研究誌 「アジア新時代と日本」

第202号 2020/4/10



■ ■ 目 次 ■ ■

編集部より

主張 新型コロナウイルス対策で強く思うこと

議論 脱「失われた30年」を考える

行動 吹田事件、塚崎昌之先生のフィールドワークに参加して

アピール コロナによってかき消されてはならないもの




 

編集部より

小川淳


 日本は文明国家なのか?
 世界の感染者と死者の数が毎日更新されていく。新型コロナのパンデミックは一体どこまで広がるのか。100年前に感染拡大したスペイン風邪は、日本内地(植民地を含まない)だけで45万人、正確な統計はないが世界では推計で5000万人が亡くなったというから、新型コロナを甘く見てはいけない。怖いのはウイルスが変異することで、スペイン風邪は2年の間、3回の波があったことだ。1波よりも致死率は2、3波が高かった。今回のコロナも、いつ終息するのか、誰にも分からない。
 コロナウイルスの感染を防ぐには、ワクチンがない以上、人と人との接触を遮断するしかない。「緊急事態宣言」による外出の自粛要請はやむを得ないとはいえ、大幅な外出制限は経済に死活的な影響を及ぼす。医療的では迅速な検疫対応が不可欠なのと同様に、経済においても緊急な救済策が不可欠だろう。
 安倍首相は、政府の緊急経済対策を「世界的に見て最大級」と胸を張るが、その中身は世界の失笑を買っている。108兆円とはいえ、真水といわれる「現金給付」はわずか6兆円に過ぎず、全世帯の8割は排除されているからだ。日本の「緊急経済対策」がいかに貧弱かは、他の先進国と比較すると分かり易い。
 現金給付でいえば、アメリカは年間所得810万円未満の世帯一人当たりに1200ドル(13万円)を、英国はフリーランスを含む全従業員の賃金・所得の8割を補償。隣国の韓国でさえ、全世帯の7割に最大100万ウオン(8,9万円)を、香港も18歳以上の市民全員に1万香港ドル(約14万円)を給付している。ドイツは、事業補償として個人事業所や10人までの企業に3か月分一括で最大100万円〜170万円を補償している。
 日本では38度の熱が出ても検査が受けられない。4日間発熱が続かなければ対象ではないからだ。しかも「一カ月以内に海外に渡航」「身近に陽性の人がいる」など要件を満たさないと検査は受けられないという異様な国だ。厚労省の指針がこれなら、いつ東京がニューヨークのようになってもおかしくない。コロナを防ぐには、徹底した検査と防疫以外に方法はないはずだ。その為には、生業を止めても生きていけるだけの、何とか踏みとどまるだけの補償をしてほしい。この悲鳴に近い声が日本中に満ちている。
 武漢でも封鎖の日々を日記に綴って公開した作家、方方は、「一つの国家が文明国家であるかの基準は、高層ビルが多いとか、軍隊が強いとか、科学技術が発達しているとか、決してそうしたことがすべてではない。基準はただ一つしかない。それは弱者に接する態度である」と述べている。
 まさに今、日本は「文明国家」であるかどうかが、問われているのではないか。



主張

新型コロナウイルス対策で強く思うこと

編集部


 新型コロナウイルスの感染者は9日現在、世界で150万人を突破し、死者は8万人を超え、拡大の勢いが止まらない。日本でも専門機関によると5月に感染者が数万人に拡大すると言われ、緊急事態宣言がなされた。新型コロナウイルスは感染しても80%以上の人は重症にならず、インフルエンザの一種と考える人が多い。
 しかし、無症状の感染者がいるため検査と隔離、治療をしなければ、たえまなく拡大していくことになる。そのため重症者と死者が増えていき、今日のように人々を不安に陥れ、社会活動に大きな支障を与える結果になる。それゆえ、徹底した検査と隔離、防疫と治療、ワクチン開発などによりコロナウイルスを抑えるまでは解決にはならない。各国においてさまざまな対策を講じている。コロナウイルス対策で、今の時点で何がもっとも大切なのかを考えていきたい。

■鍵は初動の対応
 感染症は初動の時の対応がとくに重要だ。ワクチンがない新型ウイルスの場合、まず感染が広がらないように封じ込めなければならないからだ。中国・武漢で新型肺炎が始まったのが昨年末。このとき、すぐに封鎖の措置をとれば中国や世界での拡大を防げただろう。患者が増えるまで、新型コロナウイルスによる肺炎だと判断するのは難しかったとしても、コロナウイルスとして2003年のサーズ、2015年のマーズをすでに経験している。新たなコロナウイルスの発生を想定できたはずだ。しかし、この間日本では感染研究所の予算は削られていた。
 中国で昨年末に患者が発生し1月に拡大しはじめたことを受けて、国境遮断したのは、台湾、ベトナム、フィリピン、朝鮮であった。サーズ、マーズの教訓から迅速な措置をとった。これに比して、3月になっても日本と韓国は中国との交通を遮断しなかった。観光や経済活動を中断したくなかったからだ。
 中国、韓国での感染者が拡大しているとき、欧米各国は傍観していた。アジアで起こっていることであり、自国に火の粉が降りかかってくるとは思っていなかった。しかし、無症状の感染者が無意識にどんどん感染させていく。中国と関係が深かったイタリア、イランに拡大し、さらに国境のないEU諸国に拡大していった。そして、極めつけはアメリカの爆発的拡大だ。
 当初、甘く見たツケがどれほどの被害をもたらしていることか。それゆえ、感染症の感染力の恐ろしさを熟知し、前もって一旦、発生したときの対応を準備しておこなわなければならないということを示していると思う。新型コロナウイルスが急速に拡散したのは、世界がグローバル化し、人とモノの移動が激しくなっていることも大きな要因となっている。人とモノの激しい移動は感染症を一瞬のうちに世界に拡散させるゆえ、いっそう封鎖など初動の対応が重要になっている。

■検査、検査、そして隔離と治療
 初期、感染者が拡大した中国と韓国は、その後検査を徹底的におこない、感染者を隔離し・治療してゆき、制圧に成功しつつある。検査をよくやってこそ感染の実態を把握でき、対策を立てることができるからだ。世界各国では、積極的な検査拡大をして、死亡者抑制に成功している韓国をモデルに検査拡大の動きがどんどん広まっている。その結果、中国で感染者拡大と死亡者を抑え、武漢の封鎖が解除され、生産活動も回復していっている。ドイツも検査数が多く死亡率が低い。死亡者がもっとも少ないのは台湾だ(4月1日で4人)。アメリカが今日、爆発的に拡大し死亡者も多いのは、当初、検査をよくやらなかったことと医療制度が貧困だからだと指摘されている。
 日本では検査を受けても受けなくても治療薬がなく自分で直すしかないと感染症専門家が語る一方、検査を訴える大谷義夫医師はTV番組に登場できなくなった。安倍政権は「『重症者を検査・治療する』という方針にもとづき、検査対象を限定し、無症状や軽症の患者は最初から無視してきた」(医師・医療ガバナンス研究所上昌広理事長の指摘)。その結果、日本の人口100万人当たりの検査数は117.8。首位アイスランド(2万6772.3)の約227分の1、韓国(6148)の約52分の1と、先進国最低レベルである。これでは、無症状の感染者がたえず感染者を拡大させていき、感染経路を断ち切ることができない。小学生でも分かることではないだろうか。厚労省は5月に数万、数十万の感染ピークを迎えると予想している。にもかかわらず、日本は未だに検査と隔離、防疫活動を大々的におこなわない「不思議な国」となっている。


 日本はあまりに危機意識がうすいと中国や欧州から帰国した人たちが驚いている。インフルエンザの一種と考えている人も多い。読売新聞社説では国境を封鎖するような自国第一主義ではなく開かれたグローバル国家として模範を示すべきだという。「統治か自治かどちらを選択するのか」という学者(北川氏)もいた。脳天気としかいいようがない。世界各国は国難としてとらえ、新型コロナウイルスとの戦争とまで認識して、国家として取り組んでいるのにだ。
 国民がなかなか国難として認識できないでいるのは、国家の責任ととらえていない安倍政権の罪が大きい。経済やオリンピックを優先させ、国民の生命を後回しにし、検査も抑え、「危機感を煽るな」と国民に危機意識をもたせないように抑制してきたのは安倍首相自身だ。
 すでに人々の生命が危険にさらされ、社会的活動が不能となり、経済をはじめ大きな打撃を受けている。今からでも口先でなく真に国難として国をあげて全国家的に、全国民的に取り組むべき問題だと思う。

■後手、後手の日本政府
 国家的危機であるほど、国家の責任と役割が問われる。個人では対応できないからだ。新型コロナウイルスにたいしても封鎖や検査実施、ワクチン開発、治療対策の早急な拡充などは国家的にしかできない。
 中国や韓国、それに朝鮮も国家的に取り組み、ウイルス制圧に成功している。遅ればせながら欧州でも国家的な取り組みを行っている。唯一、日本だけが「要請」を繰り返し、後は現場の責任、各自の自己責任でというだけで、国が前面に立って対策を講じようとしていない。
 危機に際し的確な判断と迅速な決断が求められているのに、安倍政権はやることが中途半端で後手、後手となっている。感染が拡大している中国に対しても湖北省からだけの訪日を禁止し、中国からの観光客など受け入れたため水際作戦に失敗し、クルーズ船にたいする対応も船内感染を拡大させた。やったと言えば、突然の学校の休校要請で現場を混乱させただけだ。誰の目にも今夏のオリンピック開催が無理なことは明らかだったのに延期の決断も遅かった。「緊急事態宣言」も遅すぎるという批判が強く、東京医師会は先に「医療的緊急事態宣言」を出した。人との接触を避けよというだけで、国として検査や補償などの対策を迅速に行おうとしない。
 なぜ、日本政府は後手、後手に回ったのだろうか。多くの人々が指摘しているように、経済やオリンピックを優先させたからだし、根本的には安倍政権が国としての責任と役割を果そうという姿勢がまったくないからだというしかない。
 安倍首相にとって自分が「国」であり、国民に仕えるという観点など微塵もないように思える。それは、「緊急事態宣言」においてでも「要請」を繰り返し、都道府県や国民に責任を押しつける無責任さに表れている。国難であれば、国の責任者が陣頭に立ち、国民に届く言葉でコロナ禍との戦いを指揮すべきではないか。家で寛ぐ動画の配信など誰も望んではいない。
 国家の責任と役割を果たしていくためには、国民の生命と生活を守ることに国家の最大の使命があるという自覚と覚悟がなければならないと思う。
 人々にとって家族、学校、地域、企業などさまざまな共同体が大切だ。そのなかでももっとも大切で人々の運命を左右する決定的な共同体は、日本という国だ。だから、国民のためにこそ国があるといえる。
 それゆえ、国の使命は国民の生命と生活を守ることにあると思う。アベノマスクを配って人との接触を8割減らせという自己責任に委ねる「国」ではなく、検査と隔離、治療と防疫・補償を国家的におこなう、国民のための「真の国」こそ求められていると強く思う。



議論

脱「失われた30年」を考える

K・T


 バブルの崩壊を機に始まった日本経済の長期停滞、低落が「失われた10年」「20年」、そして「30年」と言われるまでになった。だが、出口はいまだ見えない。
 その上に、「リーマン・ショック」をも超えると言われる「新型コロナ・ショック」。
 この危機にあるからこそ、これを機とする「失われた30年」からの脱却が問われてくるのではないかと思う。

■「失われた30年」、一体何が失われたのか?
 1989年、バブルの絶頂からの転落。それは、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と日本経済が世界から褒めそやされた得意の絶頂からの転落でもあった。以来、日本からは、天をも突く「景気」も「名声」も失われてしまった。
 だが、それだけではない。失われたのは、それにも増して、世界に冠たる産業競争力だったのではないか。
 バブル崩壊とそれに続く不良債権処理の失敗、それにともなう企業倒壊の連鎖と景気低迷の長期化。さらには拓銀、山一の経営破綻など金融危機。これらも大きかったが、より決定的だったのは、日本産業の先端産業への転換が図られなかったことだ。これにより、日本経済は、「失われた20年」から脱却するためのエンジン、産業競争力を完全に失ってしまった。
 失われたのは産業競争力だけではない。経済長期停滞にとって、さらに決定的だったのは、日本経済の均衡が失われたことではないかと思う。
 生き物である経済にとって生命は、循環であり、それを保障する均衡だ。カネが大企業や富裕層、大都市に集中し、広範な国民や地方地域に行き渡らない時、その循環が止まり、経済が停滞するのは必然だ。この経済にとってもっとも大切な均衡が極度に失われ、それが悪化の一途をたどっているのが今の日本ではないだろうか。

■なぜ「失われた30年」になったのか?
 「失われた30年」から脱却するためには、失われたものの核心である「産業競争力」や「経済の均衡」がなぜ失われるようになったのか、その要因について知ることではないかと思う。そこにこそ、「脱却」のためにもっとも切実な回答が隠されていると思うからだ。
 まず、「経済の均衡」だが、それが失われるようになった要因がグローバリズム、新自由主義による格差と貧困の拡大にあるのは、改めて言うまでもない。実際、この数十年来のグローバリズム、新自由主義によって、上層「1%」や東京など一極への富の集中と「99%」、地方地域などの窮乏という格差の拡大が極度の富の偏在、不均衡を生み出し、経済循環を大きく阻害するようになっているのは全世界共通の問題だ。
 一方、日本の産業競争力はなぜ失われてしまったのか。それが、産業構造のIT化など、先端産業への転換がなされなかったところにあるのは先述した通りだ。その上で問題はその要因だ。
 そこには米国による露骨な圧力があった。1986年と91年、米国は、二度に及ぶ日米半導体協定を通して、第一に、日本による半導体の値下げを禁圧し、第二に、日本からの半導体輸入を全体の二割に限定してきた。これを受けて日本には、先端産業で米国の先を越してはならない、それが身のためだという不文律ができてしまった。
 それからの日本は、折からの米国発市場原理主義とも相俟って、「米国任せ」「市場任せ」に堕し、先端技術の開発に国の命運をかけて米国としのぎを削る国ではなくなってしまった。
 戦後三十数年頃まで、米国は、敗戦日本を復活させて、共産主義の脅威への防波堤、アジア侵略の前線基地にするところに米覇権の利益を見ていたと言うことができる。
 しかし、日本が力を付け、日米の貿易摩擦が強まってくる中、米国は、日本を叩き、従順なパートナーとして取り込むところに、覇権のための利益を見るようになった。1985年、G5プラザ合意での円の大幅切り上げは、それにより日本企業の多国籍化を促進したこと、等々、その出発だったと言える。
 歴史は、この米国による対日政策の転換が米覇権戦略のグローバリズム、新自由主義への転換の一環であり、それが「失われた30年」の決定的要因として、その背景に厳然としてあることを教えてくれている。

■脱「失われた30年」、何が問われているか?
 今日、米トランプ政権は、もはやグローバリズム、新自由主義ではない。反グローバリズムの「米国ファースト」だ。それにともない、その対日政策にも変化が見られる。ならば、「失われた30年」からの脱却にも展望が出てくるのでは?
 それがまったくの幻想なのは、米国との連携で推し進められているアベノミクスのあり方に端的に示されていると思う。「企業が一番活躍しやすい国」を目指し、米系外資の日本浸透に最大限便宜を図り、「働き方改革」など各種規制緩和や「コンセッション方式」の導入などそのための道を広げるアベノミクスの下、日本経済の米国経済への組み込みが急進展する一方、格差と貧困の拡大、消費の低迷など、日本経済の不均衡は正されるどころか、その深刻の度を深めている。
 米トランプ覇権とそれに従うアベノミクスの下、一層抜き差しならないものになっている「失われた30年」、そこから脱却する力は一体どこにあるのか。それは政権交代によって生まれる新たな政権に求める以外にない。
 そもそも国の経済のあり方を変える力など、その当事国自身にしかない。もちろん、覇権国家にもあるが、覇権国家がその国のためになる経済改革などやるはずがない。戦後初期の米国による日本経済の改革がどこまでも米覇権のためだったのは先述した通りだ。
 経済の極度の不均衡を正し、古い従来型の産業を新しい先端産業中心のものに変える「失われた30年」からの脱却は、日本経済のあり方そのものの根本的転換を意味している。その大変革をやり遂げるため、それを担う政権に問われる意思と力は並のものではないだろう。
 そのような政権の出現を今の日本に期待できるのか。そのための展望はどうなのか。
 そこで忘れてならないのは、今日、世界が新しい政治の時代を迎えていることだ。自国、自国民第一に、国民主体で、覇権に反対する新しい政治の時代が到来している。
 日本においても、この時代の足音は聞こえてきているのではないか。左右や保革など既存の政党ではなく、国民が直接政治を握って政権を立て動かす新しい政治の時代が近づいてきている。
 この歴史の新時代こそ、国民第一、国民主体の新政権の下、「失われた30年」から脱却する時ではないかと思う。
 「失われた30年」、この長きに渡る自民党政権の経済政策は、まったくの「米国任せ」「市場任せ」に終始してきた。今、その転換に当たって問われているのは、政権が責任を持って「国の経済」を創っていくことではないだろうか。
 「失われた30年」からの脱却のため、経済のあり方を根本から変え、「国の経済」を創って行こうとすれば、問われてくるのは、そのための指針だ。だが、それを難しく考える必要はまったくないと思う。指針は現実の闘いの中から出てくるものだ。何よりも、その目的を「企業が一番活躍できるようにする」から「人々が豊かで幸せな生活を送れるようにする」に転換するのが問われるのではないだろうか。また、「経済を生き物と見て、その生命を循環と均衡に求める観点」や「競争と効率ではなく、協力と革新第一の原則」なども重要だと思う。これらは皆、現実の闘いから得られた血の教訓だ。もちろん、闘いの経験と教訓は、これ以外にも数多くある。そこから指針が生まれ、深められていくだろう。
 もう一つ提起したいのは、主体の問題だ。これからは、政治だけでなく経済の主体も国民になるのが問われてくるのではないか。政党から国民へ、企業から国民への主体の転換だ。
 そこで求められるのが企業も国民の一員だという観点だと思う。時代的な大きな視野から、国と利害、運命をともにし、国民の一員として「国の経済」を創る主体になってこそ、自らの運命を切り開いていくこともできる。この観点に大企業まで含め、圧倒的多数の企業が立つようにすることができるか否か、そこにこそ、事の成否を分ける重大な鍵があるのではないだろうか。
 今日、第二次大戦の惨禍にも例えられる新型コロナウイルス禍にあって、「国」が果たす役割の大きさが再認識されてくる中、「失われた30年」からの脱却の道開拓が今こそ一層切実に問われてきているのではないかと思う。


 
行動

吹田事件、塚崎昌之先生のフィールドワークに参加して

堺 一郎


■背景
 朝鮮戦争が1950年6月25日に始まった。ピョンヤンもソウルも何回も占領・奪還・再占領され、戦線がこう着状態になったのが1952年ごろ。連日日本の米軍基地から爆撃機・輸送機・空母が朝鮮へ出撃して、日本の軍需工場で生産された兵器が国鉄の線路を使って送られていた。その中で「吹田事件」と総称される闘いがあった。
 3月20日に行われた塚崎先生のフィールドワークには40人を超える人々が参加していた。千里丘駅に集合してから岸辺駅を経て、吹田駅までの長い道を実際に歩くフィールドワークは当時、デモ行進した1100人の青年たちの足跡をたどる貴重な機会となった。先生のレジメはその経過を地図などつきで詳しく載せておられるのでぜひ全文お読みいただきたい。「大阪城こま犬会」の方で資料は用意されている。

■事件の概要
 塚崎先生の資料とウィキペディアなどを総合して書かせていただく。1952年6月24日、阪大がある待兼山に学生(府学連)・労働者・在日朝鮮人約3千人が集まり、朝鮮戦争2周年反戦集会が行われた。デモ隊の一部は阪急石橋駅に行った。ところが終電が終わった後であり、駅長に「人民電車を出してほしい」と交渉した。
 最初は「できない」と断られるも「そこを何とか」と説得するデモ隊員。ついに駅長が折れて「団体割引で運賃をいただいて出しましょう」となったようだ。戦争反対の空気が一般に流れる時代の中ならではの事だろう。電車が一路梅田を目指した頃、情報を入手した警察が全員検束の構えを取っていたようだ。ところが服部駅で全員下車。目指すはそこから東へ約5キロ以上ある吹田操車場。さらに5キロくらいある現在の千里丘駅まで行進。旗竿から火炎瓶までいろいろなものを抱えてだからますます大変だ。今みたいに随行車なんてない! 
 待兼山で別れた別働隊は箕面を通り、笹川良一邸を襲い、玄関を少々壊して、小さな山を越えて本隊と千里丘で合流したが、こちらも10キロ近く歩いて来た。操車場のほうへ行こうとするデモ隊を待ち構えていた警官隊も気迫におされたのか、塚崎先生の説明では「道をあけちゃった」らしい。
 この間、デモ隊は前夜から一睡もせず強行軍。とにかく、軍用列車を止めることが朝鮮で米軍と戦う人々の犠牲を減らせるとの信念で明け方に吹田操車場に突入した。下の写真が「整然と突入するデモ隊」。ところが何時間も前に軍用車両は出発していて、次の便は隠されていたので、操車場内をデモしただけで終了し、吹田駅から平穏に通勤客と一緒に乗り込んだ。

■吹田事件その後の展開
 デモ隊が乗り込んだのを見て吹田駅長と助役が「何もなくて良かったですなあ」と会話するほどだったようだ。ところが駆けつけた警官隊が通勤電車に襲いかかり、デモ隊を検束しようとしてピストルを列車内へ撃ち込んで負傷者が出る大騒動に。どうしてもデモ隊を暴徒としたい検察は逮捕者を騒擾罪で起訴。
 しかし大阪地裁は各種証拠を検討した結果、全員無罪に。高裁でも一部の人が公務執行妨害などで有罪になったものの、騒擾罪は不適用。これが確定判決になっている。
 警官のピストル発射は違法と認定されるほど過剰弾圧だった。合計1100人の労働者・学生・在日朝鮮人が徹夜で戦争反対を叫んで行った吹田事件は、3大騒擾事件の一つと、以前から聞いてはいたものの、こんなすごい闘争だった事を知らなかったのは恥ずかしい。写真上の見出しに「朝鮮人暴る」とあるがどう見ても暴れてデモ隊を血まみれにしたのは警官隊のほうだ。
 塚崎先生のフィールドワークは次回6月6日(土)午後1時「軍事拠点築港」次回参加申し込みと吹田事件塚崎先生の資料問い合わせ:090−4640−7638伊関さんまで



アピール

コロナによってかき消されてはならないもの

金子恵美子


 20日間で29万9190名。何の数字だか分かりますか?
 森友学園への国有地払い下げにからむ財務省による公文書改ざんを強要され、自死に追い込まれた財務省近畿財務局上席国有財産管理官であった赤木俊夫さん(享年54歳)の妻が起こした「第三委員会による再調査」署名活動への賛同者の数です。
 妻昌子さん(仮名)は夫俊夫さんの3回忌が過ぎた本年3月18日に弁護人を通じて国と佐川宣寿元財務省理財局長を相手に、約一億一千万あまりの損害賠償を求めて大阪地裁に提訴した。また、同日「週刊文春」には、元NHK記者で現在は大阪日日新聞記者をしている相澤冬樹氏による「森友自殺財務省職員、遺書全文公開」として、妻より託された赤木俊夫さんの手記と遺書、妻昌子さんがどのような理由から国と佐川氏の提訴、夫の手記と遺書の公開に踏み切るに至ったかの衝撃的な記事が掲載された。
 記事には、この二年間の妻昌子さんの足跡が綴られていた。夫赤木さんが近畿理財局の上司より、森友案件の公文書改ざんを指示され、抵抗しながらもそれに従ってしまったこと、その悩みが深かったこと、当該部署からの移動を希望していたが、改ざんを指示した上司を始めその時の職員すべてが他の部署に異動したにも拘わらず赤木さんだけがその部署に据え置かれた事、その後体調を崩し「うつ病」を発病させ自宅での療養生活となったが、朝日新聞に改ざんの記事が載り、検察の調べが身近に迫り、全て自分のせいにさせられてしまうのではないかという恐怖。
 このような中での医師による忠告も無視してなされた検察による20分もの聴取。その後急激に病状が悪化し、「死」を口走るようになりロープをもって山に行った赤木さんを昌子さんが連れ戻すこと二回、仕事で家を離れても心配でメールを送っていたが、自死に至った3月7日の午後に返答がなく、夫の死を直感し家に戻るとそこには首をつって既に息絶えていた夫の姿が。昌子さんは119番ではなく思わず110番に電話をしていたという。それは「夫は財務局に殺されたという思いがあるから」と。
 これだけでも相当につらい日々であった。それに輪をかけたのが、夫の死に関わった上司や同僚の態度、財務省や麻生財務大臣の対応などであったという。近畿財務局の上司にあたる管財部長が赤木さんの死の翌日に訪れ、「遺書があるなら見せて欲しい」と求められたこと、「財務省で働きませんか」という誘いもあったと言う。「佐川さんの秘書にしてくれたらいいですよ。お茶に毒を盛りますから」との昌子さんの答えに相手も沈黙せざるを得なかったという。
 更に「麻生大臣にも墓参に来て欲しい」と伝えたにも拘わらず、国会で「遺族が来て欲しくないと言っている」との麻生大臣の答弁を聞き、財務省への不信感を大きくした。佐川氏には3回も弔問に来て謝罪と説明をしてほしいと手紙を送ったがなしのつぶてであったという。こうした事の積み重ねが、当初遺書の公開や裁判など考えていなかった昌子さんの考えを覆させ今回の決死とも言える行動に向かわせたのだ。
 そして、公表された赤木さんの手記と遺書。愛する家族と自分の大切な命、この出来事さえなければこれからまだ長く続いたであろうやり甲斐と幸せに満ちた生活を自らの手で断ち切らなければならない無念、公文書改ざんや遺棄という大罪を犯しながらも嘘に嘘を重ね、のうのうと生き延びている人たちへの義憤、本当は公の場で明らかにしたいが、今の自分の精神的、肉体的状態ではそれがかなわない為、このような手段を取らざるを得ないとして、最後の気力と自らの魂を使い切って死の直前に書いた手記と遺書。誠実で平凡だった一人の人間の精神と生活を破壊し、本当は国が守らなければならないのにその国=腐りきった安倍政権とその忖度集団によって殺されてしまった赤木さんの血と涙の訴えである手記と遺書。これを無にして良いはずがない。これが無にされるようなら世も末、この国に未来はないと思う。
 再調査を求められた安倍首相と麻生財務大臣は「調査は検察により十分に行われ終了している。新しい事実が出されているとは思われない」と再調査には応じない意向を示している。検察による調査は赤木さんの手記や遺書が出される前のものであり、この間関係者が昌子さんに語った改ざんに及ぶ詳細なメモを赤木さんがとっていたというファイルの存在や検察は全て知っていたという赤木さんの証言など、重要な「新たな事実」が明らかになったにも関わらずそれを一切無視し、白を切る鉄面皮。
 さらに安倍首相に至っては手記を読んだことを明らかにしながら「職務に精励していた方が自ら命を絶たれたことは痛ましい出来事であり、胸が痛む思いだ。ご冥福をお祈りしたい」と述べている。一体誰のせいでこんな悲劇が生じたのか。もとを質せば「(国有地売却に)私や妻、事務所が関係していたなら首相も国会議員も辞める」という自分の発言ではないか。それが端緒となり、その発言にあわせた佐川元理財局長の国会での嘘の答弁、佐川氏の指示による森友案件の公文書からの昭恵夫人・自民党議員らの関与がうかがえる箇所の削除へと事態は発展し、末端でそれを担わされて自死をもってその告発を行ったのが赤木俊夫さんである。つまり安倍首相が殺したも同然の方に対してのこの第三者的な発言だ。「赤木さんの手記や遺書にはどこにも自分の発言が契機になったとは書いてない」と平気で答弁している。書かれていようがいまいが一連の流れを読めば小学生でもわかることだ。そして、こうした事態を引き起こしたもう一方の当事者昭恵夫人。この手記と遺書が発表されたすぐ後に国民への外出や花見への自粛が首相の口から求められた矢先でもあったが、夫人は芸能人などを含めた友人たちと花見をしている。自分が大きくかかわり亡くなった人の遺書やその妻の思いが大きく取り上げられている最中での「花見」。これにたいしても安倍首相は自粛要請した公園での花見ではなくホテルの桜の下で写真をとったものと答弁をしている。
 今日コロナ対策を巡り、「アベノマスク」と言い、星野源さんの「うちで踊ろう」へのコラボ動画と言い、やることなすこと国民からの批判の砲火を浴びる安倍首相。「KYの極み 似たもの夫婦かな」と朝日の川柳欄。国民との生活感情の乖離が甚だしいということ。このような夫婦を国のリーダーとその夫人にもった日本国民の不幸はどこまで続くのだろうか。続けさせているのは私たち国民の責任でもあると思うが。
 しかし、昌子さんが3月27日に始めた「change.org」のキャンペーンサイトを使った署名の賛同者の多さと拡大の速さには驚かされた。このサイト史上最速で最多の署名となっているとのことだ。署名活動を開始した当初、どの位の人が賛同してくれるのかドキドキしていたという昌子さんだが、この多くの賛同者と励ましや共感のコメントに「主人が無くなってから初めて幸せを感じた」と言っている。
 私もこのキャンペーンに参加して署名をして微力を加えさせてもらった。これは一公務員の自死の話でも一夫婦の悲劇でもない。昌子さんは純粋に夫が何故自死しなければならなかったのかその真相を知りたいという思いから今回の勇気ある行動に踏み出されているが、国家的犯罪を犯しながらも、何の罪にも問われず、むしろ栄転して現政権にしがみついている人たちとその大本である現政権に当然の償いをしてもらう日本国民の責任と名誉をかけた闘いであると思う。決して昌子さんを孤立させてはならず、コロナ「国難」でかき消そうとしている政権の思惑通りにさせてはならない。先ずは皆で署名に賛同しよう。昌子さんと共に最後まで真実を追求し一日も早く国民を騙し、国民と国家の上に自分を置いている安倍政権を終わらせよう!


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