研究誌 「アジア新時代と日本」

第198号 2019/12/10



■ ■ 目 次 ■ ■

編集部より

主張 求められる「アジアの中の日本」

議論 「憲法9条が日米安保を縛る」防衛を考えるとき

随筆 ろくでもない2019年「年の瀬所感」

編集部から 集会報告

資料 最後の一線を越えた…7年間にも及ぶ国と社会に対するテロ




 

編集部より

小川淳


 中村哲さんの死を悼む
アフガニスタン東部のナアハンガル州で、医師の中村哲さんが亡くなった。73歳だった。
 中村さんの講演を聞き、その功績と人柄に大きな感銘を受けてきただけに、残念でならない。パキスタン北西辺境州の州都ペシャワールの病院でハンセン病治療を始めたのが1984年。その後、アフガニスタンへ支援活動を拡げ、山岳部医療過疎地域で貧困層への医療を開始。干ばつが激しくなった2000年からは、アフガニスタンで飲料水や灌漑用井戸事業を始め、農村復興のための大掛かりな水利事業を展開してきた。命の源は水であり、農業の再建にも水は欠かせないと、25キロの用水路を建設し、10万人が暮らせる生活基盤を作った。戦乱と干ばつの荒野でアフガンの人たちとともに掘った井戸は1600本、緑の大地を蘇らせてきた。その不朽の功績から、アジアのノーベル賞とされる「マグサイサイ賞」やアフガニスタン国家勲章と名誉市民権などを受賞されている。
 中村哲さんをつき動かしたものは何か。感銘を受けた二つの言葉を紹介したい。
「農村や下町に行けば、そこには昔と変わらぬ人々の生活がある。そして我々の活動もこれらの人々の涙や笑いと共にある。何世紀も営まれてきた人々の暮らしが、たかだか10年やそこいらのプロジェクトで変わるのもではない。我々の歩みが人々と共にある『氷河の流れ』であることをあえて願うものである。その歩みは静止しているかの如くのろいが、満身に氷雪を蓄え固めて、巨大な山々を削り降ろしていく膨大なエネルギーの塊である。我々はあらゆる立場を超えて存在する人間の良心をかき集めて氷河となし、騒がしく表れては消えていく小川を尻目に、確実に困難を打ち砕き、かつ何かを築いてゆく者でありたいと、心底願っている」。
 「武器など絶対使用しないで平和を具現する。その具体的な形が憲法9条にある。それを現地の人たちもわかってくれる。だから政府側も反政府側も、タリバンだって我々には手を出さない。海外ではこれまで絶対に銃を撃たなかった日本。それがほんとうの日本の強みです」。
 改憲を掲げ9条解釈を捻じ曲げ自衛隊海外派遣を強行する安倍政権と、9条の旗の下でアフガニスタンの荒野を緑に変えてきたペシャワール会と、どちらが真の国際貢献なのか、どちらがアジアの人々から尊敬され感謝されるのか、中村さんは命に代えて示した。中村哲さんの冥福を祈りたいと思う。アジアと共に生きる、決して簡単なことではないが、私たちもまた『氷河の流れ』のような「確実に困難を打ち砕き、何かを築いていく」そのような活動をめざしたいと思う。



主張

求められる「アジアの中の日本」

編集部


 「今の日本で、もっとも切実に求められていることは何か」。そういう問いがあったならば、敢えて、「アジアの内の日本になること」と答えたい。

■今、アジアとの関係が問題だ
 このところ、日本外交で問題になっているは、圧倒的にアジアとの関係だ。最悪の日韓関係、日朝対立、中国との関係悪化、等々、皆、アジアとの関係だ。もちろん、米国との関係も大きい。米国がくしゃみをすれば、日本は風邪を引くという関係は、一層由々しいものになっている。
 しかし、最近特に、アジア、それも東アジアとの関係が比重を増しているのも事実ではないだろうか。もともと日本にとって、アジア、特に東アジアとの関係は深く大きい。
 だが、日朝間の対立はともかく、日韓問題がここまで深刻になったのはこの数十年来なかったのではないか。徴用工問題に始まって、輸出管理規制問題、GSOMIA破棄問題と続く、日韓両国の応酬は、従来あり得なかったものだ。
 一方、日中関係にも大きな変化が見られる。それは単純に日中の力関係の逆転によるものではない。そこには明らかに、米中の力の拮抗、覇権抗争が作用している。

■背景にある時代の転換に逆戻りはない
 アジアと日本の関係のこうした変化、変動の背景には時代の大きな転換がある。
 その転換で、このところ主たる要因になってきた東北アジアの地殻変動、それを主動してきた朝米交渉が今、「合意」か「決裂」か、最後の決着を見る段階に至っている。
 そこで言われているのが、それによる時代の進展か逆戻りか、はたまた停滞か・・・。
 だが、果たしてそうだろうか。この2年近くの事態の進展とそれによる東北アジアの地殻変動は、もはや逆戻り不能なものになっているのではないか。朝中、朝ロの関係、そして何より南北朝鮮の関係は、不可逆的に進行してしまったのではないだろうか。それが日韓関係、韓米関係にも大きな作用をもたらしている。
 朝米交渉が「決裂」しても東北アジアに出現した事態は元に戻らず、進行した地殻変動、時代の転換は、一層促進され、国と国、勢力と勢力との関係性の変動が一段と激しさを増す可能性を秘めているのではないかと思われる。

■アジアとは日本にとって何なのか?
 日本とアジアの今の関係が生まれたのは、130数年前、明治の昔にさかのぼる。その関係は、第二次大戦という未曾有の大事変を経ながらも変わることがなかった。
 その根底にあったのは、アジアに対し、つき合っても益のない「悪友」として向き合い蔑視する観点だったと言える。
 押し寄せる欧米覇権の荒波をアジアとともに押し返そうという志と闘いの挫折、そしてその中から生まれたアジア「悪友」、「脱亜入欧」の観点は、アジアから離れアジアの外に出て、欧米覇権の仲間入りする道へと日本を導いた。
 その後、アジアに欧米を超えるものを見、欧米覇権に抗した「アジア主義」、「近代の超克」にあっても、日本は、アジアの外から内に入ることはなかった。それは、日本をアジアの上、「大東亜共栄圏」の盟主に位置付けたところに端的に顕れていたと言える。
 自らをアジアの上に置き、外からアジアに対する観点は、第二次大戦の後にも継続された。
 なぜそうなったのか。その根因は、あの戦争を米国への敗戦とのみ総括し、アジアへの敗北という現実を直視して、そこに教訓を見出すことができなかったところにあるのではないか。
 米覇権の下、その一部に組み込まれ、アジアの外、その上から、アジアに覇権する「脱亜入米」「イエローヤンキー」の歴史は、そこから出発していると思う。
 今日、台頭するアジア、地殻変動を起こす東北アジアの時代的転換にあって、問われているのは、このアジアに対するあり方そのものの根本的な転換ではないだろうか。
 自らをアジアの内に位置付け、アジアの一員として、アジアを外からでなく内からとらえる時、アジアは日本にとって何になるか。
 それは、「悪友」とか「良友」とかいった存在ではない。良いも悪いもない。それなしには自らの存在自体あり得ない、かけがえのない家族のような存在、仲間とともに生きる唯一無二の共同体だと言えるのではないだろうか。
 よく、今、最悪の関係にある隣邦、韓国に対して、「引っ越しできない」という表現が使われているが、アジアに対しても同様だと思う。良かろうが悪かろうがアジアを離れての日本はあり得ず、アジアとともに切り開いていくところにのみ日本の運命の開拓はあるということだと思う。

■「アジアの内の日本」になるために
 アジア各国が独立し、経済を発展させ、アジアが世界発展のもっとも強力な原動力になってきている現時代にあって、アジアの外から内に入り、アジアに対し内から向き合うことは、日本にとって一層切実な要求になってきているのではないだろうか。
 今、日本がその内に入ることを求められているアジア共同体は、かつて日本が君臨しようとした大東亜共栄圏とも、その主権の制限により加盟各国国民から拒否され排撃されているEUとも異なる。その存在自体が各国の主権、自主と自立の条件となるような真の共同体になることが求められている。日本に要請されているのは、まさにそこで、アジアの一員、「アジアの内の日本」としての役割を果たすことではないだろうか。
 そのために何よりもまず問われているのは、アジアの国々、とりわけその国民の要求に耳を傾け、応えていくことではないかと思う。
 今は、新しい政治の時代だ。古い政治が排撃され、国民自らが政治舞台に進出し、政党を動かして、政治に自らの意思と要求を反映していくのが世界的な趨勢になってきている。
 このような時代的趨勢にあって、古い時代の国家間の取り決めを盾に政治を行うのは禁物なのではないか。かつて、朴政権時代に結ばれた日韓条約、請求権協定を掲げ、韓国との間の徴用工問題などに対するのは、その典型ではないかと思う。それでは、韓国国民の要求には到底応えられず、それが今日の日韓関係最悪化の根因になってしまっているのではないかと思う。
 そうした中、日本がアジア全体に対し持つべき観点で重要なのは、これまで日本がアジアの外、アジアの上に立って犯してきた誤り、罪悪について認め、謝罪することではないだろうか。
 よく言われるこの「歴史認識」問題と関連して、「いつまで謝らなければならないのだ」という国民的な思いがあるのは事実だ。しかし、これまで「アジアの内の日本」としての立場にしっかり立てていなかったわれわれが謝罪をよくできていなかったのも事実ではないだろうか。実際、日韓条約などには、過去の植民地支配への謝罪は、一行、一言も記されていないのだ。
 「アジアの内の日本」としての役割を果たしていくため、アジアの国々、国民の要求に応える上で問われているのは、やはり、これまでアジアの外にあった日本の国としてのあり方そのものを変えるようにすることではないかと思う。
 今日、東北アジアの時代的転換に対応して、「防衛線」の38度線から対馬海峡への南下や「敵基地攻撃」などが叫ばれ、憲法の改正が「新しい国づくりの道しるべ」として公然と語られ、日本を米国に従って米国とともに戦争できる国にするための策動が推し進められている。
 これは、明らかに日本がアジアの内に入るためのものではない。日本が一層徹底的に米国の一部となり、外からアジアに敵対するためのものだ。
 「戦争と敵対から平和と繁栄へ」の時代的転換が唱われるのとは裏腹に進行するこの現実にあって、今こそ掲げられるべきは、「アジアの内の日本」であり、そのための本物の「新しい国づくり」、憲法の改正ならぬ、これまで蔑ろにされてきた憲法の実現ではないだろうか。
 二度と侵略も戦争もしないと誓った日本国憲法を護り実現することは、絶対多数日本国民の要求であるとともに、アジアの国々と国民皆の日本に対するもっとも強く切実な要求だ。
 憲法を実現し、アジアの要求に応えて「アジアの内の日本」になることは、専守防衛とともにアジア安保で日本の防衛を保障する道であり、それは、日米安保と米国による支配から脱却する道にも通じている。国のあり方のこの転換こそがもっとも求められていると言えるだろう。



議論

「憲法9条が日米安保を縛る」防衛を考えるとき

吉田寅次


■「日本の失敗」に学ぶアジア
 朝日新聞(12/5)のインタビュー記事にあった「日本の失敗に学ぶ」には考えさせられた。
 かつて「ルックイースト」?経済的成功を遂げた東方の国、日本に学べ?を唱えたマハティール首相(マレーシア)だが、そのご当人がいまは「日本の失敗に学ぶ」ことを訴えるに至ったのだ。
 「敗戦後、日本は平和を希求して攻撃的な戦争はしないと憲法に書き込んだ」、なのに「攻撃的な外交の米国によって引き起こされる紛争に・・・引きずり込まれる可能性がある」と危惧を表明。
 その原因については、「米国の強い影響下にある」日本の対米従属体質だと鋭く指摘している。
 「日本の失敗に学ぶ」でマハティール首相が言いたかった結論、それは「米国の利益だけを考えていたらアジアの平和は守れない」! これだ。

■それは「日米安保基軸の防衛」への警鐘
 「米国の利益だけを考えていたらアジアの平和は守れない」! これを「アジアの内」からの警鐘だととらえ、では日本の防衛政策はどうすべきなのか、その回答を考えてみたい。
 戦後日本の防衛政策は「憲法9条+日米安保」の二本立て、「専守防衛の自衛隊+報復攻撃の米軍」で成り立つものとされてきた。憲法9条の縛りを受ける「専守防衛」の自衛隊では「日本は守れない」、それゆえ相手国への「報復攻撃能力を持つ」米軍なしに日本の防衛はない。したがって「日米安保基軸」! これが戦後日本の防衛政策の基本とされてきた。
 軍事は米国に任せ、日本は経済に集中すればよい、この「吉田ドクトリン」(吉田茂首相が唱えた)が戦後日本の高度経済成長を支えた。さらには「ジャパン・アズ・ナンバーワン」とまで言われるようになる1980年代に「ルックイースト(東方の成功に学べ)」政策をマハティール首相が打ち出すに至る「日本の成功」神話となった。
 しかしいまや「日米安保基軸」の戦後防衛政策は、「ルックイースト」提唱者、マハティール首相をして「日本の失敗」であると烙印を押されるような「日本がその紛争を招いたわけではないのに、(米国が引き起こす紛争に)引きずり込まれる可能性がある」と危惧を抱かせるものとなった。

■問題は改憲ではなく日米安保の見直しにある
   昨年、安倍政権は、新防衛大綱の基本を「自衛隊の攻撃能力保有」に置き、いずも型護衛艦の小型空母への改修、これに搭載可能な短距離離陸・垂直着陸のF35B戦闘爆撃機導入、また射程900kmミサイル導入などが盛り込まれた2018年版防衛大綱を閣議決定した。
 これは自衛隊が「専守防衛」という憲法9条の縛りを脱し「敵基地攻撃能力保有」によって米軍の攻撃作戦、戦争に参加することを可能にするものだ。言い換えれば、自衛隊が憲法ではなく日米安保の要求に応える軍隊になるということを意味する。すでに装備面で実質的改憲は一歩前に進められており、この先に安倍「改憲」があるのは火を見るより明らかなことだ。
 新防衛大綱は「安保環境の悪化」を口実にしたものだが、問題はその「安保環境の悪化」が日本のそれではなく米国のそれだということにある。
昨年、米国が策定した「新安全保障戦略」は、米国中心の国際秩序に変更を加える国を修正主義諸国(中国、ロシア)とし、正面から挑戦する国を「ならず者国家」(朝鮮、イラン)とした。そして危機にさらされている米中心の国際秩序維持のために同盟国の役割を強めること、つまり日本がもっと積極的役割を果たすことを求めた。 
 安倍政権が閣議決定した「自衛隊の攻撃能力保有」という新防衛大綱は、この米国の新安保戦略にある同盟国日本への要求から来るものだ。改憲し日本は米国と共に戦争をする国になる、これが「日米安保基軸の防衛」の究極の姿だ。
 マハティール首相の言う「日本がその紛争を招いたわけではないのに、(米国が引き起こす紛争に)引きずり込まれる可能性がある」と指摘した「日本の失敗」とはこのことを指している。
 いまわが国の「安保上の危機」とは、安倍政権の言うような「憲法9条の制約性」にあるのではない。その真逆、日米安保基軸に引きずられて「憲法見直し」にまで踏み込もうとする戦後日本の防衛政策にあるのではないのか?

 

■米・新安保戦略にノーをつきつけるアジア
 米国防総省は6月、「インド太平洋戦略」を米国の新アジア戦略として発表した。
 この新アジア戦略は、昨年策定の新安全保障戦略のアジア版と言えるもの、中国を「米中心の国際秩序の修正主義勢力」と規定し、中国に「対抗する」軍事、経済的覇権秩序をうち立てるというものだ。
 ポンペオ米国務長官は8月に開かれた東南アジア諸国連合(ASEAN)外相会議で「自由で開かれたインド太平洋」構想への協力を訴えた。しかしASEAN諸国の賛同を得られなかった。
 逆にこの会議でASEANは、インド太平洋地域を「対抗ではなく協力と対話の場」とする独自構想を採択した。この地域に対立と紛争をもたらす米国の新安全保障戦略にノーをつきつけたのだ。 「米国の利益だけを考えていたらアジアの平和は守れない」これがマハティール首相だけではない、アジアの声なのだ。

■憲法9条が日米安保を縛る防衛!
 「日本の失敗」に警鐘を鳴らすアジアの声から、私たちは何を知るべきなのだろう。
 「敗戦後、日本は平和を希求して攻撃的な戦争はしないと憲法に書き込んだ」とマハティール首相は日本への希望を述べた。なのにこの希望は裏切られた。そのことを彼は「日本の失敗」と痛烈に批判した。それは言い換えれば、「米国の利益だけを考え」、この憲法を日米安保の従属下に置いた日米安保基軸の戦後日本の防衛政策、これからの転換の道を探れ、ということではないだろうか。
 その答えは、「憲法基軸の防衛政策」への転換であることは明確だ。「攻撃的な戦争はしない」を書き込んだ自らの憲法を尊重し、それを基軸にした防衛政策への転換を考えなさいということだ。
 そしてさらに考えるべきこととして、日米安保基軸によって自衛隊が憲法の縛りを解かれ「攻撃的な戦争をする」軍隊に大転換するに至った現時点においては、日米安保と憲法9条、そのどちらを上位に置くべきなのか、この位置関係を明確にする防衛政策でなければならないということだ。
 ならば回答はこれ以外にないと思う。
 「憲法9条が日米安保を縛る防衛」! これだ。
これは日本の現実の要求への回答でもある。
 敗戦後、日本国民が「平和への希求」を込めた憲法9条、それが日米安保基軸の防衛の従属下に置かれていまや改憲が迫られ米国と共に戦争をする国へと時の政権が積極的に進める事態に立ち至った。
 この危機的事態打開の道は、日米安保従属に終止符を打つ、日本の自主防衛政策を明確に打ち出す以外に道はない。その自主防衛を一言で集約するとすれば、「憲法9条が日米安保を縛る防衛」! となると思う。

■9条自衛と日米安保見直し、東アジア安保
 憲法9条が日米安保を縛る防衛! それはどのような防衛政策となるのだろうか。
 第一に、9条自衛、専守防衛に徹することだ。
 9条二項の定める交戦権否認、戦力不保持の自衛とは、マハティール首相の言う「攻撃的な戦争をしない」自衛ということだ。自国領土領海領空を越えない自衛、「自衛」の名による相手国への報復攻撃という自衛戦争すら否定する自衛、徹底した撃退自衛に限定の専守防衛、これが9条自衛の根幹だと思う。
 第二に、これがいま最も大切なことだが、憲法9条で日米安保を縛ることだ。
 一言でいって、9条自衛・専守防衛に反する在日米軍の行動を規制することだ。その基本要求は日本の米軍基地を「米軍の敵国攻撃出撃基地として使用を禁じること」にある。それはいま多くの人々が指摘する「日米地位協定の改訂」に含まれるべき基本事項となるだろう。鳩山友紀夫氏は「駐留なき安保」まで構想、大いに議論すべきことだ。
 第三に、日米安保一辺倒を脱し、アジア地域、特に東北アジア諸国との東アジア集団安保体制づくりを基本に据えることだ。
 この経験はすでにASEANを中心とした集団安保?主権尊重、内政不干渉を根本原則とする「攻撃的な戦争しない」地域づくりの集団安保?ARF(東南アジア地域フォーラム)としてある。別名、「噛みつく安保」ではなく「吠える安保」と言われるものだ。これについては改めて考察することにしてここでは触れない。
 「アジアの内の日本」という視点からの防衛論議がこれから重要になると思う。


 
随想

ろくでもない2019年「年の瀬所感」

平 和好


■「わたくしはですねっ、まさにその〜〜」
 テレビがつくと聞こえてくるあの声、映るあの顔。そのたび不愉快のきわみになる「改憲首相」。今年も倒せないままに除夜の鐘を聞くことになり、残念な限りだ。これほど国政と血税と公務員を私物化し、5回以上議員辞職してもおかしくないほどの悪事を重ねたのに、首相の座を手放さず、あまつさえ「私の在任中に改憲を」などとほざくとは!
 韓国の右翼同志朴槿恵氏は獄中で割り切れない思いではないか? 民意に従い、大統領を失職させ、結構重刑を科した韓国の司法はなかなか民主的といえる。それに引き換え、わが国の司法は正当な労働運動を厳しく弾圧しながら、犯罪人と言ってよい安倍一味をのさばらせ続けている。こんな国がアジアの他国の人権や民主主義を云々する資格ゼロだ。

■野党の状況も・・・
 これだけひどい、誰の目にも明らかな不正が次々暴露されているにもかかわらず、倒せない原因は野党にもあると言わざるを得ない。野党第一党のパートナーズの一員としての「個人の見解」だが、まず、外交や歴史認識で安倍と同じ見識に党幹部が立つ時点で落第だ。右寄り傾向の世論の中で「安倍と同じことを言えば右寄り票を取れる」と思うのは愚の骨頂。同じ意見なら儲けさせてくれる幻想だけ振りまく政府を支持してしまう事もわからないようでは見通しが暗い。消費税への認識もそうだ。共産党と「れいわ」が当面、税率5%への減税で合意しているのに、そこに歩み寄らず、国民党や野田派などに擦り寄る枝野さん、自殺行為だぞ! 消費税10%が強行されてしまったのだから5%に下げれば半減で大きな経済効果が見込める。景気は個人消費レベルで良くなるので、さらに5%下げる勇気も出てくるし、廃止の暁には膨大な経済効果が見込めるだろう。それはマレーシアなどで実例がある。

■改憲は絶対ダメ!
 ろくでもない政治を続け、外交成果ゼロ、景気の上昇もできない政治的無能者の首相は、取り付かれたように「改憲」を唱え続けている。最悪が続いた2019年だが7月の参議院選挙で改憲派が3分の2を割ったことだけは慶事である。N国や国民党を取り込んで改憲発議を狙う安倍首相だが無理というものだ。立憲が呼びかけた共同会派の前提条件は「改憲阻止・非戦」の市民連合と野党各党の共同署名を守ることが前提になっている。と言っても脱落を狙う動きは十分予想できるので油断せず、中間派政党の議員に、特に地元の人からしょっちゅう圧力をかけよう。口コミ、電話、SNSなど手段は膨大にある。私一人がなどと思ってはいけない、不断の努力がなければ戦争する国になり、破滅だ。アジア諸国の人々を差別し、戦争と植民地支配を続けた結果、1945年8月15日には「郷土」も「アジア全土」も悲惨な事になったのを忘れてはいけない。

■絶望は敵! 努力は希望!
 中国・朝鮮はずっと転覆策動、侵略策動、経済制裁を受け、在日朝鮮人・中国人は厳しい殺人的迫害を70年間され続けてきた。それでくじけるどころか連綿とたたかいを続け、展望を開きつつある。どんどん落ちぶれているのは迫害者のほうだ。2020年、何をなすべきか、穏やかな年末年始の中にあって、計画を練ろうではないか! 前へ進めば必ず、道は開ける。日本はアジアの中にあり、先生は無数に(推定20億人近く)いる。



編集部から

集会報告

金子恵美子


 去る12月8日、「東アジアに平和をつくろう!韓国と沖縄の反基地平和運動と連帯し武力なき平和をつくる2019ZENKOスピーキング・ツアー」という長―い題目の集会に行ってきました。
 主催は「平和と民主主義をめざす全国交換会」で、北は北海道から南は沖縄まで、全国7か所で集いを開催。私が参加したのは、最終日の大阪集会でした。
 天満駅から徒歩5分の「PLP会館」大会議室は、ほぼ満席、後ろには今集会に参加している様々な団体関連のパンフ・本や物品、おにぎりやコーヒー、蜂蜜やクッキーといった飲食コーナーも設けられざっくばらんな良い雰囲気が醸し出されていました。
 今回のメインゲストは韓国・済州島でハンストや平和大行進など多彩な反基地闘争を展開しているノ・ミンギュさんと沖縄県大宜味村在住で沖縄ドローン・プロジェクトの活動を通じ辺野古工事や、いわゆる琉球弧における米軍基地の拡大と自衛隊配備強硬の実態を監視する活動を続ける土木技師の奥間正則さんでした。
 最初にノ・ミンギュさんのお話が同時通訳でありました。済州島の反基地闘争は初めて聞くお話で学ぶことが多かったです。済州島と言ったら思い浮かぶのは「海女さん」「観光地」そして「4・3事件」位のもので、沖縄の辺野古と同じように風光明媚な牧歌的で絆の強かった村が飛行場や海軍基地建設を巡り分断を余儀なくされていること、また、ハンストや署名などいくら村民の民意を国に訴えてもまるで相手にされないこと、そのような中でも普通の素朴な村の人々が身体を張って工事の車両を止めている活動などなど、沖縄の闘いと同じものがそこにはありました。実際沖縄の闘いと済州島の人々の闘いは繋がっています。
 それはドローンを駆使して奄美大島、沖縄島、宮古島、石垣島、与那国島の米軍基地、自衛隊の配備増強の実態を監視している奥間さんのお話と合わせると一目瞭然です。
 日米政府は今、どんな民意が示されようが一顧だにせず辺野古の埋め立て工事を推し進めようとしていますが、こうした日米政府による「琉球弧」における軍事化が急速に推し進められていることが、奥間さんがドローンを駆使して収取した緻密な資料により明らかにされてゆきました。奄美大島では陸海空自衛隊の全部が揃い、新たなミサイル基地が造られ、宮古島では保良の弾薬庫工事が始まり、野原米軍レーダーを自衛隊が使う。集落まで近い所で200mだといいます。石垣島では元ゴルフ場へのミサイル基地建設が進み米軍の強制接収で土地を追われた農民が闘いに立ち上がっているとのことです。与那国島ではレーダー基地と駐屯地がすでに出来上がっている。これが今現在日本の西南諸島で進行している事実なのです。
 済州島から上記の島々までの「琉球弧」全体が軍事化されつつあるということです。これが何を意味するのかは「米国の対中国前哨基地になっている」というノ・ミンギュさんの言葉を待たずとも誰でも分かることでしょう。米国は中国を第一の戦略敵とみなし、経済戦争、ウィグルや香港デモを利用した「人権問題」など、あの手この手で攻撃を仕掛けていますが、軍事面においては日本と韓国をその最前線に立たせ、自らの人的、経済的負担の軽減を図っているのです。
 済州島の南端、海に面した江汀(カンジョン)村。この静かな村に韓国政府の海軍基地建設計画が表面化し、島民の反対運動が始まったのが2007年、同年に実施された住民投票では「建設反対」が94%。にも拘わらず基地建設は強行され、ブルトーザーに身を投げ出すなど、島民の激しい反対運動を押し切り、2016年に完成。現在そこは韓国海軍の基地であるにも拘わらず、アメリカやカナダの軍艦が寄港しているといいます。
 韓国軍と米軍の一体化、韓国軍を表に立てた「自国ファースト」のトランプ米国のやり方。「日米安保の双務化」、更なる在日米軍駐留費の増額、莫大な軍事装備品の押し売りなどなど、米国の対中国封じ込め、東アジアにおける支配力の維持に日本と韓国は共に米国との一体化が進められ、利用物になり、その犠牲が軍事基地化が進められる済州島から「琉球弧」の島々の人々に押し付けられています。
 東アジアに「平和と繁栄」の新しい幕が切って落とされている今日、済州島と沖縄の闘いは一つに結ばれており、決してその地の人々の問題ではなく、東アジアと日本・韓国の平和と主権の問題であるのだということを改めて確信できた集会でした。



資料

最後の一線を越えた…7年間にも及ぶ国と社会に対するテロ

適菜収 「それでもバカとは戦え」 日刊ゲンダイ 12/14


 しかし、本当にひどい7年間だった。安倍政権がやったのは国と社会に対するテロだった。これは大げさな表現ではない。
 安保法制騒動では憲法破壊に手を染め、しまいには首相補佐官が「法的安定性は関係ない」と言い出した。北方領土の主権は棚上げされ、不平等条約締結に邁進。国のかたちを変えてしまう移民政策を嘘とデマで押し通し、森友事件における財務省の公文書改ざん、南スーダンPKOにおける防衛省の日報隠蔽、裁量労働制における厚生労働省のデータ捏造など、一連の「安倍案件」で国家の信頼性を完全に破壊した。水道事業の民営化や放送局の外資規制の撤廃をもくろみ、皇室に嫌がらせを続け、今回の「桜を見る会」問題では、証拠隠滅を図りながら逃げ回った。
 要するに悪党が総理大臣をやっていたのだ。この究極の売国奴・国賊を支えてきたのが産経新聞をはじめとする安倍礼賛メディアであり、カルトや政商、「保守」を自称する言論人だった。「桜を見る会」には、統一教会の関係者、悪徳マルチ商法の「ジャパンライフ」会長、反社会的勢力のメンバー、半グレ組織のトップらが呼ばれていたが、安倍とその周辺による国家の私物化が象徴的に表れていたので、ここまで注目されたのである。
昨年の国家公務員合同初任研修の開講式で安倍は、新人官僚約750人を前に「国民の信頼を得、負託に応えるべく、高い倫理観の下、細心の心持ちで仕事に臨んでほしい」と訓示を述べていたが、恥知らずにも程がある。官僚が「高い倫理観」をもったら困るのは自分だろう。
 国会閉幕を受けた記者会見では、憲法改正について「決してたやすい道ではないが、必ずや私の手でなし遂げていきたい」と表明。「私は立法府の長」と国会で4回も言ったバカなので今に始まった話ではないが、自分の役職や権能すら理解していない。さすがに党内からも「憲法改正は国会が発議すべきもの」との声が上がったが、もはや末期症状である。
 安倍と周辺の一味は嘘に嘘を重ね、時間を稼ぎ逃げ切ろうとしてきたが、ついには「その時々の社会情勢に応じて(反社会勢力の定義は)変化し得るものであり、限定的・統一的な定義は困難だ」とする答弁書を閣議決定。これはテロリストがテロの定義はないと言い張るようなものだ。安倍の悪事は最後の一線を越えた。

 

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