研究誌 「アジア新時代と日本」

第25号 2005/7/5



■ ■ 目 次 ■ ■

時代の眼

主張 日本の国連外交を問う

研究 EU憲法条約「NO」の教訓

文化 うざくないよ、「ジモトモ」は

朝鮮あれこれT −南北共同宣言5周年「6・15統一大祝典」− 6月15日は統一の日

朝鮮あれこれU アイスクリーム探索

編集後記



 
 

時代の眼


 「ハゲタカ」から経済活性化の「救世主」へ。このところファンドのイメージが大きく変えられてきています。それとともに、外資系ファンドを血も涙もない外敵として排撃する、一頃盛んだった「平成の攘夷論」も、とんと音沙汰無しになってしまいました。
 先頃一斉におこなわれた株主総会では、「もの言う株主」としてのファンドの「雄姿」が喧伝されました。ファンドのおかげでこれまでの「しゃんしゃん総会」が会社経営に革新を起こす意味のある総会になったということです。
 総会だけではありません。株主の利益第一の立場からのファンドの発言が日常的に会社経営を左右するようになっています。会社役員への賞与の削減、諸経費の合理化、旧弊にとらわれない会社運営の刷新、そして何より効果的な大型投資、等々、それにより経営が上向き、株価が上がり、配当金が増えた例が新時代を象徴するかのようにいろいろと挙げられています。
 しかし、見方を少し変えただけで、この同じ事態もまったく異なる意味を持つようになります。ファンドの発言力の強化は、外資による日本企業の買収や商法改正による社外取締役制化と外人重役の送り込みなどと同じ効果を持ちます。すなわち、日本 の企業を外資が左右するということです。
 また、ファンドの立場は、どこまでも株主の利益第一です。日本と日本国民の利益ではもちろんなく、会社の利益でもありません。だから、日本の経済がつぶれようが、会社がつぶれようが関係ありません。と言うことは、時と場合によっては、ファンドが日本と日本国民に敵対するようになるということです。
 だが、だからと言って、外資系ファンドを攘夷することにはなりません。それは、自明なことです。
 ならば、どうするか。ここで重要なのが主権です。国と国民には外資のわがまま放題を許さない権利があります。外資が自国で活動する以上、税金を払ってもらうし、払わなかったら罰する権利があり、国と国民にとって不利益な行動は規制する権利があると言うことです。この主権に関する思想を、まず日本自身が、そしてアジアが、世界が確認し行使するようにすることが重要です。
 それは、「攘夷か開国か」の闘いの後、開国しながら主権問題を曖昧にしたため、その後の不平等条約と欧米追随の歴史が余儀なくされ、今に至るまで続いている日本の深刻な教訓なのではないでしょうか。


 
主張

日本の国連外交を問う

編集部


■日本外交の失態
 日本の懸案とされる、国連常任理事国入り。アナン国連事務総長の9月までに国連改革をとの提案に合わせ、日本は、ドイツ、ブラジル、インドと組んでG4を形成し、これにアフリカ2カ国を入れて常任理事国を6ヶ国に拡大し、非常任理事国も25カ国に拡大するという「枠組み決議案」を作成しました。この案がフランスの支持を得るなど日本の常任理事国入りは大きく前進したかに見えました。
 だが、現在雲行きは決定的に悪くなっています。こうした動きに反対の姿勢をとりつつあった米国が6月16日に国連改革に関する包括的提案を発表し、その立場を明確にしたのです。
 それによると、「拡大常任理事国は、日本を含む2ヶ国程度にし、拒否権は与えない」、G4による「枠組み決議案」は「安保理の効率性を損なう懸念がある」として支持せず、非常任理事国の拡大も2、3ヶ国にとどめるべきだとしています。
 日本は、米国が当然、日本案を支持するだろうと考えていたようです。その影響力を行使してもらい、自らはアジア、アフリカ諸国にカネをばらまいて支持を得ていくという作戦でした。が、肝心の米国が反対するようになり、当面、常任理事国入りはなくなりました。
 米国をあてにした日本外交の失態、何とも情けないことです。

■国連民主化と米国流「国連改革」
 米国は、この提案で、常任理事国入りに必要な「新基準」を明らかにしました。それは、「国連平和維持活動に必要な軍事力」「国連への財政貢献」の二点を軸に、他に「人口や経済力を含む国力」「人権や民主主義の順守」「反テロ、不拡散への協力」などとなっています。
 そして米国は、この「新基準」を「国連改革の新たなアプローチ」にするとしています。
 元々、国連改革は、「国連の民主化」として提起されてきました。
 国連の最高決定機関は総会だと規定されていますが、実質的には、総会に決定権はなく一部の国々で構成される安保理事会で討議決定されます(「安保理が任務を遂行中の問題については、総会はいかなる決定もしてはならない」という憲章規定もある)。そして、その安保理事会の中でも拒否権をもつ常任理事国が最終決定権をもっています。
 この非民主的な仕組みに対し加盟国の圧倒的多数を占める発展途上諸国は、総会を実体的にも最高決定機関にするなどの改革を要求してきました。
 この国連民主化要求は、第三世界諸国による非同盟運動が盛り上がりを見せた70年代から80年代にかけて強く打ち出されてきました。
 注目 すべきは、この期間、「米国の国連離れ」という事態が起きたことです。米国は、77年にILO(国際労働機関)から、85年にはUNESCO(国連教育科学文化機関)から脱退し、その年から国連分担金の納入を拒否します。
 しかし、91年の湾岸戦争において、多国籍軍を組織し、これに国連のお墨付きを得ることに成功した米国は、国連を再び利用価値のあるものに「改革」することを狙うようになります。
 これがまさに米国が狙うもう一つの「国連改革」です。そして今回、米国が打ち出した「包括的提案」は、国連民主化の要求と真っ向から対決するものとなっています。
 そこに込められている思想は、あくまでも国連は大国中心で運営すべきであり、小国が対等な権利を要求するなど認めないということです。そして、そのために、常任理事国を増やしても日本のような対米追随する国だけにし、それも、米国の「人権と民主化」戦略を支持し、反テロ戦争に武力を提供する国でなければならないと言っているということです。

■一極化と多極化を背景に
 国連は国際社会のカガミと言われます。それは世界の全ての国が一同に会して、さまざまな国際問題を協議するだけでなく、それに対する各国の態度、その関係などが、そこに現れるからです。
 そのように見たとき、国連改革における二つの考え方は、まさに今日の米一極支配とそれに反対する多極化の動きを反映していると見ることができます。
 先月5日、バンドン会議開催50周年を記念して、インドネシア・ジャカルタでアジア・アフリカ諸国の首脳が会合し、新アジア・アフリカ戦略的パートナーシップ宣言が出されましたが、そこでは、今日の時代におけるバンドン精神の重要性を再確認しながら、国連改革と関連して、「多国間主義による取り組みの重要性と国際法の遵守を強調し、国連などの改革で多国間主義を強化する」ということが確認されました。
 これについてインドネシアの評論家が「この会議は、国連改革でも意義深いものであった」としながら、「国連改革の議論の中では途上国といえども大国と対等の立場である」と指摘しています。
 まさに、世界人口の73%を占めるアジア・アフリカ諸国の一致した立場は、どのような小さな国も国際社会の成員としてその自主権を尊重され、主権国家として平等であるということであり、そうした自主的で民主化された国際社会を希求し、国連改革もそのようなものでなければならないということです。
 日本外交の失敗は、大国として国際的に公認された地位が欲しいと、自分のことだけ考え、米一極支配に対して多くの国々が反対し多極化を志向するようになり、それが大きな時代の流れになっていることを見ようとしないことにあります。
 すなわち、あいも変わらず、強大な米国が動けば、小国は言うことをきくしかないと考え、米国に頼っておればうまく行くという旧態依然とした考え方でいたための失態ということです。

■どういう世界を作るのかをまず考えた上で
 国連改革は、それ自体に目的があるというよりも、どのような世界を構築するのかということがまずあり、そのために国連がどのような役割を果たし、そのためにどう改革するかということでなければならないと思います。
 今日、世界の大多数の国々は、米国が他国の主権を平気で踏みにじり、経済的にも軍事的にも自分の利益だけを考え他国を無視し勝手に振る舞う米一極支配に反対して、世界の民主化を要求しています。そして、同じ地域にある国々は、互いに主権を尊重して助け合って経済的にも発展していく平和で繁栄した地域共同体をつくる動きを加速させています。
 米国は「人権と民主化」を内政干渉の道具にしていますが、本当に民主化された国際社会は、小さな国も大きな国も主権国家として平等であるという関係でなければならないのは当然です。
 日本は、米一極支配に反対し世界の真の民主化を目指すべきです。そのために、日本は、アジアの国々と信頼関係を改善強化していくべきであり、靖国神社問題も彼らの言い分を深く理解したのに基づき積極的に解決していかなければなりません。
 アジアばかりでなくアフリカやラテンアメリカ欧州の国々とも連携を強めていくべきです。
 そして、米国に対しては、「最も親しい同盟国」として、米国が正しい国際認識をもつように積極的に働きかけていくべきです。それが、国際社会のため、日本が果たしていくべき役割ではないでしょうか。


 
研究

EU憲法条約「NO」の教訓

小川 淳


 欧州連合憲法草案をめぐるオランダの国民投票は反対票が6割に達した。発効には加盟25カ国すべての批准が必要で、これまでドイツなど10カ国が批准しているが、これでフランスの国民投票に続く「ノーの連鎖」となり、EUがめざす2006年秋のEU憲法成立は極めて難しくなった。
 「市民意識追いつかず」「市民の原理、時間が必要」「暮し激変の恐怖」など、識者の分析は様々だ。
 EUのあり方をめぐっては、二つの対立する考えがあるようだ。一つはEUをグローバル経済と連関する自由貿易圏としてのみ発展させようとする考えであり、もう一つは地域共同体として発展させようとする考えだ。
 それは、二度にわたる悲惨な欧州での戦争の教訓から、EU市民としての理念に重点を置き地域共同体をめざす仏・独と、政治よりもアングロサクソン流の市場原理による統一市場をめざす英国との対立として顕在化している。
 EU憲法は「人間の尊厳、自由、民主主義、平等、法の支配、少数者の権利」を掲げている。これらの「EU市民」という崇高な理念が、単一通貨統合や25ヶ国への拡大とEU統合の推進力となってきたのは事実であるだろう。
一方で、急激な市場原理による経済統合がもたらした「暮しの激変」も顕在化しつつあるようだ。
 フランスでの国民投票分析を見ると、パリなど大都市で賛成派が過半数を占め、逆に失業率12%を超える地方では反対派が60%を超えている。50歳以下では約6割、労働者や一般社員の約7割が反対票を投じたという。総じて、都市部の管理職やエリート層が賛成し、勤労大衆などの非エリート層が反対という図式が浮びあがってくる。
 その背景には、EU拡大で東方からの安い労働力や農産物の流入や恵まれた35時間労働制の崩壊など、域内の早急な自由貿易圏化による国民経済崩壊と既得権喪失への危機感があるようだ。
 スペインの大手銀行が有力英銀を吸収したり、イタリアの有力銀行が独二位の銀行を買収するなど域内企業再編の中で、自国の代表的企業がつぎつぎと姿を消し、モノつくりを重視し、企業を共同体とみるドイツ型や、労組と協調をはかるフランス型といった独特の経済様式も崩壊しつつある。
 また、「民主主義の赤字」と言われるように、ブリュッセルのEU官僚によって、EUの政策が自分たちとは関係なく勝手に決められることへの強い不満や不安も指摘されている。
 週35時間労働制など各国の経済様式であれ、自らの運命は自ら決めるという政治的権利であれ、それらは数百年の「国民国家」の歴史の中で勤労者や農民が闘い権利として獲得したものであり、国家主権と一体に担保され保障されてきたものだ。
 今回の選挙結果は、「民主主義の赤字」や早急な市場経済化など国家主権否定の統合の論理だけが優先されるEUの現状に対し、自らの主権喪失を恐れたフランスやオランダ国民の反発と見ることができるだろう。
 各国主権への干渉や制限によってのみ地域共同体の一体化は可能である、このような見方がおそらく一般的ではなかろうか。しかし、敗戦国ドイツのように対米従属性の強かった国のあり方を、EU共同体に依拠することで脱した国もある。各国の主権の強化とEU共同体の利益は本 質的に矛盾していない。EUに加わることで各国の主権と自立性が強まり、各国の自立性が強まることにより、EU共同体内の結束が一層、強まる、このような主権と地域共同体の統一を、アメリカに対してだけでなくEU諸国相互間においても、どう実現していくのか、EU統合の鍵はここにありそうだ。
 独立した主権国家を超えて全欧州を一つの共同体に統合するというEUの歴史的試みは、今後のアジア共同体を築く上でも、一つの重要な教訓を示している。
 EUよりも歴史的、文化的にはるかに多様なアジアにおいて、各国の実状を無視した自由貿易圏構想や大国主導の政治共同体の追求だけでは利害の一致は図れない。アジア各国がともに運命を切り開いていく一つの地域共同体を築くためには、そこに加わることによってむしろ主権国家としての政治的、経済的土台がより一層強化される、そのような主権と地域共同体の利益が統一された、EUとは違うアジア独自の新たな共同体モデルを作り出していけるかどうか、東アジア共同体の成否はここにありそうだ。


 
文化

うざくないよ、「ジモトモ」は

若林盛亮


 ♪この想い 君に届け ・・・変わらない青森駅 抱きしめた
 青森出身のバンド「マニ☆ラバ」が歌う「青森駅」。上京する恋人への思いを歌う。「地元にこだわった曲づくりをしていきたい」という19歳と20歳の地元の工業高校卒業生でつくったバンドだ。全国的にヒットの兆しを見せているという。
 ♪アルファベットでOTA・・・愛すべき蒲田名物 ワンカップオヤジ
 地元出身者でつくるラップグループ「太田クルー」。彼らのライブでは「どこ中(どこの中学校出身?)」と聞き合うことが多く、「見知らぬ同世代と、地元の話題で盛り上がる」そうだ。
 ♪誰がなんと言おうと綾瀬RIVER− と歌う足立区出身の高校同級生らでつくるBACK−ON(爆音)のCDタイトルはずばり「ADACHI TRIBE(足立族)」。
 生まれ育った地元への思いを歌った若者たちの曲が相次いで誕生。「誰がなんと言おうと」の地元志向の強さは意外性をもって見られている。
 「ジモトモ」という新語が生まれている。地元の友達を指す。このジモトモと一緒にいるのを好む若者が増えている。「昔から知っているので気取らなくて良い」というのがその理由。足立区のBACK−ONメンバーも「田舎臭いし治安も悪いけど、育った場所だから居心地がいい」。
 これまでは高校や大学に入り、就職もすれば地元やその友人とは疎遠になったものだ。生きる世界が異なり共通の話題もなくなって、うざったい、ダサイ存在でしかなかった。それがいま、「ジモトモがいい」と脚光を浴びるようになった。
 勝ち組、東京都心だけが輝く一極集中主義、「もたれあい」「日本型集団主義」と非難された共同体的な人間関係否定の時代の空気に対し若者からノンが突きつけられている。「強くならなければ」「勝たなければ」という肩肘張ってしか生きられない優勝劣敗日本のあり方への疑問だ。
 この疑問への回答−これまで「ダサイ」と思われてきたもの−「青森駅」「ワンカップオヤジ」「綾瀬RIYER」が見直されている。「ジモトモがいい」−「うざったい」とされた共同体的な人間関係の再生、回復が始まっている。
 「かつては中高年と子供ばかりになりがちだった地域に、多世代の力を取り込むコミュニテイーに生まれ変わる好機」とこうした若者に新しい共同体づくりの期待が集まる。それは単に古きよき昔の共同体への回帰ではない。親方日の丸、会社主義など自我なき個人のもたれあい的「日本型集団主義」とは異なる共同体、いったん否定された古い共同体の教訓を踏まえ、中央や親方依存でない人々の自決に基づいたコミュニテイーにきっと生まれ変わるだろう。
 地元愛、ジモトモ志向のいまどきの若者に日本再生の新しい力を予感する。


 
朝鮮あれこれT −南北共同宣言5周年「6・15統一大祝典」−

6月15日は統一の日

赤木志郎


 6月15日、南北共同宣言5周年を迎え、「6・15統一大祝典」が平壌で催された。
 北と南の首脳が初めて出合い署名した「共同宣言」は、敵対から和解へ、対決から共助への転換をなしとげ、北と南の統一の扉をあけ朝鮮半島の冷戦を終結させた歴史的意義をもつものだった。
 その後5年間、毎年、6・15記念行事が催され、非転向長期囚の北への送還、離散家族の面会、軍事・経済・体育・文化分野での会談が行われ、相互の誹謗中傷の中止、道路と鉄道の連結、経済交流の活発化、開城工業団地の操業開始、オリンピック入場での統一入場行進などが実現した。金剛山観光は陸路が可能になってさらに活発におこなわれ100万人を突破した。
 この過程で、南側の北側にたいする「敵視」意識がなくなり、「半島で戦争は二度と起こさない」「同胞としてともに共存、共助していこう」というのが圧倒的な国民世論となった。
 6・15宣言の基本 精神である「ウリ民族キリ」(わが民族同士で)のスローガンは、まさに自分たちが統一の道を切り開く主人となり、両政府 、民間、海外同胞など皆一体となって力強く統一事業をおしすすめていく使命感と決意を示している。
 5周年を祝う行事は3日間にわたり、南北政府 、民間、海外から参加し、夜会、大行進、民族統一大会、共同写真展、6・15賞統一バレーボール大会と体育競技会が行われた。翌日、金正日国防委員長が鄭東泳統一相、そして前統一相など南北首脳会談縁故者、文益換牧師夫人らと会見した。
 一連の会談の中で、ソウルで開かれる8・15光復節60周年行事への北側代表団の招待、10カ月間途絶えていた北と南の軍事、経済などの会談の再開、離散家族の再会などが決められた。
 こうした中、特記すべきことは、「民族統一宣言」を採択し6・15を「統一の日」と定め、南北共同宣言を実現していく統一委員会を機軸にして民族統一運動を展開していくことが決定されたことである。これは、民間だけでなく政府 レベルまで含む強力な民族統一運動への発展を意味する。
 こうした動きに対して、日本では「祝典の陰、漂う危機感」(朝日新聞)、「進む交流、進まぬ核解決」(日経新聞)など冷ややかな態度である。日本はアジアの一員として隣国の民族の和合を祝福し、統一を実現することに少しでも寄与していくべきではないだろうか。それが日本とアジアの平和と繁栄のためになるのは明らかです。


 
朝鮮あれこれU

アイスクリーム探索

若林佐喜子


 ピョンヤンはいつもより早い梅雨入りで、毎日むし暑い日が続いています。そんな中、目に入るのは白地に青のパラソルを立てたアイスクリーム屋さん。一昨年前から急に増えはじめ、商店街では「10メートルも歩けばアイスクリームに当たる」といってもおかしくないほど。
 それで、今回、ピョンヤン市内を「アイスクリーム探索」してみました。
 最初の商店の食品売り場をのぞくと「ポクスンア・オルンムカジャ(桃の氷菓子)」「カカオ・オルンムカジャ(ココア氷菓子)」「健康エスキモ」の3種類があり、早速購入して食べてみました。ポクスンアはかわいい桃が描かれた包装紙で、ほんのりピンク色でこってりとした甘さ。カカオはココアがうっすらかかり、さっぱりしたカルピス味。健康エスキモのパッケージには「子供たちの成長発育を促進、皮膚を美しくし元気回復…」の宣伝コピーがあり思わず笑い。
 次の商店では、カップ入りが2種類。相向かいの広場には、涼しそうなパラソルがたつ移 動販売所。白いテーブルと椅子が置いてあり、子供連れの夫婦とおじいさんが美味しそうに食べていました。一緒にちょっと休憩して、案内表を見ると落花生ココアアイス、ココアアイス、ココア牛乳アイスクリーム、季節アイスクリーム(夏はいちご)など。
 動物園や遊園地はもちろん、街角にこのような移 動販売所がたくさんあります。郊外の農村地帯の十字路にもアイスボックスが登場し、キャンデーを求めて生徒が寄り道したり、自転車を停めて涼む人々の姿で賑わっていました。
 探索してその数に改めて驚くばかりです。どうして、こんなに多くのアイスクリームが? とその分野の知り合いに思わず尋ねてしまいました。
 その人の話によると、アイスクリームは子供から大人まで需要が多く、材料も製造工程も簡単で作ってすぐに売れるので回収率が良い。そこで皆がアイスクリームに着眼し、商品が次々に出るとのこと。
 アイスクリーム探索では、惣菜や菓子類の多様さも発見。駅前通り一帯の建物と歩道はモダンに改装され、広場ではマスゲームの練習がすすむエネルギッシュなこの頃のピョンヤンです。


 
 

編集後記

魚本公博


 18万人もの犠牲者を出した6月23日の沖縄戦集結の日から8月15日の終戦の日まで、否が応でも戦争を考えさせられる日がつづきますが、今年は戦後60周年という節目の年で、ことさらです。
 ところで朝日新聞の世論調査によると、あの戦争について、「まったく知らない」「あまり知らない」と答えた人が、全体で38%にも達するとか。
 そこで次号は、あの戦争はどういう戦争だったのか、平和を守るために日本は今何をしなければならないのかなど考えていきたいと思っています。読者の皆様の寄稿も歓迎します。


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