研究誌 「アジア新時代と日本」

第51号 2007/9/5



■ ■ 目 次 ■ ■

時代の眼

主張 「ポストバブル世代」からの問題提起、それにどう応えるか

研究−新自由主義思想批判− 自由とは何か?

論評 「政権担当能力」?

大阪の復興は下町の再生から

暑い夏より、熱い手紙

世界の動きから

編集後記



 
 

時代の眼


 「弱点こそチャンス」「コンプレックスがチャンス」と人々を励ましている人がいる。脳科学者の茂木健一郎さんだ。
 人は誰しも、弱点や欠点を持っており、それを乗り越えようとする。それができたとき、大脳皮質の下からドーパミンという神経伝達物質が放出され快感が得られる。それにともない、脳は弱点克服のためのそれまでの行動にかかわる神経細胞の活動をより強く再現しようとし、神経細胞が自動的につなぎ変わる。そうすると、次はもっと強くドーパミンが放出される。こうした神経回路の強化が、脳で行われる基本的な学習の方程式だという。一流の落語家やアナウンサーが、子どもの頃、どもりだったり、器用にうまくこなす人よりも、不器用な人がかえってその道の達人になったりするのはそのためだという。
 ここで、弱点を持っていること自体はあくまでも「チャンス」にすぎない。チャンスは活かされなければならない。そのために茂木さんは、「自己批評」を提唱している。自分の弱点や欠点を人の前で表現してしまうということだ。ここでポイントは、あくまで「人の前で」ということだ。
 自分の弱点は、分かっているようで、分かっていないものだ。それを人前で自己批評しようとすれば、自分自身を客観的に分析する努力が必要だ。それに、恥ずかしさを乗り越える覚悟、必ず欠点を克服する覚悟も問われてくる。また何より、自身の弱点を人前でさらけ出せば、広く皆の力に依拠できる。皆の評価や指摘を受けて「批評」を深めていけるだろうし、皆の励ましと統制のもとで、その克服のための努力を持続させていくことも可能だろう。
 かくして、チャンスは現実の成長に転化する。それはともあれ、こうした生活の真理が、彼のように温かい脳科学者によって、物質的に実証されるのは素晴らしいことだと思う。


 
主張

「ポストバブル世代」からの問題提起、それにどう応えるか

編集部


■なぜ、これが重要なのか
 ご存知の方も多いと思うが、朝日新聞社が発行する雑誌「論座」の今年1月号に、「丸山真男をひっぱたきたい−31歳フリーター。希望は戦争」という刺激的な題の論文が掲載されて以降、大きな反響を呼んでいる。筆者の赤木智弘さんは31歳の若者でフリーター。
 表題の「丸山真男をひっぱたきたい」は、戦後民主主義の代表的な論客であった丸山真男が先の戦争で徴兵された際、部下の一等兵からひっぱたかれるようないじめにあったという逸話による。戦場では、東大出の超エリートと中学も出てない最下層の大衆との立場が逆転する。「ポストバブル世代」にとって、「戦争とは、現状をひっくり返して『丸山真男』の横っ面をひっぱたける立場に立てるかもしれない、というまさに希望の光なのだ」。
 1995年〜2005年までの不況時期に正規の職を得ることができなかった若者は510万人にも及ぶ。また、非正規雇用は、雇用者全体の3人に1人で1700万人(女性に限れば5割を超える)である。しかも新自由主義改革を政府、財界が一体となって国家的に推し進めている中にあって、非正規雇用はさらに拡大していく。そうであれば、「ポストバブル世代」の問題は、若者全体の問題である。
 バブル崩壊以降に社会に出て正規の職につけず、親に寄生してやっと生きるだけで結婚もできない境遇。しかも、景気が回復した今になっても正規社員になれる見込みもない。そして、そうした境遇を誰もみてくれず、「自己責任」という言葉で嘲笑を浴びせられ、「努力しろ」とプレッシャーをかけられ続ける屈辱…。
 この耐え難い境遇にあって、赤木氏は、左派よりも右派に共感を覚えると言う。「右派の思想では『国』や『民族』『性差』『生まれ』といった…固有の『しるし』によって…社会の外に放り出された貧困労働層を、別の評価軸で再び社会の中に規定してくれる」。「さらに右派は、この国の現状を憂えて批判してくれる」と。
 赤木氏自らは、左派と自認する人であり、右派の「欺瞞」を知っている。その自分でさえ、右派の言い分に共感するのだから、このままでは「ポストバブル世代」が右派に吸い込まれ、戦争に向かうのをとどめることはできないのではないかというのである。
 「しかし、それでもやはり、我々を見下す連中であっても、彼らが戦争に苦しむさまを見たくはない。だからこうして訴えている。私を戦争に向かわせないでほしい」という痛切な訴えにどう応えるか。それは、日本の運命をも左右する切迫した問題である。

■問題提起の真意はどこに?
 赤木氏の論文は大きな反響を呼び、「論座」は4月号で左派系論客の応答を特集した。
 それらは、「希望は戦争」という刺激的な言葉に引きずられてか、「何てことを言うのか」という感じのものから、「不幸なのはあなたたちだけではない」「もっとよく考えて」というものまでさまざまだが、いずれにしても「考え直して欲しい」と誤りを諭す論調になっている。しかし、そうした反論への赤木氏の応えは、「けっきょく『自己責任』ですか」(「論座」6月号)というものだった。
 そこには、「結局、分かってくれないのね」という気持ちがこもっている。それは、何よりもまず、自分たちフリーターの境遇は野たれ死ぬしかないような状況なのだ、そのことを知っているのかということだ。
 赤木氏自身、親が働けなくなれば自分は首を吊るしかないと言っている。そして、その死は、「自己責任」として「負け犬」のレッテルを貼られるだけの惨めなものだ。それが果たして人間らしい生なのかと問い返す。
 その彼が一番反応を示したのは、「『何ももっていない私』と言うが、いのちはもっているのである」(だから希望は戦争などとバカなことを言うな)という言葉に対してである。
 彼は、この言葉に対して次のように反論する。「私なら、そんな状況を指して『命は持っている』などとは絶対言わない。私が欲しい、そしてすべての人がごく当たり前の尊厳として得るべきなのは、『人間としての〈命〉』であり、ただ心臓が動いているだけの『いのち』などではないはずだ」と。
 結婚もできず、自分の暮らしさえ維持できない境遇。それにもかかわらず、そのことに誰も関心を払わず、彼らを蔑み、その上に安住するような社会のあり方。
 赤木氏の言いたいことは、人間らしい尊厳ある生き方をしたいということであり、それを許さないような社会はおかしいということだ。
 そして「自己責任」。反論の中に「自己責任」という言葉は出てこない。しかし、「革命をやれ」「もっとよく考えよ」「苦しいのはあなたたちだけではない」「自力で立ち上がれ」などということは、結局「自分がしっかりしろ」「自分がやれ」というであり、「けっきょく『自己責任』ですか」ということなのだ。
 赤木氏は、その一つ一つに反論する。その詳細は省くが、「考えろ」と言われても、日々暮らしに追われるフリーターにはその時間さえないではないかということだ。そして、「私は戦いたいし、もっと考えたい」として、そのためにも「社会が手を差し伸べてくれ」と訴える。
 すなわち、赤木氏の言いたいことは、「自己責任」では、この問題を解決することはできず、社会的にしか、この問題を解決することはできないということなのだ。

■どう応えるのか
 「社会が手を差し伸べてくれ」という訴え。フリーター問題(不安定雇用や格差なども)は、「自己責任」ですまされる問題ではない。社会的に国家の政策として解決しなければならない問題である。
 それでは、どのようにこの問題を解決するのか。それは簡単ではない。しかし当面差し当たって、これだけは解決しなければならないのではないだろうか。それは第一に、正規と非正規の格差をなくす方向で努力することだ。
 今日、フリーター層が「せめて、これだけは実現して欲しい」と言っているのは、同じ仕事をしているのに正社員と賃金に格差があるということだ。同じ仕事には同じ賃金を払う(同一労働同一賃金)、これをまず解決しなければならない。こうした考え方を均衡処遇と言うが、これには、企業にとってフリーターが使い勝手のよい労働力なのだから、その利便性に対して余分にカネを出すということも含まれる。
 第二に、格差是正にとどまらず、非正規を正規にしていく試みも行っていくべきだ。
 自民党の加藤紘一氏が「強いリベラル」という著書で、「ポストバブル世代」のフリーター層を正規雇用すれば企業に税額を控除するインセンティティブを与えることで非正規の正規雇用化を促進するという案を出している。こうした案を参考に、色々な方法で非正規の正規化をはかっていくべきだ。
 以上のような対策は、簡単には実現できない。そこに大きな痛みを伴うからだ。政府の歳出も増大するし、正社員にもしわよせがくるし、企業経営にも影響が出る。
 それゆえ、このような政策を実現するためには、国民的なコンセンサスが不可欠になる。そこで問われるのは、日本にとってどうなのかという、「日本」を基軸に置いた視点だ。
 例えば、「日本」を基軸において考えるときには、「われわれ日本人」として、この問題を自分の問題として考えるようになり、フリーターも「仲間」「同胞」として捉えるようになる。そして正社員も仲間のために自分の取り分を譲歩しようとなり、企業家も同胞のため日本のために譲歩すべきは譲歩しようとなる。
 そして、こうした立場に立てば、日本の運命(戦争に向かうなど)を考えながら、国民的な合意を形成していくこともより容易になろう。
 そして、フリーター問題の解決は、戦争だけでなく、今日の日本が抱えるあらゆる問題を解決するために、まず解決しなければならない問題だ。社会の二極化、少子化、未来の喪失、不安の増大、生活苦・生活破綻、家族崩壊、倫理崩壊、犯罪の多発、そして自殺の増大…。その一つ一つに「ポストバブル世代」こそがもっとも厳しく直面させられ、その象徴となっているのはまぎれもない事実ではないだろうか。
 それだけに「戦争に向かわせないでほしい」という「ポストバブル世代」の問いを真摯に受け止め、フリーター問題を実地に解決していくことは、切実な問題である。


 
研究 新自由主義思想批判

自由とは何か?

赤木志郎


 新自由主義思想の核に「自由」という価値観がある。「何をやってもかまわない」「個人の活動を規制するものはすべて撤廃すべきだ」「自分がやりたいことを追求しなさい」などと言われている。そこには必ず「自己責任」がついてまわり、フリーターのままであるのは努力が足りないからと本人のせいにされている。新自由主義の自由は資本家のための自由であって、若者にとっては自分で自分をしばりつけるものになっている。一体、自由とは何なのか、今の自由が真の自由といえるのか? ほんとうの自由とはどういうものか?など自由について、今回、考えてみたい。
 自由とは、一般に「自分のしたいことをすること」「何にも拘束されないこと」といわれている。これは周知のように18世紀ブルジョア民主主義革命のときに確立された価値観である。「自らが望むことをやりなさい」というのは、身分制や宗教の拘束に縛られていた当時にあっては、未来を切り開くための政治革命、精神革命を意味した。バスチーユ監獄を襲撃し王政を倒したフランス革命やアメリカ独立革命がその典型であるように、自由は専横的な君主の支配に反対し、その抑圧と拘束を廃する強力な理念となった。
 しかし、資本主義社会では大多数の勤労階級にとって真の意味で自由な生活は実現されなかった。資本主義社会で労働者は自分の労働力を自分の商品として処分できる「自由」をもっているが、労働力を売って生きていく以外ないゆえ、実質的には搾取される自由しかなかった。それは、自由と平等の原理が、個人の利益を守ることを基準にした自由として、市場において労働力を買う人と売る人とのあいだの自由と平等の関係になるからである。
 さて、新自由主義は国家をはじめとする集団が個人の自由を拘束しているとして、それらの規制の廃止を主張し、すべてを市場に委ねるべきとした。いわば、個人の自由を集団と対立させた徹底した個人本位の自由主義であるといえる。
 それは、個人が実力さえあれば市場で評価されるというように、一見、魅力があり公平だと思われた。しかし、現実は、あらゆる規制がとりはらわれもっとも自由でありながらまったく自由でないという「自由の喪失」を生みだしている。
 請負、派遣、契約、アルバイト、パートとさまざまな名称で呼ばれる不安定な境遇にある人々は、明日の未来どころか結婚もできず今日の生存すら脅かされている。地方では年収1万円にも満たない人々がおり、貧しさにうちひしがれている。なにもない不安定な境遇のもとではいくら「自己決定できる自由」があっても、職すら自由に選ぶことが出来ず、家庭や自分のささやかな部屋ももてないでいる。
 できるのは、市場において競争することだけである。どんなに努力したとしても、もっとも強いものだけが勝者となり、他の絶対多数は敗者として見捨てられていく。
 国家と社会から切り離され、市場競争において不安定労働者層をなす人々は、日々生存が脅かされているばかりか、社会的に人間としてすら認められないでいる。
 新自由主義は個人を拘束するあらゆる規制を撤廃し完全な自由を保障しているようにみえながら、自分の意思で職業を選ぶ自由もないのだ。すなわち問題は、自分で自分の運命を切り開くことができない、そういう自由だということである。
 いったい、このような自由を人々が求めてきたのだろうか? なぜ人間は自由を求めるのか?
 自由をなによりも大切なものと考えるのは、それが自分で自分の意思を決定しそれを自分の力で実現できるかどうかの問題であるからだ。自分の意思を自分で決定できず、それを実現するための活動ができないなら、人間は人間として生きているとはいえない。人間は自分の意思をもち自分の力で生きていく自主的な存在ではないか。
 このようにして考えると、結局、人間が自由を求めるのは自己の運命を自分で決定し自分で切り開こうとするからだといえる。
 したがって、自由とはそれ自体は何にも拘束されず、自分のしたいことをするということであるが、その目的は自己の運命の主人となることであり、自己の運命を自分で決定し自分の力で切り開いていくことであるといえる。
 その運命は個人で切り開くことはできない。人間はこれまで社会的集団を形成し、互いに協力し助け合いながら集団の力で運命を切り開いてきた。
 ところが、新自由主義は集団が個人の活動を抑圧、拘束するとして集団と個人を対立させ、人々をばらばらな個人にし、互いに反目、競争させてしまっている。国家や社会、集団から切り離された個人の自由では、人々はなにひとつ自己の意思を決定できない不自由になるしかない。
 新自由主義の自由とは、それは目に見えないが外界から隔絶された「自由」という名の檻ともいえる。
 新自由主義のいう自由は、集団と個人を対立させることによって、あたかも自由の徹底化かのようにみせながら、自由を求める目的である自己の運命を決定し切り開こうとする人間の生の根源的要求を真っ向から蹂躙するものであるといえる。
 今、求められているのは、自己の運命を切り開いていく自由であり、そのためには運命をともにし互いに協力し助けあっていく集団を築き、その力で自己の運命を決定し自力で切り開いていくことではないだろうか。事実、これまで個々バラバラにされ人間以下の境遇を強いられてきたフリーター層のなかで、自己の境遇を改善するためには、問題を社会的に解決すべきであり、そのために互いに団結し行動しようという動きがでている。
 単なる拘束からの自由ではなく、自己の運命を自分の意思で切り開くことこそが真の自由である。


 
論評

「政権担当能力」?

魚本公博


 11月1日に期限の切れる「テロ特措法」の延長問題が秋の国会の焦点となっている。
 小沢・民主党は、延長反対を表明しているが、これに対して、あくまでもその延長を主張する立場の人々が言っているのが「政権担当能力」ということである。
 その代表例は、民主党の前代表である前原誠司氏の「米国との関係をまずくすれば、政権担当能力を問われる」という発言である。そして、同様のことは自民党も各マスコミなども言っている。
 これは、どこかおかしい。彼らは、米国がどう思うか、米国が気分を悪くするのではないか、ということを判断の基準にしているわけだが、それは政権担当能力の有無を評価する上での基準になるのだろうか。
 そもそも政権担当能力とは何か。
 政権とは、主権者である国民が負託したものである以上、政権担当能力とは、政権を担う政党や政治家がどれだけ国民の負託に応えることができるかという能力である。すなわち国民の要求に応え、それを政策化し、執行する能力だ。
 そうであれば、政権担当能力を判断する基準は、どこまでもその政権が国民の意思と要求に応えることができているか否かに置かれなければならないのであって、決して米国の意思にそえるか否かにあるのではない。
 今日、米国が反テロ戦争の名で行ったアフガン、イラクでの戦争は出口の見えない泥沼に陥っており、米国もその失敗を認めざるをえなくなっている。米国の行動に対する国際的な懐疑や批判の声も高まっている。さらに米国内でも反対が多数を占めるようになっている。 
 そうしたときに、「テロ特措法」延長への国民の意思はどの辺にあるのだろうか。ただブッシュ政権の要求の通りにすればよいというのでないことだけは確かだろう。


 
 

大阪の復興は下町の再生から

小川 淳


 地盤沈下が久しい大阪が今年は元気だ。
 不人気だったとはいえ、世界陸上の開催はやはりインパクトがあった。最終日の女子マラソンは私の家の近くを走ると聞いて早朝から応援に出かけた。あっという間に通り過ぎたトップランナーのスピードには圧倒された。
 テレビの中継を見ていて気づいたのだが、長居競技場から大阪城に至るこのマラソンコースは、中ノ島や御堂筋など大阪の名所が随所に盛り込まれていて、国際試合に恥じない景観を見せてくれた。一方で、長居から大阪城に至る直線コースには生野区や城東区などいわゆる大阪の下町が含まれていて、外国人ランナーのバックに焼肉屋やラーメン屋の看板が画面に流れるさまもまたなんとも大阪らしくて、洗練された御堂筋や歴史的景観を誇る大阪城や中ノ島と生野区の下町のコントラストが微笑ましい。
 この夏には関西空港の第二滑走路も開通し、境市は世界最大規模の液晶パネルの工場(シャープ)の誘致が決まった。近鉄阿倍野には全国一の高層ビルの計画もある。
 一方で、私が住む生野区や東成区などには戦後復興期に建てられた木造住宅が密集し、老朽化した住宅やシャッターを下ろしたままの店舗や工場も少なくない。年毎に空き家率が増え、30%を超える地域もあるという。これもまた大阪の現実である。
 戦国時代には宗教都市として栄え、江戸時代には商都として日本を支え、戦後も経済成長を牽引した歴史を持つ、それが大阪だ。大阪の衰退は日本の衰退でもある。
 80年以降の構造改革路線は東京への一点集中と地方経済の歪、格差を生み出し、地方の疲弊は目を覆うばかりだが、地方に目を転じるまでもなく、大阪という日本を代表する都市内部にも大きな「格差」が内在していることがわかる。
 今後どのように大阪の町を復興させるのか。空港や最先端の工場も悪くはない。けれどもそこに住む人たちが一生安心して快適な新しい都市空間をいかに創造していくのか。とりわけ戦後復興期に建てられた木造住宅の密集する生野区のような地域をどのように再生していくのか。工場の誘致や空港というような箱物ではない、これまでとは違った新しい都市のあり方、町作りのコンセプトが問われていく、そういう時代をむかえつつあるのではなかろうか。


 
 

暑い夏より、熱い手紙

 


★お久しぶりです
 選挙が終わってほっとしてペンをとりました。
 念願の9条ネットが2月にやっと発足し、今回の選挙は久しぶりに比例区と選挙区で闘うことができました。思えば1996年、日本社会党が消滅し、新社会党が生まれてからのこの10年。この日の為にあったのかと、いそいそととりくんでおります。
 これからの3年間で必ずや、共産党も社民党もまきこんだ大きな市民パワーで、「9条守ろう」の運動が草の根で広がっていくと確信しています。「改憲」の基本施策を国民は決して認めてはいないし、「戦争をするふつうの国、美しい国」よりも「暮らし第一の国」を求めていることも、この選挙で得た確かな手ごたえです。
 これから二大政党の体制の下に、翼賛体制がじわりじわりと作られていくでしょう。私たちはあくまで「命と暮らしが大事、9条守れ」の一点でつながっていきます。
 暮らしは悪くなるばかり、働いても働いても楽にならないという生活実感はもはや国民の大多数の実感です。政治への不信と絶望を突き抜けて「自分たちの手に政治を取り戻そう」という思いがびんびん伝わってきます。
 本当に「9条ネット」をやってよかったと思います。「9条の会」の取り組みの中から生まれた政治団体です。個人の集まりである「9条ネット」を宝塚の地でも動いていけるように、7月に「憲宝―憲法をいかす宝塚市民ネット」をたちあげ、社民や共産の人たちと月一回9の日に街宣することになりました。60代になって、まだまだやるべきことは一杯あります。・・・
 東京から「9条ネット」の選挙ハガキが2通も来たので思わず苦笑。身近での護憲の広がりに嬉しくなりました。若者から見れば、おじいさん、おばあさん、頑張っているなー、なのでしょうね。小田実さん(改憲を主張する安倍自民党の大敗北を見届けるかのように7月30日未明に逝去)が言っていたように、「社会の矛盾や歴史の重みに押しつぶされそうになって絶句する人間に目を凝らしていこう」と思います。
 一人ひとりの思いが、党派や立場をこえてつながっていく必然性がそこにあると思います。

(T・M)

★残暑お見舞い申し上げます。
拙い選挙結果メールを見られたのですね。周囲にハガキを書くことしかできなかったのですが、「9条ネット」という自信をもって投票できる政党を得たことは大きいですね。まだまだ残暑厳しいおりからも呉々もご自愛ください。

(T・T)

★ 暑中お見舞い申し上げます
 同封しました資料は愛知各地での平和集会、シンポで収集したものをコピーして教育者、中・高・大学生の方々に配布しています。
 日本の過去のアジア侵略について正しい歴史を伝えた心が働いて一人でも多くの若者に!!をモットーに活動しています。
 先日は名古屋にて高遠さんの講演会に参加しました。米帝のイヌになりイラク人民を何10万人と殺害している安倍政権は許せません。参院選の大敗北がイラク侵略協力法をつぶす原動力となることを信じています。
 沖縄では、あの戦争で日本軍が集団虐殺を実行したことを教科書から削除する始末、南京大虐殺、三光作戦、731生体実験、強制連行、「従軍慰安婦」問題等、社会科教科書から削除し、アジア侵略の歴史を青少年に教えない政策をとっています。・・・
 今度の米下院議会では「慰安婦問題」決議(日本政府が正式に謝罪すべきである)で圧倒的多数で採決されました。これも李ハルモ二をはじめ米議員、支援者の熱意の結果と感謝しています。日本の右翼の人間(桜井よしこ、河村たかし、西村など)が集団でワシントンポスト紙に反対広告を出しましたが、これが大きな反感をもたれたものと思います。大成功。お体大切に!!

(M・M)


 
 

世界の動きから

 


■減少傾向示す黒人の米軍志願兵
 米陸軍の新兵募集は黒人青年の志願入隊に大きく依存していたが、米公営放送NPR記者はイラク戦争開始以来52%の減少を伝えている。
 米軍、特に陸軍は黒人青年にとって人気の高い雇用機関であった。その要因は、除隊後、大学進学の基盤が整えられること、また重要には米社会で人種差別が最も少ない組織だという点にあった。
 CBS・TV放送の最近の世論調査では、黒人の83%がイラクから米軍は撤収すべきだとしている。白人のイラク戦争反対46%に比べても黒人社会の絶対多数がイラク戦争反対の状況下で、黒人青年が国の戦争に参与したくないと考えている。

(VOA放送)

■中国支持派を防衛大臣に任命、中国重視に
 防衛大臣、高村正彦の中国支持姿勢は中日軍事交流強化を後押しすることにちがいない。
 高村は1980年代以来、衆議院議員、外相、法相として訪中、これ以外にも中日友好議連会長として活動、「北京オリンピック支持」議連、「上海世界博覧会支持」議連にも積極参加。
 高村は中日関係が安定してこそ日本とアジアの関係も安定すると見ている。これまで日本は日米軍事同盟強化に戦略的利益の核心を置いてきた。しかし世論は、今回、高村を防衛大臣に任命したことは日本が日・米防衛と日本・アジア防衛関係のバランスをとろうという一つの信号となるかもしれないと見ている。

(中国「国際先駆者案内報」)

■与党圏がハンナラ党大統領候補発言を非難
 リ・ミョンバク、ハンナラ党候補が駐韓米大使と会見した席上での発言が問題化している。彼が今回の大統領選挙は、「親北左派と保守右派との対決」と規定したことに与党圏でいっせいに非難の声が上がった。
 大統合民主新党のスポークスマンは、南北和解協力路線を親北左派と規定したのは、守旧的冷戦的な思考の発現だとしながら、南北正常化会談について何回となく言を変えてきたリ候補の対北観に確固たるものがあるのかも怪しいと非難。

(韓国MBC放送)

■朝鮮がナイジェリアに原油ガス投資
 ナイジェリアがこの国の原油ガス部門に対する朝鮮の投資を呼び込む問題討議のために朝鮮民主主義人民共和国に代表団を派遣する。
 8月28日、オマル・アルアドウア大統領が離任の挨拶に訪れたナイジェリア駐在朝鮮大使との会見席上で、動力相のピョンヤン派遣について語った。

(イタル−タス通信)

■アリラン公演、ギネスブックに登録
 朝鮮民主主義人民共和国のマスゲームと芸術公演「アリラン」が、8月15日に行われた公演で「世界で最大規模のマスゲームと芸術公演」としてギネスブックに登録された。
 なお10万名参加のこの大公演は8月1日から10月中旬までほぼ毎日行われる予定だったが、「全国が水害復旧事業に立ち上がったいま、公演進行が困難になった」と朝鮮中央通信が伝え一時中止となったが、復旧次第再開される。

(イタルータス通信)


 
 

編集後記

魚本公博


 今回の主張では、「赤木論文論争」を取り上げました。95年から05年の間に就職期を迎え正規労働につけず、フリーターとして生きていくしかない「ポストバブル世代」(510万人)の状況ほど今日の日本の諸問題を典型的に示すものはありません。
 「安倍大敗」を前後して、「新しい政治の季節」ということが言われ、参院選挙後の世論調査では、自分の票で政治が変わるかどうかという質問に「変わる」と答えた人が44%にも昇っています(以前は3割前後)。参院選における地方の自民惨敗にも若者の動きが大きかったとか。この動きが都市部にも拡大していくためにも、若者フリーター層の要求をかなえる政策の提起が決定的でしょう。


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