研究誌 「アジア新時代と日本」

第65号 2008/11/5



■ ■ 目 次 ■ ■

編集部より

主張 今問われる政策の大転換は何か?

研究 

新聞記事に思う

10・19反戦・反貧困・反差別共同行動 in 京都集会に参加して

世界の動きから



 
 

編集部より

小川淳


 日本が朝鮮の支配権を確立した「韓国併合(1910年)」から100年になるのをひかえ、「『韓国併合』100年市民ネットワーク」(仮称)の設立記念、「反省と和解のための集い」が25日、京都伏見にある龍谷大であり、私も参加してきました。これは京都にある大学教員らが5月頃から準備をすすめてきたもので、日本による朝鮮半島の植民地支配の検証を通して残された歴史問題の解決を目指すというものです。今後、10万人を目標にした署名集めのほか、政府や自治体、朝鮮人労働者を雇用した企業に植民地支配の実態調査を呼びかけ、被害が明らかになった場合、補償を求めていくそうです。
 「集い」には、日本の戦争犯罪を追及しているソウル大の金昌録さん、「従軍慰安婦」として連れ去られた釜山出身の李玉善(イ・オクソン)さんの話があり、最後に拉致被害者、蓮池薫さんの兄、蓮池透さんが「二つの国の狭間で翻弄され続ける家族」という題目で講演しました。日本人拉致被害者の家族と韓国拉致被害者である「従軍慰安婦」の方が同席するというのはおそらく初めてでメディアも注目していました。
 蓮池さんは、「この24年間、日本政府は拉致被害者に何もしてこなかった。同じように(慰安婦などの)過去の問題を先送りし、歴史の闇に葬り去ってきた。過去の清算をしなかったのは日本政府の怠慢でしかない。もう感情をぶつけるだけではだめで、どうしたら家族を取り戻せるか、理性を持って話し合う時期だ。政府は過去の清算をしてでも対話の糸口をつかんで欲しい」と訴えていました。
 「拉致問題の解決なくして国交正常化はない」、これが政府の立場ですが、「従軍慰安婦」など残されたままの歴史問題と日本人拉致問題はどちらが先かの問題ではないはず。元来、日本による植民地支配の清算(国交正常化)は「北朝鮮」の拉致があろうがなかろうが、日本政府がやるべき責務でした。それを棚に上げて、「拉致問題解決が先決」とした。相手がどうであろうとまず自分が「やるべきことをきちんとやる」、対話の糸口はそこからでしょうし、感情から理性へ転換すべきときにきているのではないでしょうか。


 
主張

今問われる政策の大転換は何か?

編集部


 米国発の金融危機が世界を震撼させ、新自由主義の破綻が誰の目にも明らかな現実となる中、米国の言いなりに新自由主義改革を進めてきた日本の政治はその転換が求められている。

■麻生所信表明演説の何が問題か
 米国発の金融危機が日本経済を直撃する中、登場した麻生首相の所信表明は、その政策として最初に、「全治3年」で日本経済を立て直すと言っている。それは、金融危機も3年もすれば落ち着くということであり、米一極支配が揺らぐことはなく、それは日本の政治の大前提だということだ。だから、対外関係で「日米同盟の強化。これが常に第一」なのである。
 それに基づく内政はどうか。「全治3年」で経済を立て直した後は「改革による成長を追い求める」として改革を継続することを明言している。「暮らしの安心」を掲げても、不安は悪いが不満は行動のバネになるから良いなどと言っている。彼にとっては「安心」も一連の不祥事で事件化されたような(ずさんな年金事務、医療事故、派遣業者のやりすぎ、食の安全など)不安をなくすということであり、厳罰を処して解決するとか「痛みを手当てする」程度ですますことのできるものなのだ。
 そして結局はバラマキ。2兆円規模の定額減税を現金やクーポン券で行うという鳴り物入りの政策が発表された日、街頭インタビューである人が「うれしいけど、国は大丈夫なんですか」と言っていた。見え透いた選挙のためのバラマキ、そこには転換など鼻からない。

■小沢代表質問は政策転換になっているか?
 民主党・小沢代表は、麻生首相の所信表明演説に対する代表質問を「所信表明演説」と位置づけて行ったが、それはどういうものか。
 対外関係では「国連中心主義」を打ち出して転換を印象付けた。しかし、その「国連中心主義」と「日米同盟基軸」と矛盾しないと言っている。小沢代表は、昨年、国連決議があればアフガニスタンでのISAFにも参加できるという論文を発表したが、それは国連のお墨付きがあれば米国のために派兵もするということである。しかも、米国も単独行動主義から国際協調路線にチェンジしているのであれば、これは転換を印象付けながら、その実いっそう対米追随を強化するものでしかないのではないだろうか。
 内政では、「国民の生活が第一」というスローガンを掲げ、「官僚の天下りと『税金のムダ使い』をなくし、税金を官僚から国民の手に取り戻す」として、「財政構造の転換」、「国民主導の政治への転換」をあげた。確かに「転換」を印象付けるがはたしてどうか。
 まず、財政構造の転換であるが、その内容は「一般会計と特別会計を合わせた国の総予算212兆円を全面的に組みかえる」として、「特別会計」をなくすということだ。この特別会計をなくすことは米国の要求であった。日本政府が巨大な国家資金をもっていれば操縦するにも難しいからであり、国の財政投融資に使う郵貯などのカネを市場に回すことによって自分たちも使えるようにしろということだ。官僚悪者論も邪魔な官僚機構を解体するため米国が持ち出してきた論理に他ならない。

■政策大転換、その基本理念は何か
 当編集部は前号で新自由主義改革路線からの転換のため、「小さな政府」から「責任ある政府」への転換を提唱した。その「責任ある政府」が行う政策大転換はどういうものでなければならないのか。それは、あくまで国民の要求の中に求められなければならない。今、国民の切実な要求は何か。そもそも、昨年の参院選挙で民主党が大勝したのは、「国民の生活が第一」を掲げ、疲弊する地方の票の掘り起こしに成功したからだ。新自由主義改革による二極化は国民生活の貧困と地方・地域の疲弊を生み出した。しかも、それは単なる貧困、疲弊ではない。貧困は経済的な貧困だけでなく関係性の貧困だと言われる。すなわち、人間を人間としてではなく、商品扱い部品扱いする貧困であり、モノとして使いすてる貧困である。今日各地で起きてきている反貧困の運動において、人間を人間として扱えと、労働者派遣法の抜本的改正がその第一の要求に掲げられ、人間の尊厳が最も切実に訴えられてきているのは、まさにそのためだと言える。
 地方・地域の疲弊も、そこには自治体の尊厳への蹂躙がある。地方・地域の格差が助長され、夕張市など、財政が行き詰った自治体には「破産」が宣告され、自治の剥奪が容赦なく強行されていく。参院選で誰の目にも明らかになった生活、地方への要求には、人間の尊厳、地方・地域の尊厳など、新自由主義によって踏みにじられた尊厳への要求が込められている。それは、米国の言いなりになってもはばからない「失われた国の尊厳」への切実な要求にも通じているだろう。
 「責任ある政府」が行う政治の基本である対米従属からの脱却と主権の確立、そして主権者である国民の決定権の向上もその根底に流れる理念は尊厳だ。
 米一極支配の下、対米従属、新自由主義によって踏みにじられたのは、一言でいって「尊厳」だ。人間の尊厳、地方の尊厳、国の尊厳を取り戻し実現するところにこそ、新自由主義改革路線を転換する「責任ある政府」の政治、政策の基本理念があるのではないだろうか。

■「責任ある政府」の政策大転換
 人間の尊厳、地方の尊厳、国の尊厳を尊重することをその基本理念に据えた転換において、何よりも重要なのは、対米従属からの脱却と日本とアジア、米国との関係を正三角形にすることである。
 あくまで「日米同盟基軸」の対米従属関係にしがみつくのか、それとも「日米亜正三角形」の真に自主的な関係の確立に踏み切るのか、これが政策大転換を行うか否かの試金石であり、あらゆる政策の基本だと言うことができる。
 米一極支配の破綻と崩壊が世界的な範囲で、あらゆる分野にわたって明らかになってきている今日、この時代の趨勢に沿い、アジアと共に、多極世界と共に、尊厳ある自主の道に踏みだすところにこそ、「責任ある政府」に問われる第一の政策、根本政策があるのではないだろうか。
 その上でどういう政策をやるのか。まず、真に「国民生活第一主義」でいくことだ。自民党も民主党も、「国民に温かい政府」とか「国民の生活が第一」などと言っているが、その具体的な政策となると、新自由主義改革の行き過ぎた弊害を「手当て」し「セーフティーネット」で救う程度のものだ。そして、20兆円だ30兆円だとカネをばら撒くようなことばかりしている。それは、選挙で人気を得るためのバラマキ競争にすぎないのは誰の目にも明らかだ。
 そうではなく、もっと根本的にトータルに国民生活に責任をもった政策が必要だし、そのためにも社会保障を充実させ、雇用政策を不安定労働をなくすものへ根本的に正す必要がある。そして、真に「国民生活第一主義」でやろうとすれば、こうした政策の立案執行に国民が主人として参画できるような仕組を作り国民の決定権を高めることが重要だ。そのためにも、地方・地域の主権の確立が問われている。地方・地域は国民が実際に生活するその現場だ。中でも現場中の現場である基礎的自治体に住民が直接参加し、自決できるようにすることがもっとも重要だ。
 そこでは、自治体、金融、企業、農業、商業網、大学、学校、医療機関などが一体になった取り組みが行われており、「地域内再投資力の形成」ということが言われ、これまでの一過性の公共投資ではなく、地域に投下された資金が地域内で循環し投資力を拡大するような地域循環型の経済が模索されている。そして、ここに介護や住民サービスも結びつけられている。こうした動きの中で見るべきことは、住民参加が基本になり地域住民の決定権が発揮される方向が生まれてきていることだ。「責任ある政府」は、こうした芽を育て、積極的に発揚していかねばならないだろう。
 次に外需依存から内需主導へ。輸出依存である。経済構造がこうであれば対米追随にならざるをえない。しかし、こうした構造は米国の経済危機によって潰え去りつつあり、外需依存から内需主導への転換は世界の趨勢になっている。
 内需主導のためにも、国民生活第一主義、地域再生で行かねばならない。社会保障を充実させ雇用を安定させて国民所得を増やし、地域経済を活性化することで内需を増やし、地方・地域の経済を持続可能な循環型経済に転換し、こうした関係をアジアや世界に広げていくことだ。
 こうやってこそ、新自由主義改革を転換し、人間の尊厳、地域の尊厳、国家の尊厳を立派に実現していくことができるのではないだろうか。


 
研究

東アジア経済共同体と共に、
今こそ日本経済の対米依存脱却の時

小西隆裕


 米国発金融恐慌が実体経済まで巻き込み、全世界に波及してきている。サブプライム問題に深く関わったEUはもちろん、比較的関わる度合いの浅かった日本や東アジアにおいても、その影響は深刻である。株価の暴落、消費や設備投資の低迷など、金融市場だけでなく、実体経済にまで危機の様相は濃厚に広がってきている。
 なぜ、こうした危機の「連動」が生じているのか。世界経済のこれまでのあり方そのものが根本から問われている今、日本経済のあり方を東アジア経済共同体との連関の中でとらえかえしてみてみたい。

■米金融恐慌と新興国の「連動」
 サブプライム問題に端を発する世界大不況への不安が広まる中、つい二、三ヶ月前まで、新興国の高成長が世界経済を引っ張ってくれるのではないかという「デカップリング(非連動)論」が言われていた。だが、金融恐慌が勃発した今、そのような甘い期待は完全に吹き飛ばされてしまった。
 米証券大手、リーマン・ブラザーズの倒産に始まる米金融機関の連続的な破綻は、ニューヨーク株式市場の大暴落を引き起こし、米政府による金融安定化法案、G7財務相・中央銀行総裁会議による銀行間取引への公的保証案、等々、異例の連続的救済策にもかかわらず、かつてない金融不安、経済危機を一気に全世界に押し広げた。
 そこにおいては、「非連動」が期待された新興国も例外ではない。それどころか、新興国が受けた打撃の大きさはより一層際だっている。インド、ロシア、中国が株価下落率上位に並んでおり、韓国やシンガポールなどの株式市場が軒並み暴落する中、インドネシアやタイは、下落幅が10%を超え、株式の取引停止にまで追い込まれた。

■米経済と東アジア経済共同体、「連動」の構造
 この経済危機の「連動」はなぜなのか。一般的に言われるのは、新興国の外需依存、とりわけ対米輸出依存だ。すなわち、米経済危機、対外輸入の停滞、それにともなう新興国の対米輸出停滞、景気後退という図式だ。
 実際、今日、貿易依存度の高まりは世界的趨勢になっている。名目GDPに占める輸出の割合は30%に及んでいる。だが一方、新興国の輸出に占める米国向け比率が10〜20%程度と決して大きくないのも事実である。しかし、そうした中、中国の対米貿易黒字が貿易黒字全体の62%(07年)を占めているのも事実だ。
 この一見矛盾した諸現象はどこで統一されているのか。そこで注目すべきは、今日の国際分業が垂直分業(南北間分業)でも水平分業(北北間分業)でもなくネットワーク分業(地域内分業)の形態をとってきているという事実だ。すなわち、米欧日の多国籍企業が複数の近隣新興工業諸国内に最適生産拠点を分散配置して、国境を越えた部品接合生産の連続した工程によって製品をつくる付加価値連鎖工程の地域内分業が形成されており、それにともなって、多国籍企業による企業内貿易が世界の貿易総量の3分の1を占め、同一産業内の関連多国籍企業間の産業内貿易が主要工業国の工業製品の3分の1を占めるようになっているということだ。ASEAN諸国と日本、中国、韓国からなる東アジア経済共同体には、こうしたネットワーク分業、地域内分業が、完成品を中国で組み立て米国に輸出するというかたちで、もっとも典型的に構築されている。米経済危機が対米輸出の停滞を生み出し、それが東アジア諸国全体の経済および域内貿易の停滞を生み出しているのは、まさにこのためである。
 しかし、今回の同時株安をこれだけで説明することはできない。より直接的な要因は、東アジア諸国株式市場、証券市場の過度な外資依存と各国通貨をドルと連動させるドルペッグ制にある。すなわち、海外からの投資に株式市場が頼りすぎていたところに、米国発金融恐慌が起こり、それが対米輸出依存の東アジア経済に及ぼす影響必至という観測が一気に広まったこと、また、恐慌によるドル安懸念とドルにペッグされた各国通貨暴落への不安がこれまた一気に深まったこと、これにより欧米金融機関のアジア金融資産売りと現金の本国持ち帰りが雪崩をうち、東アジア諸国株式市場の大暴落が引き起こされたということだ。

■東アジア経済共同体に見られる一連の動き
 米国発金融恐慌がもたらした教訓は深刻だ。だが、こうした教訓は今回が初めてではない。1997年のアジア通貨危機は、今回に類似する教訓を残してくれていたし、昨夏来のサブプライム問題と米景気減速、それにともなう中国をはじめ東アジア経済の失速は、それへの対処のあり方を問うてきていた。
 では、経験と教訓はどう活かされてきたのか。二国間通貨スワップ(交換)のネットワークをつくって結果的にはアジア通貨基金と似たような目的を達する「チェンマイ・イニシアティブ」の創設(00年)はその一つだろう。07年現在、790億ドル体制に成長したこのネットワークが今回のアジア諸国通貨の暴落を買い支えたのは想像に難くない。また、「アジア債券市場育成イニシアティブ」の発足(03年)は、ヘッジファンドのような短期外資に頼らないようにするため、アジア債券市場の創設をめざしたものだった。
 一方、対米輸出の停滞で、これまでの「外資と豊富で安価な労働力を結びつけて安い製品をつくり、大量に輸出する」成長戦略が限界にぶつかる中、今、中国では外需主導から内需主導に産業構造の転換がはかられている。事業構造や経営の高度化、そして国際競争力のある製品の開発が急がれる中、「調和社会」の実現が目標に掲げられ、格差是正に力点が置かれている。また、新たな経済発展区と位置付けられた東北部の総合的な振興策など、中国各地で日本をはじめ周辺アジア諸国との経済協力が積極的に追求される一方、独占禁止法や労働契約法など経済関連の法整備が急速に進められ、外資に対する規制の強化と税制面での優遇措置の段階的解消などが推進されていっている。

■金融恐慌の中、問われる対米依存からの脱却
 今回の金融恐慌の深まりの中で、米国では、金融再編、産業再編が進み、経済政策の新ケインズ主義への転換などが模索されている。
 だが、より本質的な転換は、東アジア共同体など多極世界の側に起こっている変化なのではないだろうか。問われているのは、米国の支配のもとに構築された対米依存の世界経済のあり方そのものに他ならないと思う。
 今日、日本の名目総需要(内需+輸出)に占める輸出の割合は、00年の10%から、07年の15%へと大幅に増加した。そうした中、輸出に占める米国向けの比率は低下し、07年の対米輸出金額は前年比0・2%減だった。だが、その一方、日本の中国向け輸出は同19・0%増であり、中国からの対米輸出は、同14・4%増である。これは、米国がくしゃみをすれば日本が風邪をひくという対米依存の経済のあり方がますます甚だしいものになってきているのを示唆している。
 米国発金融恐慌によって7000円を切るという28年ぶりの最安値をつけた日本株式市場の乱高下は、日本経済の対米輸出依存の端的な象徴である。それは、また、外資にその3割以上を買い占められた日本株式市場自体の象徴であり、ドル安に規定されて円が高騰する為替市場、それにより景気が大きく左右される日本経済の象徴でもあるだろう。
 今回の金融恐慌は、日本経済の極度に深まった対米依存からの脱却を勧告している。米国という超大国に世界が依存して経済を動かす時代は終わったということだ。そもそも、米国自体がこれまでのようにやって行けなくなっている。サブプライム問題や膨らみ続ける双子の赤字の累積などは、新自由主義経済それ自体の破綻の現れだ。そして、それに代わる新しい経済路線は示されていない。新たなニューディール政策など、ケインズ主義の焼き直しが取り沙汰されているが、経済規模の拡大など、80年前とは著しく変わった今日の経済状況にあって、その成功の保証はどこにもない。
 今問われていることは、米国の新政権の新たな政策に期待を寄せることではない。世界各国が自国の新しい経済のあり方、米国に依存しない新しいあり方を主体的に模索し、追求することこそが求められている。その場合、日本にとって、対米依存からの脱却がともに問われている東アジア経済共同体との関係がきわめて重要だ。
 今のアジアは、かつてのアジアとは違う。百数十年前、脱亜入欧に走った日本が、今日、アジアに学び、アジアとともに新しい経済を創造していく時が来ているのではないだろうか。


 
 

新聞記事に思う

秋山 康二郎


 中国製の冷凍インゲンから高濃度の殺虫剤が検出されたり、冷凍餃子への農薬混入、メラミン入りの粉ミルク事件など発覚。気がつけば身の周りは中国製があふれている昨今、「中国製」を使わず生活出来ますか?という大手新聞の特集記事があった。独身女性記者が一日の生活を通して自分の生活の中に入り込んだ中国製品の状況を書いたものだ。結論から言えば「中国製品なしの生活は不可能だ」となる。
 朝はシリアル食品のお世話になる。シリアルは小麦、大麦、トウモロコシなどを主原料としている。蜂蜜、黒大豆、ビタミンとして添加しているナイアシンが中国製。そして。野菜ジュースは原料の野菜20種、果物の原産国はアメリカ、オーストラリア、チリ、ポーランドなど中国産はなし。昼も夜もほとんど外食のため会社の地下の食堂で調べると、山菜そばの山菜は中国産。そばは国産のそばは全国で使用されている23%に過ぎず、8割が中国産だ。中華料理店ではウズラの卵、キクラゲ、ザーサイ、タケノコなどの缶詰め類が中国産。料理長は全体の2割程度が中国産だと言う。
 「輸入食品の真実!」を書いた食料問題研究家の小倉正行氏。「国産。出来れば地産地消が理想」と言う。「中国は農薬の管理がずさん。闇流通している。経済格差が拡大して農村地域が疲弊し、農民は高く売るために何でもするという構造がある。だから安易に農薬を使う」。
 例えばショウガ、分解しにくく人体に蓄積しやすい有機塩素系農薬BHCの使用を日本は禁止しているが、中国では収穫後に虫よけとして噴霧していたという。小倉氏によれば国内で流通しているショウガの49%が輸入でほとんどが中国産だそうだ。彼によると「立ち食いそばはだめ。すし屋に行ってもガリと貝類はだめ。ウナギも、カップラーメンなどに入っている乾燥野菜も全部だめ」となる。自己防衛のためには外食せず、加工食品を食べず、自炊するのが一番だ。となるのだが、国産ものは割高だし中国製品を排除した生活もまた困難。また、国産と表示されていても本当に信用できるかという問題も昨今の偽装表示事件などからある。
 中国製は食料品だけではない。衣類、運動靴、電気製品等々。廉価なものは大方中国製。日本製は割高だ。中国は日本の最大輸入相手国。2006年中国からの輸入は13兆7840億。日本の全輸入の2割を占めた。その内の1兆2232億が農水産品だ。日本の食料自給率は40%。以下は農水省調べの重量ベースの日本の食料自給率で、1965年度と2006年度の比較だ。
 米・95%―94%。イモ・100%―80%。卵・100%―95%。豆・25%―7%。野菜・100%―79%。果実・90%―38%。肉・90%―56%。牛乳・乳製品・86%―67%。魚介類・100%―52%。油脂・31%−13%。
 中国製品に毎日多分にお世話になっている小生には少々きつい記事に思えるが、一般の感覚からすれば「中国食品はあぶない」となるのだろう。最近の輸入食品の生産管理体制は以前に比べてかなり向上しているのも現実としてあるのであって、問題のあった一部のことを捉えてその本旨ではない危険性を強調しすぎるのは全体の評価を誤らせることになるように思える。
 米国の食料自給率は正確ではないかもしれないが約130%だと記憶している。世界有数の食料輸出国のお得意さんとして育てられた日本の矛盾が食料自給率40%という先進国の中でも特に低い自給率として現れている。
 有るようで無い日本の農政もまたこの延長線上のものでしかないことを再度認識し改める必要があるのだろう。食料の自給率向上は難しいとよく言われるが、昨今の気象変動や世界情勢の変化を吸収できるような農地の保全維持の施策など最低限のことは国の責任として実行してもらいたいものだ。


 
 

10・19反戦・反貧困・反差別共同行動 in 京都集会に参加して

魚本民子


 澄み渡った快晴の日曜日、「'08このままでええの?!日本と世界」というサブタイトルをもつ集会が京都の円山野外音楽堂で開催されました。昨年の10・23行動に次いで2年目です。
 東京から「9条改憲阻止」の旗を掲げた人たちや、各地から「反戦老人クラブ」や「死ぬな!諦めるな!闘おう!」、「言論無罪!」など各自さまざまな旗を掲げて総勢850名もの多くの仲間たちがここ円山公園に集まりました。また、会場には重信さんのデザインによる「さわさわ」の旗が掲げられたり、京都造形大学の教授と生徒による11メートルに及ぶ「世界を観る目」をイメージした背景画が紹介、披露されました。
 集会の初めに、趙博さんのフォークのライブが行われ、「老人革命」の歌が一番盛り上がっていました。それも参加者の多くは中高年のおじさん、おばさんたちで、老人パワーを思う存分発揮させていました。もちろん、若い人たちも音楽に合わせたダンスなどで盛り上がっていましたが。
 次にメインの佐高信さんの講演、「このままでええの?!日本と世界」のテーマで小泉改革によってダメになった日本をいつもの鋭い口調で斬って、会場を沸かせていました。
 「小泉や竹中平蔵を新自由主義だと呼んでいますが、それは褒めすぎです」???「資本主義の憲法である独占禁止法を蔑ろにして、強い者も弱い者も一緒にして競争させるのは旧自由主義です」なるほど納得です。「国が『自己責任』を口にする時は、自己の責任転化、国民の責任としてすべて国民に押し付けるんですよ。それが小泉の改革・民営化だったんです」と、ことごとく今日の自民党政府を斬った後、新しい日本社会の創造に向けて、@アメリカときっちりと距離を取れる政権に、A憲法を擁護する政党を野党に入れて、B運動は違いを超えて集まることが大切と訴え、「足並みの合わぬ人を咎めるな。もっとリズムのいい太鼓の音に合わせているのでは」と締めくくり、会場から大きな拍手を受けていました。
 集会も中盤、八坂神社から聞こえてくるホラ貝や小太鼓、鐘の音とともに、トンビやカラス、すずめたちがさえずっているこの音楽堂で、タイと日本、半々で活動している豊田勇造さんのロックの生ライブがおこなわれました。その妙に現代と過去、洋と和が絡み合った異空間が、まさに京都の風情と一つに溶け合っていました。
 そして、日本各地で闘っている人々からの現場報告・連帯の挨拶がありました。
 在日無年金障害者訴訟団の金さん、DPI(障害者インターナショナル)日本会議の楠さん、ユニオンネットワークの田村さん、ウトロ町内会の厳さん、辺野古への新基地に反対し、普天間基地の撤去を求める京都行動の館山さん。闘っている皆さんの目は輝き、生き生きとされて、会場からも惜しみない声援の拍手が送られていました。
 最後に集会宣言が読み上げられ、デモ行進に出発しました。行楽に京都を訪れていた多くの観光客の人たちも、おじさん、おばさんたちののどかなデモ行進に目をやっていました。が、一人警察・機動隊員たちは張り詰めた面持ちでしきりとデモ隊を規制していました。ご苦労なことです。
 この日、集会に参加して、何よりも嬉しく感じたことは、多くの会場の仲間たちと反戦・反貧困・反差別の思いを共有できたことであり、年に一度ではあっても、京都の人々にこのように反戦・反差別・反貧困を訴える人たちがいることをアピールできたことです。これは京都で働く人間としては貴重な収穫だと思っています。
 自分の主義主張を行動に移すことは簡単ではありませんが、それを実践したときの達成感は何にも変えがたいものがあるように思います。この日の貴重な「反戦・反貧困・反差別」の体験を、これからの日々の生活で少しずつ行動に移していけたらと思っています。


 
 

世界の動きから

 


■グリーンスパン主犯説
Q:最近、米有力新聞「ニューヨーク・タイムズ」が金融危機の主犯を指摘したことが話題になっているが・・・
A:「グリーンスパンの遺産についての否定的視点」という記事で米連邦準備制度理事会の前議長、グリーンスパンを主犯の一人にあげたことだ。
Q:グリーンスパンといえば、1990年代中葉から2000年代初めまでは米経済を繁栄に導いた人物として賞賛を受けたのに、一転して金融危機を招いた主犯との非難を受けたのは驚きだ。主犯との理由は何なのか?
A:同紙は現金融危機の根本要因が金融派生商品(デリバティブ)にあるとしながら、グリーンスパンが任期中に金融派生商品が危険だとの警告を無視し、これに対する規制に反対したからだとその理由を明らかにしている。
Q:ではその金融商品とはそもそも何なのか?
A:われわれは株式や預金、債権、そして外貨を基礎金融商品と呼んでいる。金融派生商品とはすなわちこのような基礎金融商品の価格や金利、交換率などが将来、どれくらいの値になるのかを予想し、その値の動きを商品化したものだ。
 ところで実際上は、現在、米国では数え切れないほどの金融派生商品があり、また収益をあげる過程もあまりに複雑すぎて金融専門家さえこの金融派生商品市場についてはすべてを把握するのが難しいというのが実態だ。
Q:金融派生商品がどれくらい危険なのか?
A:ウォール街の伝説的投資家、ジョージ・ソロスでさえ、金融派生商品がどのように運用されているのかわからないから、これには投資はしないとしている。また最近、ウォール街の救世主のように言われるウォーレン・ピボットも、金融派生商品を大きな危険の伴う金融分野の「大量破壊兵器」だと語っている。
 問題はこのように危険が指摘される金融商品が今まで金融当局から何の規制も受けず、誰もこの商品の規模やそれが与える被害の大きさを把握できなかった点だ。
Q:ではグリーンスパンはこれにどう関係しているのか?
A:グリーンスパンが1987年に議長に就任した当時、金融派生商品規模は大きくなかったが、同紙によればグリーンスパン任期中に彼の庇護下で金融派生商品市場の規模が急速に拡大、2002年には106兆ドル、そして今年には531兆ドルにまで達したとされている。
 同紙は、グリーンスパンが任期中にその危険性を認識し円滑に規制をしていたら、今日のような危機は避けられただろうと主張している。
Q:経済専門家である彼がなぜ規制もしなかったのか?
A:グリーンスパンに大きな影響を与えた人物は小説家アイン・ランドだと言われるが、アイン・ランドは「知覚がある個人に対する国家権力の介入は悪である」とする人物だ。このような人物を尊敬するグリーンスパンは、経済政策策定において、金融市場に関与する人間すべてが責任感を持って行動するものと信じたのだ。
 米中央証券監督委員会のアウラー前委員長は、グリーンスパンが政府を根本的に蔑視する人物であるがゆえに、金融派生商品に対する規制自体に反対したのだとしている。

(VOA)

■米国で政府の公的資金投入反対、五千人デモ
 米政府が大規模銀行への公的資金2,500億ドル(約25兆円)投入を決定したことに国民の間に強い不満の声が上がっている。10月16日には、ニューヨーク、ウォール街の証券取引所近くでデモがあり、参加者は「税金を利用して億万長者を救うのか」と怒りを表した。
 デモは環境・消費者問題活動家、ラルフ・ネイダーの呼びかけたもの。「ウォール街の犯罪者を刑務所に!」「社会主義が資本主義を救済する」などのスローガンが掲げられ、ネイダーが「カジノ経済が失敗した代価を一般国民が支払うようになった」とブッシュ政権を批判するやデモ参加者からは拍手喝采が起きた。

(毎日新聞)


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