研究誌 「アジア新時代と日本」

第216号 2021/6/10



■ ■ 目 次 ■ ■

編集部より

主張 「米中新冷戦」という「現代の黒船」

議論 押し付け「9条改憲」阻止の鍵 「抑止力」防衛の見直し

寄稿 「台湾有事」の仕掛けに乗ってはならない

時評 それでも東京五輪をやる理由

文化 韓ドラ(2) 




 

編集部より

小川淳


 在留資格のない外国人の帰国を徹底させる出入国管理及び難民認定法(入管法)の「改正案」が多くの反対にあって撤回に追い込まれた。
 入管の異常な収容実態はこれまで国内外から厳しく問題視されてきたが実態は闇に包まれたままだ。収容長期化によって入管施設内で死亡するケースが相次ぎ、もはやこれ以上の放置は許されないところまできている。
 今年3月、名古屋入管に収監されていた33歳のスリランカ人ウイシュマさんが死亡したケースでは、入管庁はいまだその経緯さえあきらかにしていない。不当な扱いに耐えかねた収容者が抗議のためにハンガーストライキを決行するケースも急増し、19年6月長崎ではナイジェリア人オサカ・ジェラルドさんが死亡している。
 今回の改正で難民申請者が一番怖れていることは、難民申請が3回続けて却下されると、自動的に強制送還される点だ。世界には難民条約があり、日本も加盟している。その難民条約では、迫害を受ける惧れがある国への追放や送還は国際的に禁止されている。しかし、今回の改正案では難民申請が3回却下されると強制的に送還できるようになる。ちなみに日本では難民申請した人の認定率は0.4%(2019年、難民申請者10375人に対して認定され人は44人)と、ほかの国に比べてその認定率の低さは突出していて、改正案が適用された場合、難民申請者の99%が送還されることになる。
 「収容」という言葉の実態は、人身の自由を奪う「拘禁」と変わりない。人の自由を奪ったり、どれくらい拘禁できるかなどは、基本的人権にかかわる問題であり、法治国家であれば法令にその運用が厳しく規定されている。裁判官の令状が必要であり、拘禁の期間も法によってきめられており、そこに裁判所以外の恣意的な判断が入り込む余地は少ない。ところが入管法が異常なのは、なんの罪を犯した人でもない、ただ滞留資格がない外国人という理由だけで、入管庁の恣意的な「長期収容」=「拘禁」が許されることにある。現在収監中の人で、6カ月を超える人が半数、2年を超える人が2割を超えるという異常さだ。今の日本社会でこのようなチェック機能がない恣意的な収容(拘禁)が野放しにされているのは入管法による在留資格のない外国人の場合と精神疾患者への措置入院だけではないだろうか。
 今回の入管法改正案はむしろ改悪案であり、野党が反対して通らなかったのは当然で、むしろ国会が取り組むべきは、収容の目的や必要性、収容の期間の上限を設けるなど現行の入管法を一刻も早く改めることこそ先決だろう。
 在留資格のない外国人に対する日本国の冷たさは、アイヌ、在日、琉球沖縄に対する冷たさにも通底するものがある。人の上に人を置き、国の上に国を置く、日本の国のあり方。この入管法改悪との闘いをその変革の大きな一歩にしていく必要がある。



主張

「米中新冷戦」という「現代の黒船」

編集部


 今、米国から「米中新冷戦」が突き付けられてきている。日本が対中国敵対の最前線に立つことを求めるこの「突き付け」に、財界、自衛隊をはじめ日本の特に支配層がとまどっている。
 こういう時が170年ほど前にもあった。「黒船」の襲来だ。あの時、幕府はとまどい、全国は「尊皇攘夷」に奮い立った。
 あれとは、大分様相は異なっている。しかし、米国がその覇権戦略の最前線に日本を押し立てようと襲来し、それが日本のあり方に根本的な転換をもたらすようになるという意味では、「新冷戦」を「現代の黒船」に例えるのは案外的を射ているのかもしれない。

■今求められているのは、米国式民主主義なのか
 米大統領バイデンは、先日、中国との覇権抗争であるこの「冷戦」を「民主主義VS専制主義」の闘いだと宣言した。70年前、「自由主義VS共産主義」の闘いとして世界を東西二つの陣営に分断した「米ソ冷戦」との対比であるのは言うまでもない。
 中国が専制主義だとする根拠には、ウイグル族に対する「人権侵害」、香港、台湾、そしてミャンマーなどへの「強権行使」、等々が挙げられている。
 この宣言を受けて、何よりもまず思うのは、今、世界的に米国式民主主義が求められているのかということだ。
 実際、米国式民主主義は、今、明らかに衰勢にある。この数年来、世界的範囲で、メディアなどが「極右ポピュリズム」と騒ぐ自国第一主義の台頭と旧来の二大政党制の崩壊が見られるのは、その顕著な現れだと思う。それは、米国式民主主義の本家本元、当の米国においても、共和党の「トランプ党」化や民主党におけるAOCと彼女が所属するJD(正義の民主党)の影響力拡大、バイデン政治の米国第一主義化、そして今年一月、大統領選の無効を訴えるトランプ派の連邦議会への乱入などとして現れている。
 現実は、事の真相を映し出す鏡だ。米国式民主主義が世界的に求められているからではない。その真逆だ。民心を失い衰勢に陥った米国式民主主義の復権を「人権」や「強権」など中国に対する専制主義攻撃で図りながら、返す刀で中国を包囲、封殺すること、それによる米覇権の回復にこそ、「米中新冷戦」の本当の狙いがあるのではないか。

■「国の役割」こそが求められている
 今求められているのは、米国式民主主義ではない。国の役割を高めることだ。
 実際、コロナ禍にあって、当初盛んに言われた国の役割を「強権」だと否定し攻撃する論議は跡形もなく消え失せた。
 なぜそうなったのか。それは、「民主」を唱え、国の役割を否定した欧米をはじめ、世界の惨状、そして、検査、隔離、治療の励行、厳格な水際対策、ワクチンの開発など国の役割を高めてこそのコロナ禍の収束、この厳然たる事実が誰の目にも明らかになったからに他ならない。
 コロナばかりではない。経済も、国の役割を高めてこその長期停滞からの脱却、新たな成長発展の実現だ。
 今日、産業経済全体の全面的なデジタル化が求められ、それを抜きにした経済の発展など考えられなくなっている。そこで国の役割は決定的だ。米国を凌駕するに至ってきている中国経済の驚異的な発展はそれを雄弁に物語っている。これまでの「小さい政府」路線を捨て去り、国家主導の「大きな政府」路線に転換したバイデン政権の経済政策がそれに対抗するものであるのは明らかだ。
 もはや、自国、自国民第一に、国の役割を高めることは、コロナ、経済ばかりでない、あらゆる領域に渡り、必須の要求になっている。

■迎えている脱覇権の新時代
 米国は、「米中新冷戦」を宣言しながら、それに対応する日米協力を「新たな時代の日米パートナーシップ」と表現した。
 この「新たな時代」が「米中対立の新時代」、「G2覇権抗争の新時代」、すなわち、「米一極世界支配」から「米中二極世界支配」への時代的転換を意味しているのは明らかだ。
 そこに「民主主義VS専制主義」の闘いという「新冷戦」の性格規定の根拠がある。
 ところで現時代は、本当に覇権抗争の新時代なのだろうか。今、問われているのが「米国式民主主義」ではなく「国の役割」だという事実自体がそのことを否定しているのではないか。
 覇権時代には、当然のことながら、覇権イデオロギーが求められる。覇権国家のイデオロギーが被覇権国家の国是の上に置かれ、それを上回る政治の原理、基準になってこそ、覇権が成り立つからだ。
 実際これまで、米覇権の下、米国式自由と民主主義が「普遍的価値」として万事の尺度、絶対的な基準にされてきた。
 それが今、崩れてきているのではないか。米国自身まで含め、世界各国で古い既成の「自由と民主主義の政治」が「1%のための政治」「EUのための政治」等々と民心を失い、それに基づく二大政党制が崩壊する中、自国第一主義の新しい政治が台頭してきている。これこそが米覇権崩壊の端的な現れではないのか。
 覇権時代には、これまた当然のことながら、国の役割は軽視される。国そのものを否定し、国の役割自体を否定したグローバリズム、新自由主義が覇権主義の極致だと言われる所以は、まさにそこにある。
 今、自国、自国民第一が言われ、国の役割を高めることが求められてきているのは、それ自体、覇権の崩壊を意味していると思う。
 だが、こうした米覇権の崩壊をもって、覇権そのものの崩壊と言うことができるのだろうか。米国覇権の中国覇権への交代ということはないのだろうか。
 それについて言えば、可能性は大きくないと言えるのではないか。その根拠は、二つある。一つは、中国に国を否定する新たな覇権イデオロギーがないということだ。中国が今掲げているのは、「愛国」であり、「自立」、「内需主導」だ。これらは、国を否定して他国の上に君臨する覇権のイデオロギーだとは言えない。
 だが、歴史的に見れば、日独伊の覇権など過去の覇権で、軍国主義、ナチズムなど国家主義を掲げた例は多々ある。これと中国の「愛国」とどう違うのか。既存の覇権に抗する新興の覇権は、往々にして国家主義を掲げるのではないか。
 確かにそれは一理ある。だから、中国が今、「愛国」を掲げ、国を否定し自らを国の上に置く覇権イデオロギーを掲げていないことは覇権から脱覇権への時代的転換の確固たる根拠にはならない。
 そこで見るべきは、もう一つの根拠だ。それは、これが決定的だと思うのだが、アジアをはじめ、世界のほとんどの国々がもはや覇権そのものを許さなくなっているという事実だ。自国、自国民第一の世界史的な趨勢が許さないのは、米覇権だけではないということだ。
 今、迎えられている新時代、それは、覇権抗争ではなく、脱覇権の新時代に他ならないのではないだろうか。

「もう一言」

「現代の黒船」に屈服するのか
 1853年、あのペリーの「黒船」に対し、とまどう幕府を尻目に、日本は「尊皇攘夷」に立ち上がった。それが倒幕維新へと発展し、国のあり方の根本的な転換につながった。
 問題は、その維新がなぜ欧米覇権の下でアジアに覇権するものへ、さらには、欧米覇権と対立、競い合って、アジアに侵略と戦争を拡大するものへと変質していったのかだ。
 そこには、日本をアジア覇権の最前線、手先として利用しようとした欧米列強に屈服し従った維新指導部自身の変質と同時に、帝国主義、覇権の時代という時代的背景があったと思う。
  あれから百数十年の時が流れ去った今、日本は、またも「黒船」の襲来を受けている。この「現代の黒船」に対して日本はどう対すべきなのか。
 時あたかも覇権、帝国主義の時代ではない。脱覇権の新時代だ。この時代的背景を背にして、われわれは、「現代の黒船」にどう立ち向かうべきか。今こそ、維新の初心を貫徹する時が来たのではないだろうか。
 アジアの内の日本として、アジアとともに欧米覇権に抗し、自国、自国民第一の自主自立日本を実現していく時が来た。
 「現代の黒船」襲来を奇貨とする闘いこそが、今、切実に問われていると思う。



議論 押し付け「9条改憲」阻止の鍵

「抑止力」防衛の見直し

吉田寅次


■今日の「9条改憲」は米国の押しつけ
 憲法改正を国民に問う「国民投票法案」が立憲民主など野党の賛同も得て衆議院を通過、おそらく参議院でも可決されるだろう。
 菅政権の狙いは「9条改憲」にある。菅首相は就任演説で防衛政策では「抑止力強化」を訴え、そして「国民投票法案」成立をめざすとした。「抑止力強化」とは自衛隊の攻撃武力化、すなわち憲法9条下の自衛隊・専守防衛からの転換=「9条改憲」を念頭に置いたものだ。
 従来、「9条改憲」は自民党の悲願だが、今日の「9条改憲」は米国からの要求、米国の押しつけ改憲だという点で従来とは異なるものだ。

■「米軍の抑止力劣化」を補うための改憲
 前号の「議論」に日米首脳会談を受けて"「台湾有事の安保協力」、それは「国際紛争解決でも軍事力行使を禁じる特殊な憲法」、9条の改憲を迫る米国の踏み絵だ"と書いた。
 そもそも米中新冷戦は2017年末のトランプ時代に新しく米「国家安全保障戦略(NSS)」が策定され、ここで中国を「米国の価値観とは対極にある世界を形成しようとする修正主義勢力」と定義、「力による平和の維持」への転換を図ったことに始まるものだ。
 この中国を主敵とした新たな米国家安保戦略では、「米軍の競争力の劣化を認め」より強固な統合軍の構築をめざすとともに「友好国との同盟の強化」を大きく打ち出した。
 簡単に言えば、「米軍の競争力の劣化」=米軍の「抑止力」の劣化を認め、それを補うための「同盟国」日本の自衛隊の「抑止力強化」、攻撃武力強化が米中新冷戦で米国が日本に要求するものとなり、「9条改憲」が必須条件になった。
 バイデン政権は、この国家安保戦略に基礎して米中新冷戦で日本を「対中対立の最前線」に立たせ「台湾有事の安保協力」、そのための「9条改憲」押しつけに踏み切ったのだと言える。
 この米国家安保戦略改訂を受けて2019年辺りから日本では「専守防衛見直し」議論が起こり、今年の菅首相訪米を前にして「もう専守防衛という考え方は時代からすると合わないのではないか」と小野寺五典元防衛相はクギを差した。
 国民投票法案成立で改憲論議が活発化する、必ず「9条改憲」論議にどう対処するかが問われる。

■「抑止力」論見直しの安保防衛政策論議を
 今日の「9条改憲」をめぐる闘いで護憲か改憲かが争われるだろうが、単なる憲法論議では勝てないと思う。
 2018年には海兵隊日本版である水陸機動団が陸自に新設、19年末には防衛大綱で900km射程の巡航ミサイル、海兵隊仕様の短距離離陸・垂直着陸機F35B搭載用の「いずも型」護衛艦・小型空母化が盛り込まれ自衛隊の抑止力強化、実質的9条改憲の装備配備が決められた。この時、野党は「違憲の虞(おそれ)」と懸念を示すだけで通過させた。明確な安保防衛政策、代替策がないからだ。
 戦後日本の防衛政策は、「盾の自衛隊+矛の米軍」の二本建て、抑止力論に基づき抑止力は矛の米軍に依存する、従って「米軍が日本を守る」を基本にしてきた。
 「敵国が報復攻撃を恐れて戦争の意図をくじく」が抑止力論だから、報復攻撃能力を持つ米軍が日本防衛の基本にならざるをえない。この論理に従えば、「米軍の抑止力劣化」を自衛隊が補うというのは彼らなりに「理」に適うものだ。
 ゆえに今日の米国の押しつけ「9条改憲」阻止の闘いは、従来の抑止力論を見直し、それに代わる日本の安保防衛政策を提示することなしに勝利はないと思う。
 すでにそのような議論は起こり始めている。 「抑止力一辺倒を超えて」と題した「新外交イニシアチブND」の提言がそれだ。「自衛隊を活かす会」代表・柳澤協二氏ら安保防衛専門家による問題提起だ。
 自衛隊の「敵基地攻撃の禁止」、日米地位協定の改訂などを盛り込み、「憲法9条を持つ"非戦の国"を活かす」方策が提言されている。
 このような「抑止力」論見直しの安保防衛政策論議を起こすこと、ここに今日の押しつけ「9条改憲」阻止の鍵はあると思う。


 
議論

「台湾有事」の仕掛けに乗ってはならない

永沼博


 今、「台湾有事」が騒がれている。日米首脳会談の共同声明(4月)で「台湾海峡の平和と安定」として「台湾問題」が取り上げられるや、保守論客などが「台湾有事は間近、日本は早急に軍事支援の体制を整えるべき」と煽っているのだ。
 「その後の日本の行く末を決めてきた」とされる日米首脳会談。日本は中国との軍事対決の道に進むのか。「台湾有事」とは何なのか、それが台湾のためになるのか、日本はどうすべきなのかなど、考えてみたい。

■台湾問題とは何なのか
 「台湾有事」が大きく浮上したのは、日米会談を前に米・インド太平洋司令官なる者による米議会の公聴会(3月)での「今後6年以内に中国の武力侵攻が行われる可能性が高い」との発言から。これによって台湾問題が「台湾有事」としてイメージされるようになった。
 だが台湾問題は「台湾有事」の問題ではない。台湾問題とは「一つの中国」の国内問題、内政問題だ。そして、その解決の基本原則は「平和統一」であり、中台両政府も「両岸問題の平和的解決」として合意しているものなのだ。
 「一つの中国」。米国自身、中国の国連加盟(71年)以降、その立場で中国との関係を深めてきた。それは国際社会も同じ。そして日本も。中国を唯一の政府であることを認めての国交回復、その後の日中関係の深化。とりわけ経済関係の深化は今や進出企業20万社、貿易では米国を凌駕するという「切っても切れない」関係になっている。
 当の台湾はどうか。貿易の40%、対外投資の実に60%が中国であり、軍事的対決など乗れない相談。それ故、日米共同声明に対して、外交部は「歓迎、感謝」を表明したが蔡総統は沈黙。日本の新聞が「『感謝』だが、刺激『回避』」と解説していたが、「ありがた迷惑」ということだろう。
 台湾の世論調査を見れば「速やかに独立」は1・1%に過ぎず、「現状維持後に独立」でも20・8%、他は「永遠に現状維持」29・2%「現状維持後状況を見て判断」29・9%、「現状維持後に統一」7%など「現状維持」が約9割と圧倒的。これらは今の平和的な関係を維持し、中国との軍事対決(戦争)など望んでいないことを物語っている。
 誰も「台湾有事」など望んでいない。中台双方も「両岸問題の平和的解決」の道を模索している。それがどのような形になるか、それを見守り、それに資することをする。日本に問われているのはそれであり、「台湾有事」を騒ぐことではない。

■米国の「仕掛け」ということを押さえて
 日米首脳会談で、「台湾問題」を69年の佐藤?ニクソン会談以来、半世紀ぶりに取り上げ、それを「台湾海峡の平和と安定」という穏やかな表現にしつつも、「台湾有事」をイメージ付ける。その巧妙さ、中国との軍事対決に日本を引き込むための「仕掛け」。「台湾有事」とは、そのためのものだということをしっかりと押さえておくべきだ。
 すでに「切っても切れない関係」にある日本は安易にこれに乗るわけには行かない。日米会談では、その表現を巡って多くの時間が割かれ「台湾海峡の平和と安定」という表現に落ち着いた。中国もそれを分かっている。共同声明への抗議は先ず駐米大使が行い、中国外務省の抗議声明は夕方になった。中国通の識者は、こうした対応を「これ以上踏み込むな」とのシグナルだと分析。
 一番、騒いでいるのは、「米中対決で日本はフロントライン」と言う麻生や安倍などズブズブの親米派。他の多くは「慎重」。実際、経済界や中国との軍事対決の先兵にされかねない自衛隊も慎重にならざるを得ないだろう。
 「米中新冷戦」を唱え、中国との軍事対決に日本を引き込むための米国による「台湾有事」策動。その道は、日本の軍事を完全に米国の下に組み込み共に戦争する日米軍事一体化への道だ。そのような道に絶対踏み込んではならない。
 台湾は親日国と言われ、日本も国民的な感情として台湾に親近感をもっている。「台湾有事」論はその台湾を戦場にするということ。真の友人であれば、そのようなものを許してはならない。「台湾を戦場にするのか」「台湾問題は台湾有事の問題なのか」などの議論を起こし打ち勝つ。そういう前向き姿勢が問われていると思う。



時評

それでも東京五輪をやる理由

金子恵美子


◇全く響かない菅首相の言葉
 主要7カ国首脳会議(G7サミット)が開かれているイギリスで、11日、菅首相は「安全安心な東京大会に向けて万全な感染対策を進めていく」とした上で「世界が新型コロナという大きな困難に直面するいまだからこそ、世界が団結し、人類の努力と英知によって難局を乗り越えていけることを日本から世界に発信したい」「強力な選手団を派遣して欲しい」と各国首脳に呼びかけた。
 そのイギリスの権威ある医学雑誌「ランセット」が同じ11日に「東京五輪・パラリンピック開催の是非について世界保健機構(WHO)などが沈黙していることは責任逃れだ」という論説を発表した。前回のリオデジャネイロ五輪ではジカウイルス感染症が問題になりWHOが緊急委員会を開いてリスクを評価。米疾病対策センター(CDC)も当時の長官が「大会を中止または延期する公衆衛生上の理由はない」と表明したが、今回はそのような動きがない。世界的な話し合いが必要なのにWHOは言及を避けており、CDCには態度を明らかにするよう何度か求めたが反応がないことを明らかにしている。
 ニューヨークタイムズ・電子版ではサッカーの元五輪代表の米パシフィック大学ボイコフ教授が「スポーツイベントは(感染を広げる)スーパースプレッダーになるべきではない」と投稿。ボイコフ教授は「科学に耳を傾け危険な茶番劇を止めるべきだ」と中止を訴えている。
 G7サミットの二日前に行われた二年ぶりの党首討論での菅首相の、「何故このような状況下で敢えて五輪開催を行うのか」「安心安全の具体的な対策は何か」への質問に、57年前の東京オリンピックでの自らの感動を延々と述懐するその姿を見れば、本気で日本国民や世界から訪れる選手や関係者の命と安全を守ろうとしているのか、本当にこの人に任せていて大丈夫なのかという不安と疑念がわきあがってくるばかりだ。
 菅首相は「安心安全の万全の対策」を立て、と言うが、緊急事態宣言でも効果が望めなくなっている今、唯一縋っているのは「ワクチン効果」のみであり、そのワクチンも2回打ち終わっているのはわずか5.8%である。医療は依然として厳しい状況にあり、国民の6割から8割が中止・延期を望んでいる。海外でも不参加を表明した国や競技種目も出てきている。このような中で強行されるオリンピックが「世界が団結し、人類の努力と英知によって難局を越えていけることを発信する」オリンピックになれるのか。
 菅首相の答弁や態度からは日本国民に訴えるものがなく、求心力がないので今や日本国民はバラバラで、各自が思い思いに行動をしている感が強い。また選手と国民との間にも微妙な距離が生まれている。選手の皆さんに罪はないが心から手ばなして応援できる心情にも状況にも今の日本国民はないというのが事実ではないだろうか。首相からはこうした現状を打破する英知も努力も全く感じられない。「団結、英知、努力」? 空々しい、絵に書いた餅だ。

◇オリンピックを止めたくない理由は3つ
 ネットで目についたその文章。3つの理由とはなんだろう?と興味をそそられ読んでみると「一に金、二に金、そして三に金」とあった。
 新型コロナによるパンデミック、世界の感染者は一億7528万590人(6月13日)1日約40万人の人が感染し続け、387万5219人が亡くなっている。
 日本の感染者数も77万人を超え、1万4045人が亡くなった。ワクチン接種状況、医療体制、国民感情などなど、とても東京五輪を開催する状況にあるとは思えない。しかし、強硬に、積極的に推し進めようとしている人たちがいる。その理由は? もちろん、政治的な思惑がからんでいるのはあるとして、やはり「3つの理由」、オリンピックマネーが大きい。
 では、どのようにオリンピックマネーは動くのか? 開催を絶対譲らないという立場のIOC(国際オリンピック委員会)から見ていこう。
 IOCの収入源は主に2つで、一つがテレビの放映権料。これが全体の73%ほどで、もう一つがTOP(ザ・オリンピックパートナー)と呼ばれるグローバルスポンサー料で18%、この2つで90%を占める。テレビの放映権料は各国により異なるが、2013年から2016年の2大会分で41、6億ドル(4268億円)の収入を得ている。アメリカからの放映権料がその半分を占めている。因みにアメリカのNBCテレビは2014年に、この先2032年までの6大会分を76、5億ドル(8370億円)で、既にIOCと契約している。
 IOCにとっては、例え無観客であれ開催され、アメリカさえ参加してくれれば収入の90%を占める放映権料が入り、五輪ビジネスは成り立つという事だ。東京五輪が選手にとっては過酷な灼熱の7月開催になったのも、米テレビ局の「希望」が大いに反映されている。IOCにとってはアメリカさま様の放映権料なのだ。
 また、TOPについて言えば、スポンサー料は非公開とのことであるが、一社数百億円と言われている。2013年から2016年のTOPスポンサーからの収入は10億ドル(1053億円)とのこと。東京大会のTOPスポンサーにはコカ・コーラ、GE,インテル、日本からはブリヂストン、パナソニック、トヨタ等が名を連ねている。
 こうして得た収入の90%を各国のオリンピック委員会、国際競技連盟に支援金として拠出し、自分たちが得ているのは10%だけとIOCは言っている。が、財務や役員報酬などは非公開。それは、IOCは法律的にはスイスの国内法に基づくNPOという位置づけにあたるため、スイスの法制、税制に守られているためだ。
 そして、バッハ会長を初めとするIOCの役員はその傘下にある財団や多数ある子会社や関連会社の役員を兼務している。ここからどのくらいの役員報酬が入ってくるは定かでないが、IOCは東京大会をどうしても開催したいのである。
 次にJOC(日本オリンピック委員会)にとっての東京五輪開催の旨味とは。
 放映権料はすべてIOCに入っていく仕組みになっているが、JOCにとっても東京大会ではゴールドスポンサーからオフィシャルサポーターまで3段階のスポンサー群が設けられており、国内スポンサーからの収入だけで、3000億円からの収入があるとのこと。
 しかし、問題になってきているのが、当初「コンパクトな五輪」として7340億円ですますはずだった予算が現在一兆6千億円までに膨れ上がっていることだ。一兆円近くの赤字の穴埋めは開催都市東京がすることになっているが、国が債務保証をしているため都が負担できない部分は国民の税金で補うことになる。これだけではない。国立競技場やその他の施設建設などで国と都で一兆円を超える財政負担を既にしており、最終的には3兆円越えになると予測されている。コロナの陰に隠れてしまってこうしたことが表に出てこないが、こうした経済的負担は後々すべて都民と国民に還ってくるのだ。菅首相やJOCは痛くも痒くもない。(参考資料「オリンピックマネー誰も知らない東京五輪の裏側」後藤逸郎)

◇ぼったくり男爵 竹中平蔵
 最後に、五輪利権で外せない人がいる。竹中平蔵だ。今月6日の読売テレビ「そこまで言って委員会」で、「日本の国内事情でやめますというのはあってはいけないこと。世界に対しやると言った限りはやる責任がある」世論の6,7割が中止と言っているという他のコメンテーターに対し「世論は間違っています。世論はしょっちゅう間違っていますから」と国民を見下し、もっともらしく、開催を主張した人物だ。
 20位の肩書をもつが、東京五輪と関連しているのが、取締役会長をしている人材派遣会社大手の「パソナ」である。
 この竹中率いる「パソナ」グループだが、2021年5月期で過去最高の175億円の営業利益を確保する見込みとなった。世の中、コロナ不況で倒産や貧困、自殺にまで追い込まれている人々が大勢いる中で、純利益の62億円は前年比約10倍の収益というから驚く。
 その増収源は、官公庁や企業から業務プロセスのすべてを請け負う「BPOサービス」で、この中には政府から巨額で請け負ったコロナ対策関連事業が含まれるとみられる。
 五輪関係でも特権を与えられているという。大会組織委員会と「オフィシャルサポーター」契約を結び、「人材派遣サービス」は「パソナ」しか許されていない。43競技会場の派遣スタッフを依頼する時には「パソナ」を通じないといけない契約になっていて、事実上の独占状態だという。国会審議ではピンハネ疑惑も浮上しているとのこと。
 歴代首相のブレーンとなり、今も国家戦略特区諮問会議や産業競争力会議の有識者メンバー。(有識者メンバーの報酬は2千万円ほどとのこと)
公的機関の仕事での優遇は見苦しいほどだが、本人は涼しい顔で偉そうな言説を吐きまくっている。「五輪開催は普通ではない」と初めてまともに、気持ちよく聞こえた尾身会長の発言に「越権行為」とかみついていたが「利権を失いたくない」としか聞こえなかった。



文化

韓ドラ!(2)

平 和好


■身分と地位は相関しない
「チャン・ノクス」「オクニョ」「トンイ」とも主人公は極めて低い身分。妓生、官庁の現業で働く奴隷=奴婢や被差別民の統領の娘がやがて側室にまで昇り詰めていく。そんな身分の者は宮廷に入れてはならないと叫ぶ王族たちだが、結局早死、破滅、失脚などで差別者の願いは天が聞き入れられず、娘たちが才覚でどんどん昇り詰めて行くところは実に痛快だった。「私の目が黒い内は絶対に許さぬ!」と叫ぶ王母が病に倒れるシーンでは、ヒューマニストである私が「差別者は破滅するんや」などとつぶやいてしまった。
 彼女らが階段を昇り詰めたのには理由があるのだ。貧しく、生まれてずっと一日の食にも苦労する身であるからボーっとしていたら生きられない。糧を得るすべを磨き、理不尽な世の仕打ちから逃れるために足も速くなければならないし、しきたりを熟知して時にはその裏をかく処世術も身につけなければならないし、貧しい者同士助け合う習慣も必要だ。上記の彼女たちはしっかりそれを実践した上に、仲間の助けでのし上がれた。単に美貌の賜物ではないのだ。

■トンイ最終回の題は『民のために』
   日本の勧善懲悪ドラマは吉宗評判記にしろ、水戸黄門にしろ、「正しきご政道」が全ての帰結となる。登場する庶民はそれを「ははーっ」とありがたがって終わりだ。その点オクニョもトンイも違う。理不尽な宮廷の出来事に心底怒り、命を懸けてそれを正そうとする。そのために何度も命を失いかける。権力を取るためのはかりごとに明け暮れ、殺人・冤罪で犠牲を生むことも当然視することに、そんな事で良いのか、と公然と主張し、せっかく宮廷入りしてもオクニョは弁護士となり、トンイは息子=王子にそれを叩きこんだ。まあ、現代で言えば人民解放軍の首領みたいな父親の血を継いでいるからかもしれないが。
 もう一つ、最終回のタイトルが「民のために」だった。何のために王子が生きるべきか、民のために政治をせよ、これも叩き込んだのだ。実は朝鮮王朝で民心を得なかったばかりに短命や悲運で終わった王も少なくないようだ。その点、トンイの息子は50年の長きに渡って王位を維持したのでその教えは役に立ったと言えよう。

■豊臣秀吉登場
  韓国ドラマで必須なのが対外関係だ。中国(明・清)との関係に加えて、日本が結構出てくる。今放映中の「王の顔」では豊臣秀吉軍20万が攻めて来ている。要点がいくつかある。
1 無力な官軍
 豊富な予算と人材を持つはずの官軍が初戦からずっと負け続けるのだ。外交見通しの無さと、分析力が不足して、また弓矢で火縄銃に対抗する戦術の弱さもあるのだろう。今のソウルにあたる漢陽の都を王室が撤退してピョンヤンに遷都するのだ。釜山から2日で、さらにピョンヤンまでやはり2日だから怒涛の進撃であった。
2 大活躍の民間義兵
 当てにならない王と官軍にあきれ果てた民衆が決起して秀吉軍と戦う。ゲリラ戦を展開し、妓生でさえ接待のふりをして日本の武将を暗殺するなど、凄い。これらの史実はピョンヤンに展示されているのと符合する。豊臣軍はこの建物まで来ましたとか、妓生が豊臣の武将に抱きついて崖から飛び降りましたとか。
 なお、妙香山や義州など実在の地名も出てきたり、朝鮮人参が高価な商品としてしょっちゅう出てくるのも、何か、微笑ましい。
 ああ、当分はまってしまいそうであるが、仕方がない・・・


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