時代の眼
教育基本法の改正が急がれる中、その必要性はあるのか......内容を読む
主張 なぜ今、教育基本法改正なのか
多くの疑問が残されたまま、教育基本 法は参院での審議が始った。基本 法改正の真の狙いを分析する......内容を読む
研究 国民優遇なくして成長なし、それが財政再建の道
国民優遇の財政路線、それはすでに破産したケインズ主義への逆戻りなのか......内容を読む
時評 沖縄知事選挙「制裁覚悟」の30万票
沖縄知事選で、基地反対の糸数候補は僅差で敗れた。この糸数候補の「敗北」をどう受けとめるべきなのか......内容を読む
寄稿 偽満州国への旅にて
5泊6日の満州への旅、そこには今なお多くの「戦争の爪あと」が残されている......内容を読む
職場から ヘルパーのつぶやき
ヘルパー、働けば働くほど身にしみて感じることは......内容を読む
世界の動きから
ニカラグァで、エクアドルで、つぎつぎと誕生しつつある反米政権......内容を読む
編集後記
......内容を読む
教育基本法の今国会での改正が急がれている。しかし、この改正によって日本の教育がよくなると考えている人はほとんどいない。朝日新聞の調査では、わずか4%だという。大部分の人が変わらない(46%)、悪くなる(28%)と考えており、わからないと答えた人が22%もいるという。
ほとんどの人がその必要性を認めていない。法律をつくる政治とは一体どういう政治なのだろう。もともと、国民が主権者だという基本認識に基づく政治である民主主義とは、主人である国民大衆の意思を反映し集大成した政治であるはずだ。すなわち、国民の要求を実現する政治こそ民主主義だということだ。
国民が要求もしていないことを強行する政治は、国民を主権者として尊重せず、蔑視した愚民政治であり、民主主義ではない。事実、教育改革に関するタウンミーティングで、改正賛成の「やらせ発言」をさせていたことに対するアンケート結果の一番は、「国民をバカにしている」だった(同上の調査)。
この国民をバカにした愚民政治、安倍政権によるファッショ政治が、教育基本法、憲法の改悪、共謀罪、そして日米軍事一体化へと、アメリカの一極支配のもと、日本を「戦争できる国」に導いているのは必然だと言える。
今問われているのは、「国民がよいということがよいことだ」という観点だ。そこから出発し、それを実現する真の民主政治のみが日本の進路をもっとも正しい方向に導いてくれると思う。
そのためにも、インターネットを使うなど、これまでになかった斬新かつ多様な方法で国民の意思を集め、それに基づいて政治を動かす諸政党、諸団体の努力と闘いがいつにもまして切実に求められているのではないだろうか。
主張 安倍政権の狙いを探る
教育基本法改定案が衆院で可決され、参院特別委員会での審議が始まった。採決に反対している野党も審議に応じており、予断を許さない情況が続く。教育基本法は、教育の基本理念を謳ったものだ。その改正は国の教育のあり方を大きく変えるものとなる。安倍政権が最重要課題とする基本法の改正だが、なぜ拙速に急ぐのか、何のための改正なのか。その狙いをしっかり押える必要がありそうだ。
■教育基本法の改正への疑問点
教育基本法の改正については異論が多い。一つは、なぜ改正なのかという疑問だ。
自民党は、基本法改正の必要性として、47年の施行以降、一度も改正されておらず、またイジメやモラルの低下、不登校や学力低下など、いまの教育が深刻な危機に直面していることを挙げている。
確かにいまの教育に問題があることは事実だ。しかし、そのことと基本法とどのように関係しているのか。いま教育が抱える問題、例えば子供たちのイジメやモラルの低下に対して、基本法に「愛国心」「公共心」を掲げれば、それで解決できるとは学校も父兄も誰も思ってはいない。ましてや学力低下や不登校などは、教育基本法が原因でも、基本法を改正すれば解決する問題でもない。教育に問題があることとその対策(基本法改正)との間に、これほど論理的整合性が感じられない法律はない。これらについては多くの識者が指摘していることである。
もう一つは、なぜこれほど改正を急ぐのかという疑問だ。
「教育の憲法」という基本法の性格からしても、これまでの教育は何処が間違っていたのか、何が原因なのかをきちんと総括をする必要があるだろうし、もし教育の「百年の計」を定めると言うなら、一度や二度の国会審議で済む問題ではなく、国民的論議を尽して慎重に決めるべき問題である。基本法の改正とはそういう意味を持つ。タウンミーティングでわざわざ文部省が質問の「やらせ」を行なわねばならないくらい、国民の間では基本法改正の声は高くない。国民が要求もしない基本法改正をなぜこうも急ぐ必要があるのか。まずは国民的合意こそ先決であるだろう。
■基本法改正で何が変るのか
改正案の内容についても多くの疑問が指摘されている。
現行基本法の前文は、「われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようと決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。(略)ここに日本国憲法の精神に則り、教育の目的を明示して新しい教育を確立するためにこの法律を制定する」としている。
「日本国憲法の精神に則り」とは、戦争のための教育を改め、平和と民主主義、人権を理念とする教育への転換を謳ったものだ。この前文に新たに「公共の精神」や「伝統の継承」の文言が加わった。これらの文言が加わることで、「国の教育はどうあるべきか」を規定した基本法から「国民がどうあるべきか」を規定した基本法へ、ニュアンスが転換されている。
とりわけ注目されるのは、教育の目標(第二条)として、20を超える新たな「徳目」を列挙したことである。
現行基本法には、「真理と正義を愛し」「個人の価値を尊び」など、わずか7つだ。新たに加えられた徳目には、例えば、「豊な情操と道徳心」「自律の精神」「公共の精神」「社会への参画」などとともに、「伝統と文化を尊重し、わが国と郷土を愛するとともに」、いわゆる「愛国心」の文言が加わった。
一つ一つはまっとうな徳目で誰も反対できないようなものだが、問題はこれらの徳目が基本法に列挙されることで、教育のあり方を規定し、「君が代」「日の丸」のように子供や教師に対して公権力が「強制力」を持つことの怖さである。
モラルとは、外から「強制」されるものではない。上から押しつけられたモラルにどれほどの感化力があるのか。自分の殻に閉じこもった子供たちの心を開くことができるのか。モラルの規律化、統制化は、むしろイジメなどの陰湿化を生まないか。教育をますます息苦しいものに変えないか。疑問は多く残されたままだ。
■改憲の「突破口」
そもそもなぜ基本法の改正でなければならないのか。このように疑わしい時、理解ができない時には、必ず政府のいう「建前」とは別の狙いがあると見た方がよい。考えられる理由はただ一つ、憲法改正の突破口ということだ。
安倍首相は、就任前から基本法と憲法を「占領時代の残滓」と指摘、憲法と基本法の改正を安倍政権の最大の課題としてきた。自民保守派が、安倍政権誕生は果そうとして果せなかった長年の宿望を果す千載一遇のチャンス、こう見なしているのはほぼ間違いない。
憲法を変えるには、国会で3分の2以上の発議と国民投票が必要であり、かなりハードルが高い。しかし過半数で決る基本法なら容易だ。憲法改正という「本丸」をせめ落とすためにもまずは基本法の改正、「外堀」から埋めていく。しかも教育の現状に対する国民の不満を利用できる。
現行基本法と憲法は一体のものとして制定されたものだ。憲法がめざすべき国家のあり方を示し、国民教育はその重要な手段である。これを定めたものが基本法だ。憲法と教育基本法は、平和で民主的な国家を作る両輪と言ってよい。その片方を変えるという、そこに含意されているのは、今の国のあり方を変えるという明確な意図であるだろう。そのことは、例えば今回の改正案のタイトルが、「教育基本法改正案」とは言わず「教育基本法案」となっていることを見ても明かだ。すなわち、現基本法の「部分改正」ではなく「破棄」であり、憲法とは切りはなされた「新基本法」の制定ということである。
憲法改正の突破口、こう見てこそ、なぜ基本法の改正でなければならないか、なぜ改正を急ぐのかが見えてくるのではなかろうか。
■教育改革のキーワードは「リヴァイアサン」
今回の改正案を見ると、伝統と文化、公共心、愛国心など、新保守主義が前面に掲げられた内容となっている。一方で、現実の教育現場では「世界的な大競争の時代」に対応する新自由主義改革が進められている。新保守主義と新自由主義、一見、矛盾するこの二つの教育理念が、安倍教育改革の両輪となっている。市場を優位に置く新自由主義と国家にウエイトを置く新保守主義と、この矛盾した二つの論理はどう結びつくのか。
これを解くキーワードは、トマス・ホッブスの「リヴァイアサン(怪物)」にありそうだ。
安部氏は著書「美しい日本へ」のなかで「人間は生まれつき自己中心的で、その行動は欲望に支配されている。私利私欲が激突しあい、破壊的な結末しか生まない。人間社会を平和で安定したものにするためには絶対的権力をもつリヴァイアサンが必要なのだ」というネオコンの代表的論客ローバート・ケーガンの言葉を引用している。
「闘う政治家」安倍首相にとって国家とは「リヴァイアサン」なのだろう。新自由主義的な教育を押しすすめていくなら、子供たちはますます「自己中心的で、欲望に支配」されるようになる。この「私利私欲の激突」をコントロールするためには、国家による上からの規律と統制が必要だということだ。
また世界においても、新自由主義化の推進は、グローバルでボーダーレスな世界単一市場での「私利私欲の激突」を生む。世界がますます無秩序化する中で、「法と秩序」は誰がもたらすのか。新自由主義を押し進めていくなら、世界にも「リヴァイアサン」が必要であり、「唯一の超大国、米国こそ法と秩序をもたらす世界のリヴァイアサンなのだ」という、米ネオコンの思想とも容易に結びつく。
「米国が世界のリヴァイアサン」だからこそ、「世界とアジアのための日米同盟を強化し、日米双方がともに汗をかく体制を確立」という「主張する外交」が生まれ、日本を日米軍事一体化のもと「戦争できる国」に変えようという9条改憲の必要性も生まれる。
こう見てこそ、なぜ今、新保守主義なのか、なぜ新自由主義の一方で「国家」が強調され、「自由と規律」が掲げられるのか、その理由が見えてくるのではなかろうか。
「成長なくして財政再建なし」、これが安倍財政のスローガンだ。成長による税収増で財政を再建しようということだ。
ここで問題は、「成長」をどうやって実現するかだ。そこで挙げられているのが法人税の引き下げ、研究開発減税、設備投資減税、減価償却制度改編など、国際競争力を強めるための各種企業減税だ。これに対し、国民に対する減税はない。さすがに消費税増税は、当面見送られることになっているが、定率減税(所得税の20%、住民税の15%の控除)の廃止はすでに決まっている。一言でいって、国民に冷たく、企業、それも大企業に温かい、大企業優遇の成長策だ。
それどころではない。財政再建のための歳出削減は、国民の犠牲によってまかなわれようとしている。その第一が社会保障費の削減だ。高齢者の医療負担増、医療給付費の抑制など、少子高齢化に伴う社会保障費の自然増7700億円は2200億円圧縮される。第二が自治体財政の引き締めだ。地方交付税法定率の引き下げ、自治体破綻法の導入、そして、その77%が地方財政と関係する公共事業費の削減など、地方・地域の崩壊と自治喪失に拍車がかけられるようになる。
これら国民冷遇策が経済成長にマイナスに作用するのは言うまでもない。成長のための基本要因である消費を低迷させるからだ。事実、大企業優遇、国民冷遇の税財政が続いたこの58カ月及ぶ景気回復期間、民間消費支出の伸びは5・8%増に留まった。民間企業設備投資の伸び21・6%増と比べて対照的である。それが名目GDPの伸び1・04倍(いざなぎ景気時は2・2倍)という低成長に強く影響しているのは明らかだ。
消費を高め、成長を力強いものにするためには、大企業のみの優遇では駄目だ。国民皆を優遇する税財政であってこそ、それは可能になる。
だが、これには反論も多いだろう。「歳入を増やし歳出を削る財政再建とは矛盾するのでは?」「国民優遇だとして、社会保障費増、地方の公共事業費増などをはかったら、すでに歴史がその失敗を証明しているケインズ主義的な福祉国家路線、土建国家路線への逆戻りではないのか?」等々。そこで、取り敢えず、ここでは、後の反論への答えに少し紙面を割いてみたい。
まず言えるのは、「福祉」と言えばケインズ、「公共事業」と言えばケインズという固定観念は捨てるべきだということだ。「福祉」も「公共事業」もケインズ主義とはまったく違う方法でやることができる。
ケインズは、国家の財政機能を発動して有効需要を創出し、経済の活性化をはかった。つまり、国が金を出して福祉や公共事業など仕事をつくり、経済が動くようにした。それが大恐慌以来の資本主義経済で一定の力を発揮したのは事実だ。
しかし、このやり方は、国への依存症を生み出した。人が国が施す福祉に頼って働かなくなり、地方が国が回してくる公共事業に依存して地域経済の発展に頭を使わなくなった。
そうした中生まれたのが、不況期にインフレが高進するスタグフレーションだ。すなわち、需要創出のための財政投融資が経済を活性化できず、逆にインフレの要因になったということだ。
なぜそうなるのか。その原因の本質が、金が大企業に集中する経済体制そのものにあるのは疑う余地がない。一言でいって、投融資された金が大企業に溜まって、有効に機能し得なくなるのだ。
だが、欧米の政権は、原因をそこに求めず、「依存症」に求め、福祉や公共事業に金を出すこと自体を否定した。有効需要の創出でなく、企業の競争力強化に経済発展の活力を求める新自由主義の登場だ。
国際競争力の強化のため、大企業を徹底的に優遇する新自由主義は、国民、地方には、徹底した自助努力、自己責任を求める。依存せずに自立しろということだ。これが「国民冷遇」の基礎にある新自由主義の思想だ。
この新自由主義の矛盾は、今日、いたるところに吹き出してきている。国や地方・地域など共同体を否定し、その援助を否定し、人々を弱肉強食の競争にかりたてる新自由主義のもと、格差が拡大し、大多数の国民、そして地方が零落し、その中で経済の成長も抑制されている。
こうした中、今日、福祉や公共事業に力をいれるのは、きわめて重要だ。ただし、その方法はケインズ主義とはまったく異なる。ポイントは、基礎的自治体への住民参加を基本に福祉や公共事業を推し進めるところにある。
互いの顔がわかる基礎的自治体での福祉や医療は、対人社会サービスとしての質が高まり、それが住民たちの手によって運営されることにより、そのための施設は住民たち自身のものとなり、そこで働く医師はわれらが先生になり、不必要に薬をもらったり、入院日を延ばしたりする現象もなくなる。こうした自治体の老人医療費は、高齢化の高まりにも関わらず、逆にもっとも低い水準に抑えられている。長野県栄村などの例は示唆的だ。
公共事業の推進でも、基礎的自治体を単位とすることの重要性は高い。これまでの地方公共事業は、大企業誘致のためのインフラ整備など土建業が主であり、工場誘致の後にも、利益は東京に持ち帰られ、地方に還元されることなく、挙げ句は、工場の海外移転により、残ったのは地域経済の破壊のみというのが相場だった。
地方公共事業を地方・地域のため、住民のために、地域循環型経済を発展させるのに役立つものにするためには、地域内再投資力と地域産業連関の再構築が重要であり、それは、できるだけ狭い領域での住民の自治と政策形成・実施への参加が可能になる基礎的自治体を単位とするときもっともうまくできるようになる。
この基礎的自治体を単位とする福祉や公共事業の推進は容易ではない。その山あり谷ありの道を乗り越えるためにはやはり、アメリカの言いなりにならず、新自由主義の矛盾を矛盾としてはっきりさせ、真に日本のための改革を断行する自主的な政権の後押しが是非とも必要になる。その援助を受けて先進的な基礎的自治体の事業が全国的範囲へ拡大・発展するとき、消費と成長の高まりは、地に足のついた限りないものへと転換し、財政再建の道も広々と開かれてくるだろう。
「景気」と「基地」の争いと言われた沖縄県知事選挙、結果は、「景気」の仲井真弘多氏が34万余票、「基地」の糸数慶子氏が30万余票と約4万票の僅差で「基地」派が敗れた。この結果をどう受けとめるのか?
安倍首相は「よかった」と胸をなでおろした。来年、参院選の試金石とみて全野党共闘を実現させた民主党には失望観が漂っているという。
糸数陣営が野党共闘と候補一本化に手間取り、出足が遅れたこと、元来、県の世論調査でも「景気」が一位で「基地」が二位であったことを考えれば、糸数氏はかなりの健闘であったと言える。
その上で重要なことは、「景気」を犠牲にしても「基地の国外移設」という選択をした30万票という沖縄県民の強い意思表明ではないだろうか。
沖縄県の失業率は7.9%と日本一高く、貯蓄額は全国平均の三分の一弱と全国一低い。仲井真氏は地元経済界のトップであり、彼の34万票の中には背に腹は代えられないと涙をのんで「景気」優先を選択した数多くの県民票が含まれる。ラジオの解説で、ある大学教授が述べた「みんな米軍基地には反対、そのうえでの経済振興策を選んだ」という指摘が当たっていると思う。
日本経済新聞は沖縄知事選前の特集記事で「県民が選びうる道は二つしかない」としながら「普天間(基地)の県内移設を認め、基地返還と政府の支援を手にするか」それとも「基地返還が遠のき、政府との関係が悪化することも覚悟のうえで県内移設拒否を貫くか」だと問題を提起した。
米国の要求通りの県内移設が通らなければ米軍基地返還は遠のくと米政府は言明。またもし糸数氏が勝利すれば安倍政権は「特別措置法」をつくって県内移設を実現するだろうと言われていた。当然、政府による経済振興策は期待できなくなる。
この意味で糸数氏に投票された半数に迫る30万票は、日米両政府からの「制裁覚悟」の30万票だったと言える。
朝鮮が核実験を行った10月9日は、地対空弾道弾パトリオット3(PAC3)の沖縄配備の日でもあった。この日、基地ゲート前で住民が座り込み二日間にわたってミサイル搬出を止めた。県内首長の多くが「配備反対」を表明した。いわく「ミサイルは基地を守るだけだ」そして「基地があるから狙われるのだ」。久間防衛庁長官の「むしろ沖縄の人は喜んでもらいたい」との発言は地元の大反発を招いたが、沖縄県民と日本政府の認識の落差は大きい。「よかった」と胸をなでおろした安倍首相だが、「制裁覚悟」の30万票の意味を深く考えないならば大やけどを負うことになるだろう。
今秋5泊6日で中国の長春−延吉−図門−長白山(白頭山)−藩陽−ハルピンへの長い旅を30名の仲間で専用バス−飛行機−寝台旅客車で移動した。
始めに長春の街に入り、意外に思ったのは関東軍の建造物が数多く残されていて、現在では吉林の医学系大学などで使用されているようだ。韓国ソウルでは悪名高い総督府は民衆の意思で破壊されたが、長春では偽満州治安部、司法部、国務院、その他が其のままの形で保存されている。中国と韓国の違いを感じた。
翌日、延吉に入り唯一の観光として朝鮮民族の聖地、長白山への登山を行う。山頂付近には「天池」カルデラ湖を眺め晴天に恵まれ絶景に心を打たれる。
延吉から藩陽へ飛行機で移動し、9・18歴史博物館の見学を行う。1931年9月18日の夜、関東軍が柳条溝(湖)において満鉄を爆破し、それを中国軍の仕業と偽り、これを口実に中国軍駐屯地を砲撃した。
また、1928年6月4日には張作霖の専用列車を関東軍が爆殺した。かつて東北人民が日本軍に侵略された後も奮い立って反抗を続け勝利したことが歴史絵巻に展示されている。残念なのが平頂山虐殺事件の歴史博物館が改装中とのことで見学不可能となったことだ。
この旅で最も期待していたのはハルピンの中国侵略日本軍第731部隊罪証陳列館の見学であった。三千名の中国、朝鮮、モンゴル、ロシアの人々の尊い命を残虐非道な生体実験で奪った部隊長の石井四郎とその親族と兵士の行為は絶対に許されない。731部隊については以前、「悪魔の飽食」森村誠一氏の著書である程度理解していたが、現地に来て陳列館で通訳と解説で生体実験の数々について聴き、同じ人間がこれほど残虐な行為ができるものかと恐怖を感じた。
石井部隊は1932年から生体実験をはじめ、被害者は「マルタ」と呼ばれる。関東軍憲兵隊は実験用の人間を捉え、731部隊に提供、特別移送を行い、細菌兵器の開発でペスト、コレラ、腸チフス菌などを大量繁殖させ各地の実戦で使用した。1939年8月には、ノモンハンで石井四郎指揮官が腸チフス菌を河に投入、その他の地域でも使用し多くの農民に被害を与えた。
1945年8月、アジア太平洋の戦場でのたび重なる敗北に伴い、石井四郎は731部隊の行為が国際条約にひどく違反していたことを充分承知していたことから、その罪を隠すため、731部隊は逃亡の際、すべての施設を完全に爆破し、重要物資と核心資料を日本に持ちかえった。
1949年ハバロフスク裁判では、12名の公開審判で、731部隊員の証言から15〜20年の判決を受けた。
戦争責任を果さない石井四郎と部隊員は戦後、米軍(GHQ)に細菌資料を提供したことと引換えに戦犯訴追を免れる。極東軍事法廷では南京虐殺の松井石根は東条英機とともに死刑になる。
もう一つ問題なのは、石井とともに日本に逃亡した中に生体実験を行った細菌研究班の一部責任者が日本の製薬会社(旧ミドリ十字)に入り、薬害エイズ事件で多くの犠牲者を出したことだ。
ハルピンから長春までは寝台列車で、車窓から広大なコーリャン畑を眺めていて思い出したのは中国映画「紅いコーリャン」であった。コーリャン酒の製造場で平和に暮している一家と従業員、この頃、日本軍が侵略しコーリャン畑を潰して道路建設を強制し抗日活動家を殺害する。酒造り一族は酒神歌を歌いつつ日本軍への抵抗を誓う。
道路に酒かめを埋め中に爆薬を仕込んで日本軍戦車に立ち向う。中国人日本兵がほとんど死ぬが、父と息子が生き残り母が倒れる。
もう一つ忘れられない中国映画は、1950年頃の作品「白毛女」。私が高校2年生のある夜、愛知大学の教室にて極秘に上映され友人と三人で参加。中国の農村で地主の横暴で小作人の少女が親の借金のため虐待に合い山奥に逃げ、数年経つ内に苦労のため美しい黒髪が白髪になるが、八路軍が村を解放し少女が家に帰る。地主は村民の人民裁判を受ける。この作品は偽満映時代(日本の国策映画)から日本人の脚本家、映写技師などが戦後、長春映画制作所での協力で完成したことを先日特別番組で知った次第。
中国では731部隊のほか、重慶無差別爆撃、南京大虐殺、平頂山事件、従軍慰安婦問題、三光作戦などで、尊い命を1千万人以上奪っている。
日本ではアジア侵略により国内労働力不足を理由に中国人を強制連行した。その被害者は約4万人で1943年4月以降、炭鉱、港湾、鉱山など35企業が経営する135事業場で働かされた。
証言1、私たちは牛や馬より下の生活、北海道なのに薄い上着を一枚、飢えで死んだ者もいる。証言2、「バカヤロー」、60年数年前の日本人から浴びせられた言葉は今も忘れられない。1944年2月に買いものに出かけたところを日本のカイライ軍に捕まり河北省から日本に連行された。証言3、日本人の監督につねに「バカヤロー」とののしられ殴られた。1日12時間労働で休みも賃金も与えられなかった。
日本人の証言、中国人労働者が作業場まで縄で縛られて歩かされ監督人が転んだ人を棒で殴っているのを見た。破れて垂れ下った衣類を縄で縛り髪は伸び放題、ほとんどの人は裸足だった。
命あるうちに解決をと今年10月に被害者と遺族80名が来日し、謝罪と償い、歴史の真実を後世に伝えることを求めている。尊敬に値する国ドイツでは、2000年7月、戦時中ヨーロッパを侵略し、強制連行、重労働を強いた被害者を救済するため国と企業が基金(記憶、責任、未来)を創設し、全面的解決を図る。道義的責任に基づいた独自の補償基金で被害者に支援金を支給した。
ドイツでは平和、歴史教育についてもヒットラー、ナチス、ユダヤ人大虐殺、自国の戦争犯罪について、青少年への教育を徹底的に真実の歴史と共に伝え、敵対国との共同作業で歴史教科書を作成している。
日本では戦後61年経ても中国残留孤児帰国者の生活苦、強制連行など多くの未解決問題がある。一日も早く国と企業が正しい歴史認識の上、被害者救済のため謝罪と補償をすべきだと思う。
わたしがヘルパーとして働こうと思ったのは、まず今の時代のニーズに合うということ。高齢化社会にとってますます必要になる職業だし、お年寄りの世話は50歳を越えて職に就こうという身にはちょうどよいのではと考えたことだ。時給も安くて1000円、身体介助で1700円〜1800円というところもあるから、一般のパート時給800円と比較すれば、ずいぶん魅力がある。
ヘルパー1級、2級という資格は、たいていは民間の福祉関係の会社などで介護保険法施行令にもとづいた研修を受けて取得するのだが、2級で8〜9万円、1級でその倍くらいの取得費用がかかる。最初これもまあ投資だ、すぐ取り返せるなんて思いながらお金を振り込んだのを覚えている。
週一度の講義を受講し、家庭学習したレポートを提出したり施設で数日実習を受けて、数ヵ月後、2級の修了書を受け取るや否や、自宅近くの事業所で面接を受けた。時給は生活援助1400円、身体介助1600円と募集チラシに載せている。週3〜4日10時間ほどの勤務である「登録ヘルパー」として、働くことになった。
待ちに待った給料日。明細書をみるとなんかヘン。わたしの計算間違いか? 「同業」で知り合ったヘルパーさんにきくと、「そうなのよ。なんか計算が違うのよ。少ないでしょ」だって! さっそく事業所所長に「計算どうなってますの?」と言うと「それは最初の一時間はその金額で、一時間以降は1000円になってます」だって!! (それでは身体介助3時間は4800円ではなく、3600円になる) だったら最初からそう言え! 募集チラシにもちゃんと書け! と思っていたら、翌週の募集チラシは時給1000円以上となっていたのだが、「なんだかうさんくさいな。この業界は」というのが初給料をもらっての私の感想だった。
それから引っ越しもあって数件、事業所をかえて働いてきた。雰囲気が家庭的で話しやすいところもあれば皆忙しそうで実務的な話しかできない感じのところもある。はっきりしているのは、そこで働くヘルパーさんは、ヘルパーとなった動機はそれぞれ違うかもしれないけれど、すこしでも仕事に精通して利用者さんのためになり、また自分のために働いているということだと思う。
しかしヘルパーの身分は不安定だ。利用者がキャンセルしたり、入院、入所で予定していた仕事が突然なくなることは日常茶飯事だ。仕事の専門性が高いわりに評価が低し、また事故のリスクが高いということも、働けば働くほど身にしみて感じていくのもこのヘルパーという仕事なのではないだろうか。
■ニカラガでサンディニスタ勝利
ニカラグァでダニエル・オルテガが新大統領に就任。彼は89年にニカラグァ革命を勝利させたサンデニィスタの指導者である。
今回の選挙で米国は親米派であるニカラグァ自由連合候補エドアルド・モンテアレクレの当選を期待し、多くの選挙資金を出して、出版報道を通じた大々的な宣伝攻勢を行った。また、オルテガが勝利すればニカラグァへの経済支援を中止するとか、これまでの協定を見直すとか、米国在住のニカラグァ人を追放するなどと脅しをかけ、ひいては、サンデニィスタに投票した者には災難が降りかかるだろうとオルテガ支持者へのテロ行為を示唆する脅迫まで行った。
米国としては、ラテンアメリカ諸国で反米気勢が強まる中、ニカラグァまで反米政権になれば、この地域の反米を加速するとして必死だったわけだが時代の流れを止めることはできなかった。
外信は、「この地域で社会主義の風が吹いている」と伝えている。
■エクアドルでも反米左派が勝利
11月26日に行われたエクアドルの大統領選挙で経済学者で元経済相のラパエル・コルレアが勝利。勝利が確定した日、コルレアは「手の汚れていない、祖国を愛するすべての国民にともに、新しい祖国を作っていく」と抱負を述べた。
彼は、ベネズエラ大統領チャベスと友人であり、チャベスが国連で米国ブッシュを悪魔呼ばわりした際には、「間抜けなブッシュと比較しては、悪魔に失礼だ」と述べて物議を醸したこともある。
選挙戦は、さながら、チャベスと手を握るのか、米国と手を握るのかという争いになった。コルレアは、資源の国有化を唱え、「海外からの投資は雇用に結びつかない」として米国との自由貿易協定締結に反対し、米軍の駐在にも反対している。
エクアドルでも米国の要求する新自由主義改革が行われ、00年には現地通貨を米ドルにするなどアメリカ化が進み、表面的には経済回復が見られたが、格差は一層拡大した。ラテンアメリカ諸国の反米は、生活難からの切実な要求と結びついている。
■ネパールでも
王制による民衆弾圧を契機に、11年間、山岳地帯を中心に武装闘争を展開し支持を広げてきた共産党を有力な構成勢力とする7党の連立政府が誕生した。11月19日、内戦を終結させるために、政府と共産党の間で、「平和協定」が結ばれた。
調印式に参加した首相プラサドゥ・コイラッラと共産党委員長プラチャンダは、多くの記者と外交団の前で、平和的で同伴者的立場で民主主義と人民の権利を保障して国を発展の道に導くと表明。また、「国際人権協約」と人道主義法、表現の自由、宗教の自由、生存権保障を公約した。
コイラッラ首相は、この場で「国内紛争解決の世界の見本を創造した」と述べ、プラチャンド委員長は「この日は、長期にわたる封建制度が撤廃されネパールの民主主義と進歩のための新しい時代が始まる日だ」と応じた。
22日には、内戦の中で共産党を支持したため公民権を剥奪された5万人にのぼる人々に公民権を回復するための法律が成立。王制廃止を含む新憲法作りも進んでいる。
「満州国への旅」を書いていただいたMさんは元社会科教師。日本軍によるアジア侵略の歴史を子供たちに教え続けている。
Mさんから時々、色んな資料を戴いているが、いつも胸を打たれるのは、この「歴史」から眼を逸らさず、真剣に向き合あおうとする子供たちの真摯さだ。Mさんのように全国には地道な活動を続けられている沢山の先生方がいる。
もしこのような教育がきちんとなされていたなら、イジメなどの教育の荒廃は起きなかったのではないか。安倍さん、「教育改革」とか言う前に、まずはきちんとした自国の歴史教育から始めたらどうだろうか。そうすれば教育も変わると思うのだが・・・。
Copyright © 2003-2011 Research Association for Asia New Epoch. All rights reserved.
|