研究誌 「アジア新時代と日本」

第24号 2005/6/5



■ ■ 目 次 ■ ■

時代の眼

主張 今、国民が求めているのは9条自衛

研究 −靖国問題− 日本とアジア民衆の心はひとつ

研究 アメリカンドリームに代わる夢

朝鮮あれこれ ひばり温泉

編集後記



 
 

時代の眼


 ネット自殺や犯罪の低年齢化、凶悪化など、今日の日本の状況を嘆く声は小さくありません。石原慎太郎氏もその一人のようです。援助交際や純愛が流行る現代を「仮想と虚妄の時代」として文春5月号で慨嘆していました。
 彼は、どうにも今の日本の国も人も信じられないようです。若い娘は小遣い銭稼ぎに平気で身を売り、若い男たちはそういう女の子たちを性行為のための道具としか見なさず、おばさんたちは韓国製純愛ドラマの虜になっている。おまけに、国は国で、北朝鮮の脅しに屈服し、いまだに「話し合い」だ何だとピント外れなことばかり言っているというわけです。
 そうした彼にとって、もはや理解の域を超えているのがネットによる集団自殺です。自分が選んだ死の不安に自分一人では立ち向かえない信じられないような虚弱さ、ここに現代日本全体の虚弱さが象徴されているのではないのか。そうとしか考えられない彼が、日本再生の微かな希望を、人々を仮想から目覚めさせ虚妄から解き放つ朝鮮戦争など「外からの刺激」にのみ託すようになるのは必然だと言えます。
 自分自身の力を信じられない者は、いくら国を憂い、その行く末を案じても、ただ嘆くだけに終わってしまうものです。石原氏が本当に愛国の衷情を抱くのなら、まず自分の同胞兄弟たちを愛し信じ、彼らの身になって考え、彼らに自身と日本の運命を託すところから始めるべきでしょう。ネット自殺や援交の若者たちの弱さの中にも、人間として生きる意味や価値を求め人と人とのつながりを求める意思を見、それが果たせない苦しみやその絶望的な虚しさを彼らと共有しながら、あくまで共にそれを探し求めつかみとっていく姿勢がなにより大切なのではないでしょうか。
 日本再生の希望は、そこからのみ生まれてくるではないかと思います。「外からの刺激」に頼る戦争待望論がその逆の結果しかもたらさないのは余りにも自明なことだと言えるのではないでしょうか。


 
主張

今、国民が求めているのは9条自衛

編集部


■憲法世論調査、求められているのは改憲か?
 憲法記念日である5月3日を前に、朝日新聞が行った世論調査によると「改憲支持」は56%で、他の新聞では6割を超えるところもあります。
 しかし、9条改憲については反対が過半数(51%)を占めました。それは世代を問わず、自民党支持層でも賛成は半数以下(48%)です。
 注目すべきは、「9条について、日本が自衛隊をもっている実態に合わないという指摘があるが、9条と自衛隊の関係をどうすべきと考えるか」という設問がなされ、その答えとして、「これまで政府の解釈や運用で対応してきたので憲法改正の必要はない」が16%、「自衛隊は今のままでよいが、憲法を改正して存在を明記」が58%で「普通の軍隊とするために改正すべきだ」が12%。、「違憲なので段階的に縮小解消すべき」7%となっていることです。
 朝日新聞は、改憲の危機とばかりに、一面トップに「憲法『自衛隊規定』7割」と大きく報道しました。しかし、これをもって、国民の多くが改憲を支持したと見ることができるでしょうか。
 今、自衛隊は、平和憲法がありながらイラクに出兵しています。それでもまだ、憲法の手前、イラクの人道復興支援のため、戦場ではない場所で、米軍の指揮下に入らない、武器は使用しないなどという制限が建前にすぎないとはいえ付いています。改憲勢力は、こうした制限を撤廃し、米国の反テロ戦争に本格的に参戦する軍隊にしようとしています。
 憲法で「規定すべき」の中には「自衛隊を野放しにせず憲法で規制すべき」というのも入っており、それゆえ「自衛隊規定」が7割に達しながらも、「9条改憲反対」が過半数を超えるという一見矛盾する結果が出たのであり、これをもって改憲=9条改憲が支持されているとは到底ならないでしょう。

■今、国民が求めていること
 今回、新聞の世論調査で、「憲法で自衛隊を規定」という設問がなされたのは、衆院憲法調査会の最終報告で、半数以上の賛成とあったものとして「9条1項の戦争放棄の理念を堅持しつつ、自衛権・自衛隊について、何らかの憲法上の措置をとることを否定しない意見が多く述べられた」と提起していることと関連していると思います。
 これまで9条改憲については、9条に「国際協力」を行うなどの項目を入れて、「集団的自衛権」を行使できるようにするというものでした。しかし、それには強い反対があります。今回の世論調査でも「集団的自衛権」については「使えないという立場を支持する」が38%、「憲法改正せずに解釈で使えるようにする」が25%で、「改正して使えるようにする」は、わずか28%にすぎません。
 そこで、「自衛権・自衛隊」を憲法に明記するということで、「集団的自衛権を行使できる」ようにして、それによって9条改憲を果たそうということなのでしょう。
 実際、自民党の新憲法起草委員会はすでに、「集団的自衛権」については憲法に明記せず、別に安全保障基本法を制定して集団的自衛権の行使のあり方を規定し、改憲は、9条2項に「自衛隊容認規定」を入れることを目標にするという方向を打ち出しています。
 確かに「憲法に自衛隊を規定する」が7割にも達したことは改憲勢力にとって追い風でしょうし、彼らは、これを最大限活用していくでしょう。
 しかし一方で、「9条改正反対」(すなわち、9条戦争放棄理念の堅持)が過半数に達したことは、国民の多くが、自衛隊を野放しにするのではなく、9条戦争放棄理念の中に閉じ込めることを求めているのではないのか、ということです。
 果たして、そういうことが可能なのか。
 今、護憲平和勢力には、それが可能だということを、9条それ自体の中に探し求め解明し、それを国民に提示することが求められています。これができなければ、「憲法に自衛隊を規定する」7割は、そのまま9条改憲支持になってしまうでしょう。

■「9条自衛」!!!
 憲法9条は、決して自衛権を放棄し全くの非武装を規定したものではありません。
 第9条は、1項で「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては永久にこれを放棄する」 2項で「前項の目的を達成するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権はこれを認めない」となっています。
 1項は、国際紛争で武力を使ったり戦争はやらないのはもちろん、国権の発動としての自衛戦争も認めていません。それは過去、自衛の名で他国に派兵し干渉、恫喝、侵略戦争をしてきたことを深く反省し、自衛を口実としての戦争を一切できないようにしたものだということです。
 しかし、9条は決して自衛権を否定するものではありません。これについては、たとえ憲法に明記されなくても国家として自衛権は必然的に所有する「自然権」であると解釈されるだけでなく、実際、現憲法は、このことに関して周到にそれを認めています。
 それは、憲法成立時の過程を見れば明らかです。その基本内容を指示したマッカーサーノートでは「国家の主権的権利としての戦争を放棄する。日本は紛争解決のための手段としての戦争、および自己の安全を保持するための手段としてのそれをも放棄する。日本は、その防衛と保護を今や世界を動かしつつある崇高な理想に委ねる。いかなる日本陸海空軍も決して許されないし、いかなる交戦者の権利も日本軍には決して与えられない」となっています。
 しかし9条は、「他国との紛争解決の手段として放棄する」に限定し、「自己の安全を実現するための手段」は削除しています。そして、そのことを強調するために芦田修正案をもって、2項の最初に「前項の目的を達成するために」を入れました。また、「日本は、その防衛と保護を今や世界を動かしつつある崇高な理想に委ねる」という部分も削除し、日本の平和を何か外からの崇高な理念とか国際機構に任せるのではなく、それを主体的に守っていくものとしたのです。
 では他国による侵略に対して具体的にどうするのか。それは、敵が日本の領土・領域に侵入してくれば、撃退戦を展開するということであり、そのための撃退武力を持つことができるということです。
 9条は、絶対に過去の過ちを繰り返してはならないという決意の下、自衛の名でも戦争できないように「戦争放棄」し、ただ自国領土への侵入を撃退する徹底した自衛のみを認めているのです。
 9条をこのように捉えてこそ、「9条の戦争放棄理念を堅持」したいとする国民の切実な要求と自衛権とそのための武力は持つべきだという、これまた当然の要求を正しく結合して捉えることができます。
 それは「憲法と乖離」した自衛隊を本来のあるべき姿にもどす端緒となり、自衛隊を米国の反テロ戦争のための傭兵にしてしまうような改憲策動に反対する最も鋭い法的根拠を与えるでしょう。

■9条自衛を掲げ、憲法大論議を
 これまで、色々な憲法論議がなされてきましたが、結局、それは9条改憲のための「地ならし」「呼び水」でした。
 今や、改憲が政治日程化される段階にあって、焦点は9条改憲です。そして、それは、米国の強い要求によって進められています。それは、アーミテージの「日本で改憲が加速している。集団的自衛権がこれほど真剣に議論されたことはなかった。集団的自衛権は世界の常識だ」(04年2月2日、日本記者クラブで)、「9条は日米同盟の妨げ」(04年7月、訪米した中川直秀に)などの一連の発言でも明らです。
 今、米国は、新安保路線によって全アジアを対象とする米陸軍第一軍団司令部を座間にもってくるなど、日本を米国の対アジア軍事戦略の前線基地にし、自衛隊を米軍に融合させ傭兵として使うという策動を着々と進めています。
 このような改憲をどうして許すことができるでしょうか。それはますます、日本を米国に融合、属国化させアジアと敵対させていくようにします。それは日本破滅の道です。
 このような改憲を阻止するためには、国民の要求に合うように、護憲論を深く掘り下げ提示していかなくてはなりません。
 それは、まさに「戦争放棄理念」と「自衛権とそのための武力保持」が結合した9条自衛、撃退自衛を強く打ち出すことだと思います。このようにすれば、米国に言われて主体性もなく、論理的にも支離滅裂な9条改憲論など容易に打ち砕くことができ、護憲平和運動を大きく国民的な運動にすることもできます。
 そのためにも、今、9条自衛の旗を高く掲げ、改憲戦争勢力と積極的な論争をくり広げていくことが切実に問われています。


 
研究 −靖国問題−

日本とアジア民衆の心はひとつ

小川 淳


 靖国参拝をめぐって小泉首相と中国、韓国が厳しく対立している。
 「どこの国でも戦没者への追悼を行う気持を持っている。どのような追悼の仕方がいいかは、他の国が干渉すべきでない」。
 公式訪問中だった中国呉儀副首相は、この発言の直後に小泉との会談予定をキャンセルして帰国した。恋人と思い込んでいた相手の女性からいきなり顔を叩かれた男、そんな印象を内外に与えてしまった。中国がこれほどの怒りを露にしたのは異例のことだ。
 4月から続いた中国、韓国での反日デモ、その背景には小泉首相の歴史認識に対するきわめて曖昧な態度が関係していることは明かだ。それは同時に、私たち日本人がこのアジアの声をどう受けとめるべきかという問いかけでもある。
 小泉首相に反省の気配はない。アジア諸国からこれほどの反発や批判を受けながらも、小泉首相が靖国問題で強気の姿勢を崩さないのは、国内での小泉人気(支持43%、不支持38%)があるからだ。
 小泉首相と中国、韓国が厳しく対立している中で、日本国内での高い小泉への支持。これを見ると、あたかも靖国問題をめぐって私たち日本人とアジアが対立しているように見えてしまうが、そのように見るのは正しいのだろうか。
確かに小泉支持の中には、靖国問題に「干渉」するアジアへの反発もあるかもしれない。しかし、例えば首相の靖国参拝への支持54%(朝日新聞)という数字は、中国や韓国の人々が靖国神社を軍国主義の象徴として見る(6割)のに対して、日本では、これを戦没者の慰霊施設と考えている(7割)からである。つまり、この数字は、戦争で亡くなった全ての戦没者を一国の首相として慰霊するということへの支持であって、A級戦犯への首相の追悼を支持しているわけではない。戦没者への追悼を首相に求めるということ自体はきわめてまっとうな国民感情ではなかろうか。
 中国や韓国も小泉の一般的な戦没者の慰霊をけしからんと言っているのではない。戦犯が祭られている神社への、首相としての参拝だからこそ反対しているのである。
 靖国問題とは、あの戦争をどう見るのか、戦争に対する評価の問題である。
 もし「正しかった」とみるなら、アジア諸国が何を言おうが、自らの信念で靖国参拝すればよいし、アジア諸国への「謝罪」も必要はないだろう。しかし、あの戦争は「間違っていた」と小泉はバンドンで謝罪した。そうであるなら、戦犯を合祀した靖国参拝はすべきでない。これは小学生でも分る論理だ。
 もちろん、首相として戦没者への追悼はすべきである。日本国軍兵士だけでなく沖縄をはじめとする非戦闘員や日本のために犠牲になった二千万アジア人を弔うべきである。その形式としては、一宗教法人にすぎず、国軍兵士のみを祭った靖国神社へ参拝するのではなく、自民党以外のすべての人々が要求しているようにきちんとした国営の追悼施設を設けて、そこで首相が慰霊するのがよいだろう。実際、01年に小泉首相は金大中大統領との会談で靖国に代る国営施設を検討すると約束している。
 アジアが釈然としないのは、口では戦争を謝罪しながら、行動では靖国神社参拝を繰り返す、小泉首相のこの戦争に対するきわめて曖昧で矛盾した態度なのである。
 小泉のこの曖昧な態度によって、中国や韓国の反日の世論が一挙に噴出し、東アジア共同体への気運が大きく後退している。  この構想を成功させる上で日中関係はきわめて重要である。小泉がなぜあれほど靖国に執着するのか。靖国に固執すれば日中関係は悪化し、共同体構想はつまずきかねず、つまずいて喜ぶのはこの構想に反対しているアメリカだ。考えすぎかもしれないが、靖国問題はそんな印象さえ内外に与えかねない。
 日本が中国、韓国とともに手を携え、アジアの新しい時代を切り開いていくことを、アジアは要求している。だからこそ激しく日本にきちんとした歴史認識を求めている。日本経済の主軸がアメリカからアジアへ移行する中で、日本もアジアとともに進むことが日本の国益にかなう、そういったアジア志向が日本人の間でも急速に広がっている。アジアの未来は、このアジアの声に私たち日本人自身がどれだけ真摯に向きあうことができるか、ここに懸っているといっても過言ではない。
 その第一歩が「歴史認識」の共有化であり、日中韓の三国で行われた世論調査(朝日新聞)は、日中ともに50%以上が「歴史問題」を解決できるとしている。
 アジアでの反日世論の高まりと日本での小泉支持、一見、矛盾しているように見えても、中韓人民の心の中にある、対立を超えてともにアジアの新時代を創造しようというくっきりとしたアジア志向があることを見逃してはならない。


 
研究

アメリカンドリームに代わる夢

若林盛亮


■新階級社会
 「新階級社会」と題したトーク番組を見た。フリーターと新興ベンチャー企業経営者、いわゆる負け組対勝ち組の「新階級社会」両極の対決だ。
 成功組は、IT系、投資系、派遣系、飲食や美容関係産業といったベンチャー系、サービス系の若い新興経営者たちだ。彼らは自分の夢を実現した人たち、優勝劣敗の時流を読み成功を収めた人たちだ。他方、フリーター組は、自分の夢追い途上の人々、時流になじめず現日本社会に自分の夢実現の場を探しかねている人たち、結果、成功からほど遠いところにいる人々だ。
 フリーター組も成功組も皆、自分で決めた夢だから、その結果には自分が責任を負う気概だ。ひと昔前のようになんとなく一流大学、大企業に入って一軒家をなんて他人頼み、他人任せの夢ではない。自己決定、自己責任の夢だから、自分の生き方に関しては自主独立の哲学を持っている。

■「夢ってね眠っていれば誰でも見れるんだよ!」
 成功組のキーワードは、アメリカンドリームだ。「自分の夢実現」というスタート地点は一緒、誰にもチャンスはある。そのサクセスストーリーは、チャンスを見つけ生かす努力の結果であり、チャンスを生かす能力を磨き努力しない人間には成功はやってこないという優勝劣敗のストーリーだ。
 その典型的な論戦−「革命的癒し系シンガーソングライター」を自称する現在フリーターの23歳の女性ストリートミュージシャンと美容系の女性経営者との論戦。新宿のガード下で歌う女性が自分の夢を語る−「自分が作った歌を多くの人が聞いてくれること」「武道館で歌うとかが目標じゃない」と。すかさず女性経営者の反論―「夢ってね、眠っていれば誰でも見れるんだよ」! 夢見るだけで満足なのかというキツイ批判だ。成功者からすれば、「チャンスをつかまえる熱意、努力がない」「要するに才能がないのよ」となる。その前の論議で、「せっかくTV局に来たんだから、ここで歌って売りこもうとか思わないの」といった周りの忠告に「ここは歌う場所じゃないから」とか「私の歌を聴いてくれる人の前で歌いたい」といった自己主張を繰り返すストリートミュージシャンへの苛立ちの叱声だ。
 アメリカンドリームの成功者たちからすれば、現実の日本社会に夢実現の場を見いだし、夢を結実させる努力よりも、自分の嫌なことは嫌という自己主張に価値を置くフリーターの若者は、「自己満足」「甘え」にしか見えない。

■アメリカンドリームでも得られない満足
 「子供の頃、高級車ブームがあって憧れた。買うのが夢だった。がんばって買えるようになった」−飲食系の経営者。彼は3億円の豪邸に住み、数千万円もする高級車を五台持つ。美容系経営者は、都心が一望できる高層マンションに住み、週末には高級クルーザーに乗り、愛馬に乗馬する。夜はしゃれた酒場で仲間たちと飲む10何万円という高級ウィスキーで疲れを癒す投資系経営者。
 だが実現したアメリカンドリームに成功者が満足を得た様子はない。「貴方にとって仕事は?」の問いに、返る答えは、「ひまつぶし」「ゲーム」「美容のため」だ。子供の頃夢見た数千万円の最高級車も手に入れればガレージに入れたまま。何千万円のブランドものサングラス、時計のコレクションは単なる成功の証、いちばん幸福な時間は愛猫と遊ぶひととき、といった孤独な成功者たち。
 成功者の夢見たアメリカンドリームは、自分の努力が換算された自分の富、この自分の成功の証に自己陶酔、自己満足する夢、自分だけのための夢でしかなかった。

■自分の満足が社会の満足とつながる夢
 結局、成功組もフリーター組も、自分の夢が何なのかを探しあぐねている。
 「ひまつぶし」「ゲーム感覚」と自分のためだけの仕事を自嘲する成功者たちも、儲けた金を使うことや税金で社会貢献になっているのだと言い、「自分のためだけ」という批判に「人格の否定だ」と怒る。フリーターたちは、金のため、処世のための妥協はしたくない、そんなもののための努力は利己的だと思う。自分の歌を聴いてくれる人がいればいい、という慎ましい夢も彼女なりの社会貢献なのだ。彼らの自己主張、自分の夢、自分に合った仕事へのこだわりは、自分の力が社会的に最も正しく評価される場がほしいということだ。けっして甘えでも自己満足でもない夢だ。
 自己決定、自己責任の自分の夢、でも自分の夢が自分だけの満足にとどまらず、社会の満足につながる夢、そんな夢を皆が夢見ている。これを単なる幻想と片づけてはならないと思う。「新階級社会」の論戦で皆、そのことを語っているのではないかと思った。


 
朝鮮あれこれ

ひばり温泉

森 順子


九月山

 先日、商売の仕事で何日かピョンヤンを離れ地方に行ったのですが、思わぬうれしい体験をしてきました。
 朝鮮の名山といわれる九月山のふもと、サムチョン郡にある「ひばり温泉」で、つかの間の休息ができたからです。ピョンヤンからは1時間半程度、九月山からは15分くらいで行ける位置。朝鮮の名のある温泉といえば、東ではクムガン山、北ではチュウル温泉くらいしか知らなかったので、こんなに近いところに温泉があると聞いて、ちょっと意外でした。
 さて、「ひばり」という名と響きのよいこの温泉の由来ですが、元来はタルチョン温泉といってこの土地の地名だったのですが、ある日、足を折ったひばりが降りてきて温泉に足をつけていたら、いつのまにか治って飛んでいったという伝説からきているそうです。温泉とはいっても朝鮮の場合はほとんど療養所となっています。車椅子の人や半身が不自由な人たちがけっこう多く見られましたが、このような患者のための医療体制が、この療養所には整っています。利用者は一般も含めて日に1000人にもなるそうです。
 温泉マークと「ひばり」が刻まれている門の石垣を通り敷地内に入ると、男女別の大浴場、中浴場、家族用とあります。肝心の効能ですが、関節炎、神経痛、高血圧、慢性疾患、そして中高年の人にもよいそうです。知り合ったそば屋の店長だというおばさんは神経痛などは40日くらいでほとんど完治するよと言ってました。それというのもこの温泉はラジウム温泉だからです。入るときに、ラジウムは放射能をもつので15分以上入ってはいけないことや、シャンプーはかまわないが石鹸はアルカリ性なので使わない方がいい、温泉水を飲んでから入った方が治療に効果があることなど、受付のおばさんが一通り説明してくれました。私はてっきり浴場の係りの人だろうと思ったのですが、胸の名札をよく見ると医者だったのです。えーっ、という感じで、このことには少しびっくりしました。また、びっくりしたのは、早朝の6時からは栄誉軍人(負傷した軍人)専用になっていたことです。人間の身体が活性化される早朝に入るとよいと聞いたので6時に行こうと思ったのですが、その時間帯は栄誉軍人しか利用できないと言われました。こういう所でも軍人が大事にされている社会だなあと感じました。
 温泉好きの日本人、日朝の正常化がすすんでこういう朝鮮の温泉に入れる日がくることを願わずにはいられませんでした。


 
 

編集後記

魚本公博


 高額納税者リスト(長者番付)に、初めてサラリーマンがトップに。とは言っても、今はやりのファンドビジネスの運用部長(タワー投資顧問の清原達郎氏)、その納税額36億円、推定所得100億円。そして、上位100人の中には、ライブドアに資金を提供したリーマンブラザーズ証券から2人、ゴールドマンサックスからも2人が・・・。まさに「ファンド」が暗躍する「東京ゴールドラッシュ」の世界。
 これで、成功するかどうかは自己責任と言われてもねえ。清原氏が運用したファンドは昨年、102%の利回りだったとか。ハゲタカファンドがどれだけボロ儲けしているかがしのばれます。


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