研究誌 「アジア新時代と日本」

第255号 2024/9/10



■ ■ 目 次 ■ ■

編集部より

視点 総選挙、負ける訳にはいかない

論点 「国際秩序を護る」防衛から「日本を護る」防衛へ

論点 何故今、石破茂なのか

投稿 IR万博と称するカジノはもうできない!

未来アジア学習会のお知らせ

資料 関東大震災101周年朝鮮人犠牲者追悼式典 小池都知事の追悼文送付拒否弾劾! この悲劇繰り返しはせぬ!




 

編集部より

小川淳


 非米多極化へBRICS拡大の秘密
 9月4日にロシアのプーチン大統領がモンゴルを訪問した。
 ICC(国際刑事裁判所)の逮捕状発行以降、プーチン大統領がICC加盟国を訪問するのは今回のモンゴルが初めてで、それだけにモンゴル政府の対応が注目されていた。
 モンゴルをめぐっては、ウクライナ紛争以降、アメリカがモンゴルに急接近しており、今年8月にはモンゴルの首相が訪米、ハリス副大統領と会談し、モンゴルのレアアース開発や航空便開設で合意。ロシア・中国とのパイプライン計画からモンゴルが離脱する動きもあった。
 アメリカが自らの覇権維持のためにロシアや中国を敵視する構図はいまも執拗に行われていて、モンゴルに対しても働きかけを繰り返してきた。
 しかしモンゴル政府は欧州やアメリカの圧力に屈することなく、プーチン大統領を逮捕しないばかりか、むしろ「国賓」として歓待した。プーチン大統領に対するモンゴル政府の対応は、米覇権から非米多極化へと向かう世界の大きな転換の一端を垣間見せた出来事だった。
 もう一つ注目したいのは、トルコの動きだ。トルコは長い間NATO加盟国だったが、2005年に始まったEU加盟交渉は進展がなく、加盟が実現できていない中で、トルコ政府は今年、BRICSへの加盟を正式に申請したという。これも世界が多極化へ向かう動きの一つだ。
 ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカの5か国から、今年に入ってエジプト、イラン、エチオピア、アラブ首長国連邦が加盟し、BRICSは規模を一挙に拡大した。ウクライナ紛争以降、西側の制裁を回避するための共通通貨の創設を追求するなど、さらに結束を強めている。パレスチナ自治政府もBRICS加盟へ向かう。
 BRICSは、米国・西欧グループに比べて多くの「弱点」があると言われてきた。その一つは共通する理念がなく、中国やロシアなど政治体制もばらばらで、国境紛争を抱えるインドと中国のように「国益」も一致していないからだ。米国と西欧はキリスト教という歴史的な基盤があり、自由や人権、法の支配などの「普遍的価値の共有」など強固な基盤を持っているのは確かだ。
 これに対しては、トルコのフィダン外相の言葉が示唆的だ。「BRICSがEUと違って美しいのは、それがすべての文明と人種を含んでいることだ。もう少し制度的なものになれば(加盟国に)大きな利益をもたらすだろう」。
 すべての人種、文明を包摂しているBRICSの多様性こそ、強味であり、価値観や制度を押し付けたり、軍事で脅したり経済で搾取したりしない。そこにBRICS拡大の秘密があるのではないか。



視点

総選挙、負ける訳にはいかない

編集部


■何のための「選挙祭り」か
 今秋は、選挙の季節だ。自民党総裁選、立民党代表選、そして解散総選挙。
 これら一連の選挙は、最後に予想される解散総選挙で一つに結びついている。しかもそれには政権交代が絡んでいる。
 岸田内閣の支持率が史上最低を更新し続ける中、各種世論調査は、国民の政権交代要求が政権維持要求を大きく上回っていることを伝えている。
 こうした希に見る状況にあって、今回の党首選は、両党ともにお祭り騒ぎの様相を呈している。特に自民党に至っては、立候補表明が11名とも12名とも言われる。
 党とメディア一体になってのこのお祭り騒ぎの狙いが落ちた党勢を盛り上げ、それに続く解散総選挙のムードづくりにあるのは見え見えだが、どうやらそれだけではなさそうだ。1,2位での決戦投票を制度化している自民党の場合、多数の立候補は、票の分散を生み、少数派閥を背景に立つ石破氏のような候補者を有利にする。
 立民党の場合はどうか。早くから立候補を表明していた枝野氏、泉氏に加えて、元首相で政界交流の幅が広い野田氏、女性スターの吉田氏が出てきた。この動きに合わせるかのように第二野党、日本維新の会、そして国民民主党の選挙協力に向けた動きが表面化している。なにか、予備選挙を通じての野党一本化を提唱していた橋下徹氏の筋書に沿った流れの感もする。
 その橋下氏の近著、「政権変容論」では、野党の一本化、それによる次回総選挙での与野党逆転、そこで多数派になった野党連合が自らの身を切って、石破氏など国民的人気の高い自民党有力者を担いでの与野党合同政権、すなわち「挙国一致政権」の樹立が構想されている。

■「政権変容」を求めているのは誰だ
 「選挙祭り」の産物としての「与野党合同政権=挙国一致政権の樹立」、それを橋下氏は、「政権交代」ならぬ「政権変容」と表現している。すなわち、「野党政権樹立」「政権交代」とするより、これくらいが野党の力相応だし、国民の要求に合っていると言うことだ。だが、本当にそうだろうか。国民は、政権の「交代」ではなく「変容」を求めているのだろうか。
 今日、国民の政権交代への要求はもっと切実なものになっているのではないか。それは、この間の国政選挙、地方選挙がおしなべて、投票率の連続的で底無しの低落、支持政党なしの有権者の過半を超える増加を記録しているところにも現れている。この政治、政党に対する国民的な止まるところを知らない不信と絶望、拒否と拒絶の高まりは、政権の変容どころではない、その根本的な転換、交代を求めている。
 では誰なのか。政権の「交代」ではなく、「変容」を求めているのは。それは他でもなく、米国ではないかと思われる。
 今年4月岸田訪米に際して、米国は、わが首相を異例の最上級国賓待遇で迎え、そのかつてない大歓待の中、日米首脳の合意として、「日米同盟新時代」を提唱しながら、それにともなって、日米関係の「変容」を確認してきた。それは、それに先立つ4月4日、奇しくも同じ日、米駐日大使ラーム・エマニュエル氏、そして米元国務次官リチャード・アーミテイジ、米元国防次官補ジョセフ・ナイの両氏がそれぞれウォールストリートジャーナル紙、CSIS報告書に発表した二つの提言と完全に軌を一にするものだった。
 提言は、米国と各国の同盟を米国を中心とするハブ&スポーク状(自転車の車輪状)の同盟から「日米韓」、「日米比」、「日米豪」など格子状同盟が重なり合ったその中心に「グローバルパートナー」としての日米同盟が位置するものへと転換するとしながら、各国の米国の下への指揮と開発の統合を「同盟としての統合」にさらに深めることを求めるものだった。来春、自衛隊に新設される統合作戦司令部と米インド太平洋軍司令部の指揮機能の一部を分譲される在日米軍司令部とが連携し指揮の統合をするのなどは、その重要な一環だ。
 この日米同盟の「変容」は、日本は盾、米国は矛の役割分担をし、日本には米国を守る任務がなかった同盟から攻守、双務の同盟への転換、日本のあり方の「米国とともに戦争する国」への大転換を意味している。米国は、この日米関係の大転換を「変容」と表現しながら、それを実際に実行することを与野党合同の「挙国一致政権」に求めているのではないだろうか。
 今日、米国はその覇権崩壊の危機に直面している。ロシア・ウクライナ戦争、パレスチナ・イスラエル戦争、そして米中新冷戦、この「三正面作戦」を同時に推し進める力は米国にはない。そこにあるのは、米覇権の崩壊と終焉のみである。
 トランプとハリス、どちらが選ばれようが、今回の大統領選を通して生まれる新政権の最初の仕事は決まっている。三つの「作戦」を「米中新冷戦」に絞り、そこでの勝利を覇権の存続と新しい興隆の力にする以外にない。  そのために米国は、ウクライナも中東も損害を最小限にしながら終息させ、親米覇権勢力の力を、NATOもG7も皆、その連合艦隊のインド太平洋への集結に見られるように、中国包囲、対中対決に集中させてきている。
 「日米同盟新時代」がそのためのものであるのは、言うまでもない。「戦争する国、日本」が対中代理戦争の最前線に立たされ、「東のウクライナ」にされるのは目に見えているのではないか。

■今問われているのは事の本質を突いた争点だ
 今、日本の選挙の最大の問題点は何か。それは、事の本質を突いた本物の争点と言える争点がないことだと思う。その時々の日本の進路、命運に関わるもっとも本質的な問題をめぐっての争点がないままに選挙が続いている。
 それは、今回の選挙でも同じことだ。いや、今回は、いつにも増して決定的だ。今回、「日米同盟新時代」をめぐっての論議が全く見当たらないのはどうしたことか。誰も、この問題に触ろうともしない。皆、米覇権の下、それに逆らう争点など思いも寄らないものになっているのか。あるいは、憚られるものになっているのか。どの選挙もどの選挙も、投票率が低下の一途を辿っている要因の一つもこの「この決定的で本質的な争点の見えない選挙」にあるのではないのか。
 今、「選挙祭り」を通して、「日米同盟新代」を推し進めるため、与野党合同の「挙国一致政権」がつくられようとしている時、問われているのは、それに異議を唱え、反対する争点を提起し、選挙を通して広く国民に訴え、それを破綻させていくことではないだろうか。
 そのためには、提起する争点が事の核心を突くとともに分かりやすくなくてはならない。そうしたことを考慮した時、まず争点として提起できるのは、防衛費の倍増問題ではないだろうか。
 財政が逼迫し、他の分野の予算が大幅に削られている今日、防衛費だけが倍増されていっているのはなぜか。しかも、「防衛費」と言いながら、その内訳は、米国製攻撃兵器の比重が決定的に高い。ここにも、日本が米国とともに戦争する国にされ、対中代理戦争をやらされる惨劇が見えている。
 次に問題にすべきは、憲法9条問題だと思う。今回、「日米同盟新時代」で提起されている問題は、その本質において、日本を米国とともに戦争する国にする問題であり、それは、日本の交戦権否認、戦力不保持を定めた憲法9条第2項に根本的に違反するものである。もしこの「新時代」に沿って政治を行うと言うなら、その政治は、本質において、すべて違法の政治になる。「憲法違反の政治」をしてはならない。もし、「新時代」の政治を行うと言うなら、まず、その是非を国民の前に問い、憲法を変えてからにすべきだ。今、この問題を国民の前に問うことを恐れ躊躇している政党、政治家がいるなら、彼らをすべて国民の前に引き出し大論争の輪を徹底的に広げて行くべきではないか。今回の総選挙は、その是非を問い、この問題をめぐっての国民投票につなげる選挙にすべきではないか。
 この他にも総選挙の争点は、現日本政治のすべての分野、領域にいくらでも転がっている。なぜなら、グローバリズム、新自由主義に基づいている現自民党政治には、国の役割というものが本質的に否定されているからだ。
 そうした中、防衛費以外の予算大削減がすべて争点になるのではないか。特に。今年初めにあった能登の大震災救援活動での国の役割の貧困さは犯罪的ですらある。
 これら争点を通し、オール与野党を敵に回してのオール国民の闘いで、今回の総選挙での勝利が求められている。勝算は決してゼロではないのではないだろうか。



論点=「新しい戦前」回避の防衛政策=

「国際秩序を護る」防衛から「日本を護る」防衛へ

吉田寅次


■自衛隊の「国際秩序を護る」戦争軍隊化
 4月国賓訪米時に岸田首相は「米国はたった一人で国際秩序を護ることを強いられる必要はない」「同盟国として日本もその役割を担う」と米国に約束した。これは自衛隊が米軍と共に「国際秩序を護る」軍隊になるということだ。
 「国際秩序を力で変更しようとする修正主義勢力」中国を征伐する戦争に「米国たった一人ではなく」、同盟国軍として自衛隊も参戦することを岸田首相は米国と約束した。それは自衛隊が「国際秩序を護る」戦争を担う軍隊に変容する約束だ。

■日米安保基軸は「国際秩序を護る」基軸
 日米安保基軸とは「米軍なしには日本は護れない」とする米軍基軸の防衛政策だが、米軍が護るのは「米中心の国際秩序」、米覇権秩序であり、言葉の真の意味で「日本を護る」軍隊ではない。
 これまで米軍が行った「国際秩序を護る」戦争は日本の主権や国土防衛、日本国民の生命と安全を守ることとは無縁の戦争だった。「共産主義の脅威から世界を護る」朝鮮戦争、ベトナム戦争も、「テロの脅威から世界を護る」としたアフガニスタン、イラク反テロ戦争も米軍の敗戦、敗退で終わった。だからといって日本の主権や国土、国民の生命と安全に危害を及ぼすことはなかった。
 「日本を護る」は専守防衛の自衛隊に任せていいという二義的な位置づけで「国際秩序を護る」第一、それが日米安保基軸の防衛政策だった。
 核を基本に強大な抑止力(攻撃武力)を持つ米国が米軍単独で「国際秩序を護る」ことができた時代、「パクスアメリカーナ」の時代は、憲法9条下の自衛隊は二義的な専守防衛担当でよしとされたが、いまや時代は変わった。
 4月の岸田国賓訪米直前にエマニュエル駐日大使の語った、この日米首脳会談が「一つの時代が終わり、新たな時代が始まる日米関係の重大な変容を示すものとなる」とした日米同盟新時代がそれだ。その具体的内容が上述の「米国はたった一人で国際秩序を護ることを強いられる必要はない」と日本の自衛隊も「国際秩序を護る」役割を果たすとした岸田首相の米国への誓約だ。
 日米同盟新時代のいまや、わが国に自衛隊の「国際秩序を護る」戦争のできる軍隊化を迫る時代に変容した。それは戦後日本の採ってきた日米安保基軸、「国際秩序を護る」基軸の防衛政策の必然的結果であり、いまや「新しい戦前」という「日本の安保危機」は「日米安保基軸からくる」ことが誰の目にも明らかになる時代になった。

■「国際秩序を護る」防衛は現代版植民地主義「利益線の防護」
 戦後日本がなぜ日米安保基軸「国際秩序を護る」基軸の防衛政策を採るようになったのか?
 それは「敗戦で米国には頭を下げたが、アジアには頭を下げなかった」に象徴される大日本帝国の植民地主義、覇権主義を反省せず、戦後も現代版植民地主義を続けるために「米国に頭を下げ」米覇権秩序の下で覇権する従米覇権国家の道を選択したからだ。
 それは軍事的には大日本帝国以来の「利益線の防護」という植民地海外権益を守るための防衛理念を堅持したことに表現される。戦後、植民地をなくした条件で海外権益は「米中心の国際秩序」という米覇権秩序依存の権益追求となり、「利益線の防護」は「国際秩序の防護」として日米安保という集団的安全保障の形をとって堅持された。
 これを戦後の日米安保基軸の防衛政策とすることで「国際秩序を護る」米軍依存の軍事を今日まで続けてきた。それが「米国はたった一人で国際秩序を護ることを強いられる必要はない」、すなわち米軍単独では米覇権秩序瓦解を止められなくなって、自衛隊にも「国際秩序を護る」戦争を担う役割を強要される日米同盟新時代となった。
 これが「新しい戦前」の正体だと言える。

■「主権線の防護」に徹する「日本を護る」防衛へ
 「新しい戦前」回避のためには日米安保基軸の根本にある「利益線の防護」「国際秩序を護る」防衛からの転換、「主権線の防護」に徹する「日本を護る」防衛政策を新しく提示することが切実、緊要な課題として提起されている。
 それは前にも述べた「撃退自衛、撃退自衛力の保有」そして「敵対国をつくらない強い外交力」また「非戦のアジア集団安保体制の構築」といった防衛政策の提示となるだろう。


 
論点

何故今、石破茂なのか

永沼 博


 自民党の総裁選が関心を呼んでいる。立候補者が乱立する中で、注目されているのが石破茂氏。テレビ出演など露出度も高い。そこで、「何故今、石破茂なのか」を考察してみたい。

■天命、「行き詰まりを打開せよ」
 その石破氏が本を出した(8月7日)、題名は「保守政治家わが政策、わが天命石破茂」。
 石破氏は「天命」について、本の巻頭「はじめに?天命が降りるとき」の文末で「もし、私などが首相になるようなことがあるなら、それは自民党や日本国が大きく行き詰まった時なのではないか。しかも、それは天の声が決めること。天命が降りない限り、それはありえないことでしょう」と述べている。
 「行き詰っている」のは何よりも先ず、米国である。今、米国は米中新冷戦を掲げて衰弱した米国覇権を回復しようとしているが、米国がいくら、民主主義陣営の結束を呼びかけても、それに従うのはG7諸国くらいであり、米覇権秩序反対を公言する中国、ロシアへの支持が高まり、グローバルサウスも合流しつつある。
 自民党や日本の行き詰まりとは、この米国の行き詰まりの下で、これまでの「日米基軸」路線が行き詰まり、それを担ってきた、自民党政治が行き詰まっていることに他ならない。
 日本にとって、米国こそが天であり、天命を下す者であることは厳然たる事実だ。そして今、米国は、「行き詰まりを打開せよ」と天命を下したということではないだろうか。

■そのための「政権変容」
 米国にとって「日米基軸」は死活問題である。日本が「日米基軸」を放棄するようなことになれば、米国覇権は崩壊する。
 そこで「日米同盟新時代」。4月の訪米で岸田首相は「日米同盟新時代」を謳いあげた。
 岸田訪米の直前、エマニュエル・駐日大使が「日米関係の変容」を言い、7月16日には橋下徹氏が「政権変容論」なる本を出した。
 その内容は「国民は、自公政権から野党による政権への交代を求めている訳ではない。政権の交代というより、野党予備選で候補者の一本化を果たし、本選での与野党逆転を実現した上で、野党側が石破氏など国民的に人気のある自民党有力者を総理に担いで与野党合同ともいえる政権への変容を実現するのを求めている」というものだ。
 自民党有力者を首班とする「与野党合同政権」。それは戦前のような戦争のための「挙国一致内閣」、「大政翼賛体制」に他ならない。
 米国は米中新冷戦の最前線に日本を立たせるために、対中軍事対決、対中戦争の「挙国一致・大政翼賛体制」を作れと天命を下したということだ。

■保守の本質は「寛容」?
 石破氏は「保守とは、イデオロギーではなく一種の感覚であり、雰囲気のようなもの」であり、「その本質は寛容だ」と言う。
 この「寛容」の事例として、石破氏が自慢するのが、小泉内閣の防衛庁長官の時に「有事法制」と「イラク派兵」を実現したことであり、その必要性を国会で丁寧に説いて、一部を除く「満場一致」で可決したというものだ。
 「有事法制」、「イラク派兵」は米国が強く要求してきたものであり、石破氏の「寛容」とは、米国の要求に従い、それを国会で成立させるために、どれだけ丁寧に野党を説得するかというものとなっている。
 自民党総裁選とほぼ同時期に行われる立憲民主党代表選では、野田元総理が有力視されているが、野田氏も各種政治討論番組で石破氏と仲のよいところを見せている。まるで石破首班の大政翼賛政治を一緒に作って行きましょうと言わんばかりである。そして、ここに、国民、維新などが合流する動きになっている。
 米国の命令の下、対中対決の挙国一致・大政翼賛政治が強引かつ周到、巧妙に作られようとしている。それは、戦前の挙国一致、大政翼賛政治が日本を滅ぼしたように、日本を滅ぼす。
 自民党総裁に石破氏がなろうと誰がなろうと「日米基軸」は変わらない。「日米基軸」を変えなければ、日本滅亡を阻止することはできない。
 国民は「日米基軸」から「国・国民基軸」への「政権交代」を渇望している。そのことを来るべき総選挙ではっきりと示さなければならないと思う。



投稿

IR万博と称するカジノはもうできない!

古賀 滋


◇箕面(みのお)の変
 大阪府北部の箕面市は、お盆に市議選・市長選がある。私は4年に一度、オリンピックのように箕面へ24年間通っている。今回も市民派候補の応援に入っていた。投票直前の半月間は泊まり込みで、箕面市民みたいであった。市議候補は何とか当選できた。維新より票が少ないが人気が最近高いれいわの公認より19票だけ多かった!
 ともかく選挙は闘争と同じく勝たねばならない。当選確実の報にホッとしていたら驚きの結果が入って来た。維新の市議候補は全員通ったのに、現職の維新市長が大差で、ほぼ無力の新人に負けたと言うのだ。元府議で地域にも根を張り強気の横綱勝負をかましていたのに、大方の予想を覆して高転びした。直前の6月市議会で、メタンガス万博会場へ子ども達を動員するのは危険ではないか、と質問した市議に、市長席から「万博来るなよ。出入り禁止や!」と大声で言い渡した。疑問の声が上がっても「撤回も謝罪もしない」と強情を張っていた。

◇潮目が変わった
 流れが変わったのは吉村洋文大阪府知事が「それは不適切では?」とたしなめた事だった。吉村氏はテレビ朝日にいた玉川徹氏に今年4月「万博出入り禁止」を通告して、後に撤回謝罪に追い込まれていた。学習能力がないのか、もともと粗野なのか、同じ暴言を吐いた維新箕面市長上島一彦氏に批判が沸き起こり、横山英幸大阪市長も批判を加えた。傲慢な上島箕面市長もあわてて「撤回」を言い出した。実際に謝罪したかどうかは分からないが、時すでに遅し!桜並木を切りまくったり、水路埋め立てや公共切り捨ての維新施策を断行していた事も相まって、静かに批判が高まっていたらしく現職維新市長初の敗戦となった。

◇維新の終わりの始まり
 結果は衝撃的だ。維新現職が1万8千に対し、無所属新人が3万2千。大阪維新の会代表である吉村氏が「もう完敗です」とコメントしたほどだ。敗因は上島氏の「力不足」では断じて無い。維新政治の誤りに市民がようやく気付いたのだ、端的な誤りが万博・IRと称するカジノ公金建設である。万博関連だけでも3500億円が浪費されており、既に当初見積もりの倍。オリンピックより建設コスト暴騰がひどいのでさらに膨れ上がる事も予想できる。1兆円越えの予測すらある。入場チケットも目標の3分の1しか売れておらず、このままでは府民・市民・日本中に住む人全ての国税から徴収する事になる。また図のように随所でメタンガスなど有毒物が吹き出す恐れが多い。超軟弱地盤で建物建設に不向きなのは当初からわかっている。地震や津波の際には液状化現象や沈没が多発するだろう。万一の時は最大20万人の子どもと大人が「夢洲と心中」する事になる!

◇まず万博断念、そして維新政治の終わりを!
 万博IRは半年の期間開催だが、数年後に開業するつもりのカジノ博打場で儲けたら良いと思っているかもしれないが、博打で家を建てた人より、お金を使い果たして人生が破綻した人が圧倒的に多い。カジノの胴元も全世界で落ち目なのだし、多分夢洲カジノは業者が手を引く。儲かりそうなら二けたぐらいの応募があったはずなのにMGMオリックス連合しか無かった事が不人気の証明。
 博打で一発逆転のチャンスは永遠に来ない。その時、橋下、松井、吉村、横山氏らは「いない」。ここは賢明な納税者が小都市箕面の偉大な市民に見習い「万博もカジノも維新政治も終わり」の宣言をするしか、暮らしを破綻から救う道はない!



 

未来アジア学習会のお知らせ

編集部


 今夏クルーのドラマの中で興味深く見たのが「笑うマトリョーシカ」だった。  望月衣塑子さんを彷彿させる女性記者が、自身の父親の死とも関連する政権内部の疑獄と、総理の座まで上り詰めていく若き政治家の後ろで彼を操っている何者かに迫っていく物語だ。
 見終わって私の脳裏に一番に残った言葉は、疑獄事件を追って殺された主人公の父が残した「みんなが知るべきことをちゃんと知ることができたら、世の中はもっとよくなる」であった。
 なぜ生活がこんなに大変で、米国に頭が上がらず、軍事費の増大、戦争のできる国つくりを押し進める自民党政治が続くのか? なぜ国民はこんな政治に異議を申し立てないのか? それは知るべきことが知らされてないから?
 そう考えたとき、今の日本で私たち国民に知らされていないことは何であろうか。知るべきこととは? それはさまざまにあるだろうが、個々の運命にとって一番重要なことは、いま世界がどう動いているのか、日本はどこに向かって進んでいるのか、その中で私たちの運命はどうなろうとしているのか、ではないだろうか。
 しかし、「欧米の情報の垂れ流し」という言葉に表されているように、一方の側からの情報だけに晒されているというのが、日本国民がおかれている現状である。
 日本では、G7に代表される「主要7か国」と呼ばれる国々の立場、目から見た情報が主流に流されている。しかし、世界はG7に組しない「内政不干渉」「主権尊重」を是とする「BRICS」(ブリックス)や「SOC」(上海協力機構)「FUNC」(国連憲章を守る有志グループ)などなどが形成され、ドルに代わる新しい経済圏の構築や活発な交流を通し、今や人口は1割、GDPも44%と存在感を薄くしているG7を凌駕しようとしている。つまり、世界は欧米の支配する世界から大きく変わりつつあるということだ。
 いま繰り広げられている米中対立や本質的には米ロ戦争のウクライナ事態、パレスチナでの戦いなどなどは、力を弱めた覇権国家連合と主権尊重の新しい国際秩序を形成しようとする新興非覇権勢力との天下分け目の決戦の端緒ともいえるものであると見ることができる。この戦いでどちらが勝者になるのかは明らかだ。振り子の揺れはあるにしても時代と民衆の要求を体現した新しいものが古いものに勝利するのは歴史の法則である。これから先何年、何十年かかるかは分からないが、世界は米国中心の覇権世界には決して戻らないだろう。
 こうした世界の大転換期にあって、日米基軸を御旗に掲げ、米国と運命を共にしようとしている日本政府、力の弱まった米国に代わり、進んで対中代理戦の準備を進めている現政権、国民生活の困窮には目を向けず、莫大な税金を米国のための戦争準備に注ぎ込んでいるのが日本だ。日本国民にはこの先にどんな未来が待ち受けているのか?
 未来アジア学習会では、日本がこのような道に突き進まないよう、もう一つの世界、別な視点からの世界を学び、それを提供し、議論し、認識を共有してゆきたいと思っています。
 8回目を迎える学習会を以下の通り行います。ふるってご参加下さい。



資料 関東大震災101周年朝鮮人犠牲者追悼式

小池都知事の追悼文送付拒否弾劾! この悲劇繰り返しはせぬ!

近藤徹・レイバーネット2024・9.2


 台風の影響で一般の人の参列は遠慮して欲しいとの実行委の「お知らせ」があったが、どうしても追悼碑の前で手を合わせたいと、9月1日11時、両国・都立横網町公園での「関東大震災101周年朝鮮人犠牲者追悼式典」に参加した。
 追悼式が始まる頃には、大勢の参列者で溢れかえる状況だった。今年の追悼式は、時間を大幅に短縮して行われた。日朝協会東京都連会長・宮川泰彦さんの開式のことば、浄土真宗本願寺派僧侶・小山弘泉師の読経、韓国伝統舞踊家・金順子(キム・スンジャ)さんによる毎年恒例の「鎮魂の舞」と続いた。最後に4人の人が代表して献花した。
 私は舞に合わせて、自らの「鎮魂」の思いを再確認した。101年前、関東大震災の混乱の中、「朝鮮人が井戸に毒を入れた」「暴動を起こした」などのデマで6千人以上の朝鮮人、約700人の中国人が軍隊・警察・自警団により虐殺された悲劇の歴史、また震災後のどさくさの中で、近くの亀戸地域の少なくとも10名の社会主義者・労働運動活動家らが、軍隊、官憲により虐殺された事件(亀戸事件)、震災直後の9月16日の大杉栄とその妻伊藤野枝、甥の橘宗一(6歳)の3名が甘粕憲兵大尉によって虐殺された大杉事件のことを思った。
 さて、この追悼碑は、二度と不幸な歴史を繰り返さないことを願って、震災50周年の1973年に都立公園内敷地に建立された。それ以来歴代都知事は例外なくこの式典に追悼文を寄せてきた。ところが小池都知事は2017年、追悼文送付を取り止め、今年で8回目となる。小池都知事は、追悼式典実行委員会、多くの識者、都議会野党議員らの要請にもかかわらず、震災101周年の今年も、「震災犠牲者全体の式典をしている」ことを理由に追悼文送付を拒否した。すなわち震災という自然災害の犠牲者と権力などによる人為的な朝鮮人・中国人大量虐殺を同列に置き、歴史上の事実を否定する歴史修正主義であり、民族排外主義に他ならない。虐殺された朝鮮人・中国人犠牲者を踏みつけにする「人類の敵」といわなければならない。


ホーム      ▲ページトップ


「アジア新時代と日本」編集委員会 〒536-8799 大阪市城東郵便局私書箱43号