研究誌 「アジア新時代と日本」

第34号 2006/4/5



■ ■ 目 次 ■ ■

時代の眼

主張 「米軍再編No」、基地住民が問いかけるもの

論評 「春闘の完全終焉」を越えて

論評 アメリカの、アメリカによる、アメリカのためのルール

報告 沖縄訪問記、示唆に富む沖縄の下水道事業

生活 ヘルパーのつぶやき

朝鮮あれこれ 子供を心配する親心

編集後記



 
 

時代の眼


 「男でも女でもタイミングがある。個人の問題だから、政府が早く結婚しなさいと言うこともできないし・・・」。少子化対策への具体的取り組みを聞かれて、小泉首相がした記者団への答えだ。
 いかにも小泉さんらしい。完全なはぐらかしだ。これでは答えになっていない。
 だが一方、これは、小泉さんの本音でもあるのではないだろうか。すなわち、「少子化対策」と言われても、小泉さんとしてはこう言うしかないということだ。
 そもそも、小泉改革、新自由主義改革とは、そういう改革だ。すべては、個人のなすがままに委ねよ。そうすれば、なにもかもうまくいくだろう。これが新自由主義だ。
 事実、小泉改革の5年間、少子化対策としては何もなされなかった。それどころか、「改革」によって、少子化の原因となる要素がこれ以上にないかたちで産み出されてきた。若い人たちの不安定雇用化と不安、生活苦の増大、家族や地域、職場など、子育てを依拠すべき共同体の破壊。どれ一つ取ってみても、結婚や出産、子育てをできなくするものばかりだ。その結果が、出生率1・29、日本の人口減少社会化など、当初予想されていた少子化の「超過完遂」なのは余りにも当然のことだ。
 結婚や子育て、これは、人間の幸福や生きがいを左右するもっとも切実でかけがえのない営みの一つだ。それをできなくしておいて、なすすべもなく、「個人のやることだ」と「自己責任」を強要する「改革」、それが本当に改革と言えるのか。もう一度、深く考えてみる必要があるだろう。


 
主張

「米軍再編No」、基地住民が問いかけるもの

編集部


 米ワシントン州の米陸軍第一軍団司令部のキャンプ座間への移転、厚木基地にある空母艦載機部隊の岩国への移転、普天間基地の名護市辺野古沖への移設、などを柱とする「米軍再編」で日米間の合意に至ったのが昨年10月、「日米同盟・未来のための変革と再編」と題した「中間報告」だった。ところが予定の3月が過ぎても、今だ「最終報告」には至っていない。基地を抱える「自治体との合意」がなされていないからだ。

■「NO」を突きつけた基地住民
 今年3月、岩国市では、「米空母艦載機受け入れ」を問う住民投票が行われ(投票率58%)、米軍受け入れ反対が87%を占めた。投票結果に法的な拘束力はないものの、井原市長は有権者の過半数が反対だったことを重く受け止め「移転案の撤回を求めたい」と語っている。岩国への移転は、岩国基地の1キロ沖合を新たに埋立て、現滑走路を沖合に移し艦載機をうけ入れるというものだが、賛成派は基地の見返りの地域振興策を掲げ、棄権を呼びかけたにもかかわらず、自民党支持層の8割までが反対票を投じている。自民党首脳は示された「民意の打消し」に躍起となっている。
 反対の意思を表明しているのは岩国だけではない。米陸軍の統合作戦司令部が移転する座間市も、空中給油機部隊の移転が検討されている鹿児島県鹿屋市も反対を唱えている。今後の最大の焦点は、沖縄普天間基地移設問題で沖縄県と名護市、この地元の合意を取りつけることができるかどうかだ。普天間移設で失敗すれば基地反対の連鎖は全国に広がりかねない。普天間移転が「米軍再編」を左右する「試金石」となるのは間違いない。
 普天間基地の名護市キャンプ・シュワブ移転問題は、昨年10月、日米が合意した「辺野古沿岸案」にたいして「沿岸案絶対反対」を公約して当選した名護市島袋市長が強く反発しており、また沖縄県稲嶺知事も、基地の軍民共用化と15年の使用期限付き条件を反古にされ、「辺野古沖案」を白紙に戻されただけに「沿岸案」を受入れる余地はまったくない。
 岩国の住民投票で、反対派が多数を占めたことに対して、小泉首相は「基地移設に賛成か反対かを問うなら誰だって反対するでしょう」と感想を述べている。言わんとするのは、米軍基地を喜んで受け入れる人はいない、しかし、そのような「地域エゴ」に日本の安全保障政策を委ねることはできない、ということだ。果して、岩国や沖縄県民が示した民意は、小泉首相のいう「地域エゴ」なのだろうか。

■世界規模の米軍基地再編
 基地住民が「NO」を突きつけた、その根底には「米軍再編」問題とは本来、米軍基地の75%が集中する沖縄の「基地負担の軽減」が出発点であったはずだという怒りがある。そもそも「米軍再編」が日米間で論議になったのは、1995年、沖縄で起きた米兵による少女暴行事件に端を発している。沖縄県民の怒りが「沖縄に関する特別行動委員会」(SAOC)を発足させ、SAOCは、普天間飛行場など在沖縄米軍基地の21%の返還を沖縄県民に約束(96年)した。ところが10年立った今も基地の返還、沖縄の「負担の軽減」はまったく実現していない。
 今回の「米軍再編」は、2000年12月、ブッシュ大統領がラムズフェルド国防長官に「包括的国防戦略見直し」を指示したのが発端だった。ソ連を牽制するために米軍を固定的に配置した冷戦時代は終り、テロや大量破壊兵器、ならず者国家という「新たな脅威」に対処する21世紀型戦略への転換を意図したものだった。9・11同時テロはこの戦略見直しを加速した。
 この新戦略の中で、米軍は海外拠点を4分類しているが、日本は英国と並んで米軍の世界戦略を支える最も重要な戦略展開拠点(PPH)と位置付けられている。
 現地の軍隊を最大限動員し、世界の何処でも、いつでも、どんな敵に対しても確実に勝利することで、軍事による世界一極支配を恒久化する、これが新戦略の狙いだ。
 「2004年国家防衛戦略」によれば、「米軍再編」は、世界のいかなる場所へも、戦力を10日以内に展開し、敵を30日以内に撃破し、その後30日以内に次の場所で戦闘態勢を整える、「10−30−30態勢」を目指しているという。米軍の世界的行動を迅速に実現するためには、米本土以外の米軍基地を効率的に利用することが不可欠だ。
 米陸軍は、従来の軍、軍団、師団、旅団という戦力構成を見直し、戦力の指揮統制機能を持つ「司令部指揮ユニット」と、「戦闘部隊機能ユニット」に再編し、座間に移転が予定されている第一軍団司令部は、海軍、空軍、海兵隊も指揮下に置き、最新鋭のストライカー軍団を軸に4軍を統合運用する前線米軍統合司令部の機能を持つ。作戦範囲も極東から中東まで、「不安定の弧」の全体を覆う広大な地域に及ぶ。この「再編」が、安保条約の定める「極東条項」を逸脱しているのは明らかだ。

■米軍再編の一環として進む自衛隊の再編
 今回の米軍再編で重要な役割を担わされるのが日本の自衛隊だ。米軍再編は、その拠点国の軍隊も必然的に巻きこんでいく。2006年に発足が予定されている自衛隊の海外活動を担う「中央即応集団」の司令部が米国の要望でキャンプ座間に置かれることになった。航空自衛隊の航空総体司令部を横田基地に移し、2009年度にはミサイル防衛の中枢を担う「日米統合作戦センター」を横田基地に新設する方針も決っている。今回の米軍再編を機に、日米の完全な軍事一体化は着々と進んでいる。
 ブッシュ政権が3月に発表した2期目の「国家安全保障戦略」は、世界の圧制をなくすことを最終目標に掲げ、改めて北朝鮮やイランなど「ならず者国家」を圧制の拠点と見なした。圧倒的な軍事力を梃子にした米国による世界一極支配、それが米世界戦略の狙いであり、そのための在日米軍再編と日米軍事一体化、ここに「米軍再編」の本質があることをしっかり押えておく必要がありそうだ。
 世界支配を狙う米戦略の転換、その一環としての「米軍再編」、このようにとらえてこそ、日米政府が、なぜ沖縄や座間、岩国に「負担の強化」を強いるのか、その構造が鮮明となる。

■問われているのは「日本の防衛のあり方」
 今後の最大の焦点は、日米が合意した普天間基地のキャンプ・シュワブ沿岸部移転を名護市が受入れるかどうかにある。基地住民や沖縄県民にすれば、自分たちに何の相談もなく「2プラス2」という密室の協議で基地の移転や、拡張がフリーハンドで決められている。これで基地住民が納得するはずがない。
 しかし、私たちが見落してならないのは、今回の基地再編問題を沖縄や座間、岩国などの単なる「地域の問題」に矮小化しないことではなかろうか。「米軍再編」がここまでこじれた最大の原因は、これだけ重大な安全保障政策の質的転換が国民的合意も相談もなく、日本国内ではほとんど議論らしい議論もなしに密室で進められていることにある。
 そして基地住民が突きつけた「NO」の意味も、単純に地域の利害だけを考えたからではないだろう。やはり日本の未来を考え、軍事の一体化が進む日米関係の異常さ、日本の防衛のあり方がおかしいと思うからこそ、地域振興策を蹴ってまで反対しているのではなかろうか。もし岩国の艦載機基地や米陸軍第一軍団、普天間移設が本当に日本にとって必要なものであるなら、例えそれが地域の犠牲を強いるものであっても、そこまでは反対しなかったのではないか。
 今回の「米軍再編」が密室の協議で秘密裏に進められるのも、基地再編の論理が基地住民に何の説得力を持たないのも、結局は、それが徹頭徹尾アメリカのための米軍再編であることに由来している。基地住民や沖縄県民が怒っているのは、これまでは「日本の安全のために」という名分で我慢してきた。しかし、なぜ「アメリカのために」さらなる負担と犠牲を自分たちだけが強いられるのか、という理不尽に対してではなかろうか。
 「米軍の再編」は地域にとって死活的問題ではあるけれども、決して地域の問題ではない。日本の防衛をどうするのかという、日本の防衛のあり方に関する日本全体の問題なのだ。
 今のように米軍と一体化し、米国の世界戦略に積極的にコミットしていくことが、日本にとって良いことなのか。この根本が忘れられていないだろうか。ここを不問にしたまま基地住民に米軍再編の是非を強いることは、絶対にあってはならないことなのだ。
 このような視点に立ったとき、私たちは初めて基地周辺住民の素朴な声や疑問にきちんと向き合うことができるのではなかろうか。


 
評論

「春闘の完全終焉」を超えて

魚本公博


■「完敗」
 今年の春闘は、久々の白熱した展開が予想された。それは、上場企業の経常益が平均して7%増という業績回復やデフレ脱却気運が背景としてあったからである。
 しかし事態は次のように進んだ。すなわち、稼ぎ頭のトヨタがベースアップを呑みながらも1000円という回答を出すことによって、経営者側は、「トヨタが出すなら出すがトヨタ以下だ」という態度に終始し、3月15日の製造大手の回答日には、500円やゼロ回答が続出した。電機産業の労組である電機連合は、ストを視野に入れながらの交渉に臨んだが結局「苦渋の選択」「断腸の思い」(中村正武会長)でこれを受け入れたし、全体として「完敗」と言われる結果だった。
 そればかりではない、ベースアップを勝ち取った労組は、それを基準に各企業ごとに個別の労使交渉に入ったが、経営者側は、社員に均一に分配するのではなく成果主義に基づき、中核的な社員に重点的に配分する態度で臨んだ。こうして、労働者間においても賃金格差が拡大する結果となった。とくに、パート、アルバイトなど非正規社員の場合、「ある大手企業の一時金がパート年収と大差ないことに『格差』を改めて痛感した」(全国コミュニティ・ユニオン連合の鴨桃代会長)と慨嘆するほどに格差が開いた。
 今回の春闘は、「支払う能力に応じて支払う」「成果主義で分配する」という経営者側の論理が貫徹した結果、「企業間」「地域間」「雇用形態間」「個別の勤労者間」の格差をいっそう拡大するものになった。

■春闘方式の完全終焉
 日本独特の闘争方式である春闘は、55年に始まったとされる。それは、日本の労組が企業内組合として組織されている事情の下で個別的な賃上げ交渉では不利であることから、職種ごとの横断的な組織(例えば、金属労連、自治労など)とそれを統括する連合体(かつての総評、今の連合)が統一的に賃上げ交渉しようというものであった。そしてこれは右上がりの成長を続ける高度長時期には、それなりの成果をあげた。
 しかし春闘は当初から、労働者の闘いを「賃上げ」に限定するとか、労組幹部に委ねるだけで労組員の主体性を抑制するとか、方法が形式化するなどの問題が指摘されてきた。すなわち「モノ取り主義」という批判がそれである。
 そして、90年代に入って、不況が恒常化すると、ゼロ回答が状態化した。そのために「春闘の終焉」とか「春闘の形骸化」が言われてきたが、今回の結果は、これまでとは質的に違っている。
 それは、景気回復を背景に5年ぶりに「賃上げ」を実現しながらも、その結果、労組自らが「格差」を容認することになってしまったことである。
 この要因について、経済評論家の内橋克人氏は「経営者側の論理に対して労働者側の論理がなかった」「労組の組織力がなくなり、その存在自体の意味まで問われてきている」と指摘している。
 全労働者のわずか18・7%しか組織化していない、その労組が「格差」を容認する形になった事実は、春闘ばかりか日本型労組のあり方をも問うものとなっているということは確かである。

■求められる労働者側の新しい理念と団結
 経営者側が打ち出した「支払い能力に応じて支払う」「成果主義によって分配する」という論理は、新自由主義的な「格差理念」に基づいている。
 すなわち、競争原理こそが社会に活力を生むのであり、そのためには、これまでのような「平等主義」による「一律賃上げ」ではダメであり、能力に応じて支払い、成果に応じて分配するようにすべきだということである。そして、その結果、生じる格差については、正当なものとして受け入れなければならないということである。
 労働者の側に論理がないのは、この「格差理念」を超える理念の不在に起因している。
 一方、格差は団結を破壊し組織を破壊する。これまで競争原理に基づく成果主義の導入、雇用形態の多様化、地域の衰退と格差の拡大などによって、労働者間の格差がいっそう著しいものにされることでその団結が失われてきた。
 問題は明確である。闘う論理をうち立てる上でも、すべての労働者の格差を超えた団結を実現する上でも、経営者の側の「格差理念」を打ち破る労働者側の新しい理念を構築することが切実に求められている。
 それは、これまでの日本型集団主義の悪しき「平等主義」を乗り超えた新しい団結の理念になるだろう。

■現実の闘いの中から
 そのような新しい理念は、現実の中から生まれてくる。
 今回の春闘では、「パート春闘」で、平均で時間給14円の値上げを勝ち取った。今日、不安定雇用が拡大する中、やむにやまれぬ形でパート、アルバイト、派遣労働者の労組が各地で数多く組織され、一定の成果をあげたことは注目される。
まだ、その人数は限られている(時間給で15円の賃上げ回答を得たサイゼリアの場合、パート・アルバイト計1万2、300人のうち組合員は570人)。しかし、こうして成果をあげたことで、フリーターを含め不安定雇用形態に合わせた労組や団結・連携形成の気運は高まるのではないか。これまで「格差是正」を掲げパートの賃金改善を要求してきた連合なども、こうした問題により積極的に取り組むようになり、互いに連携を強めようとする動きも出てくるだろう。
 また今日、地域が荒廃する中で、自治体、地域金融、学校、企業、流通、農業などが連携した共同的関係を作り出しながら地域を振興させようという動きが強まっているが、こうした中で、それぞれの分野で働く勤労者が互いに連携しながら中心的な役割を果たしていこうという問題意識も出てきている。
 他方、フランスでは、雇用して2年間は経営者側が勝手に解雇してもよいという「初期雇用契約制度」に対して、学生と労組が共闘している。日本でも管理職の労働時間規制を撤廃し、解雇を金銭的に解決する「労働契約法」を作ろうとしているが、8時間労働制や勝手に解雇してはならないという労働者の権利を押しつぶす新自由主義的な悪法攻勢に対して、階級や年代を超えた広範な闘いへの関心は高まるだろう。
 こうした新自由主義による、さまざまな分断化や攻勢に抗する闘いの中で、新自由主義の理念、「格差理念」を打ち破り、日本型集団主義をも乗り超える理念や闘いの論理が生まれ、それを掲げた新しい団結と組織が生み出されてくるのではないだろうか。


 
評論

アメリカの、アメリカによる、アメリカのためのルール

小西隆裕


 野球の国・地域別対抗戦、WBCは、日本が初代チャンピオンになってめでたく閉幕した。しかし、ここに至るまでには、数々の曲折があった。その主たる要因は、ルールや秩序、運営が一方的にアメリカによってアメリカの都合の良いように決められ運ばれたところにある。
 ルールは、大リーグのものがそのまま適用され、試合の組み合わせや日程は、抽選会なしに、大会要項発表時にはすでにアメリカ有利に決められていた。すなわち、アメリカが決勝まで中南米の強国と当たらないように、2次予選は、アメリカが1次予選B組1位で通過するのを見込んで、B組1位だけ、飛石で試合を組んであった。おまけに、審判32人中22人がアメリカ人で、とくに日米戦では、3塁塁審以外はすべてアメリカ人だった。あの日米戦での、アメリカ人球審自身によるルール違反も、そうした背景のもと生じた。
 アメリカの、アメリカによる、アメリカのためのルールと秩序は、これ以外にも今日、世界中で問題になっている。BSE(牛海綿状脳症)関連での米国産牛肉の輸入問題もその中の一つだ。
 アメリカは、日本の輸入禁止措置に「基準が高すぎる」と反対しながら、OIE(国際獣疫事務局)やSPS協定(衛生植物検疫措置の適用に関する協定)などの国際基準を持ち出してきている。具体的に見ると、SPS協定には、「同等性の原則」なるものがある。これは、輸出国の基準が輸入国と異なっていても、適切なものであると客観的に証明できれば、輸入国はそれも自国と同等のものとして扱うという原則だ。すなわち、OIEなどに緩やかな国際基準を出させ、これをもとに輸出国・アメリカの基準を適切なものと「証明」し、輸入国・日本に受け入れさせるということだ。
 今、アメリカが押しつけてきている「法とルール」はこれだけではない。と言うより、「法化社会」と呼ばれる今日、導入されている「法とルール」のほとんどがアメリカ製だ。その枕詞には、いつも「公正な競争のため」が付く。だが、アメリカにとっての「公正さ」とは、一体何なのだろう。


 
沖縄視察報告

示唆に富む沖縄の下水道事業

市議N・H


 久しぶりに沖縄を訪問する機会に恵まれ喜んで行った。訪沖の目的は「浦添市の公共下水道の整備状況」視察であったが、私にとってはプラス「米軍基地が県民の生活をいかに阻害しているか」を確かめることにあった。
 浦添市の下水道事業の概略について担当者から説明を聞いた。市は那覇市の北にあり、人口は10万7千人、約4万世帯。下水道事業は雨水と海水の分流式で、昭和47年10月より共用開始。沖縄県が管理運営する中部流域下水道の那覇処理区と伊佐浜処理区で処理している。人口普及率95%、水洗化率96%(かなり高いのにビックリ。下水道が普及する以前は、汚水が海に排水され、町中に悪臭が漂い、観光にも打撃を与えるということで普及したそうだ)。そして、下水道使用料は処理区を県が管理・運営し低料金で利用させているため、1207円(20?/月)とかなり安い。その上、受益者負担金制度という考え方が沖縄にはないので、市の一般会計より毎年6億円を下水道会計に繰りいれているという。安いのは当然だ。但し、水道料金は大きな河川がないため、国が水源のダムを管理・配水しており、3097円(同)と高めだ。
 視察の目的でもある、米軍基地との関係について質問した。周知のように沖縄米軍施設は在日米軍の68%が駐屯、沖縄本島の19%が基地に占められている。浦添市も面積の17、4%を占める。この軍用地は米軍の兵站補給基地として使用され、ベトナム戦争当時は本国に送還される死体で埋ったという。また牧港は米軍に雇用されている従業員の労働組合・全軍労の団結力が強く、ベトナム反対・本土復帰闘争で大きな役割を果したという。牧港は、地形的に浦添市の平坦な海岸線にあり、また沖縄有数の名港であり、浦添市の産業発展の大きな阻害要因になっている。しかし、軍用地は多額の金を市に落している。平成17年度予算で見ると、国庫支出金の約半分の39、8億円、市町村交付金5、9億円、計45、7億円を占める。個人も(地権者が何人いるか知らないが)地代が入り、生活に大きく影響を与えていると思われる。「基地経済」を脱却することが難しいといわれている原因だ。それでも沖縄の人々の多くは、米軍基地の撤去を望み、自立経済を目指している。
 浦添市の訪問の後、沖縄県下水道管理事務所那覇浄化センターに行き説明を受けた。ここは那覇市・浦添市・豊見城市・南風原町の下水を処理している所だ。感心したことを3点。一点目は、処理した下水を高度処理し「再生水」として那覇市の公共施設や住宅、業務施設に水洗トイレや公園の散水用に送っていること。全国のほとんどの地域では処理した下水は河川に放流している。なぜか?それは水道管・下水管以外に別の管が必要となり、自治体や家庭が負担する工事費が膨大な額になるからである。しかし、沖縄はしていた。のみ水が不足しがちな地域での事業と理解した。が、それで良いのかなという疑問が残る。
 2点目。下水を処理した後、相当量の汚泥が残るが、その汚泥を民間業者に委託して加工し、農業・園芸用の堆肥として利用していること。
 3点目。下水汚泥中の有機物が嫌気性菌の働きにより消化ガスを発生させるが、そのガスが浄化センターでは一日当り12000立方メートルもあり、このガスを使って発電し、センターの消費電力の34%を賄っていることである。いずれの事業も多額の費用がかかるが、示唆に富んでいる。日頃からリサイクルや「もったいない」を口にし、行動しているが、下水処理一つにしても、これだけのことができるんだという思いがした。
 1日目の夜は、沖縄料理をたべよう、と言うことでホテルの方に教えてもらって、国際大通りにある居酒屋に入った。おいしい泡盛と沖縄独特の料理に舌鼓を打ったゴウヤチャンプルなど全国化しているものをはじめ、豆腐を腐らせてチーズ風にしたものなどだ。
 翌2日目は、ひめゆり平和祈念資料館・平和祈念公園・首里城を訪問した。ひめゆりという名称は、花の名前ではなく沖縄師範学校女子部と県立第一高等女学校の校友会誌の名称「乙姫」と「白百合」から取ったものだ。また、ひめゆりの塔のような慰霊碑は、那覇・糸満地区に12塔あるそうだ。ひめゆりの塔には、物故者227名(女子生徒220人と教職員7人。看護要員として動員された女生徒と教職員の計は240人)が祭られている。以前にこの場所に来たときには、この塔といくつかの洞窟(ガマ)しかなかった。現在は立派な資料館が出来、@青春A戦場B死の彷徨C鎮魂D回想の各展示室とガマジオラマ(ガマの様子を再現したもの)、平和の広場そして映像スクリーンや元女生徒の講話が聞ける多目的ホールなどがあり、じっくりと見たり聞いたりすると、幾ら時間があっても足りない。ここでは市民と日本軍の関係がよくわかる。日本軍が決して沖縄県民を守らなかったこと、その上、軍が生き残るために県民を楯にしたことなど。要するに、日本軍は人民の軍隊ではなかったことが証明されたこと。その流れにある自衛隊と米軍は、県民にとって百害あって一利もない、と理解しているからこそ、今の沖縄での戦いがあるのだと思う。
 次ぎに、平和祈念公園に行った。ここは県民が日本軍に追い立てられて逃げ延びてきた場所。そして、断崖から捕虜になることを拒否して飛び込んだ地。広大な敷地に、今は沖縄戦で亡くなった人々の墓地が建てられている。大理石に一人一人の名前が彫られていたのには感動した。それも、日本人なら都道府県別に、以外の人は国別になっていた。圧倒的に多いのは日本人だが、アメリカ・韓国・台湾・朝鮮・イギリスなどの戦死者の名がある。最近判明したのだろう新しく彫られていた人もいた。
 私達が訪れたのが平日にも拘らずたくさんの人が献花に来ていた。ここでは沖縄戦全体の模様が、色んな資料で展示されていた。当日は特別展が開かれており,生き残った人の記憶で、当時の模様を絵に描いて展示していた。広島長崎の原爆被害とは違った悲惨な状況が描かれていた。米軍の火炎放射器による攻撃また日本軍の県民に対する暴虐ぶりなどだ。これまで私は、沖縄戦についてはそれなりに知っていたつもりであったが、絵を見てショックで何度も絵の前で立ち止まった。ここでもまた、時間オーバー。
 続いて、世界遺産の首里城を訪れた。丁度、花祭りが開かれており,多くの人が見学に来ていた。
 首里城は中国や日本の影響を受けながら、琉球独特の建築技術で建てられたもので、日本古来の建築物とは違った趣のある建物である。守礼門・歓会門・瑞泉門・広福門を経て南殿・本殿に続く。この場所で、明・清や薩摩藩からの侵略を450年間も防いで、自主独立で繁栄を勝ち取る政治をしていたことを思うと、感慨が深い。首里城の復旧が着々と進んでいる。ひめゆり平和祈念資料館も平和祈念公園も最近の建設だと思う。ひめゆりの塔とガマは見たが、他はなかった。首里城も以前訪れたときは、守礼門しかなかったと記憶している。沖縄県民は、自主と平和を望む自分達の先祖先輩の思いを、形にして後世に残す作業をしている。
 遅くなった昼食は、琉球王国時代の官吏宅を再現した家の庭で、沖縄そばを食べた。おいしかった。そして帰路についた。


 
職場から

ヘルパーのつぶやき

MOMO


 私がヘルパーになったのは、阪神大震災(1995年)の年です。それまでは30年近く保母をしていました。
 震災時、障害者救援活動にボランティアで参加、翌年保母をやめてヘルパーになったのです。
 それまでも同居の実母の介護にあけくれる毎日でしたが、まさか介護でお金がもらえるとは思ってもいませんでした。はじめはボランティアの立場とプロの立場、そして家族の立場と他人の立場が混在して大いに困惑しました。
 ついつい仕事をこえてのめりこんでしまったり、自分の認識の枠内で相手を決め付けてしまったり。
 今10年が過ぎて、やっと「ヘルパーです」と言える気がします。どんな場面でも対応できるスキルと自信。(なくてもあるふりをしていますが)
 仕事も家庭も介護一色の10年でした。母の笑顔だけが心の支えです。60年生きてきて、今が一番心身ともに健康です。自分の調子よりも、相手の調子を先に考えるという生活がかえって健康的なのですね。<大変な仕事ですね>とか<親孝行ですね>とか言われますが、障害をもって生き続けている人や、死と向き合って生き続けている人々とつきあっていると、「動けるだけでももうけもの。動けるかぎり動き続けたい」と思います。
 自分が動けなくなったときどうしよう、とあまり考えません。きっと、すてきなヘルパーさんが来てくれると信じているからです。その日の為にもがんばります。


 
朝鮮あれこれ

子供を心配する親心

黒田佐喜子


 4月といえば朝鮮も入学式です。だぶだぶの制服に大きなランドセルを背負った新入生の姿はなんともほほえましいものです。  希望に溢れる4月。しかし、学生たちにとっては年度の変わり目、大学入試、学年末試験、そして社会進出等々の準備の季節でもあります。
 3月中旬のある日、キムイルソン総合大学の前を通ると、お母さんとみられる人たちが校門前にたくさんいました。そして、私達の事務所近くの機械大学の前にも。その日は大学の試験日でした。
 その話しを朝鮮の知人に話すと、学生をもつ親にとっては、子供への期待と親としての責任を実感させられる季節だそうです。実はその数日前に中学5年生の息子の父兄会にいってきたのだそうです。私も中学1年生の息子を持つ身なので、ついつい話し込んでしまいました。
 朝鮮の教育体系は就学前1年、小学校4年、中学校6年の11年制義務教育。その上に、高等教育として、大学、単科大学、高等専門学校、さらに博士院、研究院がある。これ以外に、働きながら学べる工場大学、通信教育制度などがあります。大学には中学からストレートに行く人。職場、軍隊にいってから入る人などさまざまです。結婚して2児の父親になってから専門学校に通うという人も実際目にしました。
 今、共和国では、情報産業時代の要求に即して教育の質を高め、教育事業に全国家的、全社会的な関心をむけることが要求されおり、学校では「実力」が問われています。
 子供が中学校高学年にもなると父母が勉強を内容的に助けるのはなかなか難しく、親は子供の自覚と熱意を高めるのに努力します。
 学力向上は、学校の先生が課外授業で個別指導したり、成績の良い学生が班長となりみんなで助け合って解決していくそうです。
 親としては子供が優秀な成績をとることをいつも期待しますが、そうでないときはがっかりもし、いろいろ心配にもなってくるとのことです。
 しかし、どの学校も授業料は一切なく奨学金制度があり、地方からの学生のために寄宿舎があります。
 子どもに期待し立派に育って欲しいと願うのはどこの親も同じだなあと思うのと、授業料などお金のことを考えずに、子供の成長を心配できる社会とはなんともうらやましく感じられる季節でした。


 
 

編集後記

小川 淳


 全国の児童を対象にした「大人になったらなりたいもの」調査(第一生命保険)によると、意外にも「大工さん」になりたい小学生(男子)が多いのだという。98年で1位、04年でも4位だそうだ。女子では「食べ物屋さん」が一位だ。
 「大工さん」がこれだけ上位に来る国は珍しいのではないか。日本人の価値観の中には「モノつくり」への尊敬の念が宿っているのかもしれない。
 新聞紙上では「投資の達人」というような広告がやたら目につく。日本経済もいずれアメリカのようなマネーゲーム経済になると予測するエコノミストも多い。だが、「大工さん」になりたい子供がたくさんいる限り、そう心配する必要はなさそうだ。
 一方で、公的な就学援助を受ける児童が急増している。「将来の夢」を聞いても答えられない子供も多いそうだ。むしろ心配すべきは「夢のない」子供が増えていることかもしれない。


ホーム      ▲ページトップ


Copyright © 2003-2011 Research Association for Asia New Epoch. All rights reserved.