研究誌 「アジア新時代と日本」

第26号 2005/8/5



■ ■ 目 次 ■ ■

時代の眼

主張 戦後60年、「アジアの良友」と東アジア共同体建設へ!

研究 −人民元改革に考える− 「日本の教訓」を今に生かすために

寄稿T 平和憲法を守り不戦を堅固なものに

寄稿U もっとも問われる、正しい歴史認識

寄稿V 加害の歴史を忘れないための「終戦記念日」

朝鮮あれこれ 熱気に溢れる光復60周年

編集後記



 
 

時代の眼


 8月15日は、敗戦60周年です。それで、各誌は今年1月号で、「還暦」についてなんらかのかたちで言及していました。60年で元に戻ると言うことです。
 これは、干支でのことですが、面白いことに、元に戻ったと言えば言えるような現象が多々現れています。国家第一から個人の尊重へ、官僚統制から民主主義へ。第二次大戦後生まれたこの巨大な転換は、今、民族国家よりも地球・地域・個人を単位とするグローバリズムへ、集団よりも個人を優先し、官から民、規制・保護から自己決定・自己責任を説く新自由主義への転換として現れているようです。
 一方、軍国化、ファッショ化への動きも同様です。戦後の反共弾圧、労組つぶしの嵐、憲法9条を無視しての日米安保の締結、自衛隊設立への動きなどは、今日、日米安保の再定義と自衛隊再編、有事法制化や改憲、教育統制化の動きなどとして現れています。
 この自由化、軍国化の再現の背景には、第二次大戦での敗戦とそれにともなう転換が、今、プラザ合意以降のバブルの発生、崩壊など「第二の敗戦」とそれにともなう転換として再現されているということがあります。すなわち、アメリカへの二度にわたる敗北を背景としながら、対米従属の自由化、軍国化が繰り返されているということです。
 ここで重要なのは、これに対する日本国民の闘いも同じように元に戻ってはならないということです。元に戻った新しい現実を、かつての闘いの教訓を基に新しく切り開き、今度こそ、新しい日本を造り上げていかなければならないでしょう。
 われわれは、広範な大衆運動として発展した戦後民主主義運動の輝かしい伝統を貴重にしながら、「戦勝国」アメリカに幻想をもち、保守反動政府 の対米追随路線に反対する闘争が弱かったこと、運動の主体であり主人である日本国民の意識の高さを正当に評価し、それに合った闘争を力強く展開できなかったこと、国民大衆を中心とする運動の統一団結をしっかり築けなかったこと、等々を深く総括し、新しい現実に即した新しい運動を、今度こそ勝利させていかなければならないと思います。


 
主張

戦後60年、「アジアの良友」と東アジア共同体建設へ!

編集部


■国民的フラストレーションつのる戦後60年
 アジア地図から日本の植民地や占領地域が消えて60年経つにもかかわらず、アジアからは「反日」の反撃を受け、以前にも増して孤立を深めている日本。この夏は中国への旅行者が激減。戦争責任、反日へのとまどいという状態で、戦後60年目の8月15日を私たちは迎えてしまった。
 先の戦争がよかったと言う人はいない。しかし何が悪かったのか、反省すべきなのかがあいまいなままだ。日本の歴史教育で第二次大戦を中心とする近代史は、一般教師の深入りしたくない授業、受験勉強では飛ばしてよい箇所とされてきた。日本人が民族としてもっとも激烈な記憶と体験を共有した時期が、国民共通の歴史認識としてぽっかり欠落させられたまま60年が流れてしまった。
 首相の靖国参拝問題をめぐって、「戦没者の冥福を祈るのはよい」や「他人(アジア)からとやかく言われることには反感」という世論が多数を占める一方で、しかしアジアとの友好を考えれば「靖国に首相は参拝すべきではない」というのも多数世論になる。こうした国民の精神分裂状態こそ、日本の近代史、先の戦争にどう向き合えばいいのかとまどう戦後60年の日本を象徴しているのではないだろうか。
 戦後60年、節目の年、私達は戦没者、犠牲者にどのような追悼の言葉をかければよいのか。沖縄で広島、長崎で、太平洋の島々で、同胞の霊にかける言葉もなくただ手を合わせるだけのもどかしさ。そしてアジアの反日に答える言葉を失ったままこの日を迎える居心地の悪さ。日本国民のフラストレーションはたまるばかりの8月15日だ。

■民族としての責任、主体的な歴史認識を
 第二次世界大戦は、階級的見地からは、帝国主義国間の市場再分割戦、植民地争奪をめぐる帝国主義間戦争とされる。日本のそれは、日本軍国主義によるアジアに対する侵略戦争であり、米英との植民地争奪戦争、アジアでの覇権を争う両者ともに不正義の戦争である。これが従来からの左翼、進歩勢力の見解であり、客観的評価としてまちがいはない。また実際、アジア諸国が「日本軍国主義、支配者が悪いのであって、日本人民は犠牲者、被害者」と言ってくれている。しかしながら日本人としては主体的責任、民族としての総括を考えざるをえない。
 当時、この戦争を「不正義の戦争」とした共産主義者、自由主義者の生命がけの反戦闘争はあったが国民的支持を受けるに至らなかった。軍国主義の暴力と言論統制にもよるが、多数の国民がこの戦争遂行を愛国的行為と考えたことも否定できない事実だ。「お国のため」と特攻隊を志願し、太平洋の島々で「バンザイ」を叫んで玉砕していった多くの日本人がいる。青年ばかりか少年、少女までが「国のためいつ死ぬか」を考え、民族が一致して国難に当たろうとした歴史的時期でもあった。これを一部の軍国主義者にだまされたという一言で片づけることも、その犠牲が無駄死にだったで、すまされるのも国民的には納得しかねるものだ。ある程度「挙国一致」で戦った戦争として、自分自身の問題として、民族の責任として主体的総括を避けて通ることはできない。

■どう教訓を探し出すべきか?
 その教訓を簡単には結論できないと思う。しかしいま解答が早急に求められている以上、アジアの反日の抗議に対して、不愉快だからと避けるのではなく、現実として受け入れ、これに真摯、かつ主体的に応える立場から考えることが重要だ。自分たちが主観的には愛国的行為、正義と考えたその思いにこだわるのではなく、結果が悪ければ誤りを素直に認め、自身に誤りの原因を求める主体的な観点に立つことが重要だ。
 多くの国民が愛国心の発揚として戦争に参加した。国民の多くは、先の戦争を「日本の自存自衛のための戦争」、そのための「大東亜共栄圏建設のための戦争」とした大東亜戦争に、日本とアジアの未来を描き、これを正義の戦争だと考えた。そのどこが誤っていたのだろうか?
 「大東亜戦争肯定論」で林房雄氏は、19世紀中葉、幕末の異国船来航を契機とした攘夷論の誕生に始まり、太平洋戦争終結に至る近代日本の数々の対外的事変、戦争をすべて欧米列強のアジア進出に抗する「大東亜百年戦争」だと規定した。
 明治維新以降の日清、日露の戦争、日韓併合から朝鮮の植民地化、満州国建国から日中戦争、そして対米英の太平洋戦争に至る、日本の数々の対外的事変、大小の戦争は、日本の資本主義発展の見地からは、独占資本の形成に伴う帝国主義的膨張政策、植民地獲得のための帝国主義戦争である。他方で、これを幕末の攘夷戦の継続、欧米列強のアジア進出に抗する「大東亜百年戦争」と呼ぶ一定の根拠があるのも事実である。日露戦争に勝ったことを「白色人種にアジア人として初めて勝った」と当時、アジアの民族主義者、革命家が喝采を送ったとか、対米戦争での特攻隊の活躍をいまもアラブの人々が賞賛するなどという話は、欧米への攘夷戦という一面の反映と言える。
 幕末の愛国者、吉田松陰は、門下生久坂玄瑞に次のような書簡を送っている。「蝦 夷をひらき、琉球を収め、朝鮮を取り、満州を拉し、支那を圧え、印度に臨み、以て進取の勢を張り、以て退守の基を固めたら・・・」、その時にこそ欧米列強の脅威から免れる、と。勝海舟も「日鮮支(日本、朝鮮、中国)三国合縦連衡して、西洋諸国に抗すべし」と語っている。
 松陰、海舟らの東亜経略論はまだ理想論、抽象論の域を出なかったが、明治維新以降、西郷隆盛の「征韓論」など現実の政治に具体化され、朝鮮、中国大陸進出政策として徐々に侵略性を帯び、日清、日露の戦争、朝鮮植民地化を経て満州事変、日支事変に始まる大東亜戦争突入へ進んでいく。
 日本の「自存自衛」のためには、他国、他民族を「取り、拉し、圧え」るべきという愛国、それは「日本防衛」のためにはアジアへの膨張は仕方がないという自己中心の愛国主義であり、ついには侵略を正当化する「愛国主義」にまで転化した。このことを教訓化し、肝に銘ずべきだと思う。

■侵略を正当化する「アジアの悪友」論
 自己中心の愛国主義が、侵略の正当化に転化するその重要な要因は、アジア諸国を立ち後れた民族、「アジアの悪友」と見なしたアジア蔑視の観点にある。
 福沢諭吉の有名な「脱亜入欧」論は、「アジアの悪友を去り、西洋の良友と交わる」べきことを説いたものだ。
 「わが国は隣国の開明を待って共にアジアを興すの猶予あるべからず、むしろその伍を脱して西洋の文明国と進退を共にし・・・」「西洋人がこれ(アジア)に接 する風に従って処分」すると。
 日本は明治維新によって近代国家への転換を図り、欧米列強に抗する力を育てた。この近代化にアジアが続くことを期待し、そのアジア諸国と共に欧米の植民地主義に対抗することを構想した。
 李王朝の朝鮮に開国近代化を迫り、また金玉均ら改革派を助けようともした。また近代化を拒む頑迷な清国封建王朝の打倒をめざす孫文の革命に期待し彼を助けもした。しかし日本の思うようには行かなかった。事成らずと見るや、「燐国の開明を待って共にアジアを興すの猶予あるべからず」とアジアを頼むに足らぬ「悪友」と見なした。
 そして「西洋人がこれ(アジア)を接 する風に従って処分」、すなわち欧米にならいアジアを自分に従える膨張主義に転じ、遅れたアジアを開明させるための侵略は「愛国的行為」にまで正当化されるようになった。今日、「米国」が「圧制国家を民主化・自由化」の名の下に侵略を正当化するのと同様の思考方式だと言える。

■アジアを「良友」視し、共に共同体建設へ
 アジアはけっして「悪友」ではなかった。支配者が腐敗し無力化すれば、かつて幕末の日本がそうであったように民族の中から外夷に抗する力が生まれることを、アジアの歴史は示している。戦後、アジアの獲得したナショナリズムには日本の自己中心の愛国主義とは異なる新しい力がある。その力は、帝国主義、植民地主義との長い闘争から得た民族自主を至上のものとし、自分のそれも他人のそれも尊重する自主共存の力だ。それは20世紀の遺物である欧米列強の他民族侵略をよしとする古い帝国主義、覇権主義を最終的に克服する力だ。この力を獲得したアジアこそ、攘夷論の幕末以来、日本の求めてきた「良友」だと言える。
 しかし戦後60年の今日、新たな「アジアの悪友」論を唱え「脱亜入米」を主張する人々がいる。
 アジアの「反日」を、アジアの立ち後れの表現と見、「終わりなき反日と戦い抜け」との論陣を張る人々だ。彼らは「アジアの悪友」を去り、「堅固な日米同盟を!」と現代版「脱亜入米」論を説く(「諸君」の戦後60年特集)。この動きは、多極化志向、米一極化反対の東アジア共同体への日本の参加を阻止したい米ブッシュ「反テロ戦争」政権のアジア対決政策と連動した危険なものとなっているのではないだろうか。
 60年目の8月15日を迎えながら、私たちは、アジアを「悪友」視したことを日本近代史の恥辱、痛恨の教訓とし、アジアを「良友」視し、アジアと共に東アジア共同体建設に向かう実際の行動をもって、過ちを二度と繰り返さぬ固い決意を示すべきではないだろうか。


 
研究 −人民元改革に考える−

「日本の教訓」を今に生かすために

魚本公博


 7月20日、中国が、人民元を対ドルレートで2%切り上げると発表した。
 人民元の切り上げは、00年に、米国の貿易赤字で中国が日本を上回るようになったことを契機に米国で問題にされ始めた。04年には、対中貿易赤字が1619億ドルに達し、米議会は「人民元は実体的には40%切り上げすべきである」としながら、今秋までに「制度改革」をして「柔軟な為替制度」に移行することを要求するなど緊迫した課題となっていた。
 米国が求める「柔軟な為替制度」とは、完全な「変動相場制」への移行である。中国がWTOに加盟し市場経済を容認する以上「変動相場制」への移行は不可避だが、中国は十分な準備と対策をもってこれに臨もうとしている。
 そこで言われるのが「日本の教訓」である。
 80年代、米国は「日米円ドル委員会」を作り、日本に金融改革を強要した。その狙いは、経済の血液としての金融を米国が左右できる状況を作ることであった。
 この筋書きに屈従し、日本は金融自由化を受け入れて外資の日本での自由な活動を認め、85年には、米国が主導する「プラザ合意」によって急激な円高を余儀なくされた。これによって、日本は多くの企業倒産を起こした。そればかりではない。日本の金利をつねに米国よりも低く設定する「スライド金利」が合意され、それによって日本のカネが米国に向かう道筋が作られた。
 ここで問題になったのが大々的な円高介入によって日本国内に流入した大量の円が折からの低金利の中、株や土地など投機に向かったことである。急激なこの変化は金融自由化による米系ファンドの日本株式市場への大挙参入を呼び、バブルを発生させた。
 これが米国のドル高政策を見越した米系ファンドのドル買いのための一斉の日本株売りによってはじけ、そこから日本経済の長期停滞が始まったのは痛恨の歴史の教訓である。
 この、「日本の教訓」、その基本は、日本が米国に言われるまま何の対策もとることなく、それに従った、その主権なき態度にある。
 今回の中国の人民元切り上げの措置は、わずか2%という切り上げにしながらも、米国に「中国は人民元改革に乗り出した」という期待をもたせ、時を稼ぎながら、中国の利益を守って戦略的に改革していこうという意図が読み取れる。実際、中国は幾度となく、日本が「プラザ合意」で犯した轍は踏まないと言明している。
 そうした中で、今回の措置で注目されるのは、交換をドルだけでなく、他の通貨とも行うという「バスケット制」を採用したことである。
 これは、ドル依存を打破する意図を含んだものとして、米国では、「ドル資産での運用が減り、世界的なドル離れにつながるのではないか」と警戒している。
 米国はドルが世界通貨になっていることを幸いに、世界のカネが米国に還流する仕組みを作り、自国産業が空洞化しても、世界から集まるカネを使って賭博的な金融操作で儲ける「カジノ経済」に偏重し、アジア通貨危機のように他国経済に打撃を与えながら儲ける一方、その国の経済を支配する方式に固執している。
 米国が今回の中国の措置に対して、「管理変動相場制が市場の基礎的条件に沿って動くかどうか監視する」(FRB議長グリーンスパン)としながら、日米円ドル委員会のような協議を中国側に持ちかけているというのもそのためであろう。
 しかし、世界は今、ドル依存からの脱却に動いている。EUがユーロを発足させたのも、東アジア共同体構想が打ち出されアジア共通通貨が言われるのもそのためであるが、アジアの場合、日本があまりに対米従属的であることが足枷になっている。アジア通貨危機後に日本が提案したアジア通貨基金構想なども米国の反対に合うや放棄した。
 すでに、日本の対アジア貿易は45・7%にも上り、中国との貿易だけでも米国のそれを上回るようになっている。日本と中国、東アジアの利害は一致しており、人民元が健全に発展しドル依存を脱却することは、東アジア共通通貨育成にも有利な条件を醸成する。
 日本は、自らの教訓を今に生かし、中国の主権ある態度に学びながら、東アジア共通通貨の育成に努め、アジアと共に生きていく道をさぐっていくべきだと思う。


 
寄稿T

平和憲法を守り不戦を堅固なものに

H・I


 日本の明治改革は、1871年岩倉使節団の世界一周視察旅行により着手され、欧米の文明に対し、アジアを未開と対置して、日本の近代化と脱亜入欧の道へと急いだ。脱亜入欧の戦略は、殖産興業、富国強兵、文明開化の三大スローガンの下に近代化を推し進めることであった。その段階で、清国と朝鮮支配の侵略戦争を挑みこれに勝利した。この勝利は日本がアジアを抜け出し西欧先進国への仲間入りを果たしながらも、近隣を侵略する資本主義国家と民族に変質することになった。
 この資本主義経済の発展段階の矛盾が国民生活に表れると、矛盾解決のために軍事力による領土拡張の対外戦略を展開した。朝鮮支配を足がかりに中国東北地域の権益争奪の日露戦争を戦い、その権益を手中にすると傀儡国家満州国を創設し、これに飽き足らず、中国全土支配の野望を実現するために1937年、北京付近の蘆溝橋で夜間演習を利用して中国守備軍に攻撃を仕掛け全中国全面侵略戦争の糸口をつくった。
 この侵略戦争は、戦闘員、非戦闘員の別なく殺戮の戦争犯罪の修羅場とした。戦後60年の今日尚、戦争被害の個人的補償を求める裁判が日本政府に対して行われているが日本の司法はこれを無効としている。小泉総理の戦犯合祀の靖国神社参拝を含め、日本国民全体に侵略戦争反省の認識が薄らいでいく姿に、大きな危機感を抱くこの頃である。
 最近のメディアは、東条英機のお孫さんまでもテレビに登場させ「中日戦争、太平洋戦争はアジア解放の戦争であり聖戦であった。東京軍事裁判は勝者が敗者を裁いた裁判であり無効、日本国法によれば無罪だ」とコメントさせている。右傾化していく日本が再び侵略の銃をとらないために平和憲法を国民生活の中に活かさなければならない。


 
寄稿U

もっとも問われる、正しい歴史認識

M・M


 アジア太平洋侵略戦争で日本軍の行った残虐非道な行為のため、3000万人以上の尊い生命を奪った罪は許されないことである。中国では、南京虐殺、平頂山事件、731部隊の生体実験、毒ガス、強制連行等、朝鮮半島では植民地政策による皇民化教育、創氏改名、強制連行、従軍慰安婦等、インドネシアでは労働者の搾取で強制労働のため多くの「ロームシャ」が作業現場で死亡した。シンガポールでは捕虜の多くが泰麺鉄道に送り込まれ3分の2が死亡した。台湾では皇民化運動を実施 し徴兵制を行った。
 この時期、国内では反戦活動家が官憲により徹底的に弾圧され、言論統制、大本営発表による国民だましの戦勝報道の嵐。国民は生活苦の中でも日本の勝利を信じたが、現実は連日、B29の空襲で軍需工場から民家まで焼失し悲惨な生活を送る始末。「贅沢は敵」「一億玉砕」「欲しがりません勝つまでは」のスローガンで国民の心を縛った。
 また沖縄戦、サイパン戦では島民が日本軍と共に悲惨な戦いを強いられ、ガマでの集団自決などが起きた。「捕虜になるくらいなら死ね」、東条英機(A級戦犯として死刑)が軍人だけでなく、国民に強引に教え込んだ恐怖の結末である。
 同時期、ドイツはヒトラーナチス軍がヨーロッパを侵略しユダヤ人をはじめ何百万人の尊い命を奪ったが、戦後処理として心からの謝罪、補償を国家、企業が行い戦争責任者の追跡、教科書にナチスの過酷な占領政策、加害実態等を記述し若い世代に正しい歴史教育をしている。
 日本が今後、平和な社会をつくるには、60年前の侵略戦争についてアジア人民に対し日本帝国主義が行った犯罪について正しい認識を示し、被害国と被害者に謝罪と補償をすべきである。とくに急がねばならないのは、ご高齢になっている「従軍慰安婦」、「強制連行」「毒ガス被害」等の解決である。
 そして、もっとも大切なことは、正しい歴史を特に社会科教科書に記述し、日本の青少年に平和と命の尊厳を教えることである。


 
寄稿V

加害の歴史を忘れないための「終戦記念日」

田中大也 21歳・ライター


 戦後60周年を迎え、太平洋戦争に対する関心が薄れつつあると言われている日本国民ですが、その一方で、軍事や防衛に強い関心をもつ若者が増えてきたようです。また政権が右傾化していくとともに、ここ最近のニュースや新聞報道からは、根強くあった軍事問題に対する「タブー」意識が徐々に少なくなっているような印象を受けます。
 これは必ずしも悪いことではありません。軍事と国防を抜きにしては、国家の存在は語れない、というのが一般的な社会情勢である以上、関心をもつことはむしろ必然だからです。ですが、近年の「自由主義史観」の跋扈は太平洋戦争における日本の侵略の意図を覆い隠し、「アジアの解放のための戦争であった」と国民の意識を変革させようとしています。
 「右派的」な政権もこの思想をバックアップし、アメリカに追従する形で今また新しい戦争へ兵士を送り込んでいます。自国の被害ばかりを強調し、長年にわたる侵略を美化する形での「ナショナリズム」の高揚は、他国の民族意識や愛国心に無頓着な国家と国民を作りあげるものでしかありません。イラク侵略戦争において、米兵が「まさかイラク人が攻撃してくるとは思わなかった」と語ったような「無痛」感覚の醸成です。近隣諸国の感情を全く無視する形での戦前賛美や靖国への参拝は、日本政府の侵略に対する認識の薄さからきているものとも言えます。
 日本は数十年に及ぶ植民地支配と、戦時中の強制連行、「従軍慰安婦」問題など、様々な侵略行為を繰り返してきました。「空襲」と「沖縄戦」、そして「原爆投下」だけでなく、侵略当事国としての責任を認め、加害国であったことを再認識し、アメリカの軍隊が日本から直接侵略戦争に赴くという現状を改善し、他国の意向を尊重する国家にしていくことが、敗戦60周年を迎えた日本にとって最も必要な「8月15日」への視点ではないでしょうか。


 
朝鮮あれこれ

熱気に溢れる光復60周年

小川 淳


 いま朝鮮では10月10日の党創建記念日に際し、今年の共同社説で掲げられた課題を遂行する一大戦闘が展開されています。その中でもとりわけ重視されているのが農業部門で、必ず五穀百果が実る豊年の年にしようと、あらゆる力量が総動員されています。この5月から6月にかけての田植期間中、市内のほとんどの市民、学生たちが農村支援に出向いたのもその一環でした。今年は天候にも恵まれ、作柄も良好で、今秋の収穫が楽しみです。
 8・15を前に、南北関係も大きく進展しています。一年ぶりにソウルで開かれた南北経済協力推進委員会では、50万トンの食糧支援を初め、北の地下資源の共同開発、韓国から軽工業原材料の提供、漁業協力のための南北水産協力分科の設置、ケソン工業団地第一段階基盤施設建設、京義線・東海線の年内開通式など12項目の新たな「経済協力事業」で合意しています。
 7月に北を訪れた現代グループの玄貞恩会長が金正日総書記の接見を受け白頭山と開城地区の観光を年内に開始できることとなりましたが、韓国ではすでに問合せが殺到しているそうです。
 また7月中旬 には、韓国、在日を含めた百名近い作家が一堂に会し、「6・15共同宣言実践のための民族作家大会」がピョンヤンで開かれました。団長は高銀氏。民衆の参与による分断の克服や民衆的伝統の継承と民衆主体の確立を強調する高名な韓国の詩人です。大会では、「6・15共同宣言」を祖国統一の唯一の里程標と見なし、「わが民族同士」の理念の下、民族自主、反戦平和、統一愛国の精神で文学創作にまい進することを確認。内外文化人、共同の組織として「6・15民族文学者協会」を発足させ、「統一文学」の発揚と、「6・15統一文学賞」の創設で合意しました。
 ピョンヤンでは、8・15のアリラン祭に向けた青年学生たちのマスゲームの練習が、30度を超す中で連日続けられています。今年の8・15は、南北統一と経済建設の熱気に包まれた例年にない「暑い夏」となりそうです。


 
 

編集後記

魚本公博


 8・15の反省。何を誰に反省するのか。
 アジアを侵略したこと? 米国と戦争したこと?
 日本の為政者の多くは後者です。もう二度と歯向かいませんという戦後政治の果てに、米国の手先になってアジアに対し、再び過ちをくりかえそうとしている日本。問われているのは前者の反省ではないでしょうか。
 今号は、8・15について3名の方から寄稿をいただきました。今後とも、いろいろな問題について、反対意見も含め、多くの方々のご意見、投稿等いただければ幸いです。

 

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