研究誌 「アジア新時代と日本」

第239号 2023/5/10



■ ■ 目 次 ■ ■

編集部より

視点 日本をなくす改革かつくる改革か

論点 まずは米韓"核"協議体新設、そして次は・・・

論点 統一地方選・後半戦総括

闘いの現場から 市議選敗戦記

寄稿 どうなった交野 どうする交野A

随想 見えないものを見る旅




 

編集部より

小川淳


 憲法9条は死んだのか?
 憲法の核心たる9条は惨憺たるあり様だ。昨年12月、岸田首相は安全保障の基本方針で、日本が弾道ミサイルなどで攻撃を受けたとき、敵基地攻撃能力を自衛隊が保有することを決めた。明らかに憲法9条の空洞化であり、国是である専守防衛からの逸脱、転換である。岸田首相の狙いが、中国を敵とした日米同盟のNATO化であり、アメリカとの軍事的一体化にあることは明らかだ。
 安全保障戦略改定後、「憲法9条は死んだ」と述べた坂田元内閣法制局長官は、朝日新聞のインタビュー(4月24日)で次ように述べている。
 「9条には第2項で定めた『陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない』としてきたことに圧倒的な意味がありました。自衛隊があっても軍隊ではないというための柱が二つあります。まず、海外で武力行使をしない。つまり集団的自衛権を行使して米軍と一緒に戦うようなことはできないとしてきました。しかし、安倍晋三内閣が推し進めた安保法制で、この柱が一つ失われました」。
 「かろうじて『専守防衛』というもう一つの柱は生き残っていました。しかし国家安全保障戦略改定により、わが国が弾道ミサイルなどによって攻撃された場合、ミサイル基地など相手国への攻撃を行う能力を自衛隊に持たせることが決まりました。敵基地攻撃能力とよばれ、政府が反撃能力とよぶものです」。
 「『専守防衛』の神髄は自衛隊が攻撃的兵器を持たず、敵国の領土、領海、領空を直接攻撃できる能力を持たない、すなわち役割と機能を『盾』に徹するという一点においてです。自衛隊の武力行使は敵国の軍隊をわが方の領域外に追い払うのに必要な範囲内にとどまって外国の領域を攻撃することはしない、だから他国に脅威を与えることもない、というのがこれまでの『専守防衛』だったはずです」。
 国民の圧倒的多数は戦後一貫して「戦力不保持」の憲法9条を支持しながら、同時に自衛隊も容認してきた。これが少しも矛盾しないのは自衛隊が「専守防衛」のためのもの、つまり敵国の領土、領海、領空を直接攻撃できる能力を持たず、集団的自衛権も認めないという法的な歯止めが一定あったからだ。
 勿論これまでの世界有数の規模に膨れ上がった自衛隊が真に「専守防衛」であったのか言えば、明らかに虚妄であったことも事実で、問題はなぜ専守防衛(撃退武力)に徹した自衛隊にできなかったのか。言い換えれば、なぜ安倍や岸田の9条否定、日本のNATO化を許してしまったのかである。自衛隊に反対するあまり、旧社会党を含めて私たちは非武装論から防衛論議を避けてきたきらいがある。専守防衛とは何か、9条を起点にその議論を巻きこす時である。9条は死なず、日本と国民の原点であり続けている。



視点

日本をなくす改革かつくる改革か

編集部


■今、改革が求められている
 先の統一地方選挙から分かったこと、それは、無投票選挙区の激増、議員定数割れ市町村の増加など、地方地域衰退の深まり、等々、いろいろある。だが、そうした中にあっても、地方地域住民の「改革」への要求の切実さは予測を超えていたのではないだろうか。
 自民党の圧勝、立憲民主党の惨敗が言われる中、やはり際立ったのは、「維新」の躍進だった。大阪ダブル選挙での圧勝、奈良県知事選、和歌山衆院補選の勝利、そして市町村議選での775議席獲得は、目を引いていた。
 問題は、なぜそうなったのか、その要因だ。そこで言えるのは、やはり「改革」の二文字ではないかと思う。
 今の日本で「改革政党」として認定されているのは、共産党や社民党ではない。日本維新の会だ。選挙でも「改革」を前面に押し出し訴えたのは、「維新」だった。
 「このままではだめだ」。「日本は変わらなければ」。人々のこの切実な願いを体現して見せたこと、そこに「維新」躍進の秘密を見出すのが、今回の統一地方選から得られる教訓だと思う。

■「維新」の「改革」は日本にとって何なのか
 日本維新の会が「改革」を唱えはじめてから久しい。大阪維新の会として出発した当初から唱えていたのが「改革」だった。
 ところで、「維新」が唱えていた「改革」が新自由主義改革だったのは周知の事実だ。今、彼らがそれを声高に叫ばなくなったのは、それでは人心をつかめなくなったからに他ならない。
 今、彼らが前面に押し出しているのは、御存知、「身を切る改革」だ。大阪の府と市、議員の定員、俸給の削減、大阪市職員、その定員と俸給の削減、等々、文字通り「身」を切っている。
 その他にも、「改革」は目白押しだ。地下鉄民営化、関空業務民営化、小中高校の統合、そして、大阪府大と市大の統合や水道の民営化までが続々企画され、その多くが実行されて行っている。
 この「改革」のオンパレードを見て気付くことがある。それは、その基本が「公営」の「民営」化、国から民間への転換、国の削減、等々、「国」と「公」をなくし、「民」に転換する「改革」だということだ。これは、大阪維新の会の時から追求されてきた「新自由主義改革」そのものだ。中身は何も変わっていない。 実際、「維新」の政治を見ていて思うのは、「国」が目の敵にされていることだ。今回の統一地方選でも、地方地域の「改革」を言いながら、二言目には、「国は関係ない。地方のことは地方で!」が繰り返された。
 この「国否定の改革」が駅の便所の清掃など市民、府民の好評を得る木目の細かい改革と一体に推し進められていく。この辺りに「維新、改革政治」の人気の秘密があるのかも知れない。

■日米統合と改革
   今、「改革」を求めているのは、日本の国民、地方地域住民だけではない。他でもない、米国が一日も早い日本の「改革」を求めている。
 周知のように、今、米国は中国とぶつかっている。このところとみに弱まった自らの覇権を脅かす者として、中国を目の敵にし、ウイグルや香港の人権問題を騒ぎ立てながら、「米中新冷戦」を引き起こし、貿易戦争、ハイテク戦争、対中包囲、封鎖、排除と戦いをエスカレートさせてきている。その対中対決戦の最前線に米国が押し立てているのが、他ならぬ日本だ。
 日本がそれに応えるのは容易ではない。何よりも、非核非戦の国是では、米国とともに戦争できない。しかも相手は中国だ。防衛費倍増くらいでは太刀打ちできない。経済だってそうだ。中国と戦って、米国を支えるためには、経済の有り様自体を変えなければならない。外交も、米国に追随しているだけではだめだ。その手足になって中国と戦える外交力を備えることが求められる。一言で言って、米国と一心同体に中国と戦える国になってくれと言うことだ。
 そこで言われているのが「日米統合」だ。軍事や経済、外交だけではない。すべての分野、領域での日米一体化、融合が求められている。この場合、当然のことながら、この「統合」は、日米対等の統合ではない。米国自身が言っているように、米国の下への日本の統合だ。軍事も経済も、すべてが米国の補完、下請けだと言うことだ。
 そして、何より深刻なのは、それが日本という国をなくすことを意味していることだ。
 「統合」は、一言で言って、グローバリズムの焼き直しだと言える。国と民族自体を否定する究極の覇権主義、グローバリズム、新自由主義は、イラク、アフガン反テロ戦争の泥沼化、リーマン・ショックや長期経済停滞、それらにともなう一億難民の大群、そうした中、世界中に登場してきた新しい政治、自国第一主義の嵐などを通して、一時期見せた勢いを完全に失い破綻した。それをもう一度、かたちを変えて持ち出してきたのが、米覇権回復戦略としての「新冷戦」であり、その一環としての「統合」だと言うことだ。実際、「統合」は単なる対日政策ではない。「民主主義VS専制主義」の「新冷戦」にあって、「民主主義陣営」内の同盟国、友好国すべてに対して、米国の下への「統合」を呼びかけたものだ。
 こうして見ると、「新冷戦」が崩壊の危機に陥った米覇権を建て直すための起死回生の覇権回復戦略であるのが一層鮮明になる。中ロなど米覇権に敵対する勢力を「専制主義陣営」として、包囲、封鎖、排除する一方、返す刀で米覇権の同盟国、友好国を「民主主義陣営」として、国境を超え「統合」し、究極の覇権、国と民族それ自体を否定するグローバリズム覇権を実現する土台にすると言うことだ。
 この米国が求める「統合」が日本の国をなくす改革になるのは、自明のことではないだろうか。

■求められているのは、日本をつくる改革だ
 日本の改革の主体は、どこまでも日本国民自身だ。米国ではない。
 米国が求める日本の改革が「日米統合」だとすれば、それを自らの改革として選択するかどうかは、あくまで日本国民にかかっている。
 先の統一地方選挙は、その一環だったと言うことができる。そこでは、「維新」の「改革」が選ばれた。われわれはこれまで、それが「国を否定する改革」であり、米国の「日本をなくす改革」に通じていることについてみてきた。
  実際、先述したように、「維新」の「身を切る改革」は、元を正せば、大阪維新の会の「新自由主義改革」に他ならず、米国が求める「グローバリズム改革」、「国をなくす改革」と一体だ。
 日本の進路が問われる今、何より重要なのは、その改革がどういう改革なのか、その目的と性格が明確にされることだと思う。それが曖昧なままの選択は、日本にとって取り返しの付かない禍根を遺すことになる。
 「日本をなくす改革かつくる改革か」、ここに改革の是非を分ける決定的な分岐点があると思う。 改革の主体である日本国民にとって、日本をどうするかはもっとも切実な問題だ。それは、われわれにとって、日本が自らの共同体、もっとも切実な拠り所であるからに他ならない。
 その日本をなくし、米国の下に統合する改革なのか、それとも、自らの共同体、拠り所としてよりよい日本をつくり上げる改革なのか、どちらが良いか、答えは言うまでもないと思う。
 だが、「維新」の「日本をなくす改革」と対決する「改革案」を掲げ立ち上がる政党は一つもない。「改革」は「維新」の専売特許になっている。
 なぜこういうことになっているのか。その根底には、これまで日本が、世界のどの国よりも深く米覇権と言う居心地のよいぬるま湯にどっぷりと浸かっていたという事情があるのではないか。「イエローヤンキー」という世界の揶揄には一定の根拠があったと言える。
 そのぬるま湯が冷えてくる中、日本には、今、ぬるま湯から飛び出して新しい生き方を選ぶのか、それともぬるま湯の復活を期待してあくまでそこにしがみつくのか、選択が問われている。
 これまで米国が敷いた路線を走り、自分で路線をつくってこなかった身には、未知の路線を切り開くのは容易ではない。新しい日本をつくる改革案を生み出す政党、勢力が一つもないのには理由があると思う。
 今、日本でもっとも切実に問われていること、それは、何よりも米覇権崩壊の現実を直視することであり、どこまでも日本と日本国民のため、新しい日本をつくる改革案を広く国民大衆自身に求め、それをあくまで日本国民主体に実現していくことではないだろうか。



論点

まずは米韓"核"協議体新設、そして次は・・・

吉田寅次


■米韓"核"協議体新設が決定、次は・・・
 4月26日、国賓として訪米した韓国の尹(ユン)錫(ソク)悦(ヨル)大統領はバイデン大統領と会談、両者の間で「ワシントン宣言」を発表、ここで米韓"核"協議体の新設が米国と韓国との間で正式に合意された。
 前号で述べた「拙速な日韓首脳会談」の裏幕、米国が多少、拙くても日韓正常化を急がせた理由、それは"核の傘"日米韓協議体制の創設の早期実現にあったことは既に述べた。この米国の意を受けた尹錫悦大統領によってまず「米韓」が動いた。そして次は「日米」であることは明らかだ。
 今後、創設が具体化される日米"核"協議体のめざすもの、それは237号で述べた次の二点だ。
 第一は、「アジアに核兵器が配備されていない核態勢は今日では不十分」、よって日本の非核三原則を見直し、せめて日本への核配備、「核持ち込み」は容認せよということ。
 第二は、NATOのような米国との「核共有」論に基づく核使用に関する協議システム、有事には自衛隊も核使用を可能にする日米の協議体の創設だ。その目的は新設された自衛隊の中距離ミサイル部隊に有事の核搭載を可能にすることにある。
 一言でいって、日米"核"協議体創設の米国の最終目的、それは日本の対中・代理"核"戦争国化だ。ところで米韓"核"協議体では、韓国には「核配備はしない」「核共有もない」とバイデン大統領は明言した。では日米"核"協議体はどうなるのか? 絶対、そうはならないであろう。
 米国にとって「北朝鮮の核の脅威に対処」の最前線の韓国は本命ではない、米国にとって「アジアにおける核抑止力強化」の本命は新冷戦戦略で「対中対決の最前線」と位置づける日本だ。だから韓国ではなく日本に対しては「核持ち込み容認」「核共有」実現を求めてくる。

■「核に無知」、「葛藤から逃げずに議論」
 しかしながら「核持ち込み」「核共有」の強要は、非核を国是とし非核意識の高い日本人の「虎の尾を踏む」危険を伴う。ゆえにまず日本人の非核意識をマヒさせる必要から、まず巧妙な世論工作が先行される。それは既に始まっている。
 5月のサミットを前にした4月15日、読売新聞主催の「G7広島サミット開催記念シンポジウム」が非核日本の象徴の地、広島で持たれた。
 「日本の最大の弱点は、核に対する無知だ」! この会議で語った「安全保障問題の第一人者」とされる兼原信克元内閣官房副長官補(同志社大学客員教授)の言葉だ。非核の国是、日本人の非核意識を「核に対する無知」とし、この「無知」を克服し「啓蒙」する議論が広島から起こされた。
 読売新聞は「広島の声−葛藤から逃げずに議論」と見出しに付けて、川野徳幸・広島大平和センター長のメッセージを紹介した。「広島は核なき世界をかかげるシンボリックなまちで、これまで核抑止論を含む安全保障の問題を正面切って議論することは少なかった」と、「核抑止論」から逃げてきた「広島の反省」を述べた上で平和センター長はこう言い切った。「今後、核廃絶の理想と、米国の"核の傘"に守られている現実の隔たりが深刻化するかもしれない。それでも、その葛藤から逃げずに議論するべきだ」と。
 「葛藤から逃げずに議論」、要するにいまは核の脅威の増大という現実に対処すべき時、だから「理想と現実の葛藤」から逃げずに核抑止を議論すべき時に来ている。これが「広島の声」だとするのがこのシンポジウムの主旨だろう。
 これはG7広島サミット以降、本格化するであろう日米"核"協議体の創設、その先にある「核持ち込み」「核共有」容認の議論が核抑止力強化の名の下に全面化するその露払いだと言える。

■非核の国是と日本の安全保障は対立しない!
 上述の兼原信克氏はこう威嚇した。「非核の国是を守ることが大切か、国民の命と安全を守ることが大切か、議論すべき時が来た。」非核の国是を日本の安全保障と対立するものとする「安全保障問題の第一人者」。このような詭弁、国是の愚弄を許してはならない。国是を愚弄することは日本という国を否定することだ。
 非核の国是放棄は米国の代理"核"戦争国化への道、それこそ国民の生命と安全を危険にする。 非核の国是こそ強固な日本の安全保障策である。まさに日本の性根が問われている。


 
論点 統一地方選・後半戦総括

地域の怒りを結集し、日本の政治を変え、地域を守り発展させる地方政策を!

永沼博


■「低調」の原因は何か
 政令指定市を除く一般市町村の首長、議員選挙が行われた後半戦は、低い投票率、無投票も多いという結果となった。88の市長選では、その3割近くの25市が無投票であり、投票が行われた63市の投票率は47・7%という低さだった。
 町村はより深刻で125の町長・村長選では半数の70町村で無投票。373の町村議員選では、1250人が無投票。定数割れは前回の2・5倍となる20町村であった。
 歴代自民党政権の地方政策の結果、地域がますます衰退していることが、この低調さの背景にある。自民党政権の地方政策は、新自由主義の「選別と排除」政策であり、17年に地方制度調査会が打ち出した「連携中枢都市圏構想」は、地方の中核市を中心とした圏域にカネ・ヒト・モノを集中し、他は「切り捨てる」というものであった。
 しかし社会学者の山下祐介氏も指摘するように、一部でも切り捨てれば全体が衰弱する。圏域自体も衰退しあらゆる地域が衰退しているのが実情だ。 当時、この構想に対して全国市長会で「我々を見捨てるのか」との声が上がった。その「見捨てられた」感が今や全国の地域全体を覆うものになっているのではないだろうか。
 そうであれば、地方選低調の原因は、日本経済の衰退などがあるにしても、直接的には政府の地域切捨て政策にあり、「すべての地域を振興させる」地方政策を打ち出し、地域衰退の惨状を食い止めることなしに、地方選の低調さを克服することはできないのではないだろうか。

■「衰退した地域」を狙う米国
 しかしマスコミなどは、低調の原因を「選挙制度の問題」とする。その中で朝日新聞が「危機にある自治体選挙」なる社説で選挙活性化の案を列挙しながら、会社員や公務員の「議員との兼務」を提案している。
 それは米国の意図に合うものではないか。日米統合を進める米国は、日本の自治を解体民営化し、それを米系外資とその関係人材が直接管理するものにしようとしているからだ。 維新が進めるIRを見れば、それがよく分かる。大阪IRは米国のIR運営会社「MGMリゾーツ」がオリックスなどが出資する「IR株式会社」を前面に立てて運営する。これを安倍政権で首相補佐官を勤め松井大阪市長が推薦して府の特別顧問にした人物(和泉洋人)が指揮する。
 こうして自治体を掌握した米国企業は地域の富を狙っている。とりわけ地域の主産業である一次産業、特に農業、そして土地までも。堤美果氏の著書「食が壊れる」には、米国の食糧メジャー、ゲノム操作のモンサントなどがGAFAMと手を組んで世界の食支配を狙っており、日本はその格好の対象にされ、「日本の農地はどんどん売られている」とある。まさに「衰退した地域」に群がるハゲタカであり、このままでは地域は骨の髄まで米系外資の食い物にされる。

■日本をつくる地方「改革」政策を
 前号で私は、維新の「改革」に対抗し日本のため、真に全ての地方地域のための「改革」政策を打ちだすことを提起し後半戦で「小さくてもそうした芽が出てくることを期待している」と述べた。
 その芽はあった。「れいわ」は後半戦で47人の地方議員を誕生させる躍進ぶりを見せた。泉房穂市長が後継者に指名した丸谷さとこ氏が他を圧倒して勝利し泉氏の「明石市民の会」5人が全員当選した。「公共の再生」を唱える杉並区長の岸本聡子氏が自身の区長選はなかったのに連日、区議選の街頭に立ち多くの人の共感を呼んだ。
 泉さんや岸本さんは、地域からの運動を全国化し、日本を変えることを目指している。「れいわ」は「自公政権による売国棄民政策・・・この腐った政治を変えるのは、あなただ」と呼びかけている。 勿論、不足点もあるだろう。しかし、こうした「芽」が大きく成長していくことを切に願っている。
 いずれにしても、地域の力が一つになって新しい政権を作り、その下で、維新などの売国の「改革」に対し、日本をつくる地方「改革」を全ての地域を守り発展させる「改革」政策として打ち出す。それが今回の統一地方選で総括すべき最も重要な事だと思う。



闘いの現場から

市議選敗戦記

古賀 滋


◇門真の役(エキ)
 このところ勝利が続いていた。今回は維新の勢いがものすごい大阪でのたたかいとあって難航は予想できたが、不利とわかっていてもやらねばならぬ時はある!のだ。
 まず、候補の戸田さんは5期20年とはいえ、4年前にまさかの落選をしている。実はその前の4年間、十分に集票活動が出来ておらず維新の旋風や20年間に定数8削減のあおりをまともに食らった形だ。そしてその後の3年9か月ほとんど政治活動が出来ていない。4年前に取った1104の4割つまり440しか残っていない、事を覚悟してのスタートだった。
 今回はれいわ新選組大石あきこ衆議院議員の推薦も得て、連名ポスターは話題を呼んだ。不義理も多数あっただろうに、戸田候補が訪ねた各地の市民が喜んでくれポスターは3か月間で100枚貼れた。しかも770近くある町名のかなりの部分に分散して貼られる状態となった。
 実は票読みの目標を立てた。400+れいわ支持票のうちの半分+支持者網を駆使して町別得票300+ポスティングと街宣による500で2千票を取り(たかった)

◇現実は甘くない
   荒波がいくつも襲いかかった。戸田候補が活動し出して一か月後にれいわが公認候補擁立を発表した、29才の若者だった。投票所では無所属としか表記されない戸田候補にとっては脅威だが仕方ない。事前活動をしないこの29才は謎の行動を取った。始まる日にいきなり選管へ行って立候補できる事はないのだが、書類作りに日参した私と違い、この29才は1回しか選管へ来ず、1週間以上前に行方をくらまし、そのまま立候補しなかった。れいわから供託金はもらったはずなので、法務局に供託していなければ詐欺的所業だ。次の大波は府知事選の18日間、各種選挙の候補が一切の政治活動が出来ない事。企業秘密だがポスティングを4万枚はしたかったのに1万5千しか配れなかった。非現職、政策アピールに命を懸ける戸田候補にはとてつもなく痛い! 
 この三重苦状況にもかかわらず、集まって来てくれた人達は「お金のある人はお金を出し」「力のある人は力を」「技術のある人は技術を」フルに出した。戸田候補は3年9か月の空白を補って余りある三カ月の奮闘で、倒れないか心配して「時には休んだら」と言う私の忠告聞かず、ついに休まずたたかい続けた。

◇後悔先に立たず
 あと138票だ!
 れいわが急遽公認を持ち掛けてくれたらもう少し入ったかもとか、支援を申し出てくれた有力者が本当に地元票を出してくれたらとか、選挙準備がもう半年早ければとかの悔いはあるけれど、それは言っても「せんない」。良い勉強になったし、最小限の出費をカンパで賄え、皆さんも楽しかったと言って下さるのが救いだ。詳しくは「ヒゲ戸田ブログ」をご覧いただきたい。



寄稿

どうなった交野 どうする交野A

チームみんなの交野 吉坂泰彦


■何故注目されたのか?
 大阪の小都市交野市で、昨年秋に市長選挙が行われ、自民・公明・立憲・国民・維新(正式推薦なし)プラス労働組合連合が推す現職候補に対し、二度目の挑戦をした新人候補山本けい氏(元府議・市議)が921票差(有権者約66000・投票率約50%)で勝った。誰が見ても現職の勝ちを予想した。それをひっくり返した力はどこにあったのか?
 現職は二期目に、高齢者・障がい者等が使用する福祉バスを廃止し、小学校の敷地に小学校と中学校を統合する案を強引に進めた。当然市民は、反対の署名をしたり、住民投票を求めた。市長と市議会与党(15人中10人を占める)は、その市民の要求、一万を超える福祉バス廃止の再考を求める署名や「小中一貫校建設」を住民投票でという法廷の3倍近くの署名を無視して、強硬否決してきた。また市政の裏では、学校給食などの市業務の民営化や非正規労働者への雇用悪化が進行していた。私たちの戦いのスローガンは、当初は「市長・市議会は民意を守れ!」だったが、市長選では「みんなでつくろう みんなの交野」となり、各種団体の啓発ビラ10種と無数の街頭宣伝活動が行われた。この「スローガン」と「行動」が、市長選勝利を導いたと考えている。言い換えれば、市民が「民意を守れ」と言うだけでなく、市政を自らが切り拓いていくんだと、立場を鮮明にしたことである。

■新市長は何をした?
 新市長は当選後直ちに「施設一体型小中一貫校建設」を行う業者・ゼネコンと協議を始め、いくつかの選挙公約の実現の可否を調査するよう職員に指示した。「小中一貫校」ではなく「小中別々」にした場合の工期や費用、そのことへの保護者の反応など。前市長が、任期を越えての契約をしていたため、それを反故にすると「業者への賠償責任」が発生する恐れがあり、慎重を期すことになったが、計画段階であった「放課後児童会の民営化」計画は中断、「福祉バス」は、形は変わるがバス・タクシー等の民間事業社を入れての「公共交通会議」を作り、「買い物難民」や「移動困難市民」を生まない市内交通網の整備に着手することを表明。また、物価高対策としての国からの交付金を活用して、「中学3年生の3学期の給食費無料化」を提案。ところが市議会でこれが否決。もろ手を挙げて賛成していた市民は、反対した自・公・立・国・維の議員や所属する党本部に抗議。驚いた党本部は「党の方針と違う」と直ちに議員を叱責した。結果、2日後彼らは市長に「新年度から全小中学生の給食費無料化を」という要望書を提出する始末となった。

■新年度予算はどうなった?
 新市長初めての予算編成ということで職員・市民が大注目。@「施設一体型小中一貫校建設」は、「議会の同意を得られない」ので建設を進める予算案を提案。但し、他の校区には広げない、トイレのリニューアルなど教育環境を改善していく、とした。Aに「高齢者・障がい者の外出支援策を拡充する」として、「交通系ICカード等の運賃補助」を増額する。現行2300円を4600円に。75歳以上・障がい者手帳所持者等の条件あり。また、補聴器購入補助制度を導入した。B「学校給食無料化」は、中学3年生から始め、今年度中に全中学生に拡充予定。C非正規雇用者の賃金の大幅アップ。これまで最低賃金並みの年収250万円前後から300万円前後に。他色々。

■これからどうする?
 100%市民寄りの市政運営とは言えないまでも、私たちは、市民の声に耳を傾けようとする市長を誕生させた。このことを100%発揮させるためには、市長を支える態勢を作らなければならない=市議会多数派になるということだ。今年の9月に市議会議員選挙が行われる。定数15の中、それも維新旋風が吹く中で、私たちは「挑戦・改革」を旗印に戦う。今私達は、市長選挙を戦ったチームから2名の擁立を考えて準備に入っている。組織もカネもない。あるのは「民意」のみ。その「民意」に沿って、私達は、全世代の人々が住み続けたい町を作りたいと考えている。
「さぁ、みんなでつくろう 交野の未来を」「みんなで進もう 交野の未来へ」 



随想

見えないものを見る旅

金子恵美子


 ゴールデンウィークの始まった4月29日・30日、泊りがけで「熊野の朝鮮人を追悼する集会」に参加した。
 追悼の集いは2つあり、一つは初日の午後から行われた三重県熊野で木本トンネル工事に従事していたが日本人との些細なトラブルから地元住民によって殺された朝鮮人の李基允さんと「相度さんの追悼の集い。これは1926年の出来事で、その3年前にあった関東大震災時の流言飛語による朝鮮人・中国人虐殺と同じ空気の中で起った惨事であった。朝鮮人差別の感情にかられた住民組織がまだ20代の若い朝鮮の若者の命を奪い、遺体を境内に放置。山の中に逃げ込んで餓死した人もいたとのことだ。
 しかし、地元の熊野市は1983年に発行された「熊野市史」で、この虐殺を「誠に素朴な愛町心の発露」と結んでいるという。この集いの主催団体である「改組3会」は1994年にお二人の本名を刻んだ追悼碑を建立し毎年現地で追悼集会を行っている。
 二つ目の集いは石原産業が経営する紀州鉱山に朝鮮半島から連れてこられ、そこで亡くなった朝鮮人の追悼集会。1930年代後半から1945年の間に千人を超える朝鮮人が紀州鉱山で採掘労働を強いられており、分かっているだけでも家族を含め35名が亡くなっているという。この方々の追悼碑と35の墓石のおかれた場所は鉱山資料館のすぐ近くに位置する。
 二つの追悼碑の建立には行政や石原工業は関わっておらず、志ある人びとによって建てられ、整備され、保存されている。酒による献杯と献花が参加者によりなされた。
 「木本事件」における朝鮮人虐殺、紀州鉱山の朝鮮人連行は地元においても日本の歴史においても忘れ去られた出来事であり、記憶から消し去られていると集会パンフレットに記されている。実際、木本トンネル横の追悼の地に集まっている多くの人を見て、現地の人らしい二人連れが「なんの集まり?」と話していた。道のすぐ横の小高い場所に大きな石碑が立っていると言うのに。
 初日の追悼集会の後には、この地道な活動を長年にわたり続けてこられた「改組3会」の斎藤日出治さんの丁寧で誠実なガイドで、木本トンネル、事件発生場所、二人の墓石が置かれている極楽寺を訪ね、夜は関東大震災100周年追悼企画「隠された爪跡」上映会と懇親会がもたれ、昨年より参加の留学同(在日本朝鮮留学生同盟)の青年10人ほど、嬉しいことに日本人の若者もその中に二人入っての老若の交流がなされた。
 翌日は鉱山の採掘に使われたトロッコ見学、捕虜として収容されていたマレーから連れてこられ鉱山で働き死亡した英国人墓地、採鉱跡地、鉱山資料館の見学と続き、紀州鉱山「朝鮮人追悼碑」前での追悼の集いで締めくくられた。
 植民地にされ、搾取・収奪され生きるために日本に渡って来た朝鮮の人びと、日本人とされ徴用され、戦地へ送られ、日本に連行され、鉱山やトンネル、鉄道敷設、塹壕堀りなどの過酷な労働に従事させられ、虐殺され、戦争で、空襲で命を奪われ、本名でも弔ってもらえず、ましてや、見つけられてもいない朝鮮の人びとの無念の遺骨がこの日本の大地の北から南の至るところに埋もれさせられているという事実。私たちはその土の上を、何も知らず歩いている。大阪からのバスの道中は緑の森林に囲まれ、美しい山藤が咲き、素晴らしい自然であった。しかし、この緑豊かな山中にも名も知られずに埋もれている朝鮮の人びとの遺骨が抛り置かれているかも知れないのだ。私たちはそれを知らず、山の美しさを眺めている。
 見えなくてもあるのだ。見えなくさせられているのだ。まるで何もなかったかのように。今回の熊野の朝鮮人を追悼する集会への参加は、私の「見えないものを見る」旅の第一歩になった。見えないものは見ようとしなければ見えない。見えなければ、偽りの平和と平穏の中で生き、また同じ過ちを犯すようにもなるのではないだろうか。
 熊野の山深い小さな朝鮮人追悼の運動が長く続けられ、参加する人が増えていることは日本人の良心の息吹であり希望だ。ここに若い人たちが合流してくれているのは未来へ続く希望だ。参加して本当に良かった。
 この集いを準備して下さった皆さんに心からの敬意と感謝をささげます。


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