主張 地方自治の現状 「財政破綻」を理由に「弱者切り捨て」は許されない
―橋下府政で大阪は輝くのか―
国会では道路特定財源問題が自民と民主の大きな対立点になっています。
道路特定財源制度は受益者負担の原則に基づき、道路の利用者が道路の建設費・維持費を負担する制度で、財源にはガソリン税や自動車重量税などが充てられています。
道路財源の仕組みの大本は、貧困な状況にあった日本の道路を迅速に整備する必要から、1953年に田中角栄議員らの議員立法で「道路財源費の財源などに関する臨時措置法」が制定され、列島改造を推し進めた財源の一つでした。
今自民党と民主党の対立点は、二つあって、道路特定財源を廃止し、福祉や教育など何でも使える一般財源化するのかどうか、もう一つは、1リットル当たり25円というガソリンの暫定税率を廃止するのかどうかです。自民党は、道路建設が減少すればますます地方が疲弊し、国土の均衡ある発展をめざすことが格差是正につながる、だから道路特定財源は維持すべきとしています。
一般財源をどうするか、暫定税率をどうするか以前に、まず論議すべきは「10年で59兆円」という政府の道路整備計画の是非ではないでしょうか。
日本の財政状況は先進資本主義国の中で最悪で、その財政破綻を招いた元凶の一つが、対GNP比8、9%という世界最大の公共事業費でした。国家財政悪化を理由に福祉や教育などの予算が削られている中で、なぜ道路の予算だけに10年間で59兆円もつぎ込む必要があるのか。
林野庁は、総延長1312キロ、幅7メートルの二車線大規模林道を、事業費9389億円という巨額をかけて最も自然の豊かな北海道から九州の山間部に作ろうとしていますが、これなど税金の無駄使いと国土破壊の最たるものでしょう。
いまや道路問題は、一般財源にすべきか、税率を撤廃するかという「道路問題」にとどまらず、これまでのようなダムや道路建設など「公共事業の在り方」から、中央集権的、垂直統合型のこの国の「政治の仕組み」をどう変えるのか、そこまで踏み込んだ論議をしない限り、国も国土もズタズタにされてしまうのではないか。そんな気がしてなりません。
主張 地方自治の現状
―橋下府政で大阪は輝くのか―
■大阪府の現状
「大阪府」という自治体を一人の人間に例えると、月収が29万円と高給をもらいながらも、親元(国)から4万9千円の補助をもらい、サラ金から2万6千円の借金を借りても追いつかず、すでにサラ金の残高は48万9100円で返済のメドはまるでないその日暮らしのサラリーマン、ということになろうか。
タレント弁護士上がりの橋下知事に破産状態にあるこの大阪を立て直すことができるのかどうか。その手腕にマスコミの注目が集まっている。
景気対策や関空関連の公共事業で府債を乱発し、府財政の悪化は1990年代に一気に進んだ。一方で税収の4割を占める法人税は最盛期の4割に減った。府立高校の授業料値上げ、高齢者医療費助成の削減、職員の給与の引き下げなど「身の丈に合う府政を」と96年から5度にわたって策定した行財政計画も焼け石に水で、好転の道筋は見えない。
借金に当たる府債残高は約5兆円に上り、利払いだけでも年間900億円が消える。都道府県唯一の赤字決算は9年連続となる。
大阪府知事に就任する橋下氏は83施設のうち、中之島図書館と中央図書館以外は「不要」との考えを示し、行財政改革の一環として廃止や売却の検討を行うように指示。庁内にプロジェクトチームを発足させ、6月までに結論を出すという。
■財政危機の原因
なぜこのような危機的状況になったのか。
第一には、バブル経済の崩壊と長引く不況の中で大阪府の税収が激減していることにある。府の税収入は90年代を例にとると90年度の1兆3510億円から99年度には9072億円へと3分の1減少した。なかでも法人税の落ち込みがひどく、約半分に低下している。
このような法人税の減少の背景には長期にわたる不況という全国共通の要因だけでなく、大阪経済特有の構造的問題があった。70年代のオイルショック後の地域経済の落ち込みは、3大都市圏の中では大阪府が最も大きく、その後の回復の軌道も大阪府が最も緩やかであった。大阪府の地域経済の基盤が素材産業の重化学工業にあり、そこからの転換に後れをとったためである。
第二には、このような税収の落ち込みにも関わらず、景気対策や地域経済活性化の名目で数々の開発プロジェクトを進め、公共投資の規模を拡大したことである。大阪府の公共投資は85年度の2647億円からピークの95年には7328億円と2、8倍に膨らんだ。なかでも増大したのが「単独事業」であり、その財源の7〜8割は地方債であった。
昨年成立した自治体財政健全化法により、来年4月から特別会計や第三セクターも連結して自治体の財政がチェックされることになった。赤字の割合が標準財政規模の40%を超えた自治体は、国から「財政破綻」と判定される。今まで別会計とされた公立病院も例外ではなくなった。現在1億円を超える不良債務を抱える公立病院は全国に70以上あり、36自治体が破綻に追い込まれる可能性があるという。
■コスト削減という名の「弱者切り捨て」
「クローズアップ現代」によれば、財政規模47億円の北海道赤平市は、病院会計に32億円もの累世赤字を抱えるという。市は病院の存続を前提に、下水道料金20%引き上げなど、住民一人当たり1万円の負担増を打ち出した。市の職員には今年4月から給与30%カットが通告された。さらに国保料滞納者の差し押さえや町の共同浴場の廃止、消防車の売却など生活関連部門の切り捨てを加速している。
ところが我慢に我慢を重ねてきた住民から思わぬ反発が出てきた。一部の市民が「百人の入院患者よりも市民全体の利益を優先しろ」と、病院の赤字部門の切り捨てを要求。病院の存続か市民の負担増かという二者択一を迫られた揚句、入院患者と市民が対立する事態に追い込まれたのだ。
病院会計を巨額の赤字に追い込む発端となったのは、バブル崩壊後の「地方活性化」策として奨励された病院の改築、そのための国からの融資だ。各地の病院は競って過剰投資に走ったが、見込み通りには患者は増えなかった。そこに追い打ちをかけたのが、臨床研修医制度の改定による、都市部への医師の集中である。医師を引き上げられた地方の病院はますます患者が減り、悪循環に陥った。
こうした経緯にも係わらず、国は自治体と住民の「自己責任」による赤字削減を要求する。そのための国の「支援策」なるものは、公認会計士を送り込み、経営改善策を提案させることである。そこから出される方針は、「事務職員の契約社員化」「給食の外注」などの、民間的経営手法の導入だ。労働条件の切り下げによってコストを削減する一方、患者の負担増や医療の質の低下も避けられない。
自治体の極めて深刻な財政危機を理由に、病院に限らず様々な住民サービスの切り捨てが進んでいる。それに対する不満の矛先をそらすために、反公務員キャンペーンが執拗に続けられている。その陰で自治体労働者の労働条件は年々悪化し、非正規雇用も増え続けている。財政危機の犠牲をどこに負わせるかをめぐって、労働者と住民が対立させられる構図となっている。
しかし自治体の財政危機をもたらした最大の要因の一つは、国によるひも付き補助金による公共投資拡大と、手のひらを返したような地方切り捨て策である。最も責任を負うべき国が現場での対立の枠外にあるかのように振る舞っている事態は許すことができない。根源に遡っての批判が必要だ。
■財政破綻と新自由主義
今、多くの自治体が財政危機に瀕している。それは国の政策が新自由主義へと転換する中で広汎に作り出されたものである。
80年代後半、中曽根内閣のもとで、新自由主義に基づく「地域再生」が開始された。大都市圏における社会資本整備が打ち出され、民間活力の導入や規制緩和による大型プロジェクトなど、市場原理による「都市再生」が推進された。それがバブル経済と地域間格差をもたらしたが、90年にそのバブルが崩壊したことで、失われた10年といわれる長期の不況が日本を覆った。
都市効率の良い東京などに投資が集中した反面、地方の工場は次々に閉鎖され、よりコストが安い海外へ移転し、地方産業が空洞化していった。地方経済が疲弊し、新しい産業を作り出せないでいるときに、市場原理万能の「構造改革」が強行された。
さらに「地方構造改革」「三位一体の改革」によって、約5,1兆円の地方交付税が削減され、約4,7兆円の国庫負担金が廃止、削減された。これに対する財源移譲は全体でわずか3兆円に過ぎなかった。国の責任の大幅な軽減と地方自治体の財源の大幅な削減である。
■補完性の原則
中央集権的な日本の行政システムが時代に合わなくなってきたのは事実で、地方への権限の委譲や財源の移譲など地方分権は待ったなしだ。国と地方の関係を上下主従の関係から、対等、協力の関係へと転換していくことがまず分権の基底になければならない。その上での自己決定と自己責任の原則ではなかろうか。
自己決定と自己責任という場合も、すべて地方の責任に任せるのではなく、個人ができないことをコミュニテイが担い、市町村ができないことは都道府県が担い、都道府県ができないことは国が助ける―というような補完性の原則の考え方が重要だ。
十分な財源を持ち自立した自治体を基本に、自治体が解決できる問題は自治体に任せ、それが不可能な場合は国が助ける――このような地方と国の協同関係を築いていくことが地方分権を進める上で決定的になってくる。
社会的矛盾の中で苦しむ人や、社会的弱者を救済するというのが本来の行政の役割であるはずで、財政的破綻を理由にそれを切り捨てるのは本末転倒だ。財政はあくまでも政治の手段であって、政治の目的ではない。
橋下府政が今後どのように展開するのか、まだ断定はできないにしても、「自治体経営の革命」「企業経営の規律と効率、民間の厳しい経営の視点で新たな自治体統治を」という言葉の端々に新自由主義的匂いを感じるのは私たちだけだろうか。
■「冷凍ギョーザ中毒事件」、問題は何か
年末から年始にかけ、千葉と兵庫の3地点で起きた中国製冷凍ギョーザ中毒事件は、日本の食の安全について様々な問題を投げかけた。
問題の一つは、行政や企業の対応の遅れだ。3つの事件が結びついたのは、最初の発生から一ヶ月経った後だった。販売に関わったジェイティフーズと日本生活協同組合連合会が事件をただちに公表しなかったこと、また、情報を関係行政諸機関が共有しておらず事の重大性に気づくのが遅れたことなど、国と企業の責任体制の不備、社会的責任性の低さに起因している。
もう一つの問題は、輸入食品に対する責任的検査体制の弱さだ。検疫所では、輸入された食品の一部をピックアップし、サンプル調査をしているが、対象は生鮮食品がほとんどで、検査に手間がかかる加工食品の検疫はやっていないのが実情だという。
さらに問われるのは、日中両国間の原因究明に向けた連係の悪さだ。事件発生後、二ヶ月を超えているのに、いまだ双方で一致した原因の解明に至っていない。中国に対する誹謗や企業合併への妨害など様々な憶測、謀略説が飛び交う中、感情的もつれまで生まれている。
こうした中で、食の対中依存、対外依存自体を問題にする人は少なくない。ますます甚だしくなる食の対外依存構造、まさにここにより根本的な問題があるのではないだろうか。
■ここまで来た、食の対外依存、対中依存
周知のように、日本の食の対外依存は大きい。6割を輸入に頼っている。
しかも、それは量だけではない。問題はその内容だ。はじめは小麦など穀物を主としたものだったが、次第に野菜など生鮮食品に広がり、今では調理冷凍食品など多種多様な加工食品を輸入するまでになっている。食の原材料依存から、調理に至るまでのより全面的な依存になっているということだ。
この食の対外依存で、特に中国への依存度は高い。食糧輸入の25%を占める米国産に次ぎ、中国産は17%の2位だ。そうした中、加工食品分野では中国が圧倒的だ。冷凍サトイモの97%をはじめ、日本の冷食市場全体の15%を占め、この10年で3倍になった。フライや天ぷらなど調理冷凍食品を見ても、輸入量全体の64%とダントツだ。
■食の対外依存と安全
今回の中国製冷凍ギョーザ中毒事件は、食の対外依存と安全の関わりについて深刻な問題を提起している。
ここで「対外依存」とし、あえて「対中依存」としなかったのは、対中問題が特別問題ではないからだ。それは次のデータからも推し量られる。06年に食品衛生法違反が見つかった輸入食品のうち、中国産は530件で、2位の米国産(239件)の2倍をはるかに超えた。だが一方、輸入件数も約58万件と圧倒的に多く、違反率では、むしろ0・12%の米国より低い0・09%だった。厚生労働省も「中国からの輸入食品がとりわけ危ないというわけではない」と明言している。
食の対外依存が安全と関わっているのは、対外依存の深化、拡大とともに、安全問題がより大きく深刻にいろいろと提起されてきていること自体に示されている。
事実、外国製加工食品で農薬問題が提起されているのは今回の冷凍ギョーザ問題だけではない。検出されている薬品もメタミドホスの他、ジクロルボス、パラチオン、ホレートなど多数であり、食品の種類も焼き饅頭、しめさば、いか、アスパラなどいろいろだ。また、日本向け鶏肉生産のためにブロイラーが薬漬けで大量飼育されていること、調理加工に美味しくするための砂糖やグルタミン酸が大量に使われていること、等々、健康を害する要素は少なくない。
もちろん、こうしたことは国産品にもあることだ。しかし、使用されている農薬の毒性がより低く規制されていること、輸送や保存のための防腐剤などの使用度が低くてすむこと、調理加工の工程への基準と統制がより厳格であることなど、国産品の危険度が小さいのも事実だ。
その上で、輸入加工食品の安全性がより大きな問題として提起されるのは、それが安いからだ。人件費が日本の10分の1、20分の1の海外で作られた加工食品がその安さから急速に日本の食生活に浸透しているのは、中国製冷凍食品の冷食市場でのシェアの急拡大を見ても明らかだ。そうした食の対外依存の高まりが日本の食の安全を脅かしている。
■二極化する食の安全と新自由主義
食の安全と言ったとき、それは中毒などもあるが、より普遍的で深刻な問題として生活習慣病の急増が挙げられる。肥満、高脂血症、高血圧、高血糖など複数の生活習慣病が重なった状態をいうメタボリック・シンドローム、等々が大人だけでなく子どもたちの間にまで広がっているが、それが外食、中食、加工食品の増加による食の偏り、食のバランスの悪化に多分に起因しているのはよく言われることだ。
この問題について、個人の責任だと言う論者は少なくない。また、03年に制定された食品安全基本法も、「消費者に自己責任において一定の判断をしてもらう必要がある」としながら、消費者自身が食の安全性について知識水準を高めることを要求している。
しかし、食の安全は消費者の知識に関わる問題なのだろうか。消費者は無知ゆえに加工食品に走っているのか。そうでないのは、今回の冷凍ギョーザ中毒事件を知った独身OL(29)が「冷凍食品は控えたいが、夜遅くに疲れて帰ってから台所に立つのはつらい」と苦笑していたこと、学校給食で使う冷凍食品を中国産から国産に換えると給食費を払えない子どもがより多く出てくるのが確実だと言われていること、等々、日本社会の現実が雄弁に物語っているのではないだろうか。人々は、その無知ゆえでなく、その貧困ゆえ、長時間重労働ゆえに冷凍食品、加工食品に向かわざるを得ないのだ。
こうした食の安全問題は、社会の二極化と一体だ。低賃金不安定労働に駆り立てられる下層、貧困層にとって、安くて簡便な加工食品なしの食生活など考えられなくなっている。それを、不安定ゆえに結婚できない独身の気ままな個食、孤食が促進する。身体に良くないとは知りつつ、惰性に流されてしまうのだ。どれもが、雇用の不安定化と労働強化、リストラ、中小零細業、都市自営業、農業の没落、等々を促す新自由主義の産物であり、その結果としての社会の二極化と一体だ。
それは、また、二極化の上層、富裕層の食生活を見るとより明確になる。高級レストランを利用する一方、彼らのうち約半数が自分で料理をするのが好きであり、こだわりの食材を使って、うんちくのある料理をつくっている。もちろん、安全性に問題がある安くて簡便な加工食品などまったく無縁だ。それが食の安全性に対する知識水準の高さゆえでないのは明かだろう。
新自由主義は、一方、海外に食品生産拠点を展開し、現地の安い労働力、食材を使って各種食品を生産しながら、それを国内に持ち込んで販売するネット時代のカンバン方式、グローバル・サプライチェーンを促す。それが貧困層を対象とする極安で簡便な各種加工食品を生み出し、食の安全の二極化を促進する。
新自由主義は、社会を二極化したばかりでない。それと一体に食の二極化、食品の二極化を極度に推し進め、食の安全、国民の健康まで二極化した。これが、冷凍ギョーザ中毒事件の奥に潜むもっとも重要な真相の一つだと言えるのではないだろうか。
問われる国の責任
新自由主義が社会を二極化し、食の対外依存を促して食品を二極化し、食の安全と国民の健康まで二極化している今日、食の安全に対する国の責任を明確にすることがいつにも増して問われている。そのために、食品に対する検疫体制と方法を確立するだけでは決定的に不十分だ。求められているのは、新自由主義構造改革路線自体の転換であり、食の安全を根本的に保障する社会と経済、農業のあり方の実現だろう。
それは、今日、投機による穀物価格の暴騰と各国の穀物輸出規制への動きの強まりなどがある中、食糧自給率の向上など、より全面的な食の安全の実現へとつながっていくものとなるのではないだろうか。
この2月に行われた岩国市長選を巡る背景について、今回はじめて知り、日本政府のやり方に湧き上がる怒りを覚えました。
そもそも今回の市長選挙は、米空母艦載機部隊の岩国市への移転問題が背景にあります。米国は「先制攻撃型」への米軍再編に伴い、現在厚木基地にある空母艦載機60機を岩国に移転するとし、これを日本政府は岩国市民の頭越しに受け入れ、岩国市に要求してきたのです。
岩国の米軍基地には既に59機の空母艦載機があり、これを受け入れたなら、単純に計算しても基地機能が現在の二倍に膨らむことになります。現状でも、騒音被害や米兵による犯罪、9・11以降の世界情勢の変化などで、市民の安全、安心な生活が脅かされており、これ以上の基地の拡大は岩国市民にとって受け入れがたいものでした。
岩国市は、2005年に米軍再編の中間報告が出される以前から、国に何回となく話し合いを求め、双方が歩み寄って話し合いをするための叩き台も提案しています。国は口では「誠意をもって十分な説明を行い地元の理解を求めていく」と言いながら、一切の説明責任を果たさず、あくまでも受け入れさせるという態度を取り続けました。
これに対して井原勝介市長は、2006年3月に移転受け入れの賛否を問う「住民投票」を実施します。議会の一部では「議会軽視だ」との大反対もあり、投票ボイコット運動も起きたそうです。また国は当然のこと強い反発姿勢を示しました。余談ですが、大阪知事になった橋下氏も「住民投票」について「国政に市民が口出しするな」と発言しています。国家・国策と地方自治体の在り方が問われています。
こうした情勢の中で実施された岩国市民の初めての住民投票の結果は、「受入れ反対」が有効投票の89%を占め、全有権者の過半数に達し成立しました。そして翌月の4月には、岩国市を含む周辺8市町村の合併に伴う、新岩国市の市長選挙が行われ、受け入れ反対の井原氏が、自民推薦の二人の候補を大差で破り当選を果たしました。
これに対し国がとった行動が、市庁舎建て替えのための補助金35億円のカットでした。そもそもこの補助金は、1996年に普天間基地の空中給油機12機の受け入れの見返りとして決められていたもので、今回の空母艦載機移転とは関係のないもの。すでに工事も7割がた終了し、一期、二期と何の問題もなく支払われていた補助金を凍結させたわけです。借金1000億円を抱える人口15万の岩国市にとってこれは財政的に大変な窮地に陥ることを意味します。「岩国も夕張のようになる」「住民負担が倍増する」などなどのデマ、噂も意識的に流され、2007年に入ってからは、議会も次第に移転受け入れ容認に傾き、5月に国が成立させた「米軍再編交付金」(再編に協力したらその協力の度合いにより4段階に分けて交付)からも、除外されるに至り、「来るものは来る、貰うものは貰っておかねば」という意識に議会が走るようになっていったとのこと。井原市長の合併特例債(国が7割負担)の発行をもって、国の援助金、交付金カットという圧力に対処しようとする予算案が4回に渡って議会で否決されるに至り、井原市長は自分のクビと引き換えに、ぎりぎりのところまで修正した予算案を通過させ、今回の出直し市長選挙になったというわけです。
結果は、投票率76・26%、井原市長は、元自民党衆議院議員である福田良彦氏に1800票という僅差でやぶれました。この福田良彦という人物は、9・11郵政総選挙で初当選した小泉チルドレンとのこと。2003年に山口県議に初当選するも、一期も勤めず、あの小泉さんの仕掛けた総選挙に出て当選。「改革を止めるな!」が政治心情のようです。先が思いやられます。しかし、岩国市民が井原市長と共に国の援助金や交付金、また米軍基地に依存しない岩国を目指して歩んできた8年間の歩みは、岩国市民の意識を大きく変えており、井原前市長の「岩国を民意が何よりも尊重される民主主義のモデル自治体に」という理想に向かって岩国は力強く前進していくことを大きな期待と共に信じたいです。
ちなみに35億円の援助金カットという、政府の方針は、米軍需産業との癒着で逮捕された守屋防衛庁事務次官が強引に決めたものだと言います。
こうした事実を知るにつけ、いったいこの日本は誰のための日本なのか。日本政府は誰の利益の実行者なのか、怒りとともにつくづく考えさせられました。
前回までで海洋生物イシガニが我々人間を含む陸上生物にとっての大気と同様、海水環境が弱アルカリ性質に保たれることの重要さを、小さな規模ではあるが実験を通して確証してきた。それでは次に、食物摂取についてはどうだろうか。
前号に書いた通り、イシガニを含むワタリガニ科はその全てが魚貝等の動物性タンパク質を摂取する肉食性甲殻類である。これに対し、海の磯遊びでよく子供たちが捕まえる岩場の穴に生息するカニはイシガニ科のイソガニやイワガニであり、これらは雑食性である。つまり、貝や魚、フナムシ等も食べるが、自然では必ず岩に生えている海藻をちぎって食べている。天然のアルカリ性ミネラル食品を摂っているのである。
ここで疑問が生じる。イワガニ達はそれで体内環境のバランスを取っているならワタリガニ科はどんな手だてでアルカリ性を食物として摂取しているのだろうか。
その前に、話を少々回りくどくさせて頂きたい。肉食といえば通常思い浮かぶのは、カニのような甲殻類より我々人間と同じ脊椎動物哺乳綱のトラ、ライオン、ヒョウであろう。これらの猛獣やワシ、タカのような猛禽もまた食餌としてアルカリ成分を取り込んでいるのである。その方法とは――。実は肉食獣は獲物(草食獣)を捕らえるとすぐさま新鮮なうちにその腸を貪り食うのである。草食獣のインパラ、レイヨウ、シマウマ、水牛等は木の葉や実、果実、新芽などを専らに食す生粋のベジタリアンである。
彼らの胃である程度溶かされた植物は腸に送られた段階で腸内の草食獣特有のアルカリ消化酵素が分泌され、時間をかけて消化吸収されていく。これをよく知る肉食獣たちは、中にたっぷり植物(アルカリ性)の詰まった内臓を腸ごと食らいつくのである。彼ららしい実にダイナミックなアルカリ食品の摂取法といえるだろう。
そしてワシやタカのような肉食性鳥類もこれと似た方法をとる。ハタオドリ、セキレイ、ヒヨドリ等の雑食性の小鳥や、シメ、イスカ、メジロ等の草食性の小鳥の腸を食べることにより、体内酸性化を緩和しているのである。では、小さな狩人昆虫たちはどうだろうか。
最も有名な肉食性昆虫はカマキリである。彼らはバッタやキリギリス、コオロギを捕まると、やはり木の芽や実の詰まった腹部を必ず食べてアルカリ酵素を取り入れている。
次に有名(?)なオサムシはカブトムシの仲間に近いものの完全肉食性であり、大型の個体はそのカブトムシさえひっくり返して捕食する。これもまた草食昆虫の内臓を食べる。
カタツムリを好んで食べるマイマイカブリは草食性のカタツムリを食べるため説明の必要はないと思う。ここまでの説明でイシガニのアルカリ成分接種の方法も大体察しがつくだろうと思う。草食性の巻貝を好んで食べる理由も全く同じなのである。魚類もその筋肉よりはハラワタを好んで食べることにより、イシガニもタイワンガザミも体内環境を立派に整えていたのである。では、ヒト科ヒト目の一属一種である我々人間は、これまで見てきた野生の動物たちからどんな食生活を学べるのだろうか。
私たち人間は太古の昔約300万年ほど前に、サルの仲間から枝分かれして類人猿という種族となった。但し、俗にいう「人間の祖先はサル」という単純な構図ではないらしく、現存するサルの祖先と人間の祖先が同じだった可能性がある、という学説が正確らしい。その類人猿たちは氷河期〜間氷期に現れたため、地上の植物もそう多くはなく、マンモスなどの動物、大型の鳥類やトカゲなどの肉を食するうちに山岳種族の人間の祖先たちの中に肉食のDNAが形成され、海岸近くの祖先たちにも同様に魚肉や貝肉などの海の生物の肉を食するDNAが形成されたのではないか。但し、祖先たちは肉類ばかり食べていたわけではない。植物が少ないので空腹を満たす補助的手段として肉食への進化適応に成功したのだと思う。現代のサルの仲間のほとんどは草食や雑食だが、ある種には肉食の傾向が見られ、草食性の鳥が生き抜くために動物タンパクを直接取り入れる驚異の適応を果たしている。次回は現代の人間の食生活における毎日の注意点等を中心に展開し、今回のテーマの締めになればと考えている。
今年は「アフリカの年」という声も出ている。アフリカ諸国が援助と資源輸出に頼った過去の失敗を教訓に、互いに協力して経済的な自立を果たし、自主化・多極化の道を目指す一方、アメリカは「アフリカ合衆国」を自らのグローバル一極支配に組み込もうと躍起になっている。
■強化される大陸の統合と発展のための闘争
1月31日から2月2日までエチオピアの首都アジスアベバで第10回アフリカ同盟首脳会議が開かれた。大陸の統合を成し遂げようというのはアフリカ諸国の歴史的な課題である。アフリカには、東アフリカ共同体、西アフリカ国家経済共同体などいくつかの経済共同体があり、共同市場を創設し統一貨幣制度樹立を目指している。
弟9回アフリカ同盟首脳会談で発表された宣言には「我々は一つのアフリカ同盟政府を樹立しアフリカ合衆国家建設を最終目標とすることを含め、アフリカの経済および政治一体化過程を促進することに同意する」とある。53の成員国をもつ同盟は、ダルフールの紛争問題などの解決に力を発揮し、自主権を侵害する外部勢力に対しては警戒心を高め一致した反対行動をとっている。
昨年の2月、米国はアフリカ駐屯の米軍司令部を設置する計画を発表し、アルジェリア、リビア、ナイジェリア、ケニアなどに司令部設置を説得して回ったが誰も耳を貸さなかった。そのため、今、司令部は欧州に「仮住まい」している。
アフリカの発展にとって、外部勢力の内政干渉が障害だが、アフリカ諸国は連合した力でこれに対処しようとしている。
■分裂すれば未来はない
アフリカ同盟会議は「工業発展」という主題の下で開催され40余名の成員国首脳が参加した。
同盟委員会委員長コナレ(マリ大統領)は、アフリカは自身の原料を売るのでなく工業を発展させるべきだとして、「我々は工業国に原料を売るだけの植民地主義的論理から抜け出さなくてはならない」と言明。
そして、「北部から南部に至るまで、そして東部から西部にいたるまでアフリカは一つの全一体だ。我々はアフリカの枠内で問題を解決すべきだ。このような共同の意識をもってのみアフリカ大陸が真の変化を遂げ発展する可能性をもつ…分裂すれば、目の前にどのような有利な条件があっても長続きしない」と述べ「万が一、一体化が実現できなければアフリカには未来はない」と強調した。
会議の焦点の一つ同盟委員会委員長選挙では、ガボン副首相ジャン・ピン(31票)がザンビア駐米大使レワニカ(17票)を抑え新委員長に選出された。
■ブッシュのアフリカ行脚の目的
ブッシュが2月15日から21日まで、ベニン、タンザニア、ルワンダ、ガーナ、リベリアを訪問した。その目的は、経済状況の視察とエイズ、マラリアなどの疾病に対する成果を見るためだとしたが、ホワイト・ハウスのスポークスマンは、民主改革と人権改善、自由貿易、投資拡大について討議するためだということを隠さなかった。
その目的は、第一に、アフリカへの影響力強化。 豊富な資源をめぐって西側諸国がアフリカとの関係を深めており、米国として遅れるわけにはいかないということだ。また、消息筋はこの訪問の緊急課題は、アフリカに米軍司令部を創設する問題の討議だったと見ている。
第二に、共和党の存在感を示すため。アフリカ問題では、ヒラリーが一定の具体案を示しているが、共和党も政策をもっていると示そうということ。それが成功するかどうかは大きな問題ではない、それで民心をひきつければよいのだ。
第三に、個人的な利益の側面では、ブッシュの評価試験通過のためだ。ブッシュの歴史的な過ちへの評価はすでに下りた。イラクやパレスチナ問題での失敗は、彼の成績表に汚点を残した。それで外交で何とか成績を上げたいということだ。ブッシュにとってアフリカは「中間停留所」に過ぎず、その議題も実質的ではなく儀礼的なものにすぎない。外交で積極姿勢をとるのがブッシュ政権末期の特徴になるかもしれない。
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