研究誌 「アジア新時代と日本」

第223号 2022/1/10



■ ■ 目 次 ■ ■

編集部より

情勢展望 日米同盟基軸を問う時が来た

時評 2022オオサカ・バラ色プラン

投稿 オーストラリアからの便り

イベント紹介 伊藤孝司写真展 「平壌の人びと」




 

編集部より

小川淳


日米地位協定がもたらした第6波
 新型コロナが最初に確認されてからちょうど2年、年が明けてオミクロン株の感染拡大が急だ。沖縄県では病床のひっ迫から外来や入院の制限が始まっている。政府は沖縄県と山口県、広島県に「まん延防止等重点措置」を適用した。
 昨年末以来、世界的なオミクロン株が蔓延する中で、岸田政権は外国人の新規入国停止など厳しい検疫体制を敷いたが、オミクロン株の侵入を防ぐことができなかった。「水も漏らさぬ検疫体制」に大きな抜け穴があったからだ。米軍基地である。基地が集中する沖縄県と岩国基地のある山口県、隣接する広島県に感染者が集中したのはその為だ。
 とりわけ沖縄の海兵隊基地キャンプハンセンでは先月から200人を超すクラスターが発生していた。にもかかわらず米兵はマスクを着用せず繁華街で飲み食いしている。日本政府がすべての外国人の新規入国停止など水際対策を強化している傍らで、嘉手納空港では米兵や家族が出国前のPCR検査もなければ入国後の検疫もなく自由に乗り降りしている。将校は基地外に戸建ての家を持ち、基地外で遊び、買い物もする。このように米軍基地が日本の検疫の対象とされていないのは日米地位協定によって国内法の適用が除外されているからだ。
 12月21日から玉城知事はキャンプハンセンからの外出禁止を再三求めてきたが、日本政府が正式に米国にコロナ対策の強化を求めたのは年が明けた6日で、外出制限がなされたのは10日だ。玉城知事の要請から20日も過ぎている。あまりに遅い。
 日米地位協定とは、日米安保条約は米軍基地の管轄権を米軍に認めているが、その運用の細則を取り決めたものだ。具体例でいえば、基地に出入りする米国人は日本の出入国管理法に服さなくて良い。犯罪についても公務中に起きた事件の第一次裁判権は米軍にある。公務中以外の事件でも、容疑者が基地内に逃げ込んでしまえば、日本警察は基地内に立ち入って逮捕尋問できないなどなど。「在日米軍の軍人、軍属、家族らは日本の法律に縛られず自由に行動できる」という取り決めである。
 沖縄では米兵による強姦事件や暴行など起きても、逮捕も裁判もできないという理不尽な状況が続いていて、悲惨な事件のたびに地位協定の是正が問題にされてきたが、日本政府はこの60年間何もせずに放置してきた。基地使用や施設外での訓練に国内法を適用するドイツや、米軍基地を自国司令部の管轄下に置いているイタリアも、自らの手で主権を回復している。今回のオミクロン株の猛威は、地位協定の理不尽さを、この60年間、何もしてこなかった政府の怠慢を、そして何よりも国家主権を持つことの重要性を、改めて浮き彫りにしたのではないか。



情勢展望

日米同盟基軸を問う時が来た

編集部


 戦後一貫して、日本政治の基軸は日米同盟に置かれてきた。今でも、日本とその政治にとって、日米同盟基軸は、一つの掟のようなものになっている。
 しかしここに来て、その不文律がかなり揺らいできているのも事実ではないだろうか。日本のあり方を根本から左右するこの事態。改憲をはじめ、岸田政権による「新冷戦体制」づくりが全面化し、それとの闘いが問われる中、新年、2022年を迎えながら、その切実さが一層増している。

1 絶対的でなくなった日米同盟基軸

 日米同盟基軸の揺らぎは、一昨年9月、自民党総裁選での菅政権誕生で露呈した。それが昨年、2021年、米バイデン新政権の登場にともなう逆襲、岸田新政権を押し立てることによって、立て直されたかに見えた。が、やはり覆水は完全に盆に返っていないのではないだろうか。

■ここまで露呈した米国の弱さ
 日米同盟の基軸としての揺らぎは、すぐれて、米覇権自体の衰退、弱体化に起因している。
 2021年は、米覇権の衰弱がいつにも増して際立った年としてあったのではないか。
 米覇権の衰弱は、まず、米軍のアフガン撤退に現れた。もちろん、撤退自体、弱さの表現なのだが、その撤退の有様がひどかった。これまで先の見えない泥沼の対テロ戦争、アフガン戦争につき合わさせてきた対米追随の国々、「協力者」たちをほったらかしにして自分たちだけほうほうの態で逃げ出したこと、その撤退後わずか10日で、米国が巨費を投じて育てたアフガニスタン政府軍がいとも簡単に瓦解し、瞬く間に首都カブールがタリバンに占拠されたこと、これだけ見ても20年に及ぶ米国によるアフガン「民主化」が何だったのか、その本質が分かるというものだ。
 昨年末、バイデン大統領自らが主宰し、オンラインで行われた民主主義サミットも、図らずしも米覇権の衰弱を満天下に露呈するものとなった。数ヶ月前からその開催を宣伝し、米国を盟主とする「民主主義陣営」と中ロの側につく「専制主義陣営」に世界を分断し、自陣営の強化とその正当性の喧伝を狙った思惑はもろくも崩れ去った。米国の恣意により、世界各国を「民主」と「専制」に色分けし、自分の意に染まない国々を「専制」だと決めつけ、排除し、封じ込めるその「排除の論理」によって、サミットが失敗しただけではない。自らが掲げる民主主義など普遍的価値観そのものに泥を塗ることになってしまったのだ。
 その一方、米覇権の衰弱は、何よりも米国内の惨状に現れた。世界最大、最悪を更新し続けるコロナ感染者、死者の数。深刻な不況の中のインフレ、スタグフレーションと悲惨なまでの国民的生活破壊の進行。そして、極度の貧富の格差、激化する人種間、政党間対立と抗争、等々、深まる一方の米国社会の分裂、分断。もはや、米国が世界の「理想」として輝いたかつての栄光は地に落ちてしまった。
 米国による北京オリンピック外交ボイコットの呼びかけが空しく響き、それに呼応する気運が全く盛り上がらなかったのも、こうした米覇権衰弱と無縁では決してないだろう。

■日米同盟基軸で動いた一年だったか?
 誰もが不動のものと信じて疑わなかった日米同盟基軸に激震が走ったのは、一昨年9月のことだった。安倍首相の病気理由の突如の退陣の後、非米派、二階氏主導の下、菅氏の自民党総裁選出、新政権樹立があっと言う間に現実のものになったのだ。この速攻が、トランプ氏とバイデン氏による米大統領選混沌の隙を突いたものであり、米国による日本への「米中新冷戦」押しつけを嫌ったものであったこと、戦後日本政治史上まれに見る日米同盟基軸を大きく逸脱する一大事変としてあったことは確かではないかと思う。
 それを裏付けるかのように、その後、大統領選の混乱を何とか収拾した米国による逆襲が始まった。東京地検特捜部が動いた菅首相の長男のNTT接待事件をはじめ、一連の菅攻撃が相次いだ後、米ソ冷戦と「米中新冷戦」を対比しながら、後者のフロントライン(最前線)を担う覚悟を説いた麻生談話が訪米の途につく菅首相を念頭に行われたのは印象的だった。その後、バイデン新大統領の最初の首脳外交の対象にされた菅首相が「台湾有事」での共同行動など、「米中新冷戦」で開かれる「日米新時代」を前面に掲げてきた米国言いなりで帰国したのは周知の事実だ。
 が、米国の逆襲は、これに止まらなかった。背後から、米国べったりの3A(安倍、麻生、甘利)を動かして、菅首相を自民党総裁選不出馬表明へ追い込む一方、岸田氏を総裁、首相に押し立てる総裁選「大謀略劇」の演出、その勢いを持っての総選挙での自民大勝、「新冷戦体制」づくりを基本使命とする岸田政権の押し立てと2F(二階)への打撃を後ろから画策した。
 ここまでは、確かに往年の日米同盟基軸の復調、米国の思惑の通り動いたかに見えた。しかし、覆水は盆に返らず、一度ゆるんだたがを締め直すのは容易ではない。
 実際、打撃を受けたはずの二階氏のもとへの人の出入りは一向に衰えず、幹事長や外相の人事など、岸田氏と安倍氏の間には何かと不協和音が聞こえてくる。
 そこに働いている力は何か。もちろん、中国の力が働いているのは事実だろう。しかし、それだけではない。それにも増して、日本の財界、経済界をはじめ、中国との関係が深く、「米中新冷戦」に動揺している中央と地方、様々な勢力が日米同盟基軸を揺るがす力として働いている。

■国民意識の高まりと揺らぐ日米同盟基軸
 絶対的なものではなくなった日米同盟基軸の揺らぎのもっとも奥深い根底には、日本国民の意識の変化、自分たちの地方、地域第一、自分たちの国第一への意思と要求の高まりがあるのではないかと思う。
 この高まりは、もちろん旧年中だけのものではない。この十年前後、沖縄にはじまりながら、全国各地で一貫して、従来の左右、保革の枠を超えて、自分たちの地方、自分たちの地域第一の気運が高まってきている。柏崎市の市長選で地元第一の候補が全国の反原発運動の支援を受けた候補を破ったこと、大阪都構想をめぐる住民投票で大阪市をなくすのに反対する市民の声が大阪維新の会を抑えたこと、この数年、全国各地の各種選挙で自民党本部が推す候補と地元自民党が推す候補が対立し、後者が勝つケースが圧倒的に増えていること、等々、気運の高まりを示す事例は枚挙にいとまがない。
 旧年中は、それが一段と高まったように思う。横浜市長選で、菅首相が推す本命・小此木候補が立憲、共産、社民が推す山中候補に誰も予想すらできなかった大差で破れたのは、カジノに反対する横浜第一の意識にも増して、コロナ対策で「自宅療養」を国民に押し付けた菅首相に対する国民的怒りの爆発によるものだったのではないか。
 これは、自分たちの地方、自分たちの地域第一の意識を超えた自分たちの国、自分たちの国民第一の意識への高まりではなかっただろうか。欧米やアジア諸国で見られた自分たちの国、自分たちの国民第一の意識の高まりが日本でも見られるようになってきたのか。
 この意識の高まりがEUや米覇権など自分たちの国を支配し左右する権力への怒りの高まりとしてあるのを考える時、自分たちの国、自分たちの国民第一の意識の高まりは、間違いなく日米同盟基軸を揺るがす方向で作用することになる。
 それを裏付けるような数字がある。それは、北京オリンピック外交ボイコットについての最近の世論調査の結果だ。政界が与野党ともに圧倒的多数でボイコット支持なのに対し、国民は、維新を除くすべての党支持者がボイコット反対、特に支持政党なしの無党派層は、賛成26%に対し41%が反対だった。これは何を意味しているか。もはや国民の大半が少なくとも日米同盟基軸に無条件賛成ではないということだ。

2 高まる日米同盟基軸をめぐる闘い

 新年、2022年は、岸田政権が「新冷戦体制」づくりを全面化してくる年になる。憲法審査会をはじめ、新しい資本主義実現会議、デジタル田園都市国家構想実現会議、国家安全保障戦略会議など、「米中新冷戦」において日本がその「最前線」としての役割を果たすための「新冷戦体制」構築に向けた戦略会議が目白押しだ。
 そこでその柱として重視されるのが日米同盟基軸だ。これが揺らいでは、「最前線」としての役割遂行は覚束ない。 実際、今、日本政治において、その基軸はどこにあるのか。従来通り、日米同盟にあるのか。この日米同盟基軸をめぐる闘いは、「新冷戦体制」づくり全面化をめぐる闘いの環となる重要な闘いだと言えるのではないだろうか。

■「米中新冷戦」の本質を問う
 「新冷戦体制」づくり全面化との闘いを考える時、その前に、そもそも「米中新冷戦」とは何かを確認しておく必要があるように思う。それについて、バイデン政権自身が言っているのは、周知のように「民主主義VS専制主義」の米中覇権競争だ。それがいかにまやかしであるかは、先述した「民主主義サミット」でも露呈している。
 では、本当のところは何なのか。それは、一言で言って、米覇権の弱体化が進む中、米国との同盟関係をあくまで政治の基軸として米覇権の下に入る国々と中ロなどそうでない国々の二つの陣営に世界を分断し、米国が自陣営を強化しながら、そこに入らない他の国々を「他陣営」として排除、封鎖して滅ぼす米覇権の回復戦略だと言うことができるのではないだろうか。
 世界を東西に分断して成功した米ソ冷戦の夢よもう一度というこの戦略が再度成功するための鍵は、自らのIT覇権の優位性、それに基づく軍事覇権の優位性に求められているに違いない。彼らがこの「新冷戦」をテクノデモクラシー(技術民主主義)とテクノオートクラシー(技術独裁主義)の闘いだとして、技術の流出にもっとも神経を尖らせているところにもそれは示されているのではないかと思う。この「米中新冷戦」、米覇権の回復戦略は誤りに満ちているが、中でも決定的なのは、時代認識の誤りにあると思う。
 彼らは、現時代を自分たちの国第一、自分たちの国民第一の脱覇権の時代として見ることができていない。彼らにとって、それは「極右ポピュリズム」など、たまたま偶然生まれては消える泡のような存在にしか見えていないのではないか。彼らの目には、世界はいまだ旧態然とした覇権時代、覇権世界としてしか見えていないに違いない。世界を米覇権陣営と中ロの覇権陣営の二つに分断し、中ロの側を排除、封鎖できると考えているのはそのためだと思う。
 だが、脱覇権の世界はそうは動かない。国々を二つの覇権、二つの陣営の下、封じ込めるということ自体が不可能であり、一方を排除と封鎖をもって滅ぼすということも不可能だ。 
 実際、よく見ると分かるが、中国は、自らの「同盟」、「陣営」をつくろうとはしていない。米国による選別、排除には関わらず、すべての国々との友好関係の拡大を図っているように見える。この時代認識の違いは大きいのではないだろうか。

■「新冷戦体制」づくりの全面化を前にして
 米国は、「米中新冷戦」において、日本をその「最前線」と位置付け、もっとも大きな期待を掛けている。バイデン大統領が菅首相を最初の首脳外交の対象に選び、一部皮肉を交えながらも厚遇したのはそのためだ。
 では米国は、日本が「最前線」としてどのような役割を果たすことを求めているのか。それは、これまでのように米国の後ろから大人しく付いてくるのではなく、弱くなった米国の力を補うよう米国と一体となり、主体的、主導的に自らの役割を果たすよう求めているように見える。
 今度、米駐日大使として新任してきたラーム・エマニュエル氏は、日米協力の重要性について触れながら、「経済規模で世界首位の米国と3位の日本との経済統合を強める好機であり、この統合が緊密化できれば、極めて強い力になる」と述べている。
 すなわち、米国が日本に求めているのは、日米の統合、一体化であり、日本の力で弱まった米国の力を補強するということなのではないだろうか。
 そのためには、自衛隊は、これまでのように日本の防衛で、「専守防衛」、盾の役割だけ果たしているのではなく、米軍とともに共同行動し、その抑止力を補強する矛の役割を果たすようになるべきだということだ。宇宙や海上、空中、そして陸上でも日米両軍の役割分担は、すでに日常の訓練を通して、常態化していっている。また、日本の経済力について言った時、たとえば半導体生産において、米国が設計と製造を受け持つとすれば、日本は設備と部材を受け持つというように、米国の経済力を補完するような力に転換してくれということだ。言い換えれば、日本は米国という身体の右腕、左足などその一部となって支えるということだ。すなわち、統合は統合でも吸収統合であり、一体化は一体化でも、米国という全体の一部になっての一体化だということだ。
 こうした視点から見た時、岸田政権が行おうとしている「新冷戦体制」づくりとは一体どういうものなのか。それは、日本の米国への吸収統合、一体化、端的に言えば、アメリカ化に他ならないのではないだろうか。
 かつて米国は日本のグローバル化、新自由主義化を要求してきた。それは、グローバル化という名のアメリカ化ではないかと言われた。今、それが「新冷戦体制」づくりとして、より徹底的に強行されようとしている。
 そこから見えてくることが一つある。それは、「米中新冷戦」の「最前線」とは、全世界アメリカ化の「最前線」であり、「米中新冷戦」とは、すなわち、全世界のアメリカ化そのものに他ならない。日本にはその模範、モデルになることが求められているということだ。

■国民の前に問われる日米同盟基軸
 このところ衰退、弱体化が目立つ米国を前にして、今、盛んに言われるようになってきていることがある。それは、日本がこうした事態に対しどこまでも主体的、主導的でなければならないということだ。
 すなわち、弱い米国、衰弱する米国、先の民主主義サミットでの体たらく、頼りにならない米国に対して、いつまでも追随するばかりでいてはだめだ、日本の主体性、主導性こそが求められていると言うことだ。
 これは、「米中新冷戦」にあって、米国の要求でもある。米国は今、日本が米国と一体に主体的、主導的に、「民主アジアのリーダー」として自らの「役割」を果たしてくれるのを望んでいる。
 そこで問題にされることがある。それは、日本が主体的、主導的である時、その大前提として、「日米同盟基軸」であることだ。すなわち、日本が主体的、主導的になるのはどこまでも「日米同盟」を守り、「日米同盟基軸」を堅持するためだということだ。
 テレビや新聞などマスメディアに出てくる「人士」や「識者」たちも皆、表向き論調はこれと同じだ。「日米同盟基軸」を柱として押し立てている。しかし、彼らが本当のところどう思っているかは分からない。
 実際のところ、それは様々だと思う。日米同盟基軸が本当に日本の国益になるのか否か。この判断を政治家や学者、評論家など、専門家たちに任せておいてはならないと思う。なぜなら、彼らはこの問題に多かれ少なかれ個人的な利害関係、主観的な考えを持っており、その関係、考えが彼らの判断に少なからず影響を及ぼすからだ。
 たとえば、先に見た北京オリンピック外交ボイコットへの賛否を見ても、与野党議員など、政治家の大部分は賛成に回ったのに対し、一般国民、特に支持政党なしの無党派層は、41:26で反対に回った。この場合、一般国民の方が余程、客観的に日本の国益がどこにあるか正しく判断しているのではないか。
 今日、自分たちの国、自分たちの国民第一の国民意識の高まりが見られる中、何が国益か政治の判断を国民に委ねることが一層切実になってきているのではないかと思う。
 日米同盟基軸からの脱却も、「米中新冷戦」や岸田政権の「新冷戦体制」づくりにどう向き合うかという問題も、そしてその一環としてある改憲の問題なども、すべて国民大衆の前に隠すことなく広く公然と問い、その判断に委ねるのがもっとも正しい政治、進路の選択につながるのではないかと思う。それこそが本当の民主主義なのではないだろうか。
 この観点からすると今日の日本の政治は、全く民主主義ではない。今問われている政治的課題が何一つ国民の前に明らかにされていない。「米中新冷戦」も「新冷戦体制」、改憲、そして日米同盟基軸の問題も、それが何で、何が問題なのか、大手のメディアでも、どこでも取り上げられておらず、議論にもなっていない。選挙でもこうした問題が争点となることもなく、人々の関心もないままに、史上最低を前後する低投票率が続いている。
 これでは憲法改正国民投票も参議院選も、「新冷戦体制」づくりとの闘いも大多数の国民にとって事の本質が分からないまま選択を迫られ、過ぎ去っていくことになるだろう。これは、日本にとっても、日本国民自身にとっても計り知れない不幸であり損失だ。
 新年を迎え、主体的、主導的が問われる中、「日米同盟基軸」を問う本稿が少しでも意味のあるものになることを願ってやまない。



時評

2022年オーサカ・ばら色プラン

堺 一郎


■え! ※00億儲かる?!
 せっかくの新年だから景気の良い話しをしたい!
 さすが、橋下・松井・吉村トリオさんが素晴らしい夢を提示してくれている。どこの自治体も庶民生活も国の財政も青息吐息なのに、夢をばらまく維新の皆さんは違う!
 「府知事・大阪市長が言うんやから間違いないで!」
 「儲けるには何ちゅうても投資が必要です。」いくら投資したらよろしいのですか? 
 「施設整備費に1240億円です。ああ、それにこの度汚染土壌が発見されてその改良に800億円いります。」なるほどあわせて2040億円ですか〜 
 「それで済むかどうかはちょっと・・・」えー?!でも儲かるんでしょ、仕方ないかな。
「カジノ最寄り駅作るのに募集かけたんですけど、応募してくれる民間企業無かったんで、市が出すことにしたんですわ。」 

■儲かる計画はちゃんとあります
 さすが松井市長だけあって太っ腹! 将来儲かることが確実やからですな、きっと!
 「はいーそれはもちろん。万博部分は半年後壊して無くなりますけど、そこから後もカジノは残って稼ぎ続けるわけです。ちゃんと学識のある人が計算してまっせ。年間570万人が来てくれます。インバウンドが減ってるから外国人は140万人ですけど、日本人が430万人。根拠がありましてUSJに大体1000万人来てくれてます。その半分は見込める! 根拠ありますやろ。その人らが賭け金3千円+入場料その他お土産代や飲食費合わせて1万円ずつ落としてくれたら570億円ですわ。万博入場料も合わせるとその倍いくんと違いますか! 経費引いて800億円は固い。」
 「全世界から募集して応募してくれたんはMGMオリックス共同企業体だけやったけど、そんなん気にせんと。2021年10月の世論調査では大阪市民は5割強がカジノに反対、賛成は3割りちょっとですが、何百億も儲かると知ったら態度変わりまっせ。 
 横浜が拒否したって? そんなん関係おません、大阪のチャンスが増えたと解釈しましょ。アカンだらその時は運が悪かったとか、有権者が選択した道やとかゆうたらよろしいねん。その時、私らはもう今の地位におりませんし。」

■密約
 「実はこの計画がうまく行く確証は持ってないんです。でもね、松井さんらがしょっちゅう首相官邸に行って懇談してるから大丈夫。大阪市民・大阪府民の税金では足らん事確実ですけど、その分は国が出してくれるように話し通してますから、ご安心を。
 つまり、この日本に暮らしてる人全てが払う税金で補填してくれることになってます。
 この夢洲に台風や津波や地震が来たらどうなるか、て? そんなもん大阪湾の藻屑になります。その時は『全て水に流して』おくんなはれ。」
 「そうそう、今、小中高校を統廃合して、土地を売り払うて、その代金から維新への献金を除いた分を支払いの足しにしますし。万事うまく計らってますのでご安心を!」
 「ただの夢やて? そら、舞台の名前が夢洲ですから・・・おあとがよろしいようで。」
 ・・・これを詐欺と言わずして何と言おうか。あきらめの悪い人達はこの詐欺が2月3月の府市議会で通らないよう、署名運動も始めている。
<カジノ誘致はやめて下さい。Change.org>または<大石あきこ>で検索を。


 
投稿

オーストラリアからの便り

W・T


 新年明けましてございます。
 オーストラリアはクリスマスイブに仕事納めの人も多く、年末には観光地やショッピングセンターに家族づれが目立ち多くの人で賑わいます。25日のクリスマスは、ほとんどの店が閉まり、家族と過ごす夏のクリスマスがオーストラリアの特徴です。レストランなども日本では想像もつかない長期休暇に入る店も少なくありません。僕自身も3週間も有給休暇をもらってホリデーを満喫しています。
 オーストラリアの就労制度や働き方を見ると、日本と大きく違うのが見えます。まず、オーストラリアは仕事中心ではなく、家族と過ごす時間をもっと大事に考えています。定時帰宅、仕事後の飲み会はほとんどなく仕事とプライベートがはっきりしています。
 僕の今の雇用形態はフルタイム雇用なのですが、ここから勤務制度を見てみると、週38時間以上の勤務が保障されており、年次有休休暇、個人休暇などの権利がすべて得られます。期限付きで雇用される有期契約(Fixed Term)の場合と、無期限契約(Permanent)の場合があります。Permanent Full-time のポジションが、日本でいうところの正社員に相当します。年次有給休暇(Annual Leave)と言って、年4週間の有給休暇を取得できます。週5日の仕事を1年間続けると、20日間分の有給休暇(まとめて休むと4週間となる)がたまる計算です。使わなかった有給は累積し、消滅することはありません。退職時にはその時の給料に応じて清算され支払われることになります。
 オーストラリアの最低賃金は20ドル(日本円換算1600円)です。これを見てもオーストラリアでの就労が魅力的に感じるのではないでしょうか。オーストラリアで留学している、日本の友人たちに話を聞くと、日本では休みの日でも休日出勤や仕事の連絡、さらには会社の人たちとの付き合いと、休みが休みのように感じないことがとても辛かったと言っていました。僕は、仕事の日は仕事、休みの日に友達や家族とゆっくり自分がやりたいことをできるワークバランスの取れたオーストラリアライフスタイルが日本でもできればと思いました。
 オーストラリアの大晦日はカウントダウンしながら、花火の打ち上げが毎年恒例です。昨年はコロナで中止だったので、今年はみんながコロナで苦しい中で一つの希望を見るような特別な花火だったと思います。2020年3月からコロナ感染が世界的に広がり、オーストラリアでもシドニーを中心に広がりを見せ、昨年の11月ごろまでシドニーやメルボルンがある、ニューサスウェル州やビクトリア州では何度もロックダウンが行われ、コロナ封じ込め路線を走ってきました。
その効果があってか、僕の住むクインズランド州は1年間ほぼ感染者が出ず、マスクもほぼしませんでした。大都市ではワクチン接種義務化の反対、ロックダウンでの経済不況、行政不満が高まり、大規模なデモが国会前や街の中心で行われ、警察と衝突する時期もありました。一方では世界と比べても、オーストラリアは安全だと多くのメディアで評価されたのも事実です。確かに中小ビジネスには大きな打撃ですが、コロナの影響を受けて働けない人たち(外国人も対象)には助成金や積み立て年金を下ろせる援助が行われ、おかげで僕自身も心配なく生活できました。
 そんな中、コロナとの共存に政策変更をしたオーストラリア政府は、ワクチン接種をほぼ義務化し、約90%にまで接種率を上げました。その結果、12月から国境のオープン、さらには州間の移動も条件付きで自由になり、人の流れや経済を活発化させました。クリスマス、年末に多くの感染者が出ても、規制をすることもなく、全国で何万人もの感染者が出てしまいました。数十人から突然、数週間で2万人の感染者が出てしまったクインズランド州は、その影響でパニック買い、病院を始め、流通、食品関連業でスタッフ不足に陥っています。街の飲食店には人はガラガラですが、コロナテストや検査キットを求める人々で何時間の列ができています。
 オーストラリアの知人たちは、ワクチン義務化反対でワクチンを接種しない人もおり、政府の強制的なやり方に不満な様子でした。5月には総選挙を迎える現政府は新型コロナウイルスへの対応などに批判が高まっているため、政権交代の可能性も指摘されています。
 世界的に、政府の厳しい措置によってコロナの脅威から国民の命が守れているのは否めませんが、ここオーストラリアでも厳しい統制によって、多くの人のメンタルヘルスの問題や手術や病気の治療の遅れ、仕事や生活を営む権利・移動の権利などを失うことによる弊害など、様々な社会問題が引き起こされている事実に目を向ける人たちが増えているように感じます。日本も今同じような状況になってきていると思いますが、どのようにこの危機を乗り越えていくのか心配と関心をもって見つめています。



イベント紹介

伊藤孝司写真展 ―「平壌の人びと」―

金子


場所:旧辻本写真館(生野区新今里2−9−16 近鉄今里駅徒歩5分、地下鉄今里駅徒歩10分)
日にち:2月19日(土)〜2月27日(日)
時間:11時〜18時
主催:NPO法人「猪飼のセッパラム文庫」
入場無料(応援カンパ歓迎)

 1992年から朝鮮民主主義人民共和国(以後「朝鮮」)を43回訪れ、膨大な量の写真やビデオの撮影を行ってきたフォトジャーナリストの伊藤孝司さん。その中から人々の多様な姿をフォーカスした写真100枚を展示する写真展「平壌の人びと」が大阪の地で開催される。
 すでに三重、京都、名古屋、東京で開催。緊急事態宣言下にあった昨年8月から9月にかけて開催された東京では、約二週間で522名の来場者があったとのこと。朝日新聞でも取り上げられた。
 偏見や差別、憎悪は知らないところ、交流のないところから生れる。
 私は自閉症の人たちのグループホームで働くが、「地域で自分らしく生きる」を掛け声に普通の住宅街の一軒家で支援を受けながら暮らしている彼らに、最初は地域の住民の方々の理解を得るのは難しかった。時に大声を出したり、怒ったり、暴れたりする彼らを、遠目に恐る恐る眺めている、なるたけ拘わらないようにするという感じで一線が画されていた。これを何とかしようと、「お茶会」を催すことにした。ビラを作り近所の家々に配って招待し、お茶を点てるのが好きな自閉症のIさんに野点風にしつらえたホームの縁側でお茶を振舞ってもらった。最初は一人から、次にその人がお隣さんを誘って3人になり、「今度は自分の茶碗をもってくるわ」「家の中はこんなになっているんだね」とだんだん会話も弾み、ここで暮らす一人一人の名前や性格、特徴など理解していってもらうことができた。道で会っても怖がって遠ざけるのではなく「○○ちゃん」と呼んでもらえるようになっていった。知ってこその親善・友好だ。
こんな経験から、差別や偏見、恐れは相手をよく知らないところから生れるということを身をもって実感している。
知るためには、自分の目で見て交わってみることが一番だが、相手が国ともなるとなかなか簡単ではない。ましてや、日本が戦後76年以上も国交を結ばず、敵視政策をとっている朝鮮についてはなおさらだ。
 東アジアの平和と安定のためにもこの写真展をアジアの友を知り交流する一つの貴重な契機にして欲しいと思う。会期中、伊藤孝司さん在廊、ギャラリートーク有り。


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