論点 「どんなに時代が変わっても教育の本質は変わらない」を考える
対米従属の骨幹は、我が国の防衛を米国に委ねてしまったことにある
安倍政権下では安保法制の改悪で集団的自衛権の行使を可能とした。今、岸田政権下では敵基地攻撃能力の保持や5年間で43兆円という防衛力大増強が進む。米国の要求通り、なぜこうも日本(自民党政権)は米国の「言いなり」なのかという疑問が湧く。
日本の敗戦後、米国は日本が二度と米国に歯向かわぬよう憲法9条に「戦力の不保持、交戦権の否認」を盛り込み、日本に軍隊は持たせず「非武装」とした。一方日本も戦禍に苦しんだ経験や反省から、憲法9条の「非武装」の道を支持し、進んで米国に日本の防衛を委ねる道を選んだとされる。9条と米軍基地(安保条約)がワンセットとされるのはそのためだ。その後、自衛隊が発足し、近代的な装備を備えた「軍隊」=「必要最小限の武力」となっても、この考え方は変わらず残された。
この考え方の間違いは、「憲法9条は自衛権を認めていない」としていることだ。私たちは自衛権を否定しないという立場だ。もし日本が他国の侵略を受けたら撃退する。主権国家であればどの国も自国を守る権利はあり、憲法9条はこの自衛権は否定してはいない。「ワンセット論」では、9条は自衛権を認めていない、だから米軍が必要不可欠となる。
日米安保条約は日米のどちらか一方が通告すれば破棄できる。だから日本は米国に「見捨てられる」ことを恐れ、米国の要求を可能な限り受け入れてきた。安倍の集団的自衛権行使容認も、岸田の敵基地攻撃能力の保持もその一例である。民主党政権下の鳩山政権の失敗も、この壁を破れなかったからだと言える。つまり対米従属の骨幹は、防衛を他国に委ねてしまったことにある。
ではどうするか。9条を捨て、軍隊を持つのかというと、これでは旧来の右派改憲の主張と同じ土俵に立つことになる。果てしなき軍拡の泥沼に引き込まれる恐れがあるばかりか、平和国家建設という戦後日本の原点、「国のかたち」を見失う恐れもある。国民の支持を得ることも難しいだろう。そうではなく、9条自衛の立場から「専守防衛」として撃退武力を持つ。9条を堅持し、自国の防衛は米国に委ねず、自分の力で行う。それは理論的にも現実的も不可能なことではなく、こうして初めて日本は米国との従属的な関係から脱し、対等な未来を展望できるのではないか。
問題は、9条を基準に何が「戦力」で何が「撃退武力」なのか、そのような議論が全くされてこなかったことにある。その責任の一旦は9条=非武装として自衛隊や防衛問題をタブー視してきた反自民、リベラルなど護憲派にもあった。今からでも遅くはない。米国が日本を対中決戦の最前線に立たせよとしている今こそ、護憲派は日本の防衛について正面から向き合うべきではないか。
視点
■今、民主主義が求められているのか?
バイデン米大統領は、「米中新冷戦」について語りながら、その本質が「民主主義VS専制主義」にあることを明らかにした。
それと同じことが先日、ウクライナ大統領、ゼレンスキーの口から飛び出した。彼は、招請された米議会での支援要請の演説で、図らずも、「ウクライナ戦争は、民主主義VS専制主義の戦いだ。民主主義の勝利のためにご支援を!」とこの戦争が米による「新冷戦」の一環、その代理戦争であることを満天下に吐露した。
米国は、今、「新冷戦」により世界を「民主主義VS専制主義」に分断し、中ロなど「専制主義」陣営を孤立させようと躍起になっている。
しかし、ロシアへの制裁に賛同する国は減少傾向にある。それと一体に、かつての植民地国、「グローバル・サウス」の中ロへの接近、米欧離れが深刻になってきた。実際、昨年末開かれる予定だった「民主主義サミット」は開催不能になった。
世界の国々の米国式民主主義離れは今に始まったことではない。それは、「自国第一主義」というポピュリズムの台頭、二大政党制、議会制民主主義自体の崩壊というかたちで、グローバリズムの破綻と一体に、久しい以前から世界的範囲で始まっていた。
その「民主主義」が今求められていると強弁すること自体無理があるのではないか。
■米国式民主主義こそ専制主義
そもそも民主主義とは、ギリシャの昔から、集団の意思、国の意思を集団成員、国民がその主人、主権者として自分たち皆の意思を集大成してつくる政治のことを言った。そこで、その集団、国が誰かの独裁による専制体ではなく、その成員皆が対等な資格を持つ共同体であるのは前提だった。
ところで、米国式民主主義は若干その趣を異にしている。世界中から様々な国と民族の人々が寄り集まってつくった新興国家、米国は、共同体と言うより、個人の集合体という性格が強い。その結果、その民主主義も、集団の意思をつくる政治と言うより、個人主義に基礎して、個人の自由を保障する政治という側面が濃厚だ。
国が国民皆の共同体だという考えに基づく社会保障が根付かないのも、また、国を否定し、集団を否定するグローバリズムや新自由主義が米国から生まれたのも、その辺に原因の一つがあるのかも知れない。
そうした中、個人の自由は、政治的支配権を握る自由でもある。弱肉強食、金があり、力のある者が支持者、同調者を寄せ集め、多数を握りさえすれば、多数決で自分に有利な政治を行う自由があるのも米国式民主主義だ。米国の政治がウォール街の一握りの富者の、富者による、富者のための政治、「1%のための政治」と言われるのは、完全に的を射ていると思う。
実際、今の米国政治は、GAFAMなど、極少数超巨大独占体による独裁政治に他ならない。
「民主主義VS専制主義」と中ロの政治を非難する米国の政治こそがどの国にも増して専制主義になっているのは大きな皮肉だと言える。
■世界の混迷、その根因はどこにあるか
米国政治の専制主義は、「1%のための政治」として、米国民を不幸と貧困に落とし込んでいるだけではない。衰退する覇権国家として米国は、その覇権回復戦略、「米VS中ロ新冷戦」を一方的に世界に押し付けることにより、世界中を深い混迷と混乱に陥らせている。
もっぱらプーチンが引き起こしたと言われるウクライナ戦争も、元を正せば、中ロを「現状を変更する修正主義国」と決めつけ、一方的に「新冷戦」を両国に押し付けたところに根因がある。
プーチン・ロシアによるウクライナ戦争は、ウクライナのNATO加盟を一段と強力に後押しし、その対ロシア軍事大国化を促進して、ロシアへの包囲網を戦争前夜状況へと急速に持っていった米英覇権に対するプーチン・ロシアの先制攻撃としての性格が濃厚だ。
戦争勃発後のエネルギーや食糧など世界的な物価高騰や財政難が米英覇権による対ロシア制裁とそれに対抗するロシアの広範な非米諸国と連携した反撃によっているのは周知の事実だ。
地球の西側で起きているこの事態の進展は、東側でのそれと驚くほど似ている。ロシアが中国に、ウクライナが日本に換わっただけだ。
先日、米国は、日本が「反撃能力」の導入で長射程のミサイルを保有することになるのを理由に、対中国地上発射型中距離ミサイルの在日米軍配備を見送ったが、これなど、その端的な証拠だと言える。すなわち、日本を対中対決戦の最前線に立たせ、自分は後方から、ウクライナ戦争よろしく、ミサイルなど武器供与に徹するということだ。
洋の東西を問わず、世界が今陥っている物価高や生活苦、財政難など経済・生活危機や代理戦争の危機と軍事費激増、核戦争の危険の高まりなどかつてない危機と混迷の根底には、崩壊の危機に瀕する自らの覇権回復のため、全世界を「新冷戦」の暴挙へと巻き込む米国の覇権政治、専制政治がある。そんな米国に「民主主義VS専制主義」を世界に問う資格などあるのだろうか。
■求められる自国第一、国民第一の政治
米国の日本に対する期待は並々でない。それは、先日訪米した岸田首相への米国側の歓待振りによく示されていた。それが「米中新冷戦」の最前線としての日本に対するものであったのは言うまでもない。
だが、日本のメディア、政界、財界、そして自衛隊など各界の動きはまだ水面下だ。皆、息を潜めて米国の出方を見ているのではないか。ここで下手に動けばただでは済まされない。そんな気配が濃厚に支配している。
こうした米国専制政治の圧力を打ち破る力はどこにあるのか。それは、国民にしかないと思う。財閥や派閥の領袖など、どんな権勢者であろうと、個人の力は知れている。圧力にも弱いし、事を推し進める力も弱い。しかし、広範な国民が一つになって、この対中対決の代理戦争への誘いに反対して立ち上がった時、それは、米国の圧力を持ってしても押さえることはできない。
国民が立ち上がる時、一つの力として結束するのが肝要だ。結束できずバラバラだと事を推し進める力も弱いし、圧力にも弱く、米国側の謀略で容易に各個撃破されてしまう。
国民が一つになって闘っていく上で決定的なのは、闘いのスローガンだ。皆が心を一つにし、正しい方向に闘い進んでいけるスローガンがあってこそ、米国のいかなる圧力にも屈することなく、闘いを勝利へと推し進めていける。
そこで、そのスローガンだが、その大原則は、皆が賛成するもの、それに尽きるのではないかと思う。
ここには、一つの集団にあって、皆が良いと言うことがその集団にとってもっとも良いことだという民主主義に関わる思想がある。言い換えれば、このもっとも良いスローガン、政策を皆でつくることこそ民主主義だと言うことだ。
この観点から言った時、今、日本でもっとも問われているのは、個人の自由を保障すると言いながら、実は「1%のため」の専制主義に陥っている米国式民主主義ではない。問われているのは、国の意思、国民皆の意思を国民皆でつくる本物の民主主義だ。
本物の民主主義が生み出すスローガンとして一つ見えてくるものがある。それは、この間、世界的範囲で、メディアや古い米国式民主主義から「ポピュリズム」のレッテルを貼られながら、グローバリズムとの闘い、そして「新冷戦」との闘いでも一貫して掲げられ、勝利してきた「自国第一」「国民第一」の旗だ。かつてない大衆の政治への進出、その先頭にはいつもこの旗が掲げられてきた。
なぜ「自国第一」「国民第一」なのか。それは、米覇権、EU覇権など国の上に立つ覇権との闘いで、人々の最大の拠り所は、「国」を置いて他にないからに違いない。人々のもっとも基本的で強力な共同体、「国」にこそ、皆が一体になり、心を一つに強大な覇権と闘い抜ける拠り所がある。
日本ではいまだ「国」に対する抵抗感があり、「国」を強権だ専制主義だと、「国」への印象を悪くしてきた米国式民主主義の悪宣伝もある。自民党などが「国益第一」を言いながら、日米同盟の利益こそが国益だなどと「同盟益」を国益の上に置くのもすんなりと認められてきた。
しかし、自らの共同体への愛着が強いのもわれわれ日本人の本性だ。まやかしの民主主義、米国式民主主義を排し、本物の民主主義に基づく「自国第一」「国民第一」を勝ち取るところにこそ「新冷戦」からの脱却もあるのではないか。
論点
先々月号の平和好さんと吉坂泰彦さんの尼崎と交野での闘いを興味深く読んだ。両者共、既成政党に頼るのではなく、地域を守るために、地域住民自らが運動の主体となって立ち上がり勝利した。
それは沖縄の翁長前知事が「左でも右でもない、沖縄だ」として「オール沖縄」を作ったように、イデオロギーや党派の違いを超え、地域愛、地域アイデンティティに基づき自分の地域を自らの力で守っていくという地域第一主義、地域ファーストだと言える。
■地域第一主義の台頭は必然
岸田政権による地方政策は、地方を一層、衰退させている。それ故、「地域を守れ」という地域第一主義が全国的に台頭するのは、必然である。
米国は今、米中新冷戦を掲げ、日本をその最前線に立て、日本の持つ力を最大限利用するために日米統合を進めている。
岸田政権の「デジタル田園都市国家構想」は米国IT企業アマゾンのプラットフォームに基づき米コンサル大手のアクセンチュアが開発した「全国共通プラットフォーム」を使う。こうして米国は地方のデータを個人情報も含めて掌握し地方を丸ごと掌握管理し統合しようとしている。
それはどういうものになるか。米国巨大企業が「公」を民営化することで巨利を得てきたことを見れば、それは、自治体業務の削減から民営化、更には自治体そのものの民営化になるだろう。
自治体は、地域住民が選んだ首長、議会によって自治活動を行う単位であり、それ自体が「公」である。とりわけ市町村などの基礎自治体は住民生活に直接関連する地域単位として、地域の教育・子ども保育、病院、上下水道、ゴミ処理、バス・地下鉄、ガス、道路・河川、文化施設の運営、生活保護などの「公」的な事業を行う。
米系外資は、運営権を握るコンセッション方式で、これら全てを民営化し自治体そのものも民営化する。実際、GAFAMのプラットフォームを使う地方のデジタル化は、GAFAM傘下のコンサルタント会社や人材に委託するものとなる。
それは、自治の解体であり、地域のことは地域住民が決めるという地域住民主権の剥奪である。こうして地域は米系外資の儲けの場にされ、日米統合、地方からの米国化が進められる。
■「地方から国を変える」が問われている
米国一辺倒の政治を変えないことには、こうした動きを止めることは出来ず、地域を振興させることなど不可能である。何としても米国一辺倒の政治を変え、自国第一・国民第一の政治を実現しなければならない。
市町村など生活に密着した基礎自治体は生活を守る最後の砦である。岸田政権による軍拡のために増税や社会保障・福祉の削減が目論まれ、「#政治に殺される」事態になっている中で人々の最後の砦を守ろうとする思いは切実である。
岸田政権や維新は「地方から国を変える」と言う。しかし、それは米国の日米統合のためのものであり、そのための自治体の民営化である。
米国の戦略の先鋒隊、切り込み隊と言える維新は、すでに関空や市営地下鉄などの業務を民営化した。公立病院や大学、公共施設の統廃合や議員削減、自治体職員削減なども、自治解体・民営化の布石であろう。
岸田政権や維新の「地方から国を変える」ではなく、地域住民の広範で切迫した思いを結集した力で「地方から国を変える」ことが今ほど問われている時はない。
吉坂さんは「このことを契機に私たちは、これを大阪の交野というローカルな問題にせず、地域政党として立ち上げ、同じ問題を抱える人たちと連携することを模索し始めている」と語る。
そのスローガンは「みんなでつくる、みんなの交野」、まさに地域第一主義。今それが各地で見られる。明石の泉房穂市長の「子どもファースト」政策。東京杉並区長の岸本聡子さんは民営化反対、コモン(公)擁護を主張しながら、「環境とこどもを守り、杉並に住むすべての人が安心して暮らせるまちづくりを一番に」を掲げる。こうした各地の地域第一・地域ファーストが連携していけば、米国一辺倒の政治を自国第一、国民第一の政治に変えることは十分可能だ。この運動の発展を大いに期待している。
論点
朝日新聞は、元旦に新春特別鼎談「どんなに時代が変わっても教育の本質は変わらない」を掲載した。名門進学校である麻布中高、開成中高の校長二人が、現在、押し進められている教育改革の弊害を指摘し、教育とは、本来どうあるべきかを語っている。
二人の校長が強調したことは、今の教育改革が、子どもたちのためでも、日本の実情に合ったものでもないということであり、教育の本質を忘れた教育改革だと、はっきり言い切っている。
最初に言っていることは、「従来の教育では世界に勝てない、抜本的な改革が必要」だとした教育改革だが、従来の教育のよさを捨てた稚拙な改革だということだ。何よりも子どもたちを教育改革の実験台にしてはいけない、と言っている。
次に、教員の負担がますます増えていっていることを指摘し、その結果、教員が生徒と向き合えない本末転倒の学校現場になっていっていると指摘している。
そして、教育において重要なこととして、生徒の知的好奇心や勉強への意欲を育むこと、結局、教育とは子どもたち一人一人の可能性や才能をいかに伸ばすか、これが教育の本質、この本質を忘れた教育改革には、危機感を抱くと締めくくっている。
まだ記憶に新しいが、大学入試試験問題のときも「日本の教育を立て直せ」など、教育改革に異議を唱えた多くの議論が噴出した。問われたのは、日本の教育のためか、日本の子どもたちのための教育改革か、であった。これを機に、令和時代の「新しい教育」としてスタートした改革に対する疑問が一気に表面化された。
なぜ、このような事になるのか。
それは、この教育改革の目的と本質が、「米中新冷戦」の最前線に押し立てられた日本を米国の下に「統合」するための教育改革として押し進められているからだ。「統合」とは、これまでの日米に存在した不都合な区分の垣根を取り払うということ、すなわち、日米を一体化し、日本の教育を米国の下に「統合」するということに他ならない。
「英語とIT技術」を身につけた人材育成を教育改革の目的にしたのもこの「統合」の一環だ。日本の歴史を独自の歴史としてではなく、欧米中心の世界史の一環としてみる高校の必修新科目「歴史総合」を置いたことも「統合」だ。他にも、「年間、外国人留学生30万人以上、受け入れ計画」、これも同じ文脈の中にあると言えよう。
この日米「統合」のためのどの改革も、アメリカに吸収され、アメリカと一体化するものであり、それは、教育のアメリカ化、教育のグローバル化を意味する。
そのなかでも一番の核心的問題は、日本という国とともに、日本人の内面までもアメリカ化していこうとしていることである。
これは、英語とIT技術に通じた無国籍のグローバル人材、日本人としての帰属意識や、アイデンテイテイを持たない人材を育て、日本人の中から日本というものが失われていくようにすることを意味しているものではないか。そして、そこには皆バラバラな個人として、留学生や海外からの人材と競い合い、格差の拡大する社会に身をおき、生きていかなければならない環境が待ち受けている・・・。
それを思うと、次代を担う子どもたちと日本の将来は、決して明るいものと見ることはできないだろう。
子どもの才能や可能性を見つけ、伸ばし、日本のためのグローバル人材を育成することが、「人間を育てる」「人材を育てる」という本来の教育であろう。
校長先生たちは、「この本質を忘れた教育改革に危機感を抱いている」と言う。だが、今、その教育の本質を変えようと日米の「統合」が大手を振って徹底的に強行されている。この現実に、どう対するのかが日本の教育に求められていることだと思う。この「日米統合」ための教育改革に対して、日本の真のグローバル人材育成を掲げ、自国第一、自国の人材第一の日本の教育のあり方を追求していくことが問われている。日本の将来を決める教育議論が、もっともっとなされる必要があると思う。
闘いの現場から
■無用の長物「トマホークミサイル」500発以上購入の愚
「防衛族」ってどこまで馬鹿なのかと驚く。アメリカはこの数十年、トマホークミサイルを全世界で使用して来た。軍艦と潜水艦から発射するトマホークは「弱いものいじめ」そのもの。湾岸戦争に始まりアフガン、リビア、イラク、シリア、ユーゴなどの諸国に「主権侵害」そのものの攻撃を繰り返して来ている。制空権制海権を一方的に確保したのち、好き放題に発射する敵基地攻撃の最たるものだが民間地域も含めて多大な被害を出した。しかし、しっかりした迎撃能力があれば撃墜は比較的容易と軍事専門家が指摘している。ウィキペディアによれば、トマホークを購入した国はイギリスしか書かれていない。言及があるのが日本だけなのだ。
写真は最新のブロック4型(すでに開発中止、退役)。防衛省の元海上幕僚長複数が導入を促し、この十年ほどの自民党内だけの勝手な論議を経て岸田政権が「500発購入」を目論んでいる。世界が買わない時代遅れのトマホークは何と1発140万ドル、付帯物も入れると2億円ではないか!? 軍事費のうち、これだけで1千億円。
日本を守ると称して、中国・朝鮮を先制攻撃したいのかもしれないが、それを察知した瞬間にどれほどの「反撃」が日本を襲うか、と想像する頭の力が無いらしい。軍事費の財源は増税、年金原資、復興税流用と国債サラ金地獄。
何十兆円もの軍事費を岸田首相や自公維が出してくれる訳では当然ない。それは我々とあなたたち全市民が負担する事になる。国民と言う言い方があるが間違いだ。国籍問わず、この日本に暮らす全住民が払わなければならない。まず、年金原資の流用が企まれている。働き出して、年金を受給するまで40年以上もあるので、その間せっせと納めた年金保険料は莫大だ。余裕が有るからアベノミクスと称する株価買い支えに相当額を使ってしまったが、まだ大丈夫そうなので今度は軍事費に、というわけである。昨年私は1万5千円も支給額が減らされた。それでも月7千5百円切り詰めれば良いのだし、隔月に振り込まれて来るので我慢できる。しかし際限のない軍事費支出にもっと使われたら、若い世代が、さあ受給!の年齢になっても「年金無し、あるいは半額」なんて事になりかねない。若い皆さん、年金は私に関係ないなどとくれぐれも思わないように。
次の財源は東日本大震災復興の特別所得税を延長してその内から支出すると言う。これまたとんでもない。趣旨が違う原資の泥棒的流用と言う他ない。
さらに国債は今発行額の増長が実はゆるやかだという。それに付け込んで、60年で返済の計画をさらに伸ばすと言う。今でも600憶発行したら完全返済は100憶で、500憶再発行というサラ金的国家財政なのに・・・これでは、サラ金依存親父が家族皆の細々の労働を食いつぶして家計破綻へまっしぐら、ではないか!
■アメリカのポンコツ兵器を買うために全てを捧げよう(?!)
こういう事に賛成できる、自分たちと次の世代の生活がどうなっても良い人は自公維を支持すれば良い。そうではなく、税金を市民生活の防衛に使いたい人は、あと2か月でやって来る統一自治体選挙で、しっかりたたかう真の野党を真剣に今から応援するべきだ。対案だって?! いくらでもあるぞ。14兆円のポンコツ兵器を買うお金だけで全市民に一人10万円、4人家族なら40万円支給できる。資格制限無しで配れるので経済波及効果も高い。それを主張するれいわ新選組。軍事費ではなく福祉・医療・子育てに、の共産党。近年右寄りふらつきがひどい立憲にもまだマシな議員・候補がいるのでよくチェックして選別支援を!平和憲法一筋の社民党もある。皆さんの気持ちに合う候補・党をこの2か月実質の応援を集中するよう、心から訴えたい。でないと「お先真っ暗」ですよ!
時評
今年1月23日の施政方針演説で岸田首相は、自らのアピール施策である「新しい資本主義」の中で、DX、デジタルトランスフォーメーション(デジタル技術で社会や生活を変える事)を上げ、マイナンバーカードがそのデジタル社会のパスポートであると述べている。そして、「様々な工夫」を重ね、この一年間に取得申請を、5500万件から8500万件までに増やしたと、その、<成果>を誇っている。
2016年にマイナンバー制度が導入され、マイナンバーカードの申請受付が始まったが、普及率は20%台で低迷していた。切迫した必要性がなく、個人情報の漏洩の心配、手続きのめんどくささ、また、国への預貯金口座を初め個人情報を管理されることへの拒否感・不信感などが理由に上げられる。
それが「様々な工夫」=デジタル庁をつくり、好感度の高い俳優を使っての利便性の宣伝、マイナポイントと呼ばれる2万円相当のポイントの付与。このために2兆円以上の予算が使われた。そして何よりも、マイナンバーカードとの一体化による健康保険証の廃止という「アメ・ムチ作戦」=「工夫」を重ね、ここまでの数字にもってきたということだ。
元来、マイナンバーカードを持つかどうかは任意と法律で決められている。しかし、岸田政権の生命に直結する健康保険証を人質にしての「カード発給」は実質的義務化である。岸田政府が人質にしたのは保険証だけではない。取得率の都道府県別ランキングを明らかにして、これにより、地方交付金に差をつけるという「地方交付金人質」策も実施。米軍基地や原発受け入れ自治体に対するのと同じ手口である。「交付金」というどの地域に住む住民にも一定の行政サービスがいきわたるよう財源を保障する国民の税金を、自分たちの政策実現の餌にして人々を動かそうとするやり方、マイナポイントの付与も同じだ。コロナ禍、物価高騰の中で経済的に苦境に陥っている国民の弱みに付け込んで金品で人を釣るやり方だ。岸田首相を初め河野太郎、自民党の面々、皆、日本国民を、人間をそのような存在としか見ていないということだろう。
政府がこうなら、下々もそれに倣え、となって当然だろう。マイナンバーカードの取得を条件に、住民サービスに差をつける動きが自治体に広がっているという。
岡山県備前市は新年度給食費などを無償化する対象を、世帯全体がマイナーカードを取得した児童らに限る方針だという。ありえない!子供たちの中に差別と分断を持ち込む最低の方針だし、任意であるにも拘わらず、これでは取得しなかった親に対する懲罰ではないか。カードの普及率を自治体への交付金額に反映させるという政府の姿勢が日本社会を、人々をどんどん、とんでもないほどに劣化させている。せめてもの救いは、こうした動きに対して再考を求める署名活動が起こされ、備前市内外から4万筆を超える署名が集まり市に提出されたとのことだ。結果は明らかにされていないが、こうした政治・社会の歪みを押しとどめる力は国民にしかないと思う。
「マイホーム」であったり「マイカー」であったり、「マイ」の付くものはたいてい自分にとって愛着のあるものであるが、「マイナンバーカード」だけは、他人から無理やりおしつけられた「マイ」であり、「マイ」を装って入り込んできたよそ者、自分を監視する不気味な存在、生き物のように感じられる。このような「マイ」を私は持ちたくない。
それにしても、岸田政府はなぜ、ここまで「カード」の普及を急ぐのか?
「マイナンバーカード」は、デジタル社会のパスポートであるという。目的はデジタル社会の実現。経済産業省は2018年9月に「DXレポート〜<2025年の崖>の克服とDXの本格的な展開〜」という資料を発表している。このレポートの中で日本企業がデジタル化に取り組まなければ、他の国との競争上の優位性を失い、2025年から30年にかけて年間12兆円もの経済的損失を被ると予測している。結局、国民の利便性は建前で大企業の生き残りのためということか。更には、先行してGX、DXを進め日本との統合を目論む米国の要求であることは言をまたないであろう。
資料
6日付琉球新報(共同配信)は、<市谷に自衛隊統合司令部>の見出しでこう報じました。「政府は、陸海空3自衛隊を一元的に指揮する常設の統合司令部について、防衛省がある東京・市谷に新設する方針を固めた」。
統合司令部は、岸田政権が閣議決定した「軍拡(安保)3文書」の中の「国家防衛戦略」第4章で、「既存組織を見直し、陸自・海自・空自の一元的な指揮を行い得る常設の統合司令部を創設する」と明記されているものです。
自衛隊にはすでに3軍を統合する統合幕僚長がいます。その上新たに統合司令官を置くのはなぜか。「関係者によると…(統合司令部)設置後、統合幕僚長は防衛相の補佐に集中し、統合司令官が部隊運用を受け持つ」(6日付琉球新報)といいます。
統合幕僚長は防衛相・政府の対応に専念し、3軍の軍事的指揮は統合司令官が行うというわけです。これは戦時中の「大本営」の復活であり、統合司令官はかつての参謀長に他なりません。
「大本営」は「戦争や事変の際に設置された陸海軍の最高統帥機関。軍隊を動かす『統帥権』を持つ天皇に直属し、内閣や議会のチェックは働かなかった」(8日付沖縄タイムス)組織です。(写真右は1943年4月の大本営のもよう)。
現代版「大本営」である統合司令部の創設は、政府の「戦時体制」づくりが本格化することを意味します。
重要なのは、統合司令部にはかつての「大本営」にはなかった大きな特徴があることです。それは、完全に米軍に従属した司令部だということです。
纐纈厚・明治大学国際武器移転史研究所客員研究員はこう指摘します。
「アジア太平洋戦争時には陸海軍をまたぐ組織として大本営が組織されたが、事実上統合司令部は戦時を想定した場合には大本営的な組織となる。
現在…統合幕僚長が存在するが、その役割は総理大臣・防衛大臣との連絡役に特化し、米軍との連携を徹底するために統合司令部機能を確保し、統合司令官がアメリカの野戦指揮官と一体となって作戦指導を果たす任務を担おうとする役割分担が明確化されることになろう」(「今、憲法を考える会」通信「ピスカトール」1月26日号)
纐纈氏の指摘を裏付けるように、こう報じられています。
「司令部設置で自衛隊と米軍の過度な一体化も危ぶまれる。…防衛省筋は『自衛隊の運用を事実上、米側が主導することにはならないか。注視が必要だ』と指摘している」(6日付琉球新報)。
纐纈氏は、統合司令部設置について、「参謀本部と軍令部とが政治の関与を排除し、逆に武力を背景に政治に介入し、軍事的政治集団として『軍部』を形成し、戦争へと誘導していった歴史を想起せざるを得ない」(同前)と警鐘を鳴らします。
同時にそれは、単なる歴史の繰り返しではなく、日米軍事同盟(安保条約)による"対米従属の大本営"という新たな重大な特徴・危険性を持つことを銘記する必要があります。
「アジア新時代と日本」編集委員会 〒536-8799 大阪市城東郵便局私書箱43号
|