研究誌 「アジア新時代と日本」

第209号 2020/11/10



■ ■ 目 次 ■ ■

編集部より

主張 米中新冷戦とどう闘うか

議論 大阪市民の勝利―その「奇跡の大逆転」をもたらしたもの

議論 学術会議任命拒否、その目的

100年の物語(1)

寄稿 私の一票について

資料 れいわ新選組、衆院選へ 関西に活路、都構想では存在感




 

編集部より

小川淳


 バイデン「敗北」の真相
 アメリカ大統領選挙は大接戦の末、バイデンの勝利に終わったが、トランプが勝てるはずがないという大方の見方は外れたと言ってよい。主要なメディアを敵に回してトランプは大健闘した。なぜトランプはあれほど強かったのか。
 その支持層には、白人層を中心にした圧倒的な「忘れられた人々」の存在がある。もともとは工業地帯の労働者として組合に属し、「民主党」を支持してきた人々は、疲弊し、生活基盤を失い、既成政治やグローバリズムに失望していた。複雑な現実を単純化し、理性や論理、ファクトより感情に訴え、対話や妥協よりも拒絶と対決を重んじる―右派ポピュリズムによってトランプは過去最高の7200万票も獲得し、ヒスパニックや黒人票まで民主党から奪った。
 本来ならこのコロナ不況の選挙で、地滑り的勝利をして当然だったバイデン民主党は「惨敗」と言えた。不況の中で再選をめざした現職大統領はみな惨敗(フーバー、カーターなど)しているからだ。
 この背景には80年代以降、民主党の変質があるとの指摘がある。「バイデンの民主党は歴史的敗北を喫した」(会田弘継・ジャーナリスト)。氏によれば、81年のレーガン政権の誕生によってラストベルト一帯の白人労働者は雪崩を打つように共和党支持に回った。その80年代に党再建をめざして登場したのが「ニューデモクラット」と呼ばれた若手らで、中心にいたのがビル・クリントンだった。メンバーだったアル・ゴアらは「ハイテク・デモクラット」と呼ばれ、この時から今日に至るシリコンバレーのIT企業と民主党の強い関係が始まったと言われている。93年にクリントン・ゴアの政権が誕生すると、民主党は「第3の道」と称して労働者の党を止め、「小さな政府」と規制緩和、市場重視、福祉切り捨ての政党へと変わっていった。そうした中で議会において共和党と妥協を図る交渉役として手腕を振るった人物がバイデンだった――という。IT業界やウオール街と癒着した民主党より、借金まみれで路頭に迷った人々がトランプに期待を寄せたのは無理もなかった。一方で、「民主党主流派」の変質に異を唱え、貧困や格差、人種問題にきちんと向き合う「民主党左派」が存在感を増している。今回の選挙でも躍進したのはサンダースやオカシオ・コルテスらの左派だった。かれら「民主党左派」の支えなしにバイデンの「薄氷の勝利」はなかった。その意味で「敗北」したのは民主党というよりも、バイデンら「民主党主流派」といえる。
 「米中新冷戦」を引き継ぎ、「国際協調主義」に軸足をおくバイデン政権はトランプ政権以上に日米同盟強化、安保体制双務化を求めてくるのは間違いない。米民主党の変質とトランプ(右派ポピュリズム)の跋扈は、社会の底辺に苦しむ人々に真摯に向き合うのは誰か、今回の選挙から多くの教訓を得ることができそうだ。 



主張

米中新冷戦とどう闘うか

編集部


 今、「米中新冷戦」は、日本政治の焦点になっているようには見えない。メディアなどでもこの言葉が出てくるのは希だ。  だがこれは、トランプが大統領選で用いた単なる術策などでは断じてない。米国に付くのか、中国に付くのか、「米中新冷戦」は、国際政治の現実として日本にも突き付けられてきている。それが政治やメディアなどで、表だって取り上げられていないこと自体がこの問題の深刻さを証明しているのではないだろうか。

■時代錯誤の「米中新冷戦」
 本誌で幾度も取り上げたように、「新冷戦」はすでに開始されている。「貿易戦争」、「ハイテク戦争」、「外交戦争」、そして中国包囲と排除の「クアッド構想」(アジア版NATO)、「クリーンネットワーク計画」、等々。
 米国は、これら「冷戦」を自分一人でやるのではない。世界を巻き込んでやる。「米国に付くのか、中国に付くのか」。
 この世界の分断にこそ米国の狙いがある。かつての「米ソ冷戦」でもそうだった。資本主義陣営と社会主義陣営。米国は、イデオロギーで世界を東西二つに分断した。
 それは何のためか。支配のため、覇権のためだ。二大超大国による世界の分断支配、G2覇権体制。かつては「米ソ」、今は「米中」だ。
 「米ソ」はうまくいった。しかし、今度はどうか。決定的に弱体化した米覇権力。そして何より、世界をイデオロギーで分断する根拠自体がなくなっている。
 米国務長官ポンペオがいくら「自由主義対全体主義」を叫んでも、何の説得力もない。世界はもはや、イデオロギーよりもアイデンティティの時代になっている。
 自由と民主主義、そして法の支配。米国が叫ぶ「普遍的価値」は、世界だけでない、米国内においても価値を失っている。今、人々が求めているのは、自由や民主主義の名で行われる1%のための政治、覇権のための政治ではない。自分たちの国、自分たちの地域第一に行われる自分たち主体の政治だ。

■対「新冷戦」、菅新政権のスタンスを問う
 時代は変わった。それにつれ、日本の政治にも変化が生まれてきているように見える。
先の自民党総裁選は、その顕著な現れだったと言えるのではないか。安倍辞任の記者会見に始まった一連の動きは、どう見ても、米国主導ではなかった。
 前々回の「主張」でも提起したが、先の総裁選の顕著な特徴は「石破落とし」にあった。その結果、米国の息のかかったメディアなどで呼び声が高かった石破氏は立候補三人中最下位、しかも強いとされていた地方票でも菅氏に水をあけられた。「アジア集団安保」など、米国の「新冷戦」戦略に沿った政策を唱えていた石破氏がなぜ惨敗したのか。
 米大統領選を目の前にしての突然の安倍辞任劇、その時、石破氏は地方に行っていた。そこには、一連の動きに対応しきれず、黙認するしかなかった米国の姿があったのではないか。そして、さらに注視すべきは、それに対する米国の報復を自民党がさして恐れていないように見えることだ。実際、新生菅政権は、その後打ち出されてきた「新冷戦」政策、「アジア版NATO」や「クリーンネットワーク計画」に対しても平然とその不参加を表明している。
 こうしたこれまでの自民党政権には見られなかった行動をどう見るか。そこに見えてくるのは、従来の対米追随とは異なり、米国にも、中国にも付かず、アジアとともにそのリーダーとして生きようとする菅政権の志向ではないだろうか。
 それは、始動して間もない新政権の動きにも現れているように見える。最初の外遊先にベトナム、インドネシアを選択し、「自由で開かれたインド太平洋構想」への参加を誘いながら、東シナ海と南シナ海、中国との領有権問題を共有する両国との友好関係を誇示する一方、中国に対する名指しの非難は避けている。
 古い時代錯誤の政治に日本を巻き込んでくる「米中新冷戦」に反対し闘っていく上で、この菅政権にどう対するか、そのことが問われているのではないだろうか。

■どうする菅政権との闘い
 今日、あらゆる闘いの中心の環は、崩壊の危機に直面してあがく米覇権の建て直し戦略、「米中新冷戦」戦略に反対して闘うことにある。「新冷戦」を破綻させてこそ、米覇権という諸悪の根源を崩壊させ、引いては日本の対米従属からの脱却も実現することができるからだ。
 この闘いで菅政権が占める位置は小さくない。そこでプラスの役割を果たすのか、逆にマイナスの害毒を及ぼすのか。今のままでは、後者の可能性が大きいように思う。それは、一言で言って、菅政権が「新冷戦」に反対して米覇権と徹底的に闘うことができず、その闘いが中途半端になる可能性大だと言えるからだ。
 その要因ははっきりしている。菅政権がその利害を代表している大企業など日本の支配層の要求がどこまでもアジアに対する覇権にあり、これまで米覇権の下で覇権してきた体質から彼ら自身、抜け切れていないからに他ならない。衰退する米覇権、勃興する中国覇権、両覇権の間にあって、両者の力を利用して覇権しようとする彼らが「新冷戦」との闘いで不徹底にならないわけがない。
 菅政権が陥る「米中新冷戦」に抗する闘いでの不徹底性と闘いながら、「新冷戦」との闘いをどこまでも国民主導、国民主体で力強く推し進めていくためにはどうすべきか。
 そのための鍵は、あくまで時代の要求、国民の要求を高く掲げ、それに応えるところにある。先述したように今、時代が求め、国民が求めているのは、イデオロギーではない。アイデンティティだ。「インド太平洋構想」を言いながら、その基準に「自由」や「民主主義」「法の支配」を掲げ、米国にすり寄り、中国とはやんわりと一線を画すようなやり方はもう古い。
 「新冷戦」と正面から向き合い、菅政権の不徹底と闘っていくためには、何よりも、何か普遍的なイデオロギーではなく、自分たちの国と地域、自分たち自身のため、国益、国民益第一を高く掲げ、何が真の国益、国民益なのか、菅政権と闘いながら、「普遍的価値」を掲げた米国による「米中新冷戦」の強要と断固闘っていくことが問われていると思う。
 今、日本の安保防衛にとって、敵基地攻撃能力保有や日米安保の双務化、あるいは、「新冷戦」で提起される中国包囲の「アジア版NATO」への参加など、敵対国への抑止力を高めてする防衛か、それとも、巧みな外交力と高度な撃退力により、敵対国自体をつくらないようにする防衛か、抑止力論の要である核戦争自体の現実性が失われてきている現時代にあって、どちらが国益、国民益に合っているのか。
 あるいは、「米中新冷戦」で米国が早々と提起してきている通信分野で中国を排除する「クリーンネットワーク計画」など、明らかに日本の国益、国民益に反する政策に対して、「デジタル改革」など「改革」を政策の第一に掲げ、軍事とともに経済の日米一体化を進める菅政権がどれだけ抗して闘えるか。政策のあらゆる分野、領域に亘り、国益、国民益第一の闘いが問われている。
 もう一つは、菅政権が「米国でも、中国でもなく、アジアとともに、そのリーダーとして生きよう」としていることだ。アジアの盟主として、アジアの上からアジアに覇権して生きるなど、全くの時代錯誤だ。
 今、日本に問われているのは、欧米帝国主義、覇権の時代、「脱亜入欧」、アジアの外からアジアに覇権した過去の誤りを正しく総括して、アジアの内から「アジア益」を掲げ、そのために「新冷戦」と闘っていくことだと思う。
 そのためにはまず、アジアから学ぶ姿勢が必要なのではないか。
 新型コロナ禍や「新冷戦」に対しても、デジタル化においても、今やアジアは世界の先端を切っている。アジアの一員としての誇りや彼らへの敬意の気持ちなしには、真の謝罪も賠償も、「アジア益」を擁護しての「新冷戦」との闘いもあり得ないのではないだろうか。
 米国にも、中国にも付かず、国益、国民益第一に、アジアの内の日本として生きる。
 「新冷戦」との闘いで問われているのは、そのような姿勢ではないだろうか。



議論

大阪市民の勝利―その「奇跡の大逆転」をもたらしたもの

永沼博


 注目された「大阪住民投票」。賛成67万票、反対69万票。その差1万7000票という僅差をもって大阪市廃止は阻止された。先ずは「奇跡の大逆転」とも言えるこの感動的な勝利を勝ち取った大阪市民に心からの祝意を表したい。
 今回の住民投票は劣勢の中で始まった。維新は、昨年春の統一地方選でのダブル選挙、秋の参院選での大勝、そしてコロナ禍での「吉村人気」を背景に「住民投票」に打って出た。とりわけ公明党が賛成に転じたことは決定的だった。5年前の僅差での否決に回った膨大な票(昨秋参院選の公明党の獲得数17万票)が賛成に回ったのだから。
 その上で維新は吉村府知事を責任者とする「対策本部」を設置。議員を動員し各地で説明会を開き「説得工作」。とくに5年前に反対票の多かった地区に力を入れるなど万全の体制で臨んだ。
 6月〜9月段階での世論調査では、「賛成多数」。その風向きが変わったのは、投票まで1ヶ月を残した10月段階。賛成、反対が接近し、そして最後の1週間で逆転(0・3%差)の数字が出るようになっていた。

■コロナ禍の直撃
 一体何があったのか。そこで先ず指摘すべきはコロナ禍。これが維新を直撃した。元々、都構想は「大阪の成長戦略」として打ち出された。その成長戦略とは民営化や国際エンターテインメント都市"大阪"。すなわち、インバウンド、カジノ、万博、そして外資依存の民営化。しかし、コロナ禍は、それを嘲笑うかのように突いた。
 「コロナ禍の中、インバウンドや万博、IR(カジノ)といった都構想の成長政策が通じるのか。都市への集中と経済効率性の追求は逆にリスクになる」(西脇邦雄大阪経済法科大学教授)ということなのだ。
 その不利を察した維新は、「二重行政解消」で「住民サービスが向上する」に焦点を変えた。そのため「成長戦略」は消え、論争は「住民サービス」を巡るものとなった。賛否両論渦巻く中で市民は「言うことが正反対。どっちがホンマか分からん。最後まで迷うやろな」(大阪のおばちゃん)という状況に。
 そういう中で高まった声。そこまでして大阪市をなくす意味があるのか、一度なくしたら元には戻らない、コロナ禍の中何故それを今やらなくてはならないかなどなど、「大阪市をなくして欲しくない」の声だった。

■最大の要因、大阪アイデンティティ
 「大阪市をなくして欲しくない」。それはアイデンティティの問題。イデオロギーや政策の違いを論ずる前に、そもそも大阪市は市民にとって何なのか、それを廃止するというのは何を意味するのかを市民は考えるようになったということである。大阪市は大阪市民にとって最も身近な生活単位。日本の自治は、都道府県制と市町村の2重構成になっているが、都道府県は中央との連絡業務を行い(地方自治法2条6項)、実際の自治は市町村で行われる。
 その最も身近な生活単位で生活する中で大阪市民は、「大阪人」「浪速っ子」意識をもち、大阪に愛着を持ち、自身の暮らしと地域の発展を結びつけ、地域の発展を願う。すなわち大阪市民にとって大阪市は自身のアイデンティティなのだ。
その大阪市廃止を迫られた大阪市民は、その瀬戸際で、「大阪市をなくさない」という選択をしたということなのだ。
 この意味するところは実に大きい。圧倒的に劣勢に立たされた中での大逆転。それをもたらしたのは、一見、素朴に見える「大阪市をなくしてほしくない」という自身のアイデンティティを守ろうとする意識だったということ。
 新自由主義的思考。何でも効率主義で、公をなくし、自己責任(自助努力)にする。その思考には公とか集団というものが欠落している。そうした維新・新自由主義者が考えもしなかった所からの逆襲。それが大阪アイデンティティだった。
 それは、これからも続く新自由主義(政府、企業、地域振興など)との闘いにおいてアイデンティティを打ち出すことが如何に重要かを教えている。「奇跡の大逆転」でそれを示してくれた大阪市民、その「浪速のど根性」に敬意を表しながらこの文章を終えたい。


 
議論

学術会議任命拒否、その目的

東屋浩


 菅首相が日本学術会議の推薦名簿から6人を任命しなかった。学術会議の歴史でこれまでなかったことだ。
 6人の学者は、安保法制や秘密保護法に反対した人たちだ。ということは、自民・船田元氏が「『(政権に)反対するとこういうことになる』と抑止効果を狙ったものとしか思えない」と批判しているように、官僚、マスコミだけでなく人事権で学者・知識人まで政権に従うように強制しようとするものだ。ここに菅政権の狙いの一つがあるというのは言うまでもない。
 これにたいし500余の学協会が抗議声明を出しており、これ以外にも多くの団体が抗議し、国民の過半数も反対している。自民党内部ですら、なんでこんなことをするのか、という声が起こっている。

■菅首相に任命を拒否する権限があるのか
 任命権があることが、「任命を拒否できる権限もある」とは必ずしもならない。例えば、憲法に「天皇は、国会の指名に基づいて、内閣総理大臣を任命する」とあるが、天皇は国会が指名した人物を「問題があるから任命しない」と言えない。
 日本学術会議法では「学術会議の推薦に基づいて内閣総理大臣が任命する」となっている。これは任命しない権限もあることを意味しない。なぜなら、選抜の基準が学者としての学問的業績が基本だからだ。1983年に選挙ではなく推薦制度になったとき、形式的任命を政府は国会で言明していた。菅首相が任命しない権限もあるとするなら、それは学問上の業績に疑問があると判断したことになり、それは学問の自由への侵害となる。
 また菅首相は学術会議会員が政府に任命される公務員だと強調している。しかし、日本学術会議法は第3条で「日本学術会議は独立して・・・職務を行う」としている。学術会議は首相の下にあるが、首相からは独立しているということだ。だから、「任命しない権限」があるとしたら、首相の学術会議への介入を認め、学術会議の提言は政府の言うなりとなり、学術会議の存在意義がなくなることになる。
 したがって、菅首相には任命する権限はあっても、任命しない権限はない。
 もし任命しない権限もあるからとして推薦された学者を任命しないのなら、行政上、なぜ任命しないのかの理由を明示しなければならない。にも拘わらず菅首相は任命しない理由を明示しない。6名の名簿は知らなかったとか、多様性とか事前協議とか、そのつど理由にはならないことでごまかし、「言えないこともある」とも言っている。
 国民の多くの反対があり法的にも無理なのに、なぜあえて学術会議介入の愚挙を押し切ろうとするのだろうか。

■戦争のための軍事研究の道
 任命しない権限もあるという解釈に変えたのは、安倍政権のもとの2018年であった(内閣府文書)。それは、防衛装備庁が2015年に「安全保障技術研究推進制度」を導入し、将来的に武器転用可能な基礎研究を公募しはじめたことにたいし、2017年に学術会議が強い懸念を示す「軍事的安全保障研究に関する声明」を出したからだ。日本学術会議は憲法にもとづき戦争協力をしない立場で一貫してきた。  軍事大国の道にすすむ安倍政権(菅官房長官)にとって、憲法にもとづく戦争反対、軍事研究反対の日本学術会議の存在自体を目の上のこぶと受け取ったといえる。それが、18年の「総理大臣の任命」を形式的任命から任命しない権限もあるとした内閣府の解釈変更だった。  その解釈変更を使って、実際に任命拒否をおこなったのが、今回の菅政権だ。  菅政権は改憲を進めようとしており、戦闘機も米国から購入するのではなく国産化を決定し、日本をアジアのリーダーとするために独自の軍国化に舵を切ったといえる。  そのために、戦争協力を拒否する学術会議にたいする強引な介入をおこなったのだといえる。 戦争をする国への道に踏み出すこと、それが任命拒否の狙いだと言えるのではないだろうか。  戦争をする国にするというのは、言うまでもなく日本の破滅と国民への災難以外の何物でもない。日本が平和国家とするために、学術会議への弾圧を許さず、菅政権の戦争をする国への道を阻止していかなければならないと思う。



 

100年の物語(1)

平 和好


■父
 わが父は大正4年1914年に九州久留米で生まれた。世界では第一次世界大戦がまっさかり。大戦景気に沸き、比較的安定した時代だった。日本は対中国21ケ条要求を強要していた。さて父には5人の姉がおり、やっと男が生まれたと、超大事にされたらしい。
 しかし、父の父が「喧嘩の仲裁」で若くして死亡。姉たちに育てられた。幼少のエピソードでは小学校のクラスは同姓だらけ。フルネームでないと混乱するほどだったらしい。久留米では仕事がなく、成人前に兵庫県西宮市へ単身移住。叔父さんの食堂の手伝いをしつつ、神戸電鉄の車掌として就職。そこへ満州移民募集を知り、結婚したての豊子さんを連れて、ソ連国境に近い満州北東部牡丹江に赴任。多分、関釜連絡船で釜山にわたり、今のソウル、丹東、瀋陽、長春、ハルピンを経て何週間もかかったと思われる。

■順風満帆
 仕事は食糧配給係。中国人民から取り上げた土地で膨大に生産される農作物を日本人植民者に配分する、侵略者の手先である。暮らしはどうやったん?と聞いたことがあるが、「仕事は楽やし、食うに困ることはなく、左ウチワやった」との事。(1940年頃)。
 甘い新婚生活は数年続いたが、1945年、ヤルタ協定で参戦を米英から促されたソ連の参戦で関東軍に緊急招集され、運命暗転。31歳の「ロートル」兵、しかも若妻とは生き別れ。
 私「お父ちゃん鉄砲撃ったん?」父「そんなもんあるかい」軍隊では武器など支給されず、渡されたのがこん棒やスコップ。ソ連軍の猛烈な砲火の中を逃げ惑うだけの月日。勇ましく突撃する上官や若い兵士は皆、バラバラになった。秘かに「命大事にしような」と同僚と言い合い、最後は指揮系統が無くなったのを見てソ連軍に「投降」。捕虜になった日から「鉄拳制裁」が無くなったのが嬉しかった、らしい。ソ連軍は暴力禁止だったから。

■暗転 苦難と幸運
 そのまま鉄道に乗せられ、シベリアへ。場所は不明。大木の伐採などシベリアのインフラ整備に従事。ロシア語が少しできたのもあって少し大事にされたらしく、夜にソ連兵の隊舎に招かれ、ウォッカを飲ましてくれたり、ロシア民謡の聞き役をさせられたりしたらしい。「わが赤軍は世界一」と自慢するので「トラックはフォードばっかりやないか」と水をかけた。するとニコニコしながら左ひじに右拳を当て、ポパイみたいなポーズを取り(←父親談)「我々にはこれがあるからアメリカに負けない」。
 作業は3Kそのもの。ある日は身体のすぐそばに伐採中の巨木が倒れてきて数センチの差で即死を免れる幸運も経験。また、のどがカラカラになった時、きれいな河に遭遇。試しに飲むと飲める。軟水風。これはおいしい!と全員が飲んで渇きをいやせた。その数分後、上流から何かが流れてきた。数十の物体。よく見るとブクブクに膨れた友軍の死体。飲んだ全員が水を吐いた!病気やけがによる死亡は日常茶飯事。引揚者は生命力が強いのだ。
 5年近く経ったある日、日本へ帰る港まで「列車に乗れ」と命令が。連行される時も、この帰還時もロシア語の「ダワイ」(行け早く)が続いたが、別れ際、ソ連兵が笑顔で手を振ってくれた。舞鶴から西宮へ帰ったが、死んだと思われていたので大歓迎だった。

■生き別れから死に別れ
 父は終生、大衆食堂のオヤジだった。水や食べ物などろくに無い抑留が念頭にあったし、平和になった時代に再婚して生まれた子どもに飲み物・食べ物の心配をさせまい、という事もあったらしい。なお、若妻・豊子さんは日本人村で30才を迎えられず、牡丹江の地に眠っている。合掌。



寄稿

わたしの一票について

大森 彩生


朝目覚める時にふっと感じる。
テレビをつけるのが億劫になる。
出来レースや自民党だけを支持する芸能人がでるニュース番組。
きっとそれぞれの意見かもしれない。
けれど、どうしても気持ち悪くなってしまう。

スマホをつければネットニュースから毎日新しい情報が流れてくる。
芸能人の自殺、政治家のパフォーマンス。
今の日本政府は何を守ろうとしていて、それを支持する人々はどんな未来を描いているのだろうか。

日本にいても、世界のどこかにいても、戦争や苦しみがずっと続いている。
自分ひとり生きる事で精一杯の私には明日に希望を持てるとは言えない。
今は都構想の問題があり、中身を知らないととても素敵に見えてしまう怖い都構想。
周りの反応は、普段の選挙と同じ無関心。政治は変わらない、自分の一票が何になる?
みんな仕事が忙しすぎて、仕事以外のことに興味が持てなくて、たまの休みは眠りたいから社会のことなんて考えていられない。

そう、日本は見事に《モモ》の物語と同じように、時間泥棒によって《社会や他人に無関心》になってしまった。
無関心の怖さは今のSNSが表していて、無関心は悪化すると感情が鈍感になる。
そうなると簡単に人を傷つけりSNSの誹謗中傷につながっていく。
書いた本人の問題もあるけれど、私たちが気づかなくちゃいけないのは、誹謗中傷を書いた人を責めるのではなく、こんな社会にした責任をなすりつけるのではなく、向き合うべきなんだ。
今すぐにできるのは自分の一票について語ることだと私は思う。
でも、会社では言えない、家族とも話した事がない、友達に話すと勧誘と勘違いされる等々。
嫌になるよね、ただ話したい、聞きたいだけなのに。
私が10代の時に信じた政治家が嘘をつき、掲げた事を守らなく自分の身を守る政治家になってしまった事があった。
その時に私は政治が嫌になり、政治に期待を持つことから離れた。
そんな私がもう一度政治に希望をもてた政治家がいる。
れいわ新選組の山本太郎さんだった。
少しやり方は不器用でメディアには嫌われ、敵も多いとは思う。
芸能界から干されてまでも、はじめて選挙にでたときの太郎さんは、十円ハゲになりながらも何度も人前にたち涙を流しながらも大きな相手に立ち向かおうとしていた。
人の痛み、苦しみが分かるこの人が国会に行けたならば、社会も少しは変われるんじゃないかなって、そんな気持ちになったのだ。

れいわ新選組に対して、これまでの政治活動をしてきた方の中には好まない方もいると思う。
でも、あなたより若い人が、この世の中変だよ?変えたいんだって叫んでいる。
それを批判するよりも、彼らよりも経験ある大人がちゃんとした意味ある言葉を投げかけて欲しい。
そしたらきっと、嘘も誤魔化しもなく真っ直ぐに太郎さんは言うと思う。
"あなたの力が必要なんだ"って。
先月の梅田HEP5前での太郎さんの演説を聞いた若者たちの会話。
男の子が「なんで俺たちに言うの?あべに言うたらええやん。」
隣にいた人が「あべ辞めたで。」
「え!?そうなん?」
何気ない会話だったけれど、
若い人をこんなふうにした社会が憎い。
そして、私たち大人の責任は大きいと感じた。
学校で学ぶべきことが学べないなら
家庭しかないのに家庭が崩壊している。
子どもたちに政治について語るのは自然な事だと伝えたい。
そして、本当は政治の話は権力のある一部の人を守るものではなく、
七世代先の子どもの未来を必死に大人が語っているのが本来の政治なんだと私は思う。
少し生活にも心にも余裕があるあなたに《自分が苦しんでからじゃ遅い》って事に気づいてほしい。
もっと、知らなきゃいけないのは、身近な人、隣にいる人の苦しみ。
この世界で死にたい人何万人の状態。
将来が不安な社会、そして、子どもを産みたくない社会を止めたい。
助けてって言えないのはあなたの問題ではないよ。
個人の問題にする状況じゃない。
今必要なのば大きな不安ともっと大きな勇気゛
不安はもうすでに十分だから、
もっと大きな勇気を持てるように私は一票を大切にしたい。



資料 れいわ新選組、衆院選へ

関西に活路、都構想では存在感

朝日新聞 11/6(金) 20:04配信


 れいわ新選組の山本太郎代表が、次期衆院選に向けて出身地でもある関西地方に活路を求めている。1日に否決された大阪都構想の住民投票では、反対の立場で街宣活動を繰り広げ、一定の存在感を示した。さらに大阪と京都で衆院選の公認候補を擁立し、党勢拡大をめざす。
 「この大阪でもしっかり根を下ろしてやっていきます。ぜひお力をお借りしたい」。
 3日、大阪市阿倍野区の商業施設前。山本氏は街宣を行い、タレントで新顔の八幡愛氏(33)の大阪1区擁立を発表した。4日には京都2区にマジシャンの中辰哉氏(44)を擁立することを発表。これで大阪と京都の候補者は計4人となり、東京の6人に次ぐ規模となった。
 山本氏の発信力を武器に支持を拡大してきたれいわ新選組。しかし、新型コロナウイルスの感染拡大で全国行脚は中断。山本氏は7月の東京都知事選に打って出たが、結果は3位に甘んじた。さらに党メンバーが「命の選別」を容認する発言をして除籍されるなど党内が混乱。朝日新聞社の10月の世論調査で、政党支持率は1%未満と低迷している。
 こうした状況を打ち破ろうと、山本氏は先月12日の住民投票の告示前から断続的に大阪入りし、街頭演説を繰り返した。告示後はほぼ連日大阪市内を回り、活動はのべ約30日に及んだ。
 タレント出身の知名度と持ち前の発信力に加えて、山本氏はもともと大阪府内の高校出身。関西弁を交えつつ「都構想は大阪府による大阪市へのかつあげだ」などと独特の言い回しで反対を訴えた。31日のJR大阪駅前の街宣を聞いていた会社員男性(53)は「演説がうまい。聴き入ってしまった。前回は賛成したが反対を検討したい」と話した。
 朝日新聞の投票当日の出口調査によると、無党派層の反対は61%にのぼった。日本維新の会の関係者は「山本氏の街頭演説にはたくさんの人が集まっていた。無党派層への一定の影響があったのではないか」と振り返る。ここ10年、維新の牙城(がじょう)だった大阪。山本氏は朝日新聞の取材に「大阪は別の勢力に変わらないといけない。私たちも名乗りを上げる権利がある」と話した。


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