研究誌 「アジア新時代と日本」

第 号 2020/ /10



■ ■ 目 次 ■ ■

編集部より

主張 「ウイズ」「ニューノーマル」の欺瞞

議論 小池圧勝の真因を探る

寄稿 13年ぶりのキューバ、青年の島を訪ねて

時評 主権者は中国14億人民




 

編集部より

小川淳


 資本主義に代わる社会はあるのか?
 7月4日、尼崎にて「資本主義の終焉か、人間の終焉か?」と題する斎藤幸平氏の講演会が開かれた。斎藤氏は大阪市大准教授で、昨年「未来への大分岐〜資本主義の終わりか、人類の終焉か?」(集英社)上辞した32歳、気鋭の経済学者だ。
 コロナ過の中、この硬派な講演会に150名近くの人が参加した。閉そく感漂う日本社会にあって、時代の指針を多くの人が求めている何よりの証(あかし)なのかも知れない。
 昨年八月の初版からすでに8刷を重ねている本書は、哲学者マルクス・ガブリエル、政治哲学者マイケル・ハート、経済ジャーナリストのポール・メイソンという、世界的に著名な識者三名との対談をまとめたもので、「新しい社会の展望を提示する、本書はそのための第一歩である」としている。
 出口の見えない債務危機や社会に蔓延する貧困と格差、ポピュリズム化する政治、多発する災害と気候変動など、世界は様々な危機に直面している。こうした現代社会の抱える危機の根本原因は「資本主義」にある―というのが本書の出発点であり、この資本主義の矛盾に、三名の世界的英知が大胆に真正面から切り込む。この本の魅力は、このラディカルさにある。
 視点も問題意識も違う三名の問題提起に共鳴し、分析、総合していく、その見事なコンダクターの役割を若き俊英斎藤が担うことで、硬い内容でありながら、新書として読みやすいものに仕上がっている。その中で立ち上がってくるのが、「未来の大分岐」という時代相であり、もしかしたら今私たちは本当に、およそ200年続いてきた産業資本主義の終焉という歴史的分岐点にあるのではないか、そう思わせるに充分な説得力を本書は持っている。
 ソ連崩壊後、社会主義の理想が消え、資本主義に代わる社会はもはや存在しない、それが多くの人々の共通認識となっていたと思う。もしそうであれば、この出口の見えない資本主義の危機に、我々は絶望するしかないのだが、いやそうではない。資本主義はやり方さえ間違わなければ、乗り越えられるのだ。このメッセージは、閉そく感に満ちた時代に展望を与えるのではないかと思う。
 「『資本主義が最善だ。他に道はないのだ』と信じている人たちに別の選択肢を提示するのが、私たち理論家の仕事です」。斎藤はハートとの議論でそう言い切る。
 資本主義に未来はあるのか。資本主義に代わるもう一つの世界を私たちは作り出せるのか? その可能性があることを本書は示している。多くの人に読んでほしい一冊である。



主張

「ウイズ」「ニューノーマル」の欺瞞

編集部


 やたらと横文字が多い。「クラスター」「オーバーシュート」「東京アラート」。そこに「ウィズコロナ」「ニューノーマル」が加わった。何のことかその真意が曖昧なまま、横文字に幻惑され、数々の政治概念が受け容れさせられ、常態化されていく。こういう政治は、良い政治だとは言えないと思う。
 「コロナとの共存」という「不安や恐怖との共存」が「ウィズコロナ」という横文字とともに「ニューノーマル」化され、知らぬ間に当たり前の日常として受け容れさせられてきている。
 この現実をどうとらえ、それにどう対するか、考えてみたいと思う。

■なぜ「ウィズコロナ」なのか?
 一頃盛んに言われた「コロナ」禍からの「出口戦略」は、最近、耳にしなくなった。代わって聞かれるようになったのが「ウィズコロナ」だ。
 では、「コロナ」禍収束の先行か、それとも収束を待たず経済を再開させる、収束と経済の並行か、この「コロナ」禍からの出口をめぐる戦略論争に決着は付いたのか。そうではない様だ。今でも、少なからぬ人々が収束の先行を主張している。
 だが、その一方、「そもそも感染ゼロなど無理」「経済にも命がある。人の命第一に『ゼロ』を追求すれば、経済が死んでしまう」(吉村大阪府知事)、「グローバル経済あっての日本経済。日本だけ収束させても意味がない」など「並行」論が「先行」論をかき消しているのも事実ではないか。
 そうした中、「ウィズコロナ」が「ニューノーマル」化され、「不安や恐怖との共存」が当たり前の日常として人々に押しつけられている。その裏には、「経済の早期再開」以外にも、何か隠された目的があるのではないだろうか。
 その一つは、「集団免疫」だと思う。すなわち、「コロナ」のような感染症は、国の「強権」を持って無理矢理抑えつけるのではなく、放置して人々の間に免疫ができるのを待つのが上策だ。高齢者や病弱者などは犠牲になるかも知れないが、若者など強健者には免疫ができ、かえって日本が強い国になるというものだ。そしてもう一つ、これが基本だと思うが、「ウィズコロナ」「ニューノーマル」の下、日本を新しく造り替えるということだ。この間、「コロナ」のどさくさに紛れて、イージスアショア配備計画の見直しが唐突に提起され、それに代わる敵基地攻撃能力の保有など、日米安保の改定、双務化が取り沙汰されている。「ニューノーマル」「新常態」にあっての「新しい日本」「新しい日米関係」の構築だと言うことだ。
 新自由主義、グローバリズムの矛盾の大爆発である「新型コロナ」禍のまっただ中、その最悪の当事国になった米国は、折からの大統領選と相俟って、自らの覇権国家としてのあり方の見直しを図ってきている。それが「最大の盟友」、日本をその一環として組み込むものになるのは必然だ。「ウィズコロナ」という「ニューノーマル」は、何よりも、その米国からの要請との関連でとらえられるべきではないだろうか。

■あくまで「出口」を求めて
 「ウィズコロナ」の「ニューノーマル(新常態)」化、その新しい日常での新しい日本への転換。この米国の要請に古い安倍政権が応えるということにはならない。このところ政権交代への動きが強まっているのも偶然ではないと思う。
 政権交代を要求しているのは米国だけではない。何よりもそれは、日本国民自身の要求に他ならない。このところ急速に低下している安倍政権への支持率がそれを端的に表していると思う。
 遅かれ早かれ、今年11月、米大統領選を前後に煮詰まって来るだろう解散総選挙、政権交代をめぐる闘いで、問題はその争点だと思う。
 今日、絶対多数日本国民のもっとも切実な願いは、「コロナ」禍の不安と恐怖からの解放だ。いくら「ウィズコロナ」「ニューノーマル」が叫ばれても、その思いは決して消え去らない。緊急事態解除や経済再開に「慎重」を求める声が根強いところにそれは示されていると思う。
 「ウィズコロナ」が「新常態」にされ、「コロナとの共存」が一つの「諦め」として押し付けられてきている今日、問われているのは、「コロナ」からの「出口戦略」を敢えて掲げ、「コロナ」完全収束の先行か、それとも収束と経済の並行か、言い換えれば、一人の犠牲も出さない不安からの解放か、それとも高齢者、病弱者、貧困者を犠牲にする不安や恐怖との共存かを対決点に闘うことではないだろうか。それこそが、生産性ではない、その人が存在すること自体に価値があるとする「れいわ」山本太郎氏の言に共感し、命の格差に反対する広範な国民の要求ではないかと思う。
 もちろん、この対決には、現実の裏付けがなければならない。すなわち、全国民に対する全国一斉の最短期間でのPCR検査と隔離、治療に基づく完全収束が医学・医療的に可能であること、さらにその期間、国民生活と企業存続の国による補償が財政・財源的に可能であること、そしてそれらが、全国民的合意に基づく強力な政権の統一的指揮の下、国の役割を最大限に高めることによって十分に担保されるということ、こうした誰もが納得する科学的根拠が問われている。
 その上で重要なのは、こうした「先行」戦略こそが、真に国の経済を建て直し、力強く発展させて、世界のコロナ収束と経済復興のためにも寄与できる最善の道だということだ。
 コロナ「出口戦略」をめぐる対決戦に勝ち抜き、「感染ゼロは無理」に基づく「ウィズコロナ」の欺瞞をその根底から打ち破るところにこそ、絶対多数日本国民の要求に応え、新政権樹立への扉を開く第一の鍵があるのではないだろうか。

■「コロナ後の日本」を展望して
 一方、「ウィズコロナ」「ニューノーマル」の下、政権交代をめぐり闘われる総選挙にあって、その争点が、多かれ少なかれ、これからの日本をどう築くのか、その展望、方針をめぐってのものになるのは必然だと思う。
 史上まれに見る大惨禍、「新型コロナ」禍にあって、働き方や生活様式、政治や経済、文化のあり方など、あらゆる領域で古い日常からの変更が余儀なくされ、誰もが、多かれ少なかれ、自分自身の意識の変化を感じ、世界が変わることへの予感のようなものを抱くようになっている。
 米国や日本の親米支配層がこうした人々の思いを利用して、日本と日米関係のあり方の見直しを図ってくるのは単なる予想を超え、すでに現実の動きとして、随所に現れてきている。
 先述したイージスアショア配備計画の見直しと日米安保改定、双務化問題だけではない。農業の自給率引き上げやサプライチェーンの国内化など、経済の内需主導型への転換、あるいは、国の役割を高めることを「強権」として否定する一方、東京一極集中見直しと地方分権化の推進、そして社会と経済のIT化、デジタル化、等々と、この間、「コロナ」禍で現れた問題との関連で、日本の国としてのかたちを変えるキャンペーンがなされてきている。
 こうした動きに対し、国民の側に問われているのは、それとの対決点を明確に、「コロナ後の日本」の展望と方針を掲げ、それを争点に政権交代を目指し闘いを推し進めていくことだと思う。
 何よりも、全国民的な助け合い、支え合いと地方地域との緊密な連携に基づいて、強力な政権を打ち立て、国の役割を決定的に高めることが問われているのではないか。「コロナ」禍の第一の教訓をここに求めるところに、国の役割を否定し、「地方分権(道州制)化」を促す米国や親米支配層との第一の対決点が鮮明なのではないかと思う。
 経済では、「外」から「内」への転換、「自給率の向上」など「内需主導型経済」への転換が問われる中、対決点はその中身にあると思う。外資依存の民営化か、どこまでも日本企業第一、国民主体の国の経済の均衡的で先端的な発展か、この辺りに経済復興をめぐる根本的な姿勢の違い、対決点が現れているのではないだろうか。
 防衛の対決点は一層明確だ。防衛力を日米共同の日本も「矛」となる抑止力と見、あくまで中国に敵対するのか、それとも、隣国、世界との親和力に真の防衛力を見、米国とも中国とも親しくしながら、米国でも中国でもなく、アジア、世界とともに進むようにするのかが問われていると思う。
 コロナからの「出口戦略」にあっても、「コロナ後の新しい日本」をめぐる展望と方針にあっても、米国、親米支配層に反対する国民の側の対決点は、本質的に同じだと思う。それは、一人の犠牲も出さない共同体としての「国」、国民のため自らの役割を果たす拠り所としての「国」を否定するのか、目指すのかにあるのではないだろうか。



議論

小池圧勝の真因を探る

永沼博


 東京都知事選は小池百合子氏の圧勝に終わった。何故ここまでの大勝だったのか。その「コロナ対策」が本当に支持を受けたのか。そこを考えてみたい。
 小池氏の圧勝は際だっている。歴代2位の366万票。宇都宮84万票、山本65万票、小野61万票など2位以下候補との圧倒的差。票の動向を見ても、支持政党の自民・公明票の8割を固めただけでなく、立憲支持層の36%、共産支持層の18%、無党派層の52%を獲得した。
 注目されるのは所得が低い層ほど小池氏に投票していること。NHKが都下62の自治体(区と市町村)別の投票動向を調べたものを分析すれば、所得が低い所ほど小池氏への投票が多かった。このことは、立憲支持層、共産支持層から大量の票が小池氏に流れ、無党派層の半数以上が小池氏に投票したことにも見て取れる。
 今回の選挙は、関心は高かったが低調だったという特徴がある。5割を切るのではと予想された中での投票率55%は決して低いものではなく関心の高さを示す。それなのに低調だったのは、後述するように小池氏の「コロナ対策」そのものに反対する候補がいなかったことが原因だと思う。
 今回の選挙で「何を重要視したか」(出口調査)では「政策と公約」で小池氏に投票した人は少なく、多くの人は「リーダーシップ」(72%)「経歴や実績」(70%)で票を投じている。
 現職として毎日のようにテレビ出演しオーバーシュート、3密、ウィズコロナ、東京アラートなどとワンフレーズを連発し、ときには自粛要請企業の対象を巡って政府とやり合ったりした小池氏はリーダーシップや腕力があると見られたのである。
 すなわち、小池氏は、その「コロナ対策」で支持されたのではなく、現役の強みとリーダーシップがありそうだということで票を得たのである。
 政府も小池氏も唱える「ウィズコロナ」。それは、コロナと経済の並行路線であり、コロナを収束させるよりも経済を回し、そのためには「少々の犠牲はやむをえない」という「犠牲は前提」路線である。
 コロナ禍は人々の命と暮らしを脅かす。感染への不安、死への恐怖、そして生活への不安。それは先ず高齢者、病弱者、最貧困層を襲う。ネットカフェも利用できなくなり、職を失い家を追い出され路頭に迷う人たちの「死ねと言われているようだ」との悲痛な声。収入激減の個人事業主、フリーランス、中小零細。授業料を払えず退学を余儀なくされる学生…。それは順次上の層に及んで行く。明日は我が身であり、誰もがコロナの不安と恐怖からの解放を求めている。しかし「ウィズコロナ」はそうした不安、恐怖との共存を説く。誰もそんなものを支持してはいない。
 そうであるのに他候補とのこの圧倒的差。一体その要因はどこにあったのか。それは小池氏の「ウィズコロナ」それ自体を問題視しその「犠牲は前提」に反対する候補がいなかったところにあるのではないか。そのため誰もが「ウィズコロナ」となり、その枠内での対策・政策提起になってしまった。
 同じものなら小池氏のリーダーシップ、腕力に期待する。貧困層の票が小池氏に向かったのもそういうことだったと思う。
 問われていたのは、「ウィズコロナ」自体を巡っての闘いであった。コロナとの共存、並行で行くのか、それともコロナ収束先行なのかを明確に示し、「犠牲は前提」に対し「一人の犠牲者も出さない」ことを争点、対決点にしてコロナ収束先行を主張すべきではなかったか。
 そしてPCR検査を全国民に実施し、感染者を症状に応じて隔離・治療し、追跡アプリも活用して拡大の芽を摘み、コロナ禍で職を奪われ減収する全ての人に生活補償し事業者、企業にも持続給付金を出す。こうしてコロナを封じ込め収束させた上で経済を動かし生活も補償していく。そうした克コロナの具体像を示す。
 「その先頭に東京都が立つ!」そのくらいの強い姿勢と気概をもってリーダーシップを示すような候補者が求められていたと思う。
 コロナ禍は続く。今後の政治過程、来るべき総選挙において、今回の都知事選の教訓を生かすことが切実に問われていると思う。


 
寄稿

13年ぶりのキューバ、青年の島を訪ねて

大森彩生


 旅をしたのはいつぶりだろう。
 山村の暮らしを離れてから、この都会で暮らし始めて8年目になりました。
 気づけば一人暮らしの生活で、「しっかりしなきゃ」と仕事が中心の生活を過ごしていました。
そんな漠然とした不安だらけの生活の中で、ふっと18歳の時にキューバで感じた事を思い出し、もう一度キューバに行きたいと、去年の12月に13年ぶりとなるキューバの旅をしました。
 今回は、イスラ青年の島に暮らす知人の家にホームステイさせて頂きながら、島での暮らしと13年ぶりのキューバ旅を楽しみました。島での暮らしは、私の暮らしてきた故郷とおなじように、生き物を育て野菜を育てる生活が中心だけれど、この島はいつもお祭りのように歌が聞こえ、人の声が溢れかえっています。
 そして、島でも医療はしっかりしていて、看護師が定期的にバスで健康診断に来てくれる体制がしっかり整っていました。キューバでは医療が無料なので、みんなすぐに病院に行くそうです。
 さらに医師に病気の相談ではなく恋愛相談にも行くそうです(笑)。ラテンならではの暖かさがある暮らしと、毎日のように誰かが遊びに来たり配給のパンを届けに来てくれます。今では当たり前になってしまっている日本の孤独死なんて言葉が、この国では存在しないのは13年前も今も変わらない。
 そして教育も無料で、学びの場は田舎でも都市でも変わらない体制を持っていて、ほんとうに私からすると羨ましいばかりです。知人が「この子は学校にほとんど行かないで仕事をしていたんだよ」とキューバ人に話すと、驚いて私に「日本で学校に行けない子がいるの?ここではありえないよ。あなたもこの国に生まれたらよかったわね」と話します。
 そう言えば、キューバで引きこもりの子どもの話はどの家庭でも聞いた事がありませんでした。離婚率は高いけれど、政府がしっかりサポートをするので暮らしに困る事はないそうです。それにキューバは子どもをすごく大切に育てています。
 日本では引きこもりの子どもだけではなく社会に出られない大人も沢山います。それを国は無視をしているから家族で抱えて苦しい状況の中で、各個人でなんとかしろっ、となっています。いつまでこんな残酷な事が当たり前なのかな。
 キューバでの暮らしは日本の異常な日常に私自身が慣れてしまっていたと気付かされました。
 社会主義で成功した国キューバは、カストロが亡くなっても、どれだけの月日が過ぎても変わらずに医療、教育が無料で孤独死が存在しない国です。そして、キューバ革命のチェ・ゲバラは未だに誰も忘れる事がない永遠の存在であり、2016年に亡くなったフィデル・カストロが最後まで、上に立つべき人を育ててきた事があるから、人が変わろうとも基本は変わらないのだと思います。
 キューバ国民もカストロを良く思ってない人がいても、それは友人に文句を言うようなものなのだと話していました。
 ある日買い物に行くと、お土産屋さんにはチェ・ゲバラの服や帽子はあるけれどカストロのものは置いていないので気になり店の人に尋ねると、とても優しげな瞳で胸に手をあてて、カストロがポスターなどにされるのを嫌がっていたから彼のはないと説明をしてくれ、貴方もフィディルが好き?と優しげに微笑みました。その時のどこか悲しげなのに愛しい人を想う瞳がとても印象的でした。
 その夜にカストロの追悼集会に参加した方の話を聞く事ができました。その話でフィディルを見送る時の言葉が「ジョソイ!フィディル!」であること、その理由について話してくれました。
 「各国の英雄がフィデル・カストロに別れをつげに来た中で突然、『フィディルはどこにいますか?』とキューバ国民に尋ねる人がいた。はじめ皆、何を言うてるの?とざわつく中で、何度もその人は『フィディルはどこにいますか?』とキューバ国民に尋ねた。そのやり取りを続けているとその場にいた一人が『ここ!』と叫んだ。その後に合わせるように誰かが『私がフィディルだ!』と声をあげた。その後から革命広場に集まった人々が『ジョソイ!フィディル!』とさらに声をあげた。この言葉がカストロを見送る時の言葉となり、ハバナでも島でもみんなが『ジョソイ!フィディル!』と涙を流しながらフィディル・カストロを見送った。」と。
 このエピソードを聞いて、議長引退の会見でカストロが話した「革命家に引退はない」その言葉を思い出して、心から国の指導者として本当に素晴らしい人だったのだと感じました。
 ただ、現在はアメリカの大統領がオバマからトランプに代わり、物が入らなくなり再び燃料物不足になり始めていました。けれど、キューバはガソリンが足りないなら馬を町に走らせる事ができます。これまでも困難と元々物はないのがキューバだから、物不足くらいでは何も動じないのと、キューバを支援する国がいくつもあります。
 けれど、アメリカ人がキューバに入国できなくなっている問題は、キューバ人にはとても辛い状態であったようです。アメリカに住む家族に会いたくてキューバからアメリカに渡ろうとしているキューバ人もいます。それを日本ではキューバが嫌でアメリカに渡ったと情報が間違って入っていると聞きます。実際は家族に会いたくてもアメリカがビザを出してくれないから船で渡ろうとするのだと言う事を知って欲しい。
 このアメリカの嫌がらせから情報が入りにくくなる事を懸念して政府は島から先にYi−Fiをいれてみんなが情報を得られるよう進めていました。
 キューバらしい考えがここでもあります。都市から進めるのではなく情報が入りにくい田舎から先に進める。そしてそのスピードの速さが日本とは比べものにならない。本当に必要と思う順番を政府が理解してる事がキューバでは当たり前なんです。
 今回の安倍政権で、情けないほどにこの先進国の日本ができていない事に気がついた人が増えてきているけれど、この物や情報ばかりが溢れていても何もできない国が今の日本。
 ハバナの道端で出会った男性が私に色々話をしてきたその中で「キューバはお金はないけれど、拳銃もない、争いもない」そう話かけてきました。それでも革命の時代は遠ざかりキューバの若者は都会に憧れをもちはじめています。日本に留学していた若者は東京の写真を私にみせて「東京は美しいね」と話す。
 これからのキューバが本当にどうなるのか私には分からないけれど愛されて育っているキューバ人は何事にも動じない強さがある気がします。
 このコロナ問題が起きたときも政府はすぐに動き、マスクなんてないキューバでは、TVですぐにマスクの作り方を流し、隔離をすぐにはじめたと島に住む知人が電話で話していました。子どもは「マスクをもっと明るい柄にして」とマスクをすでにお洒落にかえているのもキューバらしい。
 4月の中頃に電話で話した時に、島は今でもハバナには出られないけれど、困っているのは町にお酒とタバコを買いにいけない事くらいだと笑って話していました。日本の情報はキューバにはつつぬけなのでキューバは日本の状況に呆れている様子でした。
 私はキューバ人にはなれない。でも、助けてくれないこの国でこれまでの日本人(自分)でいるのはおかしいと感じます。
 私は山村から都市にきて毎日働きお金を貯金して一人でも生きられるようにと頑張っていました。でも、今になって思うのです。なんで、「一人で頑張らないと」と思うような社会なんだろう。保険がないと不安って、それだけこの国が国民を守ってくれないから保険に入って、明日死ぬかもしれないのに仕事ばかりで、生活を楽しむことができるようになるのが歳をとってからっておかしい。
 簡単に差別、批判はするのに、大きな力には文句は言わない、そんな生き方はしたくない。仕事の恩師が「人生は素晴らしいと感じて欲しい」と語ってくれたけれど、その方はこの国の犠牲者でもあると感じました。
 この時間泥棒の社会で仕事だけの人生を歩んだ事を彼は後悔していました。
 キューバでの当たり前が日本には夢のようなことに思います。でも、その夢みたいな事が未来に必要なら、一人一人がちゃんとこの国の未来に興味をもち続けて欲しい。
 そして、18歳の私に人生は素晴らしいと感じさせる経験をさせてくれたのがキューバです。ブリガーダのツアーでキューバの旅に参加出来て、各国のキューバを愛する人に出会えた事を私は本当に感謝しています。
 そして、今回の旅でお世話になった友人が夜にラム酒を呑みながら私に話してくれた言葉は「日本で生きるのは苦しい事だ。けれど、お願いだから、死なないでくれ」。私はその言葉は忘れないでしっかり心に持って帰ってきました。この言葉は私にだけじゃない。どんな時代でも踏ん張って踏ん張って生きたい。



時評

主権者は中国14億人民

平 和平


■欧米日が介入してはいけない
 中国で国家安全維持法が可決成立したことを受けて、欧米や日本が騒いでいる。香港が対象になっていると言う事が理由になっている。「香港問題を取り上げて、中国非難の大合唱」が日米欧の政府のみならず、日本では共産党機関紙「赤旗」の1面記事に何回も載り、共産党系の日中友好団体までが抗議声明を出す事態となっている。「赤旗」ではチベット・ウィグルまで加えて反中新聞の様を呈している。かつてなら極右・ヘイト勢力しか取り上げなかったこれらを無検証で取り上げて反中宣伝を繰り広げて恥ずかしくないのだろうか?
 しかしアジア諸国特に中国・朝鮮への批判を行えば票が増えると考える共産党系ならば十分その理由はあるのだろう。日本で共謀罪や秘密保護法や戦争法制が可決成立し、それが各種の弾圧に「実戦使用」されていることに欧米は何も言わない。日本には何も言わない事を報道する事もなく、中国の内政には堂々と欧米(の帝国主義者)と一緒になって内政干渉することに「日本の共産主義者」は、恥を知るべきである。

■独裁・非民主主義?
 「中国は独裁で非民主」との決めつけが根底にある。世界には王室・宗教指導者が独裁する国がたくさんある。中国・朝鮮に憲法とそれに基づく政治体制がしっかり根付いているが、憲法も議会もない国が世界にはごまんとある。
 例えばサウジアラビアではとんでもない宗教独裁が行われ、人命・人権が蹂躙され続けているのに「赤旗」には一度も掲載されたことがない。無実の外国人労働者女性が罪を着せられて処刑される場面が2年前のNHKテレビでひっそりと放映された。
 近年では政府を批判したジャーナリストがサウジアラビアのトルコ領事館内で、外交官や王族の手で生きながらにバラバラ殺人される事件さえ起こっているが、「国際社会」も「赤旗」も大きく取り上げることは無かった。
 これが中国・朝鮮ならどれほどの大騒ぎになっていた事だろう。
 欧米(の帝国主義)との共闘はするべきではない。中国に問題があるならば中国人民がそれは許さず、改革か改善か革命を実施する。へなちょこのこの国とは訳が違う。

■歴史と現在と未来
 香港は中国の領土をイギリス帝国主義が軍隊の力で1842年に奪い取ったものである。本来なら中華人民共和国成立の時点で中国の一都市になってもおかしくなかった。
 平和裏に解決するために中英交渉で、中華人民共和国特別行政区としたのが1997年だ。そこから50年間は社会主義を押し付けない「1国2制度」となった。しかし、中国の法制度を一切適用しないとは決められていない。
 パッテンやトランプや安倍など中国侵略正当化勢力とその付随勢力が中国人民の被害地域について騒ぐ権利などない。27年後に「1国2制度」をどうするか決めるのは中国人民だ。
 「赤旗」ならそういう歴史経過も載せてしかるべしなのに、極右や帝国主義と同一視点でしか香港を報道せず、反中宣伝に明け暮れるなど、嘆かわしい限りだ。良い記事が満載であることを知っている「赤旗」読者として、残念極まりない。
 共産党よりさらに影響力極小の自称「反スタ」新左翼に至っては、反中宣伝の「金魚の糞」に成り下がり、おこぼれにあずかろうとするイジマシイ姿に泣けてくる。まあ、それで党派の拡張に全然つながらないから哀れなだけであるが。
 中国の課題はこれからも中国14億人民が解決するだろう(今までもそうであった)。


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