時代的背景は?
 バラク・オバマ、ヒラリー・クリントンが史上初の黒人大統領か女性大統領かを競い民主党の大統領候補選びに登場したとき、その看板に掲げられたのは、「イラク撤退」だった。泥沼のイラク戦争、米国民の間に蔓延するやるかたない厭戦気分、ここに「撤退」のスローガンが掲げられ、「オバマ現象」形成の芽が育まれた時代的背景があった。
 もう一つは、人種差別と結びついた格差、貧困の拡大とアメリカの分断だ。今日、米国におけるミドルの崩壊と著しい社会の二極化、それにともなう格差の拡大と貧困層の広がりは、アメリカ社会の半数を占めるまでに膨れ上がった黒人やヒスパニック、イスラム、アジア系などに対する人種差別と一体に深刻なアメリカの分断を生み出している。この時代的背景こそが、黒人と白人の父母を持ち、フセインというイスラム名をミドルネームにしながら、人種のるつぼハワイで出生し、インドネシアで少年期を過ごした「多様性の体現者」であり、「リベラルな米国も、保守的な米国もない。あるのはアメリカ合衆国だ。黒人の米国も、白人の米国も、ラティーノの米国も、アジア系の米国もない。あるのはアメリカ合衆国なのだ」と説く「アメリカ統一の提唱者」であるオバマ氏を「救世主」に押し上げたのではないだろうか。
 「オバマ現象」の時代的背景はこれだけではない。より決定的なのは、1929年大恐慌以来と言われる世界的な大恐慌だ。それは一時期、共和党大統領候補、マケイン氏に差を縮められてきていたオバマ氏がこの9月、リーマンブラザーズの破綻に端を発する経済恐慌後、一気に差を広げ、11月4日の大統領選で圧倒的大勝を勝ち取ったところに現れている。恐慌に慌て、なす術を知らなかったマケイン氏に比べ、終始冷静に「グリーン・ニューディール」など、対策を次々と打ち出していったオバマ氏は、多くの人々の目に頼もしい「救世主」に映ったようだ。このかつてない未曽有の大恐慌に「オバマ現象」が生まれたもっとも有力な時代的背景があると言えるだろう。

■「救世主」に求められているのは何か?
 米国がイラク戦争の泥沼に陥り、社会分断の危機に苦しみながら、その上に未曽有の大恐慌に直面している危機の時代にあって、「救世主」オバマに求められているのは何か。
 それはまず、イラクからの撤退だ。予備選、本選を通じ、それを明確にしたオバマ氏が、曖昧にした諸候補に圧倒的な差をつけたのは、人々の要求がどこにあるかを端的に現している。
 人々は、また、格差の拡大と広範に広がる貧困の深まりに反対し、それが人種差別と結びついたアメリカ社会の分断に反対している。
 オバマ氏が大統領に立候補したとき「本当に黒人なのか?」の声が広がったという。エリート弁護士出身の上院議員、オバマ氏が本当に黒人の味方なのかということだ。これに対しオバマ氏は、選挙戦開始の地をリンカーンゆかりの地、スプリングフィールドに定め、また、民主党大会でキング牧師の理念を受け継ぎ、輝ける公民権運動の成果の上に自らが立つことを宣言した。
 一方、オバマ氏は、信仰や主義主張、貧富や人種、男女の差を超えて、「一つのアメリカ」を唱え、融和と団結を呼びかけた。それは、ハト派からタカ派まで、白人から黒人、ラテン系、アジア系まで、そして多数の女性を登用したかつてなく幅広いオバマ政権の構成にも具現された。
 その結果はどうだったか。黒人の96%に及ぶオバマ氏への投票、就任前の大統領として史上最高の80%を超える高支持率、そして何より、黒人大統領の登場に対する感激と興奮の渦、これらの事実は、人々の要求がどこにあるかを雄弁に物語っている。
 これだけでない。人々のさらに切実な当面の要求が未曽有の経済危機の克服にあるのは、すでに述べた。歯止めの効かない急速な経済の落ち込みと失業の急増は、この要求を最高度に高めている。
 その上で問題は、これらの要求に応えるためにはどうしなければならないかだ。「救世主」に求められているのは、まさにそのことだ。
 そこで重要なのは、これらの要求を生み出した根源が一つだということだ。イラク問題を引き起こした反テロ戦争路線も、格差と貧困の拡大、アメリカ社会の分断をかつてないものにした弱肉強食の新自由主義改革路線も、そして大恐慌の根因となった新自由主義経済とドル支配のもと対米輸出で世界経済を回転させる帝国循環経済も、すべて、その根元にはアメリカによる一極世界支配がある。すなわち、核とドル、軍事と経済による米一極支配、そのためのものとして、反テロ戦争路線、新自由主義改革路線があり、新自由主義経済、帝国循環経済があるということだ。
 このことは何を意味しているか。それは、オバマ氏が掲げ、圧倒的多数が支持した「CHANGE」が米一極支配自体のCHANGEにならなければならないということだ。世界を軍事と経済で一極支配し、民主主義を押しつけるのをやめ、「白も黒も、米国式民主主義もイスラム式民主主義もない」米国民と時代が要求する新しいアメリカの創造を計ること、まさにそれこそが「救世主」オバマに求められていることなのではないだろうか。

■「オバマ現象」の悪用は許されない
 今日、アメリカは、深刻な経済危機の深まりの中にありながらも、これまでになかった輝きを増しているように見える。「今、求められているのは、新たな責任の時代だ」というオバマ大統領の呼びかけに応え、無数の人々が立ち上がっている。
 「国のため、コミュニティのためなら、どんなことでもしたい」「もう分断はたくさんだ。よいアメリカづくりに貢献したい」、聞こえてくる米国民の声は、国境を越え、われわれの心を揺さぶるものだ。それは、忘れていた政治のもつ力を想起させてくれる。
 だが、この「オバマ現象」の中、推し進められる米国の政治に「CHANGE」の要求に合わないものがあるのをわれわれは見過ごしてはならない。それは、オバマ大統領の就任演説の中にあり、現実の政治の中にある。「アメリカは、平和と尊厳ある未来を求めるすべての国、男女、子どもの友であり、もう一度リーダーシップを取る準備ができたことを知ってほしい」という演説のくだり、アフガン戦争への米兵投入を倍増する事実、等々は、米国が崩壊した一極世界支配を建て直そうとしており、反テロ戦争をアフガンにしぼり、勝利させようとしていることを示している。
 オバマ氏の唱えた「CHANGE」は、米一極支配そのもののCHANGEではなく、そのやり方のCHANGEにすぎないようだ。すなわち、単独主義の反テロ戦争から国際協調、国連重視の反テロ戦争へ、新自由主義から「グリーン・ニューディール」などケインズ主義へということだ。
 これでは問題は解決されない。武力による「民主主義」の押しつけは、どのような方法を採ろうと、他国、他民族の反抗を免れ得ず、ケインズ主義はその破綻が歴史的に証明されたやり方だ。しかも、時代は多極化・自主化の時代に入っている。
 「オバマ現象」を利用しての米一極支配へのしがみつきは許されず、その歴史的失敗は早晩明らかになるに相違ない。


 
 

企業は誰のものか

秋山 康二朗


「非正規、失職12万4800人、1ヶ月で1、5倍。再就職1割止まり」「非正規社員使い捨て、怒り、やり場なく」 大手新聞に躍る暗い見出しだ。世界不況に伴う派遣労働者切り捨ての嵐は留まるところを知らない。すでに正規社員にもその影響が出ている。
 少し遡れば「企業収益過去最高」といった活字が踊っていた筈なのに。「現に大手16社内部留保33兆円」。「企業の内部留保230兆円」ともいわれている…なのに・・なぜ?
 新自由主義経済構造改革の下、製造現場への派遣労働が原則解禁されたのが99年、全面解禁されたのが00年。00年170兆円だった内部留保は07年度末には1、3倍の230兆円に増えている。大手個別企業で見れば、トヨタ約12兆円、ホンダ約4、5兆円、パナソニック約2、9兆円、キャノン約2、8兆円。トヨタ・ホンダはこの7年間で約2倍、キャノンに至っては約3倍になっているという。
 経済界の強い要請によって製造現場への労働者派遣解禁がなされ、派遣労働者の数は増加し、労働者の3分の1が非正規雇用になったとされる。そして今回の同時不況に見舞われた対応が「道具」と化した派遣労働者への容赦のない切り捨てだ。企業にしてみれば内心「我々には先見の明が有った、してやったり」だろう。
 しかし、考えて頂きたい。ここ数年企業の業績が好調の陰で国内の所得格差が増大し社会の不安定要因と社会問題化されてきていた。自動車業界に例えれば新車の販売台数が減少してきていた。その要因の1つに若者の車離れだ。車を買いたくても維持していくだけの収入がないことが大きいとして指摘されていたではないか。だからといって海外に活路を求め過ぎた結果が現在の状況ではあるまいか。
 年末の派遣労働者の惨状が報道され、より社会問題化された。企業だけの責任で無いことは明らかだ。国の無為無策の結果でもあるが、まだ十分体力があるにも関わらず容赦のない切り捨ては企業の存在意義と社会的責任に関わる問題として、批判されても仕方がないのではないだろうか。
 80年代日本企業のあり方が世界的に評価された。それは、終身雇用など社会安定に資するあり方も一因だったと思われる。90年代以降、新自由主義経済改革の下、米国からの構造改革要望書に見られる改革とグローバル化していく経済に対応する形で、日本型の雇用形態が変化させられ社会の階層化と不安定化が増幅されてきた。企業は従業員の事を考える以上に株主を意識した経営に比重が移されてきた。今回の不況に伴う派遣切りの時でさえ、今期の業績見通しから株主への配当を考えている企業が多くあった。
 手本となった本家米国では年20%ものリターンを実現するために過度なレバレッジを利かせた金融商品などによる弊害が指摘されている。米国式の経営は、株主への責任に比重が置かれ過ぎた結果でもある。今回の世界不況で明らかになったことは、詐欺的サブプライムローンに代表される米国型ビジネスモデルは破綻したということだ。当然、日本の企業はこのモデルに追従してきた結果として企業利益中心の経営があることを考えれば、今こそ日本の国・社会に合った企業の在り方を再構築する時ではないだろうか。
 欧州においては企業経営を考える時、社会的責任(地域社会の利益に資する)を意識した経営を評価する傾向が強くなっているという。当然、株主消費者がそのような経営を評価する結果でもあるので社会の成熟度は米国とは比較にならないものがあるということだ。
 今回の世界同時不況で日本式経営の見直しをする時であるといった声も出てきている。おおいに進めて頂きたい。その時に問われるのは、誰のための企業かということではないだろうか。表現を変えれば、どこを向いた経営をし、社会的責任を果たすかということだ。
 企業には従業員があり、地域社会の中で、国家的範囲で様々に連携をもって存在している。 一言で言えば、企業は社会的なものであり、社会の公器だということだ。すなわち、企業は、従業員、地域社会、国民のためのものである。
 企業がこのような立場に立ってこそ、従業員、地域社会、国民に信頼され、頼られ、愛され社会の財産と評されるようになり、企業自体も発展する。旧来の日本型企業は、自分の企業内従業員だけに目を向ける傾向が強かったが、企業は従業員、地域社会、国のためのものであるという立場に確固と立ち、地域社会、国民生活にも目を向けて社会的責任を果たす新しい日本型企業モデルを追求してほしいものである。


 
 

アフガニスタンで求められているもの

金子


 「アジア新時代と日本」64号に掲載された「ペシャワール会の講演会に参加して」の文章を読まれた、秋田で農業を営んでおられる坂本進一郎さんより、以下の添え書きと共に詩が送られてきました。もっと早くに頂いたのですが諸事情により遅ればせながら今号にて掲載させて頂く次第です。
 オバマ新政権においてもアフガニスタンへの反「テロ」攻勢が強調されており、アフガニスタンへの兵力増派、国際協力が叫ばれ、日本政府のそれへの同調が明確な中、アフガニスタンで真に求められていることは何であり、何がテロのない世界への道なのかを今一度考える契機にしていきたいと思います。

伊藤和也さん

<・・・あなたの報告文を読んで、思わずヘタな詩を作りました。不条理は許せない!というのが私の立場です。 妄言多謝 >

伊藤和也さん!
見も知らぬ人に、こう呼びかけることを許してください。

あなたが強盗団の凶弾に倒れた時、惜しい人を亡くしたと思いました。
あなたはアフガニスタンの荒地を、実り豊かな大地に変えたい、
そして、
貧しい、かの地のアフガニスタン人を、なんとか食べられるようにしてやりたい、
それがあなたの夢であり、希望だったのですね。
それは「隣人愛」なくしては、できないことです。
いまどき、こんな心美しい青年がいたかと思うと、ただ心打たれるばかりです。
菜の花畑で、菜の花片手に、ニッコリ微笑む少女の写真は、
あなたの夢(愛)が実現しつつある、象徴のように思えてきます。

あなたは2003年、家を出る時、「僕に何かあった時は、アフガニスタンに身を埋めてくれ」と言ったそうですね。
あなたの身と心は、すっかりアフガニスタン人とその大地に同化していたのですね。
国際情勢渦巻くアフガニスタンでは、多くの青年が夢や希望を失っているそうですね。
それは当然でしょう。
難民となって、土地もなく、家もなく、難民キャンプに収容されて、身も心も荒れ果てているでしょう。
そういう、身も心も荒れ果て、ただ金目当ての青年に、あなたは殺されたのですね。
なんとも痛ましいことです。

「ペシャワール会」というのは、何をしている所か、私にはわかりません。
だが荒地を緑の大地に変え、将来子供たちが食料に困らない大地に作るのがその夢だと聞いています。
伊藤さんは帰国後、アフガニスタンに戻る時、家族が「行ってらっしゃい」と言うと、「いや行くのではなく、帰るのだ」と言ったとのことですね。

米国への給油支援は、国際情勢をますます複雑にするだけです。
農業は、平和産業です。
私も一農民としてそう思います。
あなたは、菜の花畑の少女の写真に、アフガニスタンの暖かい未来を、夢見させてくれました。
否、私にはあなたが思い描いた夢は、少女の写真に二重写しになって見えます。

あなたは、「隣人愛」を残して、あの世に行きました。
あなたの家族はお葬式の時、拍手で送り出して欲しいと言ったそうです。
私も「拍手」で、あなたを送り出しましょう。
サヨウナラ、そして、ありがとう。

(坂本進一郎)


 
 

世界の動きから

 


■朝鮮が過去の敵対関係国との関係改善の意向表明
 朝鮮中央通信は、オバマ大統領の就任式当日の1月20日、朝鮮民主主義人民共和国が過去、敵対関係にあった国々と関係を改善する用意のあることを表明。
 「共和国は、過去、敵対関係にあった国々とも共和国の自主権を尊重し、敵視政策を放棄するならば、関係改善と正常化のために努力してきた」
 外国のオブザーバーによると、ピョンヤンはこの声明を通じて米国の新政権との対話の用意を示したものとみられる。先に共和国外務省は、ワシントンとの関係問題に関する2件の署名声明を発表、特に対朝鮮敵視政策の中止を米国に求め、米国からの「核脅威」が完全に解消されるときまで核兵器を放棄しないことを強調した。

(イタル・タス通信)

■南米への古い見解の放棄をオバマに
 ブラジル大統領ルラがオバマ米新大統領に、南米地域をテロ分子と麻薬密輸業者の活動舞台だと見る米国の古い見解の放棄を求めた。
 彼はオバマに期待を持っているかとの質問に「彼らはこの地域に存在する民主主義の力を見なければならない」と答えた。
 ブッシュ前大統領は、ベネズエラ大統領チャベスのような社会主義者と衝突を繰り返し、麻薬密輸業者とコロンビアの反乱者に対する戦争に数十億ドルをつぎ込んだ。
 ルラ大統領は、オバマが南米の国家指導者たちを国民によって合法的に選ばれた指導者として同等に対しなければならないと語った。

(ロイター)

■ヒラリーの「スマート外交」
・スマート・パワーの活用開始
 新国務長官ヒラリーは、米国が直面している現在の脅威は、オバマ政権が外交、経済、軍事、政治、文化など動員しうるすべての手段を総動員する「スマート・パワー」を発揮することを要求しているとしながら、米外交の新局面を開くために友人たちと団結するだけでなく、敵とも接触し従来の同盟を強固にしながら、新しい同盟を形成しなければならないと強調した。
 この概念の提唱者、ジョセフ・ナイ(編注:新駐日大使に任命)は、「ソフト・パワー」と「ハードパワー」を結合させて自分の外交目標を達成することが、「スマート・パワー」であると語った。これが出てきた背景は、ブッシュ政権の対外政策が米国を衰弱させたことであり、スマート・パワーは、米国の国際的印象を改善し、米国の覇権的地位を回復するものだと説明した。
 ジョセフ・ナイと元国務副長官アーミテージは、現在、ワシントンの戦略国際問題研究所で「スマート・パワー委員会」を共同で率いており、すでにその活用が始まっている。
・中国は米国と友人争奪戦をすべき
 北京大学国際関係学院のある教授は、中国にも自己の「スマート・パワー」がなければならないと認め「中国はヒラリーのスマート・パワー外交を鑑にすべきだ」と述べた。
 また別の教授は「中国が受ける最大の挑戦は、米新政権と中国と、どちらがより多く、よりりっぱな友人をつくるかの競争になるだろう」と述べた。

(新華社)

■「米国は寛大な国」?
 ライス前国務長官は「米国が絶対に帝国を追求せず、また将来も追求しない特別に強力な国であると思う」と述べた。
 また「包括的ですべての人々に真正なものとなる多人種的な民主主義に関する約束を守るために誠実に努力している国」だとしながら、最初のアフリカ系大統領となるバラク・オバマの就任は、そのようなプロセスを「新しい段階に」引き上げるものになるだろうと語った。

(UPI)


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