研究誌 「アジア新時代と日本」

第38号 2006/8/5



■ ■ 目 次 ■ ■

時代の眼

主張 「制裁」を振り回す日本外交の危うさ

研究―8・15を迎えながら― 日本国憲法9条の主体性、先見性を考える

論評 「もったいない」でみんながつながった

論評 偽装請負の問題点

映画評 大統領の理髪師」

朝鮮あれこれ 誰もが大学生に

編集後記



 
 

時代の眼


 「疎ましかった」「自分を優先した」。娘である彩香ちゃんを殺した畠山鈴香容疑者の供述だ。
 娘が居るために恋人もできない。せっかく恋人ができても東京に出ていくこともできない。だから殺した。その上で、それに続く「自分を優先した」の真意は何だろう。「そのどこが悪い」という開き直りだろうか。それとも、「優先してしまった」という呵責や後悔の言葉なのだろうか。ラジオ報道だけからは定かではない。ただ、後者であってほしいと思う人は少なくないだろう。
 人は誰しも、自分を採るのか、それとも、相手や周りの利益を採るのかを問われるようになる。問われたことが一度もない人など有り得ない。それどころか、日常の生活は、朝起きてから夜寝るまで、その連続だと言っても過言ではない。早い話、朝ゆっくりトイレを占領するのか、皆のために早く出るのかだってそういうことだ。
 こうした現実にあって、今、新自由主義の世の中は、「個人の優先」を説いている。ドラマなどでも、「周りのことは気にせず、自分の幸せだけを考えればいいんだよ」といった類の台詞がしょっちゅう出てくる。それで皆、何となく納得ということになる。
 だが、これが「周りがどうなろうと、俺さえ幸せになればよい」だったならどうだろうか。誰もが納得ということには到底ならないだろう。今回の事件だって同じことだ。  鈴香容疑者のことを思うと何故か今の日本を思わずにはいられない。彼女は、娘を殺し、囚われの身となり、すべてを失って初めて、自分を優先させたことの誤りを悟った。今の社会自体がそうさせてしまっているのではないだろうか。


 
主張

「制裁」を振り回す日本外交の危うさ

編集部


■ミサイル実験の衝撃
 7月5日未明、朝鮮は7発の弾道ミサイル実験を行ない、世界に衝撃が走った。一発のみならず7発も連続でロシア沿海州沖合の海域に並べて見せたこと、またミサイル実験は見せ掛けだけであって、やらないのではないかという楽観的見方が支配的であっただけに、この実験がもたらした衝撃は余計に大きいものがあったようだ。  このミサイル実験に日本は猛反発し、国連安保理での非難決議に向けた動きが加速した。  日米は国連憲章第7章に基づく制裁措置に強制力を持つ安保理決議の採択を主張したのに対し、中ロは拘束力のない議長声明を主張し、当初は激しく対立した。その後、中ロが議長声明案を撤回、独自の非難決議案を国連安保理に提示した。最大の相違点は、軍事、非軍事の制裁に道を開く国連憲章第7章に言及するか否かにあったが、最終的には制裁とは一線を画す中ロ主導の非難決議採択で合意することとなった。結果的に制裁を伴う安保理決議は見送られた形となったが、朝鮮はこの非難決議に強く反発している。

■何に対する「制裁」なのか
 制裁とは、何らかの違法な行為やルール違反した者に対する罰則という意味を持つ。
 朝鮮が違法な行為を行ったと国際社会から認識されているのは、朝鮮が過去にミサイル実験の凍結を約束したことが根拠とされている。確かに、朝鮮がミサイル実験の凍結を約束した事実はある。小泉首相が訪朝した2001年9月の「ピョンヤン宣言」と、2005年9月、六者協議で合意した共同宣言である。
 但し、この二つの宣言を読むと分ることだが、そこには朝鮮側のミサイル実験凍結だけが書かれているわけではない。相手国側にも当然のことだが、約束事はある。ピョンヤン宣言であれば、日本側の日朝関係正常化へ向けた確約であり、六者協議では、アメリカ側の対朝鮮敵視政策中止と、速やかな関係正常化への転換だ。
 振りかえって見れば、この間の日本やアメリカの態度は、関係正常化への転換ではなく、むしろ朝鮮敵視政策の強化ではなかったか―おそらくそれは朝鮮側から見れば、日米側の「約束反古」と映っているはずだ。なのになぜ朝鮮だけがこの約束事に将来も拘束されなければならないのか。今回の弾道ミサイル実験に、このようなメッセージを読みとることはできないだろうか。
 米国はブッシュ政権以降、朝鮮を「ならず者国家」と規定し、先制攻撃も辞さずとの立場を取り、偽ドル疑惑などの口実をつけて二国間協議にも応じてこなかった。六カ国協議への無条件復帰を要求する一方で、6月末からハワイ沖で朝鮮有事を想定した環太平洋合同軍事演習を行い、ここには自衛隊のミサイル自衛艦も参加している。横須賀の米艦船がトマホーク巡航ミサイルを装備し、朝鮮へのピンポイント攻撃態勢も敷かれている。軍事的脅威を与え続けてきたのは果してどちら側なのか。
 朝鮮が行った弾道ミサイル実験は、これら日米による軍事的脅威に対する自衛措置という性格を持つ。朝鮮への軍事的圧力や脅威をくり返しながら、一方で朝鮮には自衛のためのミサイル実験も許さないというのなら、これはつまるところ朝鮮に対する武装解除要求であり、自主権に対する制裁だといえよう。

■自主権への譲歩はありえない
 なぜ朝鮮への制裁が危険なのか。それは自主権に対する譲歩が絶対にありえないからだ。
 朝鮮という国は、日帝の36年に渡る植民地支配に反対する闘いの中で、自主権に対する「譲歩」が自国に何をもたらすのかを骨身にしみて経験してきた。自主権、独立権に対して絶対に譲歩しない国に他国が強く譲歩を迫っていけばどうなるだろうか。最後は「実力行使」に行きつく。すなわち「力と力の対決」であり、戦争である。日本が怒りに任せて「制裁で脅せば相手は引き下がるだろう」くらいの覚悟でタカを括っているとするなら、なんとも危険極まりない話だ。
 今日、国際社会では、「大量破壊兵器」「核開発」「テロ」などを口実に、他国の自主独立権を平気で踏みにじるアメリカの横暴が幅を利かせている。軍事力ですべての問題は解決できるとする「力の論理」を掲げたブッシュ・ネオコン路線である。
 9・11以降、世界はこのブッシュ・ネオコンの強硬路線に支配されてきたといって良い。圧倒的軍事力による米一極支配の世界である。その結果が、アフガンへの侵攻であり、有志連合によるイラク侵攻だった。このブッシュ・ネオコン路線を最も熱心に支持、協力してきたのが小泉政権である。日本が先導する朝鮮に対する制裁外交が、「力の論理」を掲げたこのブッシュ・ネオコン路線そのものであることは明かだろう。
 この世界の米一極支配というグローバルな視点に立つとき、今回の朝鮮が行った弾道ミサイル実験が、朝鮮一国の問題でないことは明かだろう。言い換えるなら、朝鮮のミサイルが許されるのか許されないのかという問題は、「米一極支配」に従うのか従わないのかという問題と本質において同義であるからだ。この視点に立つとき初めて、朝鮮のわずか数発のミサイルに、なぜアメリカがこれほどまでに躍起となるのか。なぜ朝鮮が断固として譲歩しないのか。その理由も、その対立点も、そしてその危険性もくっきりと見えてくるのではなかろうか。アメリカが怖いのはミサイルそのものではない。それが米一極支配の根幹を揺るがすことになるからだ。
 朝鮮のミサイル実験をとてつもない「違法行為」のように書く新聞記事が目立つが、事実誤認もはなはだしい。例えば、朝鮮が実験を行った数日後にインドが弾道ミサイル実験を行ったが、これが非難された形跡はない。なぜインドの実験は認められて朝鮮は認められないのか。なぜイスラエルの核兵器は黙認されても、イランの核開発は許されないのか。結局、米一極支配に従う国は許され、従わない国は許されない、これが唯一の基準となっているということだ。世界にはこのような露骨な二重基準(ダブル・スタンダード)がまかり通っている。

■自主権への制裁は孤立への道
 朝鮮のミサイル問題をめぐって国際社会は「一つの声」になったという。果してこれは事実なのだろうか。
 安保理での非難決議の採択、そしてロシア・サミットの議長声明でもミサイル問題への「懸念」が明記された。確かに「懸念」レベルでは、主要8ヶ国の「結束」は実現したかに見える。しかし、その具体的な「解決」をめぐっては何一つ「結束」を得られていない。
 国連安保理決議では、国連憲章7章の明記する制裁への含みを持たせることを求めた日米の強硬論に対して中国とロシアは最後まで同意を見せなかった。日本の政府高官は「こっち(日本)が強い主張をしたから向こう(中露)が寄って来た」と、日米の強硬路線が効を奏したと胸を張っているが、制裁に関しては日米側が譲歩したことは明かだ。
 今回のG8サミットでは、もう一つの「サミット」も開かれた。インド、ブラジル、中国、アフリカ連合議長国コンゴなどが参加した「途上国6ヶ国サミット」だ。
 この6カ国は、グローバル化の波で南北の格差が広がっている中、G8に対抗して「南北協力」を深めることで一致した。これらの国は大国の支配や侵略に蹂躙されてきた共通の歴史をもつ。「サミットの二重構造」と新聞が論評した如く、G8主要国の裏に、「もう一つの世界」があることを強く印象つけた。
 「もう一つの世界」は、サミットの最終日の会見で、その共通の目的として「米一極支配」に対抗する「多極世界」の構築を掲げた。
 「米一極支配」か、「多極世界」かの違いは、つまるところ、ブッシュ・ネオコン路線を認めるのか認めないのか、国と民族の自主・独立を擁護するのかしないのかの問題だ。「もう一つの世界」が「米一極支配」に反対し、「多極世界」を志向しているということは、彼らが要求する世界とは、国と民族の自主権を守り尊重する世界であるということだ。この要求は、おそらく途上国六カ国以外の圧倒的多数の国々の要求でもあるはずだ。
 このような米一極支配と多極世界との世界史的攻防の視点から、日本が先導する制裁外交を捉え返すとき、朝鮮のミサイル問題で将来的に孤立を深めるのは朝鮮なのか、それとも日本なのか。戦争か、孤立か。日本の制裁外交の行きつくところは、結局、この二つでしかない。


 
研究―8・15を迎えながら―

日本国憲法9条の主体性、先見性を考える

田中義三


■「押し付け憲法」を拒否
 日本国憲法作成時、「マッカーサー・ノート」(以下、「ノート」とする)が、アメリカ側の意図を示すものとされた。その第二項「日本の安全問題」は憲法9条と関係が深いとされる。
 「国家の主権的権利としての戦争を放棄する。日本は紛争解決のための手段としての戦争、及び自己の安全を保持するための手段としてのそれをも廃棄する。日本は、その防衛と保護を、今や世界を動かしつつある崇高な理想に委ねる。いかなる陸海空軍も決して許されないし、いかなる交戦権の権利も日本軍には決して与えられない」(ノート)
 この「押し付け」を巧みに拒否して作られたのが日本国憲法9条だとみるべきではないかと思う。
 その要点をまとめれば、第一に、「ノート」が、「日本の安全」問題に限定したのに対し、「日本国民は正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し」を加えた。それは、これまでの排他的「国益」中心主義から転換を遂げ、新しい国際社会の平和構築に積極的に寄与していく立場を明らかにしたものと言える。  第二に、「ノート」にあったわが国の自衛権を否定するような文言、日本の防衛を「世界を動かしつつある崇高な理想」(自由の盟主「アメリカ」)に「委ねる」とした文言を削除している。
 第三に、「ノート」では、自衛権の剥奪を念頭において「国家の主権的権利としての戦争を放棄する」とあったのを、「国権の発動としての戦争と武力による威嚇または武力の行使を放棄する」に、また「紛争を解決するための手段」は「国際紛争を解決する手段」に変更している。
 以上のように、「ノート」の根幹といえる自衛権否定を認めず、ましてやそれを他国に委ねることを明確に拒否したのであり、同時に歴史的経緯からして自己の安全、防衛のためというより以上に、新しい世界平和の実現に寄与していく決意の表明に力点を置いた−それが憲法9条である。9条は、アメリカに「押し付け」られようとした「自衛権、自衛力保持の否認」を巧みに削除、拒否しながら、その一方で国際平和実現の方策として、戦争の放棄、戦力の不保持、交戦権の否定について明瞭にした。

■9条の真髄−撃退自衛の思想
 9条理解で重要な第一は、これまで戦争の大義として正当化されてきた国家の交戦権の行使としての「自衛戦争」、その名で遂行されるあらゆる制裁戦争、報復戦争といった対外派兵の戦争を完全に否定したということである。そして第二には、交戦権の行使は放棄しながらも同時に各国の自然権、生存権ともいえる自衛権、自衛力は保持し執行できるという理解である。
 この眼目は、「自衛」という大義であれ、何であれ自国の領土以外には出て行かず、したがって相手国の領土、領海、領空を侵し攻撃する行為は絶対にしないし、そうした戦力は保持しない。また一方で、他の国がわが国の領域を侵すことを許さず、必用な時には自衛権の行使として相手国の侵略武力を撃退する、そのための自衛の武力は保持できるということである。言い換えるなら、わが国の自衛権の行使とは、侵略戦争への転化を徹底排除した「撃退自衛」の思想とその行使だということだ。これを憲法9条の真髄的内容としてとらえるべきだと思う。

■9条の主体性に光りを
 この「撃退自衛」の思想は、憲法9条の主体性の表現である。
 幕末−明治維新以降、わが国の攘夷ナショナリズムは、近隣諸国と同盟して欧米列強のアジア植民地化に対抗しようとした。しかし中国にも朝鮮にも絶望、「国の統治能力なし」の診断を下し、ついには「脱亜入欧」に転換、アジア覇権の道に向かうようになった。さらには「大東亜共栄圏」を築き欧米からの東亜解放を実現する大東亜戦争であると大言壮語するに至った。これら全ては欧米、すなわち南下するロシア、あるいは東進する英米の脅威からわが国を防衛する「自存自衛戦争」の「大義」の下に行われ、朝鮮の植民地化、満州国樹立から中国大陸浸出、さらに東南アジアへと覇権と侵略の戦争を拡大していった。そしてついには国土が灰燼に帰したばかりか、民族史を「アジアの敵」の汚名で傷つけてしまった。
 「自存自衛戦争」の名で侵略戦争を行った近代史の痛恨の体験から深奥な教訓を導き出した、それが9条の「撃退自衛」の思想ではないだろうか。「自存自衛」の名で相手国領域に戦線を拡大する交戦権を放棄することによって、侵略戦争への転化を許さない、しかし撃退戦によって国家の自然権、生存権としての自衛権は固守する。まさに9条の「撃退自衛」の思想は、わが国近代史の深奥な教訓の具現として、「押し付け」どころかわが国のみが構想しえた主体的な平和理念であると思う。

■実践的意義持つ9条の先見性
 「撃退自衛」と「交戦権の放棄」という憲法9条理念は、今日、「反テロ戦争体制」に移行しつつある現代世界にあって、切実に求められている実践的な平和理念ではないだろうか。
 「自存自衛」の名による他国への武力干渉を当然の権利とするのは、20世紀の古い思考方式である。帝国主義の専横が支配した時代に、「自主権」とは列強の専有物とされており、統治能力がないと見下されていた圧倒的多数の国や民族には無縁のものであった。ところが21世紀の今日にあっても、アフガニスタン、イラクへの先制攻撃など、「テロリストからの防衛」という「自存自衛」を口実としたアメリカのまことに身勝手な「弱いものいじめ」の武力干渉が大手を振っている。
 ブッシュ政権は、「反テロ戦争」を「21世紀型戦争」とし、大量破壊、虐殺、虐待の侵略戦争を正当化している。国連も「自制」は訴えてもアメリカを正面から非難しえず、平和維持機能を麻痺させている。わが国近代史の深奥な教訓であり、この新しい世紀の真の国際平和を実現していく理念としての憲法9条、その「撃退自衛」と「交戦権の行使によるあらゆる戦争の否定」という自衛思想、ここに貫かれた各国、各民族の自主権を擁護、尊重する理念をわが国は自身の痛恨の教訓として世界に提示できるのではないだろうか。
 けっして「押し付け」ではない近代史の主体的総括に基づいたわが国独自の憲法であり、古い世紀の思考方式を克服し新世紀に普遍性を持つ先見性ある憲法として9条にもっと誇りを持っていいと思う。そしてこの9条理念を自らが率先垂範し国際社会の平和と共存共栄に寄与する活動を通して、崇高な9条理念がわが国と国民の「DNA」となり、アジア侵略の20世紀の汚名を晴らし、21世紀の平和実現の先駈けとして国際社会に名誉ある地位を占めることを望みたい。


 
論評

「もったいない」でみんながつながった

若林盛亮


 自民、公明、民主3党相乗りの現職が、新顔の嘉田由希子氏に「まさかの敗北」を喫した滋賀県知事選がちょっとした旋風を巻き起こしている。
 新顔の勝った要因については、「財政難の折、税金をつぎ込む新幹線駅やダムの建設を『もったいない』と切り捨てた明快さに軍配があがった」(朝日新聞)というのが大方の見方である。
 敗れた現職は「公共事業費を大幅に削られ、建設業関係者に『動け』と言っても難しかった」と「小泉改革の痛みが選挙に影響した」と分析。
 当の小泉首相は「田舎だからといって従来のような発想で公共事業などに依存するような選挙では国民の信頼・支持を得ることはできない」と逆に改革続行の必要性を強調した。
 しかし真の勝因は政治家の思惑を超えたところにあると思う。初当選を果たした琵琶湖研究者で京都精華大学教授の嘉田由希子氏の言葉−「もう私の選挙じゃなくなっている。みんながつながった。だから負けられない」−解答はここにある。
 嘉田氏の選挙のキーワード「もったいない」は、氏が琵琶湖環境研究者として聞き取り調査中、お年寄りから聞かされた言葉だった。嘉田氏には、この言葉が自然の力、そして子供や若者の力が生かし切れていない現状を表現するのにぴったりの言葉に思えた。「もったいない」は単に税金のむだづかいや環境破壊にとどまらず、現状を広く深くとらえた言葉として受け入れられたのだ。
 市場原理、そろばん勘定に合わなければ切り捨てていくのが新自由主義「改革」の現状だ。湖岸の景観、葦(よし)原なども商品価値がなければ「保護に手間暇かけるコストはマイナス」の判断が下される。「もったいない」の思想は、琵琶湖の環境を作ってきた先人の苦労をそろばんでは計算できない大切な共同体の財産だと考える県民が培ってきたものだ。それが今日、市場価値で子供や若者、人間の無限の力を切り捨てていく「改革」の現状を憂え変えたいという様々な現場の県民の思いを集大成した理念となった。京阪を勤務地とする新住民の票さえもつかんだ。「みんながつながった」、その勝利なのだ。


 
論評

偽装請負の問題点

秋山康二郎


 「偽装請負、製造業で横行」と朝刊一面の大見出しで朝日新聞が報じた。04年3月、製造業への労働者派遣が解禁され、大手製造業メーカーなどが取り入れた雇用形態のひとつ。解禁以降労働局が立ち入り調査を強化しているが、05年度までの3年間の指導件数は年々倍増しており「いたるところで見つかる状態」だという。昨年度だけで、メーカーなど請負を発注した660社のうち、半分以上の358社で偽装に絡む問題が発覚し文書指導が行われた。請負現場で働く労働の担い手は、20〜30代前半で、ボーナスや昇給はほとんど無く給料は正社員の半分以下。なかには、3分の1のところもある。社会保険への加入も徹底されず、契約打ち切りは即失業につながり何の保証もない。特に労働請負現場が多いのは、最新鋭のハイテク工場が多いようだ。日本の名だたる、キャノン、日立、松下ほか、ニコン、東芝、富士重工、トヨタ、いすゞ、コマツなどの子会社なり関連会社などもその中に入っている。ここで問題にされているのは、本来請け負い会社が独立し製造納品するべきところを、実際の指揮命令をメーカーの正社員がやることの違法性だ。しかし、社会的に問題なのは、正社員、派遣、請負、偽装請負と雇用の安定度が下がり、賃金や、社会保証などの面ではさらに格差が拡大しているところにある。
 企業がグローバル化の中、他企業との生き残りをかけた熾烈な競争を強いられているなどとの言い分はいくらでもあるのだろう。しかしながら一方では、「過去最高の利益」といった企業も珍しくない。労働者を、単なる使い捨ての部品化してまで競争して得た利益の分配のあり方にも大きな問題があるとは言えないか。
 一方、人材不足を訴える中小企業が多いと聞く。これから海外と取引をしたいとか、海外に進出したい企業の中に仕事を任せられる人材が足りないというのだ。その打開策として、外国人の管理職を雇用する企業がふえている。長らく、フリーターがもてはやされた時期に、第一線を担う人材が育っていないということのようなのだが・・・  グローバル化の負の側面はあまりにも大きい。いささか日本の将来が心配になっている。なんとか官民挙げた対策が早急に取られることを願わざるを得ない。


 
映画評

「大統領の理髪師」

金子恵美子


 「大統領の理髪師」は、1960年代の軍事独裁政権下、南北朝鮮の対立を背景にどんなばかげた国民弾圧が行われていたのかを、ひょんなことから大統領の理髪師となったソン一家の物語を通じて痛烈に揶揄しながら描いている。とにかく面白くて、泣けて、考えさせられる映画である。
 大統領官邸のお膝元で理髪師を営むソン氏。店の見習いの女の子を半ば強引に自分の妻にして、一子をもうける。1960年4月19日、学生たちが中心になってリ・スンマン政権を倒した歴史的な日に、その騒動の最中に産声をあげた男の子の名前は「ナガン」(楽安)。姓名占いで、権力とは無縁だが安寧に生涯をおくることができる名前だとしてこれに決めるソン氏。ところが母親はプンプンだ。なぜなら、ソン・ナガンは呼ぶときはソン・ナガニとなり、訳せば「すぐに出て行け」という意味になるからである。なんとか妻をなだめるソン氏。ナガンは父母の深い愛に包まれて成長する。
 リ・スンマン大統領が失脚し、パク・チョンヒ大統領の時代となるが、引き続き大統領の理髪師として青瓦台(大統領官邸)の理髪室で働くソン氏。それは大変な緊張と重圧感を伴う仕事であったが、店も繁盛し彼に一種の誇りを与えてもくれていた。ある日、大統領の食事会に家族で招かれるソン氏。しかし、大統領の息子や高級官僚の息子たちにとりかこまれ、自分の父親のことを「ソン・チョッキンさん」(頭かりのチョッキン)とバカにされたナガニは大統領の息子を押し倒してしまう。早々にその場違いな食事会から退散するソン一家。
 「北朝鮮」のスパイ狩りがだんだん激しくなり、「マルクス病」の流行に神経を尖らせる政府。ついには、本当の下痢に伝染した人間たちまで連行し、拷問にかけ誰からうつされたかを「自白」させ検挙率をあげるしまつ。そんな中、ソン氏の愛するナガニが下痢になり、連行されてしまう。半狂乱になってナガニを探す妻とソン氏。大統領官邸のつてを頼りに嘆願しても、まったく相手にしてくれず、冷たく追い払われるソン氏。ナガニは拷問部屋に連れていかれ電気拷問にかけられていた。自分がなぜそんな目にあうのかも、何を聞かれているのかもさっぱり分からない。何日か後、袋につめられ家の前にころがされていたナガニ。生きて帰ってきた息子を見て狂喜する父母。
 だが、拷問の後遺症のため、ナガニの足は萎えてしまっていた。近隣の医者をたずね歩くソン氏。冷たい冬の川をナガニを背負って渡るソン氏。そんな父を健気に気遣うナガニ。涙のジーンとでる場面だ。
 そうしてたどり着いたある漢方医の言葉が、「竜眼をとって子供に飲ませろ」というもの。意味がよく判らずに帰宅するソン氏。そして数年が過ぎる。ナガニも松葉杖をついて歩く青年に成長している。そんなある日、権力抗争の結果、パク・チョンヒ大統領が暗殺される。大統領の理髪師として弔問にも出向くソン氏だが、数年前に漢方医から言われた言葉を思い出す。「竜眼」とは、大統領の「目」のことである。ソン氏は震える手で何度もためらいながら、葬儀のために描かれた大統領の大きな肖像画の目を理髪用のカミソリで削り取り小さな器に詰める。運悪く官邸の人間に見つかるが、その容器を飲み干し、「最後に大統領を一目見たくて来た」とうまくごまかし難を逃れる。
 大統領の葬儀の日、ソン氏の店の前を大統領の遺体を載せた霊柩車が荘厳な音楽と共に引かれてゆく。悲しむ人々。慌ててソン氏をトイレに呼びにいく妻。ソン氏はれいの飲み込んだ容器を必死に出しているところであった。大統領を乗せた霊柩車が急に止まってしまう。空回りするタイヤ。動きそうで動かない大統領の車。出そうで出ないソン氏の容器。これが交互に映し出され、ついにタイヤが前に進む。ついに容器が放出される。なんともおかしい場面である。霊柩車の見送りそっちのけで、容器を水道で洗うソン氏。なんのことかよく分からない妻やナガニにかまわず、必死の形相で容器から取り出された「竜眼の粉末」をナガニに飲ませるソン氏。
 そして嘘のような奇跡がおきる。ナガニが松葉杖なしで歩けるようになったのである。涙する両親、喜ぶ隣近所の人々。そしてソン氏はパク大統領からバトンタッチされた次の大統領の髪も刈ることになった。次の大統領の髪は、中央は禿で周囲にしか髪はなかった。(ゼン・トカン大統領?)ソン氏は、そっと大統領にささやく。「閣下、髪が伸びてから理髪しましょう」と。
 本当に痛快な場面である。この後ソン氏は袋だたきにあい、袋につめられて家の前におかれる。しかし、ぼこぼこにされたソン氏の顔には得心の微笑があった。「アボジ(父さん)もなんでそんなことを言ったのか分からないという。でもアボジの気持ちはとても爽快だったとのことだ」というナガニのナレーションでこの映画は終わる。
 こんな映画が作れる韓国映画界の懐の深さと、当時を知るものとしては隔世の感を新たにする。韓国の民主化は確実にここまで民衆の手で勝ち取られてきたのである。今、どこかの国で「民主化」の押し売りをしているが、自由とともに民主化も与えられるものではなく、その国の人々が自らの手で勝ちとって行ってこそ、強固でその国に根付くものになるのではないだろうか。まだの方は、ぜひお勧めの作品である。


 
朝鮮あれこれ

誰もが大学生に

魚本公博


 朝鮮最高の工業大学であるキムチェク工業大学の電子図書館。4月15日を契機に本格的に稼動を始めたというので見学してきた。
 大学は、平壌駅前の大通りとテドン江に挟まれた区域にあり、いかにも大学街のような雰囲気である。
 その中心部分の一角に電子図書館の建物はあった。いくつかの建設図案を市民に提示して選んでもらったという、その建物はユニークで明るい。地下2階、地上5階、閲覧室は12室あり、数百人が閲覧できる。テレビ画面を見て閲覧するが、講義施設もある。語学関係の閲覧室では、外国映画を見ながら学習していた。
 蔵書数1000万件で、日々、インターネットを通じて収集したり、外国本を翻訳して打ち込んで数を増やしている。興味深かったのは、韓国で使われる技術関係の用語を翻訳対比した「南北技術用語集」を作っていたこと。南北間の経済連携の深まりを垣間見させる。
 普通、電子図書館といえば、図書館が自身の蔵書をデジタル化して閲覧できるようにしただけのものだが、この電子図書館は、建物も別個に建てた。それというのも、電子図書館を国の工業技術教育の中心にし、ゆくゆくは、全国民的な教育網の中心に据えようという構想があるからである。
 すなわち、相互に意見を交換できる多方向のデジタル通信体系の特性を利用して、各地の需要者と大学を結んだ技術情報の普及、研究、講義の体系を構築するということである。すでに、平壌ベアリング工場が数年間頭を悩ませていたベアリングボール加工の技術問題を一挙に解決したとか、地方の工場で技術者に当大学の通信講義を受けさせて水準を上げているとか、サリウォン工業大学がすべての基礎科目講義を当大学の通信講義に代えたなどの事例があがっている。
 そして、各家庭にまで広げた遠隔講義体系。多方向の通信体系で、誰もが個別的に質疑をやりとりしながら講義を受け、受講者間の討議を行うこともできるわけで、こうなると全国民の大学生化である。これが無料。無料というだけでなく、そのことに国家が強い関心をもって、この体系を整備し世界のどこにもない、独特のものとして発展させようとしているのがすごい。
 朝鮮の場合、この通信体系は、朝鮮独自のもの。そのための基本ソフト「コスモス」も独自開発で、各家庭を結ぶ通信体系のソフト開発は、クムソン第一高等中学校の学生にやらせているとのこと。
 情報産業時代は、世界的に社会構造上の大きな変化をもたらしているが、金儲けを基軸にしたシステムではなく、国民の要求に基づき、その相互作用によって発展する情報産業システムの構築こそ、情報産業時代の本来のあり様ではなかろうか。
 「情報産業時代というのは、社会主義にこそ合っている」。という思いを強くした見学であった。


 
 

編集後記

小川 淳


 NHKの世論調査によると、8・15が何の日かを知らない若者が51%と急増しているそうだ。昭和史をテーマにした作品を書いている作家半藤氏が教える女子大では、講義を受ける50人中、日本がアメリカと戦争をしたことを知らない学生が十数名いたという。
 私の学生の頃も歴史の授業は戦前までで、戦後史はきちんと教わった記憶がない。それでも8・15の意味を知らない学生は一人もいなかった。
 だからと言って、若者たちの「無知」を笑う気持には少しもなれない。大人だってある意味ではいい加減な歴史認識をもっているからだ。
 この国トップである首相でさえ、歴史認識のいい加減さでは世界を唖然とさせたではないか。歴史(過去)を知らない国の未来は暗い。それだけははっきりしている。


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