研究誌 「アジア新時代と日本」

第52号 2007/10/5



■ ■ 目 次 ■ ■

時代の眼

主張 福田新政権に問われていること

研究−新自由主義思想批判− 愛を奪う新自由主義思想

時評−安倍さんのストレス診断− 自立精神失調症 

寄稿T 二つの地方を巡って

寄稿U 日本の将来は暗い(2)

寄稿V 海洋生物が教える酸性化のシグナル

世界の動きから

編集後記



 
 

時代の眼


 「新しい政治の季節」が言われている。若者たちの政治への関心の高まりなど、長い政治的無関心の時代に終焉を告げる何かが感じられる。参院選での自民党の歴史的大敗、そして解散総選挙に向かう政局の動きなどは、その氷山の一角に過ぎないのかも知れない。
 実際、今の政局変動の根底には、急速な衰退と荒廃に苦しむ地方の反乱、窮乏化する生活者の訴え、フリーターなど若者たちの不満の鬱積、改憲等、「戦争できる国」への危機感など、全国民的範囲にわたる政治への関心の高まりがある。
 この「政治の季節」の背景に見えるもの、それは、新自由主義、新保守主義改革の行き詰まりとその矛盾の広がり、深刻化だ。事実、自民党内でも「小泉政治の終焉」「構造改革の修正、転換」が言われ始めている。
 目を世界に転ずれば、この新自由主義、新保守主義政治の行き詰まりはさらに明瞭だ。イラク、アフガニスタン事態の泥沼化、南米を覆う反米、反新自由主義政権の林立、米一極支配に反対する多極世界の台頭、等々は、先進資本主義諸国内部に深まる雇用、教育、地方など格差の拡大、社会の二極化と崩壊、生活破壊、そして経済の不安定化などとともに、その現れだと言うことができるだろう。
 今問われているのは、新自由主義、新保守主義の政治と経済に代わる新しい政治と経済の創出だ。この切実な要求に応える闘いは、すでに世界中でくりひろげられてきている。新自由主義に反対する南米における新しい社会主義への挑戦、北欧での福祉国家建設、第三の社会主義をめざすロシアなど旧社会主義圏での闘い、そして「もう一つの世界」を模索するヨーロッパなどでの様々な試み、等々。「新しい政治の季節」は、日本におけるそのための闘いの本格的幕開けにされていかなければならないだろう。


 
主張

福田新政権に問われていること

編集部


■「転換」を掲げた福田新政権
 自民党総裁選挙の結果、福田新政権が発足した。  福田政権は「選挙管理内閣」と言われている。すなわち、参院選で「安倍ノー」を突きつけられ惨敗した自民党が、来るべき総選挙で勝つために作った内閣だということだ。  総裁選は、麻生氏が「安倍政治の継承」を印象付けたのに対して、福田氏は、「安倍政治からの転換」を印象付けるものであった。  浮き彫りになったのは外交、とくに朝鮮との関係では、麻生氏が拉致問題をめぐって安倍政権の「圧力」継承をうたったのに対し、福田氏は「話し合いによる解決」を強調した。アジア諸国との関係では、中国包囲網とされる「自由と繁栄の弧」の麻生氏に対して、福田氏は「アジア諸国との共生」を打ち出し、「靖国参拝はやらない」と明言した。  焦点の一つであった「改革の継承」についても、麻生氏が「継続」を明言したのに対して、福田氏は、「方向は変わらない。起きている諸問題は丁寧に対処する」としながら、麻生氏の「断固、継続」というイメージに対し、「転換、是正、修正」のイメージを与えた。  この総裁選の結果が福田氏の勝利だった意味は大きい。自民党は、国民の要求が「安倍政治からの転換」にあると捉えたということだ。言いかえれば、「転換」を掲げてこそ、総選挙での勝利を展望できるということだ。  ここから言えることは何か。  「安倍政治からの転換」を求めた広範な国民の要求が参院選での民主党の大勝をもたらし、自民党総裁選での福田氏の勝利に反映された、そう言うことができるのではないだろうか。

■米国の「転換」も背景に
 「安倍政治からの転換」は、米国の要求でもあった。
 拉致問題を前面に掲げて、圧力一辺倒に終始した安倍政治の外交姿勢は、米国の戦略戦術には合わなくなっていた。
 対テロ戦争(イラク、アフガン)の泥沼化によって、米中間選挙で共和党は敗北し、ブッシュ政権は単独行動主義を国際協調主義に路線転換せざるをえなくなった。こうした中で、対朝鮮戦略も転換せざるをえなくなっている。先軍政治で軍事力を固める朝鮮に対して戦争を覚悟して圧力を加えるという方式は危ないということだ。一旦退き、次を狙うということであり、今は、経済協力(経済浸透)を先行させながら体制の溶解を狙うということだろう。
 そのためには日本を日朝正常化に向かわせ、その経済力も動員したい。にもかかわらず、安倍政権は、あいも変わらず「圧力一辺倒」である。これでは困るというのが安倍政権交代の背景にあることは、ほぼ間違いないだろう。
 実際、中間選挙での敗北以降、ブッシュ政権はそのための流れをつくってきた。米国上院での慰安婦決議で拉致問題を掲げ人権家のように振舞う安倍政権に冷水を浴びせ、6者協議でも、最重要なのは核問題であると陰に陽にたしなめてもきた。たび重なる閣僚の不祥事なども、中川秀直前自民党幹事長が参院選の結果をめぐるNHKでの討論会で「一体どうして、そういう資料が野党だけに流れたんでしょうね」と皮肉っていたが、こうした暴露も米国の意図に沿ったものと見ることができるだろう。
 決定的だったのは、オーストラリア(APEC首脳会談)での安倍−ブッシュ会談。当初この会談では「日米関係を損なってまで朝米関係を進めることはない」と意思一致するようお膳立てができていたらしい。が、それは一顧だにされず、「テロ対策特措法」の延長だけを確約させられた。安倍首相は、追いつめられ精神に変調をきたし、辞任するしかなかった。
 米国の「転換」の原因は、単に泥沼化したイラク、アフガンの反テロ戦争だけではない。この間、米国が唱えてきた、世界のグローバル化、市場原理主義化(新自由主義改革)、それに基づく一極支配そのものの行き詰まり、それと一体に高まる世界の多極化、自主化の動きが、その背景にある。
 新自由主義改革の実験場にされた(ワシントンコンセンサス・80年代)「米国の裏庭」南米では、国民生活が破壊されその塗炭の苦しみの中から反米政権が続々と誕生し、それらが地域的な連携を強めている。アフリカでもそうであり、東アジアも米国に仕掛けられた通貨危機を経て東アジア共同体構想を進めている。中ロも軍事力を強めながら上海機構の結成などその連携を強めているし、インドも中ロとの連携を強めている。
 こうした情勢の中で、米国は単独行動主義を国際協調路線に転換せざるをえなくなり、それを日本に押し付けてきたのだ。

■あくまで国民の要求を基本に
 「安倍政治からの転換」は、国民の要求であり、同時に米国の要求でもあった。すなわち、国民の要求と米国の要求は、「安倍政治からの転換」という一点で一致した。しかし、新自由主義、新保守主義の政治そのものをめぐっては、本質的な違いがある。
 そこで問題になるのは、これからの政治でどちらを基本に行うべきかということだ。答えは明白だろう。あくまで国民の要求を基本にということだ。とくに、これまで米国が強要してきた「新自由主義改革」が多くのひずみを生み、苦痛を強いられるようになった結果、これでは生きていけない何とかしてくれという国民の切迫した声が高まっている。「新たな政治の季節」と言われる状況が到来している。そうした中、国民の要求を基本にすることは、より切実な政治方針となっている。
 実際、小沢・民主党が参院選で「生活第一」を掲げて圧勝したように、国民の切迫した生活上の問題を解決する政策をうちだすことなく選挙で勝利することはできない。
 米国は路線転換したが、それは単独行動主義を国際協調路線に「転換」しただけであって、日本の根本的な路線転換は許さないだろう。従って、国民の生活上の要求を実現する上で米国の要求とぶつかる局面が生まれるのは必至だ。
 問題はこのとき、どういう力に依拠するのかである。力がなければ米国の圧力に抗することはできない。
 その力は何よりも、国民の支持に求めなければならないだろう。そのための方途は何か。それは、国民の切実な要求をどれだけ政策化して打ち出し実行していけるかにかかっている。「年金、子育て、農業支援」を掲げて参院選で勝利した小沢民主党は、これをさらに具体化・政策化しようとしている。自民もこれに習って、具体的な政策を示すことが重要だ。
 すでに、加藤紘一氏など自民党の中からも声があがっているが、例えば、地域コミュニティの復活支援に金を出すとか、不安定雇用問題について、均等処遇の考え方を導入し不安定雇用は企業に有利な分だけ正規社員よりも2割増しの賃金を払うとか、正規雇用すれば免税するなどのインセンテチィブを企業に与えて正規雇用を増やすなど、それらを政策化してどしどし打ち出すべきである。
 米国の圧力に抗してやっていくための力はまた、米国の転換の背景にある世界やアジアでの多極化・自主化趨勢との連携を強めることである。
 これまでのように米国の眼が怖いからと、東アジア共同体構想にも消極的な態度では、アジア諸国から相手にされなくなり、益々米国に頼らざるをえなくなるようになるだけである。
 アジアや世界で強まる多極化・自主化の趨勢と連携を強めてこそ、米国の力に抗して日本の利益を守ることができる。
 「経済合理主義で、何でも市場に任せておけばよいというものではない」と、新自由主義、市場原理主義に批判的な考えをもつ福田新首相は、所信表明演説で「温もりのある政治、希望と安心の政治」を行うとして、「自立と共生」を基調にした改革の実行を表明した。
 改革はやっていかなければならない。しかし、新自由主義改革だけが改革ではない。今は、新自由主義改革で噴出した構造的な矛盾を真正面から受け止め、それを改革することが問われている。
 そのためにも国民の声に耳を傾けその要求を実現する政治を肝に銘じ着実に実行していかなければならないだろう。
 いずれにしても、来る総選挙では、国民の要求に答える政策をいかに提起するかによって、その勝敗が決まる。ここから何かが始まるのではないか。


 
研究−新自由主義思想批判−

愛を奪う新自由主義思想

赤木志郎


 前回、人間にとって根源的な要求は自己の運命の主人としてそれを切り開くことであると述べた。人間が自己の運命を切り開こうとすれば、一人孤立してではなく、社会のなかで人々と協力して切り開いていくようになる。ここで人々が運命を切り開いていくようにする人間と人間を結びつけるものとして、愛と信頼があると思う。互いに信頼し想いあう関係があってこそ、人々は協力し助けあいながら自己の運命を切り開いていける。しかし、新自由主義思想は、人間を信じ愛するということができないようにしているのではないだろうか。今回、このことを考えてみたい。
 今日の日本社会は、学校でも職場でも相談する友人、先輩をもつことが難しく、すべて自己責任でやっていかなければならない。むしろいじめや中傷が学校、職場で日常の風景とすらなっている。知り合った人に相手のことを聞くのもはばかられ、街では道で肩が触れるのも避けなければならないほど、警戒して生きていく社会になっている。さらには親子兄弟まで無関係になっているばかりか家庭内の虐待事件が増えている。
 愛がなくなるほど、人々は純粋で自己犠牲的な愛を求めようとするのかもしれない。純粋な愛を描く映画やドラマに感動したりするのもその現れだろう。また、若者の間では愛や絆を求めて出会い系サイト、合コンなど恋人さがしが大きな関心事になっている。そこで愛し愛される関係を得たように思うかもしれないが、それは真の愛にならない場合が多く、なによりも社会からの孤立感は変わらない。
 愛には家族愛、男女愛、友人愛、同胞愛などいろいろあるが、それらが真のものになるようにするのは、自らの人生、運命を切り開いていくうえで固い絆で結ばれるものにすることであると思う。
 そこからみたとき、愛とは、例えば「かけがえないものして相手をいとおしみ、その人自身の成長と発展を願う心」だと言うことができると思う。このとき「かけがえない」というのは、ともに運命を切り開くうえでなくてはならない貴重な存在になるということだ。そのとき、相手をいとおしむ心、相手の成長と発展を願い、相手が立派に生きていけるようにと尽くす心、それが愛ではないかと思う。
 つまり、人間を愛するとは、同じ人間、同じ日本人として、あるいは同じ地域、会社、学校、さまざまなつながりのなかで、ともに苦楽と運命を切り開いていくうえでかけがえない存在として貴重に考え、そのかけがえない人々のために尽くしていくことではないだろうか。もし運命をともにしようということがなければ、それは一時的なものにすぎず真実の愛にならないだろう。
 ところが今日の新自由主義社会は、人々を苦楽と運命をともにする「かけがえない」存在とはみなしていない。自助努力、自己責任の名で老人、身障者、貧困世帯など弱者や地方を切り捨て、派遣、請負など不安定雇用労働者はいくらでも代わりがいるとして使い捨て、正社員もサービス残業、過労死などとこき使っている。人々をバラバラにし競争させる社会において、人々を苦楽と運命をともにしていくかけがえない存在として見ることが非常に難しくなっている。運命をともにし信頼し助けあっていきたくてもできないようにしているのが、あらゆる集団を崩壊させた今日の新自由主義社会である。
 社会がそうであるだけではない。新自由主義思想がそれをいっそう苛酷なものにしている。
 社会生活の中で関わりのある人々に情をもち、人間を信頼し愛して生きたいというのは、人間の本来の姿であると思う。新自由主義思想は、愛のない社会でこのように愛を切実に求めている人々が、互いに相手をかけがえのない存在として愛しあえないようにしているのではないだろうか。
 新自由主義は社会を否定して個人で生きるしかないとし、「他人を気にせずに自分で好きなことをやりなさい」「その結果は自己責任ですよ」と言っている。それは、他の人々がどうなろうと自分は関係ない、運命は自分一人でしか切り開けないということである。それでは、人間をかけがえのないものとして愛することができなくなるのではないか。
 新自由主義は信じられるのは自分だけとする。他の人々はすべて無関係な人々か、自分を規制する人か、利用対象か、競争相手としかならない。その結果、親や教師とか近くにいる人ほど自分を規制する人間として憎悪する現象も起こっている。自分が傷つくのをおそれて結婚を躊躇することも少なくない。人間への信頼のないところに、相手がかけがえのない存在とする真実の愛が生まれるはずがない。
 新自由主義は、また、ただ自分のためにだけに生き、社会と人々のために尽くすようなことは馬鹿げたこととしている。
 こうして、人間が人々と苦楽と運命をともにしようとすることができないように、人を愛することができないようにさせられている。
 愛は人間に生きる目的、生きる楽しみ、生きがい、生きる力、生きる基準を与え、人間を完成させていく。人間は人間を愛するからこそ、自分と切り離すことができない家族、友人、地域の人々、ひいては日本の社会、人々と運命をともにし、それを切り開いていこうとするのだと思う。そして、ともに苦楽と運命をともにするなかで愛がいっそう深まるだろう。
 人々をバラバラにし、一人で人生と運命に向きあわさせることによって、人々から人間の生そのものであり、運命開拓の原動力である愛を奪っているところに、新自由主義思想のもっとも反動的で人間否定的な本質があると思う。


 
時評−安倍さんのストレス診断−

自立精神失調症

K大病院消息筋


 辞任後、K大病院に入院した安倍さんの病状に関して「機能性胃腸障害」だと診断されている。これは心療内科の医師が診れば「うつ病」や「うつ症状」「強迫性障害」などになり、消化器専門の医師が診れば「機能性胃腸障害」になる表裏一体の病気と言われる。強いストレスで脳の視床下部からでるホルモンが胃の動きを低下させることからくるものだ。
 安倍さんは強いストレスに悩んでいた。
 「テロとの戦いを継続させるうえで局面を転換しなければならない」というのが安倍さんの突然の辞任の理由だった。「テロとの戦い」とは自民党内からも「たかが無料ガソリンスタンド」と陰口される海上自衛隊の燃料補給活動のことだ。だが、この活動が参院多数派小沢民主党の反対で危険水域に入った。辞任の数日前、9月初旬のAPEC首脳会議で「対外的な公約であり、私の責任は重い」「職を賭して」とブッシュ大統領に見栄を切るしかなかった安倍さん。参院選大敗ですでにその実行力を失った安倍さんに「対外的公約」はプレッシャーとなって「強いストレス」を引き起こした。そして電池は切れてしまった・・・。
 安倍さんの「美しい国」路線の要は、ブッシュ大統領の「反テロ戦争」路線という外勢頼みの「戦後レジームからの脱却」、「九条改憲−参戦国家への転換」を図ることだった。でもその結果、安倍さんはブッシュ大統領にふりまわされてしまった。
 米国の頭越しの小泉訪朝、日朝ピョンヤン宣言を快く思わなかったブッシュ大統領の意を受けて「拉致問題最強硬派」として時計を逆戻りさせ、日朝関係を「最悪」と言われるまでにした安倍さん。その「功労」で首相になったはいいが、折り悪しくブッシュ式ネオコン路線がイラク「反テロ戦争」を争点とする米議会中間選挙敗北という形で破綻。一転して朝米対話、協調というブッシュ大統領の「変節」に遭遇。今度は「拉致優先」の安倍さんが朝米接近に活路を見いだすブッシュ大統領の「おじゃま虫」になった。米議会からは「従軍慰安婦問題決議」で「拉致解決・人権外交」の一枚看板を傷つけられ、六者協議では孤立の悲哀を味わされた。もはや、めざす「美しい国」は「絵に描いた餅」とマスコミからも嘲笑されるものになった。
 「親亀こけたら子亀もこけた」−同じこけたのでも自分でこけた親亀のダメージは小さい。でもただ上にのっかっていただけの子亀の傷は深く症状は重い。
 過敏な対米依存体質、自国民に立脚しない自立精神失調症こそ、政治家安倍を強いストレスに追い込んだものと診断される。日本の政治家の皆さんにはこれを他山の石としてほしいと思う。


 
寄稿T

二つの地方を巡って

小川 淳


 先月、久しぶりに帰省した。故郷熊本に帰るのはおよそ30年振りである。昔住んでいた場所や小、中学校などを車で見て回った。学校の建物は新しく変ったが、校庭の榎はそのままだった。町を横断するかのように高速道路も開通したと聞いていたので町の姿は激変しているのではないかと思っていたが意外にも30年前の建物や町並み、木立などがそのまま残っていた。時代に取り残されたかのように商店街に昔の活気は残っていなかった。ここにも地方の疲弊が色濃く現れている。この故郷の町も周辺の町と合併して今はない。
 9月下旬には愛知県の三河地方の山村を訪れた。かつては東海道53次の宿場町として栄え、いまも旧東海道沿いには由緒ある神社や旅籠が往時の姿を留めている。
 この町で地区の人たちが45年ぶりに復活させたという農村舞台を見学した。昔から祭礼時には地元の若者たちによって人形浄瑠璃が演じられたという。舞台は244u、7mと3mの回り舞台を備えた立派なものだ。神社の境内には竹で組まれた見事なアーチが客席を覆っている。地元の人の話によると、この町も今年いっぱいで隣の市に吸収され消えるという。
 一番の理由は財政難だ。以前に比して国からの地方交付税は10分の1に減らされたという。もはや人口の少ない地方は自立的な財政運営は不可能となっている。町の人も合併を心から望んでいるわけではなさそうだ。しかし合併せずには生きていけない厳しい現実がある。
 コミュニティも時代によってその単位や形態が変わっていく。農業や林業を核にした戦前の「村落の時代」から、工業を中心にした戦後の「町つくりの時代」へ。そして今、脱工業化の「新しい時代」を迎えるなかで、私たちはどのような新しい自治体やコミュニティを作り出していくのか。
 農村舞台復活の動きなどは新しいコミュニティのあり方を模索する動きの一つなのかも知れない。


 
寄稿U

日本の将来は暗い(2)

つね ひろお


 本紙第50号に、わが国の国債残高とそれを家計に例えた場合、破産状態にあると財務省のホームページを紹介した。政府は2006年3月に長年慣例としてきた国債引受シンジケートを廃止した。これは、日銀の引き受けが限界に達したためと指摘されている。これまでの国債の引き受け状況は政府が37%、日銀11.4%、民間金融機関34.2%、海外5%、個人4.5%となっている。ここで目に付くには、海外と個人の低さである。海外が低いのは日本の国債の格付けが低くリスク商品となっているためだ。米国での個人の国債保有率は10%弱であり日本は低い。政府は2011年にはプライマリーバランスの健全化を謳っているが、今後も国債の発行は続くのでその引き受け手に約1500兆円の金融資産を持つ個人が選ばれたということか? 現に超低金利の下、個人国債の売れ行きは上々のようだ…が?
 2006年にゼロ金利政策が解除された。財務省が出す「国債整理基金の資金繰り状況等についての仮定計算」というのがある。これは、国債残高と利払い費の関係を仮定したものだが(この想定金利は2・3%で現状とは開きがあるが)、2007年国債残高547兆円、利払い費9・9兆円、2011年国債残高625兆円、利払い費12・9兆円、2020年国債残高778兆円、利払い費17・5兆と年々増加の一途を辿る。
 これからすると、日銀の利上げは政府と自らの首を絞めることとなり、日銀の政策金利上げ時、与党から出た牽制の意味がよくわかるというものだ。長年の低金利政策、ゼロ金利政策はバブル崩壊後の不良債権に苦しむ銀行と企業への救済策とされるが、同時に国の救済策でもあったということのようだ。
しかし、このことが預金者たる国民に多大な負担を掛けてきたことは明確だ。本来入るべき利子所得が企業に移転され、その企業が過去最大の利益を上げる状況になった。では、その家計から移転した本来入るべき利子所得はどのくらいのものなのか? 内閣府の出している「利子所得の推移」によると1991年から2004年まで金利水準が変わらなかったと仮定して計算すると、14年間の利子収入の総額は実際に受け取った利子収入より約304兆円多くなるという。その内の90兆円は住宅ローンの軽減に回ったとされ、残りの214兆円のほとんどが企業に移転したと指摘している専門家もいる。
 今、問題になっている構造改革の負の遺産である「格差社会」。この金利政策が大企業と中小企業の格差、持てる者と持たざる者の格差の増大に一役買った。また、年金や細々と蓄えて老後の金利生活を想定してきた預金者のためにも、本来受け取るべき適正金利へ早く戻すべきではないだろうか。たとえ国債の利払いが増えることになっても。国債増大の問題は国の責任だ。これを、これ以上国民にしわ寄せするのは筋違いというものだ。また、焼け太りした企業も社会的責任の再配分の問題を国際競争の厳しさを言い訳にせず真正面から改善してほしいものだ。

 

 
寄稿V

海洋生物が教える酸性化のシグナル

林 功夫


 現在、世界環境学会などが各国で取り組む温室ガス効果による気象異常はかなり深刻な段階のようである。
 私もこのところ、遅ればせながら酸性化の怖さをある身近な生物により知らされる事となった。
 実は小動物を飼育研究する趣味があるのだが、その身近な生物とは房総半島以南の沿岸に生息するワタリガニ科のイシガニである。平均10センチ程度のカニだが、6年ほど前から飼育研究の対象の一つにしている。
 飼育水は専ら粉末状の人工海水パウダーを塩素を抜いた水道水に溶かして使っていたのだが、一つ不思議な現象が起きていた。それは、カニの頑丈な甲羅や強く大きな鋏脚が除々に穴があくように壊れていくのだ。色彩も鮮やかな青緑色や青紫色が一ヶ月もすると、まるで葉が枯れたように茶色に変わっていく。
 エアレーションの循環を工夫したり、エアーを増やしたり、水替えの回数を増やしたり、餌を変えてもこの傾向は改善されなかった。「やはり、自然環境と飼育環境は差があるのだろう」と半ば諦めていた。しかし、淡水生物のザリガニやスジエビは何ヶ月飼育してもこの症状は起こらないのである。理由が分からず、人工海水パウダーが原因とも考え始めた。
 打開となった契機は今年の春だった。化粧品広告にあった「酸性化による肌荒れを防止しましょう」という宣伝や、「老化促進の主要因は、鉄が錆びるのと同じ酸性化にある」という食生活改善の食品広告。鈍感な私も気づき始めた。もしかしたら、海水の粉末パウダーが原因ではなく、水道水が良くないのか・・・。
 私の推論を後押しするかのようなニュース特集が報じられた。北海道から九州にかけての一部の海域でウニのトゲが切れているという漁師からの報告があるという。報告を受けた北海道海洋資源研究所所長の話では、「海水成分は弱アルカリ性であり、近年の海洋酸性化が表れ始めて炭酸カルシウムの働きが弱くなり、ウニ、サザエ、アワビの骨組みが崩れているのです」ということだ。
 やはり勘は当たっていたのかも知れない。
 ウニの硬く鋭いトゲや貝類の丈夫な貝殻はいずれも炭酸カルシウムで作られている。イシガニの頑強なハサミや甲殻も例外ではない。つまり、二酸化炭素が増加した近年、海上の空気も二酸化炭素過多となり、そのまま海水に溶け込んだり、洋上で蒸発して雨水となって降り注ぐのである。
 海水パウダーは弱アルカリ性だが、蛇口から出る水道水は酸性に近くなっていると聞く。だから甲穀が変色して壊れたのだ。
 人体も例外とは考えにくい。欧米式の肉食は勿論、魚肉も貝肉も、白米も酸性食である。
 カニが身をもって教えてくれた、酸化生活の危機。では、肉食性のイシガニは酸性の肉を食べるのに何故中性の人工海水で極端に体が錆びたのか。現在アルカリイオン水を用いてパウダーを溶き、少し天然海水を混ぜて飼育しているが体表面の変化は二週間経っても全く見られない。
 次に機会があれば、イシガニの変化の様子と共に、人体に優しいアルカリ食品と血液の関係、他の生物はどのように自然界でバランスを取っているのか報告したい。


 
 

世界の動きから

 


■ロシア連邦評議会議長の党が「第三の社会主 義」モデルを宣言
 9月23日、「正義のロシア」党が大会で国会選挙の候補者名簿を批准し、「第三の社会主義」という新しい社会主義建設理念を宣言。この党の創建者の一人、ミロノフは現在、ロシア連邦評議会議長の任にある。
 このモデルは、以前のソ連式社会主義の誤りをくりかえさず、またユーロ社会主義の模倣でもないとされる。全てのロシア人が教育と保健、文化分野で平等な無料制度の恩恵をこうむることになるとしている。
 また市場経済と私的所有に反対せず、ロシアのために正直に働く財閥も経営の安全を保障され、中小企業は私営企業として自由に活動できるとミロノフは述べている。
 プーチン大統領は、ミロノフと電話を通じ、この党の大会の成果を祝し、代表各位への挨拶を伝えた。

(イタル−タス通信)

■中国が風力源開発を加速
 中国国防科学技術工業委員会が風力源開発を加速化するよう軍需産業体に督促。
 2020年まで年産2,000個能力の風力発電機製作企業2、3社を、また2015年までに200億RMB.Yの風力発電設備生産能力をもつ企業8〜10社をつくる。
 現在中国は32億KWの風力源泉をもっており、そのうち10億KWが開発可能とのことである。

(新華社通信)

■大多数のイラク人が武装勢力の米軍攻撃支持
 イラク人の60%が米軍への武装抵抗勢力の攻撃が正当だとみなしている。スンニ派の93%、シーア派の50%がこれに賛同している。これは英BBC、米ABC、日本NHKの各放送局の依頼によって行われた世論調査結果だ。

(イタル−タス通信)

■女子サッカー・ワールドカップ準々決勝、朝鮮−ドイツ戦は「事実上の優勝決定戦」
 ドイツに朝鮮は3:0で負けたが、ボール支配率では朝鮮が53%と圧倒、朝鮮が世界最強チームと対戦する実力のあることを示した。ドイツは苦戦中に得たカウンターによる2得点で事実上、勝負を決めた。この競技のMVPにドイツのゴールキーパーが選ばれたことは、朝鮮の攻撃の強力さを示すものだ。また朝鮮側ベンチの控え選手中三名が15歳の少女であることも、このチームの将来性、潜在力を示している。

(新華社通信)


 
 

編集後記

魚本公博


 韓国ノ・ムヒョン大統領のピョンヤン訪問。板門店・軍事分界線を越えての訪問は分断の障壁を乗り越えての統一気運を象徴。ピョンヤン市民の歓迎ぶりも「祖国・統一」を連呼しての統一一色だった。その様子を見るソウル市民の中には涙を流す人も。
 発表された「南北関係発展と平和繁栄のための宣言」は、「わが民族同士で」という理念の下、南北が力をあわせて自主的統一を果たそうという6・15共同宣言を具体化した画期的なもの。
 「平和」に関しては、「いかなる戦争にも反対」し「互いに不可侵であること」を確認した。「繁栄」に関しては、投資奨励、資源開発、インフラ整備、ケソン工業団地の拡大、南浦港への航路開設、鉄道・高速道路の連結運営とそのための補修などなど、共利共栄していくための経済協力が具体化された。
 象徴的なのは、白頭山観光を開始し直行空路を開設し、北京オリンピックでは南北応援団が共に西海線鉄路を利用できるようにしたこと。
 統一を目指し南北関係を発展させることを約束したこの宣言は、東北アジアと世界の平和にとって大きな意義をもつ。宣言はまた、米国が南北を対立させながら、それを利用して日本に対する支配と統制を強めてきただけに、日本が米国との関係を正していく上でも大きな意義をもつだろう。


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