研究誌 「アジア新時代と日本」

第212号 2021/2/10



■ ■ 目 次 ■ ■

編集部より

主張 バイデン新政権の真実

議論 脱炭素化を覇権の道具にするな

議論 コロナ対策への提言

寄稿 100年の物語(3)

寄稿 リラ・ピリピーナ 女性国際戦犯法廷20周年記念 オンラインイベント開催(1)




 

編集部より

小川淳


 森会長辞任へ、女性蔑視、老害は日本の縮図
 オリンピック組織委員会森喜朗会長の女性蔑視発言が国内外で大きな波紋を巻き起こしている。騒ぎの大きさに、当人自身が一番びっくりしているのではないか。
「女性がたくさんはいっている理事会の会議は時間がかかる」「女性っていうのは競争意識が強い・・・」。まさに「爺、ご乱心」である。
 JOCなどスポーツ団体は20年初めに女性理事を40%とする目標を立てていた。その矢先に、しかも東京大会のトップがこの発言では、弁解の余地なし、レッドカードで即退場だろう。森会長の下で開催される東京大会が多様性の尊重を謳う大会になるとは到底思えないし、この大会に参加するアスリートたちの心に影を落としたのではないか。コロナ禍の逆風の中で、何としても開催したいと抗(あがら)ってきた大会関係者たちは暗澹たる気持ちではなかろうか。コロナ禍で大会が開催できるかどうか分からないのに、会長自身がコロナ禍以上のネックとなったのだから・・・。
 日本政府は昨年までにリーダー層の3割を女性にする目標を定め、安倍元首相が旗振り役となって「女性活躍」を成長戦略の柱に掲げてきた。ところがどうだろう。世界経済フォーラムが2019年に発表したジェンダーギャップ(男女格差指数)で、日本は153か国中121位という惨憺たる結果に終わっている。なぜ日本は男女格差を縮めることができないのか。
 古代の日本は母権社会で女性の地位は想像以上に高かったという。武士階級と共に男性中心の家父長制が生れ、江戸時代の270年にわたって日本的で封建的な家制度が続いた。欧米の法制度を取り入れた明治になっても女性の地位は変わらなかった。明治政府によって家父長制度はむしろ強固に、「天皇を父とする一つの家族」という擬制的国家体制が作られていったからだ。女性が(帝国)大学入学を認められたのも、普通選挙権を得たのも戦後からで、まだ100年も経っていない。明治民法から続く嫡男重視や夫婦別性制度に執拗に反対している保守派などを見ても、家父長的弊害はいまなおこの国に根強く、色濃く残っている。
 この女性蔑視文化を転換するのは容易ではないだろうが、不可能ではない。この国の一番の問題は、二階とか森とか、国のトップを男性が占め、「老害」をまき散らしていることにある。
 思い切って国会や地方議会の半数を女性にしてはどうか。日本社会の風通しはぐっと良くなり、女性たちも元気になり、女性たちが元気になれば、日本もがらりと変わるはずだ。ツイッターでは「#わきまえない女」というハッシュタグが拡散しているという。「わきまえない女」、「モノを言う女」をいかに増やせるか、この国の未来の鍵の一つは間違いなくそこにあると思う。



主張

バイデン新政権の真実

編集部


 バイデン新政権が動き出した。そこで顕著なのが「脱トランプ」への動きだ。
 そのためか、この政権を「オバマ政権の第三期目」と位置付ける見方も現れている。
 だが、果たしてそうなるか。バイデン政権が占める位置とそれが果たす役割という見地から、この政権の真実について考えてみたい。

■バイデン新政権、図られる「脱トランプ化」
 発足早々、バイデン新政権が力を入れている「脱トランプ化」。あたかもそれがこの政権の使命であり、生命であるかのようだ。
 大統領就任式を異例の厳戒態勢下で終えたバイデンが大統領執務室に入って、まず始めたのは、地球温暖化対策の国際的枠組み、「パリ協定」への復帰や世界保健機関(WHO)からの脱退手続き中止、イスラム諸国からの入国規制の破棄、メキシコとの国境の壁建設の中止など17に及ぶトランプ前大統領が残した遺産を覆すための大統領令への署名だった。
 このデモンストレーションが物語る「脱トランプ化」、それは一言で言って、「米国第一(アメリカファースト)」からの脱却、国際協調路線への回帰だと言うことができる。
 実際これまで、「米国第一」は、トランプ政治の象徴、代名詞として、メディアなどにより、「米国のエゴ」「トランプ第一」「極右」などと、「国際協調」に対置されてきた。
 もう一つ、「脱トランプ化」のアピールのため、バイデン大統領が強調していることがある。それは、「結束」だ。
 バイデン氏は、トランプ前大統領のもう一つの象徴であり代名詞だった「分断」を念頭に、大統領選勝利宣言で、「赤(共和党)でも青(民主党)でもなく、アメリカだ」と何にも増して「結束UNITY」を訴え、あの比較的短い大統領就任演説でもこの単語を10回も使ってみせた。

■「脱トランプ化」、その破綻は目に見えている
  これから4年間、「トランプ政治」からの脱却は、果たしてできるだろうか。一言で言って、それはあり得ないと思う。
 一つは、「米国第一(アメリカファースト)」からの脱却など不可能だからだ。
 今回の大統領選で大方の予想はトランプの大敗だった。第二次大戦やベトナム戦争など、戦時をも遙かに上回る死者の続出など、米国が世界最悪のコロナ感染国に陥ったコロナ対策の大失敗は致命的だと思われた。だが、選挙結果は、バイデンの8100万票に対し、トランプ、7400万票、全米をほぼ二分するものだった。あのコロナ大失政にもかかわらず、全投票者の約半数がトランプを支持したということだ。
 なぜそうなったのか。そこに米国民の根強い「アメリカファースト」志向があるのは明らかだと思う。選挙結果の確定を行う連邦議会に反対し、トランプ支持者たちが星条旗を掲げて敢行したあの前代未聞の議事堂乱入、そして共和党を割っての「愛国党」結成への動きなどにそれは示されているのではないだろうか。それがトランプ支持層を超えて、広く多くの米国人の共感へと拡大しているのは、容易に推し量ることができる。
 事実、バイデン氏自身、「結束」を呼びかけながら、「赤でも青でもなく、アメリカだ」と人々のナショナルアイデンティティーに訴えざるを得なかったではないか。この広範な自分の国、米国への思い、自国、米国の利益を第一にする志向を脱却しての「国際協調」などあり得るだろうか。
 もう一つは、バイデン政権に「分断」を克服し、「結束」を実現する力など無いからだ。
 そもそも「分断」はトランプが生み出したものではない。トランプが分断を助長したのは事実だろう。しかし、分断を生み出した根源は、どこまでも所得格差、人種格差の拡大にある。この格差の広がりを抑えるどころか逆に促進してきたのがグローバリズム、新自由主義であり、それに基づく政治を敢行してきた、レーガン以降、歴代米政権であり、そこに民主党政権も入っているのは、誰も否定できない周知の事実だ。その跡を継ぐバイデン政権に「結束」を実現する力などあるわけがない。

■第二期「トランプ政権」と覇権のあり方の転換
 バイデン政権の政治がオバマ政権の第三期目になることはあり得ない。あり得るのは、トランプ政権の第二期目でしかない。すなわち、「米国第一」と「分断」の政治の継続だ。
 その上で、一期目と二期目に違いはあるだろう。一期目、トランプ政権は、広範な米国民の志向を取り入れ利用して、「米国第一」で米国を再強化する覇権政治を強引に敢行した。だが、あまりにも強引すぎた。それで、米覇権中枢は、もう少し洗練され、スマートな「アメリカファースト」を要求しているのではないだろうか。
 それは、トランプが引き起こした「米中新冷戦」の継承にも現れてきているように見える。中国を敵とし、米中敵対をつくり出しながら、アジアと世界の各国に「自由で開かれた」米国に付くのか、それとも中国に付くのか二者択一を迫っていくのだが、そのやり方に違いが見える。「二期目」は、「米国側ブロック」内の同盟を大切にし、同盟内の国際協調を図るということだ。だが、中国とその追随国を包囲、封鎖、排除して、「米ソ旧冷戦」時と同じく、G2覇権体制をつくるという点では同じことだ。
 もちろん、このスマートな「新冷戦」が功を奏するか否かはまた別問題だ。それは、中国、そしてアジアと世界の各国が、それに乗るかどうかにかかっている。
 一方、「米ソ旧冷戦」と「米中新冷戦」、二つの違いは、米側ブロック内、同盟諸国との国家関係を覇権と従属の古い関係から「ファースト」と「ファースト」の新しい関係にするところにあるのではないかと思う。そうしながら、それを米系IT大資本、GAFAによるIT寡頭制の下、統括、支配するということだ。そのために中国系IT大資本、BATHの「冷戦」による締め出しが必須だったということではないだろうか。
 この体制をつくるため、米側ブロック内のすべての同盟国の全社会デジタル化とファースト化、強権化が必要になる。そうなってこその「デジタル資本主義」「国家資本主義」に基づく「自国第一主義新時代」のIT覇権の実現だ。
 もう一つ、バイデン政権の脱炭素「グリーン革命」と「人権」による「米中新冷戦」の強化も「スマート」だと言えば、そう言える。
 米覇権中枢による、より洗練された「アメリカファースト」覇権。そのために押し立てられた政権。バイデン政権の真実は、この辺にあるのではないだろうか。

【もう一言】

バイデン政権と菅政権

 今回の「主張」は、バイデン新政権がどういう政権であるか見てみました。その目的が日本政治、特に菅政権の展望を推し量るところにあるのは言うまでもありません。
 そういう観点から見た時、重要なのは、バイデン新政権がオバマ政権を引き継ぐ旧態然としたグローバリズム、新自由主義政権ではなく、トランプ政権を引き継ぐ米国第一主義政権、それも穏やかでスマートな装いをしたそれだと言うことではないかと思います。
 そこから見た時、菅政権の動向が見えてくるように思います。
 何よりも、今、菅政権は、そのコロナ対策でトランプ政権の誤りをそのまま踏襲し、窮地に陥っていますが、このまま、トランプ政権同様、倒壊してしまうことも十分にあり得ると思います。
 その上で、注視すべきは、菅政権がコロナ対策では、「自粛」から罰則を設けるなど「強権」に移行してきていること、デジタル庁をつくりそこにデジタル化事業を一本化して国と社会の全面的デジタル化に乗り出してきていること、「自由で開かれたインド太平洋」を掲げ、米中新冷戦に歩調を合わせてきていること、さらには、脱炭素・グリーン化に力を入れ、バイデン政権の「グリーン革命」に息を合わせてきていること、そして何より、安保の双務化、憲法改正など日本のファースト化への速度を速めていることです。
 これらすべてが米覇権中枢の覇権のあり方の転換に歩調を合わせてきているのを見逃してはならないと思います。  これから日本で問われること、それは、米覇権中枢による覇権のあり方の転換に合わせた日本のあり方の転換です。
 ここで最も重要なことがあります。それは、日本の国のあり方の転換は、何よりも日本国民自身の要求だと言うことです。日本第一もデジタル化もグリーン化も日本国民自身の要求です。
 問題は、その中身です。それが正反対だと言うことです。国民のため、アジアのための転換か、それとも覇権のため、支配のための転換か、その闘いが今、切実に求められていると思います。



議論

脱炭素化を覇権の道具にするな

東屋浩


 現在、菅政権は脱炭素化社会をデジタル化とともに重要な政策として掲げている。言うまでもなく、脱炭素化は生態系を守り地球温暖化を阻止するための人類共通の課題だ。しかし、菅首相は実務優先で理想とか理念の人ではない。そんな首相がどうして突然、脱炭素化、グリーン化を言うのだろうか。
 それは既にバイデン米大統領が選挙前から打ち出したグリーン化と軌を一にしていることを考えれば、欧米追随の戦略的路線だと考えるのが妥当だろう。
 バイデン大統領の政策をみると、グリーン革命が強く打ち出されている。責任者にケリー元国務長官を配置し脱炭素化を世界的規模で押し進めるという。もともと民主党は数十年前から環境問題を人類共通の問題という口実で、世界のグローバル化の主な手段にしてきた。今回のグリーン革命においても、米国が「共通のルール」を設定し、それに反する国には制裁を加えるとしている。
 つまり、各国の協力で地球の生態系を保存していこうというのではなく、特定の国、とくに中国に圧力をかけるために環境問題を利用しようとしているのだ。周知のように、中国は石炭利用が世界でもっとも多い国だ。
 米中新冷戦で米国は、中国のファウェイ排除、中国人研究者・留学生の制限、ウイグル・香港問題を利用した非難、さらに台湾へのテコ入れと、あらゆる手段と口実を使って中国を抑え込もうとしている。
 その一つの手段として、グリーン化(脱炭素化)がある。これまで米国はパリ協定から脱退したばかりか、石炭発電所を利用している自国の利害から、脱炭素化の国際協力に反対してきた。今度は、一転して脱炭素化で他国に圧力をかけようというのだから厚顔無恥も甚だしい。
 他国への覇権という目的のためのグリーン化、脱炭素化が人類と国民が求めている環境問題の改善につながるのだろうか。
 グリーン化、脱炭素化は人類共通の課題ゆえ、各国の協力なしに実現しえない。とりわけ、現時代は各国の主権を尊重し、他国の干渉や覇権策動を許さない時代だ。バイデンのように特定の国に制裁を加えるためにグリーン化を掲げるなら、グリーン化そのものの障害になるだろう。
 菅首相は対米追随だけでなく、脱炭素化を経済成長戦略として位置づけている。
 施政演説で菅首相は「もはや環境対策は経済の制約ではなく、社会経済を大きく変革し、投資を促し、生産性を向上させ、産業構造の大転換と力強い成長を生み出す、その鍵となるものです」と、脱炭素化が経済発展のテコになるとしている。つまり、環境改善が世界のすう勢でそれで一儲けしようという話でしかない。
 他国に圧力をかけ、金儲けの手段として環境問題に取り組んで、果たして環境改善をおこなうことなどできるのだろうか。儲けを基準にすれば、さまざまな偏向を犯すようになるのは目に見えている。
 例えば、脱炭素化のために小型原子力発電所を大々的に増やすという。バイデン政権のグリーン化計画にも菅首相の発言にもある。炭素を排出しないからとして、原発を増設することということは環境改善ではなく環境の致命的破壊につながる問題だ。環境問題の解決の鍵は、風力、太陽光などの再生エネルギーの利用にあり、原発増設はまったく逆方向だ。
 落ちぶれていく米覇権政策に加担するのではなく、また脱炭素化を単なる金儲けの手段とするのではなく、地球の生態系を守る世界共通の目的のために、日本独自の考えで、政策を打ちだし、理想の実現を追求していくこと、それができる政権の誕生が待たれる。菅政権にそれを求めるのはあまりに空しい。


 
議論

コロナ対策への提言

S・Y


 現在全国的に医療が逼迫し、自宅療養中の患者が死亡する事例が増加しています。これは入院適応を保健所と患者との電話連絡のみで判断している現在の医療体制では当然生じてくることだと思います。院内感染などを考慮すると医療のキャパシティーを急速に増やすのは不可能なことが明らかになっており、このような悲惨な状況を改善するには感染者数を減らすこと以外に方策はありません。しかし政府の方針は行動を制限する、緩める、再度感染が拡大するということを繰り返しているのみです。今回一時的に感染者数が減少しても、さらにワクチンの導入により状況が変化したとしても、今までの方針を改め、「徹底した検査と隔離」という感染症に対する基本に立ち返らなければ、同じことを繰り返すだけだと思います。私は以下の二つのことを主張したいと思います。

■第一は「PCR検査制限の呪縛を解く」ということです。
 昨年3月22日NHKスペシャルの番組で、東北大学押谷仁教授は日本の感染対策は成功しているとして、「PCR検査の数が少ないので見逃している感染者が多数いるのではないかという指摘もありますが、日本のPCR検査は、クラスターを見つけるためには十分な検査がなされています。実はこのウイルスでは、80%の人は誰にも感染させていません。つまりすべての感染者を見つけなければいけない、というわけではない。クラスターさえ見つけられていれば、ある程度制御ができる。むしろPCR検査を抑えていることが日本が踏みとどまっている大きな理由であると考えられます」と述べています。
 ここに述べられているPCR検査制限論、無症状者を無視したクラスター対策が間違っていたことは明らかです。昨年7月に東大児玉龍彦名誉教授は、日本のコロナ対策は失敗だったとして、「これは医療崩壊を防ぐという名目で政府主導によりPCR検査を制限してきたからです。検査を制限するというのは世界に類を見ない暴挙であり、感染症を専門としている人間にとってありえない発想です。無症状者を隔離しなければ感染は制御できない。そのためにはPCR検査を拡大するしかない」と主張しています。私は未だコロナ感染症対策分科会のメンバーである押谷教授や尾見会長が自らの過ちを認めず居座っている限りは、PCR検査制限の呪縛を解き放つことはできないと思います。

■第二に強調したいことは、「国のトップは感染の全体像を把握していなければならない」ということです。
 夏の第二波の際、菅首相が記者会見で「感染者増加にどう対応するのか」と問われて、「患者数は増加しているが、死者や重症者は増加していない」ということを繰り返し述べ、「医療は逼迫していない」としてGOTOトラベルなどの方針を押し進めました。この菅首相の発言には、「死者数が増えなければいい」「そのためには重症者を重点的に診ればいい」「軽症者にとってはただの風邪であり放っておいても治るので感染者数にこだわることはない」という考え方が色濃く滲み出ていました。この効率重視の考え方では感染終息は期待できません。
 コロナ感染症は、無症状―風邪症状だけの軽症―肺炎を合併した中等症―人工呼吸管理が必要な重症、というスペクトラム(連続する範囲)があり、症状は時々刻々変化します。極端なことを言えば、発熱した直後は全員軽症であり、また軽症患者が急激に重症化することがしばしばある。そして、無症状の感染者がいることが、この病気の制御を難しくしているのです。
 菅首相や政府首脳はその全体像がつかめておらず、分科会の専門家も適切なアドバイスができていない。「感染者数が少ない時にこそ徹底的に押さえ込まなければならない」という児玉教授の提言が理解できず、感染者が激増するとあたふたしてどうしていいのかわからなくなってしまっているというのが菅首相の現在の状況です。
 昨年来、「台湾ではオードリー・タンさんというITの天才が指揮して感染を封じ込めた」とセンセーショナルに報道されていましたが、台湾がやっていることは特殊なことではない。「迅速な水際対策」「公平なマスクの配布」「検査・隔離体制の確立」「徹底した情報公開」という基本的なことの遂行です。
 日本でまず必要なのは誰が最終的な判断を下しているのか指揮系統を明確にし、徹底した情報公開により国民の信頼を得られるようにすることではないでしょうか。



寄稿

100年の物語(3)

平 和好


■戦後編
 1914年生まれの父が若妻と生き別れになった(牡丹江で死去)あと、運よく復員できた日本は色々な面で混乱と新生の両面であった。それほどハンサムでもなく財産も地位も無い父が再婚したのは吹田生まれのそごうデパートエレベーターガールだった。戦死も多いので若い男が少ないのも幸いしたようだ。器量よしで生活態度抜群、安定性にあふれた妻と50年連れ添うことになった。
 西宮→大阪・千林→大阪・十三と居を次々移したが商売ももう一つ、「借地・しかし古いながら持ち家」くらいしか獲得できなかった。それを黙々支えたのは「再婚相手」の妻であった。酒に酔って暴れるお客を包丁で脅したり、仲裁で大きなヤカンを脳天にお見舞いするほど炭鉱街出身的性格の粗さを時々出したり、お客が来ない時には玉突きに行ってしまう(お客が来たら慌てて母が呼びに行くのである)大正オヤジが何とか人生をまっとうできたのはこの賢妻の功績であろう。
 ある夜、今日の出来事を延々とぼやき、憤る父に賢妻が賢明なことを言った。「世の中て思うようにならんやんか。せめて楽しく、笑いながら行こうな、お父ちゃん。」社会主義思想にかぶれつつあったこちらにも聞こえるように言ったのかもしれない。腕を振り上げながら(しかし振り下ろすことも出来ず)父は不満そうな声を上げながら、しばらく大人しかった。
 しかしあんの条、こちらにも後日来た。レーニンなんか盗賊山賊の親玉のたぐいや!と吐き捨てる父に社会主義者志望の私が「何言うてんのん、盗賊山賊は日本帝国主義でお父ちゃんもその先兵やった」と言い返し、先兵が「お前に何がわかる、戦争に反対できんかっただけや!」と激高、論争が激戦・徹夜モードになるかも知れない場面で、賢妻は「来週、田中角栄さんが中国へ行くような時代や、仲良くしたら?」と絶妙の仲裁に入り、双方矛を収めざるを得なかった。
 戦争責任をめぐって日中政府が激論(角栄VS周恩来)をした後に、毛沢東主席が入って行って「もう喧嘩はすみましたか?」と言ったのを聞いて母の言葉を思い出した。
 そう言えば人の悪口満杯の父と対照的に、母は誰の批判もしなかった。思想が無いと言えばそれまでかもしれないが、融和思想も思想の一つであろうか? 1919年に生まれ、父と同じくらいの年齢=79才で永眠した母の話ももっと聞いておけば良かったと少し後悔している。
 その実家を私は22歳の時に出た。「家にいて世話になっていると、人物の成長が見込めない」と言うのがカッコいい公式の理由。実は人並みに出来た同学の恋人との生活を楽しみたかったのだが。楽しめたが、実家を出ると貧乏になるのを痛感した。家賃も食費も光熱費もいるのだから当たり前だが、一袋10円のパンの耳や一束10円の大根葉を買って、数日間それでしのぐ暮らしになると、何でもあった大衆食堂が懐かしかった。しかし意地でも実家には帰れない。
 母は「全然音信ないけど、もう私らの事忘れたんやろうか?」と泣くのに、父は「あいつはもうおらんと思え!」と言ったそうだ。 
 しばしば言い合いになる父はしかし、私が左翼関係の罪で留置された時にビフテキ弁当を差し入れに来て、釈放の時には日頃乗らないタクシーで迎えに来てくれた。説教してもええものやのに無言・・・あっ賢妻の言葉が頭に残っていたのだろう(か?)。
 こういう、ちょっと突破な父と賢妻の無言の導きと歴史の積み重ねで私は退屈せず、そこそこ有意義な人生を父母の生まれた時代から約100年の今、送る事ができているのだろう。相当心配や迷惑をかけた末、少しユックリ目の孫二人ができたので、満面の喜びを味わってもらえて天上に旅立ったお二人さんと中国の大地に眠る若妻さんにも感謝!である。



寄稿 リラ・ピリピーナ

女性国際戦犯法廷20周年記念 オンラインイベント開催(1)

文責:沖本直子(在フィリピン)
 提供:フィリピン慰安婦支援G「マキータの会」


 女性国際戦犯法廷から20周年を記念して、リラ・ピリピーナは2020年12月13日(日)、オンラインイベント"We Will Not Be Silenced Again!(再び沈黙はしない!)"を開催しました。
 当初、協力を依頼した人たちの都合が合わず予定していた12月の開催が危ぶまれましたが、最終的に、講師や出演者にも恵まれ、フィリピンの若いボランティアの尽力もあり、この機会にイベントを開催することができました。

■フィリピンの若い世代の活躍
 このイベントの告知とオープニングの素敵なイラストを作成したのは、リラ・ピリピーナの若いボランティアであるジョナ・サパンタさん。常勤の若いボランティアであるヴィンス・レアソンダさんとともに、ロラたちの証言ビデオ制作などでも活躍しています。オンラインイベントの経験豊富な女性資料センター(CWR)のチャム・ペレスさんの技術指導もあり、ヴィンスさんが中心となって記念イベントの準備と当日の運営を進めました。
 司会を務めたイナ・アザルコン・ボリバルさんは、フィリピン大学の教員で、同大学の劇団の顧問。イベントは、フィリピンで最初に「慰安婦」被害を名乗り出たロラ・マリア・ロサ・ヘンソンをモデルとした「ナナ・ロサ」を上演したフィリピン大学の劇団ドゥラアン・ユーピー所属の2人の俳優レイ・キンキリェリャさんとベア・ラコマさんによる「They call us the "comfort women"(『慰安婦』と呼ばれて)」の迫力ある詩の朗読で幕開けとなりました。今回のイベントのタイトルの由来も、この詩の締めくくりの言葉です。

■東澤靖先生の講演
 メインスピーカーとして、2000年の女性国際戦犯法廷の日本検事団の一員であり、1993年から2003年にかけての日本政府に対する裁判で46人のロラたちの代理人を務めた弁護士の東澤靖・明治学院大学教授に「Achievements and Further Challenges of Women's International Tribunal on Japan's Military Sexual Slavery (女性国際戦犯法廷の業績と課題)」と題して次のような要旨でご講演いただきました。
約200人の元慰安婦の方々の写真  女性国際戦犯法廷に先立つ歴史的背景として、戦後、連合国による東京裁判や、その後のサンフランシスコ平和条約や二国間条約でも性奴隷制の被害は扱われませんでした。1990年代になって、サバイバーたちが公式謝罪と賠償を求めて声を上げはじめ、韓国、フィリピン、中国、台湾、オランダのサバイバーたちが日本政府に対して裁判を起こしました。しかしながら、個人は国際法の主体ではないとか、個人は平和条約や二国間条約に基づく賠償請求権がないという理由等で、戦争中の被害の事実認定もなされないまま、日本の裁判所は訴えを一括して退け、被害者への補償と加害者の責任はうやむやになりました。
 こうして沈黙を強いられた苦い経験を経て、2000年に東京において正義を求めるサバイバー、女性、市民たちによって女性国際法廷が開設されました。国連の旧ユーゴ国際刑事法廷に関わった国際的な検事団によって、翌年、判決が言い渡され、次の事実が明らかにされました。
(1)侵略・占領に続いてアジア太平洋全域に「慰安所」が設置されたこと。(2)1937年の南京事件後、性暴力を防ぐという軍の方針に基づいて「慰安所」が設置されたが、むしろ兵士たちが戦場に非公式にレイプセンターを設置することを奨励する結果となったこと。(3)天皇を含む軍や政府の指導者たちはこうした政策決定に関わり、その影響も知っていたこと。(4)連合国は性奴隷制の罪を故意に裁かないまま放置し、被害国に平和条約を結ばせたこと。(5)その結果、性奴隷制の被害者は長い間沈黙を強いられたこと。
 女性国際戦犯法廷の業績としては次の4つが挙げられます。(1)日本軍性奴隷制は第二次大戦時においても国際法違反であったことを、証拠をあげて明確にしたこと。(2)特に、人道に対する深刻な犯罪については国が犯したか民間人が犯したかに関わらず国が調査し、処罰する義務があることについて、法廷が国際人権法制の発展を推進したこと。(3)2000年国連総会で決議された基本原則とガイドライン、真実・正義・賠償を得る権利などと同時に、法廷が被害者の権利の救済の重要な発展に寄与したこと。(4)戦争や武力紛争における単なる被害者ではなく平和構築に積極的な役割を果たす女性の役割の劇的な変化に影響を及ぼしたこと。
 東澤教授は最後に、「ロラたち勇気あるサバイバーと支援者たちが声を上げたことで、数十年にわたる沈黙の歴史が破られました。彼女たちの経験と業績を次の世代に伝える時です」と述べ、フィリピン語で、「正義のためにともに闘いましょう!」と講演を締めくくりました。   日本政府に対し謝罪を求めて訴えるロラたち

■ジュルス・リドル氏のコメント
 続いて、2人のフィリピン女性がコメントを述べました。まず、現在は早稲田大学でジェンダーと戦争の研究を続けているジュルス・リドル氏。冒頭に東澤教授のこの日の講演及び帝国による戦争犯罪の被害者たちのために正義を求めるこれまでの尽力に感謝を述べ、次のように語りました。
 東澤教授のお話は、法的責任だけでなく、一握りの権力者が主張する「事実」でなく、沈黙を強いられた人々が経験した「事実」に貢献する歴史にも責任があることを思い起こさせます。本日このお話をいただいたことは非常に意義深いです。1942年のまさにこの週に、日本は大東亜共栄圏の構想を掲げ、他のアジアの国々及びフィリピンにやってきたからです。当時のプロパガンダを見れば、日本軍の首脳、本間中将自身さえ、フィリピン女性は「強すぎる」、「パワフルすぎる」と考えていたことが分かります。現在、歴史を振り返ってみると、この「力(パワー)」の概念がいかに複雑であるか、いかに多くの人がこのパワーを潰そうと試み、今も潰そうとし続けているか分かります。しかし一方で、様々な方法で、私たちが抵抗し、沈黙を拒否し続けてきた事が分かります。
 東澤教授のお話のように、この闘争における課題はまだまだ多いです。政治家、活動家、歴史家、芸術家、皆が、東澤先生が語ったように、共に闘うことです。戦争から80年近くが過ぎ、女性国際戦犯法廷から20年を経て、この問題は今なお、ほとんど無視されているだけでなく、更に悪いことに、しばしば国と国との外交の名において、積極的に歴史から抹消されようとしています。今なお私たちは、フィリピンを含む主権国家において、人権、特に女性をないがしろにした軍事化を目の当たりにします。
 しかし、本日皆様とともに、東澤先生のお話をお聴きし、パフォーマンスを見ると、希望を持たずにはいられません。東澤先生が本日お話された4つの業績から、この闘いには成功した点もあり、ロラたちへの正義のためのあらゆる取り組みは無駄ではないことをお聴きし、心癒されます。
 最後にリドル氏はフィリピン語で、「何よりも、ロラの皆様、私たちはここにいて、あなた方を信じています」と語り掛け、話を締めくくりました。


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