研究誌 「アジア新時代と日本」

第233号 2022/11/10



■ ■ 目 次 ■ ■

編集部より

視点 「民主主義体制」と「専制主義体制」

論点 「同盟が国益」、それを見直す時に来ている

論点 中ロは帝国主義か

闘いの現場から 小さな市の大きな事件

アピール 「キーンソード」始まる

詩 嫌だと言おう 




 

編集部より

小川淳


 防衛費GDP1%枠、軽々と変えてはならない
 岸田首相は防衛費の倍増を表明している。NATOの目標とするGDP比2%以上というから驚く。何時、誰が決めたのかも分からないまま既成事実化していく・・・。
 防衛費をGDP比2%以上にするためには、単純計算で新たに5兆円規模の財源が必要となり、それを実現しようとしたら増税するしかなく、増税となると主要な財源は三つしかない。消費税と法人税、所得税である。消費税に関しては社会保障充実のためという名目でやっとというか無理やり10%が実現したことから考えると消費税の増税は考えにくい。所得税はというと、これも財布に直結した増税となり、賃金の伸びがない中で国民に負担を強いるには強い反対が予想され無理がある。残るのは法人税だが、日本の企業は内部保留をたっぷりとため込んでおり、法人税への増税には世論の理解を得やすい面があるのは事実だが、企業の反発を受け実現できないだろう。
 なにより財源をどうするか云々以前に、もっと真剣に考えるべきことは、この防衛費GDP比2%以上という数字が本当に必要なのかどうか、そもそも日本の防衛費としてまともな額なのかどうかだ。そのような議論が国会で真剣に闘われたという記憶がないばかりか、安倍政権下の安保法反対のような国論を二分する闘争も起きていない。そしていつの間にか財源論議にすり替えられている。国会の審議もなく、これほどの重大事項が政府の一存で決められていく。これは本当に怖いことではないのか。
 日本の防衛費の対GDP比という論点は、実は長い歴史がある。防衛政策の予算枠として防衛費の対GDP比1%以内と閣議決定されたのは1976年の三木内閣の時で、半世紀近い歴史があり、三木政権以降も、いわば専守防衛の要の一つとしてこの1%枠が踏襲されてきている。米ソの対立が激化した80年代、中曽根政権がアメリカの要求を呑んで撤廃を表明したが、中曽根政権でも1.004%とわずかな増加に踏みとどまった。1%枠という数字がそれほどの「重み」をもった数字として歴代政権に扱われてきたのは、「非核3原則」や「武器輸出3原則」と同じく、「専守防衛」という日本の防衛政策の要の一つだったからで、そのことを踏まえると、そう軽々と変えられるものではないはずだ。
 防衛費をまず総額から決めるというのも異常としか言いようがない。一般に、予算を決めるときにはまず必要度の高い予算を下から積み上げて、最終的に総額が決まるはずで、防衛費はなぜかまず総額から決まっている。10兆円という総額を埋めるために必要もない高価な武器をアメリカから調達させられるだろうことは目に見えている。
 防衛費のGDP2%という異様な事態が一人歩きしている中で、どう東アジアの平和を守り、実現していくのか。日本はその瀬戸際にある。



視点

「民主主義体制」と「専制主義体制」

編集部


 民主主義体制と専制主義体制、今、世界は大きく二つに分断されているように見える。この内どちらに人類の未来はあるのか。それが見えない混沌と混迷が深まっている。

■つくり出された分断
 民主主義体制と専制主義体制への世界の分裂、これはもともとあったものではない。明らかにこの間つくり出されたものだ。
 つくり出したのは、他でもない米国だ。2020年、トランプ政治からの脱却、転換を標榜していたバイデン新政権は、トランプ政権が引き起こした「米中新冷戦」をそっくりそのまま受け継いだ上に、新たにその本質を「民主主義VS専制主義」と規定した。
 民主主義・米国と専制主義・中国の戦い。これは、一般的な戦いではない。覇権をめぐる抗争だ。この覇権競争が公然と打ち出されたのは、2019年、トランプ時代にさかのぼる。その2年前、国家安全保障会議を通して、中国とロシアを「現状を力で変更する修正主義国家」と規定したのに基礎して、トランプ政権は、中ロのうち、中国を第一の覇権競争相手国として「米中新冷戦」を世界の前に宣言した。貿易戦争、ハイテク戦争、中国包囲のアジア版NATO、米日豪印クアッドの形成、中国排除の「クリーンネットワーク」計画など、包囲と封鎖、排除と攻撃で、崩壊の危機に直面した米覇権を脅かす新興中国を封じ込め、排除し、弱らせて討つという覇権回復戦略だ。
 2020年、トランプ政治からの転換を公約して登場したバイデン新政権は、この「新冷戦」を引き継ぎ、「民主主義VS専制主義」の戦いへと「発展」させた。そこに、半世紀前、世界を「自由主義VS全体主義」に分断して、覇権抗争を制した「米ソ冷戦」の夢よもう一度の発想があるのは言うまでもない。

■「国の否定」の終局的破綻が近づいている
 昔、「自由主義VS全体主義」、今、「民主主義VS専制主義」。なぜそうなるのか。答えは明らかだ。社会主義が滅び、中国やロシアがソ連のような社会主義大国ではなく、国家資本主義大国になっているからだ。
 今、「新冷戦」で問題にされているのは「社会主義」ではない。「国」だ。国の専制、国の強権が言われ、一党独裁、人権蹂躙、「ゼロコロナ」強制など、「国」による「個人の自由」の抑制や抑圧が問題にされ、非難の的にされている。
 「民主主義」、すなわち、「個人の自由」を保障する米国式民主主義VS「個人の自由」を抑制、抑圧、統制する「国」、すなわち「専制主義」の戦いだということだ。
 この「新冷戦」による「国の否定」を見る時、想起されるのは、政治や経済の基本単位としての「国」を否定し、EUに見られるように、国境を否定して打ち出されてきた「グローバリズム」だ。 このグローバリズムがソ連崩壊を前後して、1980年代末から世界を動かす基本思潮になったのは周知の事実だ。国境をはじめ、国による規制という規制をすべて緩和し撤廃するグローバリズム・新自由主義は、現出した米一極世界支配を、国そのものを否定することによって支える究極の覇権主義と言えるものだった。
 しかし、この究極の覇権は意外と短命だった。イラク、アフガンなど反テロ戦争の泥沼化、リーマンショックと長期経済停滞、それらによる一億難民の出現、そして新しい政治、自国第一主義の台頭、等々、グローバリズム・新自由主義の世界的範囲での破綻とともに、米一極世界支配は敢え無く崩壊した。
 折から世界は、DX、GX、スペースXなど、最先端科学技術によるトランスフォーメーションの時代。この時代の波に乗った新興中国の台頭は、衰退し弱体化した米覇権をその根本から覆す力を持っている。
 そこで米覇権の回復を図って打ち出されてきたのが、「民主主義VS専制主義」「テクノデモクラシー(技術民主主義)VSテクノオートクラシー(技術独裁主義)」など、世界を米国式民主主義陣営と専制主義陣営に分断し、専制主義陣営を包囲、封鎖、排除して弱体化するとともに、民主主義陣営を米国の下に統合して強化し、その勝利を目論む「米中新冷戦」戦略に他ならない。  この米覇権回復戦略にあって、その特徴は、すでに世界の前にその破綻が明らかにされた国を否定するグローバリズムが根底に潜まされていることだ。敵対する専制主義陣営自体、国による強権や規制、統制など国に対する否定的概念で表現されており、その一方、米国と同盟諸国、友好諸国との統合は、軍事や経済の共同指揮や技術の共同開発など、国家間の垣根を低くし壁を取り除く肯定的な概念で表現されている。この両陣営どちらも、国を否定するグローバリズムが基準にされているところにこの覇権回復戦略の特徴があると言えるのではないか。
 実際の生活、現実の政治で破綻した指針なり路線を繰り返すのは禁物だ。それが失敗を免れ得ないのは、歴史が証明している。
 事実、国を否定するグローバリズム・新自由主義の破綻は、今現在の生活と政治にも現れている。
 コロナ禍に対する国の強権、統制を否定した結果、いまだに収束が見えない「蔓延」が人命を奪い続け、経済停滞の要因になり続けていること。
 ウクライナを押し立て、それを背後から支える欧米各国の物価高、財政難を犠牲に敢行されるグローバル代理戦争が自国第一主義の嵐の中、破綻の危機に直面してくるであろうこと。
 その上、リーマンショックをはるかに超える米国金融の世界を巻き込む大破綻が時間の問題になってきていること。これら国を否定するグローバリズム・新自由主義の二度に亘る破綻は、その終局的破綻として、米覇権回復戦略そのものの破綻を意味してくるのではないだろうか。

■民主主義への第一歩は自国第一主義だ
 もともと、民主主義は国と対立するものではない。国の政治をどうするか。国民皆が国の主人になって、その意思を集め、反映して国の政治を行うために編み出されたのが民主主義だ。
 もちろん、米式民主主義が言うように、民主主義が「個人の自由を保障するもの」という面を持っているのは事実かも知れない。だが、それは民主主義の一側面に過ぎない。民主主義の真髄を一言で言うなら、国民皆の自由を国民皆の意思を集めて実現するものだと言えるのではないか。
 しかし、実際にそうするのは、言うは易しで簡単ではない。そんなことができた国は、世界広しと言えど、これまでほとんどなかったのではないか。「自由と民主主義の総本山」を自称する米国の政治自体、米国民の多くから「1%のための政治」と評価されている。
 そのため、「国」が持つイメージは良くない。「専制主義」と言ったら、「国」を連想する人が多いのもそのためだと思う。米覇権による「新冷戦」「民主主義VS専制主義」のキャンペーンは、そこのところを突いたものだと言える。
 だが、その一方、国を否定するグローバリズム・新自由主義が、国を否定することによって生まれる矛盾の爆発の中、自国第一主義の嵐に直面して破綻し、さらに今現在、「新冷戦」、覇権回復戦略として、破綻し続けているのも事実だ。
 そこで問われるのは、なぜ、広範な各国国民が大挙して「自国第一」を要求し政治に進出してくるのか、その根因だ。それは、かつての「極右」のような観念的な要求からではないだろう。そこには、米覇権が崩壊する中、もはや自分の国という共同体以外に自らが生き、生活する拠り所、居場所を見出すことができなくなった、世界的範囲に亘る、人々の切実な要求があるのではないだろうか。
 その切実な要求を実現するための当面の闘いこそが、「自国第一」「国益第一」、すなわち自国第一主義の闘いだ。米英主導のウクライナ戦争が生み出す物価の高騰、財政の緊迫に反対し、「自国第一」を掲げるイタリア、メローニ政権の登場は、「米中新冷戦」の最前線の役割を押し付けられた日本・岸田政権の進路を問うものになっている。
 米覇権の強圧をはね除ける自国第一主義政権の存在なしに、日本国民皆の自由を国民皆の意思を集め、その結束した力で実現することはできない。戦後70有余年、日本に真の民主主義を実現できなかった最大の要因もまさにここにある。
 「米中新冷戦」の最前線にあって、米国による日米統合、日本の米国への溶解圧力が決定的に強められてきている今、日本政治には、いつにもまして「自国第一」「国益第一」の闘いが問われている。この闘いの中でこそ、真の民主主義実現の体制が築かれていくのではないだろうか。



論点

「同盟が国益」、それを見直す時に来ている

永沼博


■欧州で高まる、国益第一、自国第一への期待
 10月20日、イタリアで国益第一、自国第一を掲げるジョルジュ・メローニ氏を首班とする新政権が発足した。9月に行われた総選挙で26%を獲得して第一党になったメローニ氏率いる「イタリアの同胞」を中心に、ベルルスコーニ氏の「フォルツァ・イタリア」、サルビーニ氏の「同盟」が参加する連立政権である。
 今回のイタリア総選挙の争点は、ガス、石油、食料などの物価高騰が国民生活を直撃している問題であった。イタリアでは10%も物価が上昇し電気料金は5倍にもなっている。
 ドラギ前政権が米国主導のロシア制裁に追随し、ロシア産のガスを買わない、その依存を減らすなどのロシア制裁政策を採ったためである。
 イタリア国民は、これにノーを突きつけ、国益最優先、自国第一主義で親露的な「イタリアの同胞」なら、この難局を打開してくれるのではないかと期待したのだ。
 それはイタリアだけではない。今、欧州では、「戦争やめ国民の生活救え」のデモが各地で頻繁に行われている。それは、米国が主導し自国政府が追随するロシア制裁で物価高騰が国民生活を直撃していることへの怒りから、国益第一、自国第一の政治への期待が高まっていることを示している。
 その呼びかけ団体は、英国では労働組合や社会運動団体で構成される「いい加減にしろ」キャンペーン、イタリアでは労働組合総同盟であり、労働者のストライキ闘争なども同伴している。国益第一、自国第一政治への期待は、左右の垣根を越えた国民的なものとなっているのだ。
 イタリアでメローニ氏が勝利した日、フランスのルペン、ハンガリーのオルドバン首相、スペインのBOXなどが祝電を送った。今後、欧州で左右を問わず、国益第一、自国第一を掲げる政権が誕生する可能性は高い。そうなれば、欧州の政治地図は一変する。

■日本は「同盟が国益」、それでいいのか
 日本のマスコミは、メローニ氏の勝利に懸念を表明し警戒を説く。メローニ氏が勝利したことを受けて、読売新聞が10月2日に出した社説は「対露政策で欧米との協調図れ」というものであった。すなわち、イタリア新政権がロシア制裁の足並みを乱すことを警戒し、ロシア制裁を堅持せよというのである。
 ロシア制裁は米国主導で行われている。米国は、「民主主義対専制主義」を掲げた新冷戦戦略を展開し、東では中国を西ではロシアを敵視し、そこに欧州、日本を引き入れ、衰退した米国覇権の建て直しを図っている。
 ロシア制裁での足並みの乱れは、この米国の覇権建て直しとそれに追随する欧州、日本の足並みの乱れになりかねない。
 読売新聞を始め日本のマスコミがメローニ新政権をポピュリズム、極右政権かのようにと決め付けて警戒を呼びかけるのも、この政権が掲げる国益第一、自国第一が、米国の覇権建て直しの新冷戦戦略を危うくすると見ているからであろう。
 それに対して日本はあくまでも米国の新冷戦戦略に追随しようとしている。日本がそうなるのは、「同盟が国益」だからである。
 しかし、その結果、日本は対中対決の最前線にされ、軍事費倍増、敵基地攻撃能力保有を進めるだけでなく、米国の下での日米統合一体化も進んでいる。
 果たして、それが国益になるのか。真の国益は、国民の生活を利する、そのような国益でなければならない。欧州でのデモも、国民の生活を救う真の国益を求めて起きている。
 世界に目を転じれば、ロシア制裁を実質的に実行しているのは、欧州と日本だけだ。中国やインドといった大国も、トルコ、イランや米国の裏庭といわれた中南米もロシアからの輸入を増やしている。それが国益だとして。そして上海協力機構や拡大BRICSなどに結集し、米覇権に反対し、「民主的で公平な世界」を目指している。
 日本は、こうした世界と欧州で起きている時代の流れを直視して、これまでの米国一辺倒を考え直す時にきている。「同盟が国益」と、そこに安住している時ではないと思う。


 
論点

中ロは帝国主義か

東屋浩


 ウクライナ戦争に関する論考で、中ロが帝国主義だということを前提に論じる人が多い。だが中ロを帝国主義と見るのはどうだろうか。
 第一に、「経済的に資本主義だから必然的に帝国主義となる」としているが、実際、そうなっているだろうか。
 ある人は、「ロシアと中国は、資本主義が未発達で、民主主義革命に直面していた。そこから社会主義革命へ前進する過程で、工業化とその管理から官僚主義が登場し、官僚制国家資本主義へ変質・転化した。ブルジョア革命に終わり、資本主義化し、帝国主義化した。根本はここ。このソ連論・中国論が代理戦争論にはない」と断じている。
 たしかに、中ロには新興財閥、巨大企業が存在している。しかし、プーチンが新興財閥の意向を受けてウクライナ特別作戦を行ったという事実はなく、反対にそれによって受ける制裁に備え新興財閥を説得している。また、習近平はアリババなどに動かされて政治をやっているのではなく、反対にアリババの金融進出にたいし統制を加え、巨大企業と中小企業間の不正競争を禁じている。
 新興財閥や巨大IT企業にプーチンや習近平が動かされているのではなく、新興財閥や巨大企業がプーチンや習近平の指導と統制を受けている。だから、経済が決定するとはいえないだろう。
 では、ロシアや中国は誰が動かしているのだろうか。それはプーチンが率いる党であり、習近平が率いる中国共産党であるといえよう。そうした政治勢力がナチスドイツの侵略から国家主権を守り抜いた体験をもつ国民の支持を受け、中国もまた抗日闘争、米国に支援された国民党との闘いに勝利した共産党が国民の支持を受け、米帝国主義と対峙して国を発展させている。
 ロシア、中国とも反ファッショ、反帝反植民地主義の国だといえる。とても帝国主義国とはいえないのではないか。
 第二に、中ロが覇権勢力側なのか、反覇権・主権擁護勢力側なのかということである。
 勤労人民大衆の自由と解放をめざす闘いは、国を単位にして繰り広げられる。人民大衆は国家権力を握ってはじめて社会の主人となることができ、その国家の主権を守り社会制度を発展させて人民大衆の自由と豊かさと平和を実現していくことができる。民族解放闘争の勝利と新興独立国の発展はそのことを示している。
 しかし、帝国主義は植民地を生命線とし各国の主権を否定していくことを本性としている。米国がその典型だ。それゆえ、世界における帝国主義と勤労人民大衆の攻防は、米国のグローバリズムを掲げ国を否定する覇権と、各国の主権擁護の戦いとして展開され、現在も続いている。
 米国はNATOや日米安保の軍事同盟を強化拡大し、また、各国で政権転覆策動を繰り広げている。米国は各地で戦乱を引き起こしている戦争の元凶だ。
 一方、ロシアと中国は、シリア、イラン、キューバ、朝鮮など反帝諸国を支持し支援している。また、中ロは新興五カ国BRICSや上海協力機構を見ても、国家主権を守ることを国是とし、国を否定する帝国主義側でなく基本的に反覇権勢力の側にたっている。NATO拡大や中国包囲網を画策する米国と戦う中ロが帝国主義と言えるのだろうか。
 第三に、中ロを米帝国主義と同列にみてはならないということだ。
 中ロは反覇権・主権擁護勢力側に位置しているゆえ、米帝国主義と同列視するのは間違いだと言える。ここで同列視してはならないことが重要なのは、主体的に日本にとって誰を相手として闘うべきかという問題と関連している。
 今日米国は、覇権回復戦略として中ロを敵とする新冷戦戦略をしかけ、世界を「専制主義国VS民主主義国」に分断し、同盟国を糾合し覇権を回復させようとしている。とくに米国は日本を「同盟国」として対中代理戦争に向かわせようとしている。それが日本国民にとってどれだけ不幸をもたらすのかはウクライナ国民の例を出すまでもないであろう。だから、中ロに闘いの矛先を向けるのではなく、米国にこそ、主要な矛先を向け闘うことが日本にとって重要ではないだろうか。
 以上、参考にしてもらえば幸いだ。



闘いの現場から

小さな市の大きな事件

平 和好


 川西市という都市が兵庫県にある。人口15万人と小規模だ。意外と歴史があって、多田という町があり、清和源氏=多田源氏の発祥の地らしい。近年は阪神間で働く人のベッドタウンともなっていた。
 その市の市長は4年前、リベラル勢力と穏健保守の支持で当選した。ところが4年の間に大きく変質した。新自由主義的な政策を取るようになり、市民の願いに背を向け、幼稚園廃園強行など市民サービス切り捨てをやり出した。また朝鮮学校に通う生徒に支給されていた補助金も切った。実はヘイトスピーチ常習で朝鮮学校を憎悪する女性がNHK党の公認を取る事で、4年前市議に当選し、補助金カットを強く市に働きかけた、と本人が自慢していた。リベラルと思われていた市長がそれに乗ったのだ。    幼稚園廃園強行に怒る市議や父母がそういう市長に反発した。しかし既存のリベラル系労組は今まで市長を応援していたので方針転換もままならず、市長に追随した。リベラルから在特会崩れや維新までが一体となる市長体制の中でもあきらめ切れない市民たちが前保育所長の女性を市議候補に、立憲所属だったがそれに飽きたらなくて離党・議員辞職した男性を市長候補に担ぎだした。

勇気の人 かも文子さん

■選挙は「やってみないとわからんもの」
 リベラル系労組も伝統的市民団体もこの動きに横を向いたので両候補とも孤軍奮闘となった。NHK党所属のヘイト女性もこの新人候補を目の敵にして、事あるごとに嫌がらせをくりかえし、通さないようにする激しい敵対行為を行った。選挙現場での攻撃に使うためだろうが、各地でヘイト犯罪をくり返すならず者も多数駆けつけて、街頭での「NHKをぶっこわーす!」コールに参加していた。 
 どう見ても苦しすぎる情勢だったが、そういう現状をよしとしない活動家や地域の父母が手弁当でつめかけ、事務所は人であふれた。本来なら推薦を出して本気でたたかうべき労組は正式決定を見送ったが、その組合員や退職者が有志でたくさん関わって来た。動員より有志の熱のある応援のほうが実は強い。地域住民も多く参加したので、推薦ハガキの推薦人が全員、有権者となったし、告示日の公営掲示板ポスター貼りも市外の我々はお呼びでないくらいとなっていた。一回だけだが、催した演説会は子連れのお母さん達で溢れ、賑やかしや空席うめのつもりの我々は要員になるしかなかった。(嬉しい事であるが)

■奇跡が起こった!
   こうして迎えた10月の投開票日、前保育所長は32人の候補中7位、2629票という上位当選。現職批判市長候補は及ばなかったものの2万2千(当選した現職は4万)と大健闘。
 嬉しい事にはヘイト女性が4年前の1900から800も減らして落選した。朝鮮学校を迫害する唯一の「仕事」を続けられなくなったのは大慶事と言える。立候補するなど大変な事なので「落選」を喜ぶ事などしたくないが、これを機会に民族差別・迫害から足を洗って更生する事を望むものである。
 当選した前保育所長は、持ち前のポリシーと根性を発揮し、議会活動・地域活動を活発にやり出した。大きな教訓「迷った時はやってみる」「転びそうになったら前へ!」「団結とやる気で道を切り開け」。来年は統一自治体選挙が4月にある。あなたもどうですか!?



アピール

在米国留学生S・Hより

 


 「今日(10日)からいよいよ日本全国、同時多発的(沖縄など、既に始まっている場所もありますが)に、日米共同演習「Keen Sword (キーンソード)」が始まります。その名の通り、日本をアメリカの覇権争いの剣先にするかのようなとんでもない戦争準備・威嚇行為が行われます。ともかく、大軍拡反対・戦争準備反対の運動を各地、特に基地のない大都市部でやって下さい。
 今朝、沖縄の島々で共同演習に反対されている方々とオンラインでお話ししました。与那国では、今、一年に一度の町を挙げての大切なお祭りで、厳粛に過ごすべき時期なのに、一週間後には機動戦闘車が公道を自走することになっています。沖縄島でも自衛隊の車輌が陸揚げされ、「日本軍が乗り込んできた」という、沖縄戦前夜を想起させるようなことが行われてしまいました。まだ沖縄戦体験者もご存命なのに、再び地上戦への道を経験させることは、本当に非道としか言いようがありません。
 沖縄の方々もおっしゃっていますが、訓練は沖縄だけではなく、全国各地の米軍・自衛隊施設で行われます。そして、他国を威嚇し、緊張関係を煽ると、日本全体が攻撃の標的にされます。自分たちの生活を守るためにも、戦争準備を一カ所でも許してはいけません。
 日本の軍拡は日本で止める。周辺諸国との友好関係構築に全力を尽くす。憲法9条を持つ、私たちの使命です。今こそ、みんなで力を合わせ、できる限りこの軍国化の流れに抗いたいです。」

資料1 日米共同統合演習、各地で始まる

 陸海空の自衛隊と米軍による共同統合演習「キーンソード」が10日、各地の自衛隊や米軍基地などで始まった。中国が周辺で活動を活発化させる日本の南西諸島を中心に、19日まで訓練が行われる。賛否を問う住民投票を経て自衛隊駐屯地が置かれた沖縄・与那国島でも初めて米軍が訓練を実施する。
 今回で16回目となる「キーンソード」には自衛隊2万6千人、米軍約1万人が参加し、「今年度、最大規模の演習」(浜田靖一防衛相)となる。在日米軍司令部は10日、「自衛隊と米軍の戦闘態勢と相互運用性を高める現実的なシナリオに基づいた共同訓練」だとその目的を発表した。(朝日新聞11/11)
 実弾射撃演習や補給、医療活動などさまざまな共同訓練が展開される。与那国島では空港から与那国駐屯地までの一般道路を最新鋭の装輪装甲車が走行する計画。県内一般道路の走行は初めてとのこと。艦艇30隻、航空機370機が参加。防衛省は共同演習について、特定の国を念頭に置いたものではないと言っているが、中国を念頭に、日米の協力関係を一層強めるところに狙いがあるとみられる。

(沖縄news webより)

資料2 キーンソードとは

開始:1986年、今年で16回を迎える日米の共同統合演習。通年で行われた時もあるが近年は隔年に実施されている。 日米の共同統合演習とされているが、カナダやオーストラリア、今年はイギリスも参加している。
実施場所:日本周辺の陸空海域など。
目的:日米共同対処および自衛隊統合運用についての演習・検証し、日米の相互運用の向上をはかる。
訓練項目:水陸両用作戦、陸上・海上・航空作戦、サイバー攻撃等対処、統合電子戦など。

 この日米軍事演習が、中国を念頭に置いた米国の覇権回復のための演習であることはあきらかである。日本はますます深くそれに取り込まれ、巻き込まれていっている。「沖縄を戦場にするな!」「日本の戦争に沖縄を巻き込むな!」。日本はアメリカに巻き込まれ、沖縄は日米両国に巻き込まれ、アメリカの為の戦争の最先端に立たされようとしている。こうした演習が日本とその周辺地域の平和と安定を保障するものには決してなりえず、戦争の危険を増幅するものになることは明らかだろう。「みなで力を合わせ、この軍国化の流れに抗いたい」との在米国留学生S・H氏の呼びかけに応えていきたい。
(編集部)


嫌だと言おう

三村彰子


今日の食事を求めて行列を作る
若い女性がいる
泊まる宿も家も所持金すらなく
バス停のベンチで殺された女性がいる

昨日まで寮住まいで働いていた人々が
職と住を一挙に失いさまよっている
鉄道の飛び込み自殺の多さはどうだ

私たち「とりあえず」生活している者は
耳の端に聞き流すだけだろうか
悩みを聞いてくれる人もなく すがり
だまされていく沢山の人びと
その「献金」の行く先を考える余裕すらなく

「おうちじかん」とペットを抱き
ソファーで哄笑する者が死に
なぜ国葬となるのだ
私たちは「物言わぬ民」に再び
なり果てたのか

たった一言「嫌だ」と言おう
まだ死なず「とりあえず」生きている者の
せめてもの務めとして嫌だと言おう
半旗や黙とう 莫大な支出は許せない
そのお金があれば
女たちの食事 子供たちの食事
ゆっくり眠れる場所
路上の男たちも しばしの安らぎを
得られるはずだ

なぜ ヘラリとした笑いで
「葬儀委員長です」などといえるのだ
誰が認めた
民主主義はどこへ行った?

兵器も爆弾も基地もいらない
今日の食事と眠りを奪うのはやめろ

売国奴は誰だ

 *「嫌だと言おう」は、強権発動以外の何者でもない「マイナンバー」の強制や国防費の倍増、敵基地攻撃能力の保持などなど、国民無視の現在の日本の政治について、世の中のおかしいことについて、そのすべてについて、一人一人が意思を示そう、嫌だと言おう、と呼び掛けている詩であると思います。国葬がテーマになっているし、時事的に前号に掲載する予定でしたが、紙面の都合で掲載できませんでした。しかし、この詩が問いかけていること、呼び掛けている事は、国葬についてだけでなく普遍的に今の私たちに提起されていることではないかと思い、今号に掲載しました。
 「静かな国民」の上に胡坐をかいて、好き放題に日本を支配してきた歴代自民党政権、特に安部政治に至ってその極致に達したと言えるかも知れませんが、この政治の延長にある岸田政権の目を覆いたくなるほどの稚拙、廃頽ぶり。安倍晋三亡き後の安倍政治の露見とほころび、これを刷新するまでに持っていくためには「物言う国民」「行動する国民」にならなければならないと思います。
 その一歩は嫌なものは嫌、おかしい事はおかしいと声にすることではないでしょうか。私たち国民が動かない限り貧困と格差、戦争と破滅、一体感と未来のない日本沈没への道は免れないと思います。自分の子どもたち、孫たちにそんな日本を残して良いのでしょうか。でも今の日本はその道を一直線に進んでいるとしか見えません。
 嫌だと言い続け、行動をとり続ける自分であろうという思いを強くしてくれた詩、「嫌だと言おう」が皆さんの心にも響くことを願ってやみません。

(文責・金子恵美子)


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