研究誌 「アジア新時代と日本」

第214号 2021/4/10



■ ■ 目 次 ■ ■

編集部より

主張 「米中新冷戦」日本はどう対応するのか

議論 今、日露戦争を考える意味

時事 「暴支膺懲」

随想 コロナ「濃厚接触者」を経験して

読者から




 

編集部より

小川淳


いま、追うべき一兎は何か
 アメリカが来春北京で開催される冬季オリンピックへのボイコットの可能性を表明し、波紋を呼んでいる。理由は新彊ウイグル自治区への「人権問題」だ。
 スポーツを政治に巻き込んではならないことは自明の理である。が、歴史はこの繰り返しであったように思う。
 このニュースですぐに脳裏に浮かんだのは、西側陣営によるモスクワ・オリンピックボイコット事件だ。あれは「米ソ冷戦」下での異常なイデオロギー的暴挙だったが、今回のアメリカの「北京オリンピックボイコット」アピールは、「米中新冷戦」というアメリカによって仕掛けられている、新たな「冷戦時代」での出来事だと言える。
オリンピックの歴史をみると、戦前の「ナチスの祭典」や上記のモスクワ大会のように、オリンピックはしばしばイデオロギーや「国威発揚」に利用されてきた。
 今回の東京大会もその例外ではない。そもそも東日本大震災後の復興も遅々として進まない中で、なんで五輪なのだという誘致当初からの疑問があり、国民の誘致への機運もさっぱり盛り上がらなかった中、安倍の政治的思惑先行の「アンダーコントロール」と「お・も・て・な・し」で強引に誘致された経緯もある。その名目も当初の東日本大震災に打ち勝った「復興五輪」から、いつの間にか「コロナに打ち勝ったオリンピック」に挿げ替えられた。このことを見ても、「復興」などは絶好の表看板であり、最初からどうでもよかったのだろう。とりわけ失点が続き、支持率が低迷したままの菅政権にとって、「東京五輪」の成功は政権維持にとって不可欠であり、菅政権が開催強行に前のめりになる理由もそこにある。
 誰もが疑問に思うのは、この世界的なコロナ蔓延のタイミングでなぜ大会を強行するのかということだ。コロナ変異株による第4波が国内で急拡大しており、大阪ではすでに医療崩壊が始まっている。期待されるワクチンの接種も米、英などに比べて極端に少なく、開催国でありながらその接種率はまだ1%にも満たない。それで世界から数万のアスリート関係者が東京に集結すれば、更なる感染拡大を生むのは確実だ。それでも「東京五輪」を推し進めると言うのだろうか。
 スポーツの祭典は確かに素晴らしい、見る人に大きな感動を与える。オリンピックはスポーツイベントという枠を超えて、これまで紛争など対立と敵対に対して重要な平和的なメッセージを発する場でもあった。しかし、それも人々の平安な暮らしと命が守られてのことだ。
 「二兎追うものは一兎も得ず」。菅、小池、五輪関係者の歪んだ執念で強行される東京五輪など論外で、今、追うべき一兎が何であるかは余りにも明白である。



主張

「米中新冷戦」日本はどう対応するのか

編集部


 トランプ政権によって打ち出された「米中新冷戦」が、今、バイデン新政権によってかたちを変え全面的に推し進められてきている。これにどう対するか。日本の命運がかかっていると思う。

■動き出したバイデン外交
 今年3月になってその動きを本格化したバイデン外交は、当初から、「米中対立」を意図的に喧伝し、世界に印象づけている。
 クアッド(日米印豪)首脳会談に続く日米、米韓の外務、防衛閣僚協議(「2プラス2」)、そして、アラスカ、アンカレッジでの米中外交トップ会談、NATO外相会合と続いたバイデン外交の始動は、それ自体が「米中新冷戦」の開始を世界に告げる宣言だったのではないか。
 それと相前後して世界的範囲で敢行されている「人権」、「強権」キャンペーンと制裁、その実証としての「香港」「ウイグル」「台湾」「ミャンマー」等々は、バイデン新大統領が「米中対立」の本質を「民主主義VS専制主義」と描いて見せたのと見事に符合していると言える。
 その上で、バイデン外交で見落としてならないのは、ロシアや朝鮮などに対する「人権」、「強権」キャンペーンと制裁、そしてそれとは裏腹に活発化される欧州や日本に対する「同盟工作」だ。そこに歴然としているのは、他でもない、世界を「民主主義陣営」と「専制主義陣営」に分断するバイデン新政権の戦略的企図だ。
 それが行き詰まった米単独覇権から米中によるG2覇権への移行戦略にあるのは明らかだ。バイデン新政権の外交の第一の売り、「国際協調」が分断した世界の一方である自分たちの「同盟」内部での「協調」に他ならず、その総路線がこの政権の原点、「脱トランプ」とは裏腹にトランプ路線のかたちを変えた踏襲に他ならないところにこの「企図」の欺瞞的な本性が透けて見えている。
 動き出したバイデン外交の本質、それがトランプ政権時から狙われていた「G2」を経ての米覇権回復戦略にあるのはもはや明らかではないか。

■「新冷戦」の日本にとっての意味を問う
 米覇権回復戦略、「米中新冷戦」にあって、バイデン政権が「アジア重視」「日本重視」の外交に出てくるのは当然のことだ。これとの関連で、先日、麻生太郎副総理兼財務相は、「米ソ冷戦時のフロントライン(最前線)は欧米だったが、米中となった場合は、アジア、日本だ」「今まで以上に目に見える形で、日本の外交的地位が格段に上がった」と言っていた。
 これと似た状況は、この百数十年来、日本には二度あったと思う。一度目は、幕末維新、二度目は、敗戦直後。前者はロシアの南下、後者はソ連の脅威に対して、日本は「最前線」に立たされた。
 日本にとってそれが決定的意味を持つようになったのは、二度ともそれが大きな時代の転換と一体になったことによる。
 前者にあっては、封建制から資本制、それも「脱亜入欧」、アジアの外に出て、外からアジアに対する帝国主義への転換と一体に、後者にあっては、全面的で徹底した対米従属体制、日米安保体制への転換と一体にそれが推し進められた。
 そして今回日本は、中国の台頭という現実にあって、これまでにも増して大きな時代的転換に直面しているのではないかと思う。
 一つは、デジタル化、グリーン化、地方地域の活性化、言い換えれば、第4次産業革命とも呼ばれるデジタルトランスフォーメーションと脱炭素化、地方分権化と一体であり、もう一つは、これがより決定的なのだが、改憲、安保改定などによる日米軍事の一体化への転換と一体だということだ。これは総じて、日本を米国の一部として組み込む、日米一体化の完成に他ならない。
 こうしてこの百数十年、三度にわたり、時代的転換を伴いながら、日本が覇権抗争の「最前線」に立たされてくる中にあって、一貫して問題になってきたのは、日本がアジアの外に出るのか、内に入るのかという問題だった。
 幕末維新の時、長い攻防の末、結局「脱亜入欧」を選択した日本は、第二次大戦敗北の時も、アジアへの敗戦を総括できないまま、「脱亜入欧」からの脱却を実現できなかった。そして、今また、「米中新冷戦」に巻き込まれ、デジタル化、グリーン化、地方活性化、日米軍事の一体化による米国との完全な一体化、中国、ひいてはアジアに対するさらなる敵対化の道に突き進もうとしている。
 なぜそうなるのか。理由ははっきりしている。日本が覇権抗争の「最前線」に立たされるとは、すなわち、アジアに対する欧米覇権の先兵にされることを意味しているからに他ならない。
 今日、「米中新冷戦」が突き付けられてきている中にあって、日本に問われているのは、同じ歴史を繰り返すのかということだ。

■アジアの内からアジアとともに
 麻生氏は、先の発言で、「米中新冷戦」を日本にとって願ってもない好機だとしながら、日本の政治家がその「最前線」を担う「覚悟」を固めるよう促している。それが、旧態然とした歴史の繰り返しであるのは言うまでもない。
 再び三度、「最前線」が突き付けられてきている今、問われているのは、新しい時代の要求、国民の要求に合わせ、今度こそ、「最前線」に立つのを拒否する「覚悟」ではないだろうか。
 今日、時代と国民の切実な要求、それは何よりも、コロナ禍からの脱却、コロナに伴い一層深まる生活苦からの脱却であり、そのための唯一の拠り所である国のあり方の転換、日本と日本国民のための国への転換にあると思う。それは、確固としたコロナ対策、経済政策もないままに、この切迫した要求に全く対応できていない菅政権への支持率が急落、低迷しているところに端的に示されているのではないだろうか。
 では、この時代と国民の切迫した要求に応える鍵はどこにあるのか。
 それが、「民主主義」を掲げ、「米中新冷戦」の「最前線」を担って、欧米覇権主義の中に一層深く入り込むことでも、逆に米国から中国へと乗り換えることでもないのははっきりしている。そんなことをしても問題は決して解決されない。
 日本に問われている問題解決の鍵は、いったん外へ出たアジアの内にもう一度帰るところにあるのではないだろうか。
 米国にも中国にも付かず、アジアの内に入るからといって、それは、アジアを自由と民主主義の道に導くなどと、アジアのリーダーになることでは決してない。アジアの内に入るとは、何よりもまず、アジアに学ぶことだと思う。
 今日、世界の最先端にあるのはアジアだ。それはコロナ対策の成功に現れている。なぜ成功したのか。それは、アジアの国々が国の役割を高めたところにあると思う。欧米が国の役割を「強権」だと否定してコロナ禍の泥沼に沈む中、アジアはその逆をして成功した。真の「民主」がどこにあるか学ぶ絶好の機会がそこにあるのではないか。
 EUの失敗とASEANの成功にも学ぶ必要があるのではないか。その成否の分かれ目には、国を否定するための連合か国を強化するための連合かということがあると思う。
 一方、米中の逆転にも学ぶ必要があると思う。没落と勃興、その分かれ目にもやはり、教育や経済など、国の役割があるのではないだろうか。
 「国」=「強権」だとした時代は終わった。アジアにおける国の役割の高まりの基には、民意の高まりと民意の政治への反映があると思う。欧米式とは違う民主主義がアジアに生まれていることについて学ぶ必要があるのではないだろうか。
 アジアの内に入るとは、アジアに学ぶだけではない。日本がアジアの一員としての役割を果たすことではないかと思う。
 アジアの外からアジアに対するのとアジアの内からアジアに対するのとで決定的に違うのは、アジアの利益、要求を自分の利益、要求にするのか否かだと思う。
 これまで日本は自分の利益、要求から出発し、それをアジアに押しつけ、アジアを苦しめ悲しめて、アジアの怒りを買ってきた。
 これから問われているのは、その深く痛切な総括に基づき、アジアの利益、要求を自分の利益、要求として、その実現のため、自己犠牲的にアジアの一員としての自分の役割を果たすことではないだろうか。それがアジアの内に入るということだと思う。
 「アジアの内からアジアとともに」、そこにこそ、時代と国民の切迫した要求に応えて、「最前線」に立つのを拒否し、日本が進む鍵がある。それを菅政権に期待できない今、政権交代は一層切実だと思う。



議論

今、日露戦争を考える意味

東屋 浩


 今日、米国により中国包囲網が作られつつあり、日本がその尖兵の役割を担わされようとしている。かつて、これに似たことがあった。114年前の日露戦争のことだ。日露戦争はロシアの南下を阻止しようとする英米が日本におこさせた戦争であり、その後、中国をはじめとする東アジア、太平洋地域に侵略戦争を続けたという、日本の在り方を決定づけた戦争であった。この日露戦争の教訓を考えることが重要だと思う。

■日露戦争はなぜ起こされたのか
 日露戦争については司馬遼太郎の「坂の上の雲」が有名だ。NHKの大河ドラマとしても放映された。明治までは日本はよく頑張った、その後、軍部が独走したのがよくなかったという見方だと思う。
 当時、軍事力ではロシアが300万の陸軍と近代兵器で日本を圧倒し、満州を支配し、朝鮮まで進出しようとしていた。朝鮮を確保し、ひいては中国に進出しようとした日本にとって対ロシア戦は不可避だったといえる。とくに日清戦争で得た遼東半島をロシアなどの三国干渉で手離さざるを得なかった日本は「臥薪嘗胆」を合い言葉に、対ロシア戦、すなわち征露戦争準備に力を注いだ。  この戦争は、ロシアの南下に対し「日本の利益線」を守り、「日本の独立」を守るための正念場の戦争だったと言われ、日本の国益を守るための正当な戦争だったと考える人がいる。その主張は大方以下のようなものである。
 <近代国家としての歩みを始めたばかりの日本は、国力に劣り、欧米に押しつけられた関税自主権を奪われた不平等条約のもとで、大使交換すら認められない二等国だった。日清戦争で清国を破り、その10年後の日露戦争でロシアを破ることにより、英米との不平等条約を最終的に撤廃することができ、大使交換も認められ、晴れて一等国として扱われるようになった。日露戦争で朝鮮を保護国として確保し、欧米からもその承認をとりつけることができた。南満州での利権も得た。
 この戦いは一方で、アジア人が始めて白人を破った戦争として、孫文やインド、中東諸国の独立運動に大きな衝撃を与えた。
 まさに、日本が世界舞台に登場した記念すべき戦争だったと言える>。

■日露戦争の結末
 日露戦争は日本の国力のすべてを傾け、9万名の兵士の犠牲のうえに和平交渉にもちこんだ辛勝の戦争だった。しかも、日本の国土が直接蹂躙されているのではなく、中国の領土でおこなった戦争であった。これが日本の独立のための戦争だったといえるのだろうか。
 日露戦争はあくまで朝鮮・南満州をめぐる覇権争いであり、日本にとって朝鮮国を完全に植民地とし南満州での利権を獲得するための侵略戦争だった。日本の独立のためでもなければ、やむを得ない戦争でもなかった。
 日露戦争終結直後、伊藤博文が朝鮮に乙巳保護条約を強要し、統監として君臨しながら完全併合までにもっていった。日露戦争は日本が帝国主義としてアジア諸国を蹂躙していく侵略国として登場したことを示した。
 伊藤博文は独立志士・安重根に倒され、孫文をはじめアジアの独立運動の志士たちの日本にたいする期待は幻滅に変わった。日露戦争後、朝鮮、中国などアジア諸国で抗日の戦いの炎が燃え広がっていった。

■英米の尖兵として
 また、日露戦争には英米が深く関わっている。日露戦争を英米の側から見るとどうなるのだろうか。英米にとってアジア侵略の最大の目標は中国侵略だった。当時、すでに英国は香港を、ポルトガルはマカオを、ドイツは青島を割譲させていた。フランスは安南(ベトナム)を、米国はフィリピンを支配していた。英米にとって問題は、ロシアだった。ロシアは中国と国境を接していた満州を占領し、さらに港のある旅順を得て要塞を築き、朝鮮まで影響力を行使しはじめていた。このロシアの南下を阻止することが英米の最大の関心事だったといえる。しかし、インドの反乱、フィリピンの抵抗で英米には余裕がなかった。そこで、日本をロシアと戦わせ、ロシア南下を阻止するようにした。
 もともと英米は日本をアジア侵略の手先に利用していた。朝鮮にたいして砲艦外交に失敗した米英は、日本に対しぺリーが行った砲艦外交のやり方を記した書を日本に渡して、江華島を襲撃させて、日本が強要されたのと同じ不平等条約を結ばせ、朝鮮に「開国」させた。その後、英米仏は労せずして朝鮮に対する不平等条約を結んだのである。
 日本の外務省顧問として影響力のあった米人ジャンドルは、「日本として朝鮮台湾を併呑して強い発言権をもちうる地位に立ち、それによってロシアのアジア侵略を阻止すべきである」とした。政治的には日英同盟(1902年と1905年)の締結で対露戦争のお墨付きを与え、米国には桂・タフト協定(1905年)で日露戦争後の日本の朝鮮支配を認めさせた。当時日本が英米と対等に同盟や協定を結べる力関係にはなかった。それは、日本がロシアとの戦争をやることへの褒美だったといえる。
 経済的にも日清戦争後の日本の財政は、自立資本主義から外債依存の経済に転換し、その返済のためにさらに外債依存度を高めるようになり、英米金融資本の意図と離れて国の政策がありえなくなっていた。
 軍事的には日露戦争の4年前、日本は英国の要望を受け、義和団鎮圧に最大の8千名の兵力を出し大きく貢献し、英米にとって「東洋の番犬」であることを示した。
 英米は日露戦争の戦費の半額の8億円を外債として提供し、極め付けは日本がすでに兵力枯渇で戦争継続する力がなかったのを、米国の和平協議提案で停戦にもちこんだことだ。
 日露戦争は、英米が日本にやらせた徹頭徹尾、英米のための戦争であったとも言えるのである。

■日露戦争の教訓
 日露戦争後、日本は朝鮮や中国の激化する独立運動を「懲らしめるために」、その「生命線」「利益線」を拡大し続けなければならなかった。こうしてアジア全域での侵略戦争の泥沼に陥るようになり、中国の利権をめぐって英米とも対立し、ついには英米にたいする宣戦布告に追い込まれるようになった。日露戦争はまさに、アジア諸国にたいする全面的な侵略戦争に突入していく契機となった。
 なぜ日本は侵略と戦争を続け、拡大していくしかなかったのか。それは、清が屈したアヘン戦争を目撃したこと、ペリーの砲艦恫喝に屈しこと、薩長が敗北した薩英戦争、馬関戦争の体験、さらには、岩倉使節団が目撃した英米の圧倒的力。そこから英米には絶対逆らわず従い、英米が示唆するように自国も英米のように力をつけ他国を侵略していく道を選んだといえる。それが「脱亜入欧」「富国強兵」路線だった。
 英米にたいする屈従、それこそが侵略と戦争の出発点であり、原動力だったと思う。大国には従属するしかなく、だから弱小国には従属させるという覇権の考え方だ。
 実際、英米の言うように清やロシアと戦い、朝鮮を侵略し完全に自己の植民地とした。植民地をもつ英米と同格となり、不平等条約も撤廃しえた。日本にとって「独立」とは、侵略国と戦うのではなく、みずから侵略国となることだった。
 侵略することを悪いとも何とも思わないのは、自身が大国の覇権に跪いているからであり、それを当然の理と考えているからだ。
 日露戦争の教訓は、覇権国英米に屈し英米の意図、すなわち覇権策動に従えば、日本は侵略戦争の破滅の道に進むということだ。
 今日、米国は衰退していく覇権を取り戻そうと「米中新冷戦」を掲げ、その最前線に日本を立たせようとしている。ロシアの南下を阻止させようとしたのと同じだ。それは日本の「格が上がった」のでもなく、日本の国益のためでもない。米国に従属して尖兵として利用されるということである。
 また、「米中新冷戦」に加われば、日本は中国だけでなくアジア諸国に敵対していくことになり、衰退と破滅への道に進むことになる。
 なぜ滅びゆく米覇権に従うのか。新しい時代を内包しているのはアジアである。日本はそのアジアの一員として今こそアジアと共に進むべきである。覇権に反対する日本の独自の立場を確立することが何よりも問われている。


 
時事

暴支膺懲

平 和好


 「暴支膺懲」と言う言葉が戦前にあった。暴れる中国を抑え懲らしめるという意味だ。もちろん、暴れていたのは大日本帝国のほうだから事実無根なのだが。それから100年前後経つが、まだ同じ事を日米が言うようになっている。日本の左翼まで言うので既成事実のように思われているが本当だろうか? 日本の左翼など生ぬるく感じるほどの「爆弾・火炎瓶」などを使った幾千のテロ事件が1990年から2016年にかけてだけでも、新疆の反政府勢力により起こされている。米国も含む国連が新疆の反政府勢力をアルカイダにつながるテロ組織と認定したぐらいだ。

■蔓延する新疆テロ
 以下の記事を見てほしい。

 中国政府と新疆政府は国連の『暴力過激主義防止の行動計画』に取り組んできた。同時に、新疆は各民族の平等の政治参加と宗教信仰の自由を守り、積極的な就労と経済政策を講じ、少数民族の文化と言語を保護した。
 無理やりな併合ではなく、清朝・中華民国・中華人民共和国を通じてウイグル人による帰属が平和的に行われてきた。全国人民代表会議にもウイグル人の議席が保証され、そのもとで解放前にはなかった高等教育機関や各行政機関が整備されている。少数民族の人口は絶えず増加し、2010年から2018年までの新疆におけるウイグル族人口は25.04%増え、2.0%の漢民族人口増加率を遥かに上回った。もちろんウイグル人が最大の人口だ。(第2位は漢族だが、その他少数民族にも配慮した施政が続いている。ヘイトクライムや行政による差別が蔓延する日米とは大違いだ。)308.9万の貧困人口はすべて貧困を脱却し、2014年からの5年間での新疆住民1人当たりの可処分所得は年平均9.1%のペースで増加した。しかしごく一部の人は真実を無視し、誤った情報を流し、新疆を傷つけようとしているが、それは決して実現できない。過去2年間において、国連職員、外交官、メディア記者や宗教団体など100カ国以上の国々から1000人余りが新疆を訪れたが、実際に見た新疆の様子は、今まで聞いていたものとは全く異なると皆が一致している。

 以上 日中友好ネット (goo.ne.jp) の記事より。(一度読まれたし。)
 チベットやウイグルの文化が抹殺されているような「情報」が飛び交っているが、音楽一つとってもウソだ。公共・民間問わず民族音楽が極めて大事にされ、流されている。お札にはウイグル語も書かれている。日本でお札に中国語や朝鮮語が書かれているだろうか?
 また「ごく一部のウイグル人が関係する、米欧が育成したIS(ダーイッシュ・アルカイダ)問題」=「残虐極まりないウイグル人の反共傭兵問題」・中東問題を視野に入れて考えないといけないと思ってます」という意見も寄せられた。
 ウイグル問題は少し前までごく一部の極右しか取り上げなかった、事実の裏付けも怪しいものであったが、トランプ政府・バイデン政府と歩調を合わせて日本共産党の機関紙「赤旗」までが堂々と掲載するようになってきた。反中国宣伝で自党の人気が上がると思うのかもしれないが、さもしいというか、情けないと言うか・・・良い党・良い新聞なのにアジア問題では零点に近いのが、昔から残念だ。
 もちろん、中国政府に全く問題がないかと言えば、ウソになるかも知れない。米英豪日そして蒋介石残党による国家転覆に、建国以後72年間、24時間365日さらされてきた中国であるから、規制の仕方に行き過ぎがある事も事実だろう。しかし、それらも含め解決する力は中国人民にしかない。しかもコロナ対応などを見ても、また経済の動向を見ても、問題解決の能力と意思と団結において、欧米日を中国がはるかに上回っているのではないか? おせっかいや内政干渉は必要ない。



随想

コロナ「濃厚接触者」を経験して

E・K


 私の勤務する知的障碍者のグループホームで、ついにコロナの感染者が出てしまった。はじめは彼らの通う作業所から、一人、二人と増え、数日の間に10人以上の感染が確認された。
 私のグループホームからも3人のメンバーさんが感染。その週の土曜日の勤務はキャンセルとなり、日曜日には検査を受けて欲しいと言う連絡が事業所からはいった。
 時々あごマスクになっていたり、接触頻度が高かったり。油断と言おうか気のゆるみがあったことも否めない。そんな不安を抱えながら検査の連絡を待つが、なかなか来ない。ようやくきた連絡では、検査人数が多くなってキットを取り寄せてやる方式は中止になり、管轄が保健所に移った事、保健所から連絡がくるので、それに従って欲しいとのことであった。
 日曜日の夕方になって保健所からやっと連絡があり、明日、指定の場所に来て欲しいとして、場所と時間、注意点などを大変丁寧に説明してくれる。そして、場所については、「風評被害」を考慮してか、ある施設の屋外を貸してもらっているのだが、その施設の名前は言えない。駅を降りたら案内の人が立っているので、それに従って行って欲しいとのことであった。
 翌日、言われた事を守り、指定の駅で降りて、言われた通りの道を進んで行くと、案内の人が立っており、スムーズに検査場に着くことができた。
 広い敷地に10ブースほどの検査場所が造られている。そのブースに行き着く前に本人確認と検温がなされ、示されたブースに向かって歩いていくと、小さな試験管のような物を渡され、線のついたところまで唾を溜めて下さいと言われる。ブース内の壁に貼られた梅干しとレモンの写真を見ながら、どうにか線のところまで唾をため、係員の人に渡す。検査は20分足らずで無事終了。
 そうして待つこと一日、翌日の夜に保健所から連絡があり、「陰性」という結果を受ける。そして、注意事項はないかと尋ねると、今週一杯は自宅待機してとのことであった。後で、職場の人に聞くと、濃厚接触と言うのは、一メートル以内、マスク無し、対面での会話というのが一応の規定との事で、私はマスクをしていたし、対面で15分話すということもでも無かったので、正確には「濃厚接触者」には当たらないようだ。なので、「陰性」であれば、すぐに働くことも可能であったが、高齢者関係の仕事も別に持っていた私としては万全を期して、あと一週間、仕事を休むことにした。その間の休業補償はない。
 私たちヘルパーが休んでいる間は、グループホームに各二人いるスタッフと事務関係を担う正職の人たちが、7つあるグループホームを回し、残ったメンバーさんの支援、入院したメンバーさんの世話などして天手古舞の状況が続いている。
 勤務していたグループホームのスタッフさんと電話で時々連絡をとっていたが、過労とコロナ「陽性」への不安で自分たちが「死にますよ」と。検査をたびたび要請しているのだが、何が原因か検査体制がとられないと嘆いていた。こんな状況を聞くとずっと休んでいることが申し訳ない気になり、もう職場復帰しましょうかと言うと、「高齢者の人との仕事もあるのだし」「自分の身は自分で守らないと」「気兼ねは不要ですよ」との声。いろいろ揺れ動く気持ちがふっきれた一瞬だった。
 「職場を休む」という事一つでも、コロナ禍では経済的にはもちろんの事、精神的な意味でもいろいろ大変なのだなということを実感した。
 また、今回の事を通して、何よりも感じたことは「検査が遅い」「検査ができない」という現状についてだ。待っている間に重症化してしまうし、感染がどんどん広まっていってしまう。(コロナ感染発覚から3週間たって、ようやく、希望するグループホーム支援者は無料で検査ができるという知らせがきた)。
 いつでも、誰でも、どこでも検査が受けられる体制がなぜいつまでたっても作られないのだろうか。民間の検査所ができてようやく検査数が増えてきたとは言え、国の取り組みとしては一向に改善しておらず、そんなことは分かっているよと国民誰もが思っているような事しか言わず、自粛を言いながらGOTOをやったり、感染急拡大している最中聖火リレーをスタートさせたり、やっていることがちぐはぐで対処が恐ろしいほど遅い。また、国民には厳しい要望を出しながら自分たちは、それを守らず感染者を増やしているなど、「本気度」「真剣度」を疑う行動が後を絶たない。日本でコロナ感染が収まらない一番の原因は、国が国としての役割を果たしておらず、国民との信頼関係がなくなっていることにあるのではないだろうか。
 ワクチンの接種も主要国の中では大きく後れをとっている。安倍前総理が「日本モデル」などとニヤケタ顔で言っていたことが今更ながらに空虚に思い起こされ、日本の実相について思いを深くした「濃厚接触者」休暇の日々であった。



 

読者から

S・Y


 3月号読ませて頂きました。米国・オーストラリア・インドとの4カ国首脳会談、米国務長官、国防長官来日、4月の菅首相訪米と動き始めたバイデン政権と日本外交の動きに対し、時宜を得た貴重な文章と思われました。
 主張で強調されている、「国の役割なしにコロナとの闘いは考えることもできません。国があってのコロナとの闘いです」「時代の転換や進展の主体は、常に国民です。それ以外の主体などあり得ません」
 まさに同感です。東アジアにおいて際立って中途半端なコロナ感染対策しか取れない日本の現状をどう考えるのか。やけくその「緊急事態宣言解除」しかできず、一時的に感染者数が減ったことのみで、これまでの政府の対応を評価しろという菅首相の姿勢は論外です。東京新聞でも主張されていたように「政府とそれを支えてきた専門家たちは、今回の緊急事態宣言解除を敗北宣言であると明言し、失敗を認めて出直すしかない」と思います。
 安倍・菅政権は全てのことを「一切の責任は私にある」とか、「私が先頭に立ってやる」とか「絶対に押さえ込む」とか、とにかくやっているふりのみで誤摩化してやってきました。しかし今回はいつまでも誤摩化すことはできません。コロナ感染症にどうやって対処するか、科学的判断能力と政治的判断力が問われます。更に書かれているようにそれを統括する指揮系統の確立が絶対に必要であり、最高責任者は大変な責任を負わされます。指揮命令系統が機能するためには互いの信頼関係が不可欠です。しかし、日本の現状はどうでしょうか。政治家と専門家はお互いを信頼していない。尾見さんは自分達が独自の提言をしても政治家は聞く耳を持たないであろうと考えて政府の意に添った提言しかできていない。政治家の方は専門家の能力を評価していない。どうせ専門家の言うことを聞いても感染防御はできないであろうと考えて、自分達の利害に合うように専門家会議を利用しているだけです。国民の大多数は政府のコロナ対策は失敗もしくは不十分であり、安全、安心なオリンピックが開催できるはずがないと考えている。また今まで様々な場面で「最高責任者は私だ」と安倍首相は明言したけれど、責任を取ったためしがないことも国民はよく承知しています。
 政府に対する国民の信頼感はなく、まさに指令塔不在、指揮系統がバラバラの状況と言わざるをえません。主張は構造的なものとしてコロナ禍での日本の現状をとらえているものと思いますが、国の基本はどこにあるのか。国家はお互いの信頼関係によって成り立つものだと思います。政府に対する信頼があるならば、国歌があっても良いし、国旗があっても良い。しかし今の政府が憲法を改訂し自分達の思う通りにやろうとするのはとんでもないことであり決して認めることはできません。
 議論に書かれた菅政権の「抑止力強化」表明、「国民投票法改正」=9条改憲意志は、これからの米中対立の中で、急速に実現に向けて具体化されていくのではないでしょうか。これは日本政府の意志というよりは、米国の意志であり、菅政権に日本独自の考えを貫く胆力はないと思います。経済問題も含め、米中関係は日本に大きな影響をもたらしますが、日本国民の間ではコロナ禍やオリンピックの問題の陰に隠れている面があります。今後も様々な問題提起をされることを期待しています。


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