研究誌 「アジア新時代と日本」

第28号 2005/10/5



■ ■ 目 次 ■ ■

時代の眼

主張 総選挙に見る国民の要求と改革の方向

研究 EUモデルではなく、アジアの実情に即した「共同体」を

寄稿T 砂上の楼閣の自民党勝利を支えたもの

寄稿U 衆議院選挙に日本の前途を憂う

寄稿V タクシーの中の会話から

文化 −書評− 星の王子様 再び

朝鮮あれこれ −建設便り− セ セーキマシ(新世紀の味)

編集後記



 
 

時代の眼


 先の解散・総選挙、「小泉劇場」は、日本の歴史でどう位置づけられるようになるのか。問題はこれからです。さっそく、衆院憲法調査特別委員会が設置されるなど、改憲への動きが活発になっています。あれだけの圧勝に支えられた小泉政治がどれほど強権的なものになるのか、ヒトラーと重ね合わせる見解など、いろいろ出されてきています。
 こうした中、小泉政治を批判しそれと闘う主体にとって、なによりもまず重要なことは、国民不信に陥らないようにすることではないかと思います。小泉自民党の唖然となるような大勝利を前にして、「なんでこんなに分かっていないんだ」「この程度の国民なのか」「痛い目にあわなければ、分からないのか」などという思いが胸をよぎった人は少なくなかったのではないでしょうか。日本と日本国民の生活を破壊する小泉改革の本質が分かっている人ほどそうなりがちだったのではないかと思います。
 確かに、今回、小泉自民党に投票した人々の多くには、小泉氏の分かりやすくて、単純明快、断固たる態度に幻惑された面が多分にあったのではないかと思います。あの解散・総選挙に持ち込んだ捨て身の早業に、信長の桶狭間的快挙を見、この人なら、という思いを抱いた人も少なくなかったでしょう。
 事実、多くの人々が「政治には何も期待できないけど、小泉さんなら何かやってくれるのでは」と言っています。これらを指して、「幻想だ」「何も分かっていない」と言うことはできます。
 しかし、それよりも主体として見ておかねばならないのは、圧倒的多数の国民大衆が改革を求め、新しい政治を求めているということではないかと思います。人々が小泉氏に期待するのも、彼なら少々無茶をしてでも、改革ができるのではと思わせるところがあるからだと思います。
 今、闘う主体に求められているのは、国民の至らなさへの嘆息ではなく、なによりも、国民大衆の改革への切実な要求に応えられていない自分自身への自責の念であり、要求に応える真の改革への烈々たる意志ではないでしょうか。
 日本と日本国民のための真の改革の実現、そのためには、国民大衆の改革への具体的な要求を知り、そこに学ぶことであり、それを基に改革の青写真を国民大衆とともに描き出していくことではないかと思います。それができたとき、主体の隊列は、全国民的なものに発展していく端緒をしっかりとつかむようになるのではないでしょうか。


 
主張

総選挙に見る国民の要求と改革の方向

編集部


■国民は変化を求め改革を求めている
 総選挙での自民党の地滑り的勝利。世論調査によるとその要因の第一位は「小泉首相」でした。政権転落の危険が言われ、自民党内部に強硬な反対があったにもかかわらず、「命を取られても」と解散を強行した捨て身ぶり。「郵政民営化の是非を国民に直接問う」とした斬新さと分かりやすさ。そして「郵政民営化は改革の本丸」としながら、郵政民営化に反対する者は改革反対であるとして「抵抗派」に、首相主導で新人候補を擁立し「刺客」として送り込むという奇抜な演出とリーダーシップ。
 政権担当の絶好のチャンスだった民主党は、選挙戦術として自民党が提出した郵政民営化法案に反対するという立場をとったため改革反対と受け取られました。
 結局、選挙は、「改革をするのかしないのか」が争点になり、国民の多くが「改革YES」を表明しました。
 「とにかく一つでも改革しないとはじまらない」「小泉さんに最後のチャンスを与えたい」「改革を強力に進めてほしい」という強い改革要求。それは、小泉首相の手法や政治姿勢には問題がありそうだというのは分かった上で、改革をしないことには何もはじまらないじゃないか、小泉さんならやってくれるかもしれないという意識だったと思います。
 総選挙の結果についての世論調査で、「これを契機に政治が変わってほしい」というのが8割にも達しました。これまで「永田町政治」と言われる特殊な村で、何がどう行われているかよく分からないような政治は変わってほしいということであり、政治が変わらなければ改革も何もできはしないということでしょう。

■公正で自己決定できる社会への要求
 今回の選挙で小泉首相は、改革の内容について、「既得権をなくす」というところに焦点を置きました。そして、これが支持されました。
 ここ十数年の間に、日本で市場原理が大きく取り入れられた結果、家族、学園、職場、地域、そして国に至るまで旧来の集団や組織がガタガタになりました。こうした中で、多くの人々、とくに若い人の間では、「自己決定主義」と言われる考え方が一般化したと言われます。すなわち、頼るべきは自分しかいない、自分の運命をどうするかの決定権は自分自身にあるという意識です。これに、新自由主義でいう「自己決定」「自己責任」が拍車をかけたのは言うまでもありません。
 この「自己決定主義」から見れば、既得権にあぐらをかくような存在は許されないことだし、そういう存在は自己決定を妨害する敵であると見えたということです。
 それが集中的に現れたのが、抵抗派対刺客の戦いだったのではないでしょうか。「抵抗派」に差し向けられた「刺客」候補は、地元と何の関係もない落下傘候補なのに勝利し善戦しました。東京10区では小池ゆり子氏が圧勝、「抵抗派」の小林興起候補が「不思議だ、私は誰と戦っているのか」とぼやくほど。野田聖子氏も大苦戦、最後は公明党に頼み込んでの辛勝。大物議員である亀井静香氏を相手にしたホリエモンも互角の戦い…。
 それは、旧来の自民党政治、利益誘導型政治への憎悪にも似た批判だったと思います。予算をぶんどってくるなど省庁で権限を発揮し官僚と癒着する族議員。その力で地元に利益を誘導し、議員の周囲に一種の既得権をもった地盤を作るやり方。これが徹底的に嫌われました。
 今回、投票率が7%もあがり、その多くが20代、30代の若者や主婦でした。彼らの多くが迷うことなく刺客候補に票を入れました(投票所の様子を見ていた自民党幹部の話)。そして、民主党候補とくに労組を地盤にした候補への「なんで郵政民営化に反対したんだ」というヤジ・・・。
 既得権をもつ者たちがあぐらをかいて安住する古い日本から、みなが等しく自己決定できる公正な新しい日本への強い改革要求。それが今回の自民圧勝を生んだのであり、これを考慮することなく国民の求める改革はありえないのではないでしょうか。

■国や地方の共同体的支援の要求
 一方、国や地域の共同体的支援が強く求められているのも見落としてはならないと思います。
 選挙を通じて、人々の関心の第一位は一貫して、年金・社会保障であり、上位は雇用や税・財政問題などへの要求も郵政民営化への要求を上回っていました。社会保障とは、国や地方など公的機関が困っている人たちを社会の一員として助けるということです。雇用や税・財政問題も国や地方の役割が大きな分野です。すなわち、自己決定であっても、不安や生活苦が深まる中、国や地方の公共団体の支援が必要だという要求です。選挙では民間調査会社の調査結果、「子育て」を打ち出せば勝てるというので野党各派がそれを主張しましたが、子育てについては、国、地域の支援が必要であり、そのためには増税もやむを得ないという人は7割にも達します。
 若者たちの「自己決定主義」も、それが米国式の利己主義丸だしではないことが指摘されています。
 みなのこと周囲のことを考える人は人気があり、「空気をよめない」人は嫌われるのも、彼らが自己決定でありながら共同体的関係を求めていることの現れでしょう。
 また、選挙期間中に米国で起きたハリケーン「カトリーナ」の大被害も、国や地方が果たすべき公的な役割があり、それを無視してはならないということを人々に強く意識させたのではないでしょうか。
 今回の選挙では、また、地域の共同体的発展への要求を見ることができます。
 北海道の地域政党「大地」が善戦し、辺境の過疎地域では地元重視候補が勝利していることなどがそれを示しています。

■国民の要求に基づく真の改革を
 総選挙に見る国民の要求に即して日本の改革を考えた場合、それは小泉改革とは大分違ったものになります。
 小泉改革は市場原理一辺倒の市場原理主義改革です。その弊害は、社会の二極化、地域の崩壊、不安定雇用の増大、教育現場の混乱、少子化、倫理の崩壊と犯罪の多発・凶悪化、自殺の増大などさまざまに露呈しています。また、米国金融による日本経済の融合化が進み、米系ファンドによる「日本買い」も進んでいます。
 市場原理一辺倒では、弊害が大きすぎます。そこで英国ブレア政権のような「第三の道」を説くものもありますが、それは市場原理主義の弊害を部分的に補正するものでしかありません。
 そうではなく、市場原理を日本の実状に合わせて旨く利用しつつ、人々が公平に自己決定できるようにしながら、ここに共同体原理を結合すること。こうした改革の方向が定められるべきだということです。
 実際、こうした取り組みは、地域再生や産業再生の中で始まっています。生産者と消費者を直接結ぶ地産地消やコミュニティーエコノミー。ここに地域の自治体、金融、研究機関(大学・学校)などが参加する地域再生運動など。あるいは各生産段階での産業廃棄物をそれぞれ原料にする企業の連携。あるいは、こうした共同体的取り組みを東アジア共同体構想と結びつけていくような発想など・・・。
 以上のような共同体的な関係を地方、国家単位で創造しながら、その下で各人が公平に自己決定できるようなものとして、年金、医療、福祉、子育て、教育などすべての分野で問題を解決する、そのような改革が問われています。
 そのためにも重要なのは、日本がまず自己決定できる国になることではないかと思います。
 今回の選挙結果に米国は大満足を表明し「首相に前例ない権限が与えられた。この歴史的好機を利用して、在日米軍基地の分野で特に沖縄の基地負担を減らし日米同盟を強化する努力を続けてもらうよう望んでいる」(米高官)と述べています。
 すでに、06年に自衛隊に新設予定の「中央即応軍」の司令部を米陸軍第一軍団司令部が置かれる座間に併設するという案が出されています。まさに、アジアを対象とした日米軍事同盟の司令部一体化です。沖縄の負担軽減は、米軍基地の全国への拡大要求になります。そして改憲のための憲法調査特別委員会の設置など、戦争できる国への布石が着々と敷かれています。
 小泉改革の市場原理一辺倒をただし、国民が要求する改革を行っていくためには、まず、日本自身を米国言いなりの国から自己決定できる国にする改革が避けて通れない前提となるのではないかと思います。


 
研究

EUモデルではなく、アジアの実情に即した「共同体」を

小川 淳


 2020年の包括的統合めざし「東アジア共同体」への気運が高まりを見せている。年末にマレーシアで開催される「東アジアサミット」では憲章の起草や紛争の予防、解決メカニズムづくり、共通の価値観作りが始まる。
 しかし一方で、この「東アジア共同体」形成の気運を牽制するような論調も生れてきている。中央公論9月号「東アジア共同体への幻想を捨てよ」は、そのような見解の一つだ。
 アジアにはEUのような、民主主義、人権、法の支配という「共通の価値観」は存在せず、「共通の価値観」の土台なしに「共同体」形成は砂上の楼閣に等しい。もし「共同体」を作ろうとするなら、EUのように国家主権の共同体への譲渡は避けられず、その覚悟なしに「共同体」はない。従って、共通の価値観もなく、主権の譲渡もない「東アジア共同体」の実現する可能性は非常に薄く、アジアは「共同体」ではなく、「東アジアFTA」もしくはアメリカを含めた「民主主義国家の同盟」をめざすべきだ、というのがこの論文の趣旨であり結論だ。
 確かに、「東アジア共同体」では、主権の尊重が前面に掲げられているのは事実だ。「ASEAN共同体設立構想」の前文には「外国からの不干渉の原則」が謳われており、ASEAN外相会議でも、「ASEAN共同体では主権譲渡は行われない」と確認された。中国もまた、「農産物の関税引き下げ」などを例に挙げて主権の一部譲渡は可能だとしているだけである。また、EUのような、民主主義、人権、法の支配に「共通の価値観」を求める動きはアジアには存在しない。
 一方、EUは世界の先陣を切って地域共同体の一つのモデルを作りつつある。EUの場合、通商権や通貨権はほぼEUへの委譲が行われており、「EU憲法草案」では、EU共通の大統領や外相ポストを設置することまで謳われている。それは軍事権や外交権の一部委譲を意味する。EUの特徴は、このような「主権の譲渡」を柱にした「共同体」を形成しつつあることだ。すでに共通通貨を作り、共通の通商政策を実現した。
 もし「東アジア共同体」が「主権の制限」を柱としたEUに「共同体」のモデルを求めるなら、確かにアジアでの「共同体」形成は不可能に近いだろう。しかし、アジアはEUをモデルにしていない。むしろアジアはアジア独自のモデルを追求している。「アジア共同体」で最も肝要な点は、実はここにある。地域にはそれぞれの特性があり、アジアはアジアの、アフリカはアフリカのモデルがありうる。なにもEUをまねる必要はなく、アジアはアジアの実情にあった共同体をめざすべきなのである。
 なぜ「東アジア共同体」は必要なのか。アジアの要求は大きく二つある。一つは東アジア地域のアメリカ支配からの経済的自立であり、二つはアジア地域の平和を維持する共通の安全保障政策だ。
 「東アジア共同体」構想が生れた背景には、タイの通貨危機最大の要因となった、経済のグローバル化による欧米資本のアジアへの流入があり、それにともなう欧米資本による支配からの自立の要求があった。アジアはアジア人同士で互いに助け合って自立する、欧米、特に米資本や米国市場に依存せず、ドル一極支配から自立しようという要求がその背景にある。
 もう一つは、アジアの地域の安全と平和を維持しようという要求だ。これまでのようにアメリカに依存する二国間安保では、地域の平和と安全は担保できない。むしろ米国の軍事的支配や内政干渉を受け、ベトナム戦争時のように米世界戦略に利用される危惧がある。アジアはアジアで共通の安全保障政策を築き、アメリカから自立しようという要求だ。
 このように東アジアの実情から見るとき、「主権の制限」よりも、むしろ自国主権の擁護こそが「東アジア共同体」の主眼となる。言いかえれば、「主権を守る」ためにこそ「共同体」が必要なのだ。安全保障でも経済でもアジアが一つの共同体になってこそ、各国の主権はより強く守られるようになる。
 東アジアには共通の価値観も存在している。欧米の植民地支配に抗して闘ったという歴史の共通性。その上で、確かにアジアは、イスラムやキリスト教、少数民族の存在や言語、伝統文化など、多様だ。しかし、その多様性こそ、アジアの特性であり、強みだ。これをどのように生かし、発展させていくか。国際化の時代だからこそ、アジアの多様性を育て、生かすアジア人自身の「共同体」が必要なのではなかろうか。


 
寄稿T

砂上の楼閣の自民党勝利を支えたもの

田中大也 22歳 ライター


 マスメディアは、九月十一日の衆議院総選挙を、「小泉自民党の歴史的勝利だ」と報道しています。
 単独過半数どころか、与党議席合計で三分の二もの議席を確保したという事実の表層だけ見れば、確かにそう言えるかも知れません。
 しかし、実際の得票率は、与野党ともに殆ど差異はありませんでした。獲得議席数の差が大きくついてしまったのは、一票の格差が大きい小選挙区制度のためです。
 とは言え、自民党に追い風が吹いたのも事実。私の身の回りにも非正規雇用による搾取に悩まされている友人は大勢おり、社会保障のある郵便局員、とりわけ、事実上世襲が認められている特定郵便局長についての不平不満は根強くあります。勿論、その構造を作り上げたのは大企業であり政府なのですが、「敵」を短絡的に考えてしまい、自民党に票を投じてしまった若者も少なくなかったものと推測されます。
 衆議院の三分の二、事実上の独裁権である「衆議院の優越権」を手にした自民党は、反動的な様々な法案を通してくることが予想されます。「テロ対策」の名のもとに、反対言論を封じ込める一方で、小泉流構造改革、つまりは国家システム売却のための法律を制定していくでしょう。そして、社会保障の崩壊と、二極分化の進行によって打撃を受けた層への対策として、近隣アジア諸国への敵視を続け、大衆の不満を海外へ逸らしていくものと思われます。
 まさしく、アメリカの政策を踏襲するものです。「改革」の本質がなんであるのかを見極めると同時に、対アジア敵視を演出しようとするマスメディアに流されることなく、冷静な判断を下していくことが、これから、求められることなのではないかと思います。


 
寄稿U

衆議院選挙に日本の前途を憂う

I・T 76歳  団体役員


 今回の衆議院解散選挙劇は、小泉総理の独裁政治の本質を明確にした解散選挙劇であった。
 日本国民は、憲法により自由と民主を保証されているが今回の衆議院解散劇を見るに、見事、これを否定・破壊した選挙だった。
 郵政問題は所詮、時代の趨勢で検討の時期を迎えなければならないと思っている。既に、小荷物集配企業による文書荷物の扱いは迅速、且、正確で民間に馴染んでおり、合わせてIT利用の普及は郵便事業を減量化していっている。
 だが、強引なまでの郵政民営化の動きに米国の議会圧力があるのは周知の通りである。民営化を実施し郵貯・簡保の資金を民間企業の活性化に利用し米国経済にも波及させんとする対日決議は米国による日本に対する内政干渉であり、これに追従することは主権国家として許されるべきものでは無い。
 この法案の採決に当たっては自民党員の中にももっと審議を尽くすべきと採決に公然と反対した議員もあり、さらに、参議院に於いては総投票で議院否決されている。小泉総理はこれを厳粛に受けとめずに衆議院解散に打って出た。
 このことは日本国憲政史上に例を見ない暴挙であり、憲法に定められた国会二院制の否定、議会民主主義の否定である。
 今や、国会に於いて自民党が党内の意見、国民の声を反映させないということが明らかになった。タレント官僚を自民党候補に仕立て地方県連に圧力をかけての数合わせ選挙に政治の哲学は無い。
 多数決民主主義の議会政治には大きな落とし穴があったのだ。独裁者による日本の右傾化で憲法改正の雰囲気はますます高まるだろう。日本の前途に憂いを持たざるをえない。今回の選挙が日本暗黒時代の門戸を開くことの無いことを願いたいものだ。


 
寄稿V

タクシーの中の会話から

名護弥太三


 9.11衆議院選挙は、自民党の圧勝に驚きを持っている人が多いようです。  自民党が勝ったのか、小泉首相が勝ったのか考えるとどうも後者という人の方が多いのではないでしょうか。この選挙の評価と分析は各メデイアで行われていますが、私が自分の仕事場の車中という限られた空間で社会の一端を感じたものを紹介します。

・4人組で30代のサラリーマン: A「俺、今回の選挙に行こうと思うんだ。自慢じゃないけど30数年生きて来てて、選挙に行ったことは1回しかないんだ。それもなんとなくついでに」。 B「俺、小泉に入れたいな。だけど、選挙区が違うからな」。 C「それじゃ自民党に入れればいいんだよ」。 A「今回、2つ書くんだっけ。いっしょに書けばいいのかな」。 B「いや、別々の紙に書いて入れるんだよ」。 D「でも、なにも変わらないだろうけどね」。

・70代の男性:「運転手さん、郵政民営化ってどう思う。おかしいよね。郵便局が税金泥棒みたいに言われているけど、独立採算で、税金なんか使われてないんだよ。民営化したら、少なくなって不便になるよ」。

・50代の女性と男性: 女「郵政民営化ってあれ何なの。何でもめてんの。あれって金の使い方の問題でしょ。誰が取るかってことじゃないの」。男「340兆ですからね」。

・知り合いの50代の公明党支持者の女性: 「今回も、公明党を宜しく」。「でも、郵政民営化は支持できないですよ」(私)。「郵政民営化しても郵便局は減らないって神崎さん言ってるわよ。なくならないようにするって、ちゃんと伝えないといけないよね」。

・選挙が終わって、50代後半の酔っ払ったスナックのママさん: 「私、小泉嫌いよ。刺客なんて許せない。だって、顔も好きじゃないし。これから、日本どうなるか心配だわ。私どっちかと言うと共産党が良いわ。言ってる事が変わらないもん。志位さんって頼りになりそうだし」。と、車が止まっても5分以上も降りずに楽しく話は続きました。

 車中の会話の中に普段は選挙など政治がらみのものは少ないのですが、今回の選挙では、このような、社会の縮図ともいえる人々の本音を聞くことができました。


 
文化 −書評−

星の王子様 再び

金子恵美子


 この秋、何十年ぶりかで「星の王子さま」を読み返した。と言うのも、日本での著作権が今年1月に切れたことで新訳本が何冊も出され、その中に好きな作家の池澤夏樹訳があったからである。
 何よりもテンポの良いのが特徴と紹介されていたが、ものの1時間もかからず読み終えることができる。しかし、その内容は意味深長だ。ストーリーは極めてシンプルであるが、そこに散りばめられているメッセージ性の深奥なこと。
 「ものは心で見る。肝心なことは目では見えない」「君がバラのために費やした時間の分だけ、バラは君にとって大事なんだ」「飼い慣らしたものには、いつだって君は責任がある。君は君のバラに責任がある...」王子さまと友達になったキツネが最後の別れの時に伝えた言葉。昔読んだはずなのにこんなことが書かれていたことは記憶していない。たぶん、王様の星やうぬぼれ屋の星や酔っぱらいの星を王子さまが訪ね「大人って本当に変わってる」とつぶやくあたりに共感していたのではないかと思う。
 今回読んで一番心に残ったのは、キツネが王子さまに教えた「飼い慣らす」ということの意味とそのことの切なさと素敵さかな。
 「飼い慣らす」というのはつまり「絆をつくるということ」キツネは王子さまに説明する。「君はまだおれにとって10万人のよく似た少年の一人でしかない。君がいなくたって別にかまわない...。でも君がおれを飼い慣らしたらおれと君はお互いになくてはならない仲になる。君はおれにとって世界でたった一人の人になるんだ。おれも君にとって世界でたった一匹の...」「分かってきたみたい」と王子さまは答える。王子さまは王子さまが星を出る理由ともなった自分の星に残してきた一本の花のことを考える。王子さまは7番目の星地球に来て5000本のバラの花を見てがっかりする。自分の星のたった一本の花と同じものがこんなに沢山あったなんてと。でもキツネの話を聞いて、自分で水をやり、風邪や害虫よけのガラスの鉢や衝立を作ってあげたあの自分の星の花は、世界でたった一本しかない自分の花で、この5000本を合わせてもおよばないものなのだということに気づく。
 訳者は「王子さまはバラの世話を通してバラを愛するようになる。すべてはこの働きかけから始まる。この自然への積極的な姿勢をこそキツネは『飼い慣らす』と呼ぶのだ」と書いている。
 飼い慣らすという言葉には少し違和感が残るが、世話をする(何かに働きかける)ことにより愛着が芽生え、絆がつくられ互いが自分にとって世界でたった一つのものになるということ。
 昨年記録的なヒットとなった名曲『世界に一つだけの花』では、人間、一人一人みな世界に一つだけの花なんだと歌い多くの人に勇気と力を与えた。今回、この『星の王子さま』を読んで思ったのは互いが互いにとって世界に一つだけの存在になる、関係性、絆があってこそ、世界に一つだけの花も真に誇らしく幸せに咲くことができるのではないかということだった。


 
朝鮮あれこれ −建設便り−

セ セーキマシ(新世紀の味)

若林佐喜子


 共和国は今、党創建60周年(祖国光復60周年でもある)を前にして、テアン(大安)親善ガラス工場建設をはじめ、連日、全国各地からの建設ニュースが伝えられています。
 ピョンヤン市内も様々な建設と改装工事が行われています。
 特に目を引くのは、「5・1競技場」右手のテドン江川辺に建設されているピョンヤン音楽大学です。事務所に通う道から建物が見えるのですが、先日、近くまでいってきました。淡いクリーム色で統一された7階建ての基本校舎、音楽ホール、寄宿舎、食堂の建物があり、基本校舎の前面の大きなガラス面にト音記号が装飾され音楽大学の雰囲気を醸しだしていました。すでに、周囲には木が植えられ、あとは竣工式を待つばかりという様子でした。
 また、キムチェク工業総合大学の電子図書館と体育館建設もおこなわれています。電子図書館は最新技術手段が設置され、最上階はブルーガラスの円形造りで情報産業時代の人材育成の殿堂として人々の期待感が高まっています。
 これ以外にもモランボン劇場などの改装工事も終わり、街が清楚でありながら華やいでいます。
 全国で、そしてピョンヤンで工場やアパートがどんどん建設されていますが、人々の気持ちは「セ セーキマシ ナゲ(新世紀の味がでるように)」です。
 新世紀の味とは?もちろん21世紀、情報産業時代の要求を反映した最新技術と最上の質。そして、将来においても損色がなく後代に誇れるもの。朝鮮の特性、特徴と社会主義のマシ(味)が出るようにということです。
 昨日のニュースでは、オートメーション化されたじゃがいも澱粉工場の完成、大規模なペンマ−チョルサン潅漑工事の完成のたよりが伝えられていましたが、一つ建設するにも、将来、後代もその恩恵をみることができるように最上の水準でということです。
 そんな建設旋風にあたっていると、90年代後半からの、電気が止まり、工場が止まり、市内のアパートからも明かりが消えてしまった「苦難の行軍」時期が遠い昔のようです。
 困難を「笑いながらいこう」とみなで知恵と力を出し合い自力で一歩一歩前進してきた、まさに「苦難の行軍」を経ての今日の建設旋風。
 党創建60周年(祖国光復60周年でもある)を迎える共和国の人々の感慨が伝わってくるこのごろです。


 
 

編集後記

魚本公博


 9月19日、6者協議は、難航の末、「共同声明」発表にこぎつけました。
 共同声明では、その第一項で、協議の目的が「朝鮮半島の検証可能な非核化」にあることを一致して確認し、(その上で)「朝鮮はすべての核兵器と既存の核計画を放棄する」となっています。そして、「北朝鮮の核の平和利用の権利を有する旨の発言」を各国が尊重し「適切な時期に軽水炉提供問題を議論することに合意した」となっています。
 朝鮮半島の非核化の確認は、朝鮮だけでなく在韓米軍や韓国にも非核化を求めるものであり、核の平和利用についても朝鮮の主張を認めたものになっています。
 その上で注目されるのは、第2項で、「6カ国は、その関係において、国連憲章の趣旨と原則、および国際関係で認められた規範の遵守を約束した」となっていることです。これは、「主権国家の平等」という問題であり、主権の相互尊重、内政不干渉、外交問題の平和的解決などを含みます。
 これはまさに、主権侵害のブッシュ路線への痛烈な批判であり、足かせになります。それはまた、今回、「研究」で述べたような東アジア諸国の主権尊重精神を再確認するものでもあります。
 これは、どうみても米国に分が悪いと思うのですが、米国がこういう声明を容認するしかなかったのは、時代の流れというものでしょうか。
 未だに米国信仰が強い日本。問題ありとされた市場原理主義改革を主張する小泉首相の大勝利に各国は何故?と困惑顔。
 世界の動きから日本を見るという作業がますます必要になっていると思います。


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