政府の人権感覚のなさが生む日本の混迷
昨年、一度廃案に追い込まれた「入管難民法」の改正案が再度、今国会に提出される。入管での収容が長期化し、自殺や死亡事件が多発しているが、この原因を政府は難民認定の申請中に送還を停止できる規定が乱用されていることにあるとして、改正案では「相当な理由がない3回目以降の申請者」の送還停止を認めない例外規定を設けるとしている。ちなみに「収容違法滞在者」つまり在留期間が過ぎても日本に残る外国人は約5万8千人(2022年)、強制退去処分になっても送還を拒む人が3224名存在する。
なぜ強制退去処分を拒む人が多いのかというと、日本政府が難民認定をほとんど認めていないからで、21年度までの40年間で87892人の申請者のうち認定者はわずか915人の1%に留まる。今法案が成立すると、難民申請は3回までしか許されず、ほぼ全員が自動的に強制送還となる仕組みだ。
入管問題の核心は難民を保護してこなかった現状からの脱却なのだが、送還する政府の権限だけを強化するという本末転倒な法案であり、このような法案は通してはならない。
入管問題を突き詰めていくと、今更ながら日本政府の「人権感覚のなさ」に行きつく。今更ながらというのは、長年にわたって国内外から厳しい批判や指摘を受けながら改善がなく放置されてきた問題だからだ。この人権感覚のなさが、どれほど日本社会の進歩を阻害し、世界からの孤立と停滞を生んできたか、しっかりと踏まえる必要があるのではないか。
「徴用工問題」もその一つで、連行され劣悪な環境で強制的に働かされて賃金も払ってない徴用工は22万人もいて、国家間の請求権問題で「解決済み」とならないことは自明だ。人権侵害を行った以上、誠意をもって対処するのは当然で、日本の政治家にまともな人権感覚があれば、「徴用工問題」でこれほど日韓関係が拗れることも、国益を害することもなったのではないか。
今紛糾しているLGBT差別禁止法案も性的マイノリティへの人権をどう社会の中で守るかという問題であり、国会で紛糾している安倍官邸による放送法介入問題も、メディアがけしからんという本末転倒な話ではなく、つまるところ国民の知る権利や思想の自由といった最も基本的な人権が、安倍やその取り巻きには理解できていないことに問題の本質がある。
国連の人権委員会は、日本の人権状況について6年ぶりに報告書を採択した。そこには入管での収容の改善や技能実習生問題などを含む300の勧告が列挙されている。日本の人権環境を変えていく、その一歩は言うまでもなく私たち一人一人の闘いにある。
*来月号より紙面を一新します。B5版からA4班に切り替え、文字を大きく読みやすくし、カラー化します。ご期待下さい。
「新しい資本主義」、2021年9月、自民党総裁選で岸田氏が掲げ出てきたのがこのスローガンだった。少し唐突感のあるその意味について理解した人は多くなかったのではないか。 あれから1年半、それについての解明が今こそ切実に求められていると思う。
■欺瞞の塊としての「新しい資本主義」
あの時、岸田氏は、「新しい資本主義」を掲げながら、新自由主義への懐疑を口にした。そこで強調されたのが「分配」だった。さらに「ステイクホルダー資本主義」までが言及され、「成長第一」「株主第一」の新自由主義からの脱却、転換がにおわされた。
翌2022年6月、当然のこととして、そのグランドデザイン(全体構想)の提示が求められる中、出されてきたのは、旧態然とした「成長」や「株主」、新自由主義への逆戻りだった。期待された「分配」や「ステイクホルダー」は、それに言及されることさえなかった。
人々の目を欺く欺瞞性はそれだけではない。「新しい資本主義」のすべてが欺瞞に満ちていると言っても過言でない。
そもそも、この「新しい資本主義」には、一時は「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と言われ、世界第二位を誇った日本経済がなぜ停滞、後退したのか、その総括がまったくない。「失われた30年」、そしてそこからの脱却を図ったはずの「アベノミクス」の破綻について、なぜそうなったのか原因を究明して、そこに新しい日本経済発展の道を探るということのない「新しい資本主義」は、一つの壮大な欺瞞であるとしか言いようがない。実際、岸田首相は、これまで二度に渡る施政方針演説など、「新しい資本主義」について全面展開する機会を幾度か与えられながら、一度として、それをそうした総括に基づいたものとして行うことがなかった。
「新しい資本主義」が巨大な欺瞞の塊だというのは、そこに総括がないからだけではない。何よりも、それが現実の切実な要求に応えるものとして提起されておらず、その要求を出してきた「米国」がひた隠しに隠されてきたところにある。
「新しい資本主義」について見ていて気付くのは、「総括」がないのと同時に、それが何の要求に基づいて出されてきたのか、その要求の出所である「米国」についての記述がまったくないということだ。
今、日本経済を語る上で「米国なし」はあり得ない。もちろん、戦後日本経済自体、米国の存在と不可分一体だった。しかし、今はその程度が違う。その証拠に、現駐日米大使ラーム・エマニュエルは、大使指名承認の公聴会で「経済規模で世界首位の米国と3位の日本との経済統合を強める好機であり、この統合が緊密化できれば、極めて強い力になる」と強調した。元米大統領首席補佐官、剛腕で聞こえるエマニュエルが陣頭に立つこの日米経済の統合を離れた「新しい資本主義」はあり得ない。にもかかわらずそのことが全く触れられず隠されているところに「新しい資本主義」が欺瞞の塊になる決定的所以があるのではないだろうか。
■「米対中ロ新冷戦」と「新しい資本主義」
駐日米大使ラーム・エマニュエルは、先述したように、今が日米経済統合の好機だと言った。なぜ、そう言えるのか。彼は、どこに「統合」の好機を見ているのか。そこで言えるのが「米対中ロ新冷戦」だ。この異常事態にあってこそ、普段できないこともできるようになる。実際、この「新冷戦」の中にあって、正常時には困難な経済の統合などと言うことも合理的なものになる。米国が引き起こした「新冷戦」には、そのような計算まで含まれていたのではないだろうか。
「米対中ロ新冷戦」は、米国自身が言っているように、弱体化した米覇権の回復戦略だ。この覇権回復戦略を推進するため、米国は、世界を「民主主義陣営」と「専制主義陣営」の二つに分断し、現状を力で変更する「修正主義国」(と米国が勝手に決めつけている)中国とロシアをはじめとする「専制主義陣営」を包囲、封鎖、排除してそのDX、GXがこれ以上進展しないようにする一方、米国を中心とする「民主主義陣営」の同盟国、友好国を米国の下に統合し、そのDX、GXが大きく進展するようにする策略を立てた。これが世界を「資本主義陣営」と「社会主義陣営」、二つの陣営に分断して後者を弱らせ、その自己崩壊を生むようにした「米ソ冷戦」の夢よもう一度の戦略であるのは言うまでもない。
ラーム・エマニュエルの言う日米経済の統合がこの「新冷戦」戦略の一環であり、日本を政治、軍事、経済、地方地域、教育、社会保障などあらゆる分野、領域に渡り、米国と統合一体化する戦略の一環であることが重要だ。
この米世界戦略にあって、日米の統合は、その模範として極めて重視されている。剛腕エマニュエルが駐日大使に任命されたこと自体がそれを雄弁に物語っていると思う。
こうして見た時、「新しい資本主義」がこの日米経済の統合と無関係であることなどあり得ない。と言うより、この日米が統合一体化した経済こそが日本経済の「新紀元」、「新しい資本主義」だと言えるのではないだろうか。事実、本年1月にあった岸田首相による施政方針演説はまさにそうしたものになっていた。
演説で日本型職務給への転換と表現された「労働市場改革」は、なぜか「日本型」と言う言葉が付けられていたが、その内実は、日本式年功序列型雇用から米国式ジョブ型雇用への転換を意味しており、米系企業の日本経済への大々的な参入に大きく道を開くものになる。
次に、演説では、「投資と改革」と題して、何よりもまず、GX、DXの推進が挙げられた。この日本経済をその根本から転換させる大事業にあって、その主役を担うのは日本企業ではない。GAFAMなど米系超巨大IT独占だ。彼らがこの大事業全体のプラットフォームを提供することになり、彼らに「新しい資本主義」の命であるデータ主権は売り渡されている。演説で強調された全国民のマイナンバーカード取得は、日本国民皆のGAFAMの対象化を意味している。
一方、「投資と改革」の一環として遂行される「イノベーション」「スタートアップ(新興企業の育成)」なども同じことだ。「統合」が指揮の統合、開発の統合として、日米共同で行われていく中、その主導権は完全に米国に握られ、日本経済は全面的に米国経済に組み込まれていくようになるのは目に見えている。
こうして見た時、「米対中ロ新冷戦」の下、日米経済の統合としての「新しい資本主義」、その全容が見えてきたのではないだろうか。
■日米経済の統合が日本にもたらすもの
日米経済の統合に対する上で見えてくるのは、この統合一体化が決して日米対等のものでなく、米国経済に日本経済がその補完力量、下請け力量として組み込まれ、統合から生まれる利益、すなわち共同の指揮、共同の開発によって生まれる利益も、その覇権強化に向け、米国に吸い取られるものだということだ。
もともと米覇権回復戦略としてある「米対中ロ新冷戦」の一環である米国の下への同盟国、友好国の統合は、対等なものであるはずがない。主はどこまでも、覇権国家、米国であり、同盟国、友好国はそのために使われる存在でしかない。
だから、指揮の統合、開発の統合を共同で行うと言っても、その主はどこまでも米国であり、同盟国、友好国は、あくまで従として、使われ、利益もそのおこぼれを頂戴するということにしかならない。
これは一体何を意味しているのだろうか。それは、米覇権回復戦略の下にあって、同盟国、友好国とその国民は、その知能も力も富もすべてを米覇権の回復のために吸い取られる。それが「新しい資本主義」だということではないだろうか。
半導体生産の統合において、設計は米国が、製造は台湾、韓国、米国が、そして資材、製造設備は日本がという任務分担がなされるという話があるが、これなどはその典型ではないだろうか。
こうした経済統合のあり方を見ていて思うのは、ウクライナ戦争の現実だ。ウクライナの人々も国土もすべてが米覇権のための犠牲にされている。これこそが米国との統合の極致であり、本質だということだ。こんな統合、こんな戦争が成功するはずがなく勝てるはずがない。事実、ウクライナ戦争は、確実に米覇権の側の敗色が濃くなってきている。
欺瞞の塊の「新しい資本主義」、日米経済の統合からの決別が今こそ切実に問われてきているのではないだろうか。
■G7広島サミット?核廃絶より核抑止力強化に
5月に広島でG7サミットが開催される。支持率低迷の岸田首相はこれに起死回生をかけている。このサミットの主要議題は、ウクライナ戦争であり、G7諸国がウクライナ支援強化を意思一致することだ。しかし広島で開催されるこのサミットのもう一つの目玉は「核問題」だ。一般的には核廃絶に向けてどのようなメッセージが出されるかとされているが実際は真逆の事態が進行している。
読売新聞(2/15)の取材に答えて、ブラッド・ロバーツ元米国務次官補代理は「(G7広島サミットでは)ロシアの核の脅威を強く非難しなければならない」としながらこう語った。
「岸田首相は核廃絶という長期目標に向けた現実的なステップを踏みつつ、核兵器が存在する限り核抑止力を効果的に保つというアプローチを明確にすべきだ」。要するに、核廃絶の議論より「核抑止力強化」のためのアプローチを日本が明確にすること、これが米国の要求だということだ。
石破茂元防衛相もあるTX番組で、「核抑止力強化のための議論を詰めないまま"核なき世界"を唱えても世界の理解を得られない」と断言した。
要は、核廃絶よりも核抑止力強化の議論の場とする、これがG7広島サミットの狙いであろう。
では米国が日本に求める「核抑止力を効果的に保つというアプローチ」、その内容は何なのか?
■核抑止力強化の基本―日米の「核共有」
「核抑止力を効果的に保つアプローチ」について上記の元米国務次官補代理はこう明言した。
第一は、「アジアに核兵器が配備されていない核態勢は今日では不十分」だと。これは日本の非核三原則を見直し、せめて日本への核配備、「核持ち込み」は容認せよという日本への圧力だ。
第二は、NATOのような米国との「核共有」論に基づく核使用に関する協議システム、「日米核協議の枠組みが必要」だと。これはNATOと同様に米国との核共有システム、有事には自衛隊も核使用を可能にするシステムが必要だという事だ。米国の核抑止力の一端を自衛隊も担えという事、自衛隊に核攻撃能力を持たせよという要求だ。
これに符丁を合わせるような発言を石破元防衛相は上記番組で語っている。「非核三原則"持たず、作らず、持ち込ませず"の"持ち込ませず"は本当にいいのか、核共有をどう考えるのか、という話に日本はならない。もう少し精密に考えて分析すべき」と。 要は「核持ち込み容認」と「核共有」を認める議論をすべきことを石破氏は強調した。「核持ち込み容認」と「(米国との)核共有」の行き着く先、米国の狙いはどこにあるのか?
■自衛隊スタンドオフミサイルを核搭載可能へ
昨年末の安保三文書では「反撃能力保有」の目玉として陸上自衛隊に「スタンドオフミサイル部隊」新設が決められた。正しい日本語に翻訳すれば「中距離ミサイル部隊」が自衛隊に誕生した。
このことと「核持ち込み容認」「核共有」の狙いとを考え合わせてみれば、ここから導き出せる答は「自衛隊のスタンドオフミサイルに核搭載を可能にする」であろう。
従来から「いずれ核弾頭搭載可能な中距離ミサイル配備を米国は求めてくる」(河野克俊前統幕議長)と言われていた。これは在日米軍基地への配備と言われてきたが、実際はそうではなかった。
「(米政府が)日本への地上発射型中距離ミサイルについて在日米軍基地への配備を見送る方針を固めた」(読売1/23朝刊)、理由は「日本が長射程のミサイルを保有すれば(対中)抑止力が強化される」と米政府が判断したからだ。
何のことはない最初から陸自のスタンドオフミサイル部隊を核搭載可能な中距離ミサイル部隊にすること、これが米国の狙いだったということだ。
■それは「虎のしっぽを踏む」ことに
陸自新設のスタンドオフミサイル部隊が中距離"核"ミサイル部隊になる! 日本が核戦争国家になる、そのためのアプローチがG7広島サミットで明確にされる。
これは非核日本の象徴である広島に対する冒涜であり、非核を国是とする日本国民を愚弄するものだ。これに黙って従う日本人はいないだろう。米国と岸田政権は「虎のしっぽを踏む」ことになる。非戦非核の意思を国民が示す時が来た。
論点
■大阪でも起きた地域第一主義の動き
先月号で私は、地域第一主義の台頭は必然と述べたが、統一地方選を前に、大阪でそれを象徴するかのような出来事が起きた。
それは反維新の市民団体「アップデートおおさか」が推薦する谷口真由美氏が府知事選に、北野妙子氏が市長選に立候したことである。
「アップデートおおさか」は、2年前の「大阪市廃止」を問う住民投票で連合系労組が結成した「リアル?オーサカ」が母体となり、これに大阪の経済人が参加した組織である(会長はサクラクレパスHD社長の西村貞一氏)。
谷口氏は法学者であり、北野氏は大阪住民投票で自民党市議団の団長として「大阪市をなくさない」として活躍した人。今回は自民党を脱退しての立候補である。
それは、左右の違い、党派の違いを乗り越え、地域の経済人、自治体職員も一緒になって、郷土愛、地域アイデンティティに基づき、住民自らが主体となって自分の地方地域を守り発展させようという、まさに地域第一主義と言うべき動きである。
■注目される「住民自治」の主張
こうした中、私が注目するのは、彼らが「住民自治」を主張していることだ。谷口氏は「地方自治の本旨は住民自治。住民が作り上げるもの」としながら、「もう一度、地方自治の原点に帰って、住民自らが地域の政治や行政を作っていく」と述べている。
実際、維新による新自由主義改革によって、大阪の自治は大きく損なわれている。
彼らが売りものにする「身を切る改革」によって、議員の数や報酬を削減し、自治体職員も削減している。自治会への補助金も削減している。「決めるのは首長だ」として、教育委員会を有名無実化するなど、自治的な仕組みを破壊している。さらに維新は、自治体が管理する公共事業の民営化を進めることで、大阪の自治を解体しようとしている。
先月号で私は、岸田政権の「デジタル田園都市国家構想」とは、GAFAMのプラットフォームを使い、彼らに地方を管理させながら、米系外資やその系列のコンサルティング会社や人材を使って、地方自治体の公共事業を民営化し、究極的には自治体そのものが民営化されて行くだろうと述べた。
維新は、この自治の民営化を率先してやっている。関空の諸事業を民営化し、市営地下鉄も民営化した。吉村府知事は熱心な水道民営論者であり、今後、水道だけでなくインフラ整備、医療、教育、文化などの公共事業の民営化も進められる。IR(カジノ)も米系外資による文化事業の民営化であり、万博もその方向で進められるだろう。
維新の「改革」とは、端的に言えば、米系外資による地方自治の解体・民営化である。それに対して、谷口氏、北野氏が「住民自治」を主張したことは、まったく時宜をえた重要な問題提起だと思う。
■地域の力が日本を変える
今回の統一地方選は、日米統合一体化の下、米国に強要された軍拡が人々の生活をさらに深刻化させる中で行われる。
こうした中、「生活の最後の砦」である地域を住民自身の力で守る、という地域第一主義の動きが全国各地で顕著になるだろう。
自治の解体・民営化は、国の解体・民営化につながるだけに、自治を巡っての闘いは、日本の運命を左右するものとなる。地域第一主義は、政府の自治解体・民営化政策の結果、全国的なものとなり、政府の軍拡路線と相まって、生きるか死ぬかの切迫した要求になっている。
それが互いに連携し、全国政党を作るなどして中央政治を動かしていけば、対米追随一辺倒の政治を国民第一、自国第一の政治に変えることが出来る。そして、その下で、地域住民が主体となり、地域の自治を強化して地域を真に振興させることもできる。
大阪の選挙は、その象徴的な闘いとなる。何としても維新に勝ち、大阪の自治を守り、大阪を守って欲しいと切に願っている。
闘いの現場から
■マスク解禁、5類への引き下げ
世界で猛威をふるい続けた新型コロナ肺炎だが、ついに収束の時が来た・・・らしい。
もっともそれは政府の発表=プロパガンダによれば、である。医学的根拠も無いのだ。マスクも3月中旬以後は着用の是非を個々人や家庭の討議にゆだねる。えっ!? 元々効果が無かったのではないか! ガーゼを重ねただけのアベノマスクも、不織布も、ウィルスは易々と通り抜けるし、かなり目の細かい製品でも、効果を発揮できるのは顔全面に強力両面テ?プで完全に密着させないとダメで、顎マスクや鼻だけマスクは何の意味もない。感染防止の意欲あります、のアピールでしかない。
ともかく、もうしなくて良いと言うなら3月中旬以降、感染はしない事が医学的にはっきりした、と発表してほしいが、それも無い。
わかっているのは、感染症の法律上でインフルエンザと同じ5類に指定等級が下げられる事。何やそれは? 「もう安全なんですよ」ではなく、「安全に近づいたんですよ」というわけだ。市民を安心させてくれる政府なのだ、なんて思ってはならない。
■要するに公費削減
インフルエンザ(実は結構な致死率)と同じ等級にするのには、新型コロナ肺炎と名づけたら公費でまかなわれている現状を5月8日から自分で負担してね、らしい。これまた、5月8日から感染激減する根拠もない。
疑り深い私が推量するに、選挙だ。4月9日の府県議選知事選などの前半選が4月9日、一般自治体の新議員が決まる後半戦4月23日。これらが確定して新しい任期に突入するのが5月なのである。それまでは市民に負担感を持たせないようにしたいのではないか! それは疑い過ぎと言う人がいるなら、5月までは危険で、以後は安心である医学疫学的根拠を教授願いたい。よくこんなインチキに騙されるものだ。しかし、騙される人が多いのが現実だ。
■これから医療の地獄行きが加速
先日、ガンと糖尿病の「その後」検診(おおむね半年ごと)に行って来た。結果は幸い良好。簡単なほうのCTスキャンと血液検査と診察でしめて8400円だった。この当たり前の私費負担が、新型コロナの場面場面で適用される事になる。政府試算でも、検査などの前段階でかかる診察料が2500円、5月以降はこれが倍近くになる。検査料も、診察・治療費も、入院費も、薬代も。高額の薬は9月以降有料になる可能性が高い。
一方引き下げられるものがある。診療報酬や特例措置や発熱外来への上乗せは5月、9月にどんどん切られる。これで病院側は減収の大波をかぶる事になる。まだある。患者の受け入れを増やすよう政府が求めるのだが、既存のインフルと合わせての計算だから医療が超ひっ迫状態を強制される。そのツケは医療従事者と受診者つまり我々の医療状況の悪化に必ずつながる。離職者はさらに増える。
しかし地獄行き逃れの方法が一つだけ わが連れ合いは公立病院の管理職ナースであったが、再任用や、どの病院にも好条件で掲げられている募集広告に見向きもしない。全国で進められている病床統廃合(例えば100と50の病院を統合させて120にする)や、既に昨年10月から始まった75歳以上の受診費2倍化と相まって、ひどい事になる(される)のを身に沁みて知っておられるから。
しつこく言おう。この医療地獄を少しでも避ける唯一の方法は4月9日と4月23日に、自公維新に入れない事だ。誰に入れてと言うと選挙違反になるが、落選運動は可能なのだ。
時評
韓国での元「徴用工」をめぐる訴訟について、韓国政府は今月6日、日本企業が命じられた賠償を韓国の政府傘下にある財団が肩代わりするという「解決策」を正式に発表した。
元「徴用工」をめぐっては韓国大法院(最高裁)が2018年に雇用者だった三菱重工業と日本製鉄(旧新日鉄住金)に賠償を命じる判決を下したが、日本政府は、賠償問題は1965年の日韓請求権協定で解決済みとの立場で、訴訟については「韓国の国内問題」と位置づけ、当初、前向きな姿勢も示していた被告2社も履行に応じなかった。
その後は、韓国国内の被告「日本企業」の差し押さえ、売却による現金化が取りざたされ、これに対する日本政府の「半導体部品」の韓国輸出規制の強化と応酬が続き、関係の悪化が進んだ。
それが、昨年に発足した日本に親和性を示す尹ソンニョル政権により、今回大幅に日本に譲歩した「解決策」が示され、日韓関係の修復がはかられようとしている。尹大統領は「未来志向の日韓関係に進むための決断」としている。この「解決策」で果たして未来を展望できるのか? 甚だ疑問だ。
日本政府は「解決策」公表の一時間半後に岸田首相が「評価する」と述べ、「反省とおわび」は引き継いでいると表明。また、半導体輸出規制についても緩和に向けて協議を始めると発表。その素早い対応が目立った。事前にかなりの調整が行われた事が窺える。
また素早い反応と言えば、米国のバイデン大統領が当日、米国時間の夜11時にもかかわらず、直ちに「韓国と日本国民にとって重要な一歩だ」と歓迎。そもそも日韓の関係改善を一番迫っていたのは米国だったので頷ける反応だ。自らの覇権回復のための対中・「北朝鮮」政策において「日米韓」の結束は必須不可欠のものだからだ。
翌7日、朝日新聞社説の見出しは「徴用工問題の『解決』―日韓の協調こそ時代の要請」だった。「司法判断を尊重しつつ、決定的な関係悪化の回避を試みた重い決断を支持したい」「日本企業が自由意思で財団に寄付すれば、反発がくすぶる韓国社会の受け止めも和らぐことだろう」と述べている。
「時代の要請」というのは、<緊張感を増している東アジア情勢>を念頭においてのことだろうが、米国を中心とした「日米韓(軍事)同盟」の出現こそが緊張をより激化させるであろうし、日本企業が自由意思で財団に寄付をすれば韓国世論も和らぐという見識にも呆れる。「寄付」って、立場おかしくない?であり、今後、日本への留学生にも「奨学金」などの「支援」をするそうだが、「賠償金」と「奨学金」、意味あいが全く異なる。これで、韓国の世論が和らぐと考えること自体、問題の本質を全く理解していないか、鈍感のいずれかとしか思えない。
実際、当事者の人たちと韓国世論はどうなっているだろうか。
韓国の朴振外相は6日の記者会見で「多くの(原告の)遺族の方々が政府の構想に理解を示し、相当数が問題の早期解決を願うという意見だった」と述べた。
しかし、訴訟の原告側や野党からは「親日的な屈辱外交」との批判が相次いでいる。「日本の被告企業による賠償責任をなぜ被害国である韓国が代わりに弁償するのか」「当該企業の謝罪や資金拠出の無い解決策に肯定的なのは半分以下だ」と訴えている。世論調査では59%が反対とある。
2018年訴訟団の原告は15人であったが、現在生存している3人の原告は、13日に「解決策」には応じられないとの意思を「財団」に伝えた。支援団体や市民団体も各地で集会や抗議行動を起こしており、この「解決策」で日韓関係の真の解決ができるとは到底思われない。
外交問題の解決においてどこかで折り合いが必要なのは分かる。しかし、今回の「解決策」が問題なのは、「慰安婦問題」での合意の時と同じく、当事者抜きで国の都合でやられていること、また背後に米国の要求が強く働いているということだ。
米国が自らの衰退した覇権を脅かす中国・ロシアそして米国にとって「核大国」として大きな脅威となった「北朝鮮」に対抗するための必須的課題である「日韓関係の修復」。この課題解決のための「解決策」であるというところに今回の「解決策」の本質があると思う。尹大統領の述べた「高齢化する原告たちのための早期の解決」「未来志向の日韓関係の構築」などは取り繕った建前に過ぎず、原告たちの心に真に寄り添ったものでもなく、また日韓に明るい未来をもたらすものでもない。米国の主導により実現さようとしている「日韓関係の修復」、ひいては「日米韓の(軍事)同盟」の強化が、日本にとって、東アジアの平和と安定にとってどのような結果をもたらすのかは想像に難くない。
元「徴用工問題」や元「慰安婦」問題の解決のためには、本当の意味で日韓の関係が正常化されなければならないだろう。その為には、何よりも日本が対米従属国から抜け出し、アジアの一員としてアジアの国々と共存共栄していく国になることが問われていると思う。
その上で、侵略された側の国、人々の声に謙虚に耳を傾け、自己正当化、優越主義の立場からでない、正しい歴史認識を共有していく事が必要だと思う。それは自虐的な民族史観でもなんでもなく、自己の民族の誇りの回復であり、国際社会で真に栄誉ある地位を築く道であると思う。
これが、何よりも日本にとって必要な日本自身の問題であることに、私たち自身が気づき、自覚することが問われているのではないだろうか。
資料
米国世論は大きく変化している。ロシア・ウクライナ紛争に関して「どちら側にもつくべきではない」が47%(ロイター)。日本国民は正義よりも強い者につくことを優先する。正義が強い者の利益と一致する時、声高に正義を主張する。だが強い者が正義に反する時は沈黙する。
米国が「イラクは核兵器開発を行い、世界を脅かす」と虚偽の主張をしてイラク戦争を始めた時、多くの日本国民はその不当性には沈黙した。そして今、ウクライナ戦争が行われている。ウクライナ戦争は実質、米国を中心とするNATO諸国が提供する兵器とロシア軍の戦いだ。
多くの国民は「米国が提供する兵器は圧倒的に優秀で、ロシア軍が敗れる」と思っている。だから、森元首相が@ロシアが負けるということは、まず考えられないA(日本政府の支援に)「こんなに力入れちゃっていいのか」と発言した時、国民は冷たく反応した。立憲民主党の蓮舫氏が森元首相の発言に「もう、黙っていてください」とツイートした時、3700の「いいね」を得た。
だが、情勢は変化している。一番大きいのは米国世論の変化だ。特に共和党支持者に顕著だ。まず、次期大統領選の有力候補であるトランプはウクライナ支援に反対だ。これに引きずられ、同じく有力候補のデサンティスもウクライナ支援に慎重な立場を表明した。
共和党支持者の大半は「ウクライナへの軍事支援は多すぎる」と言い始めた。更に2月末の「OPINION TODAY」の世論調査では、「ロシア・ウクライナ紛争でどの立場をとるべきか」との問いで「ウクライナ側につくべき」が45%、「どちら側にもつくべきでない」が47%である。
米国は変わってきた。米国のウクライナへの軍事支援は8月以降、急減する。これにより戦況が一段とウクライナ側に厳しくなる。「ロシアが負けるということは考えられない」が明確になる。
欧州諸国はこの動きに敏感に反応している。多くの欧州諸国はドイツ製戦車「レオパルト2」をウクライナに送ると宣言したが、今、躊躇している。春の決戦に投入されるべき戦車が届いていない。
欧州諸国では「(支援に)こんなに力入れちゃっていいのか」を考え、行動を始めた。ウクライナ戦争後、ロシアの敵になることは危険すぎる。
情勢の変化を把握しない日本では依然として「1億総ロシア糾弾、ロシア制裁」が響き渡っている。5年後、10年後、日本は今の行動を後悔しているだろう。
「アジア新時代と日本」編集委員会 〒536-8799 大阪市城東郵便局私書箱43号
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