研究誌 「アジア新時代と日本」

第22号 2005/4/5



■ ■ 目 次 ■ ■

時代の眼

主張 二重の内政干渉不感症の喜劇を克服するために

研究 フリーターの労組組織化をめぐって

文化 「ブルータワー」

朝鮮あれこれ ピョンヤンで見たサッカー・アジア最終予選

編集後記



 
 

時代の眼


 ライブドアとフジの攻防は、どうやら後からやってきたソフトバンクが漁夫の利を得るというかたちでけりがつきそうです。
 そのためか、世の耳目を集めたこの騒動が一気に味気ないものになってしまった感は否めません。
 当初、この乗っ取り劇に拍手喝采を送った向きの多くは、そこに織田信長が今川義元を打ち破ったときのような桶狭間的爽快さを味わっていたのではないでしょうか。いつの時代にも、小さな新興勢力が大きな旧勢力を打ち倒すところには、万人を魅了する新しさが感じられるものです。
 こうしたなか、ライブドアの挑戦は、「ニュージャパン」の「オールドジャパン」への挑戦として描写されました。実際、そこには新興ネット産業の雄が巨大メディアの老舗に立ち向かったという新しさ、旧来のメディアのあり方に対するネットとメディアの結合という新しさが感じられました。
 ところで、後から出てきたソフトバンクも人も知るネット産業の一方の雄です。なのに、この新鮮味のなさはどうでしょうか。その訳としてはいろいろあるでしょう。その方法の違い、両社の規模の違い、等々。
 これを通して分かることは、人々が新しさを感じるのが決してネット産業、情報産業自体の新しさだけではないということです。今回の場合それ以上に、小よく大を制する新しさ、才能さえあれば誰もがメディアに参入できるという新しさなどがより大きな要素を占めていたのではないかと思います。若者たちとともに、サラリーマンとして会社に隷属してきた団塊の世代が喝采したのはそのためではないでしょうか。
 実際、ライブドアと比べてソフトバンクは、アメリカ系大手ファンド、リップルウッドと結びついた巨大企業です。一方のライブドアもアメリカ系投資銀行、リーマンブラザーズから800億円を超える融資を受けているとは言え、規模が違います。
 その巨大企業が漁夫の利を得るようなやり方で旧メディアを手にいれても、新しさは感じられません。守旧派の手にあった旧メディアがアメリカとより深く結びついた新興ネット産業の手に移ったというだけです。味気なさの要因は、この辺にあるのではないかと思います。


 
主張

二重の内政干渉不感症の喜劇を克服するために

編集部


■「民主化」を押し付ける内政干渉戦略
 3月19日、訪日した米国務長官ライスは上智大学で講演し、日米同盟は「思いやり同盟」だと言いながら、開発途上国に対する政府援助の約40%を占めている両国の「戦略的な開発同盟」を提案し、「すべてに開かれた私たちの共同体に加わるかどうか、国家は選択しなければならない」と述べました。
 これについて日本の新聞も「自由と民主主義」の拡大のため日本の経済力を利用しようということだと解説していました。
 米国が世界銀行の総裁に送り込んだウォルフォウィッツは、世界銀行を「世界の民主化」のために活用すると言明しています。
 米国は、開発援助の名で、カネが欲しければ米国の要求に合わせて制度、政策を変えよと言っているということです。
 ライスは、その講演で、中国について「いずれ何らかの形で、開かれた真に民意を代表する政府をもたなければならない」とズバリ内政干渉そのものの露骨な発言をしましたが、その中国は、全人代会議で反国家分裂法を制定しました。
 それは日米が新安保声明で、その戦略目標に「台湾問題の平和的解決」をあげたことが大きく作用しています。中国が新安保声明について「主権侵害、内政干渉」として強く反発し、反国家分裂法に「台湾は中国の一部、この問題でいかなる外国勢力の干渉も受けない」と明記したことでも、それは明らかです。
 2月に西欧を歴訪したブッシュはロシアで「民主化」を要求し、その欠かせない要件として、法の支配、少数者の保護、報道の自由、活発な野党の存在の4点をあげ、ロシア最大の石油会社ユコス解体と関連して法の乱用やメディアへの干渉、地方首長の任命制、チェチェン戦争への介入などへの懸念を表明しましたが、これも「民主化」のための内政干渉でしょう。
 ブッシュの「民主化」戦略とは、米軍とその世界的範囲での配置の変革を進めながら、その武力を背景に、聞こえのよい、自由、人権、平和的解決、経済援助などの名目で内政干渉を強め、世界を自分たちの望む方向に変えようという内政干渉戦略とも言うべきものです。

■アメリカ帝国の論理は通用しない
 国際法では、国家の主権に基づいて行われる国内政治、社会・経済体制などの事項について外国や国際機構が強制の要素をともなう干渉を禁じ、これを国内事項不干渉の原則と呼んでいます。
 内政不干渉の原則は、内政干渉が他国の内部問題を口実にして、あるいは内部分裂を促進して侵略し植民地化するものとして使われたことから歴史的に形成されてきました。それゆえ、内政不干渉の原則は現国際法の基本中の基本です。
 しかし、米国には、この原則がまったく目に入らないようです。それは、米国は国を超えた超大国として世界に対しているからでしょう。すなわち、彼らはアメリカ帝国(米一極支配)として世界に君臨する立場からものを考え、当然のように「民主化」を押し付け内政干渉不感症のようにふるまうのです。
 しかし、そういうことが通用するのでしょうか。
 ロシアのプーチンはブッシュの言い分に反論しながら不快感を隠さなかったし、中国は言わせるだけ言わせて聞く耳はもたないという態度でした。
 内政干渉が通用する時代ではないというのは、世界が米一極支配に対抗して多極化の方向に進んでいることに端的に表れています。EUが力を増し、アフリカでアフリカ連合が作られ、中南米では南米諸国共同体構想が動き出し、わがアジアでは東アジア共同体構想が進んでいます。
 南米諸国共同体構想は、南米共同市場4カ国とアンデス共同体の5カ国、それにチリ、スリナム、ガイアナなど12カ国が参加して昨年末に結成を確認したもので、米国のもくろむ「全米自由貿易構想」に反対して、連帯、互恵、相違の尊重を主要原則とするとしています。とりわけ、ベネズエラのチャベス大統領は「米州のためのボリバル式代案」を提唱し、今では南米諸国では「新ボリバル主義」が旗印になっています。ここには、キューバも参加を表明しています。
 また東アジア共同体構想では、ASEAN諸国が主権尊重、内政不干渉の「バンドン精神」を継承する「東アジア友好協力条約(TAC)」の締結を参加条件にしています。
 いくら米国が世界を「民主化」しようとし、そのために「平和的解決」だとか「開発援助」だと聞こえのよいことを言い、カネで釣るようなことをしても、もはや誰も耳を貸しません。

■深刻な日本の内政干渉不感症
 この誰もが耳を貸さない内政干渉ですが、日本だけは、それが通用する国になっています。
 米国産牛肉輸入の問題でも、早期の輸入再開を要求するブッシュに小泉首相はそれを約束しました。そして、全頭検査は日本だけがやっており国際標準ではないなどと、その方向で進むのは明白な状況です。
 90年代の米国式市場原理の導入や新安保改憲の動きなど、日本は米国に言われれば、国の国是(平和憲法)もないがしろにし、属国よろしく米陸軍第一軍団司令部を日本に置いて自衛隊を傭兵にすることも平気だし、第二の敗戦と言われるほどの惨禍をなめながらも躍起になって経済社会制度を市場化しています。
 これに対して、ぶつぶつ文句は言っても「これは内政干渉であり受け付けられない」という確固とした態度を示す政治家はいません。構造改革の総仕上げと位置付ける郵政民営化も米国が郵貯簡保の300兆円(資産運用では500兆円)ものカネを使えるように開放しろということなのに、「内政干渉は許せない」とは言えず、それでは自分の選挙基盤がなくなるというところから出発した「抵抗」があるだけです。
 日本は内政干渉に不感症になっています。「されても感じない」日本は、「やっても感じない」国になっています。
 例えば、中国の反国家分裂法も、先に述べたように新安保声明で日米が「台湾問題の平和的解決」を日米軍事戦略の目標に掲げたからです。しかし、マスコミの報道でも日本の責任を問うものはなく、単に中国と台湾の争いであるかのように、それにしても中国もおだやかではないというような言い方です。
 3月に起きた韋駄天事件でも、日本では海賊を軍事力で抑えるための機構をつくるべきだというような論議がまかり通っていますが、この問題については、米国が熱心であり、昨年、海賊対策に軍事力を投入する地域海洋安全構想を打ち出し、この海域に米軍基地を新設することを狙いましたが、これにマレーシア、シンガポール、インドネシアが「主権侵害」として反対したという経緯があります。
 一昨年、東南アジア諸国が東アジア共同体構想参加への条件として東南アジア友好協力条約(TAC)の締結を要求してきたときも、日本の外務省内部で「TACって何だ」「日米安保との関係で難しい」「内政不干渉に縛られて何も言えなくなる」という声があがったというのも、その一例です。
 日本は、内政干渉を「やられても感じない」「やっても感じない」国になっており、それはアジアと世界の物笑いになっています。
 今は、それですんでいますが、新安保・改憲によって日本が武力でアジア、世界に対する体制を整えるようになれば、物笑いは怒りに変わるのであり、それで日本はやっていけるのでしょうか。

■内政不干渉を「原則」にしよう
 内政不干渉は、「原則」としなければなりません。たとえ相手国が「民主化」されてなく人民が可哀想だと考えるようなことがあったにしても、それを問題にして何らかの介入(武力、経済)してはならないということを「原則」にするということです。
 いかなる理由があろうと内政干渉してよい結果をもたらすことはありえないからです。
 一番の好例はイラクでしょう。フセイン政権は倒しても、イラクはどうしようもない混乱に陥っています。この解決は「イラクの問題はイラク人自身が決める」ということでイラク人自身に任せるしかありあません。
 ボスニア紛争でも、昨日まで仲良く暮らしていた人たちが血塗られた報復を繰り返し今だに修復困難な状況になっています。その原因が外国勢力の介入にあるというのは誰もが言うことです。
 それに内政干渉は謀略的に行われます。イラクでは「大量破壊兵器」などなかったし、ボスニアでも謀略部隊が意図的に作られ行動しました。チェチェンもCIAの援助があると言われ、アジアではアチェ解放戦線の後ろには米国があります。
 世界が「内政不干渉の原則」で動いているのに、その意味がわからないのでは、日本がアジア、世界から孤立するのは目に見えています。


 
研究

フリーターの労組組織化をめぐって

赤木志郎


 いわゆるフリーターと呼ばれる、企業に属さないでアルバイト、派遣、臨時、契約社員などの名目で働く青年が急増し、しかも、かれらが低賃金の使い捨て労働力として言いようにこき使われている現実から、さまざまな形で労組への組織化が試みられている。フリーター青年労組があれば、中高年を主体にした不安定雇用労働者の組織から青年層に拡大しようというものや、全港湾など個人の組織化から組合を築いてきた労組を基盤に青年フリーター層の組織化をはかろうとする動きもある。
 労働運動の見地から見れば、新たな雇用形態のもとにおかれ、未組織状態になっている膨大な不安定雇用労働者を組織化していくことが当面のもっとも大きな課題であると言える。とくに、青年フリーターだけでなく中高年、女性、さらには自営業者まで不安定雇用が拡大していっているゆえ、今日の不安定雇用の典型をなしているフリーターの組織化なしには、労働運動の発展がありえないと言うのは理解できることだが…。
 ここで、フリーターの概念について言及すれば、この言葉がフリーアルバイターから生まれたように、普通、20代前後の職場を転々とする若者という意味でとらえられている。「国民白書」では15歳から35歳までの若年(主婦、学生を除く)のうちパート、アルバイト(派遣等を含む)、及び働く意思のある無職の人だそうである。正社員でない労働者という意味で「非正規労働者」「非典型労働者」という言葉も使われているが、フリーターが基本労働力となっている現在、「非正規」「非典型」というのは現状と合わない。アルバイト、パート、契約、派遣、請負などの共通項はいつでも解雇されうる不安定な境遇にあることであり、「不安定雇用」労働者というのがもっとも現状に近い。
 これらの不安定雇用労働者は専門的な派遣労働者を含めすでに労働者の過半数をなすにいたっている。その不安定雇用労働者の典型がフリーターである。フリーターの中には、フリーターからスキルアップのため専門学校に通うケースも多く、また、大卒、専門学校卒業後フリーターになるケースがあり大学生からフリーターへと連続している場合もある。また、製造業の中小零細企業では正社員であっても大企業フリーターと境遇は変わらない。それゆえ、製造業中小企業正社員を含め不安定雇用労働者となっている青年たち皆を、広い意味でフリーター、あるいは不安定雇用青年労働者と言える。
 このような不安定雇用青年労働者にたいし、かつての労働組合運動のような組織化の仕方ではうまくいっていないのが現実である。実際、不当雇用や賃金不払いなどの争いでは、労組に頼るのではなく、裁判、提訴など個別に勝ち取ろうとしている。
 その要因としては、フリーターが職場や職種が固定していず非常に流動的であるため、一つの集団として築くことが困難であるという事情もあるが、決定的には、彼らがじゅうりんされている労働権を自覚し、その権利を要求していく意識がないことを挙げることができる。仕事に不満があれば職場で交渉するのではなく辞めて他を探すのが当たり前となっている。労働権にたいする意識がないことが、かつてのような職場を基礎にしての組合作りを難しくしている。
 だからといって、労働権を自覚させ労組をつくるというやり方ができるかどうか? 今日、不安定雇用が制度的につくりだされているもとで、かつてのような会社員としての労組というのは困難である。低賃金の使い捨て労働力として労働権が完全にじゅうりんされているからこそ、労働権にたいする自覚と労組が必要だ考えるのはもっともなことだと思うが、そのような客観的な必要性を論じる前に、不安定雇用青年労働者がそのことを望んでいるかどうかがより重要である。
 では、フリーターの要求は何であろうか?
 いくつかの調査では、@安定した職場、正社員になること。A一つの会社に束縛されるのを拒否し、自分がやりたいと思う生きがいのある仕事を見いだしたいこと。B賃金も重要だが職場の人間関係がもっと重要であることなどが挙げられる。
 他にもあるが、主な要求はこれらではないかと思う。つまり、多くのフリーターが安定した職場を求め(賃金も含め)、働きがいのある仕事を拘束されずにることを求め、職場での人間関係が互いに思いやる暖かく楽しいものであるのを求めていると言える。
 彼らの要求と志向は、一見、個人主義的で自分の当面の利益だけを追うものであるかのように見え、資本の搾取に反対し仲間のために自己を犠牲にする階級意識とはかけ離れているかのように見える。しかし、はたしてそういう見方でよいのか。否定面を見るのではなく、不安定雇用青年労働者の要求の中に肯定面を見ていかなけばならない。そうすれば、かれらの要求と志向は低いのではなくもっと高くなっていると見ることができるのではないだろうか。
 かれらが職場を変えたりすぐに辞めたりするのは、あらゆる束縛と拘束を拒否し、どこまでも働きがいのある意義ある仕事を見つけようとしているということであり、それは企業に従属し働く意義を感じられないような仕事も会社のためにとやってきたようなかつての企業意識から脱した高い自主的な志向といえる。また、人間関係を重視しているということは楽しく暖かい人間関係を求め、そうした集団をもめているということであり、彼らがなかなか労組に入ろうとせず組織の束縛を嫌うというのも、自発的な参加で皆で協力し楽しく力を合わせたいという、かつての上意下達的な集団ではない新しい自分たちの集団を求めている表れだと言うことができる。
 かれらはけっして低賃金、使い捨ての境遇に置かれていることに甘んじているのではない。むしろ、その不当性を体で熟知し不満と怒りをもっている。そして、より高い自主的な志向、より強い集団主義的な要求をもっているがゆえに、その怒りはもっと強くなっており、より高い階級意識を潜在的にもっているとさえ言えるのではないだろうか。
 フリーター、すなわち不安定雇用青年労働者の高い自主的な志向、強い集団主義的な要求に合った組織化、それをどういう形でつくるのか、そうした研究が今、問われていると思う。


 
文化

「ブルータワー」

森 順子


 この小説は世界と貿易の名を冠した搭、世界貿易センターの崩壊で著者が9,11で受けた衝撃をSF小説の形にした長編ものだ。
 9.11から想像する200年後の未来世界とは? はたして平和が訪れるのか?
 23世紀の世界は黄魔ウイルスに覆われ日本は数十万の人間しか生存できなくなった。そのため高さ2キロの搭の世界で生きる人間と搭から排除され地表で生きる地の民が存在し、地の民解放同盟と青い搭の支配者階級との内乱が始まる。そこに登場するのが瀬野周二ことセノ・シューだ。脳腫瘍の末期ガンにおかされた彼はその痛みのたびに精神だけが200年後にジャンプする。そこで地の民解放同盟の指導者になって仲間とともに青の搭の支配者に立ち向かい、黄魔の蔓延を阻止し未来の危機を救うというストーリーだ。
 SFではあるが、真面目に共感するものがあった。ひとつは、他人の痛みを自分のものとする瀬野周二の人間的な温かさだ。妻のミキは戦争に犠牲はつきものだと「負ける側の人間に肩入れしてどうするのか、地面にはいずりまわるアリのように踏み潰されておしまいよ」と罵る。だが、シューは地の民の子供のほとんどがミサイルで残酷に殺された光景が頭から離れない。同じ死ぬのならと・・・黄魔の荒ぶる地表に向かうのだ。
 ふたつめは、信じることが生み出す強さだ。周二のペット、ライブラリアンのココは、200年後シューの左手首の銀のブレスレット型の高性能コンピューターとして登場する。青い搭の攻撃に勝つためにはココの人工知能では限界がある。だがシューはココをただのコンピューターとは見ない。自由と誇りをもつひとりの人格と信じ、呼びかける。闘いの勝利のために気候を変動させ雨を降らすことができないかと。そして目に見えぬ壮絶は闘いのはてに雨が降る。ココは言う。「わたしは今日、信頼にこたえるという言葉の意味を初めて理解しました」と。
 200年後もはてしない苦しみと滅亡にひんした世界だったのだ。しかし、その世界を救ったのは、他者を愛し信じようとする心だ。今、夢と未来にむかう力が求められているとしたら、それは人間を愛し信じることから始めなければならないのだろう。そうしてこそ、憎しみの搭は倒れ、愛の搭は崩壊することなく永遠にそびえ続けるのだ。このようなシューやココたちの姿は現在も200年後の未来も変ることのない人間の真実の姿だ。平和を求め、互いに信頼し愛し合いながら生きていく人間の姿なのだと思う。


 
朝鮮あれこれ

ピョンヤンで見たサッカー・アジア最終予選

小川 淳


 3月25日、W杯アジア地区最終予選Bグループ、北朝鮮対バーレーン戦。キム・イルソンスタジアムはすでに五万観衆に埋っていた。開始早々から北朝鮮の波状攻撃、サイドからの切りこむシーンに会場は沸くがバーレーンの堅い守備を崩せず、得点には結びつかない。前半7分、バーレーンのカウンターを浴びて失点。シュート数も圧倒、試合も完全に北朝鮮ペースに進むが、決定力がないまま後半12分、再びアリに決められた。後半17分に一点を返し、いい形で果敢に攻めるも決定力を欠き、バーレーンが逃げ切った。守備力の差が勝敗を分けた試合となった。
 3月30日の北朝鮮対イラン戦。試合直前の練習では、日本戦に勝ったイランには動きに余裕があった。一方、すでに二敗して後がない北朝鮮にはいささか悲壮感が漂う。
 北朝鮮はバーレーン戦を教訓に守備を意識した慎重な試合運びに変えてきたが、イランは攻められても浮足立つ様子はない。一方、カミリ、マハタビキアらの切れのある動きに攻撃には自信と威圧感があり、押しこまれ、危ないシーンが何度も。 北朝鮮の動きは決して悪くはなかった。パスもよくつながり、攻撃にも北朝鮮らしいリズムがあった。問題となったのは、イランゴールエリア内で肩をつかまれて押倒された後半38分と、足を掛けられた41分のシーンだ。一度目の判定は我慢するにしても、シリア主審の二度目の判定には北朝鮮選手が強く抗議、場内も騒然となった。確かにイランに有利な判定であり、公明正大であったかには疑問が残った。もしPKになったなら試合の流れは変ったかもしれない。
 試合が終っても多くの観客は残ったままだ。抗議の意思表示をするために審判団のバスを取り囲むシーンもあったが、暴力沙汰には至らなかった。北京でのアジアカップ決勝戦とは違い、北朝鮮の観客には充分、自制心が働いていたと思う。
 さて、6月8日には、この競技場で日本選手を迎えることになる。日本ではこの試合を不安視する意見が多いようだ。しかし、サッカーの国際試合で審判を巡って混乱することはさして珍しいことではない。スポーツ以外のところで複雑な事情が絡む日朝だからこそ、6月8日の試合は成功して欲しいと思う。
 ピョンヤンの試合で、北朝鮮が勝てば、バーレーン、イランに勝ち点がいかず、日本にとって有利だったが、仕方ない。アジアのレベルは上がっている。北朝鮮には残り3試合、W杯出場は難しいが、今後につなぐためにもいい試合を期待したいと思う。
 北朝鮮はイラン戦を即時に放映した。負けた試合を放映するのは希だが、そこに今後のサッカーに対する北朝鮮の意気込みが感じられた。自国のチームが負けるのは悔しい。しかし、その悔しさが次の試合のバネになる。今後、数年で北朝鮮はアジアであなどれないチームになるだろう。もともと地力のあるチームだ。東アジアで、中国、日本、韓国、北朝鮮の4強時代が来るのは間違いない。そんな未来を感じさせる2試合だった。


 
 

編集後記

魚本公博


 竹島問題や教科書問題で中国、韓国で反日気運が高まり、日本商品不買運動などが起きています。
 しかし、どうも日本の対応は、向こうがそうならこっちもという感じになっています。尖閣列島近くの中国側排他的経済水域内で中国が開発しているガス田が日本側にも伸びているとして日本側水域で民間の試掘を許可する方針とか。
 向こうがそうならこっちもとやっていけば、日本は米軍事力に頼って新安保戦略にのめり込むしかなくなる。ほくそえむのは米国だけです。
 向こうがそう出て来たときには、なぜそうするのか、原因を主体に求め、向こうの気持ちを理解した上で、こちらの言い分も理解してもらうという主体的で謙虚なゆとりある政治が求められているのではないでしょうか。


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