研究誌 「アジア新時代と日本」

第231号 2022/9/10



■ ■ 目 次 ■ ■

編集部より

視点 「日米統合」からの脱却を!

論点 統一教会問題、米国の狙いを探る

論点 ティカッド8、米国の橋渡しもできなくなる日本

ルポ 表現の不自由展参加記

集会報告 ―やめろ!安倍国葬― 9・9緊急アピール集会

読者からの便り




 

編集部より

小川淳


 9月27日に安倍元首相の国論を二分した「国葬」が行われる。どの世論調査でも反対が圧倒的に多い中で、岸田首相は後に引くにも引けず、強行するしかないという状況だ。
 国葬は「法的根拠」がないことに加え、国会の承認も経ずに閣議だけで決定されてしまったという法律問題がまずある。もし国会の承認も経ずに閣議だけで国葬のような重大事がまかり通るならば、内閣行政府は何でもできることになりかねない。つまり民主主義の根幹に関わる問題なのだが、このような国会軽視、内閣独裁の悪しき風潮を作りだしたのが他でもなく安倍政治だった。
 岸田首相は「民主主義を守るために国葬を行う」と大見えを切ったが、国葬の強硬は、民主主義の破壊そのものに他ならない。
 ではなぜ国葬なのか。岸田首相はその理由として4点を掲げた。ここでは次の2点だけ触れる。
 「民主主義の根幹たる国政選挙を6回にわたり勝ち抜き国民の信任を得て、憲政史上最長の8年8カ月にわたって重責を務められたこと。第2に東日本大震災からの復興や日本経済の再生、日米関係を基軸とした戦略的な外交を主導し、平和秩序を構築するなど、様々な分野で歴史に残る功績をのこされたこと」。
 国民から言い換えるとこうなるのではないか。
 「民主主義の根幹である国政選挙を、『モリ・カケ・サクラ』などなど自らの様々な疑惑に無数の嘘と誤魔化しを積み重ねて国民を愚弄し、反日カルト集団『統一教会』の全面的支援で6回もの国政選挙を勝ち抜き、憲政史上最長に渡り首相の座に居座り続けたこと。東北の人々の深い悼みや願いを踏みにじって平然と原発の再稼働に踏み切るなど、東日本大震災からの復興の足かせとなり続け、アベノミクスによって格差と貧困、停滞の一人負け日本経済を作りだしながら反省することもなく、8年8カ月にもわたり徹底した対米従属のアベ外交を展開して日本の平和と安全を破壊し、アジアと世界から孤立し、国益よりもアメリカの歓心を優先するなどなど、様々な分野で憲政史上最悪の『汚点』を残したこと・・・」。
 安倍は「保守政治家」と呼ばれるが、保守でもなんでもなく、単なる似非愛国者、自分の利益の為なら反日・反社カルト集団と手を組んでも恥じない、狡猾な政治家だったに過ぎない。
 旧統一教会との関係が日々明らかになるにつれ、死してなおこの国を混迷に落とし込む、「安倍政治」が残した爪痕の深さを改めて感じる。
 今、旧統一教会との関係の清算が自民党に求められているが、問題の核心は旧統一教会というカルト集団からの決別ではなく、この憲政史上最悪の「安倍政治」からの脱却なのであって、今の自民党に果たしてどこまでできるのか。日本政治の再生というなら、まずはそこからだ。



視点

「日米統合」からの脱却を!

編集部


 駐日米大使、ラーム・エマニュエルは、その大使指名の公聴会で自らの使命について語りながら、中国に対する経済安全保障の観点から、日米経済統合の必要性について強調した。
 今、米国が追求する「統合」は、経済分野に留まらない。あらゆる分野、領域に及んでいる。

■米覇権回復戦略と「日米統合」
 グローバリズム、新自由主義の破綻とともに進行した米覇権の崩壊は、今や誰の目にも明らかになってきている。プーチン・ロシアが引き起こしたウクライナ戦争は、それを一層顕著にしたのではないか。実際、米国が提唱するロシア制裁の呼びかけに応じる国は少ない。
 米覇権の衰退、それはこの数年来、米国自身が認めている事実だ。2017年、米国は、国家安全保障会議で「現状を力で変更しようとする修正主義国家」として中国とロシアを名指しで挙げ、2019年には、米覇権回復戦略として、「米中新冷戦」を公然と宣布した。そして同年、ウクライナ・ゼレンスキー政権の誕生を後押しし、その下での同国のNATO加盟化、対ロシア軍事大国化を一段と促進してきた。
 この米覇権回復戦略は、プーチン・ロシアによる「先制攻撃」を受けて今、対中ロ二正面作戦にかたちを変え、ウクライナ戦争をめぐりながら「米欧日覇権勢力VS中ロと連携した非米脱覇権勢力」の攻防として展開されてきている。
「日米統合」をその重要な環として推し進められてきている米覇権回復戦略には、幾つかの特徴がある。その第一は、世界の「分断」だ。米国はこの戦略を推進しながら、何よりも、世界の「分断」を目論んでいる。
  バイデン政権は、「米中新冷戦」の本質を「民主主義VS専制主義」だとし、世界を二つの陣営に分断しようとしている。それが、「自由主義陣営と共産主義陣営」、二つに世界を分断し、共産主義陣営を封じ込めて勝利した米ソ冷戦の成功体験によるものなのは明らかだ。
 この戦略の特徴の第二は、「包囲」と「統合」をキーワードにしていることだ。米国は、今、分断した中ロなど非米陣営を「専制主義」だと包囲、封鎖、排除して弱体化するとともに、米欧日など親米勢力を「民主主義」陣営として米国と統合し強化しようとしている。
 その上で、この戦略のもう一つの際立った特徴は、DX、GX、スペースXなど、デジタル、グリーン、宇宙など最先端部門のトランスフォーメーションに向けた技術開発競争勝利を主要な目標にしているところにある。もはや、闘いの目的は、資源や領土の獲得、拡大にあるのではない。米覇権回復戦略の「分断」、「包囲」と「統合」の目的もこの技術開発をめぐってあると言って、決して過言ではない。

■「日米統合」の真実
 中国をはじめ、敵方に対する「包囲」が最先端技術の敵方への流出を防ぐとともに、敵方のDX、GX、スペースXの発展を妨げ、その停滞を狙ったものであるのは言うまでもない。この間、「経済安全保障」問題が格別重視されるようになった理由もまさにここにある。
 では、「統合」はどうなのか。これと関連して、今年3月、米国防総省は、「国家防衛戦略」概要を発表し、同盟国、友好国に対しては、連携による「統合的抑止」を打ち出し、各国の戦力、技術力を米国に結集する戦略を明らかにした。ここでも戦力とともに格別、技術力、技術開発力の結集が強調されている。
 この「統合」は、軍事だけに限られたものでない。エマニュエル大使の発言にも示されているように、日米経済の「統合」は、軍事のそれにも増して重視されているかもしれない。
 さらに、「統合」は一層全面的なのではないか。軍事や経済に留まらず、それは、教育などあらゆる分野、領域に広がってきている。
 この「日米統合」を推進するに当たって、銘記すべきことがあると思う。それは、何よりも、DX、GX、スペースXを米IT独占、GAFAMの下でやるのが「日米統合」事業全体の中心になると言うことだ。事業のプラットフォームは、GAFAMのものを使うことになり、事業の命であるデータはすでにその大部分がGAFAMに買い占められている。
 したがって、行われる「日米統合」が日米対等になることはあり得ない。「統合」は、徹頭徹尾、米国主導、米国上位のものとなり、日本は、あくまで補完的で下請的な役割を果たすことになる。それは、半導体生産の「日米統合」にあって、米国がその頭脳である「設計」を受け持ち、その本体である「製造」は米国と台湾、韓国が行い、日本が行うのは、その手足である「素材」と「製造機械」の生産であるという役割分担にも端的に示されている。
 それは、軍事にあっては、一層顕著になるのではないか。圧倒的な米軍との「統合」にあって、自衛隊は補完部隊になるしかなく、日本全土が対中対決最前線の核ミサイル基地化する以外になくなる。今、背後から武器と資金を供与してくる米国の代理戦争を強いられて、国ごと廃墟と化して行っている「西のウクライナ」は、その生きた標本に他ならないと思う。
 この「日米統合」にあって、進行するのは何か。それは、日本と言う国の米国への「統合」、組み込み、すなわち、日本の米国化であり、それは日本と言う国とともに、そのナショナルアイデンティティーまで人々の心の中から失われていくことを意味している。

■「国」をなくすことの誤りを問う
 米覇権回復戦略による世界の分断とその一方に対する包囲、他方に対する統合は、一言で言って、国をなくすことだと言うことができる。
 包囲して「専制主義」国を滅ぼすことも国をなくすことであり、統合して同盟国、友好国を米国化することも国をなくすことだ。
 こうして見た時、米覇権回復戦略がすでに破綻し、その生命力を失った究極の覇権主義、国と民族それ自体を否定するグローバリズム、新自由主義をもう一度蘇らせ、復活させる戦略であることが見えてくる。
 これは、果たして正しい戦略だと言えるだろうか。到底言えないと思う。もともと、グローバリズム、新自由主義は、すでに現実によってその破産が宣告された代物だ。
 米国がグローバリズムに基づいて引き起こしたイラク、アフガン戦争をはじめとする全ての戦争は見るも無惨な破綻と敗北に終わった。
 軍事だけでない。経済も、米国が新自由主義、グローバリズムに基づいて敢行した、米欧すべての国の経済は今もなお泥沼の長期停滞から抜け出せないままになっている。
 このグローバル戦争、グローバル経済が生み出した全世界一億難民が自分の国を失った流浪の民になって、世界をさまよっている。
 国を否定するグローバリズムの破産は、過去の現実が証明しているだけではない。現在進行中のウクライナ戦争、米欧日覇権勢力VS中ロ脱覇権勢力の闘いの現実が証明している。国を否定し、国益よりも「民主主義」を優先する前者の劣勢の深まりと進行はそのことを示しているのではないだろうか。
 それは、また、ウクライナ戦争自体の進展を通しても証明されている。国を否定した米欧日覇権の代理戦争をやらされるウクライナ国民が愛国の心をもって、この戦争を推進できるはずがない。事実、ウクライナの若者たちの間で、「徴兵を拒否する自由」「脱国する自由」についての議論が広範に生まれてきており、また、米欧から送られてきた最新兵器の横流しが横行するようになってきている。
 人々がそこに拠って生活し、未来を切り開いていく生の拠り所、居場所、共同体である「国」を否定したところに人々の幸せも明るい展望もない。その米国化により、日本という国の存在自体がなくなる「日米統合」の行く手は、どう見ても明るいものではない。
 今、向こう三年間国政選挙をする必要のない「黄金の三年」を前にして、日本の前に問われているのは、「国」を失うようになる「日米統合」の推進ではないだろう。問われているのは、「統合」の推進ではなく、そこからの脱却だ。それを国政選挙のないままに、不問に付しておく訳にはいかない。選挙だけが意思表示の場ではない。選挙がなければ、国民が直接自らの手に政治を握り、国の政治の根幹を揺り動かしていけばよい。街頭から、SNSから、今こそ声を出す時だ。「日米統合」からの脱却に向けて!



論点

統一教会問題、米国の狙いを探る

永沼博


 今、旧統一教会と自民党との関係が大問題になっている。8月に発足した新内閣も、三役(大臣、副大臣、政務官)73人のうち、閣僚8人、副大臣11人、政務官12人の計31人が何らかの接点をもっていたことが明らかになった。金銭授受があった国会議員リスト「30人」も、そのほとんどが自民党員であり、そこには石破茂、下村博文、平沢勝栄など有力議員の名が並ぶ。
 この過程では、萩生田政調会長の「神の国」発言も明らかにされた。神の国発言で、森元首相が辞任(2001年)したことを思えば、萩生田だけでなく、多くの閣僚の辞任もありうる。岸田内閣の支持率は36%(毎日新聞)に急落している。
 この問題は、安倍国葬問題とも絡んで、岸田政権を揺るがしており、私は事態の推移によっては、内閣崩壊、自民崩壊さえ、ありうると思っている。
 岸田首相は31日の記者会見で、これらの問題を陳謝し「団体との関係を絶つことを党の基本方針として所属議員に徹底する」と述べているが、それでは収まらないだろう。
 それは「統一教会と自民党の癒着」に多くの国民が「呆れ果てる」までの怒りを持つようになっているからだ。世論調査では、統一協会との関係を「絶ち切るべき」は82%にも上る。そして、「断ち切れないと思う」は76%に及ぶ。国民は自民党に対して「もう、匙を投げた」ということであり、それは直情的な怒りよりも重いものだと思う。
 統一教会問題を炙り出したのは、言うまでもなく、安倍元首相を殺害した山上容疑者だ。その人生は、余りにも悲惨である。とりわけ、兄妹のために自衛官になって生命保険に入り、自殺して保険金を兄妹に残そうとし、自殺未遂までしたという話しには、胸をつかれる。
 その人生は、新自由主義改革で就職もままならず人生を奪われたロストジェネレーション世代に重なる。さらには安倍政権によって深められた新自由主義改革による、不安定雇用と格差拡大に呻吟する人々の人生とも重なる。今、山上容疑者への同情論がネット上などで拡大しているのも、そのためだ。
 そして、反共で結びついた統一協会と自民党との思想的・政治的癒着の下で反動的な諸政策が実現していったことへの怒り。統一教会の改憲やスパイ防止法、緊急事態基本法の制定、日本版NSC(国家安全保障会議)、集団的自衛権行使容認、非核三原則や武器輸出三原則の改廃、宇宙の軍事利用促進などの政策は自民党の政策と同じだ。
 私も、こうした怒りを共有する。しかし、一方で私は、統一教会問題をそこで終わらせてはならいと思う。そう思うのは、この問題に対するマスコミの報道ぶりに「異常」さを感じるからである。
 元自民党議員の内部告発まで伴うセンセーショナルで自民党を崩壊させかねない報道ぶりは、元来、自民党を擁護する報道を常としたマスコミ報道とは異なる。そこには、自民党以上の力が作用しているのではないか。自民党以上の力と言えば、米国である。
 問題は、米国が、内閣崩壊、自民崩壊にもなりかねないことを何故やるのかである。それを考えれば、米国が今、「日米統合一体化」を進めようとしていることに思い至る。駐日大使のエマニュエルは「日米経済の統合」を言い、ジャパンハンドラーのアーミテージは「軍事の統合」を言っている。それは、中国、ロシアを敵にして「民主主義陣営」の結束を図る米国覇権維持のための新冷戦体制作りであり、日本は、その最前線にされ「米国51番目の州」として「国」さえ奪われようとしている。
 こうした動きには、懐疑・反対の声がある。それが日本のためになるのかと。それは、自民党内部にも存在する。これを押しつぶす。統一教会問題は、その格好の手段になると思う。
 「日米統合一体化」のための政治体制作り、それが米国の狙いだろう。それが、どういう形になるかは分からない。自民党がガタガタになり、政界再編が進み、より対米追随的な政権ができるのか。それとも自民党政権が今以上に米国に盾を突けないようになるのか。 いずれにしても米国は、日米統合一体化のための政治体制作りを狙っている。統一教会問題で、真に問題にすべきは、このことであり、これを阻止することこそが問われていると、私は思う。


 
論点

ティカッド8、米国の橋渡しもできなくなる日本

東屋浩


 第8回ティカッド(TICAD―日本主催のアフリカ開発会議)が8月27、28日チュニジアで開かれた。コロナ感染の岸田首相はオンラインで参加して各国首脳との会談をこなし、林外相が主宰した。日本政府は3年間に300億ドル(4兆円)の投資を表明し、チュニス宣言を採択し終えた。

■アフリカをめぐるツバ競り合い
 現在、アフリカが注目されている。かつて援助の対象国であったが、人口急増であらゆるビジネスチャンスが潜在する活気ある大陸となっている。しかし、日本はアフリカへの投資額が非常に少なく、世界から立ち後れてきた。米国も同様に毎年、アフリカ諸国への投資を減らしてきた。こうした下で、日本の影響力を強め、米国との橋渡しの役割を任じ、同時に国連常任理事国入りへの支持を獲得する下心で開始したのが、日本主導の「アフリカ開発会議」だ。「アフリカ開発会議」は当初5年に一度、最近は3年に一度、日本とアフリカ諸国の首脳が会し、日本が投資と支援を約束する会議となっている。日本で開催されることが多く、アフリカで開催されるのは今度で2回目だ。
 始まったのは1983年細川内閣の時だった。当時、日本の国内総生産(GDP)は世界第2位で中国の三倍だった。この日本の技術と資金にアフリカ諸国が期待した。しかし、中国がその後、急成長を遂げ、2021年には中国が日本のGDPの三倍となり、完全に逆転した。中国は早くからアフリカ諸国に浸透し、2000年には第一回中国・アフリカ協力フォーラムを開催した。2020年の中国の投資残高は日本の57億ドルにたいし430億ドル。経済的には中国がアフリカ諸国にたいし影響力で圧倒している。また、軍事的にはロシアがアフリカの21カ国と軍事協定を結び、アフリカ全体の兵器購入の4割を占めている。
 それゆえ、いくら日本が米国の新冷戦戦略に従って中ロ非難・排除にアフリカ諸国を引き入れようとしても現実には難しい。国連の人権理事会からのロシア排除の決議にたいし、アフリカ54カ国のうち44カ国が反対・棄権・不参加に回ったことがそれを示している。
 欧米はアフリカ諸国にたいし民主主義制度が機能しているかを問題にするが、中ロは内政問題として干渉しない。米国が「専制主義国VS民主主義国」の対立を持ち込めば持ち込むほど、アフリカ諸国はロシアと中国に与し、欧米日が孤立していく事になるだろう。
 しかも、日本が国力低下している中、アフリカ諸国にたいする影響力を拡大しようとしてもその維持すら危ないというのが現実だ。今回のティカッド8の首脳参加数が、前回(2019年)に比べ42から半分以下の20に減ったのがその表れだ。にもかかわらず、日本はなぜ巨額投資をしようとするのか。

■国力を傾けても米国の新冷戦戦略のお先棒をかつぐ日本
 財政的に赤字国債を膨らませる一方、防衛費の大幅増大、物価高による国民生活と経済の打撃など今の日本に余裕などない。失われた30年の間、国民の生活はいっそうひどくなっている。そのような中で、日本政府が、ASEAN諸国や南太平洋の島々、そしてアフリカ諸国にたいする援助と投資を大々的に行うのは、米国の要望(中ロの影響から引き離す)のもとで、これらの国々への自らの影響力を強めようとしているからに他ならない。こんな馬鹿なことがあるだろうか。
 米国のための外交、それはもはや外交ではない。外務省の名前を米国国務省日本駐在事務所に変えた方がよい。外交は国の顔ともいえる。欧米と歩調を合わせ米国の利害で動き自らの顔を失っている日本はますます、世界から見放されていくだろう。アジアから、アフリカから、中南米から。
 マチャリア・ムネネ教授(ケニア米国国際大学)は、「日本はヨーロッパなどの大国と同じように振る舞っているわけだが、それはあまりよくない。ヨーロッパには植民地支配という過去があるからからだ。日本が欧米に同調しようとしすぎていることに私たちは気づいている」と忠告している。
 アフリカ諸国の首脳参加の減少に端的に表れているように、日本は米国の手先となりアフリカ諸国との橋渡しをする事すらできない運命を避ける事がもはやできないだろう。そうした先に日本を待っているものとは何であろうか。



ルポ

表現の不自由展参加記

平 和好


 「表現の不自由展・神戸」に行ってきた。慰安婦少女像があり、昭和天皇の戦争責任を問う展示もあり、ずっと話題になっている。名古屋で開催され、河村市長やヘイト高須クリニック院長などが問題視して騒ぎ立て、中止させようとした展覧会だった。大村知事の英断で開催されたものの、収まらない河村ヘイト市長や高須院長らは維新の政治家を事務局長に雇って大村知事解職請求の署名集めをしたものの、でたらめな詐欺的手法(維新お得意)で破たんして事務局長が逮捕されたがその後どうなったかさっぱりわからない。
 展覧会はその後大阪・京都でも行われたが毎回、右翼の街宣車と、ネトウヨの妨害部隊の攻撃にさらされている。9月10・11日の二日にわたって神戸で行われたが、やはり右翼団体の大街宣車の轟音とヘイト達のマイク大音量で付近の住宅から苦情が出るほどの悪宣伝にさらされた。主宰者の呼びかけに応じて集まった防衛ボランティアは100人近い。それに対して右翼街宣車は5台程が周辺を徘徊街宣、会場前に終日陣取るヘイト達は6〜7人と少数ながら展覧会の主宰者と参加者を攻撃したい信念に燃えているのでタチが悪い。

■防衛警備員ボランティア参加報告
 まず入場者はかなりの数に上るとしかわからない。入口に備えられた金属探知機と持ち物検査を全員に実施したのもあって、入口には常時行列が出来た。最盛期の午後は、最大100人ほどのお客さんが根気強く並び、道路にまであふれる大盛況。しかもお客さんは女性が多く、また若い人も多数で、普通の集会とは趣きが全然違っていた。しかし会場入りするまでの間、耳を圧する大音量の妨害街宣を聞かねばならないのは誠に気の毒に思えた。そういう困難を乗り越え、入場を果たした人達は各展示を熱心に参観していた。

■妨害街宣は充分笑える
 ヤカラ風の巻き舌「おい」「こるぁー」「あほ」「ボケ」「カス」「文句あったらこっち来んかい」を延々連発する者もいれば、何十分も喋り続ける「演者」も、合間に時々、道路を渡って怒号を上げて会場に走り込もうとして警察に阻止される者もいた。
 内容がまたメチャクチャである。「お前ら半分以上は生活保護やろ。」「こんな阿保な展示を応援するのは日本人と違う。国籍はどこやねん、言うてみい。」「日本を憎むんやったら出て行かんかい。」「隣にお前らの好きそうな国があるやろ。そこへ帰らんかい。」
・・・吐き気を催しそうなヘイト暴言だがもう少し我慢していただきたい。
 「朝日の捏造記事でこんな間違いの展示してる。民間会場や自分の家でやるんやったら何も言わん。公共の税金が使われてる施設を貸すのがけしからん。」「天皇陛下の絵を燃やすのは、うちのおじいさんを燃やすのと一緒や。」「憲法に表現の自由がある。何を展示しても構わんと思てるかもしれんがそれは、反対する我々の表現の自由を侵す事である」「こんなん言うて差別と言うかも知れんが差別する自由はある。」「こんな展覧会をする限り、ずっと追いかけて来るぞ」「こんなけしからん展覧会をするからお巡りさんが暑い中、警備せなあかん。その費用出さんかい。ご苦労様です。わしら、お巡りさんには逆らいません」。
 これを朝10時から夜まで延々繰り返すのであるから、あきれる。あまりの論理飛躍や矛盾だらけに笑いすぎて、お腹が痛くなった人もいた。防衛隊のある人が「あれは右翼違う、差別を娯楽にして楽しんでるだけのヘイト野郎や。」と言っていたが当たっている。
 こんなのが同胞にいるのは日本人として誠に恥ずかしく、暗澹たる気持ちになりそうだが、累計で千人以上の人々が入場料と交通費と貴重な時間を使って見に来てくれている事を前向きに評価するべきなのだろう。警備員費用はもちろん無料奉仕だが、素晴らしい勉強をさせてもらった。ネトウヨやヘイトの低劣をじっくり見聞出来た事も感謝したい。



集会報告

やめろ!安倍国葬―9・9緊急アピール集会

金子恵美子


 「安倍国葬」反対の行動が全国で広がっている。ここ大阪でも、連日のように大小様々な催しが展開されている。
 昨日(9月9日)には、エルおおさかにて「やめろ!安倍国葬 9・9緊急アピール集会」がもたれた。
 小雨の降る中、250名がかけつけ、会場は「安倍国葬反対!」の怒りで満たされていた。途中Swing MASAさん(日本初の女性ジャズサックス奏者)のサックス演奏と歌が入る。国葬反対のド迫力の歌声に会場の「反対!反対!」の声が折り重なり集会は最高の盛り上がりを見せていた。
 閉会後には、早くも、この集会に参加してのつぶやきがFB(フェイスブック)に沢山書きこまれており、集会の様子を伝えている。いくつか紹介したい。
 「9・9 安倍国葬反対の集会に行ってきました。参加者は250名とか。画期的だったのは講師を呼んでの講演会ではなく、様々な運動体の人たちの5分間スピーチでした。その数16人。これはいいですね。各団体が自分たちの立ち位置から安倍国葬を糾弾していくこの企画には大賛成です。司会も最後の集会決議も気合が入っていました」
 「参加させて頂いて、大変勉強になりました。こんなにも良心的な日本の人がいると!うれしく戻りました」(注:在日の方です)
 「国葬反対の声は、いつも言っている人だけじゃなくって、あまり社会問題を話さなかった学校の先生、そして近所のお年寄りがいかにも酷いと言い出しました。もっともっといつものメンバーじゃない人たちも、おかしいって声を挙げて欲しいとおもいます」この声に対して「もしかすると、政治に無関心な人たちを変える!と思わずに、自分が変わっていく方が問われているかも?ですね」の応信。
 「個人ではなく団体ごと、という発想が古い世代だと思います」これに対して「インターネットなどでの若者の活躍は大事ですが、年寄りにはついていけません。年寄りは年寄りのやり方で、例えば 筵旗を立てて無言宣伝をやりながら合流、することが大事だと思います」との応信。
 「9日夜のエル大阪での国葬反対集会です。メインは日ごろの活動報告と、なぜアベ国葬に反対なのか、各分野で活動されている皆さん16名から5分間アピールが続きました。講師の話がメインではなく、おかしいことに闘っている皆さんが主人公のスタイル、広がったらいいなと思います。・・・27日まで頑張りぬいてアベ国葬を断念させましょう」
 FBに寄せられた幾つかの声を紹介させて頂いたが、参加者全員の関係性がフラットで、皆で創っている感のあふれ出たいつもとは一味違う集会であったと思う。確かに年寄り(自分も含め)が多かった。が、みな元気でイキイキとしていた。余談だが、血圧の薬が落とし物として司会者より「命にもかかわるものなので」とアナウンスされ、会場が自虐的な笑いに包まれたのが、歳をとるもの悪くないと感じる一幕であった。
 さて、この集会が画期的だったのは、当事者の発言せずにはおれないという怒りの発露の集会であったこと、講師の話を聞くという受け身の参加から、参加者が自ら発信する「主人公」としての参加。それを可能にしたのは、「アベ政治」により、絶対多数の国民の生活や平和、思想・信条が壊され、踏みにじられてきたことによる、絶対多数国民の自然に湧き上げる「国葬?おかしいだろう?」という疑問や「絶対に認められない!」という怒りが、動かしがたい、消し去り難いものとして確固と存在するからであると思う。それゆえ、この「国葬反対!」の闘いは盛り上がるのであり、普段、政治に関係ない人々が意思表示をするに至っているのであると思う。実際私の職場でも、普段あまり自分の意見を言ったりしない30代の同僚男子が「もっと他にお金使うところありますよね」と言っていた。今、「国葬問題」は多くの国民の利害と関心の共通項になっている。
 「統一教会」との代々に及ぶ深い癒着、国民の犠牲の上にお互いの利害を満たしてきた「アベ政治」の本物の顔が暴かれる中、コロナ禍、物価高にあえぐ国民の「国葬反対!」の声は広がり、誰かの声に耳を傾け国葬を決め、その政治を擁護し無批判に引き継ぐ岸田政権を揺るがしている。国葬はおかしいと心で思うだけではとまらない。おかしいと思うのなら、今こそ、その手で反対署名を!その足で集会・デモへ!



 

読者からの便り

朴 敦史


 先月号に掲載された「朝鮮人元BC級戦犯者の問題をご存じですか」に対し以下のような感想が寄せられた。紹介したい。
 こんにちは。アジア新時代いつもありがとうございます。・・・。
 李鶴来先生は一貫した日本の差別政策に翻弄され、たいへんな生涯を送られました。
 その身をもって闘うことを教えてくださった方だと思います。
 ご親族の方がそんなお近くにいらっしゃったのですね。
 姜秀一さんの文章、心して拝読しました。
 90年代を過ごした身からすれば、「BC級戦犯」の問題はむしろ戦後補償の中心イシューであったという認識なのですが、いまはもうすっかり忘れられてしまったのでしょうか。
 慰安婦問題が(バックラッシュゆえ)良きにつけ悪しきにつけ、記憶の抗争の只中にあることを考えると、二重、三重の忘却との闘いになりますね。
 ところで、内海愛子さんという歴史学の先生をご存知でしょうか?
 ぼくがとても尊敬している方で生涯をかけて戦争責任の問題、とくに「BC級戦犯」の問題、アジアの連帯に取り組まれています。
 戦後、連合国にとって最も許し難かった戦争犯罪は、「捕虜虐待」であった、そのため従事させられた朝鮮人、台湾人も容赦なく裁かれた...など、著書や講演を通じて学んだことは多いです。東京裁判についてももちろんご研究されています。
 日本は自らの戦争犯罪を一件たりとも自ら裁いたことがありません。
 これはドイツと根本的に異なることで、戦後西ドイツは国際軍事法廷であるニュルンベルク裁判後の1963年、「フランクフルト・アウシュビッツ裁判」によって追及を逃れていたナチの犯罪を自ら裁きました。
 http://www.newsdigest.de/newsde/column/jidai/1941-der-frankfurter-auschwitz-prozess/
 「反省」は法的責任をはっきりさせることと不可分です。(もちろんドイツでも激しい反動が起こりましたが...)
 内海先生について思い出しふと調べてみると、最近のハンギョレ新聞に記事がでていました。
 http://japan.hani.co.kr/arti/international/43707.html
 ご健在でした。お元気そうでよかったです。
 内海さんの『キムはなぜ裁かれたか 朝鮮人BC級戦犯の軌跡」(朝日新聞社、2008年)は、戦後研究の古典といってもいいと思います。
 『戦後補償から考える日本とアジア』(山川出版社、2002年)というブックレットもオススメです。そういう日本の方もいるということを忘れたくないですね...。


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