研究誌 「アジア新時代と日本」

第201号 2020/3/10



■ ■ 目 次 ■ ■

編集部より

主張 今、「国」が求められている

議論 高まる維新の危険性、それと如何に闘うか

対話 分断と孤立の解決策は

寄稿 2020年2月 フィリッピン訪問記

時評 アベ全権委任法絶対反対!




 

編集部より

小川淳


 米軍駐留経費交渉を好機に!
 米軍駐留経費の負担額を定める「防衛費分担特別協定(SMA)の更新をめぐり、米国と韓国が昨年から激しい交渉を続けている。トランプ大統領の昨年2月の発言が発端となった。「米国は韓国を防衛し、とてつもない損失を出している。年50億ドルかかるのに、韓国は5億ドルしか出していない」。その後、米国は韓国に約50億ドル(約5238億円)を要求し、韓国はこれを拒否するが、事態は膠着したままだ。
 エスパー国防長官は「あらゆる同盟国による負担の増額は、米国にとって最優先課題だ」とも付け加えている。そう遠くない日に、トランプ政権の矛先は日本に向かうだろう。はたして米国の強硬な要求を安倍政権ははねつけることができるのか、はなはだ疑問だ。
 実際、日本側は米軍駐留費をいくら払っているのだろうか。平成30年の資料によれば、元来日本が払うとされた土地代や基地対策費など「日本の義務的経費」が1974億。加えて1978年に始まった「思いやり予算」(基地従業員手当の一部や米軍住宅費など)が477億円。さらに87年からは米軍の負担義務であった労務費や水光熱費、訓練移転費などを日本が肩代わりする「特別協定」が1603億円。当初は5年間の暫定措置とされた、この特別措置が既に7度も更新され、もはや廃止は不可能とされている。加えて1996年には沖縄の基地再編に伴う移転経費も日本が負担(1679億円)を始めており、駐留経費に占める日本の負担は総額で5733億円に上り、時代を下るごとにどんどん膨らんでいることがわかる。世界の米「同盟国」27か国と比較しても、日本の負担額は韓国の5倍、ドイツの2.8倍で、米軍駐留経費の75%を負担している日本の突出ぶりは異様なほどだ。
 日本側の駐留経費負担はこれで終わらない。沖縄普天間基地移転に伴う辺野古基地建設費は、防衛庁の試算でさえ、当初の3倍、9000億円まで膨れ上がった。ところが沖縄県の試算では、工期が15年、2・5兆円とされる。おそらく、工事を始めてみないといくら費用がかかるのか分からないのではないか。途方もない米軍駐留への負担、税金の無駄使いが、沖縄県民の民意と自然を踏みにじりながら始まっている。
 米国トランプが日本の駐留経費を見直すというのであれば、すべての米軍基地をテーブルに乗せ、東アジアの安全保障に必要なものを検証し、不要な基地の削減と負担の軽減、地位協定の改定に踏み込むべきで、その「好機」とすべきだろう。そして沖縄辺野古の基地建設中止も視野に、強い意志で交渉に臨む必要がある。冷戦終了後さえも米軍基地検証は一度もなされてこなかったからなおさらだ。安倍政権が米国の要求に諾々と応じることは目に見えていて、安倍首相がトランプとの交渉のテーブルに着く、その悪夢だけはご免こうむりたい。



主張

今、「国」が求められている

編集部


 今度の「新型コロナウイルス禍」は、私たちに大きな問題を提起してくれているように思う。それは、今の日本に「国」がないということだ。

■問題は「国」がないことだ
 中国、武漢発の新型コロナウイルス感染は、今、予想を超える速度で日本全国に広がり、「国難」とも言える様相を呈してきている。そこには、国民の命と安全を守るという「国」として当然果たすべき役割というか、働きがほとんど見えてこない。
 「コロナ」への感染を当然想定すべき外国人や輸入品などに対する入国規制がほとんどなされないまま、ウイルスの国内侵入が放置されたし、感染の有無の検査や感染者の隔離など、感染の広がりを最小限に「水際」で抑えるための戦略的な方策、措置、そしてそれへの十分な費用の投入が驚くほどなされていない。
 さらに感染の市中化、全国化が抑えられなくなった時点での対応が、首相自身による全国一斉の小中高臨時休校要請、それへの猛反発を受けての「全国一斉」の取り下げ、そして医療現場をはじめ至る所から起こる物不足の悲鳴、等々、やることなすことすべてが、場当たり的で、朝令暮改、「国」としての体をなしていない。
 だが、「国」がないのは、何もこの「コロナ禍」に始まったことではないと思う。これまでも、少なからぬ問題において、ごく一般的に見られることになっていたのではないだろうか。
 例えば、この間よく言われる「生きづらい社会」一つ取ってみてもそうだ。その根底には、「国」がないということがあるのではないか。「生きづらさ」の主な要因になっている「格差と貧困」「自己責任」が「小さな政府」など、「国」の役割を否定した新自由主義、グローバリズムから来ているのは、もはや一つの常識になっているのではないだろうか。
 さらに、これまたよく言われる「失われた30年」はどうだろうか。経済のこの長期停滞の要因についてはいろいろ言われている。バブルの崩壊、そしてそれに気づくのがあまりにも遅れたこと。産業のあり方の世界的転換、先端科学技術化に対応できず、米中に完全に後れを取ってしまったこと。さらには、日本経済の極度の構造的不均衡とそれによる経済循環の滞り。これらすべてに共通し、その根元にあるもの、それも、「国」がないということである。米国に言われるまま、市場任せで、「国」が経済をつくるという観点自体が決定的に欠落しているということだ。
 経済だけではない。軍事や外交でも、「国」がない。米軍の指揮の下、米国の「利益線」を守るための補助力量としての軍事。米国の「価値観外交」の先兵になり、その陰に隠れながら、東北アジアの地殻変動にあっては、完全に蚊帳の外に終始した外交。「国」がないのは、今、日本のあらゆる領域、部門に渡って、問題になっているのではないだろうか。

■どこに行った?安倍政権の「強い国」
 「国」と言えば、これまで安倍自民党政権の専売特許であり、「強い国」は、その旗印だったはずだ。だが、この間、「新型肺炎禍」への対応は、どうしたことか。国民の命と安全のための周到かつ万全な国を挙げた対応とはとても言えないものになっている。
 初動での誤りから大変な事態を引き起こした中国が、医学医療はもちろん、最先端科学技術から建築、食料、軍隊まで、文字通り「国」の総力を挙げて、「新型肺炎禍」からの脱却に取り組み、目に見える成果を上げてきていること、韓国が、感染者の検査に日本の百倍の資金を投入し、収束の見えない感染の拡大を隠さず公表しながら、大統領をはじめ政権機関要員が総出で全国民的な「コロナ禍」克服の運動の先頭に立っている様などを見た時、どう見ても、日本の取り組みには、そうした「国」としての姿が見えてこない。
 なぜこんなことになっているのか。それは、一言で言って、同じ「国」でも、「国」が違うからではないかと思う。安倍政権が想定する「国」は、どこから見ても、「新型コロナ禍」で求められた「国」とは異なっている。
 そこで提起したいのは、「国」には大きく分けて二つあるのではないかということだ。一つは、「国民のための国」、もう一つは、「支配のため、覇権のための国」だ。安倍政権が目指す「国」は、明らかに前者ではないと思う。それは、今回の事態の進展を見るまでもないのではないか。
 「国民のため」でないのに、なぜ安倍政権は、二言目には「国」を叫び、「強い国」を目指すのだろうか。それが「支配のため、覇権のため」であるのは、「改憲」や秘密保護法、安保法制などの成立に向けた彼らのなりふり構わぬ執心ぶりに端的に示されていると思う。
 それは、何も安倍政権だけでない。戦後、歴代自民党政権が米覇権の下、アジアの共産主義化に対する防波堤、朝鮮戦争、ベトナム戦争など、米国によるアジア侵略の前線基地として自身を立て直しながら、その下で自分自身、アジアへの覇権を狙ってきた産物だ。
 この米覇権のため、その下で、日本国民に対する支配、アジアへの覇権を行ってきた日本という「国」は、本当の意味での「国」とは言えないのではないかと思う。今回の「新型コロナ禍」は、図らずも、その本質を露呈して見せてくれたと言うことができるのではないだろうか。

■国民のための真の「国」が生まれる時代
 今日、「自国第一主義」の旗を掲げ、国民主体に展開される新しい政治が、大きな潮流をなし、世界的な趨勢となっている。
 大手メディアなどは、世界的範囲で繰り広げられる、数年来のこの運動を相変わらず「極右ポピュリズム」と呼び、危険視し続けている。
 だがここで考えたいのは、自国第一に押し出された「国」が「国民のための国」なのか「支配のため、覇権のための国」なのかという問題だ。
もちろん、運動の中には後者を志向する者もあるだろう。しかし、圧倒的多数が前者を志向しているのも事実ではないだろうか。
 今日、自らの「国」を持てない辛さは、何も全世界数千万の難民、移民だけのものではない。「アメリカ・ファースト」のトランプを選んだ米国民のものであり、EUに反対し、「自国第一」の反乱を起こす欧州諸国民、世界中至る所に広がる暴動の主体たち皆のものだ。そしてそれは、「生きづらさ」に苦しみ、「失われた30年」に直面するわれわれ日本国民のものでもあるに違いない。
 その辛さの中から生まれる「自国第一主義」。それが「支配や覇権のための国」ではなく「国民のための国」に向かうようになるのは、目に見えている。実際、自国第一主義の集会などでも、「極右」勢力は、その片隅を占めているだけだという。
 時代は、ファシズムが登場した1920年代ではない。あれから百年、時代は変わった。今は、新しい覇権への転換期ではなく覇権の最終的終焉期だ。「国」への要求が「支配のため、覇権のため」ではなく、「国民のため」のものになるのは歴史の必然ではないだろうか。

■「国民第一」「国民主体」の真の「国」を!
 「国」が「国民のための国」になるということは、当然のことながら、「国」の政治が国民のためのものになるということだ。
 そのために何より重要なのは、「国民第一」だろう。国民を第一にするという基準があってこそ、政治は、真に国民のためのものになる。
 もう一つ、国民を第一にする政治を誰がするかが重要だ。すなわち、政治の主体を誰にするかという問題だ。それは、はっきりしている。国民第一の政治を他の誰かに任せるわけには行かない。国民主体の政治のみが国民第一を実現できる。
 「国民第一」「国民主体」をもっとも基本的な政治の特徴にした上で、「国民のための国」が日本の未来を切り開いていくためには、国のあらゆる領域に渡って、政治をする上での発想の転換が重要ではないかと思う。これまでの古い政治とはまったく異なる発想への転換だ。
 もちろん、こうした転換は永続的に続けていかなければならない。しかし、何ごとでも最初が肝心だ。発想の転換の最初をどう切り開くかだ。
例えば、経済ならどうなるか。これまで、米国主体、大企業主体に、米国の手の平の上、「神の見えざる手」にすべてを委ねて、「失われた30年」を生み出してしまった経済から、日本主体、国民主体に「国の経済」を皆でつくっていく経済への転換、そういう発想の転換だ。
 もちろん、それは試行錯誤の連続になるだろう。だが、そういうところにこそ、日本の未来の開拓があり得るのも事実ではないだろうか。



議論

高まる維新の危険性、それと如何に闘うか

永沼 博


 「大阪維新の会 セカンドステージへ」。その「マニフェスト1」は、「副首都"大阪"の確立」。そして大阪に首都機能の一部を持たせ二極化を実現した後、日本を多極分散型国家にし、それを支える地方自治制度として道州制をめざすとする。
昨年4月の統一地方選と7月の参院選で「圧勝」した勢いで今年秋にも「大阪都」を実現し、彼らの「地方から国を変える」戦略が新たな段階に至ったということだ。
 一方、日本維新の会は、第一に「統治機構改革」を含む改憲を提起。道州制にするためには改憲が必要であり、自民がそれに賛同すれば9条改憲にも賛成するとする。日本を「米国と共に戦争する国」にすると同時に、地方から「米国と融合一体化した日本に変える」とする維新の狙いが透けて見える。極めて危険な段階に至った維新。これとどう闘うのかが問われている。
 この闘いは「民営化」との闘いになる。元々、自治体が持つ運営権を売却するという「コンセッション方式」なるものを考案したのはゴールドマンサックスなど米国金融であり、それは米国覇権の道具であった。それ故、「民営化」こそが「日米融合一体化」戦略の核であり、どうしても実現しなくてはならない維新の使命なのだ。
 かくて、大阪維新マニフェストのネット画面トップには「改革の継続」として、公務員改革、財政改革と共に「経営形態の変更」を掲げ、「地下鉄、バス、水道、下水道の民営化」、「病院、港湾、各種研究所、消防事業、大学の統合」、「ゴミ処理事業、市営住宅管理、中央卸し市場への民間活力導入」が並ぶ。IR誘致もラスベガス・サンなどに運営を委ねる一種の「民営化」。
 この「民営化」とどう闘うのか。問われるべきは、「民間企業(米系外資)に自治体の諸行政の運営権を売却する」ということが許されるのか、それで一体、自治はどうなるのかということにある。
元々、日本の現行自治には問題がある。その基本は、「自治の主体は誰か」であり、「自治の主体は地方公共団体なのか地域住民なのか」として以前から 論議されてきたもの。現自治法は地方公共団体主体の立場であり、地方公共団体(役所、役人)が主体、住民はその対象にされている。
 この地方公共団体を企業が運営するということになれば、「自治の主体は企業」となり、住民は企業(外資)に管理・支配される存在となる。
維新が道州制実現のために「統治機構改革」をうたい、「それを支える地方自治制度」というのは、外資による国民・住民管理のためであり、日本の自治を抹殺する自治ならぬ「自治制度」なのだ。
 これまで、橋下・維新は「古い自治」が不可避的に生む利権構造を敵にして勝てるケンカを仕組んで(ケンカ民主主義)人気を得てきた。しかし、自治を否定する「民営化」は、それ以上に酷い。
IR誘致に反対する横浜市民が「横浜を賭博場にするな」として「地域のことは地域住民が決める」との声を上げ「この考えが広まってほしい」と言っていたが、それが民意なのであれば、これこそが「民営化」と闘う武器になるということだ。
 水道なども、同様であるが、そこでは「我々の水を水メジャーに売り渡すのか」ということが問われると同時に、「そんなやり方はもう古い」という観点も重要だろう。今や電力でも小規模発電をIT技術で結ぶグリッド送電(賢い送電)の時代。水が豊富な日本では市町村や集落での小規模水道を賢く作った方が効率的なのだ。水もそうだが、地域は「宝」(地場産業、特産物、観光資源)の山。それをもっての地域振興が各地で取り組まれているが、その成功例は住民が主体になっての「自力更生」。
 自治を否定する「民営化」はこれを敵視し圧殺する。コンセッション方式導入をうたう「中枢都市連携構想」を打ち出した政府は、「今後、これまでの地域振興策にはカネを出さない」と明言しており、この構想の見本とも言える大阪都構想を打ち出す維新も同じ対応をする。かくて大阪府下の基礎自治体の地域振興努力は見捨てられる。
 住民主体の「自治」をもって、住民を管理の対象とする「民営化」と闘う。その中で条例制定権、住民投票権を活用し、ネットを使うなどして「新しい自治」を作っていく。そうした闘いが問われていると思う。


 
対話 〜「分断と孤立」問題についての対話〜

「分断と孤立」の解決策は?

東屋 浩


A:立憲民主党の党大会(立憲フェス2020)で、枝野さんは、「分断と孤立から来る閉塞感が蔓延している」と述べ、「つながりの連鎖こそ分断と孤立を克服する唯一の道だ」と強調しましたね。野党共闘では立憲民主党が要であり、頑張ってほしいものです。
B:野党が集まって何ができるのですか。元の民主党にもどるだけではないの。
A:だから、寄せ集めの民主党ではなく、見解を明確にした立憲民主党にしていくために、今回の理念の発表があったのだと思うよ。
B:それで、「分断と孤立」というのは、具体的にどういう意味で言っているのですか? それが今、一番の問題なの?
A:枝野さんは、「分断と孤立」の具体的例として高い賃金と安定した職場を求める若い非正規労働者、収入が少なく結婚や出産を考えられない女性、ロスジェネ世代の孤立、自分の家が欲しいがもてない高齢者を挙げていますよ。「分断と孤立」は人とのつながりの中で生きている人間にとって大きな問題ですからね。
 その「分断と孤立」を解決するため「つながり」をキーワードとし、その内容として@支え合う安心、A豊かさの分かち合い、B責任ある充実した政府を取り戻すことだとしています。支え合う、分かち合いというのも、「つながり」を意識しているようです。
B:どうして「分断と孤立」が生まれると思うのですか。「分断と孤立」の原因は何でしょう。
A:原因について枝野さんは何も言っていないようですが、やはり人々が「格差と貧困」にあえでいるからではないでしょうか。枝野さんが示した具体例は、そのまま「格差と貧困」の例にもなります。だから枝野さんが言っているのは、「格差と貧困」を解消する問題だとも言えますね。
B:「格差と貧困」が「分断と孤立」の原因だとすれば、その「格差と貧困」はどうして拡大していくようになったのですか。
A:それは、アメリカと財界優先の国の政治のためでしょう。アメリカの戦闘機を購入し、企業と富裕層の税金を軽減し、消費税を増やし、非正規雇用を大々的に増やしてきたため、勤労者の所得が減り続け、中小零細企業も含め大多数の国民の生活が苦しくなり、地方・地域が消滅するなど、格差と貧困が拡大したと言えますね。
B:だとしたら、「分断と孤立」の解決は、国の政治を変え「格差と貧困」を解消していくことから始めるしかないのでは。枝野さんの言う「つながり」で解決できるのですか。
 「支え合う」「豊かさを分かち合う」と言っても抽象的な「道徳論」のような気もするし、国がいわゆる適切な再分配政策をとるしかないと思いますよ。
A:やはり、国がやるしかないのかな。その辺は枝野さんも理解していることじゃないかな。だから、「責任ある充実した政府」と言っています。
B:しかし、情報公開とか国民に寄り添うとか言っていますが、具体的な政策を明確に打ち出していないのでは。「格差と貧困」を拡大させてきた安倍政権の政策を抜本的に変えることが必要ではありませんか。
A:枝野さんはボトムアップと言って、今は国民大衆から意見を積み上げていくやりかたではないですか。
B:もちろん国民大衆から現場の声を汲み上げていくということは大切なことだと思います。重要なのは、その声を国の政策として国民の声を反映させることではないでしょうか。
 「桜」やモリカケなど安倍首相の国の私物化を批判するのは悪くはないけれど、枝野さんは国の政策を具体的に提案していないから、安倍政権を延命させてきたのではと思うよ。それゆえ、国をどうするのか、国民がどういう国の政策を要求しているのかを機軸に論議していくべきではないでしょうか。
A:「分断と孤立」は、国の政策を抜本的に変え、「格差と貧困」を解消することを通じ解決できるということですかね。だから、「分断と孤立」も国がキーワードと言うのですね。



寄稿

2020年2月フィリピン訪問記

文責:伊藤早苗


 リラ・ピリピーナ(日本の戦時性奴隷制の犠牲となったフィリピン人・元「慰安婦」の尊厳回復に取り組む組織)の代表を務めるシャロン・カブサオ(Sharon Cabusao)さんへのインタビューに基づいてフィリピン社会の現状を報告し、皆さまと共有させて下さい。
 毎年2月のフィリピンは気候もさほど暑くはなく日中の最高気温も30度ぐらいなので、真冬の日本からいきなり真夏の国へ飛んでも体調は楽ですが、今年は例年になく涼しさを感じました。1月11日にマニラ空港近くにあるタール火山の噴火が影響して気候に変化が起きたのでしょうか。
 出発直前には一人の被害者(ロラ)が逝去する出来ごとがありました。また、新型コロナウイルス感染が広がり始めた時期でしたから、人為的テロや犯罪を案じるより、自然災害の余分な心配ごとを抱えての出発となりました。
 2月初めにドゥテルテ大統領はいち早く中国からの飛行機での入国を封鎖しました。これが後に功を奏しているのか?検査体制が不十分なので感染者数を隠しているのか?正しくはわかりませんが、フィリピンでの感染者数は今もさほど増えていません。中国からの入国を拒否したので、出国時も入国時も空港はすでに中国人の方々は少なかったです。日本政府も早期に一時一斉入国拒否をしていれば、今日的な大騒ぎにはなっていないでしょうに。
 前置きが長くなりましたが、フィリピンでは2019年11月からドゥテルテ政権が、リベラル的NGO団体(特にマルコス政権時代の市民革命に参加した組織)の事務所に対する『テロ組織である』というレッテル貼りと当局による実際の事務所弾圧をおこなってきた為、フィリピン国の人権状況が極めて困難となりました。この弾圧で老いも若きも多くの活動家の間で恐怖が広がりました。またこの期間に政府が二つの『覚え書き』を発行し、テロ資金を供給しているのではないかと非難してNGOの事務所捜査を提示しました。これは『魔女狩り』に相当するものであり、同様に恐怖の風土とリラ・ピリピーナを含む多くの組織の運営に困難を今ももたらしています。
 実際に、ガブリエラ女性団体、カラパタン人権同盟、フィリピン農村宣教師の3つの組織に対して政府による『覚え書き』が発行されました。それにも関わらず、ガブリエラ女性団体の組織下にあるリラ・ピリピーナは毅然と闘いました。スタッフとオフィスの両方の安全対策の導入に費やされた時間とエネルギーは実際の活動に大きな支障をきたしました。この弾圧期間中にできた活動は、マカティ大学で行われた一つのフォーラムのみでした。シャロンさん自身は今も恐怖に怯えながらロラたちの活動をコーディネートしています。ドゥテルテ政権は前もって戒厳を知らせないで突然襲って来るから質が悪いと恐怖に怯えています。
 日本では言論の自由、表現の自由を逆手にして、国内で関西生コンが今一番当局からの弾圧(不当逮捕)に遭っていると思いますが、フィリピンは市民がマルコス軍事政権を闘って倒し、自国の民主化を市民の手で実現した経験を持っています。日本は残念ながら闘いで勝ち得た民主化ではなく、上から与えられた民主化なので、国民には主体性と言う精神が形成されていないのでしょうか?心がいつも揺れ動いています。関西生コンの闘いの存在は、弾圧に屈すること無く闘い続ける民主的姿勢だと敬意を表します。
 ところで最近ドゥテルテ政権側のほうから、国民が分断をしているのは良くないから和解をしようと握手を求めて来ているそうです。が、それは次期大統領選をにらんでのパフォーマンスだとNGO団体は冷ややかにみているそうです。
 ドゥテルテ大統領は相変わらずアメリカ、日本、中国からの援助金を受け続ける為に、各国を上手に使い分けする政策をとっています。中心都市部は先進国並みに国が成長していることをアピールする『見える化』政策が目に留まりました。一方で、台風被害やタール火山噴火による被害の救援復興には政府は殆ど政策をとらず、市民や教会に救援復興を丸投げだそうです。
 今年もフィリピンへ行き多くの学びが出来ました。今回は、少女時代に、旧日本軍『戦時性奴隷制』の被害に遭い失った尊厳を取り戻す為に人生後半を最期の最期まで闘い続けた、ロラ・フェリシダッド・レイエ

*  *  *

【ロラたちを愛してくださる皆さまへ】
 2020年2月1日にロラ・フェリシダッド・レイエスさん(享年91歳)が人生の幕をおろしました。ここに、ロラ・フェリシダッド・レイエスさんを忍んで、あらためてロラの『証言』を紹介させて頂きます。マスバテ島のミラグロスで生まれ、兄弟姉妹は10人、父親は仕立て屋をしていました。小学生の時、突然教室に日本兵がやってきて、レイエスさんたちにキャンディーをあげる(騙す)と駐屯地に連れ出し、監禁状態で4日間レイプされました。
 レイエスさんは泣き叫び、何も食べることが出来ず、高熱の病気になってしまいました。駐屯地から追い出されたレイエスさんは自力で家に帰り、母親と再会しました。母親に事情を話し、『自殺したい。』と言うと、『やめなさい。神に祈ろう。』と慰めてくれました。
 戦後、汚れた身体になったとの思いから人と交わるのが苦痛になり、小学校を6年生で中退し、マニラに出て縫製の仕事の修行をしました。
 運転手をしていた男性と知り合い、1956年に結婚しました。6人(うち1人はすでに他界)の子どもが生まれましたが、夫は1965年に心臓病で亡くなりました。9歳を頭に以下5人の子どもを抱え、仕立ての仕事をしながら子どもを育てました。
当時、マニラの家は政府の強制立ち退き命令で追い出されたのでアンティーポロに移り住みました。近所に暮らすクリスティナ・アルコベルさん(被害者)の勧めで名乗り出ました。【マキータの会・1999年6月の証言集会より】

*  *  *

 ロラ・フェリシダッド・レイエスさんのご冥福をお祈り申し上げます。
 2月11日に、ロラが暮らしたアンティーポロのご自宅へ通夜に伺うことが出来ました。
 ご自宅にはリラ・ピリピーナの横断幕が張られた場所に棺が置かれていました。人生の後半25年間を、少女時代に奪われた尊厳を取り戻し、戦争責任を認めさせる闘いに、他のロラたちと共に最期の最期まで人生を捧げたロラ・フェリシダッド・レイエスさんに哀悼の念と深い敬意を表したいと思います。
 今後ロラのレガシーはパマナ所属の娘さんと娘さんの子どもが引き継いで行ってくれることが確認出来ました。
 2月12日が葬儀・埋葬式で、リラ・ピリピーナからシャロンさんとエリックさんが参列しました。私は残念ながら12日が帰国のため参列出来ませんでした。
 現在、ご存命のロラは7人になってしまいましたが、リラ・ピリピーナの素晴らしいところは闘いの中心はいつもロラたちで、決して活動家が中心ではありません。そして、そのロラたちのレガシーをパマナ(遺族)が引き継いでいることです。これはレチルダさん(「リラ・ピリピーナ」の事務局長)の指導が良かったからです。
 レチルダさんは自身の運動活動でなく、ロラたちの共同体を育てました。現在、レチルダさんは自身が病と闘っていますが、ロラたちはレチルダさんが戻って来ることを信じています。
 新しいコーディネーターのシャロンさんも引き続きロラたちの組織強化に頑張っています。
 ドゥテルテ政権の強権的政策に怯えながら。何時ロラ・センターに当局が強制捜査に入り込むか怯えながらも。やはり、闘って民主主義を勝ち取った国民はどこか違います。



時評

アベ全権委任法絶対反対!

平 和好


■緊急事態は首相独断だ
 先般、国家権力ドラマ漬けになっているテレビの実態の一端を紹介したが、今我が家のテレビはさらに進化した。朝から晩まで「コロナ」、荒唐無稽なパニック系国家権力ドラマ、あの嫌な独裁者志望者の声と顔の三色だ。1億総ヒステリー化ではないか!?
 確かにコロナウイルスが国内外で流行していてその対策が必要なのは事実だ。しかし、それが1「野党は何もしないで批判だけ(現にわが家族様やその母上まで言い出した)」2「コロナがこわいから国の緊急措置も仕方ない」3「中韓入国禁止は当然」など変な方向に明らかに誘導されている。

1 何の権限も持たされていない野党に政策実行を求めるのは根本的間違いだ。また予算案にコロナ予算を1円も計上せず、カジノ博打推進とマイナンバー押し付けに5千億も計上する政府の感覚こそ異常である。補正予算で出すといっても部分的でしかなく、中国・米国のひとつ下の桁しか出さないのが安倍政府である。

2 医学的知見でなく、首相の独断で強行する緊急事態法・宣言がどんなに恐ろしいか、明らかだ。3 インフルエンザで1万人以上の死者が出ている上にコロナも流行りだしたアメリカや、コロナ流行爆発的なイタリアからの渡航制限は全く考慮もしていない。欧米にはヘコヘコ、中韓には強権とは、ヘイトと言わずして何と捉えたら良いのか?

■伝染病大国日本
 政府が歴史的緊急事態と言い出した。歴史的だって?! ここに岩波近代日本総合年表から抜粋したわが国の疫病史を紹介しよう。安倍首相が熱愛してやまない祖父岸信介は明治生まれ。その明治12年コレラ16万人罹患・10万人死亡、15年コレラ罹患者不明・3万人死亡、18年コレラ罹患1万3千人・9千人死亡、赤痢罹患4万7千人・1万人死亡、腸チフス2万7千人罹患・6千人死亡、19年コレラ15万人罹患・10万8千人死亡、20年天然痘1万8千人死亡、腸チフス1万3千人死亡、主な、そして記録に現れているだけでこの膨大な「歴史的緊急事態」が起こっており、もちろんこれ以降も近代日本で疫病が続いたことがうかがえる。薬が開発されるのは欧米でも日本でも二十世紀に入ってからだし、一般庶民が高価な特効薬を入手できるようになるのは何十年もあとだ。ましてや日本は明治から百年の間、中国・朝鮮をはじめ、アジアに戦争を仕掛け、病院・水道などのインフラを破壊しまくったから、アジアの疫病犠牲はこの何百倍と予想できる。

■恐ろしい前例は一杯ある
 安倍首相が理想とする祖父の時代にもろもろの「緊急事態」法が作られたがそれは感染予防ではなく、人民への弾圧とアジア諸国への虐殺に使われた。そういう時代に戻したい首相が作ろうとする新しい法律(宣言)を恐ろしいと思うのが普通だ。
 昨年私が訪れたポーランドでアウシュビッツを見学したが、ひどいものだった。収容所に入れられ、殺されたのはユダヤ人だけではない。ヒトラー総統が快く思わない人たちすべてが「緊急事態・全権委任法」により送り込まれ、虐殺された。ソ連軍がドイツ軍を追い払い、収容所を解放するわずか75年前まで、その暴虐は続いた。安倍政府に異議を唱える人が刑務所や収容所に入れられるのを防ぐには、今、反対の声を上げるしかない。


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