研究誌 「アジア新時代と日本」

第200号 2020/2/10



■ ■ 目 次 ■ ■

編集部より

主張 政権交代の鍵、本物の新しい政治

議論 「抑止力」防衛からの発想転換の時代!

議論 日韓関係改善のために

随想 私が首相なら?!

文化 映画「パラサイト 半地下の家族」を見て




 

編集部より

小川淳


 登録ヘルパーが国を提訴
 「訪問介護職のヘルパーが不安定な労働環境の責任を問い国を提訴」という記事(朝日2/13)には驚いた。提訴したのは60代の現役登録ヘルパー3人であったこと、相手が事業所でなく「国」であったことだ。
 キャンセルや待機待ちなどの賃金未払分や精神的損害として、一人330万円の損害賠償を「国」に求めている。介護保険制度の仕組みは複雑で初めて利用する人はたいがい戸惑う。介護保険の重視する在宅系サービスの中心が「訪問介護」であり、その業務を担っているのが訪問ヘルパーだ。利用者の自宅を訪れ、食事や掃除、入浴などのケアを行う。登録ヘルパーは、総数約43万人(平成28年)の訪問ヘルパーの内、7割を占める。登録ヘルパーは固定給ではなく、日に数件、決められた時間だけ利用者宅を訪問してサービスを行うが、キャンセルも多く、賃金は訪問時間で支払われる。移動時間や待機時間は完全な無給であり、この収入だけではまず生活が成り立たない。
 私が働いていた事業所の登録さんもほとんどが65歳以上で、足らない年金を埋めるために働く人が多かった。訪問介護は実質、高齢な登録ヘルパーが支えていると言って過言でない。問題は低賃金にとどまらない。一度、仕事に入ると、独居老人が多く、おむつ交換や食事、買い物など、ヘルパーなしに毎日の生活は成り立たず、祭日も年末年始も休めないことだ。雨の日も酷暑の中も一日中、訪問に走り回る重労働でもある。
 安倍首相は「全世代型社会保障」実現を2020年の「最大のチャレンジ」と位置づけている。昨年末の中間報告は、75歳以上が医療機関の窓口で支払う自己負担割合を原則1割から2割へ、70歳まで働ける就業機会確保の努力義務、公的年金の受給開始年齢を75歳に引き上げ、など提案しているが、これではまるで「全世代自己責任型社会保障」と言ったほうが良い。土台である高齢化社会を支える「担い手」をどう確保するのか、まずはヘルパーの処遇改善なしに、持続型社会法制度への転換もないのではないか。
 「ホームヘルパーの現実をこの裁判で明らかにしたい」。原告の一人は法廷でそう訴えている。これから日本は超高齢化社会を迎える。登録ヘルパーはその屋台骨を支える土台だ。ヘルパーの社会的地位を改善していく。それなしに介護保険制度は成り立たない。裁判所はこのヘルパーの切実な声をどこまで真摯に受け止めるのか、注目したい。
 さて、この2月号で、本誌は創刊から200号を迎える。私たちはこの研究誌が200号も続いたことを誇りに思いながら、読者の方々に心から感謝したい。読者の方々の支援があればこそだからだ。まだまだ本当に読者に役に立つ研究誌になっていないことも事実。面白く、役に立つ研究誌に、「アジア新時代は変わったな」と言われるような転換の年にしたいと思う。



主張

政権交代の鍵、本物の新しい政治

編集部


 権力の私物化、「疑惑満載国会」。政権の腐敗もここに極まったという感じだ。安倍長期政権にあって、常套句、「権力は腐敗する」が言われ、それを根拠に、政権交代が提起されてきている。
 だが、盛り上がりはもう一つだ。逆に、政権の側から「解散総選挙」の脅しがかけられている。
 この転倒した状況を打破し、政権交代を本当に実現していくための鍵はどこにあるのだろうか。

■政権交代、米国主体から国民主体へ
 政権交代が言われる時、その主体と目されるのは、普通、野党だ。それに、最近では、自民党内首班候補が主体にされる場合も多い。彼らに政権交代をする意思と力があるや否やが問題にされている。そこで思うのは、政権交代をするか否かを決めるのは、そもそも彼らなのかということだ。
決めるのは国民なのではないのか。国民が要求してこその政権交代であり、それに応えるのが彼らなのではないのか。
 特に今は、国民大衆が政治を動かす「新しい政治」の時代になってきている。国民第一、国民主体、代議制から直接民主制へ。それが今や世界政治の基本趨勢だと言うことができる。EU離脱や地方地域の分離独立など、国政、地方政治の基本問題が国民投票、住民投票に委ねられ、国民、住民の大デモンストレーションが問題の決定を大きく左右するようになってきている。その国民大衆を差し置いて、政権交代を云々すること自体おかしいのではないだろうか。
 一方、政権交代の対象はどうか。
これまで日本政治にあって政権交代は、当然のことながら、与党である自民党政権を対象に追求されてきた。また、自民党内にあっては、執権派閥が他派閥によって対象にされてきた。
 今日、野党がその体たらく、ふがいなさを揶揄される中にあって、政権交代の対象は、「自民党政権」と言うより、政権内での首のすげ替え、「安倍首相個人」になってきている感さえある。
だがその一方、戦後日本政治全体を大きくふり返った時、それが対米追随、従属の政治だったのも事実だと思う。実際、米国言いなりの自民党を介して、日本の政治は、米国主体でやられてきたと言っても決して過言ではない。中でも、今の安倍政治は、そのもっとも悪しき典型だと言えるのではないだろうか。
 だから今日、政権交代と言った時、それは本質上、米国主体から国民主体への政治の転換だと言うことができるのではないかと思う。

■爛熟しきった政権交代への要求
 先述したように、今、政権交代は、国民的要求として切実なものになっているとは言えない。
 安倍政権に対する支持率は、相変わらず50%近い高止まりにあり、政党別支持率も、自民党の一強多弱は依然として続いている。
 では、日本国民は、自民党政治に満足し、政権交代など望んでいないのか。そんなことはないと思う。それどころか、要求は熟すに熟し爛熟しているのではないだろうか。
 日本国民の政権交代への要求は、すでに30年近く前から一段と強まってきていると思う。1993年、細川連立政権樹立は、その現れだったと言える。
 以降、「自民党をぶっ壊せ!」の小泉政権、2009年、国民的気運の盛り上がりが生み出した民主党政権、その後も、大阪維新の会の台頭、そして17年、希望の党へと続く、一連の動きは、政治の転換、新しい政治、政権交代を求める国民的要求の現れだったのではないだろうか。
 その結果はどうだったか。要求は実現されたのか。されていないのは、日本の今の現実が示している。
 にもかかわらず、今なぜ、政権交代への要求は低調なのか。それは、一言で言って、展望がないからだと思う。すなわち、政権交代によって開ける日本の明るい未来がまったく見えてこないと言うことだ。
 事実、こういう話しがあるそうだ。安倍長期政権実現の最大の要因は、民主党政権のあの惨めな失敗にあり、要因の第二は、野党が自民党政権の「権力維持装置」になっているところにあるということだ。

■本物の新しい政治が求められている
 この30年近くの日本政治を俯瞰してみた時、見えてくるものがある。それは、それまでになかった「新しい政治」が姿を見せた時、その都度、政権交代への国民的期待が高まったという事実だ。 そこにはいつも、人々を魅了する何かがあった。小沢一郎が支えた細川護煕の日本新党、鳩山由紀夫らの民主党、さらには橋下徹の大阪維新の会、小池百合子の希望の党。そして今、山本太郎のれいわ新選組への期待が生まれてきている。
 彼らに共通していたのは、これまでの古い政治の殻を打ち破り、新しい政治を創造する、そうした予感と展望を抱かせる大衆政治家、政治勢力としての魅力だったのではないだろうか。
 だが、そうした予感も期待もことごとく裏切られてきた。それがこれまで30年ほどの日本政治小史だったと言えるのではないかと思う。
 そこで問われるべきは、なぜ期待が裏切られるようになったのかだ。
 それについて考える時、まず第一にその典型として挙げられるのは、政権交代史上最大の期待の裏切りであり、いまだに安倍長期政権を可能にする第一の要因となっている、民主党政権の失敗ではないだろうか。
 あの時、鳩山・民主党政権は、自民党政治からの転換を図ろうとしていた。その最難関が沖縄・普天間基地の移設問題だった。その決定的な闘いで彼らは失敗した。なぜ失敗したのか。その根本要因は、この政権が政権交代の本質をふまえていなかったところにあるのではないかと思う。すなわち、日本の政権交代が、その本質において、米国主体から国民主体への政治の転換にあるという認識、いや覚悟がなかったということだ。
 そこには、明らかに米国への幻想があり、同時に国民主体に事を運ぶという観点の弱さがあったと思う。すなわち、基地の海外や県外への移設を無慈悲に拒否してくる米国の出方を見越しながら、この問題について、国民投票、住民投票など、広く日本国民、沖縄の人々に訴え、その圧倒的な民意を背に、そこに依拠して、あくまで米国に譲歩を迫るなどできなかったということだ。
 期待の裏切りで、もう一例挙げるとすれば、それはやはり、希望の党、小池百合子の「選別」「排除」発言だっただろう。あの時、彼女は、合党した民進党の党員すべてを希望の党に受け入れるのではなく、その思想信条によって選別、排除した。希望の党の支持率が一挙に凋落し、政権交代が夢と消えたのはその時からだった。国民大衆が古い政治そのままの「選別」「排除」を許さなかったのだ。「なあんだ、これまでの政治と何も変わらないじゃないか」という巷の声がそれを雄弁に物語っていたと思う。
 求められているのは、新しい政治、それも本物の新しい政治だ。本物の新しい政治を実現する上で、決定的なのは、やはりスローガン、政策だと思う。国民大衆皆が自分の意思、自分の要求として掲げて、政治の主体になることのできるスローガン、政策を打ち出すことが何よりもまず、問われているのではないかと思う。
  これまでの政権交代劇をみていると、これがよくできていなかったのではないかと思う。政権交代の要諦が「大きな固まり」をつくって、「流れ」「勢い」をつくり、国民をその気にさせるところに求められ、「合党」や「連立政権づくり」など、「数合わせ」第一に、スローガン、政策・綱領づくりが二の次にされてきた。
 スローガン、政策づくり第一に、それを政権交代の要諦にする上で、何より心すべきは、「政権交代」から出発し、そのために民意を利用するようなことがあっては絶対にならないということだ。それこそ自分の目的達成のため大衆に迎合する「ポピュリズム」、偽物の「新しい政治」に他ならないと思う。
 民意に徹底して応えること、徹頭徹尾民意から出発し、国民の意思と要求の真髄をそのままスローガン化、政策化して打ち出すこと。そこからのみ、国民大衆が真に政治の主体、政権交代の主体になることのできるスローガン、政策が出てくるのではないだろうか。
 今、「れいわ」の山本太郎が全国を回って対話集会をし、それをSNSで広く公開している。国民主体の本物の新しい政治は、こういうところから生まれ、まさにそうしたところにこそ、政権交代の鍵があるのではないだろうか。



議論

「抑止力」防衛からの発想転換の時代!

吉田寅次


■クセ球、「同盟の進化・日米"守り合う"時」
 日米安保改訂60周年に当たり読売新聞が「日米"守り合う"時代」というテーマで「第一部 同盟の進化」を8回にわたり連載した。
 60年前の「日米安保改訂」では米軍の「対日防衛義務」が明記された。今日の「同盟の進化」の訴えは、「日米安保の現状は不平等」とのトランプ発言に象徴される「相互の防衛義務がない」、「米軍が攻撃を受けるのを日本人はソニーのTVで見ているだけ」、そんな「不平等」な「現日米安保を改訂せよ」ということだ。
 「矛」の米軍に攻撃を任せて「盾」の自衛隊は攻撃に参加せずという「不平等」をなくすこと、憲法9条・専守防衛の縛りを脱して自衛隊が米軍と共に攻撃も担える「矛」になること、これを義務化する「日米安保改訂」、それが今日の「同盟の進化・日米"守り合う"時代」の意味だ。
 この「同盟の進化」要求は、相手国への攻撃を禁じた9条を改憲せよという米国の「クセ球」だ。

■「抑止力」防衛からの発想の転換
 「同盟の進化」を盾にとった米国発のこの「9条改憲」との闘いで問われていることは何か?
 周知のように「米軍が日本を守る」・日米同盟を70%の国民が「評価」している。共産党以外の護憲リベラルの野党もこれ自体に反対はない。だから「同盟の進化・日米"守り合う"時代」に即して自衛隊が「盾」から「矛」へ進化すべきという米国の「クセ球」、日米同盟の要求からくる「9条改憲」を拒むのは簡単ではないと思う。
 日米同盟・「米軍が日本を守る」が受け入れられるのは、「抑止力なくして日本は守れない」が「防衛の常識」とされているからだ。
 「抑止力」とは、「相手の攻撃を拒否し報復する意思と能力を相手に認識させることによって、攻撃を思いとどまらせること」と規定されている。
 憲法9条の自衛隊は相手国攻撃能力を持たない、だから「日本を守れない」、したがって核を軸とする報復攻撃能力、つまり「抑止力」を持つ米軍にしか「日本を守れない」、だからわが国の防衛は日米安保基軸、これが戦後日本の「常識」とされてきた。護憲野党もこの「常識」に従っている。
 この「常識」に従えば、「同盟の進化」が要求する「自衛隊の"矛"化」に護憲野党も異議は唱えにくい。「違憲のおそれがある」程度の声は上がるが、「ならば米軍撤収だ、自衛隊だけで日本を守れるのか」という脅しには勝てない。結局、「同盟の進化」の要求する9条改憲を拒むのは難しい。
 そこで問われるのは、「日本を守るのは米軍」という「神話」、その核心である「抑止力」防衛という「常識」からの発想の転換を図ることではないだろうか?

■発想の転換、脱覇権時代に問われる防衛とは?
 「報復攻撃の意思と能力を示す」という「抑止力」防衛は、戦争になってもいいのかという恫喝で相手国を屈服させる覇権主義の軍事、黒船で開国を迫った砲艦外交と本質において変わらない。
 「世界の警察官」がもはや通用しなくなった米国の覇権主義軍事の衰退という今日の時代の現実は、今や「抑止力」防衛という考え方自体が時代遅れであることを示している。
 中国に対抗する軍事同盟、日本も加担する米国の「自由で開かれたインド太平洋地域構想」戦略は東南アジア諸国の提唱した「対抗ではなく対話と協力の地域構想」によって痛烈に拒否された。
 「法の支配と市場経済、自由と民主主義」という米国式価値観の共有如何で敵味方を分け、これに反する国を屈服させる「抑止力」強化を図る「対抗」の集団安保、覇権主義的な「噛みつく」安保をアジアは拒否したのだ。
 米国の覇権主義的「抑止力」安保に対し、ARF(東南アジア地域フォーラム)に代表される主権尊重、内政不干渉を原則とするアジアのめざす集団安保、それは地域の多様な各国の価値観、制度を相互に尊重し共存共栄すべく「対話と協力」で解決する安保、「噛みつかない」安保である。
 日米安保基軸・「抑止力」防衛からの発想の転換は、こうした脱覇権という時代の要請でもある。
 この発想の転換としての「相手国への攻撃を禁じた」9条自衛、それは「自国領土領海領空からの撃退」限定の自衛、「自衛」の名による報復攻撃、自衛戦争をも禁じ、その侵略戦争への転化の危険を封じた脱覇権の時代における率先垂範の先進的な防衛路線ではないかと訴えていくべきだと思う。
国民に理解を求める努力が急務だ。


 
議論

日韓関係の改善のために

東屋浩


 友人同士のAさんBさんの会話に耳を傾けて下さい。

A:韓国は日本と隣国なので、仲良くやっていきたいですね。在日外国人や観光客でも韓国人が大きな比重をしめているのに、元徴用工賠償問題をはじめ、旭日旗、慰安婦像、竹島などさまざまな問題でぎくしゃくして、「嫌韓」の雰囲気が強くなっていますね。日韓関係は最悪だと言われています。
B:安倍首相は施政方針の演説で、韓国を「最も重要な隣国」と述べました。昨年の年頭の演説では韓国を無視したのと対照的です。関係の悪化をそのままにしてならないという世論の影響ですかね。
A:ところが、安倍首相は、その理由を「元来、基本的価値と戦略的利益を共有する隣国」だからとしています。隣国と仲良くするのに、「基本的価値と戦略的利益」が同じでなければならないのかな。一体、「基本的価値と戦略的利益」とは何なの?
B:要するに、安倍首相が「価値観外交」と言っているように、いわゆる欧米の価値観(自由と民主主義、市場経済、法の支配など)を基準にして、仲良くする国とそうでない国に分けて対していくことではないかしら。
A:安倍首相は、韓国を「元来」同じ価値観だったと言っていますが、今は違う価値観だと言いたいのかな。
B:そう。今の文在寅政権は南北統一を目指しており、日本に対しては植民地支配の反省を要求している。これまでの政権とはスタンスが違う。だから、安倍首相は、朴正煕や李明博、朴槿恵などの古い保守政権の時の韓国に戻れと言っているのだと思う。
A:だったら、結局、文在寅政権では関係をよくすることができないということなのかな? もうすぐ韓国最高裁の判決の執行で、元徴用工の賠償金で日本企業に支払い命令、ないし資産没収という事態を迎える可能性が大きい。そうなれば、日本との関係はもっと悪化するのでは?
B:それで、元駐韓日本大使武藤氏は、「韓国がレッドチームに入る」、「4月国会議員選挙で左派政権が長期化し、これまでの日米韓同盟が崩壊する」と嘆いています。「レッドチーム」に入るというのは、朝鮮民主主義共和国と一緒になって、中ロとも連携し、日本と対抗してくるという意味のようです。
A:どうも右か左か、その区別でみていますね。朝鮮民族にとって右も左もなく、統一と植民地支配の残滓をなくすことが民族の願いだと言えるのでは。
B:南北融合の動きと植民地支配の一掃は、左か右か、社会主義か資本主義かというイデオロギーを基準として見れば、おそらく理解することができないでしょう。結局、武藤氏の主張は、これまで同様に反共を掲げ、朝鮮民族の分断をそのままにした上で、日米韓が朝鮮との敵対関係を維持すべきだという話にしか聞こえない。「価値観外交」は自分の価値観を強い国が下の国におしつけ、受け入れない国は敵国と見なすという時代遅れの覇権的な考え方ですね。
A:ということは、「価値観外交」が問題ですね。西側の「価値観」を押しつけ、しかも軍国主義的な価値観を改めない。その誤りが、韓国との関係でもっとも表れていますね。
B:現在、右か左かでなく、まず自分の国と民族が第一の時代だといえます。世界各地でアメリカの世界支配のための「普遍的価値観」が捨てられ、南北朝鮮も民族統一をめざして動いていることがそのことを示しています。それを「レッドチーム」とかなんとか言ってブレーキをかけようとすれば、かえって日本が孤立するだけでしょう。
A:では、日本としてどうすれば良いのでしょう。
B:自分の価値観を押しつける「価値観外交」ではなく、まず相手国を尊重することでしょう。それが日本の国益にもかないます。他国の尊厳を認めないということは結局、自国の尊厳を蔑ろにするということだと思います。相手国の見解と利益を尊重していく国であってこそ、自国の尊厳と利益を大切にすることができるはずです。
A:安倍首相は、韓国などにたいし主権がどうのこうの言いながら、アメリカにたいしては言いなりですね。
B:ほんとうの意味で自らの尊厳を守ることができていない人間ほど、自分より下だと思う人間にはもっと露骨に横柄になりますね。
A:そう考えると、今の日本外交は寒々としますね。アメリカに戦闘機を買えと言わられれば黙って購入し、韓国には半導体材料輸出を制限しています。
B:安倍政権は、国内的にも国外的にも末期症状ですね。新しい政治が切実に求められていると言えるのでは。



随想

わたしが首相なら?!

平 和好


■安倍政治 いつまで続く ぬかるみぞ
 安倍首相はろくでもない。結局やりたいのは戦争できる憲法に代えてしまいたいだけだ。史上最低最悪の政権を倒せない原因に思い悩む日々。永年、革新系の運動を続けている事を「理解」しているはずの妻が「安倍さんもがんばってるのでは?代わりもおらんし。」と先日ぽつっと言って、衝撃を受けた。私の不徳の致すところと言うしかない。しかし、人間一つは取り柄があるものだ。首相がその気になれば一杯の事が出来るのを証明してくれた事は評価していいだろう。なにわの維新と共通する。スピード感、「やってる」感の詐欺的演出だ。これを真っ当な形でできない野党に大きな責任がある。

■百家争鳴(懐かしい)百花斉放・・・
 先週、「国会前集会に嵐を呼んだ少女」菱山南帆子さんの講演を聞いた。素晴らしかった。「市民にわかる言葉で、工夫した訴え」「若い人が少ないと嘆くより、運動の多数派である高齢者が命尽きるまでたたかい、次世代に引き継ぐ」「自分の想いを押し付けるより皆が求めている事を察知し、寄り添う」「明るい未来を示す」事が大事。全くその通り。  野党歴が長いのでついつい告発型になってしまうのをここで改革してみよう。話しは具体的でないとダメだ。首相になったつもりで私論を述べたい。

■減税
   第一に、みんな生活が苦しい。あまつさえ消費税10%になってしまった。ごまかしで打ち出したプレミアム商品券(この2月末までしか使えない)やポイント還元や軽減もいつまでも続かないからこれから増税感が押し寄せる。すでに百貨店・スーパーの売り上げ減が報じられている。ここは山本太郎さんが各地で数百から千単位の聴衆に語り掛ける演説のように減税が必要であり、効果的だろう。5%に半減すれば年に1世帯100万円前後の収入増となるから消費が上向く事確実だ。そこで景気浮揚の効果を確かめてから消費税廃止に踏み切れば効果倍増、マレーシアのように明るい未来になる。

■学生ローン
 第二に、若者の生活は大変だ。大学出たらすぐ奨学金返済が始まる。実質は学生ローンなのだ。少しでも遅延が生じたら信用が無くなり、若くして「破産者扱い」。ここに奨学金徳政令を断行しよう。返済免除や利子補給。社会保険加入できる会社への就職と勤続を条件とすれば保険料収入で国は元が取れる。これを明確に打ち出して大学・高校、若者が集まる繁華街へ打って出るべし。「3百万円あげます」の話しだ。

■原発
   第三に、複数のプレートが動く上に乗る日本は大地震が数十年の間に必ず来る。地震動と津波で原発は必ず壊れる。世代、左右の区別なく市民生活が破滅する。防ぐには一日も早い原発廃炉。それを巨大産業として育成し、それで多くの人が食べて行けるようにする。着手は「直ちに」でなければ間に合わない。その技術が実践的に確立すれば海外にも輸出できる。危険で、賠償責任の生ずる原発を輸出する大博打(博打は必ず負ける)と「うえした大違い」ではないか?

■平和経済
 第四に、戦争参加で儲かるのはごく一時だ。反動の不景気が必ず来て軍需産業など吹き飛ぶ。世界一軍需産業が盛んなアメリカが借金だらけ、インフルエンザで何万人死んでも何もできない、保険に入れない人は医者にもかかれないのを見れば一目瞭然。東アジアに平和の風を吹かせていけば、結構優秀な技術と資金力大の日本経済は「バラ色の未来」間違いなしだ。

■結論
 立憲野党の代表さん、こんな明るい未来提示を出来なければ政権交代、野党連合政権は1億年先。いやその前に破滅してしまう事を予言しておきたい。自信がないなら連立政権の首相は思い切って太郎さんに!



文化

映画『パラサイト半地下の家族』を観て

金子恵美子


 2月6日、ずっと観たいと思っていた映画「パラサイト」を鑑賞できた。すでに多くの方がそのあらすじは見聞きしていると思うが、一言で言ったら、貧しさの象徴でもある半地下住宅に暮らす全員無職の金一家が、裕福の象徴である高台の豪邸に住むIT企業社長の朴一家に入り込み寄生=パラサイトしていく中で起こる悲喜劇を描いた映画だ。最初から最後まで気の抜けない疾走感と急転直下の衝撃的な結末。
 鑑賞後のエレベーターの中で若い男女のカップルと一緒になった。男性の方が「良かった?」と聞く。女性の方が「うん」と頷き「でも変な後味」と言う。男性も頷く。まさにそう、変な後味なのだ。笑うに笑えず、身の置き所がないと言うか。心が終始そわそわと落ち着かない観心地だった。
 前評判からは、もっとコメディ色の強い、韓国の格差社会を痛快に描いた作品を想像していた。しかし見終わった後に重いしこりのようなものが心に乗っかったまま。勿論劇中、韓国映画特有のユーモアがあり観客席に笑いも起っていた。だが、それ以上のやりきれなさと切なさが残る。最後は凄惨な事件の発生、姉が死に父が行方不明となり自分と母親は裁判にかけられ、半地下住宅は洪水で水浸しに。水圧の関係で半地下住居の一番上段に鎮座している便器の便座に座り「真面目に働いて金を稼いで、いつかあの高台の豪邸を買って父親を助けだす(実は父親はその地下室に潜んでいる)」という希望を語る半地下一家の長男ギウ。だがその希望が希望として伝わってこない。本当にそんな事実現できるのか?というもやもや感が残りスッキリしないのだ。これが「変な後味」となる所以だと思う。
 しかし、これこそがポン・ジュノ監督が意図したこの映画の狙いであったようだ。
 2月10日(日本時間)、「パラサイト」は韓国映画はもとよりアジア映画として初めてアカデミー賞の作品、監督、脚本、国際長編映画の4部門での受賞という快挙を達成した。これによりポン・ジュノ監督のこの映画に関する様々な発言が紹介されるようになった。その中でこのように語っている。「心の中で複雑にいろんなものが絡み合う、そうした心情になる映画。ストーリーも含め、気持ちが晴れない状態を突き付けられる映画になって欲しい。居心地の悪い感覚を抱いたとしたら、観客にとってそれ自体が意味のあるもの、価値のあるものである、そういう映画になって欲しいと思った」。まさに、私たちは監督の思うつぼにハマったのだ。そこから先、観客は「この居心地の悪さは何なのだろう、この晴れない気持ちはどこから来ているのだろう」という宿題を背負うことになる。勿論強制でもなんでもない。自然とこの問いと向き合わされてしまうのだ。考え続ける人もいれば、そこで止まってしまう人もいるだろう。でも社会の何らかの問題(この場合は「格差」だが)に対して違和感なり、疑問なりを身体的に感じるという事がその社会に生きる人間としての出発的になるのだとしたら「パラサイト」は見事に成功している。
 ポン・ジュノ監督はこのようにも語っている。「映画を作る上で心に刻んでいる言葉はマーティン・スコセッシ監督の<最も個人的な事がもっともクリエイティブだ>という言葉だ。・・・<人間>を掘り下げていくと人間は<個>で生きているわけではないから<人間たち>に拡張される。それは<社会>へと広がっていく。政治的なもの、社会的なものに執着しているわけではないが、映画を撮る上で人間を掘り下げる、えぐることが一番重要だと考えている」と。この映画は半地下に住む金一家と高台の豪邸に住む朴一家(実は更にもう一組の家族の存在があるのだが)しか出てこないと言っても良いくらいの個人的な出来事を描いている。しかし、それは「格差」や「差別」、「受験競争」といった韓国社会の問題に拡張し、ひいては世界を覆う「格差」や「差別」問題にまで意識は行き着く。「ノープランで生きることが一番いい。プランが無ければ期待外れもなく失望もない」という結論を金一家の父親に出させる社会。「いつか金持ちになる」という息子の「プラン」が悲しい幻想にしか思えない社会。なんていう社会だ、なんていう世界だ、このままで良いのだろうか、いい筈はないよなーと身体的に感じさせるポン・ジュノ監督の手腕の見事さ。
 「パラサイト=寄生」ではなく「共生」へのメッセージを込めた作品とも語った監督。しかし、果たして「共生」は可能なのか?そのためには何が必要なのだろか。そもそも「パラサイト」しているのは本当は誰なのか。などなど、さまざまな思いが頭に浮かぶ。これこそがこの映画を観る意味であり価値であるということなのだろうか。

―パラサイト小話―

<韓国半地下住宅事情>
 映画の舞台となった韓国の半地下住宅、映画では格差の象徴として描かれたが、もともとは南北朝鮮の緊張状態が生み出したものだと言う。
 70年代、南北の全面戦争を想定し、国をあげてのインフラ整備が進められ、防空壕として作られたのが半地下室。
 80年代にかけての経済成長で都市部での住宅事情が深刻になり、地下部分の貸し出しが政府により認められるようになった。
 韓国の統計庁によると、2015年に半地下を含む全国の地下住宅の世帯数は、全体の2%にあたる36万世帯。映画の舞台にもなったソウルだとその割合は6%、22万世帯が暮らしている。
 しかし近年は、ただ貧しさの象徴だけでなく学生や若者の入居に加え、その独特なたたずまいを生かしての店舗の活用も増加しているとのことだ。南北朝鮮に和解と融和が進む中、韓国の半地下住宅事情もまた、変化してゆくことだろう。


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