研究誌 「アジア新時代と日本」

第44号 2007/2/5



■ ■ 目 次 ■ ■

時代の眼

主張 安倍政権下で進む法の反動化   新保守主義ファッショ化と闘う視点を

研究 硫黄島、靖国、アーリントンから21世紀の9条を考える

論評 東アジアサミット、針路なき日本外交の危うさ

寄稿 「官製談合」事件の背景に「年次改革要望書」あり

手紙 坂本進一郎「大地の民」

手紙 「アジア新時代と日本」に対する所感 第38号(8月5日号)について

世界の動きから

編集後記



 
 

時代の眼


 「初めから断言する。2007年は動乱の年になる」(日経「核心」欄)。「動乱」とは穏やかでない。筆者は何を根拠にこの刺激的な言葉を使ったのか。
 向こう2年間、世界の主要国の指導者が続々交代する。中でも、アメリカのそれが大きい。その上で問題となるのは、ブッシュの内外での求心力の著しい低下だ。世界の情勢は当面、中心を欠いたまま推移するようになる。「動乱」の要因はここにあるというのだ。
 中心の欠如と動乱。真理だろう。その上で、米一極集中の崩壊は、もはや時代的な趨勢となっている。イラクばかりではない。朝鮮の「核」、経済の多極化など、核とドルによる米一極支配自体がいたるところでそのほころびを露にしてきている。
 一極支配の崩壊と多極化が基本趨勢となった今日、「動乱」もこの2年足らずの一過性のものに留まりはしないだろう。むしろ、「動乱の時代」の本格的幕開けとなっていくのではないだろうか。
 そうした中、日本ではどうか。「動乱」というより「混迷」というイメージが濃厚だ。だが、その先の見えない暗闇を通して、運動の現場では確かに新しい変化がほの見えてきているように思う。
 進歩的なミニコミ、団体機関誌などへのアクセスや投稿が格段と増加したこと、教育基本法改定や共謀罪に反対する国会前のハンストや座り込み、集会、人間の鎖などの闘いに悲壮感ならぬ気迫が感じられること、そして改憲反対の草の根運動が盛り上がってきていること、等々、年末年初に見られた、マスコミにはほとんど報道されないこれらの事々に、「動乱の時代」を反映した国民大衆の新しい生き方を予感する人は決して少なくないと思う。


 
主張 安倍政権下で進む法の反動化

新保守主義ファッショ化と闘う視点を

編集部


 小泉政権下での国民保護法や住民基本法の成立。安倍政権下では教育基本法が新たに制定され、今国会では、共謀罪や憲法改悪を狙った国民投票法案の上程などが予定されている。なぜ今これら一連の反動法が法制化されようとしているのか。安倍政治とこれら反動法制化はいかに関連しているのか、しっかりと押える必要がありそうだ。

■「共謀罪」の立法化
 「共謀罪」は、2000年に国連総会で採択された「越境的組織犯罪防止法」を批准するという口実で昨年国会に上程されたが、野党や法曹界の強い反対で継続審議となった。安倍首相は、「早期に批准する必要がある」として、今国会で成立をめざすよう長勢法相に促している。これまでの刑法は、既遂、未遂、予備の三つしか罪として認めていない。ところが、共謀罪は、上記要件を満たさなくても、すなわち「実行行為」がなくても、「犯罪の合意」があっただけで、罪として罰することができるという、これまでの日本の法体系にはなかった概念を強引に導入するもので、当然、国内法と矛盾する。「犯罪の合意」を確証するためには、盗聴や内部密告、おとり捜査などこれまで日本では「違法」とされてきた捜査方法も合法とされ、警察の捜査権を著しく拡大する危険なものだ。
 政府は「組織的犯罪に限定する」というが、認定するのは捜査当局である以上、それが恣意的な政治的弾圧に利用されないという保障はなにもなく、国際条約を批准するに当って国内法整備が必要だという理由にも根拠がない。国際条約を批准しても国内法を留保した例はあり(「国際人権条約」での高等教育への国家補助は例外とされた)、共謀罪導入を留保は可能だ(「SENKI」06年7月5日号)。

■相次ぐ反動立法
 04年成立した「国民保護法」に基づいて、「特殊部隊が進入した」という想定で地域ぐるみの避難訓練が昨年から始まっている(「週刊金曜日」631号)。鳥取県三朝町では、特殊部隊の潜入という想定で実施され、県防災担当監は「今後、こういった訓練は全国各地で行われる。今日のような消防団主体の訓練が広がることを望んでいる」として、同町では今後、年一回のペースで実施する予定だという。
 国民の関心は低く、急に危機を設定されてもリアリティーはない。そこで「有事」でなく、「防災」の論理で住民の説得に当ったという。「災害と有事を混同させて有事をカモフラージュし、消防団や防災組織を労せずして有事に転用する姑息な詭計と思われる」(同誌)。これが全国の津々浦々で行われるようになれば、特殊部隊の侵攻というような荒唐無稽の避難訓練でも国民の間に徐々にではあれ「危機意識」が浸透させられていく。
 昨年暮には新「教育基本法」が制定され、「愛国心」教育が明記された。これによって国家による教育への介入、教育を介した国民への思想統制が強まることは間違いない。
 福島、和歌山、宮崎県へと続いた一連の「官製談合」事件への摘発。ライブドアや村上ファンドへの摘発。あるいは、学校におけるイジメや自殺を理由にした、問題教師や生徒への罰則と排除。地域では、「不審者を見たら通報を」という標語があふれ、防犯カメラの設置、住民たちの「自警団」パトロールが常態化した。
 治安を目的にした法律とともに、社会のあらゆる分野への国家による監視と統制、犯罪への厳罰化が強まっていること、これが昨今の特徴だ。

■今なぜ反動法なのか
 なぜ今、これら反動法が制定され、監視と統制が強化されているのか。
 安倍政権が押しすすめる政治の柱は二つだ。一つは、新保守主義であり、もう一つは新自由主義である。国家の治安権限を拡大する共謀罪や国民保護法、思想の統制を狙った教育基本法などは新保守主義であり、これらの治安立法が、2000年以降の一連の有事立法、すなわち周辺事態法やイラク特措法、在日米軍再編への動きと密接に関連していることは明らだ。一方、経済分野では、新自由主義的改革が進む。国家の規制や統制を否定し、青年や老人など社会的弱者の切捨て、教育、医療、公共事業、福祉など、聖域とされた分野への市場原理導入、そして「三角合併」などに象徴される日米経済の融合化が進む。
 新保守主義、新自由主義という意味では同じだが、小泉改革が「部分的」であったとするなら、「戦後レジームからの転換」、改憲を最大の政治目標とする安倍政治はその「全面化」だ。それは当然にも多くの国民の抵抗を生む。だからこそ「共謀罪」などの反動法なのだという多くの識者の見方は間違ってはいない。しかし、それだけなのか。
 日本社会の秩序がこれまで保たれてきたのは、さまざまなレベルでの共同体が機能してきたからだ。市場に任せればすべて上手くいくとし、個人間の競争を奨励する新自由主義は、共同体を要求しないし、むしろ市場と競争の障害として破壊する。共同体がなくなれば、もはや社会の秩序や人々のモラルは機能しなくなる。市場原理を徹底すればするほど、社会の秩序を維持するのは「暴力」のみに頼らざるを得なくなる。新自由主義が進めば進むほど、社会の新保守主義化=ファッショ化が深まるのはこのためにではないだろうか。
 だからこそ新自由主義市場原理からの逸脱者や秩序を乱す者は一人も許されず、容赦なく排除される。昨年来の官製談合、ライブドア、村上ファンドへの摘発は、その徹底振りを良く示したものだ。

■戦前のファシズムとの違い
 犯人や容疑者を「敵」とみなすこと、これが最近の刑罰重視の特徴だ。
 「国民意識が生みだす犯罪と刑罰」(世界2月号)は、「国民の不安感がテロリスト、犯罪組織の構成員、性的異常者、ストーカーといった自分たちと異質と思われる者に向けられ、刑事立法も、これらの「敵」をターゲットにすることで不安感を解消しようとしている」と現状を分析している。
 犯罪者は、自分たちとは異なる「敵」であって、改善されることなど期待できず、その社会復帰は予定されていない。それゆえ、刑罰は教育・改善から隔離・排除へと変容していくという。戦前のファシズムが強制的な「共同体への同化」を基本とするなら、昨今の新保守主義、新自由主義ファシズムは、異質な存在、「敵」の強制的な「市場からの排除」を特徴としている、と言えないだろうか。
 それを端的に示しているのが、最近の刑務所だ。ここ数年、刑務所では、凶悪犯どころか、軽微な罪を犯した障害者や病人、高齢者で溢れ返っているという。本来であれば福祉が救うべき人々が、社会に居場所がなくなって、刑務所に追いやられ、その大部分が、老人や障害者、生活困窮者など社会的弱者であり、新自由主義経済からはみ出してしまった人々なのだという。(「福祉施設化する刑務所」「論座」1月号)。
 「市場からの排除」を基本とする新自由主義社会におけるファシズムは、依拠すべき共同体さえ喪失したという意味において、戦前のファシズムより、一層冷酷なのかもしれない。弱者への労り、安定した職場と老後、平等と社会正義といった人類社会の普遍的な価値を否定し、格差と競争、弱者への公的保護を否定した競争社会への転換をめざす新自由主義は極めて冷酷なものだ。安倍政権下で進む新保守主義化とは、新自由主義本来の「冷酷さ」から来ていると見なすべきかもしれない。
 国際社会に目を転じれば、自由と民主主義を唯一の基準に、一部の国を「テロ国家」として規定し、国家主権さえ無視した新保守主義の「力の論理」がまかり通っている。
 安倍政権下で進むファッショ化との闘いとは、政治レベルでの平和と民主主義、人権擁護の闘いに止まらない。米一極化支配との闘いであり、新自由主義における市場の暴力との闘いでもある。この視点こそ、重要ではなかろうか。


 
研究

硫黄島−靖国、アーリントンから21世紀の9条を考える

若林盛亮


■硫黄島
 硫黄島を扱った2部作映画が話題になっている。
 米側からは有名な「星条旗を山頂に立てた兵士たち」の物語、日本側からは総指揮官、栗林忠道中将の士魂を描くというストーリー設定。星条旗を立てた兵士たちは帰国後、英雄扱いを受けるが、戦意高揚に利用する国(政府)と単なる血みどろの惨劇の現場とのズレに苦悩する。他方、栗林中将は、日本軍部固有の玉砕戦術をとらず、部下に無駄死にを戒めゲリラ戦、持久戦を行い、島で自給自足の生活を築き、36日間も堅持する。
 「戦勝英雄」を求める米国家、「玉砕」方式を求める日本軍部、それら戦争指導部と現場の兵士(将官)との意識のズレ。それを考えさせるのだろう。

■靖国、アーリントンの「英霊」
 今年の8月15日は、急増した靖国参拝の若者が注目を集めた。「硫黄島映画が若者の靖国参拝を刺激した」という人がいた。硫黄島映画は国と違う視点で戦争を再考せよというもののようだから、靖国に行く若者も父、祖父の戦争を再考しようという人たちなのではないか。
 父や祖父の戦争は国や軍部が描いたような崇高なものとは縁遠いものだった。父や祖父の犠牲から学んでほしい−このようなメッセージを映画から若者は得たものと思う。ならば靖国参拝につめかけた若者もその角度から「靖国の英霊」のメッセージを聞き取ろうという人たちではないのか。
 少し前のヒット作「男たちの大和」も沖縄戦への特攻玉砕の兵士、将官たちのこの犠牲から教訓を学んでくれとの後代への委託であった。
 米議会選挙での民主党の勝利は、ブッシュの戦争、イラク戦争で多大の犠牲を払った代償として誤りに気付き始めた米国民の勝利だった。すでに「9・11テロ」の犠牲者数を上回る3000余の米兵が「無駄死に」を強いられた。国立アーリントン墓地に眠る「英霊」も、硫黄島の「父親たち」と同様、ブッシュによる戦勝英雄扱いとのズレを米国民に訴えそれが通じたのだ。

■元防衛庁長官の訴え
 箕輪登という「タカ派国防族」と呼ばれた元防衛庁長官がいる。この人が、2004年にイラクへの自衛隊派兵に反対する訴訟を起こし、この裁判がハトの護憲派の支援を受けて話題になった。
 箕輪さんの持論は「専守防衛」論であり、自衛隊合憲論者である。しかし9条は「海外派兵を禁じており、自衛隊は海外に出てはならない」と信じている。
 明治以来の近代日本は、欧米列強のアジア進出、日本の植民地化を防ごうと国防線を外に張ろうとした。ロシアの南下に備えると朝鮮を併合、植民地化し「満蒙(満州、蒙古)は日本の生命線」とし、さらには中国利権で対立した米英との戦争に備え東南アジア、太平洋諸島にまで国防線を拡大、ついに米国との無謀な覇権戦争を招き惨敗をきっした。
 老政治家の訴えは、防衛線を外に求めること、これ自体が必然的に他国侵略、覇権主義に陥り、覇権は必ず侵略戦争に転化し、いったん戦争を始めればその泥沼からは敗戦するまで抜け出すことは難しいという歴史の教訓からくるものだ。
 今日の戦争、イラク戦争で米国民が多大の犠牲を払ってついに気付きつつある教訓と老政治家の訴える9条護憲との接点はどこにあるのだろうか。

■21世紀の憲法9条論は?
 「戦争放棄、戦力不保持、交戦権否定」の9条は、「国防線を外に求めない」という宣言である。交戦権否定、相手国に攻め込まない、予防、報復、制裁という自衛戦争もしない。自衛は自国からの撃退にとどめる撃退自衛に徹する。外に軍隊が出ないから覇権戦争、侵略戦争にならない。
 今日、戦争は必ずしも「国防線を外に求める」侵略形式をとらない。それでも9条は有効なのか。
 米ブッシュ政権が「21世紀型の戦争」という「反テロ戦争」は、これまでの国家間戦争とは違う「非対称戦争」、すなわちテロリスト・ならずもの集団との戦争であって、主権国家への侵略戦争ではないとしてその正義性を主張する。アフガニスタン、イラク、そして朝鮮、イランなど「反テロ戦争」対象の国々は、テロリスト支援の「ならずもの」に支配されており、この「ならずもの退治」の戦争は、「悪の独裁体制」を清算し国民主権の「民主主義国家」をもたらす正義の戦争だという論理である。この論理には国連も無力をさらけだした。
 日本では安倍政権が「核・ミサイルの好戦的体制」、「拉致などの非人権体制」との「闘い」との口実で朝鮮制裁を合理化し、対朝鮮「反テロ戦争のできる国」づくりとしての9条改憲の論理もこの米国式非対称戦争論に依拠している。
 かつてわが国は、欧米のアジア植民地化に抗しえない無能な封建王朝に代わって日本が統治する、それが朝鮮のためにもなると朝鮮併合を正当化した。イラク国民に代わって「テロ独裁政権」から解放してやるという米国の非対称戦争、「反テロ戦争」の論理もこれとどこがちがうというのか。
 覇権、侵略戦争の克服の要は、本質上、主権尊重、自主権尊重の国際秩序樹立にある。「外に出て行かない」という教訓の真髄、9条が21世紀の平和理念になる要もここにあるのではないだろうか。
 21世紀の現実は、相手国の体制が気に入らないからとその国の国民に代わって軍事力で体制変更を迫ることも不正義であるという徹底した主権尊重、自主権尊重で一貫した論理で9条平和理念に新しい生命力を吹き込むことの必要を痛感させる。
 靖国参拝の若者が「英霊」のメッセージを真に学ぶためにも…。


 
論評 東アジア・サミット

針路なき日本外交の危うさ

安部公博


 1月15日、フィリピンのセブで第2回東アジアサミットが開かれたが、この会議に関する日本の報道は「拉致」一色の感があった。しかし、この会議は、東アジア共同体をいかに作っていくかを討議する会議である。そうであれば、日本は、この構想にどういう態度で臨み、それがどうなったかが問題にされなければならないだろう。
 これについて16日の朝日新聞は、「同床異夢の船旅だが」という社説を掲載している。「針路はまだ定まっていない。それでも船は波を切って進み始めた ―東アジア共同体構想をめぐる動きを航海にたとえればそんなところだろうか」で始まる、この文章は、中国のASEAN+日中韓の13カ国で共同体を形成する案に対して、日本がオーストラリア、ニュージランド、インドを含めた16カ国案を対置し主導権争いをしているとしながら、中国が押し気味だが、日本は省エネ支援などで地道な努力を重ねていくべきだろうというものだ。
 ところで、ここで確認すべきは、「針路が定まっていない」のは東アジア共同体の動きではなく、これに対する日本外交の方だということだ。
 この構想を中心的に推し進めてきたASEAN諸国は、この構想への参加資格として、自主権尊重のバンドン精神を込めたTAC(東南アジア友好協力条約)の締結を義務付け、地域諸国が互いに主権を尊重する平等の関係で共に助け合って平和と繁栄を築く共同体作りという針路は明確だ。
 東アジア共同体構想の「進路」は明確なのであり、「進路が定まってない」のは、日本だ。
 なぜなら、この構想に米国が反対しているからだ。元々、一極支配を追及する米国は、この共同体構想に離米自主の要素を見て憂慮を示してきた。そして、東アジア共同体構想の実現に向け新たに発足した東アジアサミットの第一回会議が開かれた05年に、「米国は反対である」というアーミテージ発言があり、昨年のAPECではAPEC経済圏構想を打ち出してきた。
 日本が、オーストラリア、ニュージランドを入れようとするのも、東アジア共同体が地域諸国主体の自主的な共同体にならないようにするためのものであり、米国の意図に沿うものである。
 アーミテージ発言以降、日本では東アジア共同体構想に冷水を浴びせる論調が多くなっている。
 米国を排除した共同体形成に懸念を表明したり(「アジア主義を問い直す」・井上寿一学習院大学教授)、「東アジア共同体は、ASEAN+3を舞台にした中国の地域覇権主義」(渡辺利夫拓大学長)などといった主張がそれであり、朝日新聞社説の「同床異夢」論もそれに通じる。
 日本は、米国とアジアの間で明確な針路を出すこともなく揺れ動いている。
 日本のこうした態度に「日本にはがっかりした」と不満を表明してきたASEAN諸国は、今回の会議でASEAN諸国の統合に向けた歩みを速める決意を表明した。
 いつまでも針路なき優柔不断な態度を取り続ければ、日本は取り残されるだけであろう。


 
寄稿

「官製談合」事件の背景に「年次改革要望書」有り

金子恵美子


 今、元お笑い芸人の東国原英夫(そのまんま東)氏が、時の「笑いの人」ならぬ「話題の人」になっている。周知のごとく、1月21日の宮崎県知事選で圧倒的な強さで初当選したからに他ならない。
 なぜ宮崎の人々は、そのまんま東氏に一票を投じたのか? 宮崎を一新したいという思いが、しがらみがなく、宮崎の新しい出直しを情熱をもって訴えるそのまんま氏に流れていったと言われている。では何故人々は「新しい出発」を望んだのか? それは、官製談合にまみれた前知事の逮捕による宮崎県の恥をぬぐい、宮崎県を一新したいという愛県意識からではなかっただろうか。
 官製談合は良くない慣習であるし、そんなことで自分の県知事が逮捕されれば、県民はいい気分ではない。官製談合はなくさなければならないものであることに間違いはない。ただ問題なのは、次々に明るみに出され、摘発されている官製談合事件が誰の要求、意図によっておこなわれているかである。
 2006年、福島、和歌山、宮崎で相次いで官製談合事件が発覚した。各県とも知事が特定業者に落札させる入札妨害をした疑いで、10月には佐藤栄佐久福島知事、11月には木村良樹和歌山知事、12月に安藤宮崎知事が逮捕という異例な事態が展開された。これを受け、談合に関与した公務員への罰則などを新たに設けた「官製談合防止法改正案」が予定よりも早く12月8日に可決され、可決後3ヶ月以内に施行されることになった。
 この時点で、こんなことは(良くないことではあるが)以前から日本全国で行われていることなのに、何故こんな事態になっているのだろう?という疑問が湧いた。そこで注意してテレビやラジオを見たり聞いたりしていると、あるラジオ番組での解説者の「官製談合防止法」について「ここにはアメリカからの要求もからんでいる」という言葉が耳に入った。解説ではこれ以上のことは話されなかったのであるが、「やっぱり」という思いであった。
小泉政権になってからの構造改革路線とこれに基づく各種法改定は、「会計法」しかり「建築基準法」しかり「司法改正法」しかり、すべてがアメリカの「年次改革要望書」にアメリカからの日本への「要望」として書かれているものばかりであるからだ。さっそく、「年次改革要望書」を調べてみると、なんとなんと2004年の「要望書」の<競争政策>という項目に事細かく日本の談合への「要望」が書かれているではないか。
 1、独占禁止法の施行効果を強化する、2、公正取引委員会の施行活動の公平性を高める、3、談合に効果的に取り組むという大きな項目があり、ここでは「談合は日本経済において引き続き重要な問題である。談合は必要な改革の基礎を危うくし、消費者、納税者ならびもっとも効率的な入札者の利害を損なうものである。官製談合は政府職員が日本における法の愚弄および競争文化の創造の基礎を危うくすることに直接関与するもので特に有害である。談合に効果的に対応するために、米合衆国は日本に以下のことを要望する」とし、「3−A官製談合対応を強化する(1)政府の事業に関して談合を扇動した、または試みた政府職員に対して、必要に応じた新たな刑事規定を含む厳しい制裁を打ち出す」「3−B行政措置減免制度を導入する」「3−C地方自治体レベルで談合に取り組む」「3−D制裁の透明性を高める」「3−E入札制度改革する」これらの各項目にさらにこと細かい「要望」が書かれている。
 何故アメリカは談合に対してこれほど関心を示すのか? 一言で言えば、アメリカの企業が日本社会にどんどん入ってきやすいようにするためであると言えるだろう。<競争政策>という項目で、この談合問題が提起されていることを見ても分かるように、その国独自のよそ者が入ってきづらい障壁をなくし、競争をグローバル化させ、日本の公共事業などにもアメリカ企業が参加できるようにさせろということである。
 改正「官製談合防止法」は、関与職員への賠償請求などが義務付けられた改正前の罰則に加え、懲役5年以下、250万円以下の罰金を新設している。まさに上記、3−A(1)の内容を反映したものになっている。
 逮捕された各県知事は、悪いことをしたのだから逮捕は当然であるが、別な視点から見た場合、米国に従う日本政府による生贄と言えなくもない。法改定は一見、純然たる国内問題のように見えるが、この背景にはアメリカによる「年次改革要望書」があるということを「アジア新時代と日本」の読者の皆さんと確認したい。


 
手紙

坂本進一郎著「大地の民」

農業従事者T


 先頃は、本を送って下さって有難うございました。もとより読書は好きな上、職業的関心も手伝ってか、一週間ほどで読んでしまいました。
 サラリーマンから一転して大潟村に入植し、自然と共生しながら農に対する思いの変化、仲間との軋轢、そして国との闘争。場所は違えども、新天地において一から開拓するという精神は、希望、苦悩、苦労とともにあるので、とても共感を覚えます。国の政策に振りまわされながらも、それに抗って生きていく百姓の姿は、いつの時代も同じだなとつくづく考えさせられます。それでも私たち百姓の使命は、黙って農地を守り、生活していくだけでなく、仲間を増やし、日本の農業という大きな視野を持たなければいけないと思います。そして本書の言葉を借りるならば「資本家としての農業」から脱却して、「生活者としての農業」に転換する、いやひとりひとりが本当の意味での原点回帰しなければ農業の未来はありません。面白い本を有難うございました。
 そのお礼という訳ではありませんが、ほんの少しですが、今秋の米を同包しましたので是非ご賞味下さい。
 わが家は有機無農薬で不耕起栽培(トラクター等で一切、田圃を耕さず自然のまま作る自然農法)で、手をかけていますが、まだまだ人なみほど、量は取れませんが、地道にやっています。また柚子(ゆず)も箱の隙間に埋めておきましたが、料理の酢代り、薄めてドリンクにしたり、皮は削って料理のアクセントとしてお使いください。


 
手紙 「アジア新時代と日本」に対する所感

第38号(8月5日号)について

I・M


・時代の眼」で、畠山容疑者の心境を個人利己主義と捉え、日常生活から新自由主義のTVドラマの風潮と織り交ぜて述べているが、現社会の歪みを主軸に、あまりに端的に展開しすぎている様に感じる。勿論、全く的外れではないが、ドラマでも仲間と協調して共に幸せをつかんでいこうという筋立ても多いし、事はそんな単純なものではないと私は感じる。別れた相手との間に子供がいたらすべてをその子供を優先させて自分の幸せを同化させるべきというのか?現代の家庭問題に鋭くメスを入れるテーマでもあるが、個人主義うんぬんより道徳感の問題だと思う。身近な事件は引きも切らずだが、アジア研究会の論点を拡げるきっかけにはなったが、文章に切なさと冷淡さが感じられた。短くまとめるにはもう少し工夫が必要では?と思いました。

・主張「制裁を振りまわす日本外交の危うさ」では、北朝鮮の外交論に立った正論が述べられています。それはアジア圏内における、米国に、そして日本に舐められないための強硬論とも受け取れます。主張はわかりますが、やみくもな北朝鮮応援団ではないのだから、アジア各国もミサイル実験に同意、賛同しているという論拠は出典も望みたいと思います。

・研究「憲法9条の主体性、先見性を考える」は、これまでの9条推進論、擁護論を、反テロキャンペーンの現在の国際情勢におりまぜた集大成を短く上手くまとめてあり、納得いくものです。現在はお笑いタレントの爆笑問題も憲法学者と9条推進論を共著で出版していますので、今後の参照に編集部も読んで見ると面白いと思います。


 
 

世界の動きから

 


■上海機構(ロシア クラスナヤ・ズベズダ誌から)
 上海機構(中ロと中央アジア4カ国にイラン、インド、パキスタン、モンゴルが準加盟国として参加)がその存在感を強めている。
 今後20年以内に自由貿易地帯の創設に合意し、共同行動の最初の具体的試みとしてカスピ海から中国にいたる幹線道路を二本建設することを決定。
 この地域はエネルギー資源が豊富であり、イランを加えると世界のガス供給量の半分以上を占める。ロシアのプーチン大統領は、「エネルギー・クラブ」創設を提案。地域の「エネルギー統合」を実現し、自前の「燃料メジャー」育成や資源の自力開発などが目指されている。
 軍事面でも反テロで共同の情報収集、行動について「了解覚書草案」が書記局で作成され、昨年5月に各国に配布された。今年の夏には最初の合同作戦訓練が実施される予定。
 米国は、こうした動きを、「新たなOPECの形成ではないか」と危惧し、米議会は、「上海機構は中央アジアで米国の利益に損失を与えるか?」という題目の公聴会を開いたりして警戒している。

■ニカラグア(タス通信から)
 1月10日に就任式を前にニカラグアのオルテガ新大統領がタス通信の記者会見に応じ、新政府の主要活動方向として「ニカラグア社会の和解を成し遂げ職場を保障すること」を掲げ、80年代内戦時の相手側コントラの指導者の一人モラレスを副大統領に指名し、小企業を支援して職場を作ることに着手したと語った。
 彼は、「サンディニスタ民族解放戦線が16年間野党としてやってきながら得た重要な教訓は、変化する情勢や外的条件に関係なく、常に自国人民の側に立っていなければなないということだ。今になって明白に言えることは、裏切りや自国の利益を売ったりしない闘争精神と希望を絶対に失わない唯一の存在は人民だということだ」と述べ、「この国と人民の貧窮の解決のためには、中央アメリカ諸国、広範なラテンアメリカの人々との団結をなしとげることが重要」だと強調した。就任式に駆けつけたベネズエラのチャベス大統領は、大規模な製油施設建設を表明。これはカネのためではなく、ニカラグア人民への贈り物だと述べた。

■アフリカと南アメリカの連携(労働新聞から)
 反米政権が続々と誕生する南米とアフリカ諸国との連携が強まっている。
 昨年開かれた第7回アフリカ同盟首脳者会議には、ベネズエラとイラン大統領が特別招待された。
 両大統領は、「西側諸国は、奴隷時代を謝罪すべき」だと述べながら、「彼らは多国籍企業を通じて自身の意思を強要しており、これに反対しなければ地域諸国は滅びるであろう」と演説。これにアフリカ諸国は、「力を得た」と応じ、地域問題に対する外部の干渉を排撃し共同の努力で経済発展を成し遂げようとの声が高まった。
 昨年11月には、第一回の両地域の首脳者会議が開かれ、双方は西側諸国の経済支配を阻止する緊迫性を確認し、米国、IMF、世界銀行への依存度を低めることで合意。ブラジル大統領は、「アフリカ諸国は、これまで西側に依存しすぎた。そうした態度を改めるべきだ」と激励。


 
 

編集後記

小川 淳


 「米国は政府同士が決めたのだからやったらよいというが、(沖縄)知事がうんと言わないと名護移設はできない」。「(米国は)あまりえらそうなことを言ってくれるな。日本のことは日本に任せてくれ」。「(イラク戦争は)ブッシュ大統領の判断が間違っていた」。この久間防衛相の「失言」が問題視されている。
 塩崎官房長官は「米国に誤ったメッセージを与えかねない」と言う。しかし、イラク戦争の間違いは、米国民も世界も認め、沖縄知事の意向を尊重すべき、というのも政治家として極めてまっとうな発言だ。柳沢失言はともあれ、言うべきことをきちんと言う、これを「失言」とは言わない。アメリカには何も言えない気骨なき政治屋どもが、言うべきことを言った人を批判する。何とも不思議な国ではある…。


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