研究誌 「アジア新時代と日本」

第27号 2005/9/5



■ ■ 目 次 ■ ■

時代の眼

主張 アメリカ化改革を改革しよう!

研究 アメリカ化政治からの転換をめざす好機に

研究 患者、身障者の自己決定権について

朝鮮あれこれ 新時代予兆の8・15祝賀行事

編集後記



 
 

時代の眼


 今回の解散・総選挙は、日本の将来にとって大きな意味を持っていると思います。小泉構造改革が、抵抗勢力を排除した小泉自民党のもと、これまで以上に強権的に敢行されるようになるか否かを分ける選挙だということです。小泉氏は、「改革をやるのかやらないのか」と迫りながら、抵抗勢力に「刺客」をぶつけるやり方で、それを露骨に表現しています。
 それだけに野党の闘いもいつになく活発です。民主党は「政権交代」を掲げ、他の野党や無所属も、多かれ少なかれ、政権に関わる展望をもってこの選挙に臨んでいる模様です。
 それとの連関もあって今回の選挙は、かつてなく政策をめぐるものになっています。実際、各党、目玉になる政策を掲げながら、政権公約を打ち出しています。
 そこで問題となるのが内容なのですが、それがもう一つの感を否めません。一言でいって、パンチ力が弱いのです。「改革をやるのかやらないのか」というストレートに対し、クロスカウンターを打てていないと思うのです。
 民主党の岡田氏などは、「このままでは日本はぶっ壊れてしまう」と言いながら、その日本をぶっ壊している根源こそ現行の構造改革にあるという見地に立てていません。だから、小泉改革の不足点を正すということにしかなりません。他の政党も同じです。改憲や増税、雇用や福祉など、様々な問題を現行構造改革自体の所産として断罪し、現改革そのものと真っ向から対決することができていません。
 その原因は、かなり明確です。対案がないからです。日本をどうするのか、現行改革と真っ向から対決する日本のための真の改革法案がないからです。だから、大筋、小泉改革と同じ改革をより徹底的にやるだとか、小泉改革を批判しながらも、対案を出せないまま、部分的な政策を出すとかになっているのではないでしょうか。
 今、真の改革が問われています。アメリカ生まれの新自由主義、新保守主義に基づき、アメリカの要求に即して出されてきた現行の構造改革に対し、われわれ日本 国民自身の切実な要求に基づく、日本 のための真の改革を打ち出し、その実現のための陣形を自民党の一部まで含め広範に築いていくことこそが求められているのではないでしょうか。


 
主張

アメリカ化改革を改革しよう!

編集部


■郵政民営化はそれほど切実なのか
 今回の総選挙で自民党は、「郵政民営化は改革の本丸」というスローガンを掲げ、郵政民営化を選挙の第一の争点にしました。
 しかし、衆院解散後の各種世論調査で、国民が関心のある問題は、つねに年金・社会保障が第一であり、次に雇用・景気対策、財政改革などです。
 野党各派も、郵政民営化は、自民党内部の争点であって、より重要な問題があるとして、子育てや年金問題、増税反対、改憲反対などをあげています。
 郵政民営化については、そもそも、郵政民営化が必要なのかという声があります。黒字を出している郵政部門をなぜ民営化しなければならないのか、2年前に公社化して営業努力をしている最中なのに、その結果も見ずに、なぜ民営化するのか、民間にカネを回すというが民間にはカネがだぶついているではないか、などという疑問の声に、自民党は、メールの利用増大などでいずれ経営が行き詰まるから改革は必要、と弁明としか思えないような答えをしています。
 しかし、たとえ、それを認めたとしても、なぜ改革が民営化でなければならないのかという疑問が残ります。
 国民の中には、よく分からない、説明不足だ、何か隠しているのではないかという声もあります。

■日本を弱体化させる郵政民営化
 元来、郵政民営化は、財政再建・改革問題との関連で打ち出されたものです。
 日本は、赤字国債の累積が700兆円という巨額(DNPの1・6%、これは第二次世界大戦末期の水準に近く、戦争や恐慌で、国家を一度、破綻させて出直すしかない水準とされる)に達し、一般会計(普通の国家予算)でも半分を国債でまかなう状況をどうするのかということです。
 そこで郵政民営化。すなわち、27万人(非正規を含め38万人)の公務員を削減し、郵貯・簡保340兆円を国家から切り離して、公共事業への供給源をしぼる一方、このカネを民間が使えるようにして景気を良くすれば税収もあがるということです。
 しかし、郵政は黒字であって、郵政職員の削減は、今後の公務員削減の呼び水にはなっても、財政再建には、それほどの影響を与えるものではありません。そうなると狙いは、340兆円を国家から切り離し民間に出すということでしょう。
 まさに、「民でできることは民に」ということですが、そうした市場原理主義の考え方は、日本を弱化させ、破壊する可能性があります。
 まず、地域破壊。全国には、2万4700の郵便局があり、全国にくまなく郵便網が敷かれ、一律のサービスを行っています。ここに競争原理を導入すれば、過疎が進む地域の郵便局などは淘汰されるしかありません。そうなれば、過疎地は壊滅的な打撃を受けます。
 次に国家の弱体化。郵貯・簡保の340兆円は、財政投融資の大きな資金になり、「特別会計」(いわいる公共事業など)や「資金運用部」(国債の買取り、米国債買いなど)、「政府が行う融資」(中小企業、地方自治体、農業関係、住宅などへの融資)として使われています。
 郵政民営化は、公共事業費、各種融資、国債買取や利払い、などなどの資金が大幅に減ってしまうことを意味します。
 公共事業は、元来、規模が巨大で、利益があがらないものでも、国家的見地から行うものです。この資金が減少すれば、ヘタをすれば、国土環境を悪くし荒廃させる可能性があります。
 各種融資の削減は、中小企業、農業、地方を直撃します。国債の買取り・利払いの国家資金が減れば、その分、増税するしかなくなります。
 また、政府が為替相場に介入して円高を抑えたりする力も弱くなり、米系金融の介入で日本でも通貨危機が起きるなどということにもなります。
 郵政民営化は、地方・地域を破壊し国民生活を破壊し国土を荒廃させ対外力を弱化させて、国家を弱化、破壊するものになる可能性があるのです。

■誰のための郵政民営化か
 郵政民営化は米国が要求してきたものです。
 米国は、94年から毎年、「年次改革要望書」を日本に送りつけていますが、95年の「要望書」に、「郵政省のような政府機関が民間保険会社と直接競合する保険業務に携わることを禁止する」とあり、03年度版にも、「郵政公社の民営化計画に外資系保険会社にも意見を言わせろ」という内容があるそうです(関岡英之「拒否できない日本」)。
 80年代後半期に日本が「Japan as N0.1」と言われるほどに経済力を高めた時期、米国は、「日本株式会社」といわれる官民一体の日本とはまともな競争はできないから、この構造を変えなければならないという「日本異質論」を唱え、90年代に入るや「日米構造協議」が始まりました。
 まさに、「構造改革」は、日本の競争力を削ぎ弱体化させるためのものでした。
 「構造改革」は、新自由主義改革、すなわち米国式市場原理による改革です。それは古典的な市場原理とは違います。その一つは、古典的な市場原理がキリスト教的な倫理観を前提としていたのに対して、米国式は、徹底した利己主義競争を容認・奨励していることです。そこでは競争に勝つためには何をやっても(殺人さえ)構わないとなります(最近作られている「民間軍事会社」は、軍事の民営化であり殺人が商売)。
 また米国式競争原理で言われる市場とは、米国に都合のよい、巨大金融資本が暗躍する金融市場です。産業を空洞化させ、金融を賭博的に操作して儲ける「カジノ経済」でやってきた米国は、さまざまな金融商品と手法を開発し、自分に都合のよい基準を「グローバル・スタンダード」(会計の時価評価主義、株主主体論、自己資産8%以上というBIS規格などなど)として他国に押し付け、世界に展開した軍事力を背景にした情報収集、諜報・謀略を駆使した金融操作によって莫大な利益をあげています。
 このような市場で勝つのは、つねに米国であり、他国はその犠牲物になるか、せいぜいそのおこぼれに預かるしかありません。まさに日本は、そうなっているのではないでしょうか。
 すでに東京株式市場に上場された日本企業の株式の30%が外資であり、米系ファンドは「日本買い」で大儲けしています。
 郵貯・簡保の340兆円は、今、上場企業のカネの使い道がなく82兆円もが内部留保されている中で、米国金融、米系ファンドや彼らと連携した日本のファンドに流れるしかありません。
 郵政民営化は、日本経済のさらなるアメリカ経済との融合を促進し、資金を米国に提供するだけでなく、日米一体となったファンドがアジアに向かう可能性もあります。
 こうなれば、日本は、ますます米国と利害を一致させ、アジアを軍事的にも押さえることでも利害が一致するようになるでしょう。
 郵政民営化は、経済的融合の構造改革を深化させ、政治改革を促進させ、アジア敵視の新安保路線、改憲路線にもつながっていきます。まさに「郵政民営化は改革の本丸」なのです。

■求められている改革
 日本には今、年金・社会保障、雇用・景気、財政改革だけでなく、地方衰退、少子化、家庭崩壊、教育問題などさまざまな問題が山積しています。しかし、これらは全て、米国が日本に強要した「構造改革」の結果ではないでしょうか。
 確かに、日本は改革しなければなりません。しかし、それは何よりも、米国に強要され、日本を弱体化させ、米国に融合させるような日本のアメリカ化改革、まさに、そうした「改革」を改革するものでなければならないのではないでしょうか。
 では、それをどのように行っていくのか。米国式市場原理によらずに、どう改革していくのか。
 徹底した利己主義競争を奨励する米国式市場原理主義は、人間を利己的存在と見ています。しかし、人間はそういうものでしょうか。人間は互いに相手を傷つけ突き落とす弱肉強食をよしとするのではなく、互いを愛し互いに助け合って生きていこうとする本質的特性をもっていると思います。
 それを、人間の共同体的性質だとすれば、それを生かした共同体的な原理に基づく改革というのがあるのではないかということです。
 年金・社会保障にしても、共同体の基本単位である家庭が経済的にも信頼関係でもしっかりしていることが一番大事だと思います。その上で地域共同体が同様にしっかりしており、国が福祉に責任をもつ立場で、家庭や地域を助けるようにすれば、財源が少なくてもやっていけます。それに、こうしたやり方こそ人間的であり、日本国民の要求にも合っていると思います。
 このような共同体的関係を基軸にして問題を解決していこうとする動きは世界各地で起きており、今やそれが先進的です。
 その上で、市場原理を正しく活かしていけば、日本を真に国民の求める方向で改革していくことができると思います。


 
研究

アメリカ化政治からの転換をめざす好機に

小川 淳


 今回の解散総選挙は、異例ずくめの展開となった。参院で否決された「郵政民営化」法案を通すために衆院を解散し、直接民意を問うという、民意を代表しているはずの参院の議決権を無視した手法の強引さ。
 また、郵政民営化に反対した37人の自民党議員に対して、彼らの選挙区とは何の関係もない対立候補(刺客)を擁立して徹底して排除、追い落すという姑息な手法。自分の意見に反対する者はすべて「敵」として排除してでも、郵政民営化は通すのが小泉流らしい。
社会保障や財政再建、行き詰るアジア外交と、日本の内外には問題が山積している。国民の関心も郵政民営化よりも福祉や年金、社会保障にある。にもかかわらず、日本のあるべき姿を問うべき選挙で、郵政だけで語る単純な二分法総選挙。これは国民を愚弄していないだろうか。
 これら一連の動きを通じて浮き彫りになるのは、小泉首相がめざす政治改革の「中身」である。
 小泉政権の4年間、田中真紀子、野中など「抵抗派」は排除されてきたが、今選挙はその総仕上げだ。抵抗勢力を一掃し、党内を小泉支持派で固め、思い通りの政治を押しすすめること。これが小泉政治改革の一つの狙いだ。
第二に、「自民党が二大政党下で生き残る体制つくりへの本格的な着手」(森派幹部)とされる、地方組織や派閥の調整によるボトムアップ式から、首相、党執行部が直接行うトップダウン式政治への転換だ。
 第三に、アメリカの要求を実現するための政治改革であることだ。周知のように、日本に対し「郵政改革」を執拗に要求してきたのはアメリカだった。米国は、米国の国益にとって都合の悪い日本の制度、法律の改変を迫ってきた。小泉が構造改革の目玉に「郵政改革」を据え続けたのも、この米国の要求と無関係ではないことは多くの識者が指摘している。これに強く反対してきたのが抵抗勢力だった。
 障害となる党内抵抗勢力の徹底した排除。そしてトップダウン式首相権限強化への転換。それを通して小泉政権がめざすのは、アメリカが求める新自由主義的構造改革路線。これが小泉改革の「中身」ではなかろうか。
 一方、民主党はどうか。民主党のマニフェストを見ても、小泉改革路線と民主党改革路線の決定的「違い」は見えてこない。年金一元化、社会保障の充実や経済政策などの若干の違いはあっても、日米関係を基軸にした軍事外交政策、また簡保、郵貯の「民営化」でも一致しており、小泉改革では不十分、「もっと徹底した改革を」というのが民主党のスタンスだ。仮に民主党が勝利しても、「アメリカ化改革」路線からの根本的転換は期待できそうにない。
 小泉が勝利しても、民主党が勝利しても、ともに自由主義路線=「アメリカ化改革」をめぐる「二大政党制」となるだろう。
 小泉政権は、テロ特措法を成立させ、インド洋での米艦への燃料補給を開始し、03年には米国の強い要求に忠実に応じて陸自をイラクへ派遣した。一方、教科書問題や靖国問題ではアジアの反発を招き、米国一辺倒の外交は、国連安保理加入失敗に見られるように、アジアと世界からの孤立を招いた。
 今日、日本で求められている対決点は、郵政民営化を巡る小泉か抵抗勢力か、あるいは自民と民主の同じ「アメリカ化改革」のやり方をめぐる対決ではないはずだ。小泉改革路線の本質である「アメリカ言いなりの政治」の継続なのか、それともそこからの転換なのか。この「対決点」を鮮明に打ちだすことが何よりも問われている。そうしてこそ、小泉のアメリカ従属の政治、その軍国化路線に反対する勢力が一つになり、自民党内部の抵抗勢力との連携しつつ、新しい「第三の極」を作り出していくことができるはずだ。
 今回の選挙と、その後の政界再編劇がその契機となるかどうか。戦後60周年の今年、日本政治の転換へ、その機は熟している。


 
研究

患者、身障者の自己決定権について

赤木志郎


 「他人に迷惑をかけないかぎり自分のことは自分で決める」という自己決定は今日、普遍的な価値観(考え方)になっている。自己決定そのものは、百年以上前のブルジョア民主主義革命期に確立された価値観であるが、それが自己決定権という言葉で取り上げられるようになったのはこの二十年間である。
 今日、若者をはじめ自分の人生は自分で決定し自分の力で切り開きたいという自主的な意識が非常に高くなっている。反面、「自己決定、自己責任」のもとで膨大な若者がフリーターとして安価な使い捨て労働力にされ、皆がばらばらになり、自分の運命を切り開くことが大きな困難にぶつかっている。つまり、「自己決定」が、ある場合には人権や幸福権を守る旗印となり、ある場合には労働権、生存権を奪われる口実となっている。
 それゆえ、自己決定権についてよく考えていくことが必要となっている。ここで、私が注目するのは、自己決定権を掲げ厳しい闘いと活動を繰り広げてきた身障者、患者の運動と理念である。
 1980年、リハビリテーション・インターナショナルの世界会議で障害者が各国代表委員の過半数を占めるべきと提起し、拒否されるや「障害者インターナショナル」を結成し、障害者が当事者として介護サービスの対象から主体に転換する運動を繰り広げていった。一九八〇年代、日本でも障害者が主になった「自立生活センター」が発足し、全国に拡大しながら、身障者の自己決定権が発展してきた。
 これまで患者、身障者は介助の対象としてだけ見られてきた。そこから患者、身障者のための介助であるはずなのに、介助は家族や病院の「負担」をいかに軽減するかに目が向けられてきた。つまり介助なしに生活できない患者、身障者自身の要求から出発できなかった。どんな介助を必要とするのか、それを決定する主体は患者、身障者自身にある。それを明確にしたのが患者、身障者の自己決定権という考え方である。
 介助やさまざまな措置(エレベーターなど)があれば、障害が障害でなくなる。まさしく障害を産み障害者を作り出しているのは、今の社会である。こうした社会で、自分も花火や演劇を見たいというごく自然な要求も、車イスを押し介助する人なしに実現できない。かつてはそのような要求は認められなかった。それは決定者が病院であり公的機関だったからである。それを見るかどうかを決定するのは介助者や周囲の人ではなく、患者、身障者自身としてこそ、人間的生活を営むことができ、介助者などの「都合」によって左右されないで、患者、身障者の要求をもっとも正しく実現することができると、彼らは主張する。
 そして、公的機関もふくめ周囲が「負担」を軽くしようという圧力がたえずあるなかで、自己決定権を強く主張しないかぎり自己決定は実現できない。さらには、こうして、患者、身障者の自己決定権とは、他人に「負担」をかけてはじめて実現する自己決定権であるとまでいう。
 これは、「他人に危害をおよぼさない限り何をしても自由」という私たちの価値観になっている近代の自己決定権とはまったく異なっている。
 そもそも他人に迷惑や負担をかけない自己決定というものはありえない。社会関係のなかである人の自己決定はかならず他の人々になんらかの物質的精神的影響を及ぼす。近代の自己決定は個人の自由を具体化するものであるが、社会や集団との関係を明らかにしていないのではないか。
 患者、身障者の自己決定権は他人や社会の「負担」をかけるものとしているが、その「負担」は、誰もが認める「負担」、ひいては「負担」と考えない当然のこととしてあるべき「負担」である。患者、身障者が不可欠とする「負担」は、かれらを社会の一員、主人として認め、人間としての尊厳と生活を保障するためのものであると思う。
 このように考えると、介助の主体は患者、身障者自身であるということを明確にした自己決定権は、他人や社会に「負担」をかけて社会の一員として生存、生活するという、社会との関係を明らかにした自己決定権であるといえる。いいかえれば、個人の枠にとどまった近代の自己決定権から、社会が認め、保障する自己決定権というのは、自己決定の考え方において画期的な転換をもたらすものではないか。
  患者、身障者が求める自己決定権の確立した社会は、それは経済的尺度を唯一の基準としその人たちを「特殊な人」「社会の負担をかける人」と考える社会ではなく、同等の社会の一員として認め「負担」が負担でなく当然の社会的義務となる、人間を人間としてもっとも尊重する共同社会であろう。
 患者、身障者の自己決定権確立をめざす運動は、近代の自己決定を越えているだけなく、今日のグローバリズムの「自己決定、自己責任」をも鋭く批判する思想を有していると思う。今後さらに研究を深めていきたいが、ご批判ご意見を下さったり論議できればと願っている。


 
朝鮮あれこれ

新時代予兆の8・15祝賀行事

 


「アリラン祭」マスゲーム

 祖国光復60周年を迎えた朝鮮−日中ロ米はじめ海外在住同胞と外国人の祝賀代表団の中では、プーチン大統領の親書を携えてきたプリコフスキー・ロシア極東連邦区大統領全権代表、またロシア「ベリョーシュカ」歌舞団、ロシア退役兵国会議員代表団などロシアの祝賀使節の多さ、多彩さが目を引きました。また8・15を前に、アメリカのターナー財団のロバート・エドワード・ターナー会長一行が、また「ワシントン・タイムス」紙社長が「世界平和連合」事務局長である平和自動車総会社(北との合弁企業)理事長と共にピョンヤン入りしたのも注目されます。
 ピョンヤンでの祝典のメーンとも言えるマスゲームと芸術公演「アリラン」の開幕公演が16日夜、金正日総書記参席の下、15万人収容のメーデー競技場で盛大に行われました。数万の一糸乱れぬ人文字と数千のグラウンド上での芸術公演との調和美に、場面が代わる度に外国人たちが歓声を上げていました。アクロバテイックな落下傘降下など華麗な空中ショウ、国の未来を象徴する数千の小学生の体操選手顔負けの演技、人民軍軍服を着た学生の先軍を象徴する戦闘動作、そして南北和解、統一の劇的場面では、拍手が全観客一体となった一大手拍子となってスタジアムを揺るがしたのが印象的でした。
 新しい時代の予兆ということでは、6・15共同声明発表5周年慶祝ピョンヤン大会に続いて祖国光復60周年の南北共同行事がソウルで行われたことです。日本でも報道されましたが、驚嘆と歓迎を呼んだのは、北からの国家と民間合わせて180人もの大型祝賀代表団もさることながら、北の祝賀団がまず訪れたのが韓国では「顕忠院」と呼ばれる国立墓地であったことです。ここには反日運動で犠牲になった人々だけでなく朝鮮戦争で「北の共産主義者と戦った」とされる戦没者が埋葬されているのですから、ここを北の代表団が訪れるというのは異例中の異例の事変だといえます。日本の報道でも「北の意図」について「?」を付けながらあれこれ詮索していましたが、これが示す事実は簡単明瞭です。朝鮮戦争停戦以来、いまだ休戦状態の続く朝鮮で、北の代表団がこの墓地を訪れたということは、韓国を「敵」と見なさないという明確かつ強烈な意思表示であるという事実です。韓国でこれが衝撃と共に感動を呼んだことは想像に難くありません。
 祖国光復60年が民族分断60年でもある朝鮮民族が、「東西冷戦」という大国のイデオロギー対立、外部勢力によって持ち込まれた同族敵視克服の一歩を確実に踏み出したことを示した劇的事変でした。冷戦的思考方式を「ウリ・ミンゾク・キリ(われわれ民族同士)」の思考方式によって克服すべきだし、できる! これをわずか5秒間の「北代表団の黙祷」が象徴的に示したわけです。
 23日にはピョンヤンで、日本でも「釜山港へ帰れ」の大ヒットで有名な韓国演歌の元祖チョー・ヨンピルの公演というビッグ・イベントもありました。


 
 

編集後記

魚本公博


 米国南部を襲ったハリケーン被害。死者は数千人にも及ぶと見られ、堤防が切れ海面下地域は水没したまま。「カトリーナ」は、米国の影の部分を浮き彫りにしました。
 車をもってない人が多く事前に退避できなかった。40兆ドルもの巨大な軍事・テロ対策費に比べ、防災対策費は40億ドル。60年代に作られた老朽化した堤防と設備。州兵の3分の1に当る3000人がイラクに派遣中。
 貧富の差を拡大し、「小さな政府」の名の下、公共投資を縮小する新自由主義改革。軍事費の拡大と自衛隊のイラク派兵。
 日本は、米国と同じことをやろうとしているのではないでしょうか。やはり、改革すべきは、アメリカ化改革です。


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