研究誌 「アジア新時代と日本」

第207号 2020/9/10



■ ■ 目 次 ■ ■

編集部より

主張 菅新政権とどう向き合うか

視点 菅政権は反米なのか

議論 感染症後進国から感染症先進国へ

議論 仕掛けられた米中新冷戦

寄稿 フィリピン元「慰安婦」オンライン・イベント報告

寄稿 娘の「コロナ」顛末記




 

編集部より

小川淳


 安倍は退陣しても「安倍政治」は続く
 この8年間、紙面を通じて安倍政権を批判し、闘い続けてきた安倍首相が突然に退陣した。それでも何の高揚感もない。隣の韓国の「ろうそく革命」のように街路を埋めた数十万の市民の力で退陣に追い込んだのなら話は別なのだが・・・。自分たちの手で退陣に追い込むことができなかった。残念としか言いようがない。
 安倍首相の退陣は病気が理由とされ、メディアでは「志半ば」で退陣した安倍首相への同情記事にあふれている。「志半ば」とは言葉だけで、改憲も、最優先とされた「拉致問題」の解決も、北方領土返還(日ソ平和条約)も、福島の復興もできなかった。8年間も首相を続けたが、安保法や機密保護法の強行採決など、ろくでもない法律ばかり成立させ、モリ・カケ・サクラなど政権のモラルハザードを引き起こし、日本にとって真に必要な改革は何一つ残さなかった。成果なし、展望なし、「放り投げ退陣」と言っても過言ではない。
 このまま政権を続けてもほとんど成果は見えず、展望がない、にっちもさっちもいかない政権末期のストレスが「体調悪化」の引き金になったのではないか。
 後継とされる3名の総裁選を見ていても、党内の5大派閥が菅支持を表明し、菅政権へのレールが敷かれた中での総裁選であり、ここでも「うんざり感」が漂っている。
 総裁選出馬表明の記者会見では、「総理としてめざす政治は安倍政権の単なる延長なのか」と毎日新聞の記者に突っ込まれていたが、これは誰しも感じる質問であり、疑問だろう。この「うんざり感」は、前の政権と何の代わり映えのしない政権の誕生という一点にある。
 前政権の官房長官とは政権の要をになう要職にあり、政権が退陣をする場合は当然にも同時に退陣するのが通例なのだが、「安倍政治の継承」を掲げて、前政権の菅官房長官が首相になるのであれば、「政権交代」でもなんでもなく、単なる「政権の顔のすげ替え」に過ぎず、安倍首相が退陣しても、「安倍政治」は延命し、続くことになる。
 安倍政治の継承しかない菅(総理)には、一国のリーダーとして一体何をしたいのかが全く見えてこない。これまで数々の政権交代劇を見てきたが、これほどまでにビジョンや国家観のない首相の誕生は例がないのではないか。
 いま世界は大きな転換期にある。アベノミクスの8年間で、日本のGDPは下がり続け、国際競争力も大きく順位を落としている。先進国の中でもとびぬけて高い日本社会の格差と貧困の解消は待ったなしだ。
 沖縄辺野古は? 福島の復興は? 原発は? 安倍政権が行き詰ったように、安倍政治の継承を掲げる菅政権が行き詰ることは明々白々だろう。その時、政権交代の受け皿を今の立憲民主党が作れるかどうか。これからが正念場だ。



主張

菅新政権とどう向き合うか

編集部


 まだ新政権は決まっていない。だが敢えて、「菅新政権」と言わせていただく。

■自民総裁選、今回の際立った特徴
 歴代最長の安倍政権に幕が下りた。終わってみれば「遺産」と言えるものがない。あるとすれば、日本の対米従属化と反動化、そして劣化、貧困化が一段と進んだこと。そう言えるのではないか。
 今回の政権交代劇は、その現れだったのかも知れない。前首相の姿は、最初の辞任記者会見を除いて、ほとんど見えてこなかった。
 この「劇」には、誰の目にも明らかな特徴があったと思う。一言で言って、「石破落とし」だ。
 もともと、次期首相候補の筆頭は石破氏だった。各種世論調査がそれを示していたし、石破氏自身、コロナ後の「新しい日本」構想を表明するなど、他の誰よりも意欲を示していた。しかし、ふたを開けてみれば、現れたのは菅氏だった。
 「石破落とし」は、「辞任発表」の時から始まっていた。当日、石破氏は地方に行っていた。
 そして9月1日、開かれた自民党総務会。そこで決められた総裁選の方式は、政局の緊迫を理由に「簡易型」だった。すなわち、全国全党員の論議をふまえ、両院議員票と党員票を1:1とする全党的な総裁選ではなく、両院議員と各都道府県連代表3人による選出だ。また、選出の期日も、9月8日告示、14日選出、16日国会での指名というあわただしいものだった。
 この方式が、自派閥議員数が少なく、地方の党員、党友からの支持が多い石破氏に不利なのは明確だ。また、選出、指名までに期日がほとんどないのも石破氏の動きを封じるものだったと言うことができる。総務会の後、直ちに明らかにされた主要五派閥による「菅支持」も、それに拍車を掛けるものだったと言えるだろう。

■なぜか。その背景を問う
 「石破落とし」は、菅氏自身が明言している。
9月1日、麻生氏との面談で総裁選出馬の理由を聞かれた菅氏は、岸田と石破なら、石破だと言う若手議員たちの発言を聞いて、「自分が出なければと決意しました」と答えたと言う。
 自民党執行部に共通していると思われるこの意思はなぜなのか。その背景には何があるのか。
 そこで一般的に言われているのが「石破では自民党が破壊される」という共通認識だ。すなわち、「森友」、「加計」、財務省の公文書改ざん、等々といった疑惑をめぐって、安倍を守り、党を守るという意思が石破にあるのかということだ。
 ところで、この党執行部共通の「疑い」をより切実なものにしているものがあるように思える。それは他でもない、「米国」だ。
 大統領選を数ヶ月後に控えながら、トランプ政権は「米中新冷戦」を打ち出してきた。世界を二つのブロックに分け、米国か中国か、どの覇権の下に入るのか、二者択一を迫ってきている。かつての「米ソ冷戦」と同じ構図だ。
 しかし、あの時とは訳が違うと思う。米国の衰退、資本主義世界に深く浸透した中国、脱覇権へ歩みを早める世界。一言で言って、時代が違う。自民党政権としてもトランプの要求にどう応じたらよいか簡単ではない。
 この局面にあって、なぜ「石破落とし」なのか。それはひとえに、石破氏のスタンスにあると思う。
 石破氏の「グローバル経済を脱した内需主導型経済」「東京一極集中打破と地方分散」「(米国だけに任せない)抑止力」等々の主張は、トランプ・ファースト覇権の要求に完全に合っている。「内需主導型経済」は、日本経済の内に深く食い込んだ米系外資の独壇場だし、「地方分散」は、地方から日米一体化を進める米戦略そのものだ。米国だけに任せない抑止力の保有が日米安保双務化と軌を一にしているのは言うまでもない。さらに3年前、小池百合子氏率いる希望の党が執権直前まで迫った時、石破氏を担ぐ話しが出たのも、記憶に新しい。小池氏の背後に悪名高い米ジャパン・ハンドラーの暗躍があったのは公然の秘密だ。
 その主張が米トランプ戦略に合っている石破氏を総理、総裁にした時、「米中新冷戦」への対応がどうなるか。この辺への懸念とまだ決まった訳でない米大統領選。そこに先の「疑い」が重なっての「石破落とし」だったのではないだろうか。

■今後の展望。何が問われているか
 様子を見ながらの、ある意味暫定的、かと言って次が定まっている訳でもない菅新政権。この政権の下、これからの日本はどうなるのか。
 さし当たり、米大統領選の行方は分からない。しかし、「米中新冷戦」は、強度の違いはあれ、どっちみち強行されるしかないのではないか。
 ここで米国の言いなりに、「米ブロック」の中に入るのか、それとも「米国とも、中国とも」仲良くし、「米国でも、中国でも」ない日本独自の道を選択できるかどうか、そのことが新政権には求められてくると思う。
 この日本の命運を決める一大問題にあって、国民の側に問われているのは、おそらくふらつくであろう新政権と闘争し、また場合によっては、支えることではないだろうか。
 そうした中、今後の展望と言った時、考慮すべきは、来年設定されている衆院選挙であり、自民党総裁選だ。これに向けて日本の政治が大きく動くようになる。それが、「米中新冷戦」との連関で日本のあり方、進路そのものを問うものになるのは容易に推し量られることだ。
 石破氏が今回の「石破落とし」を甘受したのも、このことを考えてのことだったのではないか。すなわち、自民党を古い「派閥談合、密室政治の党」から、新しい「党員、党友の意思で動く欧米型の党」へ転換させることを通じて、自らの政策の実現を図るということだ。
 菅新政権と石破氏の「転換構想」、この日本の針路をめぐる抗争を横目に、われわれ日本国民がやるべきことは何か。それは、彼らに日本の命運を任せていてはならないと言うことではないかと思う。
 実際、今、「米国とも、中国とも」仲良くし、「米国でも、中国でも」ない日本独自の道を選択するためには力が要る。そんな力はどこにあるか。それは、カネの力か、軍事力か。そんなものではどうにもならないのは、言うまでもない。力は日本国民自身にあり、そこにしかない。
 問題は、その力を、覇権の力に抗して、自分の国、自分の地域、自分のものを自分たちにとって最高のものに築き上げ、発展させる主体の力に転換することだと思う。そんなことできるかと笑い飛ばすのではなく、それに必死に取り組むことこそが切実なのではないだろうか。



視点 ≪もう一言≫

菅政権は反米なのか?

編集部


 今回の「主張」は、若干補足する必要があるかも知れません。なぜなら、その印象が「菅新政権は反米的だ」ということになってしまう恐れがあるからです。
 その第一は、そのものズバリ、菅が「石破落とし」に走ったのは、彼が反米だからではなく、どこまでも米国の「米中新冷戦」に対して、菅を推した二階と同様に、対中国外交という見地から懸念を抱いているからではないかという点です。もちろんその場合、彼に、自分が首相になりたいとか、石破が首相になれば自民党が破壊されてしまうとかいった思いがあるのは前提です。
 次に、菅が「安倍政治の継承」を掲げていることについてです。これは、安倍政権の官房長官を長く務めていた彼としては当然のことではないかと思います。しかし、このことだけをもって、彼の政治の今後を見ることはできないのではないでしょうか。「新冷戦」などこれまでとは違う要素が入ってくる可能性が多分にあるからです。
 もう一つの補足点は、「落とされた」石破が本当に米国派なのかということです。これについては何か確たる証拠があるわけではありません。ただ言えるのは、「主張」本文でも書きましたが、防衛論や経済論、地方地域論など、彼の政治見解が「ファースト覇権」に転換した米国の戦略的要求に完全に合致しているということです。
 その上で言いたいのは、実際の政治においても石破の動静は、米「ファースト覇権」戦略に通じているということです。それは、「主張」本文でも挙げた三年前の「希望の党の件」の後にも続いています。「地方から日本を変える」というところで、盟友の前原誠司などを介して維新と結びついており、今回も、地方の党員、党友の声を背に、党員投票による総裁選など自民党改革を主張する一方、自身の脱党による自民党解体、政界再編の声も出ています。彼自身、今回の出馬に当たって、「グレートリセット」(国の設計図書き換え)を主張しているのも偶然ではないと思います。



議論

感染症後進国から感染症先進国へ

三木 薫


 コロナ後の社会と世界についてさまざまに論じられている。しかし、まずコロナ禍からの脱却の道を明らかにすることが、それがまたコロナ後の社会の一つの特徴となるのではないかと思う。
 コロナ禍は、わが国が検査、隔離と治療の体制が整わず、方針もしっかり定まらない「感染症後進国」であることを如実に示した。それゆえコロナ後の世界を語る以前に、感染症対策をしっかり行える「感染症先進国」に転換させることが先決的な課題だといえる。

1,感染症対策の重要性を認識し予め対策を講じていくこと
 世界経済フォーラム総裁ボルゲ・ブレンデ氏は「そもそもの過ちは、感染症への備えが足りなかったことです」と述べている。サーズ、マーズ、などの感染症を教訓化し対策を講じていた国、たとえば韓国や台湾などは対応することができた。
 反対に、新自由主義のもと医療制度を崩壊させて感染症に無防備だった国々では、コロナウイルスの感染拡大と死者増大を防ぐことができなかった。日本でも保健所や病院を減らし、医師と看護師に過重な負担を強いてきた。それが検査を増やせずベッド数が不足する大きな要因となった。
 このことは、予防的な感染対策と医療体制をしっかり確立すべきという深刻な教訓を残している。

2,感染症拡大阻止の基本が、検査と感染者の隔離、治療、防疫活動、感染症対策の宣伝活動であるということをしっかり押さえること
 このことを指摘する感染症専門家は多数いるが、そうでない専門家も少なくない。政府の対策本部ではこの考え方が採られず、クラスターに限定したり、重症患者だけを検査するという方針だった。だから、無症状感染者を把握できず、感染拡大を防ぐことができなかった。今や「ウィズコロナ」と称し、経済を回すことを優先しているが、コロナ感染を後回しにして経済の再生などありえない。
 島田真路山梨大学長は「PCR検査の不十分な体制は日本の恥」とし現状を批判して検査体制拡充を訴え、付属病院でドライブスルーを実施している。
 感染症は伝染病と同じであり、検査と隔離、防疫体制を基本中の基本としてとらえ、国が責任もって行わなければならないと思う。

3,他国や地方の経験を学び取り入れること
 コロナ禍を抑えた東アジア諸国の経験を謙虚に学び、取り入れることだと思う。また、国内でも地方が頑張っているところが多い。欧米と比較し「特色ある日本方式」と満足するのは、欧米にしか目がいっていないからだ。「感染症後進国」である日本は謙虚にアジア諸国の「感染症先進国」の経験を学び、取り入れることだと思う。

4,まず自国の力に依拠すること
 大量のPCR検査を短時間にできる装置を日本企業が開発しても日本では認可されず使われないという。多くの検査装置が開発されたが、それらを支援し活用したという話は聞かない。また、ワクチンでも米英頼みであり、いかに先約し確保するかに汲々としている。日本企業によるワクチン開発に米国が投資している。つまり、日本の力が欧米に使われ、その製品を買うことを追求している。米国のまだ効果が証明されていない治療薬を大量に注文し人体実験を提供した安倍首相は日本の首相なのか疑ってしまう。
 日本に優秀な医療機関や企業がある以上、それに依拠して日本のワクチンや治療薬の開発をすべきだ。

5,国の役割を高めることが決定的で基本課題
 以上の四つは国の役割なしに解決することができない。とくに、コロナ禍は国家の危機、国民の生命と安全を脅かす危機だ。国難を打開するためには、国の役割を高めることが決定的で基本課題だと言える。
 国の役割を高めるということは、首相や官邸、対策本部がまず全面的に責任をもつことだ。しかし、安倍政権は国の責任をことごとく国民と地方の自己責任に押しつけてきた。それゆえ、国家の役割を高め、国民のために粉骨奮闘していく真の指導者、政権が問われたといえる。それは日本という国のために、国民大衆の生命と健康、安心のために献身していく覚悟と立場なしにできない。
 感染症後進国から感染症先進国への転換、これがコロナ禍脱却の道であり、同時に新しい日本の姿になると思う。



議論

仕掛けられた米中新冷戦

東屋浩


 昨年5月末、スイスのビルダーバーグでの会議で米国は「米中百年冷戦」を宣言し、今年5月にポンペオ国務長官が「習近平総書記は、破綻した全体主義のイデオロギーの真の信奉者だ」と非難し、ファーウェイ排除、総領事館閉鎖、動画投稿アプリの「ティクトック」の禁止などの措置をとった。今後もさらに米中対立が激化していくものと思う。
 はたして米中冷戦はかつての米ソ冷戦と同じなのだろうか。
 米ソ冷戦は、社会主義圏の出現にたいしこれを抑え込み、戦後世界を米国のもとに軍事経済的力で支配しようという米国覇権の野望から開始されたといえる。
 ナチスドイツを撃破したのはソ連赤軍であり、反ファッショ戦線を牽引し、戦後世界で大きな影響力を及ぼした。これにたいし、トルーマン米大統領はソ連・東欧が「鉄のカーテン」で遮られていると非難し、「共産主義の脅威」の口実でソ連を封じ込め、自由と市場経済、民主主義という「普遍的理念」を掲げ、自由主義VS社会主義・共産主義という理念の対立で西側陣営と東側陣営に分けた。そして、圧倒的な軍事力と経済力を背景に「マーシャルプラン」「NATO」などでテコ入れし、欧州各国を「西側陣営」に結束させた。
 ソ連もまたワルシャワ条約機構などでソ連圏を形成し、対抗した。こうして米国が米ソ冷戦をしかけることによって、米ソ二大超大国による国際覇権秩序が確立された。
 それゆえ、「冷戦」は「どちらにつくか」という対立の構図を作って迫る、米国が仕掛けて各国を支配、統制する目的を達成する覇権の手法だということができる。
 米ソ冷戦と米中冷戦は、二つの陣営にわけて各国をアメリカの覇権のもとにおくという意味では共通していると思う。
 しかし、今はアメリカの覇権の力が著しく弱化し、覇権そのものが通じなくなってきている時代だ。米国はみずから「世界の警察官」を止め、朝鮮・イラン・シリア・キューバ・ベネズエラなど反米諸国に排撃され、世界的に展開していた方面軍を縮小・撤退させ、経済的には製造業だけでなくIT先端産業でも競争力を失い、覇権を支える力の衰退を覆い隠せないでいる。
 覇権そのものが崩壊している時代の中で「米中冷戦」を言い出したところに、かつての冷戦と違いがあると言える。
 かつてのような圧倒的な軍事的経済的力も大義名分もない中で、米国と中国のどちらにつくかと米国が迫っても、多くの国を糾合、支配することができないのは明らかだ。
 米国の挑戦にたいし、中国は内政干渉を許さないという姿勢をとっており、米国そのものを敵視し排斥しているのではない。また、中国はかつて帝国主義の覇権策動により苦しめられた歴史があり、「覇権をやらない」と言明している。それはソ連がポーランド分割、アフガニスタン侵攻など覇権の傾向があったものとは異なっている。しかし、一方、大国主義の傾向があるのは事実だが、それはASEAN諸国との関係を見ても通用していないのが現状だ。
 世界の多くの国々が独自の道を歩み、同時に世界の平和と協調を望み、米中対立ではなく協調を望んでいる。
 したがって、米国が「米中冷戦」をいくら叫んでも独り相撲に終わる可能性大である。
 米国という国家は覇権国家と国民国家の二つの側面をもっているといえる。「米中冷戦」により米国は覇権国家にしがみつくことによって覇権を維持・復活することができるのではなく、国民国家としての役割をいっそう低下させ、国内空洞化と格差、人種差別による国内矛盾もさらに激化させていくことを避けることができない。その結果、反覇権の国際的な反発と、内部からの崩壊により米国自身の解体の運命を避けることはできないだろう。
 「米中冷戦」、それは死に瀕した狼の哀れな叫びだと言えるのではないだろうか。



寄稿 「慰安婦」にされたフィリピン人女性たちの人生を、その家族が絵本で語る

~ロラたちの勇気・レジリエンス・葛藤・愛~オンラインリーディング開催

タンゴル・カサイ・サーヤン(アテネオ大学の「歴史を守る会」)


 去る8月15日、フィリピン人元「慰安婦」サバイバーの支援をする団体<リラ・ピリピーナ>が、第二次世界大戦終結75周年と日本軍「慰安婦」国際メモリアルデーを記念して8月15日にオンライン・イベントを企画開催しました。
 元「慰安婦」の子どもや孫から聴いたお話をベースとした絵本の披露と歴史学者フランシス・ギアロゴ教授(アテネオ大学)のお話があり、フィリピンの近代歴史、絵本からは「慰安婦」サバイバーのご苦労が深く分かりあえました。この紙面をお借りして報告させて頂きます。
 ロラたちが第二次世界大戦中、「慰安婦」にされた体験の証言を直接伺う機会が、ロラたちの高齢化とパンデミックコロナ禍の中で(来日も含め)不可能な現在においては、私たちがロラたちの体験を『記録』と『記憶』に留めていくことで、次世代の若者たちに戦争の悲惨さを理解してもらう使命があると考えます。
 そこで、この度フィリピンのアテネオ・デ・マニラ大学の修士課程で学んだ3人の若者(うち2人日本人)が、グループ・プロジェクトとしてフィリピンで戦時中に「慰安婦」にされ性暴力被害を受けた ロラたちの娘さん3人とお孫さん1人にお話を聴き絵本を作成しました。先ずはタガログ版と英語版が完成し、日本語版は年内中には完成する予定です。完成した際は是非皆さまに読んで頂きたいと思います。
 この度のオンラインリーディングでは、4人の証言話をオンライン参加の各国の若者がリレーで朗読をしたのも特徴でした。

(ロラたち、<被害者>を支援する「マキータの会」伊藤早苗)

<リラ・ピリピーナ>シャロン・カブサオ・シルバ代表のコンセプトメッセージ

 2020年は第二次世界大戦の終結から75年目の年となります。ドイツは1945年5月8日に降伏し欧州での戦争は終りました。 次に1945年8月15日、日本の降伏が続き、 枢軸国の完全な敗北と降伏を公に示すことになりました。 第二次世界大戦は、7000万から8500万もの人々が戦闘、病気や飢餓、ホロコースト、アメリカ による広島・長崎への核爆弾投下などにより死に追いやられたとされ、人類の歴史において最も 致命的だったと考えられています。
 この戦争は、結果的にそれ以前の超大国(ドイツ・フランス)の権勢が衰え、 新たな超大国(アメリカ、ロシア、1947年の社会主義革命の勝利を経た中国)の力が高まること を示すものになりました。
 当時新たに建国されたソビエト連邦は、その市民の多大な犠牲とともにドイツに立ち向かい、欧州の戦争を終結させるための重要な役割を果たしました。 しかしこの戦争は、占領された国々と侵略した国々の双方で、今日までも多数の人々に長く続く被 害をもたらしています。その内の一つが『慰安婦』です。
 すなわち主に日本によって植民地化あるいは侵略・占領された国々で、日本軍によって性奴隷にされることを強いられた女性たちの人権問題です。 この時期に他国の兵士が犯した性暴力も、研究者や歴史家によって多数記録されていますが、 日本軍の「慰安婦」のシステムは、国家が直接かつ組織的に行ったという点で特異なものと言え ます。
 そしてそれは、天皇の名の下に、慰安所の設立と運営のために国家の資源(資金)を使うものでした。なお日本軍によって侵略または植民地化された国々の女性の大規模な移送をも含みます。 このシステムは、韓国やフィリピン、中国、インドネシアなどの被害者たちの証言によって明らかに され、また日本の戦争資料から発掘された文章によっても証明されています。

<リラ・ピリピーナ>による侵略戦争と軍事主義、女性への軍事性暴力に反対するグローバル・アクションデーの国際的呼びかけ

ロラ・フェデンシア・ダビットさん

 侵略戦争と女性への軍事性暴力に反対して、リラ・ピリピーナは2020年8月14日、侵略戦争と 軍事主義、女性への軍事性暴力に反対する グローバル・アクションデーの国際的呼びかけをおこないました。以下、その内容です。
「慰安婦」被害者の正義のための要求は次の3点に要約される。
1、日本政府による公式な謝罪 2、個人への賠償 3、歴史教育の実行
 この3点は「慰安婦」運動の最も重要な要素であり続けている。これらの要求は現在の侵略戦争の停止と、軍事主義と世界の多くの場所で女性が直面している女性への軍事的性暴力の廃止への呼びかけに密接に結びつかなくてはならないのである。
 フィリピンでは、西フィリピン海における米中の対立、中国によるフィリピン領土への侵入がフィリ ピンの主権ばかりでなく、フィリピン女性の安全までも脅かしている。
 歴史が示すようにフィリピン女性たちは占領する外国勢力によって征服の対象とされてきた。であるから、他国からの介入と主権への脅威は、8月14日に語られるべきことの一部である。

2020年8月14日

大日本帝国陸軍占領下で性暴力被害を受けたサバイバーを支援する声明

 第二次世界大戦、そして大日本帝国陸軍支配下のフィリピン及びアジアの様々な地域で行われた、女性に対する制度化された誘拐、虐待、レイプ、並びに他の暴力行為の終結から80年近くが経過しました。
 現在でも女性や他の権利を奪われた人々に害を与える軍国主義的な考え方から抜けさせないなど、暴力は様々な形で根強く残っています。日本政府およびフィリピンの歴代政権のどちらからも、こうした暴力行為の被害を受けた方々への物質的支援がなされていないという状況においても暴力は続いています。これはしばしば政治家の間の問題として先送りされており、この暴力を経験した方々に対する真の謝罪と真の正義がなかったのです。
 この暴力は、記憶の領域においても被害者への正義を怠っていることにより続いています。
 軍人たちが何を犯してきたのかを適切な形で調査し、記録に残すための政府による公式な取り組みを行う必要があるのです。また、外交の名のもとで、私たちの集団意識から消し去ることによって、教科書や授業で教えないことによって、これを祈念する碑を撤去させることによって、私たちはこのことを忘れるよう強いられてきました。
 公式な歴史においてではなく、祖先から受け継がれてきた話の中で、なされた被害の深刻な重みにより、その被害は私たちの集団的記憶に深く刻みつけられています。必要があり続けるからこそ、私たちは関係各当局の責任を求め、これらの暴力を経験してきたロラたちを全面的に支援し、彼女たち自身の物語に耳を傾けようではありませんか。
                    

2020年8月15日



寄稿

娘の「コロナ」顛末記

前田 浩


娘の「コロナ」顛末記 安倍首相が先日、持病の悪化などを理由に辞任の意向を固めたとのニュースがありました。安倍首相はコロナ禍にあっても、全国一斉休校処置、アベノマスク配布など、思いつくままの政策を衝動的に行ってきた印象です。現在もコロナなどで苦しんでいる人がいるにも拘わらず、野党からの臨時国会開催の要求を無視して無為無策のまま感染の拡大を放置しています。むしろGoToキャンペーンなどにより感染拡大を助長しているのが現状です。地域経済の再興を考えるなら直接補償こそするべきで、GoToキャンペーンは本来コロナが終息した時に行うべきものです。この状況下で始めた理由を考えると、持続化給付金のような{中抜き}の疑念が捨てきれません。コロナウイルスによって命の危険が差し迫っていても、頼るべき国の姿は見えず、国民は疲弊しているのではないでしょうか。一体、この国はどうなるのか、不安が募ります。
 ここで少し私自身の体験談を書こうと思います。
先日の土曜日の夜に、娘が39度の熱を出しました。今のご時世「まさか・・!」とは誰しもが思うところです。朝になっても熱は下がらず、近所の病院に電話をかけてみると「当院では診察できません。保健所に連絡してください」と言われました。保健所に電話をかけても、なかなかつながりません。何度か掛けなおしてやっと繋がったのですが、担当者が疲れ切った声で「こちらでは検査はできません。病院にいって医者の診断が必要です」と言われました。次に総合病院に電話をすると「まずは保健所に相談してください」と言われました。これでは堂々巡りです。どうしょうかと悩んでいると、市がやっている「休日診察」を思い出し、電話をかけてみるとそこで診てもらえることになりました。しかし、室内に入ることは許されず、玄関の前に車をつけた状態で連絡してくださいと言われました。診察の結果、娘の発熱はコロナではなく、「咽頭炎」という診断でした。
 もしも、娘がコロナに感染していたらどうなっていたのでしょうか。なかなか検査をしてもらえず、陽性と分かった時には、重症化していたら。しかし、その一方で有名人はすぐにコロナの検査をしているように感じます。このような格差があってはならず、等しく命は守られるべきです。コロナ禍で半年以上が過ぎても、まだ対応がマニュアル化されておらず、すべて現場任せといった印象でした。
 「溺れる赤ん坊のメタファー」という寓話があります。「旅人が歩いていると川があり、そこには溺れている赤ん坊がいる。旅人は急いで川に飛び込み赤ん坊を助けるが、また赤ん坊が溺れているので、川に飛び込む。旅人はそれを繰り返すのですが、その旅人には上流で赤ん坊を投げ捨て続けている男の姿が見えていない」という話です。
 私自身の体験によって医療従事者に感謝こそすれ批判するつもりはありません。医療従事者は先の話の「旅人」です。コロナ禍の現場で様々な対応を迫られていることでしょう。眼前の苦しんでいる人を助けることは勿論重要ですが、国が国民の命を守ることを最優先していたら助かっていた命があったのではないでしょうか。
 安倍首相が辞任しても、政治が変わるわけはないでしょう。まずは、安倍政権下での問題点をしっかり検証することが必要です。そして、次の政治の在り方を国民ひとりひとりが考えて行動を起こさない限りは、政治が改善することはありません。「人」に問題があるのではなく、《構造》にこそ問題があるからです。苦しんでいる人を生み出す《構造》自体を変えていかなければ真の問題解決にはなりません。

      

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