研究誌 「アジア新時代と日本」

第225号 2022/3/10



■ ■ 目 次 ■ ■

編集部より

視点 ウクライナ問題、その本質を問う

論点 問われる、日本主体の経済安保

論点 10兆円大学ファンドは日本の為なのか?

時評 日本も捨てたものじゃない!「?」

報告 写真展―「平壌の人びと」




 

編集部より

小川淳


 ウクライナ危機、だからこそ核廃絶の声を挙げるべき
 ロシアのウクライナ侵攻を機に保守反動らがにわかに活気づいたようだ。その筆頭が「核共有論議をタブー視してはならない」とか言い出した安倍元首相と橋下氏、そして維新だ。この「核共有論」の唐突さには呆れて言葉を失ってしまったが、通常ならば絶対に言い出すことも憚れることだが、ウクライナ危機に乗じて今なら許される、その魂胆が見え見えだ。これから先、敵基地攻撃論や改憲論などさぞ煩(うるさ)くなることだろうと思うと、気が重くなる。
 そもそも「核共有」(ニュークリア・シェリング)とは、核を持たない国が核保有国から核兵器の提供を受け、自国に配備することをいう。ウイキペディアによると、2021年時点で、ニュークリア・シェリング協定に基づき100個の戦術核兵器が欧州に配備されていて、ベルギーやイタリア、オランダなど5か国が米国の核兵器を受け入れているという。
 核を作らない、持たない、持ち込まないの「非核三原則」でいえば、持ち込まないに部分に当たり、唯一の被爆国で「非核三原則」を国是とする日本にとうてい許されるものではないことは明らかだ。核兵器を共有すると言っても、発射ボタンを握るのは核保有国であって、主権さえも及ばない。
 「核共有論」とは逆に、いま世界は核廃絶に向けて大きく動き始めている。その端緒が核兵器禁止条約の発効で、2020年10月、50か国の批准を受けて歴史上はじめて核廃絶に向けた国際条約が機能始めている。
 現在の批准国は59か国で、条約署名した国は86か国あり、今年3月にはオーストリアのウイーンで開催が予定されている国連締結国会議には、米国の核の傘の下にあるドイツもオブザーバー参加を表明していて、その発言に世界から注目が集まっている。
 唯一の被爆国の日本はというと、米国の核抑止力に依存しており、核廃絶は非現実的という立場から条約締結には否定的だ。
 ただ核廃絶の論議は、現実的かどうかが問題なのではなく、最終的に世界から核兵器をなくすことに同意するのかどうか、言い換えるなら「核のない世界」をめざすのかどうかという国としての核に対する基本的な立場が問われているわけで、アメリカの核抑止に依存している現状にあっても、では、どうすれば世界から核兵器がなくせるのか、広島出身の首相だからこそ、それくらいはできるはずで、日本の果たす役割は決して小さくない。
 ウクライナの危機があり、だからこそ核廃絶の第一歩を踏み出す時だという声を今、日本こそあげるべきだと思う。



視点

ウクライナ問題、その本質を問う

編集部


 20年前、イラクやアフガンで見られたあの同じ光景が今、ウクライナで繰り広げられている。
 だが、よく見るとその内実はかなり異なっている。それをどうとらえるか。それは、日本の政治にも決定的に関わってくると思う。

■ロシアによるウクライナの侵略なのか?
 昨年秋から見られたロシア軍の大移動。そして新年、国境線に沿い、ウクライナを包囲するかたちで展開された一大軍事演習。しかし、そこからロシア軍の今回の行動を予想した人はほとんどいなかったのではないか。
 その予想が変わったのは、ロシア議会で東ウクライナにおけるロシア人の虐殺が問題にされ、その救済決議が採択されてからだ。それに続き、ロシア系住民の多いドネツクとルガンスク、二つの人民共和国の独立が宣布され、ロシアが直ちにそれを承認するに至り、ロシア軍の東ウクライナ突入は俄然現実味を帯びてきた。
 だが、ロシア軍のウクライナ侵入の現実は、それをもはるかに超えていた。去る2月24日未明、軍事侵入は、東と南、そして北からウクライナ全土を包囲するかたちで同時に開始された。
 戦車、自走砲、歩兵部隊の列をなしての侵入、空からはヘリコプター部隊。それと時を同じくして強行されたミサイルによる空港をはじめすべての軍事施設への殲滅的打撃、そして政府機関、警察庁舎、経済産業施設、都市インフラなどへの攻撃。これらに見えたのは、最初、何よりもまず、先行的に空陸海ウクライナ軍と政府の抗戦力を弱体化、麻痺させながら、住宅地区への打撃は極力避けようとする姿勢だった。
 これに対し、全世界に巻き起こったロシア非難の嵐。戦争に反対し、侵略に反対する怒りの声は、日を経るに従い世界中に激しく燃え広がってきている。そうした中、識者たちの見解も、その多くがプーチンの狙いをウクライナの属国化に求めるものになっている。

■米ロの単なる覇権抗争なのか?
 ロシアとウクライナの間のことは、昨日今日のことではない。米ソ冷戦が終わってから、かれこれ30年。冷戦終結時、米ロ間では、NATO不拡大の口約束が交わされていた。
 しかし、約束は守られなかった。1999年のポーランド、ハンガリーのNATO加盟をはじめ、旧東欧社会主義諸国の加盟がロシアを西側から包囲するかたちで相次ぎ、今では、旧ソ連邦の一員だったウクライナ、ベラルーシの他、数カ国が残るだけになっている。
 この間、そのウクライナに対してもNATOに帰属させるための米国による工作は、間断なく続けられてきた。2004年のオレンジ革命、その10年後、親露派ヤヌコビッチ政権を打倒したマイダン革命など、ウクライナの「民主化」が進められる中、2019年、登場したのが二代続けての親米派政権、現ゼレンスキー政権だ。喜劇俳優が大統領となったこの政権の特徴は、首席補佐官がシナリオ作家、秘書室長が映画会社の代表と、政治のプロ不在の素人集団であるところにある。その背後で実際の政治を動かしている「ウクライナ・ハンドラー」がウクライナのアメリカ化、軍事化、ネオナチ化を推進しながら、NATOへの加盟を促進し、それは目前に迫っていた。
 今回のロシア軍侵入の目的がロシア系住民70万の保護とともにウクライナの非武装化、中立化と公表されているのは、こうした米ロ間の攻防の歴史を離れては理解できない。 そこから見た時、プーチンの狙いが単純なウクライナ属国化でないのは明らかだろう。そこには、米ソ冷戦から続く米ロ間の覇権をめぐる戦いが色濃く横たわっている。だが、今回のロシア軍の行動が、それだけでは不可解な部分が多分にあるのは事実だと思う。

■「米中新冷戦」との闘いとしての「ウクライナ」
 今回の軍事行動は、ロシアにとって、待ったなしだったと言える。ウクライナのNATO加盟は時間の問題であり、加盟してしまえば、ロシアはNATOを直接相手にすることになる。軍事行動に訴えるには、今回が最後の機会だった。
 だが、今回のようなことが米欧側による最大級の経済制裁を覚悟することなしにあり得ないのは一つの常識だ。しかも、軍事侵入したところで、所期の目的を達成できるという担保はどこにもない。下手をすれば、かつてのソ連によるアフガン侵攻の二の舞、果てしもない戦争の泥沼化だ。米欧側が今回のことについて高を括っていたのは、この辺の読みがあったからではないか。
 だが、プーチン・ロシアはウクライナ軍事侵入に踏み切った。なぜそうしたのか。そこに、「米中新冷戦」があったとみるのは見当違いだろうか。
 今、米国は崩壊の危機に瀕した自らの覇権回復のため、中国を相手に「新冷戦」を仕掛けている。その米国に、ロシアと中国、二正面作戦を展開できる余力はない。逆に中国にとっては、共通の敵、米国を相手にするロシアとの協調、協力は望むところだ。
 そこで、ロシアとしては、敢えてウクライナ攻撃を仕掛け、米国を二正面作戦に誘い出し、中国と力を合わせて討つということになる。
 その際、米欧による経済制裁は怖くない。それどころか、その制裁を米覇権の経済体制を崩壊させる絶好の機会にすることができる。
 実際、今回、米欧は、ロシアに対する制裁の基本をハイテクとともに金融に対する制裁に置き、米欧中心のSWIFT(国際銀行間通信協会)からロシアの大手7銀行をすべて閉め出し、ロシアを国際決済秩序から排除する挙に出てきた。
 だがそれは諸刃の刃だ。ロシアを中国や非米主権諸国がつくるもう一つの国際決済秩序へ追いやるだけだ。さらに、ロシアの主要輸出品、石油ガスや穀物、鉱物などをめぐり、SWIFT内に独仏と米英など、利害の食い違いがある。それは、二つの国際決済秩序の力関係の逆転につながる。
 力関係の逆転は、経済だけではない。政治にあって、それはより決定的なものになる。
 ウクライナの今後の事態発展がどうなるか、それはいまだ予断を許さない。停戦協議は行く先不透明だ。そこで、長期戦になった場合、どちらが有利かが問題になる。一般的に言われているのは、短期決戦しようとしたロシア軍がウクライナ軍と国民の思わぬ抵抗に遭い苦戦しているという見方だ。その上、燃料、食料の補給困難もある。ロシア軍が焦っていると言う見方が一般的だ。
 しかし、それは本当だろうか。長期戦に持ち込んでいるのは、むしろロシア軍の方ではないのか。その証拠に、この間ロシア軍は、原発なども含め、ウクライナ全域の要衝を次々に制圧する一方、「人道回廊」を設置するなど避難民の国外退去に道を開きながら、市街戦にしてしまった場合、多くの犠牲が出る首都キエフの陥落を急がず、時間を掛けて準備している。
 それはなぜなのか。そこで考えられるのが、プーチンは、国民に火炎瓶での抗戦を呼びかけるだけで、自国軍隊による確固とした防衛戦略もなく、米欧による軍事的支援のないのを嘆きながら、いたずらに展望のない停戦協議を繰り返すゼレンスキー政権に対する批判の声がウクライナ国民の内部から高まり、「ロシア系住民の保護」、ウクライナの「非武装化」、「中立化」を求めるロシアの要求に理解を示す動きが出てくるのを待っているのではないかということだ。
 それが、親ロシアの傀儡政権をでっち上げるのではなく、ウクライナ国民自身による非武装、非ナチス、中立の政権を打ち立てるためのもっとも確実な近道なのではないか。それが弱体化した米覇権にとって、これ以上にない致命的打撃になるのは言うまでもないだろう。

■「ウクライナ」から日本を考える
 ウクライナの事態発展は、遠く離れたわが日本とも無縁ではない。ここからわれわれは何を学び、自分たちの政治、日本の政治にそれをどう活かしていかなければならないか。
 事実、今、政界、言論界から日本が学ぶべき教訓やとるべき政策、方針などが出されている。しかし、それらが圧倒的に事態発展に対する米欧の見方に基づいており、当のプーチンの主張、思惑は「独裁者の狂気」として片づけられ、無視されているように見える。
 ここで提起したいのは、われわれは、欧米でもプーチンでもなく、どこまでも日本の立場に立って客観的に事態の発展を見、日本のとるべき方針を考えていくべきではないかということだ。
 そこで明らかなのは、今回の事態発展にあって米国が覇権国家としての行動を何も取れていないという事実だ。これにどう対するか。対米従属の戦後日本政治の見直しが今こそ問われているのではないだろうか。



論点

問われる、日本主体の「経済安保」

永沼 博


■中国排除の経済安保体制づくり
 岸田政権が目玉政策とする「経済安保」体制づくりが進んでいる。2月1日には有識者会議が「サプライチェーンの強化」「基本インフラの事前審査」「先端技術の官民協力」「特許の非公開」を4本柱とする提言を行い、これに基づいて3月には、「経済安全保障推進法案」(仮称)として閣議決定し、今国会での成立を目指すとしている。
 問題なのは、それが中国を対象にしたものだということにある。「サプライチェーンの強化」は、レアメタルなどの重要物質だけでなく中国偏在の供給網の見直しを図るものとして。「基本インフラの事前審査」は電気、金融、放送など14分野の基本インフラ(設備)で、中国のIT製品やシステムを、罰則規定を設けて閉め出すものとなっている。「先端技術の官民協力」「特許非公開」も中国を想定したものである。
 これに経済界が警戒心を表明した。提言が発表されるや経団連の十倉会長が「中国との経済関係は維持したい。世界は中国なしにはやっていけない」と憂慮を示し、2月8日には経団連としての意見書を公表した。
 経済界が危惧するのは、この中国排除が限りなく進むのではないかということである。「サプライチェーン」では対中投資や対中貿易そのものが問題にされかねないし、「基本インフラ」でも中国製品すべてを排除するものになりかねない。
 今、岸田政権は、こうした経済界の警戒心を考慮し、対象企業を限定することを法案に盛り込むなどしているが、詳細は政令、省令で決めるとなっており、経済界の警戒心は依然として残る。

■これは新冷戦体制づくりのためのもの
  「経済安保」の背景には米国の対中政策がある。米国は米中新冷戦を掲げ、日本をその最前線に立たせようとしており、中国との対決・排除を日本に要求してきている。「経済安保」が中国排除になっているのは、そのためである。
 その上でさらに見ておくべきは、米国が対中対決のために「日米経済の統合」を狙っているという問題である。米国の新大使エマニュエルは、就任の是非を問う米上院外交委員会で米中対決のために「世界第三位の日本経済と米国経済を統合する」と明言している。米国経済への日本経済の統合。圧倒的に優勢なIT、デジタル技術をもつ米国はデジタル化でこれを進めようとしている。日米経済の統合とは、融合一体化であり、日本経済の下請け化になる。
  経済界もそれが分かっており、「経済安保」がそのためのものであることも分かっている。
 90年代からの日米構造協議は、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」とまで言われた日本経済の強さを破壊するものであった。当時、経済界では「日本経済をつぶすのか」の声があがった。しかし、結局それを受け入れた結果、失われた30年を余儀なくされた。それは日本経済界のトラウマとなっている。経済界の警戒感は、「またやられるのではないか」ということだ。

■問われる主体性
 そして、考えなければならないのは、米国の弱化、その覇権の衰退という「現実」である。経済にかつての勢いはなく、2030年までにGDPで中国に抜かれることが予想され、先端技術でも中国に遅れをとっている。ウクライナ事態もNATOをウクライナまで拡大しようとした米覇権戦略が座礁に乗り上げているという側面を見ておかなくてはならない。
 こうした状況を経済界は分かっている。これまでのように米国に従っていて良いのか。米中対決の前線に立たされ、中国を排除し対決するようなことをやって日本が経済的にやっていけるのか。 一体、誰のための、何のための「経済安保」なのか。問題は、そのように提起されている。
 確かに、「経済安保」は重要である。IT技術の発展で、国の安全は、宇宙やサイバー空間にも及んでいる。そうであれば、それは対中国だけの問題ではないだろう。とりわけ、日米経済の統合を公言する米国に対する「経済安保」が論議されなくてはならないだろう。
 それにしても、岸田政権の「経済安保」に対して、経済界が異議ありの声を上げたことは注目に値する。これを機に、米国一辺倒を捉え直し、真に日本の国益を守る「経済安保」を考え、ひいては日本の経済のあり方、国のあり方を考えるものにしていかなければならないと思う。


 
論点

10兆円大学ファンドは日本のためなのか?

平山和江


 岸田政権が、菅政権から引き継いだ10兆円規模の大学ファンド。
 この大学ファンドは、日本の研究力低迷の現状にあって、科学技術・イノベーションの振興、先端科学技術の国際競争力復活に向け、世界に伍する「国際卓越研究大学(仮称)」を作るためのファンドであるが、今回、年間3千億円を上限に、数校に年数百億円ずつ配分する大学ファンド案が正式に決まった。
 懸念されることの一つは、大学間の格差を広げるだけではないのか、ということだ。それは、この方策が選ばれた有力な大学に資金を投入し、有利な条件を与えるというものだからだ。他の大学への研究費がこれまで通りであれば、大学間の格差は、間違いなくさらに広がるだろう。
 そもそも、今日の日本の研究力低下を招いた要因は、公的研究資金が少ないことにある。そのため各大学の研究費は大きく制約され、独自の開発や人材育成は深刻な状況になっている。
 国の発展のためには様々な科学研究が要求される。実際、地道だが貴重な研究を担っている大学は多数ある。私立や地方を含めこうした諸大学の研究を生かさず切り捨てるようなやり方は、日本全体の研究力の向上に繋がるとは言えない。
 また一方、支援を受ける大学は、年3%の事業成果が求められるという。しかし、年3%の成長は、20数年後に収入(大学病院を除く)を倍増させることでもある。これは大学にとって、非常に高いハードルだという。
 このようなリスクも伴い、大学間の格差を広げるものとなるのも、やはり、日本の研究開発資金が決定的に低いことにある。何よりも、まず研究開発資金を上げるための国家戦略をたて研究開発投資方法を考えるべきだろう。
 ところで、この大学ファンドの、より本質的な問題点は、これが「米中新冷戦」体制づくりの重要な環だということである。この大学ファンドの対象として選ばれる数校は、産業の国際競争力復活を担わされ、当然のことながら、AIや量子といった最先端技術を扱う。つまり、岸田首相が「経済安全保障が待ったなしの課題だ」と言う中国排除の経済安保の先頭を、まず、切らされるということになる。
 「産官学」すなわち、企業、政府、研究者の連携で推進される経済安保は、今後、「産官学自」の方向に変化していくという。「自」は、自衛隊のことだ。自衛隊を入れた経済安保の強化が、日本の将来にとって何を意味するのか、考えなければならないことだ。
 その上で、この大学ファンドが、「米中新冷戦」体制づくりの環となるのは、それが外資の意向に沿った研究と米国との共同事業、共同研究で行われるようになるからである。それは、この大学ファンド案が、英米のトップ大学を手本にした案だということに現れている。寄付などを元手にした独自の基金で研究資金を大幅に増やし成功した案を日本が見習って運用し、その利益から数校の大学に配布することになっている。その代わり、大学は外部の人間でつくる経営機関を設け、米国式最先端なガバナンスの導入をしなければならない。これは経営も設備も人間も外資の意向通りの大学につくり変えるということだろう。そうであれば大学は、外資の意向に添った研究と、米国との共同事業、共同研究で運営されるということだ。そして、選ばれた優秀な日本の人材は、それを支える下請け的存在、下請け的役割を担わせられるということではないだろうか。さらに、大学ファンドは株式や債券で運用されるが、10兆円の元手のうち9兆円分は国からの貸付である。これだけの巨費を損失リスクのある市場運用に回した例はないと危機感を募らす関係者もいるが、もし、失敗すれば、それも国民が負担するという事である。
 「米中新冷戦」体制づくりのためにある10兆円大学ファンドが、国と国民のためのものでないのは、明白だ。「米中新冷戦」体制づくりのため、日本は、多くの先端科学技術とイノベーションを創出し国際競争力を高めて、米国の経済を補完する力を養い、日本経済を米国経済に吸収統合、一体化させるための道具にされるということ、まさに、ここに10兆円大学ファンドの本質があるのではいだろうか。



時評

日本も捨てたものじゃない!「?」

平 和好


戦争ハンターイ
 侵略や、他国支配に反対する人がこんなにいるとは!?驚いた。道路を埋め尽くす人々が写真に載っている。「戦争反対」のデモ隊だ。すばらしい。コロナ禍をおそれてしばらく休養する雰囲気だった平和市民団体から「反戦の緊急行動のご案内」が来た。何と1週間に3回連続で駅頭行動をするらしい。共産党の機関紙なんか、大多数のページに「ロシア」「ウクライナ」の見出しが躍る。激しく燃え盛った50年前のベトナム反戦や新安保阻止の当時もここまでは無かった。

プーさんありがとう
 第二次世界大戦が終わってからの77年間、世界各地で無数の戦争があった。でも朝鮮、ベトナムへの戦争で日本は後方支援を行い、米軍への武器供給、兵站輸送、米軍兵士の休養から、戦死体のお化粧まで万全の協力を行う事で経済がうるおい、巨万の利益を上げたからか、大多数の市民は反戦で動くことは無かった。それに革命的な「喝!」を入れてくれたのがプーチン大統領だ。右も左も、お金持ちも、そうでない人も、プーチン大統領率いるロシア軍の所業を批判し、悪魔のように罵る事態になった。先月まで中国を、その前は朝鮮を叩きまくり、非難していたのに・・・ここまで「反戦の機運」を一人で盛り上げてくれたプーさんにはいくら感謝してもし切れない。

自由と民主主義
 ロシア軍を非難する原理は、自由と民主主義を侵すから、らしい。なので何を言ってもしても良い、のだ。ウクライナ大使館は日本で「義勇兵募集」をし出した。しかし、私戦を奨励することになってしまうから平和憲法にそぐわないし、法律上よろしくないという解釈になり、日本国内での募集は撤回、広告は削除された。それでも他国を経由すればOKという抜け道があるから、月給40万円につられる、殺人能力所有者は相当数、雇われているだろう。こう言う恐ろしい構造があり、ウクライナ自体がアメリカCIAや国防省の暗躍のもと、NATO拡大に血道を上げている事など、事実経過から明らかとなっている。毎日テレビに雇われ出演しているウクライナ人男性は「国際的制裁は最大に」と主張する。いまでも厳しい制裁を強化するのは戦争行為に等しい。また「武器供与」「欧米による飛行禁止空域設定」も叫び出した。戦争扇動に他ならないではないか。プーチンの権力を奪うか、暗殺者になるよう促す人物もマスコミに平気で登場する。内乱扇動や殺人教唆が許される風潮ほど恐ろしいものはない。
 しかし、そういう事について語ると、「自由と民主主義を侵すロシア・プーチン」への批判以外を語るのはけしからん!と、激しい非難が左右問わず起こるようになって来た。  自由と民主主義など、吹っ飛んでしまったようだ。

さてその結果は?
 まあ、それでも戦争反対勢力が増えるならよしとしよう。ところがそれは望み薄だ。街頭行動に参加するから分かるのだが、新旧左翼とリベラルのいつもの顔ぶれに、コロナ休業していた人が加わっているだけである。保守や維新や政権協力巨大宗教の人など参加していない。それらの人達は、集会やデモなど左翼・リベラルにさせといて「平和憲法など役に立たない。いつ我が国もロシア・中国・朝鮮に襲われる事か」と恐怖心をあおる活動に精を出している。左翼・リベラルは、ここが頑張りどころと思って活動しているが、右寄りの世論醸成・拡大に奉仕するだけに終わる可能性が強い。4か月後に来る参院選で、不吉な予言が的中してしまわない事を祈るのみである。



報告

写真展―「平壌の人びと」

金子恵美子


 去る2月19日から大阪市生野区新今里で開催された写真展「平壌の人びと」。
 フォトジャーナリスト・伊藤孝司さんが43回の訪朝(海外取材は約200回、韓国へも47回訪れている)を通じて、撮りためてきた数多くの写真の中から選びぬいた、近くて遠い国・朝鮮民主主義人民共和国の首都「平壌の人びと」を映した100枚の写真。(実際には平壌だけでなく地方での写真が4割を占めているとのこと)。コロナ禍で思いがけない時間ができ、写真の整理とパネル化を進める事ができ、実現した写真展だと言う。
 大阪での主催は<一軒丸ごと朝鮮韓国在日の図書資料で一杯!みんなの居場所・まちの人権図書館!>と謳う「NPO法人猪飼野セッパラム文庫」。代表の藤井幸之助さんはセッパラム文庫を「ここが多くの人が憩い・学び・旅立っていく交差点のような所でありたい」と語る。今回は東アジアの平和と共同繁栄、アジアと共に進む日本を目指す私たち「アジア新時代研究会」もお手伝いさせて頂いた。
  伊藤さんの説明を聞く参加者  開催までに会場の整備、清掃、写真を貼るパネル版の作成、写真の展示と説明カードの貼り付けや照明の準備、チラシの制作・配布、大看板の作成、新聞社などへの紹介の依頼、ビデオ上映の準備や椅子やテーブルのセッティングなどなど、山ほどの作業を皆の協力でどうにかやり抜き、初日を迎える。前日に到着した伊藤さんも最後の追い込み作業を一緒に担われた。
 写真展は伊藤さんの地元である三重・津を皮切りに名古屋・東京・京都などで開催され、大阪は5番目の地となる。伊藤さんは「当初、三重と東京だけでの開催を考えていましたが、予想を超えた反響があったために全国展開することにしました。私の写真展というよりも、日朝関係改善に寄与するための"運動"として続けていきます」と言われている。まさに、大阪生野区で開催された写真展は、そのような伊藤さんの思いに応える写真展となった。
 9日間で訪れた人々は約900名。無料開催であったが、カンパは30万円を超えた。毎日、朝日新聞、共同通信での紹介、テレビ朝日でも90秒という瞬く間の放映であったが紹介され、連日多くの人びとが会場を訪れ、伊藤さんのギャラリートークに熱心に耳を傾けていた。
 特に在日朝鮮・韓国人の割合が15%以上を占める生野区での開催。その上に会場となった場所が、この地で93年間写真館を営んできた建物で、何代にもわたりこの写真館で証明写真や子や孫たちの成長、家族写真などを撮ったという、この地の人々にとっては特別の場所であったことも写真展を成功に導いた大きな要因であったと感じられた。
 馴染みのある建物で何か催しがなされていると興味をもって訪ねてこられた人、前を通りかかって懐かしくて寄った人、近所の店に置かれたチラシを見て来た人、新聞で知った人、実に多くの人たちが、さまざまな思いを抱いて写真展に訪れた。会場の前は連日、訪れる人たちの自転車で一杯になった。このような光景は初めてだし、恐らくこれから開催するどの地でも見る事の出来ないものだろうと伊藤さんは語っていた。
 会場では忘れ難い多くの言葉との出会いがあった。短い時間での人々との出会い。その口から語られる言葉の重みと美しさに胸がゆさぶられた。
 日本軍「従軍慰安婦」問題解決に取り組んでいるという女性は、日本軍「従軍慰安婦」として韓国で一番最初に名乗り出た金学順さんの告白を<世界で一番美しい告白>と言った人がいる、ということを語った。胸が詰まり涙がでそうになった。金学順さんの人間としての崇高さがその一言に凝縮されていた。
 また、中国の朝鮮人自治区であるヨンギルから治療のために大阪に来ていると言う貧しそうな父親とその娘と孫がそーと会場を訪れた。国籍は中国。一度も朝鮮を訪れたことはないと言う。私にも国籍を聞きながら「自分は中国が国籍だが、民族無くしては人間とは言えない」「祖国の繁栄した姿を見る事ができて良かった。それが生きる甲斐だろう」「国籍など・・」と言いかけて「もうやめておこう」「自分はこの前の公園で一人で時々煙草をすって時間をすごしている」と言って帰っていかれた。貧しい身なりの、大きな手術をした後の細い身体、顔に刻まれた深い皺。悲しみの中にも強い信念の様なものが垣間見られるまなざし、このようなおじいさんのどこに、こんな深い思いが息づいているのか、誰が分かるだろうか。民族とは、祖国とは人間にとっていかなるものか、考えさせられた。
 85歳だという貧しそうなおばあさん。一人で写真展を訪れる。話しかけると自分の歴史を語り始める。自分の兄の家族が65年に帰国船で帰国した。母親が歳をとり、死ぬ前に一度兄に会いたいと言って、数年前に初めて訪朝を果たした。スケジュールがびっしり決まっていて、ほんのちょっとの時間会う事ができたそうだ。自分も兄のお嫁さんとは抱き合って別れたので会いたいと思うがなかなか行けない。写真展には子供たちと一緒に来ようと思っていたが、息子が偉そうなことをいうので喧嘩して、自分一人できた。でももう一度孫も連れて写真の説明がある時間に来ると言って帰っていかれた。
 ちょっと聞くだけでもこれだけの話が出てくる。参加者の日本人と在日朝鮮韓国人の比率は4対6位か。その900名近い参加者一人一人に物語があるに違いない。もっともっといろいろな方たちの話を聞きたかったというのが正直な気持ちだ。
 九日間の一期一会の出会い。様々な人が様々な思いをもって写真展に足を運び、またそれぞれの生活の場に去っていった。在日の人たちにとっては祖国、日本人にとっては近くて遠い国、朝鮮民主主義人民共和国への思いと理解が少しでも深まり、日朝関係の改善に寄与する写真展になることができたという喜びと心地よい達成感を写真展を担った皆で共有することができた。伊藤孝司さん、セッパラム文庫の人たちと共に過ごした写真展の日々に感謝したい。
写真展会場入り口の様子  写真展は埼玉、新潟、鳥取と続く。そこでも様々な出会いと物語が紡がれていく事だろう。紛争と争い、いがみ合いの絶えることのない世界。戦後77年を経ても国交が結ばれない朝鮮と日本。だからこそ、こうした地道な取り組みが大切なのだと思う。普通の人々の心の中に撒かれる理解と友好の種が、東アジアの平和と共同繁栄の礎となることを信じる。
 最後に参加者の感想をいくつか紹介して私の報告を終えたいと思う。
「辻本写真館という場所がなつかしくてやってきました。小さい頃から家族写真や成長の節目に使っていた写真館です。30年前に撮った最後の家族写真もここで撮りました(笑)」。
「朝鮮民主主義人民共和国の庶民の日常生活を写真で見るのは初めてです。生活がよく分かって良かったです。」「朝鮮の日常を知ることができた」
「2010年に訪朝したことがあるのですが、それ以来訪問できていません。人々の暮らしがどのような状況にあるのか知りたくて今日見に来ました。40回以上訪朝されている伊藤さんだからこそ、カメラを向けられた人々の姿や表情もやわらかく、信頼があるのだと感じました。貴重な機会をありがとうございました」。
「長い歳月と真実を追求する意志なくしてはできない、本当に貴重な写真の数々でした。又、伊藤氏の話も中身が濃く、特に<真実を知るためには歴史を知らねばならない。現象を追うだけでは真実にたどり着けない。>という一節が印象的でした」。


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