研究誌 「アジア新時代と日本」

第62号 2008/8/5



■ ■ 目 次 ■ ■

編集部より

情勢 朝関係改善への動きは何を意味するか

研究 韓国・李明博政権反対運動の本質を考える

看護・介護現場での外国人労働者受入れ

竹島問題 災いを福に変える」大胆な発想の転換を

世界の動きから



 
 

編集部より

小川淳


 「市場に任せれば資源が最適配分される」―これが新自由主義経済の根底をなす考え方の最も重要な部分である。80年以降、アメリカが行った新自由主義経済改革も、それを模倣した日本の「構造改革路線」も、その根底にはこの新自由主義の考え方が横たわっている。
 今、問うべきことは、この構造改革路線が何をもたらしたのか、日本社会に「資源の最適配分」が実現されたのか、そのきっちりした総括が求められているのではなかろうか。
 新自由主義経済改革以降と以前を分ける最も端的な現象は、「マネー資本主義」の横行ではなかろうか。本来、マネー経済は企業活動に資金を提供したり、貿易を円滑にするなど実物経済を補完するもので、実物経済が大きくなるとマネー経済も規模が大きくなるという相互関係にあった。
 ところが80年以降、マネー経済だけが突出し始め、実物経済とは関係なく利潤が利潤を生む経済「マネー資本主義」へと変わった。
 いまやマネー資本主義は、原油や穀物市場に投機マネーを流入させ、原油高や穀物の高騰を招いており、漁民や農民の怒りや出口のない苦闘が続いている。社会の底辺では年収200万に満たない非正規雇用労働者が増え、「貧困と格差」が広がっている。10年連続で自殺者も3万人を超えた。死者だけで見るなら阪神大震災規模の地震が年に5回起きるに等しい。
 サブプライムローン問題は、新自由主義経済が何をもたらすのかを象徴する事件となった。この惨憺たる日本社会の現実こそ、「資源の最適配分」がなされていない、なによりの証拠だ。
 政治の新保守主義路線は安倍政権とともに頓挫したが、新自由主義経済路線が転換される兆しはまだない。新自由主義経済に代わる「もう一つの経済」を、いかに構想していくのか。今日本が直面する最も重要な課題のひとつがここにある。


 
情勢

米朝関係改善への動きは何を意味するか

編集部


 去る6月26日、朝鮮は、核問題をめぐる6カ国協議の議長国、中国へ核計画の申告書を提出した。これを受け、米政府は朝鮮へのテロ支援国家指定の解除を議会に通告し、対敵国通商法適用のとりやめを決めた。申告の正確さが検証されれば、テロ支援国指定の解除が8月11日にも発効することになる。これは、このところ様々な紆余曲折を経ながらも進展してきた米朝関係改善の動きで一つの画期をなす事柄だと言えるだろう。
 この米朝関係改善をめぐって議論が百出している。曰く「時機尚早」、「北朝鮮の手玉にとられている」、曰く「一歩前進」等々。
 関係改善への動きをどう評価し、それにどう対処すべきか、日本の政治にとって少なからぬ意味を持つこの問題について考察してみたい。

■テロ支援国家指定解除と敵視政策の転換
 アメリカの朝鮮に対する「指定解除」の報を受けて、高村外相は、「取るものだけ取って、逃げることは許されない」「アメリカを甘く見てはならない」と語った。
 この見解の裏にあるのは、「指定解除」をもっぱら朝鮮に対する経済制裁の解除と見、朝鮮のねらいも、そうした経済的目的にあるという見方だ。これは、今日、日本において一般的なものになっている。
 だが、当の朝鮮側は、「指定解除」自体は二の次だと言っている。問題はアメリカが朝鮮敵視政策をやめることであり、「指定解除」はその一表現に過ぎないということだ。これを単なる朝鮮の強がりと見るか、そこに彼らの本心を見るのかは、日本にとって重要な意味を持っているだろう。
 一方、高村外相の発言とも関連しているが、今回の「指定解除」を、任期満了を間近にひかえ、有終の美を飾ろうとするブッシュ大統領の焦りの所産だと見る見方もある。外相の発言は、そのようなアメリカの足下を見るやり方をやっていると痛い目にあいますよと言うことだ。
 朝鮮側がそうした事情を考慮に入れているのは十分に有り得ることだ。だが、今回の事態発展をもっぱらその辺からとらえるのが正しいかどうかは、大いに考慮の余地があるだろう。

■悪化の一途をたどってきた米朝関係
 これまでの米朝関係は、第二次大戦後の朝鮮半島南北分断と朝鮮戦争の延長上にあった。苛烈な3年間の戦争の後、1953年、米朝間に結ばれた停戦協定は、今だ「停戦」のままで平和協定に変えられていない。
 この長期にわたる敵対的な米朝関係が、若干の曲折を経ながらも、概ねさらなる悪化の一途をたどってきたのがこの十数年だった。
 1990年、それまで敵対関係にあった南北関係、日朝関係は大きな前進を見せた。当時、「自由往来」「全面開放」を呼びかけていた朝鮮側に対し、韓国側が「民族大交流」で応えて来た。それに基づき汎民族大会が開かれるなど、統一気運は大きく高揚した。日朝関係でも、金丸訪朝など、国交正常化への特筆すべき動きがあった。
 これに水を差したのが、1991年、湾岸戦争と連動する「チームスピリット91」大軍事演習であり、「核疑惑」攻撃だった。朝鮮は、「疑惑」に応えIAEAの査察を受け入れた。だが、軍事演習は、縮小されるどころか、年々拡大され、先制攻撃をねらう予備戦争の様相を呈したし、「核疑惑」攻撃は、軍事施設に対する特別視察をIAEA決定するまでに至った。この国の安全と自主権を脅かす事態の発展に対し朝鮮は、1993年、準戦時状態を宣布するとともに、核拡散防止条約(NPT)からの脱退を宣言した。
 以後、米朝関係は、94年のカーター元大統領の訪朝、00年のオルブライト国務長官の訪朝など、一時的に改善への動きを見せながらも、その頓座とさらなる悪化の道をたどるようになった。そして、01年の同時多発テロ。ブッシュは、朝鮮、イラク、イランを「悪の枢軸」と名指しし、核先制攻撃を宣言するに及んだ。ことここに至って、米朝関係は最悪の事態に突入したと言える。

■なぜ今、関係改善なのか。その要因は?
 最悪の事態に陥った米朝関係は、今日、大きく転換の様相を呈してきている。この関係改善への動きを、ブッシュ大統領の個人的な動機から説明するのは、余りにも荒唐無稽だ。また、これをアメリカ外交の国際協調主義への転換一般から見ようとするのも一面的に過ぎるだろう。
 そこで、この十数年来の米朝関係悪化の過程で、幾度かあった関係改善の局面に注目してみよう。先にも見たカーター元大統領、オルブライト国務長官の訪朝、そして、今回の事態だ。これらに共通するのは、その前年、もしくは前々年に朝鮮による何らかの強硬策があったことだ。93年の準戦時状態の宣布と核拡散防止条約からの脱退、98年、人工衛星の打ち上げ、そして06年の弾道ミサイルの連射と核実験の実施だ。
 これをもって、「瀬戸際外交」など、朝鮮のしたたかな外交術と見る見方もあるようだが、それはいささか表面的に過ぎるのではないだろうか。と言うのは、こうした見方が、これら強硬策の背後にあるアメリカの強圧に決して屈服しない意思とそれを裏付ける力の存在を見ていないように思えるからだ。ここで言う「力」とは、単純な兵器力などではない。それは、帝国主義の支配に反対する軍民の団結力など、政治、思想、軍事、経済的な総合力のことだ。こうした意思と力こそが、朝鮮をアメリカの帝国支配に逆らう「ならず者国家」として敵視する政策を転換させ、米朝関係改善への動きをつくり出してきたのだという見方が重要なのではないだろうか。
 だが、その上で考慮されるべきは、これまでの関係改善が皆一時的なものに終わり、アメリカによる朝鮮敵視政策がぶり返されてきたという事実だ。今回の事態発展も、また同じ結果を繰り返すだけなのか。
 ここで注目すべきは、これまでと今回との事態発展の背景が著しく異なっていることだ。前二回の場合、金日成主席の逝去という朝鮮にとっての最大の不幸があったこと、また、クリントン政権の国際協調主義からブッシュ政権の単独行動主義への転換があったこと、その一方、IT化、グローバル化にともなう米経済力の発展やアフガン、イラクなど反テロ戦争の初期における勝利などによって、アメリカによる帝国支配、一極支配が強化されていたという背景があったことだ。
 だが、今は違う。アメリカによる帝国支配、一極支配は、著しく衰退した。経済は、投機の横行にともなう穀物・資源価格の際限ない高騰とスタグフレーション発生の危険、ドル安にともなうドル体制崩壊の危機と基軸通貨多極化への動きなど、破局的危機に直面しており、軍事は、アフガン、イラク戦争の泥沼化、朝鮮、イランの核開発問題、そして多極世界の軍事力増強など、アメリカの絶対的地位の揺らぎを白日のもとにさらしている。
 こうしたアメリカによる世界支配の衰退は、世界の多極化、自主化の進展と一体だ。アジア新時代は、そうした多極世界の一つの重要な極、アジアにおける新しい時代の到来に他ならない。今回の米朝関係の改善がこうした時代発展の中で進展していることを見るのが重要だ。ここに今回の関係改善の強固さが示されているのではないだろうか。

■問われる日本の対応
 7月24日、ASEAN地域フォーラム(ARF)閣僚会議は、朝鮮の東南アジア友好協力条約(TAC)加盟を歓迎した。そこには、アメリカの強圧に屈せず、自らの意思を貫く朝鮮へのアジア諸国の共感とその力を自らの同盟に加えることの喜びが見てとれる。
 今、日本に問われているのは、そうしたアジアの現実に対する洞察であり、一つ一つの国の反帝自主の意思と力に対する敬意と認識だ。皆、結局は経済援助を欲しがっている。経済でつれば、ついてくる。言うことをきかない奴は経済制裁で締めあげればよい。こうした考えに基づくアジア外交が何をもたらすか。それは、日本の対朝鮮外交の行き詰まりが如実に示しているのではないだろうか。
 経済でつる者は、経済でつられる。アジアへの対応は、アメリカへの対応の裏返しだ。今、アメリカ一辺倒への警鐘が乱打され始めている時、アジア新時代への正しい対応、アジアの国々一つ一つに対する正しい対応こそが切実に問われているのではないだろうか。
 それこそが、アジアを蔑視し、鬼畜米英に走った過去を繰り返さないための道に他ならないのではないかと思う。


 
研究

韓国・李明博政権反対運動の本質を考える

魚本公博


 韓国で米国産牛肉輸入再開に反対するロウソク・デモがすでに3ヶ月近く毎日のように行われている。5月2日に始まり7月末現在で80回を越える「ロウソク政局」が、李明博政権の存立を揺るがせている。

■全国民的な国民自身の運動
 この巨大なデモに対して李明博は、「背後で左翼勢力が繰っている」とし、日本の大手メディアも概ねこうした見方をしている。
 はたしてそうだろうか。
 まず、その立ち上がりを見れば、4月18日に訪米した李明博が米国産牛肉輸入再開を表明したことに、韓国国内で憂慮の声が高まる中、ある中学生がインターネット上で、「狂牛病って何?」という質問を発したことが発端となった。「脳がスポンジ化して廃人になるんだ」「潜伏期間は10年近く」「米国産牛肉は学校給食に真っ先に使われるらしい」といった情報が行きかった末に、学校給食を受けている中学生、高校生(韓国の場合、補習授業のために夕方も給食が出る)たちが、「俺たちが一番危険じゃないか、黙ってるわけにはいかない、何月何日どこそこに集まろう」ということになったのだ。インターネットを通じて賛同の輪は、中学生、高校生や幼い子供をもった若い母親を中心に広がった。こうして5月2日に最初のデモが行われた。
 次にその形態を見ても、ロウソクを灯して抗議の意思を表明するという至って平和的なものであり、会場にはステージが設けられ歌や踊り、様々なパフォーマンスが演じられた。夕方、ロウソクを灯して抗議の意思を示すデモに、幼児を連れた若い母親が参加し(乳母車組)、サラリーマンも帰宅途中に立ち寄り(制服組)、デートを終えた恋人たちが立ち寄るなど、ロウソク・デモは「新たなデモ文化」として国民的にも好評をもって迎えられた。
 次に、このデモの参加者は、各階各層、老若男女など汎国民的なものになっている。5月9日には、実に1500余の市民団体・社会団体が参加した「国民対策会議」が発足したが(その後、参加団体は1700余に及んでいる)、この数は韓国のほとんどの市民団体・社会団体が参加していることを示している。このような状況に対し左翼勢力云々というのは、ためにする批判でしかないだろう。
 参加人員も最初のデモで1万人を越え、9日には3万人、31日には10万人とうなぎのぼりに増え、87年に起きた「6月抗戦」の出発記念日である6月10日のデモは実に80万人(全国で100万人)に達した。
 こうした中、李政権の支持率は10%台にまで急落しており、「李明博政権反対」が全国民的な意思になっていることを示している。
 李明博の「背後勢力」云々発言に反発したデモ参加者は集会場で自発的にロウソクやTシャツを販売したが、そこには「私が背後勢力よ」と書かれていた。

■国民の声より大国の意思ということへの怒り
 ロウソク・デモがここまで高揚したのは、李明博政権が米国ばかり見て、国民の声に耳を貸そうとしないことへの怒りである。
 そもそも李明博が米国産牛肉輸入再開を決めたのは、4月の訪米での飛行機上でひらめき的に決めたものだという。同乗していた、通商外交相や農産相に「何か土産はないだろうか。牛肉輸入再開などいいんじゃないか」といった何とも粗雑な経緯で決まったものらしい。閣僚が自ら総辞職したり、与党内部からも反対の声があがっているのもそのためだ。
 デモが盛り上がるや、李明博は「トップダウンのやり方を反省」したが、「反省するから輸入再開は諒解してほしい」というものだった。そして、デモが「ミョンバクOUT(李明博退陣)」の様相を見せるや、「政体性を危うくすることは許さない」と弾圧姿勢を強めた(この様子が携帯電話の写真機能を使ってインターネット画面に瞬時に紹介され、火に油を注ぐ結果になっている)。
 米国産牛肉再開は生命に直結する切実な問題だが、上に見たように、その最初から、「まず米国の要求ありき」という李政権の対米屈従姿勢への反発がその根底にある。
 米国産牛肉輸入再開では、韓国の場合、余りに主権がない。最初の合意では、「生育年月や部位での一切の制限を設けない」「検疫する権利を放棄する」というひどさだった。国民の抗議の声に「再協議」を始めたものの、「生後30ヶ月以下」や「産地名を明記する」などが付け加えられた程度で、検疫は米国の業者に任せたままだ。
 李明博は、訪米時、FTA締結や外資導入を乞い、そのために規制緩和、外国企業の税率引き下げ、労組活動の規制強化などを約束した。さらには、「ミサイル防衛体系への参加」「大量破壊兵器伝播防止演習への参加(慮武鉉時代は形式的な参加)」「アフガンの韓国軍撤収延期」なども表明している。
 訪米の帰りに日本に立ち寄った李明博は日本との関係でも、「歴史問題は問わない」と明言し、日本企業の韓国への投資進出を要請した。この姿勢が「新学習指導要綱」で「竹島は日本の領土ということを教える」と盛り込む事態を招いたとして大衆的な怒りを呼んでいる。
 しかも、この対米屈従姿勢、大国屈従姿勢は、同胞である北に対する強硬姿勢と相まって、いっそうひどいものとなっている。
 彼は、大統領に就任するや「対北政策の見直し」を掲げ、「統一省」をなくそうとしたし(反対で存続したが有名無実化)、金大中、慮武鉉時代の公務員幹部を全て入れ替えた。これは、金大中、慮武鉉政権時代に盛り上がった統一志向への無視であり挑戦であろう。
 彼が掲げた「非核・開放・3000」(北が非核化すれば、開放を助け、一人当たりの国民所得を3000$にするというもの)という対北政策は、これを「国際的枠組みの中で実現する」というものであり、前政権、前々政権時代に南北首脳会談で確認された「わが民族同士で」という基本精神をまったく無視したものである。同族よりも大国追従という姿勢を浮き彫りにしたものであった。

■憲法第一条の歌
 韓国のロウソク・デモでは、最初と終わりは憲法第一条の歌が歌われる。その歌詞は「大韓民国は民主主義国家である。すべての権力は国民から出る」というものである。
 政治は国民の意思に基づいて行われなければならない。
 李明博は、このことがまったく分っていない。彼は「実用(実務)外交」を唱えて登場したが、それはプラグマティズム(実用主義)から出た言葉だ。
 米国で発生したプラグマティズムは「人間にとって有益なことだけが意味ある⇒人間は利益を追及すればよいのだ」という主張であり、これは「個々人の利己的要求の追求に任せよ、あとは市場が調節する」とする新自由主義と同じ土壌から出たものだと言われる。そして今、その極端な利益追求、利己主義奨励によって米国社会は病み、世界的にも、その弊害が浮き彫りにされている。
 「経済的利益さえ上げれば、それでよし」=「人間などそんなもの」=「政治などそんなもの」とする考え方によって、李明博政権は、大衆を無視、軽視し、大国に媚びへつらってその要求を受け入れ、輸出振興のために農業を犠牲にしてでも米国とFTAを結ぼうとし、外資導入のために労組弾圧を約束するなど、国民の生命や権利を犠牲にすることも平気である。
 「米国産牛肉輸入再開」や「竹島(独島)問題」は、こうした考え方が象徴的に現れたものだ。
 今や、韓国国民の声は、単に米国産牛肉輸入再開に反対するだけでなく、そこに象徴される李明博政権の米国屈従、大国屈従、主権放棄に向けられている。
 ロウソク・デモが示していることは、政治は主権者である国民の生命と権利を守るためのものでなくてはならず、そのために、政治においては何よりも主権が守られなければならないということであり、国民はそれを強く求めており、そうでない政治は国民的な批判にさらされるということである。
 韓国のロウソク・デモは、大国の強要に抗し主権を守ることを求める全国民的な国民自身の運動だというところに本質的な意味があると思う。


 
 

看護・介護現場での外国人労働者受入れ

金子恵美子


 最近、私の職場(グループホーム)に入ってきた50代前半の男性は、「老人保健施設で介護士として働いていたが、昨夜は10時から翌朝8時までの勤務中、休憩は15分。1時間に45人のオムツ替えをしなければならなかった。自分の親は絶対、施設には入れたくない」と話していた。1時間に45人のオムツ替え? 本当? これで時給は900円。低賃金(一般職の7割〜8割)→離職率の高さ(21%強)→慢性の人手不足→過重労働。この悪循環がわが国の看護、介護現場を覆っている。
 今、こうした現場へ外国人看護師、介護士が参入しようとしている。
 日本政府とのEPA(経済連携協定)により、2007年からの2年間でフィリピン人看護師と介護士600人、2008年からの2年間でインドネシア人看護師と介護士1000人の受入れが決められた。この8月7日には、早くもインドネシアから104人の看護師と101人の介護士候補生が日本の地を踏んだ。
 彼ら、彼女たちが看護師・介護士として日本で働くためには、非常に厳しい条件をクリアしなければならない。
 まず、自国での選抜に当たっては、看護師であれば、看護師の免許と2年以上の実務経験、介護士であれば、3年以上の高等教育機関を卒業し政府の介護士認定または看護学校卒業者でなければならない。
 また、日本においては半年間の日本語研修と看護・介護導入研修の後、病院や介護施設での就労と研修を積み、看護師は入国から3年、介護士は4年を上限に、日本の国家試験に合格しなければならない。もし、この期間に合格できない場合は、在留が認められず、帰国することになる。
 日本語を母語とする日本人でも、看護師、介護福祉士の国家試験に合格するのは難しい。いかに自国での高等教育や経験があるにしても、この上限期間内に、しかも上記のような厳しい現場で働きながら合格を勝ち取るというのは、至難の技とまではいかないが、かなりの厳しさである。単なるその場つなぎの労働力の補充に過ぎなくなりかねない。
 こうした厳しさは、「インドネシアの看護師が日本で介護士にしかなれないのは、<格下げ>。看護師を派遣することには協力しない」(インドネシア全国看護師協会)「私たちは優秀なプロの看護師で世界中が求めているのに、日本では訓練生扱いで、漢字の試験を受けさせられる。」「日本は私たちのサービスを必要としているのに、自分たちの基準ばかりおしつける。」などの反発や不人気を生んでいる。
第一陣のインドネシア候補生が協定で結ばれた人数を大幅に割っているのも、こうした事情と少なからず関係していると思われる。
 こうしてすでに、受入れが始まっている看護・介護現場への外国人労働者の参入であるが、現場で働く者としてはもろ手を挙げて歓迎という気持ちにはなれない。
 インドネシアやフィリピンの人たちが、厳しい条件をつけられながらも日本に来ようとするのは、自国に比べての給料の高さ以外のなにものでもないと思う。自分の国で同じように稼げるのなら、好き好んで<格下げ>扱いされる外国に行きたいとは思わないだろう。
 日本にしても、将来的な人手不足の要因となっている少子高齢化や現在での人手不足の原因となっている低賃金、労働条件の悪さなどを改善せずに、それを外国人労働者で補おうとするのでは根本的な解決にはならない。
介護士も資格はとったものの実際に働いているのは2割くらいと聞く。看護師なども、結婚などにより資格を持ちながらも現場から離れてしまっている人が多くあると聞く。こうした埋もれた人材の発掘という試みも努力もなされていないと思う。子育て支援に力を入れることは、資格者の現場復帰や将来の少子化問題の解決にもつながる。外国人労働の受入れよりも、まずしなければならないことがあるのではないだろうか。農業現場での名ばかり「研修生」も問題になっているが、日本人が働こうとしない現場を外国人労働力で埋め合わせる、と言うのでは共存共栄の新しいアジアの姿からはほど遠い。


 
竹島問題

「災いを福に変える」大胆な発想の転換を

編集部


 新学習指導要綱の解説書に竹島(韓国名独島)に関して記述する日本政府の方針が明らかとなって、韓国の反発が強まっている。今後の東アジアのあり方を考える上で、竹島問題が日韓の外交的懸案(火種)となることはさけられない。この問題をどのようにみるべきなのか、資料を交えて問題点を整理してみた。
 竹島(独島)は隠岐の島から北に157キロ、韓国の鬱陵島からは約92キロの位置にある火山島だ。二つの小島はいずれも海面から屹立した峻険な火山島で、面積はすべてを合わせても約0、2平方キロで日比谷公園ほどの大きさしかない。
 周囲は断崖絶壁をなし、全島一本の立木もない。周辺海域は対馬暖流とマリン寒流の接点になっており、魚介藻類の種類が豊富だ。
 この不毛な無人島の領有権をめぐり、日韓両国は1954年以来、執拗な争いを続けてきたわけであるが、現在に至るまで竹島問題が解決されない一つの理由は、この地理的要因に加えて、歴史的要因や植民地支配も絡んでかなり複雑だ。
 竹島問題を理解するには先ず鬱陵島の歴史を知らなければならない。
 鬱陵島は朝鮮半島から115キロの海上にあり、島の大きさは70平方キロ、西暦512年以降、韓国の支配下にある。しかし、李氏朝鮮は、鬱陵島への渡航を禁じた。これには二つの理由がある。国内的には税金を逃れて島に渡るものが後を絶たなかったこと。対外的には倭寇による来襲から島民を守るためであった。この無人島政策は1438年から1881年まで続けられた。
 17世紀初頭、伯耆国米子の海運業者だった大谷甚吉が航海中に暴風にあい無人島になった鬱陵島に漂着した。彼は新島の発見と考え、帰国後同志の村川市兵衛とはかり、1618年に江戸幕府から鬱陵島への渡航許可を受ける。鬱陵島はその時から「竹島」と呼ばれるようになった。
 大谷、村川両家はその後、毎年交代で鬱陵島に渡り、アシカ漁やアワビ採集、木材の伐採などを行い、鬱陵島経営は78年間続いた。当時、鬱陵島へのコースは隠岐島から松島(現在の竹島)を中継地にしていた。両家はこの竹島の経営も手掛けていた。江戸幕府は松島(竹島)に対する渡航許可も1656年に出している。(注;竹島は昔は松島と呼ばれ、鬱陵島は竹島と呼ばれていた。韓国もこの歴史的事実は認めている)。
 1905年、明治政府は竹島を島根県に編入し、国際法的にも日本の領土になった。しかし、日本の敗戦後、GHQは竹島を沖縄や小笠原諸島と同様に日本の行政権から外した。これを口実に1952年、李承晩は海洋主権の宣言ライン、いわゆる「李承晩ライン」を設け、韓国は竹島周辺海域の水産資源を得ることになる。これが日韓の竹島問題の始まりである。以上は竹島をめぐる歴史的経緯(もちろん日本側からの)なのだが、韓国側から見ればまた別の歴史的資料がありうることは論をまたない。
 いずれにせよ竹島の帰属に関する法的な文書は存在せず、日本政府と韓国政府の主張はまったくの平行線で、一方が他方の主張に納得して譲歩する事態は今後も考えにくい。また韓国側が国際裁判所での解決を拒否していて、解決の糸口は見えない。
 同じようなケースとしてよく実例に挙げられるのが、独仏対立の一因だった国境地帯の地下資源を国家主権から切り離して共同体の管理下に置いた「欧州石炭鉄鋼共同体」だ。これがのちにEC、そしてEUに発展する発端となったことはよく知られている。
 要は、この対立の「火種」を日韓が歴史的な対立を超えて、新しいアジアの夜明けを導くような新の意味での「和解」と「協働」へと、どうすれば変えていけるかにある。
 日韓が共同で竹島を管理し、共同主権を行使できるような形態の「漁業資源共同体」は不可能なのか。いずれにせよ、「対立の温床」であった「竹島」を日韓「和解の象徴」へと変えていく、韓国世論を考えると、そのイニシアチブは日本側にしかない。
 「災いを福に変える」大胆な発想の転換が必要だ。そのためにも先ずは、どのような東アジアの未来を構想するのか。これまでの東アジアとは違った新しいアジアの構想力こそ決定的であるだろう。


 
 

世界の動きから

 


■李明博の施政演説批判への野党の反応
 7月11日の大統領の国会施政方針演説について各野党が彼の現実認識が国民と乖離していると非難した。
 民主党=経済情勢の悪化は経済政策の失敗にあり、国民は企画財政部長官の留任を問題視している。大統領は、国民の声に耳を傾けるべきだ。
 自由先進党=具体的なものがなく失望した。南北関係でも、ただ人道的協力を推進というだけで哲学の貧困さを再び証明しただけだ。
 民主労働党=牛肉問題に大きな教えを受けたと言いながらも、結局強調したのは法秩序確立の意思であった。国民と野党の要求を無視し傲慢と独善を繰り返している。
 創造韓国党=大統領が、法秩序確立を強調したのはロウソク集会に対する公権力投入を合理化するためにすぎない。大統領の認識転換を行動に移す姿を見せるべきだ。

(韓国・KBS)

■資源争奪のため演出されたモンゴルの「オレンジ革命」
 西側がロシアの隣国モンゴルで新たな「オレンジ革命」を始めた。6月29日に行われた国会選挙で人民革命党が勝利宣言をし、民主党や共和党がこれを認めないとして政治的混乱が起きたが、この争いに外部勢力が注目している。
 「ワシントン・ポスト」は、6月25日の記事で、ワシントンはモンゴルに豊富なウラニウムに関心をもっていると書いた。モンゴルには石炭、銅など地下資源が豊富であり、ウラニウム埋蔵量は130万トンで世界三位だ。モリブデンなどの希少金属も豊富。米国はこれを狙っているが、彼らは、ロシア軍部がモンゴル指導部と長期的な友好関係を結んでいることや、ロシアがモンゴルに原子炉を建設するのではないかと心配している。
 また米国は、モンゴル政府が、採取工業に高い税金を課し、国家がこの部門の株式への統制権をもつようにする法案を成立させようとしていることにも不満を表明している。またモンゴルの艦船が「ならずもの国家」に禁止貨物を輸出しているのではないかと疑っている。
 モンゴルでの「オレンジ革命」企図の背後にワシントンがあることは明白だ。

(プラウダ)

■ラジン−ハッサル間鉄道現代化のための合弁会社創設
 ロシア鉄道会社が、タス通信に通報してきたところによると、ロシア鉄道の貿易機関と朝鮮のラジン港が参加する合弁会社が設立された。 
 49年の期限つきで、会社は、ラソン経済特区に創設された。資本分配率はロシア70%、朝鮮30%であり、合意に従ってロシアア側が投資し、朝鮮側は港湾の財産権を持つ。合弁会社は、ラジン港貨物処理場を建設する他、豆満江−ラジン区間の鉄道の改善と貨物処理場建設を行う。投資額は1億4000万ユーロに達する。

(イタル・タス通信)

■新型兵器の脅威にさらされるイラク駐屯米軍
 シーア派民兵組織が最近、米軍基地を攻撃するのに、強力なロケット推進式爆弾を使用し始め、武器の種類も増えている。
 ロケット推進式爆弾は、射程距離は短いが非常に強力だ。この爆弾の使用は、入手しやすい材料と技術でも、数十億ドルをかけてつくった米軍の防衛施設を簡単に打ち破れることを示した。この爆弾は最近、コロンビアの革命軍も使用しているものだが、プロパンガスを推進薬にしたものだ。したがって、プロパンガスが炊事用に使われているイラクでその製作を阻止するのは簡単ではない。
 バグダッド周辺に配置されている第101空挺師団のある将校は「これは我々に極めて悲劇的な結果をもたらす可能性がある」と述べた。

(ワシントン・ポスト)


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